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目覚め
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なにか夢を見ていた気がするけれど、目が覚めたときその夢の内容は簡単に記憶から消えていってしまった。
体が痛くて身を捩り、地面の硬さに首を傾げた。
いつものベッドに眠っていない。
そう気がついて上半身を起こすと、そこは見知った教室の風景だった。
下平奈穂は「え?」と小さく呟いて立ち上がり、周囲を見回した。
周りに居たのはクラスメートの中武珠美、望月豊、杉本一浩の3人だ。
「あれ? なんで俺こんなところにいるんだ?」
一浩がキョトンとした表情で頭をかいている。
みんな、なぜか制服姿だ。
「ちょっと、なにこれ?」
「うお、なんだ?」
珠美と豊のふたりも今の状況に混乱し始めている。
もちろん奈穂も同じくらい動揺していたけれど、周りにいるのは見知った顔ばかりということでなんとなく安心してしまった。
「みんな、どうしてこんなところにいるの?」
そう聞きながら近づいていくと珠美が左右に首を振った。
「わからないよ。だって私、ちゃんと自分の部屋のベッドで寝てたもん」
「俺も同じだ」
隣で一浩が同意を示す。
どうやらそれも全員一致しているみたいだ。
奈穂は昨日の夜のことを思い出していた。
昨日は夜10時には自分の部屋に戻って、明日の学校の準備をした。
そのままベッドにもぐって眠りについたんだ。
もちろん、制服に着替えた記憶も、学校へやってきた記憶もなかった。
「集団催眠かもしれないな」
ふと気がついたように言ったのは豊だった。
「集団催眠?」
奈穂が聞き返す。
「そう、前にテレビで見たことがある。同じ場所にいた全員がありえない化け物を見たって話。だけどその化け物を見る前にそこにいる全員は同じ怪獣映画を見ていたんだって。それが原因でみんなが同じ幻覚を見て同じように逃げ出したらしい」
「もしそうだとしても、俺達にそんな共通点はないだろ」
一浩が腕を組んで仁王立ちしている。
私たちの居痛雨天といえば安岡中学校2年B組の生徒ということくらいだ。
一浩は派手なタイプで学校でも授業に出たり出なかったりしている。
豊は一浩と仲がいいけれど、授業にはちゃんと出席していてどちらかと言えば真面目なタイプだ。
珠美は地味で目立たないタイプで、あまり自分から発言はしない。
今はこの状況で興奮しているのか、普段よりも口数が多くなっている。
でそして奈穂はごく一般的な生徒だった。
地味でも派手でもなく、そこそこ校則は守りながらもスカート丈を少しだけ短くしてみるとか、ちょっとした冒険はしている。
至って、一般的といえた。
「私たちの共通点は同じクラスの生徒ってだけだよね。集団催眠なんてきっとかかってない」
奈穂はそう言いながらスカートのポケットを探った。
いつもここにスマホを入れいてるから、癖でつい触ってしまうのだ。
でも、そこにスマホの感触はなかった。
「私、スマホを持ってきてないみたい」
「私も、さっき探したけどなかった」
珠美がすぐに同意する。
他のふたりも制服のポケットを確認しているけれど、その中からはチリ一つとして出てこなかった。
「おかしいな、ハンカチもないなんて」
豊が首を傾げている。
ハンカチはポケットに入れっぱなしにでもしていたのだろう。
「迎えが呼べねぇな」
一浩がチッと小さく舌打ちをする。
教室内は電気がついていて明るいけれど、外は真っ暗だ。
時計の針を確認すると午前3時だとわかった。
夜が明けるまでにはまだまだ時間がありそうだ。
真っ暗な中家に帰ることを思うと、憂鬱な気持ちになる。
「夜明けまで待って帰る方が安全かもしれないね」
奈穂が珠美へ向けて声をかける。
同じ女子生徒同士だから同意してくれるだろうと思ったけれど、珠美は鋭い視線を奈穂へ向けた。
「そうだね、奈穂は可愛いから」
その言葉に棘を感じてあとずさりをする。
「私は大丈夫。誰も相手にしないから」
更に続けられた言葉に返事ができなくなってしまった。
奈穂と珠美は普段それほど仲がいいわけではないから、珠美が自分の容姿をコンプレックスに感じていることなんて知らなかった。
悪気はなかったといえ気分を悪くさせてしまった奈穂はそっと珠美から距離を置いた。
「女子は送ってあげるよ。それから帰っても大差ないし」
そう提案したのは豊だった。
男子が一緒なら真夜中に歩くことも悪くないかも知れない。
奈穂は内心ホッとする。
「俺は真っ直ぐ帰るぞ。付き合ってられねぇから」
一浩は相変わらず一匹狼で協調性はないらしい。
普段の学校生活からしてそういう態度だから驚きはしないけれど、こんなときくらい協力してもいいのにと思ってしまう。
そんな不満が顔に出ないように奈穂は豊へ笑みを向けた。
「ありがとう。お願いできる?」
「もちろん。珠美も行こう」
豊に声をかけられた珠美がようやく近づいてきた。
そして4人で教室を出ようとした、そのときだった。
奈穂がドアを開けようとしてもそれはびくとも動かなかったのだ。
「あれ? ドアが開かない」
「カギがかかってるんじゃないか?」
豊に言われてカギを確認してみるけれど、それは確かに開いていた。
「カギは空いてる。でもドアが動かないよ」
向こう側からつっかえ棒でもされているんだろうか。
「それなら窓から出ればいい」
一浩が廊下側の窓に手を伸ばす。
その窓はクレセント錠で、反転させて解錠させるタイプのものがつけられている。
カギも鍵穴もないから簡単に開閉できるはずなのに、なぜか手こずっているのがわかった。
「なんだこの窓、カギは開けたのに開かねぇ!」
一浩が叫び声に似た声を上げる。
さっきから両手をつかって懸命に窓を開けようとしているため、顔は真っ赤に染まっていた。
一浩の二の腕は筋肉で持ち上がっているし、これが嘘だとは思えなかった。
「窓もドアも開かないってこと?」
珠美が青ざめた顔で聞いてくる。
奈穂は答えずにまたドアと向き直った。
両手を使い、力を込めて開こうとする。
けれどドアはびくともしなかった。
「こっちもダメだ!」
振り向くと豊がベランダ側の窓が開かないか確認しているところだった。
でも、そこも開かないらしい。
だんだん焦りが湧いてきて、背中に冷たい汗が流れ落ちていく。
「閉じ込められたってこと?」
誰にともなく問うと、血管を浮き上がらせた一浩が椅子を持って廊下側の窓へ向かった。
「なにするの?」
奈穂が思わず声をかける。
一浩は答えずに勢いよく椅子を窓に打ち付けたのだ。
がんっ!
鋭い音が響き、珠美がビクリと身を縮める。
しかし窓は破られていない。
「くそっ。結構力入れたのにな」
一浩はぶつぶと文句を口にしながらまた椅子を窓に叩きつける。
本来ならすでに割れていてもおかしくない。
でも、窓はやはりびくともしなかった。
「もしかして強化ガラスになってるんじゃないか?」
そう言ったのは豊だった。
しかし、一浩はすぐにそれを否定した。
「いや違う。外に面した窓ならともかく、廊下側に面した窓だぞ? 何度も割れたことだってあるはずだ」
確かに、入学してから窓が割れたことが1度だけあった気がする。
そのときは男子生徒が悪ふざけで遊んでいて窓にぶつかったことが原因だったと、先生は言っていた気がする。
たったそれだけで割れるのに、今みたいに何度も椅子を叩きつけても割れないなんて、ちょっと考えられないことだった。
少し考えてから奈穂は自分でも椅子を持って窓に打ち付けていた。
もしかしたら、事故があってから強化ガラスに交換されたのかもしれない。
ガンガンと力づくで何度も椅子を窓に叩きつけてみるけれど、びくともしない。
それを見ていた豊がベランダ側の窓を割ろうと試みるけれど、これも失敗だった。
「なんだよ、これじゃ外に出られねぇじゃんよ!」
一浩が地面を蹴りつけて怒鳴る。
「どこかから出られるはずなのに……」
奈穂が息を切らして呟く。
ここは見慣れた自分たちの教室なのに、今は異質な空間に見えて仕方がない。
「あ、これなに!?」
出口がなくて呆然と立ち尽くしてしまったとき、珠美がなにかに気がついて声を上げた。
珠美は早足で教卓へと向かって、その上に置かれているものを手に取る。
蛍光灯の光でキラリと光るそれは……ナイフだ。
カバーもなにもつけられていないナイフが、教卓の上にポツンと置かれていたのだ。
「なにそれ。なんでそんなものがあるの?」
学校内にあってはならないものに奈穂が混乱の声を上げた。
包丁やカッターナイフならまだわかる。
どれも授業で使うものだからだ。
だけど本格的なナイフなんて授業でも使うタイミングはないはずだ。
奈穂は無意識の内に一浩へ視線を向けていた。
この4人の中では一番目立つ、派手なタイプの一浩だ。
一番ナイフを持っていそうな雰囲気だった。
「違う、俺じゃない」
奈穂からの視線に気がついて一浩が左右に首を振る。
「そもそも俺たちは何も持たずにここで目が覚めただろうが」
そう言われればそのとおりだ。
みんな普段持ち歩いているものをなにも持っていなかった。
ハンカチすらなかったのだから、4人のうちの誰かが持ち込んだ可能性は少ない。
「気味が悪いね」
珠美はそう呟くとすぐにナイフを教卓の上に戻した。
普段持っているはずのものがなくて、ないはずのものがある。
これこそ夢の中なんじゃないかと思えてくる。
奈穂はそっと自分の頬をつねってみたけれど、それにはちゃんとした痛みがあって顔をしかめた。
どうやら夢じゃないみたいだ。
時計の針は3時30分を差している。
夜明けまでまだまだ時間がありそうだ。
外に連絡をとることはできないし、自力で脱出することもできそうにない。
後は朝になって誰かが来てくれるのを待つ以外に手はなかった。
「どうなってんだよ意味わかんねぇ」
一浩が悪態つきながら床に座り込み、壁を背もたれにして目を閉じた。
それを見ていると一気に疲労感が溢れてきて、私も普段の自分の席に座った。
机に突っ伏して目を閉じるとそのまま眠ってしまいそうだ。
このまま眠って目が覚めたときに自分のベッドの上に戻っていればいいのにと考える。
本当に眠気が襲ってきそうになったそのときだった。
かすかに音が聞こえてきて私の意識は覚醒していく。
それはカッカッという、聞き慣れた音だった。
確かに聞き慣れている。
だけどそれがなんの音だったのか、思い出すまでに少し時間が必要だった。
そして音の正体を思い出すと同時に奈穂は顔を上げてみた。
みると豊と珠美のふたりが棒立ちになって青ざめている。
その顔は同じ方向を向いていた。
奈穂も自然と同じ方向を向き……そこで音の正体を知った。
それは先生が黒板にチョークで文字を書いているときの音と同じものだったのだ。
そして今、チョークがひとりでに浮いて黒板に文字を刻んでいっている。
「ひっ!」
奈穂が小さく悲鳴を上げて一浩も目を開けた。
そして黒板にその視線が釘付けになる。
誰もなにも言えなかった。
ただ黒板に勝手にかかれていく文字から目を離すことができなかった。
天野千秋。
黒板にそう書き記した後、チョークは突然力を失ったようにその場に落ちて折れてしまった。
その名前が刻まれてもまだ誰もなにも言わなかった。
その名前はよく知っている。
聞き馴染みもあったし、本人のことも知っている。
それなのに、誰も言葉を発することができなかった。
「こ、これって……?」
初めに引きつった声を出したのは珠美だった。
珠美は真っ青になり、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
「わからない。どういうこと?」
「きっとマジックだ。手品だよ」
奈穂と豊が立て続けに言った。
手品。
でも、じゃあそれを誰がやったのか?
互いに目を見交わせては左右に首を振る。
誰もなにもしてないことは、明確だった。
この部屋からは出ることもできないし、みんな黒板から遠い場所にいたからチョークを操ることだってできない。
「天野千秋って、千秋のことだよね?」
奈穂の声が震えている。
この非現実的な状況でなぜ千秋の名前が出現したのか、考えないといけない。
それなのに、恐怖心が勝ってうまく思考回路が働いてくれない。
「せ、先生ホームルームで言ってたよね?」
奈穂はどうにか自分の記憶をたどり、昨日の朝のことを思い出したのだった。
体が痛くて身を捩り、地面の硬さに首を傾げた。
いつものベッドに眠っていない。
そう気がついて上半身を起こすと、そこは見知った教室の風景だった。
下平奈穂は「え?」と小さく呟いて立ち上がり、周囲を見回した。
周りに居たのはクラスメートの中武珠美、望月豊、杉本一浩の3人だ。
「あれ? なんで俺こんなところにいるんだ?」
一浩がキョトンとした表情で頭をかいている。
みんな、なぜか制服姿だ。
「ちょっと、なにこれ?」
「うお、なんだ?」
珠美と豊のふたりも今の状況に混乱し始めている。
もちろん奈穂も同じくらい動揺していたけれど、周りにいるのは見知った顔ばかりということでなんとなく安心してしまった。
「みんな、どうしてこんなところにいるの?」
そう聞きながら近づいていくと珠美が左右に首を振った。
「わからないよ。だって私、ちゃんと自分の部屋のベッドで寝てたもん」
「俺も同じだ」
隣で一浩が同意を示す。
どうやらそれも全員一致しているみたいだ。
奈穂は昨日の夜のことを思い出していた。
昨日は夜10時には自分の部屋に戻って、明日の学校の準備をした。
そのままベッドにもぐって眠りについたんだ。
もちろん、制服に着替えた記憶も、学校へやってきた記憶もなかった。
「集団催眠かもしれないな」
ふと気がついたように言ったのは豊だった。
「集団催眠?」
奈穂が聞き返す。
「そう、前にテレビで見たことがある。同じ場所にいた全員がありえない化け物を見たって話。だけどその化け物を見る前にそこにいる全員は同じ怪獣映画を見ていたんだって。それが原因でみんなが同じ幻覚を見て同じように逃げ出したらしい」
「もしそうだとしても、俺達にそんな共通点はないだろ」
一浩が腕を組んで仁王立ちしている。
私たちの居痛雨天といえば安岡中学校2年B組の生徒ということくらいだ。
一浩は派手なタイプで学校でも授業に出たり出なかったりしている。
豊は一浩と仲がいいけれど、授業にはちゃんと出席していてどちらかと言えば真面目なタイプだ。
珠美は地味で目立たないタイプで、あまり自分から発言はしない。
今はこの状況で興奮しているのか、普段よりも口数が多くなっている。
でそして奈穂はごく一般的な生徒だった。
地味でも派手でもなく、そこそこ校則は守りながらもスカート丈を少しだけ短くしてみるとか、ちょっとした冒険はしている。
至って、一般的といえた。
「私たちの共通点は同じクラスの生徒ってだけだよね。集団催眠なんてきっとかかってない」
奈穂はそう言いながらスカートのポケットを探った。
いつもここにスマホを入れいてるから、癖でつい触ってしまうのだ。
でも、そこにスマホの感触はなかった。
「私、スマホを持ってきてないみたい」
「私も、さっき探したけどなかった」
珠美がすぐに同意する。
他のふたりも制服のポケットを確認しているけれど、その中からはチリ一つとして出てこなかった。
「おかしいな、ハンカチもないなんて」
豊が首を傾げている。
ハンカチはポケットに入れっぱなしにでもしていたのだろう。
「迎えが呼べねぇな」
一浩がチッと小さく舌打ちをする。
教室内は電気がついていて明るいけれど、外は真っ暗だ。
時計の針を確認すると午前3時だとわかった。
夜が明けるまでにはまだまだ時間がありそうだ。
真っ暗な中家に帰ることを思うと、憂鬱な気持ちになる。
「夜明けまで待って帰る方が安全かもしれないね」
奈穂が珠美へ向けて声をかける。
同じ女子生徒同士だから同意してくれるだろうと思ったけれど、珠美は鋭い視線を奈穂へ向けた。
「そうだね、奈穂は可愛いから」
その言葉に棘を感じてあとずさりをする。
「私は大丈夫。誰も相手にしないから」
更に続けられた言葉に返事ができなくなってしまった。
奈穂と珠美は普段それほど仲がいいわけではないから、珠美が自分の容姿をコンプレックスに感じていることなんて知らなかった。
悪気はなかったといえ気分を悪くさせてしまった奈穂はそっと珠美から距離を置いた。
「女子は送ってあげるよ。それから帰っても大差ないし」
そう提案したのは豊だった。
男子が一緒なら真夜中に歩くことも悪くないかも知れない。
奈穂は内心ホッとする。
「俺は真っ直ぐ帰るぞ。付き合ってられねぇから」
一浩は相変わらず一匹狼で協調性はないらしい。
普段の学校生活からしてそういう態度だから驚きはしないけれど、こんなときくらい協力してもいいのにと思ってしまう。
そんな不満が顔に出ないように奈穂は豊へ笑みを向けた。
「ありがとう。お願いできる?」
「もちろん。珠美も行こう」
豊に声をかけられた珠美がようやく近づいてきた。
そして4人で教室を出ようとした、そのときだった。
奈穂がドアを開けようとしてもそれはびくとも動かなかったのだ。
「あれ? ドアが開かない」
「カギがかかってるんじゃないか?」
豊に言われてカギを確認してみるけれど、それは確かに開いていた。
「カギは空いてる。でもドアが動かないよ」
向こう側からつっかえ棒でもされているんだろうか。
「それなら窓から出ればいい」
一浩が廊下側の窓に手を伸ばす。
その窓はクレセント錠で、反転させて解錠させるタイプのものがつけられている。
カギも鍵穴もないから簡単に開閉できるはずなのに、なぜか手こずっているのがわかった。
「なんだこの窓、カギは開けたのに開かねぇ!」
一浩が叫び声に似た声を上げる。
さっきから両手をつかって懸命に窓を開けようとしているため、顔は真っ赤に染まっていた。
一浩の二の腕は筋肉で持ち上がっているし、これが嘘だとは思えなかった。
「窓もドアも開かないってこと?」
珠美が青ざめた顔で聞いてくる。
奈穂は答えずにまたドアと向き直った。
両手を使い、力を込めて開こうとする。
けれどドアはびくともしなかった。
「こっちもダメだ!」
振り向くと豊がベランダ側の窓が開かないか確認しているところだった。
でも、そこも開かないらしい。
だんだん焦りが湧いてきて、背中に冷たい汗が流れ落ちていく。
「閉じ込められたってこと?」
誰にともなく問うと、血管を浮き上がらせた一浩が椅子を持って廊下側の窓へ向かった。
「なにするの?」
奈穂が思わず声をかける。
一浩は答えずに勢いよく椅子を窓に打ち付けたのだ。
がんっ!
鋭い音が響き、珠美がビクリと身を縮める。
しかし窓は破られていない。
「くそっ。結構力入れたのにな」
一浩はぶつぶと文句を口にしながらまた椅子を窓に叩きつける。
本来ならすでに割れていてもおかしくない。
でも、窓はやはりびくともしなかった。
「もしかして強化ガラスになってるんじゃないか?」
そう言ったのは豊だった。
しかし、一浩はすぐにそれを否定した。
「いや違う。外に面した窓ならともかく、廊下側に面した窓だぞ? 何度も割れたことだってあるはずだ」
確かに、入学してから窓が割れたことが1度だけあった気がする。
そのときは男子生徒が悪ふざけで遊んでいて窓にぶつかったことが原因だったと、先生は言っていた気がする。
たったそれだけで割れるのに、今みたいに何度も椅子を叩きつけても割れないなんて、ちょっと考えられないことだった。
少し考えてから奈穂は自分でも椅子を持って窓に打ち付けていた。
もしかしたら、事故があってから強化ガラスに交換されたのかもしれない。
ガンガンと力づくで何度も椅子を窓に叩きつけてみるけれど、びくともしない。
それを見ていた豊がベランダ側の窓を割ろうと試みるけれど、これも失敗だった。
「なんだよ、これじゃ外に出られねぇじゃんよ!」
一浩が地面を蹴りつけて怒鳴る。
「どこかから出られるはずなのに……」
奈穂が息を切らして呟く。
ここは見慣れた自分たちの教室なのに、今は異質な空間に見えて仕方がない。
「あ、これなに!?」
出口がなくて呆然と立ち尽くしてしまったとき、珠美がなにかに気がついて声を上げた。
珠美は早足で教卓へと向かって、その上に置かれているものを手に取る。
蛍光灯の光でキラリと光るそれは……ナイフだ。
カバーもなにもつけられていないナイフが、教卓の上にポツンと置かれていたのだ。
「なにそれ。なんでそんなものがあるの?」
学校内にあってはならないものに奈穂が混乱の声を上げた。
包丁やカッターナイフならまだわかる。
どれも授業で使うものだからだ。
だけど本格的なナイフなんて授業でも使うタイミングはないはずだ。
奈穂は無意識の内に一浩へ視線を向けていた。
この4人の中では一番目立つ、派手なタイプの一浩だ。
一番ナイフを持っていそうな雰囲気だった。
「違う、俺じゃない」
奈穂からの視線に気がついて一浩が左右に首を振る。
「そもそも俺たちは何も持たずにここで目が覚めただろうが」
そう言われればそのとおりだ。
みんな普段持ち歩いているものをなにも持っていなかった。
ハンカチすらなかったのだから、4人のうちの誰かが持ち込んだ可能性は少ない。
「気味が悪いね」
珠美はそう呟くとすぐにナイフを教卓の上に戻した。
普段持っているはずのものがなくて、ないはずのものがある。
これこそ夢の中なんじゃないかと思えてくる。
奈穂はそっと自分の頬をつねってみたけれど、それにはちゃんとした痛みがあって顔をしかめた。
どうやら夢じゃないみたいだ。
時計の針は3時30分を差している。
夜明けまでまだまだ時間がありそうだ。
外に連絡をとることはできないし、自力で脱出することもできそうにない。
後は朝になって誰かが来てくれるのを待つ以外に手はなかった。
「どうなってんだよ意味わかんねぇ」
一浩が悪態つきながら床に座り込み、壁を背もたれにして目を閉じた。
それを見ていると一気に疲労感が溢れてきて、私も普段の自分の席に座った。
机に突っ伏して目を閉じるとそのまま眠ってしまいそうだ。
このまま眠って目が覚めたときに自分のベッドの上に戻っていればいいのにと考える。
本当に眠気が襲ってきそうになったそのときだった。
かすかに音が聞こえてきて私の意識は覚醒していく。
それはカッカッという、聞き慣れた音だった。
確かに聞き慣れている。
だけどそれがなんの音だったのか、思い出すまでに少し時間が必要だった。
そして音の正体を思い出すと同時に奈穂は顔を上げてみた。
みると豊と珠美のふたりが棒立ちになって青ざめている。
その顔は同じ方向を向いていた。
奈穂も自然と同じ方向を向き……そこで音の正体を知った。
それは先生が黒板にチョークで文字を書いているときの音と同じものだったのだ。
そして今、チョークがひとりでに浮いて黒板に文字を刻んでいっている。
「ひっ!」
奈穂が小さく悲鳴を上げて一浩も目を開けた。
そして黒板にその視線が釘付けになる。
誰もなにも言えなかった。
ただ黒板に勝手にかかれていく文字から目を離すことができなかった。
天野千秋。
黒板にそう書き記した後、チョークは突然力を失ったようにその場に落ちて折れてしまった。
その名前が刻まれてもまだ誰もなにも言わなかった。
その名前はよく知っている。
聞き馴染みもあったし、本人のことも知っている。
それなのに、誰も言葉を発することができなかった。
「こ、これって……?」
初めに引きつった声を出したのは珠美だった。
珠美は真っ青になり、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
「わからない。どういうこと?」
「きっとマジックだ。手品だよ」
奈穂と豊が立て続けに言った。
手品。
でも、じゃあそれを誰がやったのか?
互いに目を見交わせては左右に首を振る。
誰もなにもしてないことは、明確だった。
この部屋からは出ることもできないし、みんな黒板から遠い場所にいたからチョークを操ることだってできない。
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