悪魔なあなたと結婚させてください!

西羽咲 花月

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古本屋

今日も散々な1日だった。
会社から出た幸は少しだけため息を吐き出す。

狭いオフィス空間で重たい空気に体がぺちゃんこになってしまいそうだった。

それにしても、今日はひどかった。
午前中にデータを消されたことを思い出すとまた腹の虫が蠢き始める。

あのふたりはこれから先もエスカレートしてくかもしれない。
どうにかしてほしいけれど、肝心の上司は使い物にならない。

それなら人事部に相談して……そこまで考えて中川の顔を思い出し、また心臓がドクンッと跳ねた。

朋香と和美からすればイケメンなんて吐いて捨てるほど見てきているだろう。

だけど幸からすればこんなに近くに中川のそうな男性がいることが珍しく、ときめかずにはいられない存在だった。

「って、そんな話じゃなくて」


自分で自分にツッコミを入れて思考を戻す。
本当にあのふたりに関してはどうにかしてもらわないといけない。

仕事はろくにせずに人のことをバカにしてばかりだ。
あんな状態で会社に居座られたって、みんなも迷惑するだけだろう。

なによりも、幸をバカにしたあの態度!!
自分たちの容姿がいいからって人をバカにしてもいい理由にはならない。

他人の容姿をからかって笑いものにするくらい卑劣なことだってないはずだ。
「クソッ」

小さくつぶやいて目の前の小石を思いっきり蹴りつけた。

こんなにイライラしているのに明日も明後日も会社へ行こうとしている自分が信じられない。

元々文具は大好きだったけれど、すっかり文具オタクになっていたみたいだ。
「おい、なにしってんだ!」

不意に前を歩いていた見知らぬサラリーマンが近づいてきて幸は足を止めた。
相手は顔を赤くさせて目を吊り上げているから、怒っていることは明白だった。


「え?」
と、幸が首をかしげたとき男が小石を放ってきた。

それはさっき幸が思いっきり蹴った小石だった。
「これが俺の頭にぶつかったんだよ! お前が蹴ったんだろ!?」

げっ!
咄嗟に青ざめる。

怒りが強すぎて小石が男性の頭を直撃してしまったなんて、不運でしかない。
「ご、ごめんなさい!」

すぐに頭をさげて謝るが、男性はそれだけでは気がすまないようで幸を睨みつけてくる。
誰か、助けて……。

幸い今は会社が終わってあちこちのビルから人が排出されてくる時間帯だ。
幸は目だけで誰か助けてと訴えかける。

だけど誰も立ち止まらない。
一瞬幸と視線がぶつかっても、すぐに視線は離されてしまう。

「あの人すっごい太いね」
「そういうこと言わないの」


見知らぬOLが肩を震わせて笑いながら通り過ぎていく。
「おい、聞いてんのかよブス!」

デブ。
ブス。
ダサイメガネ。

そう。
私はそういう容姿をしている。

153センチなのに90キロもあるし。
スーツはパツパツで今にもボタンが弾け飛びそうだし。

ストレス発散でおかしばかり食べているから吹き出物が消えることもない。
でもそれってそんなに悪いこと?

みんなからバカにされて、仕事の邪魔をされても仕方ないこと?
幸はグッと奥歯を噛み締めて駆け出していた。

さっきのサラリーマンがなにか言っているけれどもうなにも聞こえてこない。


駅へ向かう道のりではなく、むやみやたらに走り回る。
大きな体で走っているから色々な人にぶつかって文句を言われた。

それでも立ち止まらない。
走っていればいずれ自分が無条件で受け入れられる世界にたどり着く。

そんなふうに考えて、走った……。

☆☆☆

たどり着いた先は見知らぬ路地だった。

あたりはすっかり暗くなっているし、都内とは思えないくらい低い民家が立ち並んでいる。

「え、ここどこ?」
むやみやらに走ってきたから、道なんて全然わからない。

だけど帰宅ときの人混みから抜け出せたことにはホッとしていた。
周囲に人の気配はないから、少なくても今は人の目を気にする必要もない。

「あぁ。疲れた」
普段運動なんてしないし、巨体を揺らして走ってきたのでさすがに疲れてしまった。

どこかで少し休憩しようと視線を巡らせていると、古書店と書かれた看板が見えた。

もう夜だから閉まっているかもしれないと思ったが、近づいてみると看板に明かりが灯っている。

本は好きだった。
マンガも小説も、現実ではない別の場所へ連れて行ってくれる。

それは幸の大好きな文具と同じで、現実逃避の材料になっていた。


「おじゃまします……」
昔ながらの引き戸を開けて中に入ってみると、ほんの埃っぽさが鼻をついた。

だけどそれも嫌いじゃない。

狭い店内には天井まで届く本棚が置かれていて、どれもギッシリと本が詰まっている。

「すごい。どれもこれも古い本ばっかり」
古本屋といえど最近では新刊が並んでいるところも多くある。

だけどここはそもそもとても古い本ばかりを取り扱っているようだ。
どれもこれも、幸が生まれる前に出版されたものばかりだ。

読んだことのない本に囲まれてなんだか胸がドキドキしてくる。

狭い店内をギュウギュウと体を推し進めていると、『オカルトコーナー』にたどり着いてしまった。

古くから伝わる呪いや都市伝説の本がズラリと並ぶ。


こういう本は苦手だ。
どうせならロマンチックな恋愛とか、青春ものを読みたい。

そう思って引き返そうとしたときだった。

ふと本のタイトルに惹かれるものがあって幸は無意識のうちに手を伸ばしていた。

「悪魔召喚の書?」
子供の頃に好きだった小説を思い出す。

悪魔を召喚して自分の願いを叶えてもらうお話だ。
こんな本が実際にあるなんて思っていなかった。

本にかぶったほこりを手で払ってページをめくる。

これも年季の入っているもので、どこページも赤茶色に変色していて、破れているページもある。

「それは立ち読みするようなものじゃあないんだよ」
突然店の奥から声をかけられて幸は飛び上がるほどに驚いた。


カウンターの奥に白髪の老人の姿が見える。
老人は椅子に座ってタバコを更かしながら幸の方を見ていた。

一体いつからそこにいたんだろう?
まるでふっとなにもない空間から出てきたように、気配も感じられなかった。

幸は背筋に寒いものを感じながら手に持った本を閉じた。
このままこの本は棚に返して帰ろう。

そう思っていたのに、なぜか手が動かない。
この本が幸の手に吸い付いてきているようだ。

とまどっていると、老人が「その本を買うのかい?」と、聞いてきた。
「いえ……」

断ろうとしたとき、本の値段が目に入った50円と書かれている。
たった50円か。

ボロボロだし、そんなもんか。
それなら買って帰ってもいいかもしれない。

と、思い直す。

手に吸い付くような感覚はすでになくなっていたけれど、幸は財布と本を握りしめてカウンターへと向かったのだった。
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