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西羽咲 花月

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故障

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あたしと夢の2人はいつものファミレスに来ていた。
あたしはグラスに入った氷をぼんやりと見つめている。
夢はいつものようにパンケーキをほおばっていた。
「……よく食べられるよね」
何気なく聞いたつもりだったけれど、つい声色がきつくなってしまった。
夢は食べる手を止めてあたしを見た。
「今日で復讐は全部終わったんだよ? あたしたちは自由になれた」
あたしは返事をしなかった。
そうかもしれない。
靖も陸も美紀も、そして愛子も死んだ。
もうあたしたちを苦しめる人間は1人も残っていない。
でも、本当にこれがあたしたちが望んだ結末だった?
4人と一緒に、普通の学校生活を送ることはできなかったんだろうか?
「ねぇ、そんなに深刻な顔するのやめてよ。せっかくのパンケーキがまずくなる」
夢がしかめっ面をして言った。
「だって……」
後味の悪さを感じているのはあたしだけなんだろうか?
「あたしだって、最初はとまどったよ」
「え?」
夢の言葉にあたしは首をかしげる。
「アプリで復讐すること、本当にいいのかなって思った。だけどアプリは消せないってわかったとき、割り切るしかないんじゃないかって思ったんだよ」

それは初めて聞く夢の本音だった。
夢は復讐の鬼になってしまったのだと思っていたけれど、違ったみたいだ。
「靖子への損失が少なかったことから、やってやろうって決意したの」
「そうだったんだ」
夢は夢なりの考えがあって、今までやってきたのだ。
それがわかると少し心が軽くなった。
夢のこのアプリで苦しんでいたのだとわかって、嬉しかった。
「今回の損失が終われば、全部終わるよ」
「うん、そうだね」
あたしは頷く。
どうせ今回の損失も簡単なものだろう。
今までそうだったように。
アプリに取り込んだ写真の4人全員が死んでしまったから、これでアプリも停止するだろう。
本当に、これで全部終わりなんだ……。

アプリをダウンロードされてから2週間ほどしか経過していないのに、何年も経ったような感覚だ。
こんなアプリ、早く終わってほしい。
このアプリが終わった段階で、初めてあたしは日常に戻ることができるだろう。
今度はD組のクラスメートたちとも仲良くできる気がしている。
田淵さんと和田さんの顔を思い出したとき、不意に空気が冷たくなった。
ブルッと身震いをして寒気を感じた横へ視線を向けると、髪の長いあの女があたしの隣に座っていたのだ。
「キャア!」
トイレにしか出現しないと思っていた女の出現に悲鳴を上げ、床に倒れ込んでしまった。
「靖子!?」
夢が慌てて助け起こしてくれる。
どうにか立ち上がることができたけれど、今度は体がカチカチに硬直して動くことができなくなってしまったのだ。
座っている女がゆっくりと顔をあげる。
あたしはそれから目を離すこともできなくなっていた。
全身から血の気が引いて行く。
それなのに、背中には嫌な汗が流れて行った。

「靖子大丈夫?」
棒立ちになったままのあたしに夢が心配そうな顔を向ける。
他の客や店員たちも何事かとこちらを見ているのがわかった。
それでも体は動かない。
まるで、この女に体を支配されてしまったようだ。
そこまで考えてハッと息を飲んだ。
幽霊の体を支配される。
それは靖への恐怖じゃなかったか?
靖は何者かに操られて教室内で踊り狂っていたはずだ。
女が完全に顔をあげ、見開いた目であたしを睨みつけた。
その目は真っ赤に充血し、赤い血が流れ出している。
悲鳴を上げたいのに、それすらできない。
喉を誰かに押さえつけられている感覚だ。
女が立ちあがり、あたしに手を伸ばしてくる。
いや、やめて!
心の中で叫んでも誰にも届かない。
夢はさっきから声をかけてくれているけれど、その声も聞こえなくなっていた。
女の手があたしの腕に触れた。
それは人間のものではない冷たさを持っていた。
触れられた場所から全身が凍えていくような冷たさに襲われた。

もうやめて!
あなたはただの妄想のはず!
実在なんてしてないんだから!
そう、女はアプリが作り出した偽物だ。
実在しているあたしにかなうはずがない。
そう思うのに心は恐怖に侵略され続けていた。
女の手があたしの体の中にズブズブと入ってくる。
次の瞬間、あたしの体は大きく動いていた。
さっきまで硬直していたのが嘘のように、軽快なステップを刻み始める。
「いやあああああ!」
そのおかげか、ようやく悲鳴を上げることができた。
体は勝手にダンスする。
他の客にぶつかっても、テーブルの上の水をたたき落してしまっても止まらない。
「靖子!!」
夢があたしの体を抱きしめて必死に止めようとしてくれる。
あたしは自分の意思に関係なく、夢の体を突き飛ばしていた。
夢は床に投げ出されて苦痛で顔をゆがめた。
「助けて! 誰か!」
悲鳴を上げながら踊り狂うあたしを見て逃げ出す客。
冷めた目で見つめてくる客。
好奇心いっぱいにスマホで撮影し始める客。

でも、止めてくれる人は誰もいなかった。
あたしは体中をテーブルや椅子や壁にぶつけ、痛みにも耐えた。
腕も足も無理やり動かされている人形になったようで、無理な方向に引っ張られていく。
心拍数は上がり、呼吸をすることも苦しくなってきた。
その時だった。
ダンスし続けるあたしにめがけて、窓辺に置かれていた鉢植えが飛んできたのだ。
それは誰も手に触れていないもので、突然空中を浮かんでとんだ鉢植えに誰もが驚いた。
鉢植えは迷うことなくあたしへ向けて飛んでくる。
「ヒッ!」
悲鳴をあげた瞬間、それはあたしの顔面にぶつかって落下していた。
激しい痛みが全身にかけぬけていく。
鼻からダラダラと血が流れ出して行って床を濡らした。
「ああああああ、嫌! 誰か、誰か!」
店員が慌てて駆け寄ってくるが、むちゃくちゃに踊っているあたしに近づくことができない。
夢が泣きながらなにかを叫んでいるのが見えた。
今度はなに!?
そう思っていると右腕に熱さを感じた。
ジリジリと何かが焦げているような匂いがする。

涙で滲んだ視界で確認すると、右手のブラウスから火が出ているのだ。
「キャアアア!!」
ひときわ甲高い悲鳴を上げる。
今すぐブラウスを脱ぎ棄てたいのに、体は全く言うことをきいてくれない。
顔面の痛みは恐怖により一瞬緩和した。
「誰か消化器!」
夢が必死に叫ぶ。
店員が持ってきた消化器で火はかき消された。
しかし終わったわけじゃない。
損失はまだまだ終わらない。
これはまだ、4人が経験したことの一部でしかないから。
「なんで、なんで……」
夢がガタガタと震えながらあたしのスマホを確認している。
画面を見ているその顔が一瞬にして凍りつくのがわかった。
そして見る見る青ざめていく。
「逃げなきゃ!」
夢があたしの腕を痛いほど掴む。
その瞬間、体の自由が戻ってきてあたしはその場に崩れおちてしまった。
体のあちこちが痛い。

「早く立って!」
夢が無理やりあたしを立たせようとする。
「待って……」
顔をしかめて懇願するあたしに、夢がスマホ画面を見せてきた。
『おまさせをご利用のお客様へ』
え……?
『この度、恐怖アプリをご利用いただき、まことにありがとうございます。
さて、アプリ内のおまかせ機能におきまして、重大なバグ発生しました』
バグ……?
なによ、それ……。
『本来相手に恐怖を与えるだけのはずが、その命まで奪ってしまうようになりました。
つきましては、おまかせ機能をご利用のお客様への損失も、通常より大きなものとなってしまいます。
まことに申し訳ございません。
ご理解をよろしくお願いいたします』
「なにこれ……」
「ヤバイよ靖子。早く家に帰ろう!」
夢に引っ張られ、どうにか体を起こした。
少し歩くだけで体中が痛くて悲鳴を上げそうになる。

バグってなに?
損失が大きくなるってなに?
歩きながら頭の中はパニックだ。
4人とも死んだ。
その場合、損失はどこまで大きくなるって言うの?
どうにかファミレスから外へ出て家への道を歩く。
周囲の喧噪がいちいち耳に痛く感じられた。
早く。
少しでも早く帰らなきゃ!
そう思えば思うほど体はうまく動かなくなる。
夢に支えられて一歩一歩歩くしかないのだから、当然だった。
店内でぶつかりながら踊ったとき、足をひねってしまったのだ。
「大丈夫だから、焦らなくてもいいからね」
夢が声をかけてくれる。
何度も頷くが、それでもどうしても心は焦ってしまう。
「公園によって顔を洗う?」
夢に言われて、今自分の顔が血まみれになっていることを思い出した。
地面を見ると血の跡が点々とついて行っている。
まだ止血もできていない状態だ。
あたしはハンカチで鼻を押さえて、また歩き出した。
ここで立ち止まっている暇はない。
次に何が起こるかわからないんだから。

懸命に前に進む。
損失から逃れるために。
前方に横断歩道が見えてきた。
幸いにも青信号で、すぐに渡れそうだ。
あたしは少し歩みを早める。
「無理しちゃダメだよ」
夢に言われてもあたしは足を止めなかった。
ひねったほうの足を引きずり、横断歩道を渡る。
真ん中くらいまで歩いてきたところで、青信号は点滅に切り替わった。
早くしなきゃ!
焦る気持ちにせかされて足を前に出す。
その時だった。
ひねった足首に激痛が走り、うずくまってしまった。
焦るあまり、体重のかけ方を間違えてしまった。
「靖子!」
夢がどうにかあたしの体を支えて、横断歩道を渡り切ろうとする。
しかし、信号機はすでに赤いになっていた。

車はまるであたしたちの姿が見えていないかのように動き出す。
四方から接近する車にあたしたちは動けなくなってしまったのだ。
「そんな、なんで止まってくれないの!?」
夢が叫ぶ。
その顔は死人のように青くなっていた。
「止まって、お願いだから!」
それでも車は止まらない。
あたしはクラスメートたちの行動を思い出していた。
教室内で、なにかに操られたかのように美紀を暴行していた姿だ。
誰ひとりとしてそれを咎めず、誰ひとりとしてやめようともしなかった。
「操られてる……」
あたしはそう呟いた。
今回も同じだ。
車のドライバーたちはみんな、アプリに操られているのだ。
あたしを、殺せと。
「何言ってるの靖子。早く、逃げないと!」
「夢……1人で逃げて」
「え?」
「狙われてるのはあたしだから」

死ぬのはあたし1人でいいはずだから。
「なに言ってんの……?」
夢の声が震える。
あたしの腕を痛いほど掴んでいる。
その時、大型トラックがこちらへ向けて走ってくるのが見えた。
あたしと夢は大きく目を見開く。
トラックはあたしたちが見えているはずなのに、スピードを緩めない。
美紀が死んだ時のことを思い出した。
同じような大きなトラックに轢かれていた。
「早く、逃げて!」
あたしは夢の体を突き飛ばす。
反動で体のバランスを崩して、その場に倒れ込んでしまっていた。
「靖子!」
夢が咄嗟にあたしの体に覆いかぶさってきた。
どうして……!
次の瞬間、あたしと夢の体はトラックのタイヤに轢かれていたのだった。

☆☆☆

体中が痛かった。
重たい瞼を押し上げると、眩しさに目を細めた。
見たことのない白い天井に、蛍光灯が見える。
ここはどこだろう?
あたしは死んだんじゃなかったの?
首を動かしてみるとまた激痛が走った。
少しも体を動かすことができないようで、眼球だけ動かして周囲を確認した。
あたしはどうやらベッドに寝かされていて、ベッドの横には点滴がある。
その向こうには白いカーテンが見えた。
あたし、生きてる……?
この痛み、現実感のある感触、薬品の臭い。
どれもが自分がまだ生きていることを確認できるものだった。
「靖子」
その声に驚いて、少しだけ首を曲げる。
そこにいたのはあたしと同じようにベッドに寝ている夢の姿だったのだ。

「夢!?」
「よかった。目が覚めたんだね」
そう言われて、あたしは交通事故に遭ったことを思い出した。
大きなトラックがあたしと夢の体を跳ね飛ばしたのだ。
あの時はもう死んだのだと思って諦めたが、2人とも命は無事だったみたいだ。
「よかった、夢……」
ジワリと涙が浮かんできた。
なによりも夢が生きていてくれたことが嬉しい。
これで損失は終わったはずだ。
これからは夢と一緒に学校生活を送ることができる。
だから早く元気になって退院しないと……。
そう思った時だった。
不意に部屋の温度が下がった気がした。
「なんか、寒くない?」
そう聞いても、夢から返事がなかった。
「夢?」
顔を動かして夢を見た瞬間、あたしは目を見開いていた。
夢のベッドを取り囲むように4人の人間が立っているのだ。

さっきまで誰もいなかったはずなのに!
4人は制服姿をしていて、男子2人、女子2人だとわかった。
その瞬間、更に室温が下がった気がした。
「誰よあんたたち!」
4人は夢を見下ろしてなにかしていたかと思うと、スッと身を離した。
あたしの声に反応したみたいだ。
その動きは人間のものとは思えなくて、ブルリと身震いをする。
「夢?」
夢は返事をしない。
「夢、一体どうしたの?」
4人の体の隙間から夢の姿を確認する。
その時、青ざめた夢が白目をむいているのが見えた。
舌はだらしなく垂れ下がり、すでに息をしていないことがわかった。
「夢!?」
咄嗟に起き上がろうとするが、体は言うことを聞かない。
きっと、あちこち骨折しているんだろう。
4人がゆっくりとこちらに体を向けた。
靖、陸、美紀、そして愛子だ!
「なんで……みんな……」
恐怖でガクガクと体が震える。
今すぐ逃げ出したいのに、動けない。

4人はあたしのベッドを取り囲むように立ち、見降ろしてきた。
その顔はどれも生気がなく、目の焦点もあっていない。
「嫌だ……どこかへ消えて!」
叫んで愛子へ向けて枕を投げつける。
しかしそれは愛子の体をすり抜けてリノリウムの床に落下してしまったのだ。
4人の手が同時に伸びてくる。
「あ……あ……」
恐怖で言葉が出てこない。
4人の手は重なり合い、あたしの首に伸びてきた。
恐ろしいほど冷たい手があたしの首を締めあげる。
必死にもがいてもふりほどくことはできない。
次第に意識が朦朧として、消えてしまいそうになる。
「これが損失だよ」
完全に意識を手放す直前、愛子がそう言ってニタリと笑いかけてきたのを見た……。

☆☆☆

とある中学校の近く、汚れた制服を着て歩いている1人の少女がいた。
少女の胸には中学校の名前と、1年2組というネームがつけられている。
よく見ると制服がボロボロになっているだけでなく、足や手にはあちこち血が滲んでいる。
少女は顔をゆがめ、涙を流しながら歩く。
「許さない、絶対に許さない」
少女の口から聞こえてくる声はとても小さくて誰の耳にも届かなかった。
そして曲がり角を曲がった時だった。
「こんにちは」
後ろから突然声をかけられた少女は驚いて振り向いた。
そこに立っていたのは見たことのないおばあさんだ。
白髪で腰が曲がり、80代くらいのとても小さなおばあさん。
知り合いだっけ?
少女はそう思っておばあさんを見つめる。
と、その時だった。
おばあさんは目にもとまらぬ速さで少女のスカートのポケットに手を入れると、スマホを抜き出していたのだ。
「ちょっと、なにするの!?」
少女は慌てておばあさんからスマホを取り返す。

画面を確認してみると『恐怖アプリ』という、見たことのないアイコンが表示されていた。
「なにこれ?」
今の瞬間にこのおばあさんがダウンロードしてしまったんだろうか?
でも、そんなことあるはずない。
こんなに短い時間でひとつのアプリをダウンロードできるとは思えない。
少女は怪訝そうな表情をおばあさんへ向ける。
おばあさんはシワシワの口を開けて笑った。
口の奥にいまどき珍しい銀歯見えた。
「人に復讐できるアプリだよ」
「え?」
「復讐したい人間がいるんだろう?」
どうしてわかるんだろう。
少女は怖くなって後ずさりをした。
あたしは今学校でイジメに遭っている。
中学に入学してすぐのころ、3日間休んだだけでクラスのグループからあぶれてしまい、それ以来、友達と呼べる子はいない。

それだけならよかったのに、クラスの派手な子たちに目を付けられてしまったのだ。
今日も放課後になってから校舎裏に呼び出されて、散々蹴られたり殴られたりした後だった。
「そのアプリを使うといい。きっと役に立つから」
おばあさんはそう言うと、笑い声を残してスッと煙のように消えていったのだった。
残された少女は呆然としてスマホ画面を見つめた。
『恐怖アプリ』は勝手に起動されていて、『同意する』ボタンしか表示されていないことに困惑を覚えたのだった……。


END
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