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第一部
坊ちゃんとばあや
「入りますよ」
「え?」
「ま、待て……」
ノックの音が聞こえ、ドミニク様が返事を返す間もなく扉が開かれると、そこには私よりも頭一つ分くらい背の小さなおばあさんが一人立っていた。
おばあさんと言っても白髪が混じっているだけで背筋は伸びているし、老婆という感じではない。
私はちょうど着替えようとしていたところで毛布にくるまっている状態だったけれど、突然人が入ってきたのでさらに毛布をかき集めて全力で体を隠した。
「ばあや、今日は来客があると執事のグラースに聞いてなかったのかい?」
「ええ、聞いていましたとも。坊ちゃんがご婚約者のご令嬢を邸に招き入れて床を共にしていると」
「ばあや!」
「…………」
私は2人のやり取りをまじまじと見つめた。
ドミニク様が子供のように焦っているわ……それにばあやさんに対してはとても気を許している感じがする。
ばあやさんも坊ちゃんと呼んでいるし、もしかして王宮にいた時からの仲なのかしら。
私がベッドの上で毛布にくるまりながら目を見開いていると、そこへ姿勢を崩さずに颯爽と歩いてきたばあやさんが私に挨拶をしてくれる。
「お初にお目にかかります、クリスティーナ様。私めはドミニク坊ちゃんが王宮にいた頃からお世話をしておりました、今はこの邸の侍女長を務めるノエルと申します。あなた様が坊ちゃんのご婚約者様ですね」
「はい。初めまして、クリスティーナ・ヴァッセルと申します。いつもドミニク様にはお世話になりっぱなしで……」
こんな格好でお世話になっているだなんて伝えてしまい、恥ずかしくて穴があったら入りたい。
きっとばあやさんに呆れられてしまったわね。
肩まで赤くなっているのが自分でも分かるわ。
ドミニク様の古くからの知り合いの方に悪い印象を与えたくはないけれど……私が羞恥に悶えていると、ばあやさんが私の両手をガッチリと握ってきた。
「何をおっしゃいますか!お世話になっているのは坊ちゃんの方でございますよ。よくぞ坊ちゃんをまた結婚に向けて動かしてくださいました……私は嬉しくて嬉しくて、ご挨拶せずにはいられずにこのようなご無礼を申し訳ございません」
「あ、いえ。私は何も」
「まぁぁぁ見た目だけではなく、謙虚で美しいお心も持ち合わせていらっしゃるとは!坊ちゃん、絶対にこの方を逃してはいけませんよ」
ばあやさんは興奮がおさまらないようで、私やドミニク様にまくし立てた。
「そんな事は分かっている。ティナは本当に素晴らしい女性なんだ……彼女のいない人生なんて考えられない」
「ドミニク様」
ドミニク様は私の頭をそっと引き寄せると、額にキスをしながら嬉しい言葉を囁いてくれた。
ばあやさんにではなく、私に向かって伝えてくれているのが伝わってきて胸が温かくなる。
私たち、本当に結ばれたんだわ。
「ほほっ、仲がよろしい事で。クリスティーナ様、坊ちゃんは本当はとても寂しがりで、それでいて優秀なお方なのです。でもその優秀さゆえに誰にも心を開かないお方で、ばあやは常々心配しておりましたが……もう安心です」
「ノエルさん、私、ドミニク様のお役に立ちたいんです。今度色々教えていただけませんか?ドミニク様の好きなものとか知りたい事が沢山あって」
「もちろんですとも!お任せください」
「二人とも……お手柔らかに頼むよ」
「ふふっ」
ノエルさんの前では本当にドミニク様は少年のようになってしまうのね。
とても可愛い……そんな事を思っていると知ったら怒られてしまうかしら。
ドミニク様を幼い頃から知っている方に婚約者として認めてもらえて、私は朝から幸せな気持ちになれたのだった。
「さあ、そろそろクリスティーナ様のお仕度をしなくてはいけません。坊ちゃんは着替えて食事の席でお待ちくださいな」
「え? ちょっ…………仕方ないな……じゃあ、ティナ。先に食堂のあるホールで待ってるよ」
ノエルさんに半ば無理矢理追い出されるような形になったドミニク様は、不本意な顔をしつつも私の頬にキスを落とし、柔らかい微笑みを向けながら部屋を出て行った。
さっきからさりげなくキスをしてくれるドミニク様が、以前にも増して甘くて、なかなか頭が追い付かない。
結ばれた時も甘かったけれど、今朝は愛情を隠す事なく態度で示してくれる。
昨夜、ドミニク様に愛を告白されたのは夢ではなかったのね。
あまりに長い間片想いし過ぎてふわふわとした夢見心地だったから、目覚めてからも現実味がなかった。
昨夜の事を思い出して顔が緩んでいると、次々と邸の侍女達が入ってきて、ノエルさんの指示の元、湯舟に入れられたあと様々な体のケアが始まる。
そして私の身支度はあっという間に整ってしまったのだった。
その時にドミニク様につけられた痕があちこちにあるので、それを見られる事が死ぬほど恥ずかしかったのは言う間でもなく……。
「ほほっ、お熱い事です。坊ちゃんのあのような柔らかい表情は初めて見ました。本当にクリスティーナ様には感謝しかありません」
「そんな、頭を上げてください!」
「いいえ、幼い頃から仕えている私にはよく分かるのです、ようやく心から愛するお方を見つけたのだと。決してご自分からは欲しがらないお方でしたから。クリスティーナ様は特別だという事だけはこの老婆にも分かります」
ノエルさんがドミニク様を家族のように大切に想っているのが伝わってくる。
ドミニク様は確かに自分から欲しがる方ではないかもしれない。
どこか飄々としている感じもしていたので、彼の本心がどこにあるのか、私には全く見当もつかなかった。
ようやく気持ちが通じ合う事が出来て、彼に求めてもらって……彼の特別になれたのなら、こんなに嬉しい事はない。
「私、頑張ります。ドミニク様に相応しい公爵夫人になれるように。少し気が早いかもしれませんが……よろしくご指導お願いいたしますわ」
私の言葉にその場にいた侍女達が皆そばへ来てくれて、笑顔で応えてくれたのだった。
身支度が整った私は愛する人が待つホールへと向かう。
近い将来、公爵夫人になってこんなやり取りが日常になればいいな、とぼんやり考えながら広いお邸の廊下をノエルさんと一緒に歩いていた。
ホールに入り私の姿を確認したドミニク様は、細い目をさらに細くしながら優しく微笑み、いつものようにスマートな所作で私を椅子に座らせてくれたのだった。
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