巫女と英雄

Mao

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その5

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 フラムは気を失い、ぐったりとしたサシャをじっくりと眺めた。ほっそりとした足、白くて赤子のような柔らかな肌、何も知らない無垢な体。自分とはまるで正反対なところで育ったようなその体に、少しだけ嫉妬心が芽生える。
 長兄は次代の王として大切に育てられた。母も貴族出身だったからだ。しかしフラムは王が気まぐれに手を出した庭師の娘を母に持った。
 2番目の王子として戦いの仕方、帝王学は学んでいたものの、兄はフラムを「下賤の者」と見下していた。元来の負けず嫌いが、兄の言動によって拍車をかけた。
 ただ黙々と剣の鍛錬をこなし、体を鍛え、知識を増やした。
 指導者はごまんといた。
 剣を学びたければ兵士の所へ、知識を得たければ学者のところへと自由に出入りした。
 母は「あなたがしたいようにすればいい。けれど、誰かに勝とうとしてはいけない。ただ、自分が知りたいと思ったことを知りなさい」。そう言って、フラムがすることを笑って見ていた。
 だから時々疲れて、母のドレスの裾を握って眠っている時、母はただじっと側にいて、眠りを妨げずにいてくれた。
 そんな母が好きだった。
 母は緑の優しい瞳をしていた。今はもう、見ることができない瞳。
 そんな母とサシャは同じ瞳をしていた。
 「気になったのは、そのせいか…」
 くるくるとしたサシャの巻き毛を手に取り、指に巻き付けては放す遊びをしながら、フラムは母を思い出していた。
 


 航海は何事もなく続いていった。
 サシャは時々、甲板に出て海を眺める。フラムは「どうせ逃げられない。好きにしろ」とサシャが動き回るのを止めなかった。
 興味をそそられたのは船員たちの仕事。
 甲板をデッキで磨き、フラムの命令で風を受けるために帆を張る。時には昼寝をし、夜には酒を飲む。
 陽気なものもいれば、思慮深いものもいる。この船にいるのはフラム直属の海兵たちだと教えてくれたのは、ポートラムだ。
 夕方の涼しい風を甲板で受けながら、ポートラムからフラムの幼い頃の話を聞くのも楽しかった。
 「フラム様はやんちゃで負けん気が強く、泣きながら私に向かってきたものです」
 そんなことを聞くと、サシャの脳裏には愛らしい子供の姿が浮かぶ。
 そんな風にポートラムと笑い合っているとそのほかの海兵たちもぽつりぽつりと話をするようになり、フラムに心酔していることが、それぞれの武勇伝やフラムに対する言葉で分かった。
 フラムの人となりが少しずつ分かってくる中で、サシャの思い描いていたフラムの印象が変わってくいく。
  平和だった国を侵略する暴君だったものが、海兵を率いる若い長に代わる。けがをしたり、疲労の色が見える兵には「少し休め」と声をかける。ぐうたらしていると叱るが、時にはそれぞれの仕事ぶりを褒め、酒も共に交わす。冗談を言われても、しかめっ面をして返すぐらいで、仲間に対しては理不尽な暴力をふるうことはない。
 思った以上に心根の部分は優しいのではないか。
 そんな思いがサシャの頭をしめる。
 実際、一つの国を制圧するためには国民や兵士を大量虐殺し、何も言わずに王族や権力者を虐殺するのが一番、手っ取り早い。
 しかしフラムはどの国を侵略するにしても、一度は警告する。
 警告し、抵抗してきたものには刃をむけるが、ディアマンのように国民の事を思い、無抵抗に明け渡す王はむやみやたらと殺さない。
 兄たちは「生ぬるい」「国民などは我々の思い通りに動かすものだ。思い通りにできないものはただの木偶人形と同じだ」とまで言うが、フラムは「実際に国を動かしているのは民だ」と思っていた。毎晩共寝をしているフラムは、そんな話をしてくれるようにもなった。
 そんな時のフラムはサシャに対して優しく触れる。
 頬に、唇にゆっくりと触れ、巻き毛に指を絡めるのが好きらしい。自分の膝の上に乗せ、ただ抱きしめていたこともあった。「お前は人形みたいに柔らかいな」。そんな風に笑う顔に、サシャの胸はドキリと鳴る。
 …怖がらなくちゃいけないはずなのに。
 フラムの言動を見て、その仲間たちからの話を聞き、興味深げに兵士たちの仕事を眺めるサシャを、目を細めて見ているフラムを見たときも、サシャの胸はドキドキと震えた。
 「サシャ」
 名を呼ばれると、さらに胸は高鳴る。
 抱きしめられると、もっと、もっと。
 あの、最初に見た熱さに自分の心臓が焼かれるようで、サシャは少しだけ辛かった。
 




 フラムは、船の上でのサシャを眺めていた。
 これまで捕虜として連れてきた女たちは、捕まえた晩に媚びを売った。もしくはおびえて泣くばかりだった。
 どちらも抱くのがつまらなかったし、海の男たちを馬鹿にするか、その容姿に怖がって船員たちとも顔を合わせようともしない女たちには1、2回ベッドを共にしただけで飽きた。だからこそ、父や兄にすぐ手渡すこともできた。
 サシャはこれまでのそういう女たちと違っていた。
 海の男に怖がることなくにっこりと笑い、仕事に興味を持って眺める。時には手伝いもする。捕虜のはずなのに、鬱屈したところもない。
 父親に、国に捨てられた、という気持ちがないはずがないのに。
 時には船員たちの冗談に笑い声を立てることもあった。
 船員たちは、すでにサシャを愛らしく守るべきものだと思っているらしい。
 夕飯は船員の半分ずつ交代で食べるが、サシャと食べる番を決めるのにけんかをし、サシャに「せっかく仲が良いのに……」と諫められてもにこにこ笑顔を見せている。隣に座る役はくじ引きをして決め、夕飯時にサシャが「おいしい」と言った物は、みんながこぞって分け与える。
 「そんなに食べられないです。皆さんもお腹すいてしまいますから」
 サシャの笑い声に、年かさの船員たちは子供を見るような目で、若い奴らは完全に惚れているような目で見つめている。
 「サシャ、あまり船員をたぶらかすな」と注意すれば、船員たちから「嫉妬してる」と言われてからかわれる。
 確かに自分のモノを人に取られるのは不快だったが、今までこんな風に女を通して船員たちにからかわれるようなこともなかった。
 サシャは不思議な雰囲気を持ち、人のかたくなな心を和らげる。
 フラムは、父や兄の暴挙や暴言、周囲の大人たちからの蔑みにさらされて子供時代を生きた。母が死んでからは生き延びるためには何でもやった。
 だからこそ、自分に忠誠を誓うものは厳選した。
 時々船の上で羽を休ませる鳥たちにえさを与え、ぴるぴると話している鳥に微笑むサシャに声をかけた。
 「フラム様」
 そう、嬉しそうに自分の名を呼ぶサシャの笑顔を壊したくないと、たった数日間の旅で思えたのは、自分でも不思議だとフラムは考えていた。


 
 
 「姫さん、もうすぐ港に着くぜ」
 船の中が少しだけ騒がしく、浮足立っているように感じたサシャは、部屋から出て最初に出会った兵士に何かあったのか聞くと、そんな答えが返ってきた。
 「港…」
 そういえば、夜の海の生き物たちの声が、「ヒトの匂いが強くなっているよ」と言っていた。
 そんなことを思っていると、「港だ!」「陸だ!」と船員たちの歓声が響き、にぎやかな港町に船は着岸した。
 「久しぶりの陸だ。うまいもの食って、酒を飲んで、女を抱いて…っと、お姫さんにはまだ早いか」
 サシャへの態度はすでに砕けたものになっていたが、サシャは怒るどころか喜んでいる。そういう態度も男たちがサシャを庇護する対象にさせた。
 「私は国の外に出たことが無いので、違う国は少し、見てみたいのですが…」
 サシャは子供の頃から諦めることが当たり前の日々を送っていた。両親に甘えることも、人と何気ない会話をすることも、自由に遊ぶことも、何もかも制限され、ただ塔の窓から外を眺める毎日で。自分がしたいことはしてはいけないことで。諦めるしかなかったから。
 男たちにとってサシャという存在は、国の「姫」と呼ばれる視線すら合わせない女性たちに比べ、自分の立場を知り、わがままを言わない「姫」だった。そんな「姫」と会うのは初めてで、軽やかに笑い、誰にでも同じように接してくれる「かわいい存在」となっていた。そんなサシャが少し残念そうに眉毛をさげている顔を見ると、甘やかせたくなる。
 「あー、外に出してはあげられんが、土産を買ってきてやるよ」
 「そうそう。甘い菓子とか」
 「子供じゃないんだから、菓子よりも酒だろ」
 「いやいや。この間、酒を飲ませたら、薄いの1杯でふらふらしてたじゃねえか。俺たちがフラム様にまた叱られらあ」
 「服、服とかどうだ?」
 「女じゃないんだから…。うまい食べ物でいいだろうよ」
 そんな会話が次々と交わされる。誰が何を買ってくるか、そのうちに競争になりそうで。
 「あの、あの…私は、皆さんが無事に帰ってきて、港で何をしていたかまたお話してくれればいいですから。待っていますね」
 ことり、と首を傾げた様子は言葉にできないほど愛らしく、男たちを虜にする。
 「こら。お前たち。早くしないと時間が無くなるぞ。俺がこいつを連れていくから。明日の昼間までに食料と水、酒の調達、それから修理用の材料もそろえて来い」
 ぽん、とサシャの頭を押さえたのはフラムだった。
 フラムはそのままサシャの柔らかな髪の感触を楽しむようにくしゃくしゃと撫でながら、「それから、こいつは俺のモノだからな。性欲は港の女たちでよーく発散して来いよ」と嫌味な笑い方をした。
 サシャにはどういう意味か分からなかったが、頭を撫でる大きな手が気持ちよくて、真後ろに立つフラムにそっと寄り添う。
 頭にあった手が外れたと思ったら、今度は脇の下に入り、体を持ち上げられた。
 フラムに抱き上げられると、自分が子供のようになった気分で、サシャは「おろしてくださいっ。子供じゃないのですからっ」と足をバタバタさせるが、フラムには通じない。
 「お前がそんなことをすると、本当に子供みたいだな」
 フラムがはははっと笑うと、サシャは顔を真っ赤にして口をへの字に曲げる。フラムは笑いながら大事そうにサシャを抱え、船を下りて行った。
 その後ろで。
 「新婚って感じですね」
 「ああ…天使が炎の王につかまった感じだな」
 「なんか、こう…女抱きに行かないと、俺、ダメな気がする…」
 兵士たちがつぶやいていた。
 
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