独り身オメガに幸せを

蒸しケーキ

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番外編

瑠夏の恋04

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 凪と別れてからの俺は、院進学が決まり、その一年後には母さんが目を覚ましたこともあって慌ただしい日々を過ごしていたーー正直、凪のことは頭から抜けていた。......凪には失礼かもしれないけど。

 そんな凪と再び出会ったのは、俺が配属されることになった中学校でのことだった。俺が新しくカウンセラーとして赴任したばかりの頃で全校生徒の前で挨拶をしているとき、何かとこちらをちらちらと見てくる若い教員がいることに気づいた。

 よく見てみると、それは凪だった。あの頃と変わらず、こちらをどこか睨んでいるような目つき。けれど俺と視線が合った瞬間、耳を赤く染めながらふいっと視線を逸らされた。

 ーーまぁ普通に考えて嫌だよな。俺もまさかここに配属されると思ってなかったんだ。ごめんな、凪。

 そんなふうに思いながら業務をこなしていたある日。いつも通りカウンセラー室で書類整理をしていると、扉が二回ノックされた。

「は~い?」

「......瑠夏、入るよ。」

 ーーこの声はまさか

「......どうぞ。」

 やっぱり入ってきたのは凪だった。凪は大学で教育学部の教育学科を専攻していたし、就職先も「都内の中学校に決まった」とは言っていたから、どこかしらで会ったりするんだろうなとは考えていたけど、まさかこんなに早く再会するなんて。

「......久しぶり、凪。元気してた?」

「......まぁ、元気はしてたよ。」

 う~ん。やっぱり気まずい。俺の一方的な言い方だったせいで、別れ方も中途半端だったしな。話す話題が見つからずに困っていると、先に口を開いたのは凪だった。

「今、恋人いんの?」

「え?いや、いないけど」

「ふ~んそっか。」

 あぁ、この爽やかなフェロモンの香り......懐かしいな。でもこの甘い空気感は今の俺には必要なかった。

「前も言ったけど、俺じゃない方がいいと思うよ。もっと凪を大事にしてくれる人じゃないと。」

「またそれ?言ったでしょ?俺は良くも悪くも見た目でオメガだって見られるのが少なくて、オメガだって分かるとみんな手のひら返して言ってくるんだよ。”オメガなのにすごい”とか、”オメガなのに頑張ってる”とか。でもそうやって色眼鏡で見てこなかったの、瑠夏が初めてだったんだよ。」

 凪は俺と付き合ってたときによく言っていた。「瑠夏って第二次性のこと全然気にしてないよね。」と。

 俺としては第二次性で差別してくるやつが嫌いだから、そこまで意識したこともする必要もなかった。

 実際、蓮と仲良くなったのも第二次性のことでバカにしたり差別したりとかを、一切していなかったことも大きかった。

 凪にとってはそれが大事な部分だったらしく、「瑠夏のそういうところ安心する」と何度も俺に言ってくれていた。

 凪がすごいのはオメガだからじゃない。凪自身が努力して頑張っているからだよ。少なからず傍で凪のことを見守っていたからこそ、そう思っていたのは本心だ。

 でも、俺もそれと同じぐらいの頻度で「もっと他にいい人捕まえておきなよ。」と言い続けていたのも事実だった。

 「でもさ、それって結局、俺以外の誰かが同じことを言っても、凪はその人に傾いたかもしれないってことでしょ?......たまたま俺が早かっただけであってさ。」

 俺はわざと突き放すような言い方をした。それなのになぜか、胸の奥がチクリと痛んだ。自分で言っておきながらどこか苦しかった。この感覚は一体なんなんだ...。

「それは違っーー」

「違くないよ、凪。」

 冷たい声で否定した瞬間、凪が力一杯壁を殴り”ドンッ”と、鈍い音が部屋に響いた。

「そうやって......!なんでいつも俺の気持ちを勝手に決めつけるんだよ!!あの時だって!俺が瑠夏に”別れたい”なんて言ったかよ!!」

 凪の瞳が静かに揺れ動いていた。その眼差しはあの頃のままの熱を宿していた。

「俺から逃げんなよ...”好き”って気持ちがまだ分かんないなら、俺が教えてやるよ。ーースマホ出して。」

「はぁ?スマホ?大体今、勤務中だーー」

「いいから早く!!」

 凪に強引に言われるまま、俺は渋々スマホを取り出した。よく見ると、凪のスマホは新しい機種に変わっていた。
もしかしてあのあと連絡がこなかったのは、凪が機種変をしたからなのか、それとも単に壊れたのか。まぁ今となっては別にどちらでもいいか。

「これ、俺の新しい連絡先。終わったら連絡するからちゃんと出てよ。」

 言いたことだけ言ってすっきりしたのか、凪は俺に微笑みかけながらくるりと背を向けた。

「あいつ、今頃になって何考えてんだか......」

 画面に表示された”出海凪”の名前を見つめながら、思わずため息が漏れる。大人になっても凪の考えていることなんて分からないままだった。

 そこから流されるようにして、また凪と付き合い始めた。いや、正確にいえば俺がうまく凪に丸め込まれたんだっけな。

 ーー思い返せばいろんなことがあった。

 俺の家に凪の私物が少しずつ増えていって、いつの間にか一緒に暮らすようになった。朝起きたら隣に凪がいる生活が当たり前になって、それが心地よくもあり、同時に怖くもあった。

 いつしかこの手を取ってしまえば、ずぶずぶと底なし沼に沈むように、自分が自分でなくなるような予感がして胸の奥が妙にざわついた。

 ある日、職員室で凪が他の先生と距離近く話しているのを見かけたとき、胸の奥が焼けるようにもやもやとした。

「......あいつ、何べたべた体触られてんだよ。てか距離近すぎだろ。」

 気づけば俺は無意識のうちにフェロモンを放って威嚇していた。思わずはっと我に返り、息を呑んだ。

「何、先生相手に威嚇してんだよ......俺。」

 だんだん、俺以外の誰かと凪が一緒にいる光景を想像したら胸が苦しくなってきた。”凪を取られたくない”という自分の中に存在する醜い感情が心の奥底で渦を巻き始めていた。

 このままだと本当に凪を手放せなくなってしまう。そう自覚したとき俺は怖くなった。だから、引き返すようにしてしばらく凪と距離を置いた。

 そうしていつだったか、交際して半年ぐらいだったかな。いつものように家で過ごしているとき、俺は凪に別れ話を切り出した。

「......別れよっか、凪。」

「なんで。」

「......もう好きじゃなくなっちゃった。」

「嘘だね。今の瑠夏はそんなこと思ってない。また俺に何も言わないで逃げるつもり?そんなの許さないから。」

 凪は逃がす気は微塵もない鋭い視線で俺を貫いてきた。あぁ、またその目だ。その目で見つめられると、どうしようもなく、自分の気持ちを吐き出さなくてはならないような、強い圧に襲われる。

「なんで俺にいつもそうやって構うんだよ。頼むから......凪には他にもっと幸せにしてくれる人がーー」

「瑠夏!またそうやって逃げんな!!他の誰かが幸せにしてくれるとか、そんなのどうでもいい!何度でも言ってやるよ!俺は瑠夏が好きなんだ。俺は瑠夏に”幸せにしてもらいたい”んじゃない!瑠夏と一緒にいたい!......それだけじゃダメなのかよ。」

「昔から......何がそんなに怖いんだよ。」

 もう俺の心は張り裂けそうで、頬を伝う涙が止められなかった。

「俺は、このまま凪を誰かに取られたくないって......。凪は”物”じゃないのにそう思う自分が嫌で。気持ち悪くて......俺が俺じゃなくなるみたいで怖いんだ......。今までこんなことなかったのに、凪のことを考えるだけで胸が苦しくなる。......痛いんだよ......。」

 そんな醜く、情けなく、黒くてドロドロとした俺の本音を打ち明けたとき、凪は俺のことを迷うことなく強く抱き締めた。腕は微かに震えていて、肩ごしに聞こえた声は泣きそうに掠れていた。

「やっと言ってくれた......。俺はそれを、大学の時からずっと思ってた。瑠夏のこと、誰にも取られたくないって。瑠夏のことを考えるといつも苦しくて......。でも、俺のことなんて眼中にもないの分かってたから、余計に必死になって、勝手に傷ついて......。」
「でも、そんな自分も好きだなって思ってたよ。今もそれは変わらない。俺は瑠夏を追いかけるのも、大好きだから。」

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にすとんと何かが落ちた。まるで欠けていたパズルのピースがカチッとハマるような感覚だった。

 ーーあぁ、これが人を好きになるってことなのか......。

 いや、きっと俺はずっと怖かったんだ。いつか終わりがくるんじゃないかって。幼少期の記憶と一緒に、母さんを失いかけたあの日から、大切な人がいなくなるかもしれない......という喪失の痛みを味わった。
だからこそ、もう二度とあんな思いはしたくなかった。

 こんなに辛くて、苦しくて、どうしようもなくなるくらいなら、いっそのこと最初から大切な誰かなんて作らなければいい。俺は、いつしかそう思い込むようになっていたのかもしれない。

 ようやく腑に落ちた。

 凪は俺の頬を両手で優しく挟み、口づけを落とした。凪が触れた場所から、これまで知らなかった優しい温もりがじんわりと広がっていく。

 そして、気持ちが通じ合った日の夜。俺たちは静かに身体を重ねーー番になった。
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