運命に花束を

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二人の王子

恋模様 ①

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「嘘だろ……」

 僕は呆然として、その滅茶苦茶に引っ掻き回され物が散乱する僕の部屋を見回した。

「おやおや、ここも酷いですねぇ」

 ユリウス兄さんは他の部屋を見回っていたのだけど、そちらは見終わったのか僕の背後からひょいと僕の部屋を覗き込んで、呑気にそんな事を言った。

「もう! どこに何があるか全然分からないだけど! 鍵! せめて鍵!!」

 僕がユリウス兄さんを引き連れて自宅に帰ってきた理由はひとつ、僕の首に付いているチョーカーの鍵を取りにきたのだ。
 1人で行けると言った僕にユリウス兄さんが付いて来たのは、たぶん昼間にあった事を彼の親友イグサルさんから聞いたからだろう。今日の昼間、僕はふてぶてしい態度のαに絡まれ、嫁になれと脅された。
 勿論そんなのは願い下げで断ったのだが、こんな事になるのも、まだ僕とツキノが正式に番になっていないからなのは確実で、僕は今日こそツキノに僕の項を噛んでもらおうとチョーカーの鍵を取りに来たのに、その鍵が見当たらない。

「この鍵、予備はないのに! もう何処だよ!」

 散々に荒らされた部屋の床に這い蹲るようにして探し回るのだが、探し物は本当に小さな鍵だ、簡単には見付けられず、僕は肩を落とす。

「これは時間がかかりそうだね、今日は諦めた方がよくないかい?」
「でも……」

 仕事を終えてからの寄り道だ、外は既に夜の帳が下り始めている。部屋の中は薄暗くて、確かに探し物には向かない時間だ。
 今日こそツキノに項を噛んでもらおうと思ったのに、ようやく自分はツキノの物になれると思ったのに、こんなのあんまりだ……

「何か盗られた物とかは?」
「別に、荒らされてるだけで……元々我が家、盗るような金目の物何もないから大丈夫だと思う。けど、父さんの私物までは分からないな」
「カイルさんの私物……そこは本人に確認してもらわないと分からないか。変に薬の研究資料とか盗まれてないといいですけど」
「そういうのはよっぽど家にはもって帰ってないと思う。父さん、家に帰ってくる時は仕事が一段落した時で、仕事を家に持ち込む人じゃないから」

 今日だって家がこんな事になっていたって帰って来てはいないのだから、まぁ、そういう事だろう。

「誰がこんな事をしたのかも気になりますね。ただの物盗りならまだしも、まだ昨日の仲間がいるのだとしたら、それはそれで厄介だ」
「うぅ~……そんな事より、見付かんない!!」

 腕を組んで思案するユリウス兄さん、僕は床に散乱する細々とした物を放り投げて今日の鍵捜索は諦めた。

「もし鍵見付からなかったらどうしよう……これ、外れるのかな……」

 僕の首に嵌められたチョーカーはΩ用の特殊チョーカーだ、簡単に取り外しができないように物自体も頑丈にできている、切ったり壊したりが簡単にできる代物ではない。

「大丈夫でしょう、もし無かったら、うちの母さんが外してくれますよ」
「え……?」
「それ、母さんが作った手作りです。もしかしたら鍵の予備もあるかもしれないですよ」
「そうなの!?」
「それは間違いなく。ただ現在母さんはあの状態なので、その辺も思い出さない事には所在は分からないけど」

 駄目じゃん! すぐにでも外せるかと思いきや、そちらも時間がかかりそうで僕は溜息を零した。
 ユリウス兄さんは鍵の所在を「それとなく聞いておくね」と僕に言い、僕をツキノの待つ宿屋まで送ってくれた。

「明日も迎えに来ますから、一人の行動は控えてください」
「えぇ? 大丈夫だよ?」
「大丈夫かそうでないかはこちらで判断します。カイト、お前の護衛任務はもう既に始まっているという事だけ覚えておいてください」
「そうなんだ、なんかごめん」
「気にしなくてもいい、これも仕事のうちです」

 それじゃあ兄さんのプライベートがなくなってしまう……と思うのだが「大丈夫だよ」と彼は笑った。
 宿屋の人に通された僕達の今日から暮らす部屋は、どこの豪邸の一室か? という豪華さだった。そう、あれだよ! 武闘会の時のカーティス邸! あんな感じ。

「なんか落ち着かないね……」

 それでももっふりとソファーに身を沈めると気持ちが良くて、寝てしまいそうだ。

「俺達、こっちの部屋だって」

 そう言ってツキノに連れて行かれた部屋もずいぶん広い部屋だった。僕の家のリビングくらいあるんじゃない?
 しかもちゃんとベッド2つある。別にひとつでもいいのに……

「ねぇ、カイト、今日もしかして何かあった?」

 ベッドに腰掛け、スプリングを確認するようにふわふわしていると何故か突然ツキノに問われ僕は首を傾げる。

「え? 別に何もないよ? なんで?」
「カイトから知らないαの匂いがする」

 僕に寄って来て、すんと匂いを嗅いだツキノは不機嫌そうに眉根を寄せた。
 ツキノの知らないαの匂いなんて心当たりは1人しかいなくて、僕は「え? 嘘! 本当に?! うわっ、最悪!」と、慌てて自分の匂いを嗅いでみるのだがよく分からない。
 実際あの男の匂いは僕にはほとんど感じられないのだ、ツキノに気付かれた事にも驚いてしまう。

「やっぱり何かあったのか?」
「う~ん……うん、まぁ、あったね」
「何?」
「ユリウス兄さんの友達のイグサルさんって分かるだろ? そのイグサルさんの従兄弟って人に『お前は俺のΩだ』って言われて、フェロモン浴びせられたんだよね。僕にはほとんど分からなくて、ふざけんなって感じで……」

 話している途中にツキノに抱き締められ、ツキノのフェロモンを浴びせられる。やっぱりツキノはいい匂い。好き。

「人のΩに匂い付けなんて、いい度胸だ! ぶっ飛ばす」
「え……? 匂い付け?」
「気付いてなかったのか?」
「だってあの人ほとんど匂いしなかったし、ユリウス兄さんにも特に何も言われなかったよ? そんなに匂う?」
「お前の匂いに不純物が混ざってる感じで気持ちが悪い」

そうなんだ? と僕は首を傾げるのだが、やはり自分ではよく分からない。

「もうそいつには近寄るな!」
「僕から寄ってった事は一度もないよ、勝手に寄って来るんだから仕方ないだろ。しかもその人、好きな子ほど虐めるタイプの人間らしくてさ、めっちゃ絡まれるの。ホントうざい。僕のこと散々Ωだって馬鹿にしたくせに、嫁に来いとか意味不明過ぎて、そんな事言われてほいほい付いてくΩがいるなら見てみたいって思ったよね」

 僕の言葉にツキノは苛々したように自身の爪を噛む。

「カイト、チョーカーの鍵は?」
「え? あぁ、そうだった、聞いてよ! 今日家に泥棒入ったみたいでさ、家の中めっちゃ荒らされてんの! 鍵も探したんだけど、いつもの場所になくてさぁ……ツキノ?」

 ツキノの表情が更に険しくなって、僕の顔を睨み付けるようにツキノは僕を見やる。
 やめてよ、その顔怖い。

「鍵はなかったのか……?」
「う……ん、でも、これグノーさんのお手製らしくてさ、予備の鍵有るかもってユリウス兄さんが言ってた。ただ記憶が戻るまでは何処にあるかは分からないらしいんだけど……ねぇ、ツキノ、顔が怖いよ?」
「むしろ何でお前はそんな呑気な顔をしてられるんだ! もし万が一その鍵を犯人が持って行ってたら! その犯人がαだったら! お前、襲われて無理やり番にされる可能性だってあるんだぞ!」
「え? えぇ……そんな事って、ある?」
「絶対ないって事はないだろう! 現に今日、お前はよそのαに匂い付けまでされてんだぞ! お前の事をΩだって知った上で、お前を狙った空き巣だったらどうすんだ!」

 まるで突拍子もない事を言われて「それはない」と笑い飛ばしたかったのだが、ツキノの表情があまりにも真剣で、僕は笑いを引っ込めた。

「お前は今現在俺だと思われている可能性が高いんだ、お前がΩだと相手が知れば、お前との間に子を作ろうとする人間だって現れるかもしれない。その子供は必然的にメリア王の孫って事になるからな。俺と間違われたままお前がもしそんな目に遭ったら、俺は……」
「そんなの考えすぎだよぉ」
「カイト!」

 またツキノにきつく怒鳴られた。心配してくれてるのは分かるけど、気の回しすぎだと思うんだけどなぁ……それに、もしそうなら危険性は『ヒナノ姫』であるツキノだって同じだ。

「もっと早くに番になっておくんだった、どうしてお前がヒートを起こした時に躊躇したのか、自分のトラウマなんかどうにでもなっただろうに!」
「ツキノ、あの時は駄目だったんだから、そういう自分を責めるような後悔するのは止めよう? 全部タイミングが悪いだけ、上手くいかない時だってやっぱりあるんだから、そこは仕方なかったって諦めて今後の事を考えようよ。僕はね、嬉しいよ。ツキノが僕と番になる事に前向きになってくれたと思うだけで、凄く嬉しいんだよ」

 ツキノはまた僕を抱き込んで、僕の肩口に頭を預けるようにして「ごめん」と一言呟いた。

「謝る事何もないだろ? ふふふ、素直なツキノはやっぱり変だよ」
「この期に及んでまだ俺の事、天邪鬼とか言う気か?」
「そういう所も好きなんだから、ツキノは変わらないでいてよ」
「それはこっちの台詞だ」

 僕は何も変わってなんかないのに、変なツキノ。

「そういえばお腹空いたね、今日の晩御飯なんだろう? こんなに上げ膳据え膳なの久しぶりだから、なんだか申し訳ないな」

 僕が笑うとツキノはようやく怒りを治めたのか、ふっと肩から力を抜いた。
 変なツキノ、何をそんなに苛立っているのか分からないけど、僕達が一緒にいられる時間はきっともうそんなにたくさんはないと思うのだ。だから今はもっとツキノといちゃいちゃしてたいなぁ。

「ここ数日で色々な事があって、どんどん俺達の世界は変わってく。知らなかった事もたくさんあって、俺は自分がどうしていいかも分からない。カイト、俺はどうすればいい? 何が正しい? どの選択を選んでも、どこかしらに迷いが残るんだ。お前と離れる事が正解なのか不正解なのか、俺にはそれすら分からない……」
「ツキノはツキノの好きなようにすればいいんだよ。だって、それがツキノなんだから」

 ツキノは無言でしゃがみ込み、膝を抱えるようにして顔を伏せた。まるで昨日の拗ねた僕みたいだ。

「それが分からないから聞いてるのに……」
「そっかぁ、でも僕の中にも答えはないよ。僕は僕で自分の今後を模索中だからね。でもひとつ決めてる事は『僕は絶対ツキノと結婚するぞ』ってそれだけかな」
「それは嫁なのか、旦那なのかどっちだ?」
「あはは、ツキノはそれでも迷ってるんだ。どっちでもいいよ、ツキノが決めなよ。それとも僕が決めたほうがいい?」
「いや、もう少し迷う事にするから保留しといて」

 ツキノの物言いに僕はまた思わず笑ってしまった。

「男性Ωっていうのは、生まれた時からこんな俺みたいな状態の癖に、カイトには迷いはなかったのか?」
「迷い? 特別にはなかったかなぁ、だって僕はツキノと結婚すると思ってたし、ツキノは普通に男だったし、お嫁さん以外の選択肢がなかったからね。これが、大人になってから『運命』に出会うとかだったらまた話しは別だったと思うよ? ルイ姉さんみたいなαのお嫁さんを探してたら、厳つい男性αが『運命』だったとかね、それだったら物凄く戸惑っただろうけど、そんな仮定意味ないよね? 僕の相手はツキノだけ、どんなツキノもツキノだから妻の立場でも夫の立場でも何も変わらない」
「そういうものか……?」
「ツキノは難しく考えすぎ。どっちだっていいじゃん、僕の隣にツキノがいる、それだけの話だよ?」

 ツキノはぽかんとこちらを見上げる。あれ? 何だろう? 僕、変な事言ったかな?

「……シンプルだな」
「これって元々、至ってシンプルな話だったと思うよ?」

 「そうか」とツキノは頷いた。

「どっちでもいいんだな」
「うん、どっちでもいいんだよ。そこに愛が在りさえすればね」

 「そうか、そうか」と頷いて、ツキノは微かに笑みを見せた。ツキノの心の迷いを少しくらいは払拭できたかな?だったらいいけど、と僕はツキノを見やった。


  ※  ※  ※


 カイトの言葉に俺は目から鱗がぽろぽろ落ちるような気持ちだった。

『僕の相手はツキノだけ、どんなツキノもツキノだから妻の立場でも夫の立場でも何も変わらない』

 自分は男だといくら言っても、見た目と周りの扱いがあまりにも女扱いで悩んでいたのに、カイトはそんな俺の悩みを何でもない事のようにさらりと受け流した。
 男なのか女なのか、そんな瑣末な事はどうでもいいのだ。俺は俺でありさえすればそれでいい、そう言われた気がした。
 考える事は他にもたくさんあって、その中でその問題は本当に大した話ではなかったのだと、そう思えた。

「ツキノ君、カイト君ちょっとおいで~」

 部屋の外から声がかかる、呼ばれて顔を覗かせるとそこにはアジェさんが満面の笑みで立っていて「今から皆で、お出かけしようか」とそう言った。彼の傍らにはやはりあまり笑みのない無愛想な顔のエドワード伯父さんが立っている。

「こんな時間に?」
「うん、晩御飯も兼ねてね。ツキノ君も部屋に籠りきりだと退屈だろ?」
「俺は別に……」
「気が乗らないようなら晩御飯、宿屋の人に頼んで運んでもらうけど、実を言えば、宿代だけで手一杯でお料理頼むのきついんだよ……このお宿、お食事代も高くてねぇ……」

 え……?

「確かに防犯面では万全だが、値段に可愛げはないな……」

 なんだか、エドワード伯父さんも難しい顔してるよ。え? 待って? もしかして伯父さん達相当無理してここの宿取ってたりするの?

「昼間、友達割があるから大丈夫って……」
「それ、宿代だけだから。それ以外はさすがに実費。宿代は友達割でまぁ、それなりのお値段になったんだけど。あはは、ごめんね。格好悪いね」
「いえ! だったら、今からでももっと別の手頃な宿探しましょうよ!」
「それは駄目。ここは本当に防犯がしっかりしているから、値段には代えられない。もし同じようにちゃんとした宿を探そうと思ったら、やっぱり同じくらいの値か、もっと高い可能性もあるからここにいるのが一番無難なんだよ」
「でも……」

 俺が言葉を濁すとアジェさんは「今、君達に何かがあればこの大陸の各国の信頼関係が揺れる、それは避けなきゃ駄目なんだよ」とそう言った。
 自分はそれほど大それた人間ではないというのに、その言い方は大仰で戸惑ってしまう。

「レオンさんはファルスの国王ブラックさんを信頼して一人息子である君をこの国に預けたんだ、これはメリアとファルスの信用問題なんだよ。同時にカイト君、君もその存在がランティス王国に知られた以上、君に何かがあればそれはファルス王国とランティス王国との間に亀裂を生むよ、それは避けなきゃ駄目なんだ」
「今までそんな事何もなかったじゃないですか……」

 カイトも俺と同様に戸惑い顔だ。

「状況は刻一刻と変わってるって事だよ。今日ね、また色々と新事実が分かってきたみたい。ツキノ君には昼間言ったと思うけど、例の彼ね、本当にランティスがメリアを探る為の密偵だったみたいなんだよね……」

 アジェさんは腕を組んで唇の前に人差し指を立てるようにしてそう言った。

「ただ、その出所がまだ分かっていない。王室に近い場所から出されている密偵だというのは間違いないみたいなんだよ、あの人は僕の顔を知っていた。という事はエリィの顔をちゃんと認識している人なんだよ。言っては何だけど、僕達双子顔はそっくりで、地味な所までそっくりなんだよ。王家の人間のオーラみたいな物がとんと薄くて、仰々しくしていないとすぐに一般人に埋没しちゃうんだよね。それにも関わらず、ちゃんと僕の顔を見て王子の顔だと認識できたって事は、その人は少なくとも王子の近くに居た事がある人間のはずなんだよ」
「そんな事ってあります?」
「だったら、聞くけど今エリィの顔思い出して、特徴を言えって言われたら幾つ言える?」

 小首を傾げてアジェさんが言う。そう言われて思い出そうとするのだが、そもそも一回しか会っていないその人の顔を俺は思い出せないし、それはカイトも同じなのだろう。眉間に皺を寄せて難しい顔をして首を傾げている。
 アジェさんによく似ていたというのは覚えている、もうその顔のイメージが完全にアジェさんになっていて、カイトの父親の顔は欠片も浮かんではこないのだ。

「ね? 僕達の見た目って割とそんな物でね、決して目立たない。まだ王家の祭典とかで見かけたら『あぁ、王子だ』って認識できるだろうけど、そうでなければ目立ちもしない。だからエリィもよくお供も付けずに城下町に出没してたりしたんだよ。その時も全然気付かれてなかったけどね。そんな感じだから、こんな所で僕を見かけて王子だって思える人間なんてかなり限られていると僕は思うんだよ」
「それで王家に仕えていた人間かも? って話になった?」
「可能性は高いんじゃないかなぁってね。まだ彼の言っている事に明確な裏付けも取れていないから、はっきりはしないけど、彼、僕の事も知っていたらしいんだよね……」
「おじさんの事……?」

 アジェおじさんはこくりと頷く。

「僕は捨てられた王子だから、僕の存在を知っている人間は本当に少ないんだよ。王の傍近くに仕えている人間じゃないとエリオット王子が双子だったって事を知る事はできないはずなんだよ」

 メリアからの刺客のはずが、その中にランティスの王家に近しい人間が紛れ込んでいる? これは一体どういう事なのだろう? 訳が分からなすぎて頭の中が大混乱だ。
 けれど、もしかしたらそれはランティス王家にとって『俺』という存在、メリア王の息子であるツキノが邪魔だという事なのではないだろうか?
 そもそもカイトから聞いた話ではカイトの父親はメリア王家も俺自身も嫌っているような節がある。カイトはそれに関しては俺に多くを語りはしなかったが、たぶん彼は俺が邪魔なはずだ。

「カイトの父親が、俺を殺すために差し向けた……?」
「それは違う! エリィは絶対、そんな事はしないから!」

 アジェおじさんはそう言って、首を振る。カイトの父親は彼の兄なのだ、そう思いたい気持ちも分かるが、そう思ってしまえばすんなり腑に落ちる。

「さすがに僕の父親がそこまで最低な人間だとは思いたくないんだけど、あの人の言動を思い返すとあり得そう……とか思っちゃうから怖いよね」
「エリィはブラックさんにあちこち連れて行かれて心を入れ替えたって言っただろ。しないよエリィは、そんな事は絶対しない!」
「絶対という言葉はないんだぞ、アジェ。エリオット王子はお前の兄に間違いはないが、お前自身じゃない」

 エドワード伯父さんの言葉にアジェさんはきっと彼を睨み付ける。

「エディは昔からエリィと気が合わないからそう思うだけ! エリィは! 僕の兄は優しい人だよ! 絶対人を殺めるような事に加担するような人じゃない!」
「状況が変われば人は変わる」
「エディ!」

 なにやら雲行き怪しく伯父さん達が喧嘩を始める。この2人でも喧嘩なんかするんだ、とちょっと不思議な気持ちだ。
 その時誰かの腹の虫がぐぅ~っと盛大な鳴き声を響かせた。その音の主を探せば、恥ずかしそうに腹をさするのはカイトだ。

「あはは、さすがに少しお腹空いちゃった。お金がないって言うなら、なんなら僕作りますよ? ここには小さいけどキッチンもあるし、食べに行くよりよっぽど経済的かな? って思うんですけど、どうですか?」
「それは凄く助かるけど、いいの?」
「全然構わないですよ、いつもやってる事ですから」

 そう言って、カイトはキッチンを覗き込み、何やら色々と確認をしていく。

「凄いな、こういう所に泊まる人は専属の料理人でも連れて来るのかな? 一通り何でも揃ってる」
「他人の作った物には毒を混ぜられる可能性もあるからな」

 なんという物騒な話だろう……この部屋にはそういうVIPも宿泊可能という事か。

「缶詰とかあるんだ、だったら後は……」

 カイトは、メモに幾つかの食材を書き込んでいくのを横目で見ていたエドワード伯父さんが「買ってくればいいんだな?」とそのメモを受け取った。

「僕、行きますよ?」
「いやいい、お前はおやつでも食って待っていろ。こういうのは食わせてもらう人間の仕事だ」

 そう言って伯父さんはさっさと部屋を出て行った。フットワーク軽いな。しかもそこそこ大きな領地の領主なんてやっている人なのにお使いとか全然平気なんだな。むやみやたらとふんぞり返って食事が出てくるのを待っているだけの人間もいる中で(というか、それは俺だな)自分の役割分担をちゃんと分かっているいい旦那さんだ。

「カイト君は若いのに自分で料理もできて偉いねぇ」
「できるようにならなければ自分が食べられなかったですからね……」

 カイトはキッチンにあった物で料理の下拵えをし始める。何もできない俺とアジェおじさんはカイトの手元を覗き込む事くらいしかできない。

「俺も少しはできるようにならなきゃ駄目かな……」
「ホント、僕もそう思う」

 変な所でアジェさんと意気投合した。あれ? もしかしてアジェおじさんも料理できない人? 奥さんなのに?

「ツキノ君、不思議そうな顔だね。我が家には専門の料理人がいるから、基本的には調理場には立てないんだよ。彼の仕事を奪っちゃう事になるからね」
「じゃあ、全然?」
「卵焼きくらいならなんとか……実は料理はエディの方がずっと上手なんだ」

 俺と同レベルの人がいた。意外。

「僕、家事って本当にできなくてね、奥さんとしては駄目駄目な人なんだよ。相手がエディだから奥さん面していられるけど、Ωとしてはあまり優秀じゃないんだ。結局子供も一人しか産んであげられなかったしね」
「別にΩだからってそんな事気にしなくたって……」

 「うん、そうだね」とアジェおじさんは頷きながらも「それでも好きな人の子供を産めるのは幸せな事なんだよ」とそう言った。

「一人でも産めたから良かったけど、子供できなかったら僕達結婚もできなかったし」
「え? 何で?」
「だってエディはカルネ領の領主だよ。跡継ぎは絶対に必要だと思ったけど僕は出来損ないのΩで、ヒートも一日で終わっちゃうし子供ができるか本当に不安だった。もし子供ができないようならエディにはちゃんとしたお嫁さんと結婚して貰ってお妾さんにでもしてもらおうと思ってたら『跡継ぎが欲しいならお前が産め、俺はお前以外を娶る気はない』って、全然聞いてくれないの。結局そこから頑張って頑張って子供ができるまで10年くらいかかったんだ、けどそれで僕達ようやくちゃんと結婚できたんだよ。あ、ちなみにうちの子、君達と同い年だから仲良くしてあげてね」

 10年、それはまた長い歳月だ。子供がそれほど大事なのか? と言われると甚だ謎なのだが、そこに至るまでには2人の中で様々な葛藤があったのだろうと推測できる。

「叔父さん、発情期ヒートが一日で終わっちゃうのってやっぱり変なのかな……?」

 カイトがふと不安そうな表情を浮かべておじさんを見やる。

「カイト君はまだこの間が初めてのヒートだよね? 最初のうちは不安定な事も多いって言うし一概には言えないんだけど、僕もそうだし、うちの家系の体質って言われちゃうと何も言えないんだよね。しかもカイト君のお母さんのカイルさんは元々ヒートの無い人だからカイト君のヒートが軽かったのはやっぱり遺伝なんじゃないかな」
「だったら僕もツキノの子供を生むのは難しいのかな……?」
「それも僕には判断が難しいね。『大丈夫だよ』なんて軽々しく言える問題じゃない。だから僕からは何も言えないけど、だけど僕は産めたし、カイルさんも君を産めたって事実はある訳だから悲観する必要はないと思うよ」

 カイトは自身の腹を撫でる。男の身で子供を宿せる不思議な性Ω、カイトは俺との子を産んでくれる気があったのかと、少しばかり驚いた。
 俺の性別も半分女で、今現在自分の腹で、もしかしたらカイトの子が孕めるかもしれないと思うとそれも不思議な感覚だ。カイトとの子供……

「俺も、産めるのかな……?」
「え?」

 アジェおじさんとカイトが揃って驚いたような顔でこちらを見た。何だよ? 俺、変な事言ったか?

「あぁ、そうだよね……ツキノ君αだから、どうなんだろうって思うけど、半分女の子だもんね、可能性はゼロじゃない」
「ツキノは、僕の子供を産んでくれる気があるの……?」
「え……? いや、まぁ……もし産むならお前以外の子を産む気はないけど、産めるのか? と思ったらなんか変な感じでな……」

 瞬間カイトの顔が一気に赤くなった。なんだ!? なんで今その反応なんだ?!
 カイトは赤くなった顔を両手で抑えるようにして困惑顔なのだが、それでも物凄く嬉しそうににへらと笑った。

「うあっ、どうしよう、嬉しい。僕はずっと子供は自分が産むものだと思ってたけど、もしかしたらそういう可能性もあるんだ! 僕の子供をツキノが産んでくれるって凄い事だよね! 絶対、凄いよね!」
「え? えぇ? なんでそんなにお前が興奮するのか、意味が分からない……」
「だって、基本孕ませる側のαのツキノが、僕の子供を産んでもいいって言ってるんだよ!? 興奮しないわけないじゃん!」
「なんでだ? お前だって散々言われてる事で不思議な話でも何でもないだろう……?」

 俺達のやり取りを見ていて、アジェおじさんは「僕もカイト君の気持ち、ちょっと分かるなぁ」とそう言った。

「基本的にαって種を撒くばっかりで、それ以後の事って全部Ωの仕事だろう? 妊娠出産は身体の負担も精神的負担もやっぱりΩの方が大きいよ、これは女性全般にも言えることだけど、自分の中で子供を育むってそんな簡単な事じゃない。だけどαの人って基本的にそんな事は絶対経験しない訳で、理解も及ばないのが普通なのに、ツキノ君がカイト君の子供を産んでもいいって思うのだったら、やっぱりそれは凄い事だよ」
「ツキノは今まで全然僕の事なんて視界の外なのかと思ってたのに、その位僕の事好きでいてくれたのかと思ったら、凄く嬉しいに決まってるだろ!」

 そんなものか? と困惑しきりなのだが、カイトがとても嬉しそうなので、俺は黙ってその興奮が治まるのを待つ。本当に今までカイトには俺の好意がまるで伝わっていなかったのがよく分かる。これでは別れを切り出されたとしても仕方がなかった、本当に。
 俺は今までカイトの優しさに甘え倒して生きてきたのだと実感せざるを得ない。
 言葉にしなければ伝わらない、行動しなければ伝わらない、思っているだけで相手に伝わると思っていたら大きな間違いだ。

「ふふ、今日はツキノがやきもち焼いてくれたり、子供産んでもいいって言ってくれたり、幸せ過ぎて怖いよ。変なしっぺ返しがこないといいけど」
「やきもち? 何かあったの?」

 アジェおじさんの問いに機嫌よく、カイトは今日あった事をおじさんに話して聞かせるのだが、そんなに機嫌よく話すような内容じゃないからな! カイトは危機感なさすぎだ!
 案の定おじさんは「そんな事あったんだ」と心配そうな表情を見せた。呑気なのは当人ばかり。

「別に何も無かったですし、αって言ってもユリウス兄さんやツキノほどの威圧感もなければ怖くも無かったですよ。その辺のβの人と全然変わらない」
「それは僕達がフェロモンに関して鈍いからだよ、これも遺伝かなぁ、困ったね。まだ君達ちゃんと番になってないんだから、あんまり呑気に構えない方がいい。いつ何時何が起こるかなんて分からないんだから、用心に越した事ないよ。特に僕達Ωは一度番にされたらこっちから解除はできない事知ってるだろ? しかも、番の解除はΩの命を削るんだ、無理矢理番にされても、その解除で傷付くのもΩなんだから、呑気に笑ってる場合じゃないよ」

 おじさんの反応が予想外だったのだろうカイトは戸惑い顔だ。っていうか、そこで戸惑うのか? やっぱり危機感なさすぎだろ!

「でも、ちゃんとチョーカーしてるし……」
「お前、鍵なくしたんだろ」
「え? 待って、それ一大事だろ! どこでなくしたの?」
「今日、家に泥棒が入ったみたいで、家の中滅茶苦茶で鍵が見付からなかったんですよ」
「その鍵、泥棒に盗まれた可能性は?」
「まだ、ちゃんと探した訳じゃないのでなんとも……でも、無くなってもグノーさんなら外せるってユリウス兄さんが言ってたんで、大丈夫です」
「だったら、すぐにでも外してもらって別のチョーカーに交換した方がいい、それか外して君達が正式に番になった方が手っ取り早いかな?」

 俺よりも余程慌てているアジェおじさんはそんな事を言うのだが、正式に番になるという事はカイトと俺がちゃんと結ばれて項を噛むという事で……思わず2人して顔を赤く染めてしまう。
 昨日確認して分かったけれど、あれは意外とフェロモンが駄々漏れになるから、近くにバース性の人間がいる状態でそれをやるのは少し考えてしまう。色々と恥ずかしすぎるだろ、皆やっている事とはいえ、そういう事が全部ばれてしまうのはどうにも気恥ずかしい。

「ん? どうしたの?」
「おじさんはエドワード伯父さんと番になった時、どこでやりました?」
「え? 何で? 今その話、関係ある?」
「だって、やっぱり身内とかにその瞬間が駄々漏れなのって恥ずかしいじゃないですか!」
「? 駄々漏れって……?」

 本気で分かっていなさそうなアジェおじさん。そういえばこの人、あんまりフェロモンの感知能力高くない人だった……

「やる時って、どうしたってフェロモン溢れてくるし、昨日だってちょっといちゃついてたら父さんと母さんにすぐにバレましたよ。だったら何処でやればいいのかって、そう思うじゃないですか。知り合いに見守られてとか恥ずかしすぎて、無理」
「え……? えぇ……? そんなに? 分かるもの?」
「そういえば、小さい頃、よくあったよね。おじさんとおばさん仲良しだから、しょっちゅういい匂いさせてた。今思うとあれってそういう事だよね……」

 親の情事の痕跡とか、気付きたくなかったな……まぁうちの養父母が仲良しなのは自他と共に認める所だし、あの人達隠す気もなかったのだろうけど。
 今度はアジェおじさんがぼっと顔に朱を上らせる。

「僕、今までそんなの全然気にした事なかったんだけど……」
「気にならなかったなら、それなら別にいいんじゃないですか?」
「良くない! 良くないよっ! うわぁっ! 何で今まで誰も教えてくれなかったの!?」
「それは、言わないでしょう? そんな人様の夜の事情にまで口出しなんてできないですよ」
「今まで全部、父さま母さまに筒抜けだった? ロディにも? あまつさえ、クロードさんにも!? うわっ、どうしよう……僕、ルーンで皆にどんな顔して会えばいいか分からないんだけど!」
「今まで、普通にしてたんなら、今更そんな動揺を見せたら逆に不審がられますよ?」

 おじさんは赤くなったり青くなったりと忙しい。まさか、本当にそういうフェロモンの動きに全く気付いてないようなバース性の人間がいるとは思わなかった。

「そう思うとカイトはおじさんと比べて感知能力低くはないよなぁ、それでも大して匂わなかったって言うんだから、その言ってたα、本当に大した事ないのかもな」
「そうじゃないの? ウィル坊も普通にβだと思ったみたいだったし、気にしすぎだよ」
「お前は気にしなさすぎ! 危機感なさすぎ!」

 俺がカイトの額を小突くと、カイトは「ふふふ」と嬉しそうに「そういうちょっとした嫉妬って嬉しいよねぇ。僕、幸せ感じちゃうな」とまたほやんと笑みを零した。
 だから危機感! とも思うのだが、その笑顔があまりに幸せそうで怒るより先に呆れてしまった。




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