運命に花束を

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運命に祝福を

闇 ②

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 領主様との話を切り上げて、早々に部屋を出て行くと心配そうな表情のノエル君がウィルと共に私の方へと小走りに駆けてきた。

「ユリ兄、領主様はなんて?」
「まだ、色々と詳しい状況は分かっていません。けれど、もしかしたら私はもうこの足でこの地を発たなければいけないかもしれません」
「え……なんで?」
「確かめたい事があるのです。私には知らなければならない事があるのです」

 戸惑った表情のノエル君、ウィルもきょとんとした表情をしている。そこへイグサルもひょこりと顔を出し「おい、ユリウス、何があった?」と首を傾げた。

「イグサル、ちょうど良かった。場合によっては私、このままメルクードに戻りますので、カイトの事よろしくお願いいたします」
「は? ちょっと待てユリウス、話が全く分からない!」
「調べなければならない事があるのです。事によっては大事件にも繋がりかねない……」
「分かった、何かがあった事は分かったから少し落ち着け!」

 私は落ち着いている。いや、傍目にはそう見えない程度に落ち着きをなくしているのか?

「まずは、メルクードで何があった? それは今回の事件と何か関係があるのか?」

 イグサルも昨晩の事件の概要を聞いたのだろう。昨夜の事件と叔父の奴隷売買、私には関係があるのかないのかまでは分からない、けれどそこには国を巻き込む何か大きな陰謀があるように私には感じられるのだ。
 うんともすんとも言わない私に、イグサルは「質問を変えよう」と首を振る。

「その大事はお前がそんな大急ぎで1人でメルクードに戻る事で解決するような事なのか?」
「それは……」
「お前が何かを抱え込んでいる事は分かっている、だてにお前の親友をやってきた訳じゃないからな。だけど、1人で抱えて全てを解決できると思ってるなら思い上がりもいい所だ。しかも、それが国家の一大事って言うなら尚更にな。ガタイばっかりでかくても、俺達はまだまだ若輩者だって事を理解しないと、から回るばかりで何もできない」
「イグサル……」
「まずは落ち着け、そんでもってこの際だから、隠してる事も吐いちまえ」

 イグサルの言葉に私は驚いて目を見張る。

「え……あの……」
「なんだよ、お前本気で隠してるつもりだったのか? お前みたいな単純な男が何かに悩んでる事くらい、傍から見てればばればれだっての。それでもその内相談してくるかと思って待っててやったんだから、ありがたいと思え」

 そんなに自分は外に色々と駄々漏れているのだろうか? これでも一応、父を真似て笑顔で日々を過しているつもりだったのに……

「お前1人で解決できる事なら幾らでも1人で悩め、だけどこれは違うんじゃないのか?」

 確かに、叔父の疑いを晴らす事は簡単なようでそこまで簡単な事ではないようだ。それでも自分はそれを皆に話してしまっていいのか分からない。
 父は全てを抱えて耐えている、自分にだってできない事はないはずだ。

「今はまだ、お話はできません」
「強情だな」
「けれど、イグサルの言葉は正しい。これはきっと私1人で解決できる問題ではない」
「だったら……」
「何も聞かずに手伝ってくれと言ったら、手伝ってくれますか?」

 今度はイグサルが驚いたように目を見開いた。

「お前、ずるい奴だな……」
「ユリ兄、オレは手伝うよ! どうせオレ、難しい話されたって分かんねぇし」

 にしし、とウィルが笑みを見せた。その横ではノエル君が小さく頷くのが見て取れる。
 イグサルは困ったように頭を掻いて「ったく、参ったな……」と呟きながら「分かったよ」と頷いた。

「ありがとうございます。まずは昨日の強盗犯、どこで取り調べされていますか?」
「えっと……町のはずれに自警団の集会場があって、たぶんそこだと思う」
「自警団の集会場?」

 幼い頃、自分はこの町に暮していた。けれど、その頃にはそんな物はなかったはずだ。もうこの町を離れて十年以上、自分が知らない建物があったとしてもなんら不思議はないのだけれど、場所がよく分からない。

「案内してもらえますか?」
「うん、こっちだよ」

 ノエル君が先を歩いて道案内をしてくれる。町の中は幼い頃の記憶のままの場所もあれば、全く変わってしまった場所もいくらもあった。

「あれ……こっちって……」
「何ですか?」

 そこは確かに町の外れだ、町は自分達家族が暮していた頃より遥かに広く大きくなっていた。

「もしかして、自警団の集会場って、昔、騎士団員の人達が使っていた寄宿舎ですか?」
「え? どうなんだろう? 俺は知らないけど……」

 それもそうだろう、恐らくノエル君が生まれた時には、その建物は寄宿舎としての役割をすでに終えていたはずだ。父が騎士団長になってすぐ、派遣された先がここルーンで、父はそれこそここで身を粉にして働いていたのだ。
 自分にとってそこは、たくさんのお兄さん達に遊んでもらっていた、懐かしい場所でもある。

「まだ残っていたのですね……我が家だって残っているのですから不思議ではないのですけど、ふふ、懐かしい」
「ユリ兄、来た事あるんだ?」
「幼い頃、よくその辺で姉さんやローズさんと一緒に遊んでいましたよ。あの頃はとても大きな建物だと思っていたのですけど、今見るとそこまででもなかったのですねぇ……」

 建物の中もきっちり把握している、よくこの建物の中でかくれんぼや鬼ごっこをしていたのだ。今考えれば、寄宿舎の住人達は怒りもせずによく遊ばせてくれていたものだなと思う。
 建物を入ってすぐが大広間だ。奥には食堂、左右に寄宿部屋が等間隔に並んでいたはずだ。
 その当時はこの建物以外にも幾つか同じような作りの寄宿舎が並んでいた、けれどさすがにその全部が残っているという事はなく、時の流れを感じさせられる。
 建物の扉を叩くと、顔を覗かせたのは一人の男。怪訝な顔をこちらに向けたあと、傍らにいたノエル君を見付けて「じいさんに何か用か?」と首を傾げた。

「昨日の強盗、ここにいる?」
「なんだ、じいさんに用事じゃないのか? 今日は立て込んでいるから用がないなら帰ってくれ。何せ捕まえた人数が多すぎて、尋問するだけで一苦労だ」
「あの……間違えていたらすみません、もしかしてダンさん、ですか?」
「ん? お前は?」
「ユリウスです、ユリウス・デルクマン」

 男は驚いたような表情でこちらを見やり、上から下まで私を眺め回した後に「でかくなったなぁ、坊」と私の肩を叩いて笑みを見せた。
 彼は昔父の部下だった男だ。名前はダン、とても気の優しい男で、母がやっていた食堂の給仕の女性と恋に落ちて結婚した。そういえばいつの間にか姿を見なくなったと思っていたのだが、ルーンに残って家庭を築いていたのか。

「なんだ、どうした? 何か用か? というか、何で坊がこんな所に?」
「知りたい事も、調べたい事も色々とありまして、お邪魔してもいいですか?」
「あぁ、構わないが、さっきも言ったが今日は立て込んでいる、お前達の相手はしていられないぞ?」
「結構です、遊びに来たわけではありませんから」
「はは、坊の口からそんな言葉を聞く日が来るとはな。いつでもその辺を走り回って遊んでいたちびっ子が一丁前の口をきく。俺も歳をとるわけだ」

 男は笑って建物の中へと通してくれた。当時とは内装も何もかもが変わっている、それでも懐かしさに周りを見回していると、部屋の奥にいた男が顔をあげた。

「ん? ノエル?」
「じいちゃん、何か分かった?」
「分かっていたら、こんな所で座り込んでいないで、既に報告に走っている。それより何ですか? ここは子供の遊び場ではありませんよ」

 ノエル君が声をかけたその人は彼の祖父コリー・カーティスだ。コリーさんは幾つかの書類を机に広げてそれを睨んでいた。

「コリーさん、それは何ですか?」
「ユリウス君にそちらは確か……アイン騎士団長のご子息? なんで、こんな所へ?」
「少し知りたい事があって参りました。それは何ですか?」
「商人達が持っていた身分証明証と行商登録票ですよ」

 言って、コリーさんはそれらを指し示しどういった物か説明してくれる。

「こちらが身分証、メリア人であるという証明証ですね、そしてメリアとファルス間を行商人として行き来する為に必要な許可証がこちらです。これがないと行商人はファルスには入れません、持っていて当然なのですが、実はこれ2枚あるのです」
「2枚?」
「そう、もう片方はランティスとファルスを行き来する行商登録票、確かに各地を巡っているのであれば持っていても不思議ではないのですが、少しおかしいと考え込んでいた所ですよ」
「どういう事ですか?」
「これはランティス王国がランティスの行商人に対して発効している登録票です、それを彼等が持っているのは明らかにおかしいでしょう? 彼等がメリア人だとしてもランティスで行商人としてこの登録票を手に入れる術はなくはないです。例えばランティスにメリアの戸籍を持ったまま移住してランティス国民として生活の基盤がある場合です、その場合はランティスから登録票が発効される可能性があります。けれど知っての通りランティスは排他的な国なのです、そんな物をメリア人が一朝一夕に手に入れられるとは私には思えない」

 コリーさんは腕を組む。

「更に付け加えて不自然なのはここに3枚目の行商登録票がない事です」
「3枚目?」
「そう、メリアとランティスを行き来する為の物ですよ。考えてもみてください、メリアからファルスへと入り、ランティスまで行商を続けて、さぁ帰ろうという時に、わざわざ来た道を戻りますか? メリアは地続きで目の前なのにわざわざファルスを通って? 大回りして帰る必要性が一体どこにありますか?」
「それは確かに……」
「それに私は彼等の素性も本当に身分証通りなのか怪しいと思っています。彼等は自分達をメリア人だと言いますが、その割にはどこかメリア人を馬鹿にしたような言動も目立ちます。ランティスに基盤があるメリア人、だからランティス人のようにメリア本国の人間を下に見るのか? それも私にはどうにも腑に落ちないのですよ」

 眉間に皺を刻んで、コリーさんはまた再びそれらの書類を睨み付ける。

「ねぇ、じいちゃん、この身分証明書って本当に本物なの?」
「どちらも本物ですね、ここにそれぞれの王国の捺印と用紙に型押しも入っているのが分かるでしょう?」

 コリーさんは用紙を透かすようにして、その型を私達に見せてくれた。

「でもさ、こんなの偽造しようと思えばできない事ないんじゃない?」
「確かにその通りです、だから余計に彼等の正体が掴めなくて困っているのですよ」
「もしこれのどちらかが偽物だとしたら、そこから立てられる推測も変わってきますしね。あぁ、因みに行商人と王子の護衛との間には特にこれといった繋がりがなかった事は分かっています。王子を襲ったあの男はたまたま彼等の本業がこういった強盗家業だという事を知って、話を持ちかけたのだと言っています。これは全員の供述が一致しているので間違いはないのではないかと思われます」
「たまたまって……そんな偶然ある?」

 ノエル君が納得いかないという表情でそう言うのだが「全員が何の口裏合わせもなく供述が一貫する事なんてあり得ませんよ」とコリーさんはその疑惑を切り捨てた。

「でもさ、もしかしたら、あの護衛の人、行商人達が元々悪い奴等だって知ってたって可能性は?」
「それはどういう意味ですか?」
「何か目印になる物があるとか、そんな事ないのかな?」
「目印……?」
「だって、やっぱり変じゃない? たまたま悪い奴等だって知って声をかける、って絶対変だよ!」
「そう言われても……」
「他に彼等の持ち物などは?」
「向こうに固めて置いてありますよ、ほとんどが商売道具と商品ですがね」

 コリーさんに言われて部屋の隅に積まれた荷物を見やる。行商人なだけに荷物は多い。そのひとつひとつを見やって、ふいに目に留まったのは行商人が店を開くのに使っていた敷物だ。別に何の変哲もないただの敷物、けれどその端に施されている刺繍が揃いも揃って全部同じなのだ。
 同じ店で買った物、そういう意匠が流行っている、そう言われてしまえばそれまでなのだが、私はそれが少し気にかかる。

「ユリ兄、どうかした?」
「いえ……このデザイン、どこかで見たような気もするのですが……」
「何か気になる事でも?」

 コリーさんが後ろからひょいとそれを覗き込み、その刺繍を確認すると俄かに眉間に皺を刻んだ。

「なんでそれがそこにあるのでしょうかねぇ……」
「何か心当たりでも?」
「あるも何も、それ、我が家の紋章ですよ」

 驚いて、もう一度私はその刺繍をまじまじと見やる。鳥のデザインにクロスされた剣、回りは蔦で囲われたその意匠は、よくあると言われてしまえばそれまでなのだが、まさかそれがカーティス家の紋章だとは思わなかった。

「うちの紋章なの、これ?」
「今となっては必要もないので使っていませんけどね」
「これ全部の敷物に縫い付けられていますが、心当たりは?」
「ある訳がないでしょう、全くどういう事ですかねぇ……」

 商人の持ち物に縫い付けられたカーティス家の紋章、カーティス家と言えば気になるのは昨年の事件で暗躍していたクロウ・ロイヤー、カーティス家とは切っても切れない悪縁で結ばれたロイヤー家の人間。ランティスの商人と手を結びファルスを混乱に落としいれようとしてクロウは現在投獄中だ。
 彼等はカーティス家の屋敷や地位を奪い取り、結局はコリーさんに奪い返された訳だが、もしやそんなロイヤー家がこの事件に関わっているとしたら……

「君が何を考えているか、分かる気はするけれど、ロイヤー家にはもうそれ程の力は残されていないはずですよ」
「ですが、この紋章の意味を考えると……」
「そういえば、あの時浮浪者みたいなおじさん居たよね? 自分はロイヤー家の嫡男だって叫んでた人、あの人どうなったの?」

 ウィルの言葉に皆が首を傾げる。

「あれ? そういえばあの時いたの、ツキ兄とカイ兄だっけか? んん? ノエルいなかったっけ?」
「俺は屋敷に乗り込んだ時はじいちゃんと一緒だったから、ウィルと会ったのは事件解決した後だよ。その時にはそんな浮浪者みたいな人いなかったけど……? あれ? でもなんか、そんな人見たような気も……?」

 何故かノエル君とウィルが揃って首を傾げる。

「ウィル君、その人は本当に自分はロイヤー家の嫡男だと言っていたのですか?」
「うん、言ってた。全然相手にされてなかったけど」
「コリーさん、なにか心当たりでもあるんですか?」
「確かにあの男、釈放されたという話しは聞いています、けれどあの事件の時、私は彼の姿を見ていない。屋敷に居た人間を捕まえた時にもあいつはその場にいなかったのですよ」
「あいつって、誰?」
「クレール・ロイヤー、ロイヤー家の長男です」

 クレール・ロイヤー、名前だけは聞いている。両親にその名前を聞くと、何故か2人共困ったような顔で苦笑していたのが印象的な人なのだが、一体どういう人なのだろう?

「その人は確か、国王陛下に逆らって投獄されていたと聞きましたが、何をした人なのですか?」
「国王陛下に逆らったというよりは、貴方の父親に喧嘩を売ったというのが正しいかもしれませんね」
「父に喧嘩を?」
「貴方の父親が騎士団長になった武闘会、貴方はまだ幼かったので覚えていないかもしれませんが、クレールは試合で貴方の父親と争ったのですよ。貴方の父親は妙な奇策で、クレールの方は完全なズルで勝ち上がり、貴方の父親は評価されたのですが、クレールの方は国王からの怒りをかった。まぁ、それはそうでしょうね、ズルはどこまでいってもズルですから」
「そんな事が……?」
「貴方の父親が取った方法も自分が行ったズルもクレールにとっては似たり寄ったりだったのに、ナダール騎士団長1人だけが評価された事が彼は気に入らなかったのでしょうね、今度は直接貴方の父親に喧嘩を売ったのです。それは貴方の母親が体調を崩して貴方方の事を忘れてしまっていた時の出来事なのですが、それも聞いてはいませんか?」
「その時の事は覚えていますが、その間に何があったのかまでは全く聞いてはいませんね。私達がルーンに引き取られた時には母はもう元に戻っていましたし、それ以上に何かを尋ねる事もありませんでしたから」

 コリーさんは微かに笑みを浮かべて「そうですか」と頷いた。
 母は私が幼い頃にもツキノの時のように記憶をなくし一時静養していた時がある。その数か月の間、姉と私は黒の騎士団の隠れ里に預けられ両親とは離れて暮らしていたので幼い頃の事でもあり、その頃両親の身の上にどんな事件が起こっていたのかまでは聞いていない。

「あの人は本当に過ぎた事は振り返らない人ですね、ある意味羨ましい。私は若い頃に受けた屈辱を未だに引き摺っているというのに全く潔い事です。けれど、人なんて所詮ほとんどが私のような人間ばかり、誰もが彼のようには生きられない。きっとそれはクレールも変わりはしないのですよ……」
「この件にその人が関わっている可能性というのはありますか……?」
「ない、と否定はできません」

 コリーさんはそう言って、もう一度睨むようにその紋章を見やる。

「あぁ、そういえばあいつが最初に陛下の不興をかったのは文書の偽造をやらかしたからでしたね……」
「文書偽造?」
「そうですよ、武闘会での試合、それがあの男が行った違反行為、ズルだったのです。嫌な具合にピースが嵌っていくものだ……商人達がこれをどこで手に入れたのか、改めて厳しく尋問をしなければならないようですね」

 老人の柔和な笑みは、口角を上げるだけの鋭い笑みに、瞳はまるで笑っていないその笑みは、武闘会の事件の折に彼が見せていた表情でもある。
 彼はロイヤー家の事となると人が変わったように冷酷な笑みを見せた。彼のその過去に一体何があったのか尋ねる事はしないが、人の憎悪というものはどれだけ年月を重ねても消える事はないのだと改めて思い知らされるような笑みにぞっと背筋が凍った。
 コリーさんが商人たちに改めてきつい尋問を始める前に、私は廊下で指笛を鳴らす。しばらくすると、廊下の天井からこんとひとつ音が聞こえた。

「仕事中にすみません、少し尋ねたい事が……」
「あぁ! これって、あの時の人だっ! オレに武器くれた人!?」

 ウィルの突然の大声に、そういえばウィルは知らないのだなと思い至る。

「ウィル、彼等は隠密です。大きな声は出さないで」

 『黒の騎士団』彼等は自分が幼い頃から父の下で働いていたし、その家族は子供含め家族ぐるみの付き合いでもあったので、私にとってはある意味居て当たり前の存在でもあるのだが、ウィルには違う。というか、そもそもこの黒の騎士団という存在自体を知る者はとても少ないのだ。
 国王陛下の直属の諜報隠密部隊『黒の騎士団』その名前はまことしやかに噂されるが、そこに誰が所属をしていて、どういった仕事をしているのかまでは、一部の人間しか知らないはずだ。
 ウィルは騎士団長の息子という事もあって、その存在自体は知っているが、彼等の活動内容まではあまり把握していないのだろう。

「え? 駄目なの?」
「隠れて仕事をしている人が見付かったら仕事にならないでしょう!」

 「それもそうだねぇ」とウィルは悪びれもせずに笑みを零した。この何の悪意もなく素直な所はウィルの長所でもあるが、危うい所でもある。図体は大きくても中身はまだまだ子供で、物事の良し悪しの判断が曖昧だ。そこはきちんと注意していかなければ仲間としては危うすぎる。

「ユリウス、大丈夫だ。今、そっちに行くから待ってろ」

 そう言って天井の気配は消え、しばらくすると廊下の窓がこんと叩かれ、外からぬっと顔を覗かせたのは、どこにでもいそうな普通の男だ。姿も物腰も本当に普通、ただ黒の騎士団の名前の由来通りその髪と瞳は黒かった。

「お兄さん、あの時オレに武器くれた人?」
「あの時……?」
「これ!」

 そう言ってウィルは持っていた小さな鞄を漁って小振りな短刀を取り出した。

「あぁ、武闘会の時の……」
「あんまり使わなかったけど、何も持ってなかったから助かりました。ありがとうございます。いつ返せるか分からなかったから持ち歩いてたんだけど、ようやく返せるよ」

 ウィルはぺこりと頭を下げて、にっこり笑みを見せた。

「そんな物は消耗品だ、別に良かったのに」
「駄目だよ! 借りた物はちゃんと返さないと父ちゃんと母ちゃんに怒られる!」
「律儀だな」

 苦笑するようにしてその男、幼馴染のセイはウィルから短刀を受け取った。彼は上からセイ・サキ・シキという名の三兄弟の長男だ、幼い頃に暮していた彼等の村ムソンで、私と彼等は家が隣同士という事もあってよく遊んでいた。なので、私は黒の騎士団の中でも彼等三兄弟と組む事が多いのだ。

「それでユリウス、聞きたい事ってなんだ? 急用か?」
「単刀直入に聞きます、私の叔父がメリア人の奴隷を買っているというのは本当の話ですか?」

 私の言葉に彼は言葉に窮したように「なんでそれを……」と口籠った。

「ルークさんに聞きました。やはり事実なのですか?」
「あの人は、昔から少しばかり口が軽いって言われてたけど、本当だったんだな。話すんじゃなかった……」
「では、やはり……」
「間違いない、だけど頻繁に買っている訳じゃない、その時たまたまかもしれないし……」
「一度でも買ってしまえばそれは犯罪です」

 あまり話したくはなさそうな素振りでセイさんはこちらを見やる。

「まだ、調査中の話だ。全てを鵜呑みにするな」
「叔父にはメルクードの祖父の家以外にも別宅があると聞きました。それは何処ですか?」
「それを聞いてお前はどうする?」
「叔父に真意を問い質します」

 セイさんは大きく息を吐き「だからお前に知られたくなったんだよ」と、くしゃりと髪を掻き上げた。

「これはまだ調査中の話だと言っている、お前が首を突っ込む事じゃない」
「けれど、これは私の身内の話です。その奴隷売買の現場を目撃したのは誰ですか?」
「困った事に、うちの親父だな」
「父はその事を知っているのですか?」
「どうだろうな、ボスとうちの親父がどう判断して、お前の親父さんに伝えたのか、それとも伝えていないのか、そこまで俺には分からんよ」

 父は叔父の疑惑を誰にも知られずに解決したがっていた、けれどそれはやはり黒の騎士団の知る所だったという事なのだろう。

「でも、おじさんは昔からメリア担当でしたよね。何故ランティスでの奴隷売買を目撃する事になったのですか?」
「それこそ、それを調べていたからだろう。奴隷の売買はメルクード近郊で行われているらしいが、奴隷の調達はメリアからだからな。親父はそれを追っていた」

 叔父がメリア人奴隷を買ったという話しはもうこれで、ほぼ確定だ。まさか、あの人が……そんな思いが去来するけれど、現実は受け止めなければいけない。

「セイさん、叔父の別宅、教えてもらえませんか」
「俺1人の判断でそれをお前に教える事はできない」
「貴方方に迷惑をかけるような事は決してしません」
「だから、駄目だと言っている」
「でしたらもう結構です、今からメルクードに戻って、直接叔父に問い質します」
「おい、ユリウス!」

 セイさんはまた、くしゃりと髪を掻き回し舌打ちを打つ。

「分かった、明朝まで待て。勝手な行動はするなよ、それでなくても今は情報が錯綜して訳が分からなくなっているんだ。これ以上面倒事を増やしてくれるな」
「こちらもしたくてしている訳ではありません」

 苦い顔付きのセイさんは「勝手に動くなよ!」と念を押すようにして、どこかへと姿を消した。

「ユリ兄、今の話って……」

 ノエル君が心配そうな顔でこちらを見上げてくる。

「聞いた通りの話ですよ。私の叔父が奴隷売買に関わっている、とそういう話です」
「奴隷ってメリア人なんだよね? ランティスってそこまで差別が酷いの?」
「目に付く形で奴隷を連れ歩いている人はいませんよ。見下しはしているかもしれませんがね。けれど、あの国にはそうやって苦しんでいるメリア人の方もいるという事です」

 あからさまなメリア人差別。自分の見た目はランティス人寄りで、そこまでの差別は受けなかったが、きっとノエル君もあの国に行けばファルスにいるよりよほど酷い差別を受けることだろう。

「ユリ兄の叔父さんも……?」
「私には分かりません。彼の吐露した苦悩が私には嘘だとは思えなかった、けれど実際に叔父はそんな犯罪に手を染めていたのですから、私は騙されていたのかもしれませんね……」
「ユリ兄……」
「ユリウス、今の話が、お前が隠したがっていた事か?」

 ふいに背後から声をかけてきたのはイグサルだ。

「お前とカイトで親父さんの実家に度々顔を出していたのは、それの調査だったという訳だな」
「まぁ、そういう事です」
「それにしても奴隷売買とはきな臭い事だな。武闘会の時はオメガ狩りだったが、ランティスではそうやって人身売買が日常的に行われているという事か?」
「それは私には窺い知れない事ですよ、イグサル」
「メリア人にオメガか……弱者ばかりを狙って卑劣な事だな。ランティスって国は一体どうなってんだ」
「全くです」

 そこに「でもさぁ」と声をあげたのはウィルだ。

「それってランティス人だけでできる事? 武闘会でのオメガ狩りもそうだったけど、結局ファルスの協力者もいた訳じゃん? そっちのメリア人の方だってきっとメリア人で悪さに加担してる奴はいるんじゃないかな? それこそ、今ここに捕まってる人達もそうなんだろう?」
「確かにウィル坊の言う通りだ。悪さを全てランティスに押し付けるのはよくないな」
「でも同胞を売る人間がいるなんて、信じたくはありませんね……」

 その時、ふいにノエル君が「俺は少し分かるかもしれない」とぽそりと呟いた。

「何故、そんな事を思うのですか?」
「俺はファルスで育って、ここでそこまでの差別にも遭わずに育ってきたけど、最近はメリア人メリア人って差別される事が多くてさ、それがもしランティスだったらそれがもっと酷い訳だろう? もし、自分がランティス人でこの赤髪だったら、何で自分はこんな国に生まれてこんな目に遭わなきゃいけないんだ! ってきっと同胞を恨むよ。それはどこの国でも一緒なんじゃないかな? きっとメリアにランティス人みたいな金色の髪の人がいたら同じように差別されたりしない? 黒髪の人は何処に行っても差別されるって聞いたよ? 恨みたくなくても、そんな風に生まれついた事を恨みたくなる人だってきっといると思うんだ。それはそういう見た目だけの問題じゃなくても、辛い思いをしてる人はいるんじゃないかな? そういう恨みを同胞に返す人がいても、俺は不思議じゃないと思う」

 「だからって、犯罪をしてもいいって話じゃないけどね」とノエル君は瞳を伏せた。

「ファルスではファルス国内で生まれた子供には全てファルスの国籍が与えられます、その辺、メリアやランティスではどうなっているのでしょうかね……?」
「聞いた事がないな、他所の国の事までは分からん」

 叔父から聞いた話だ、奪われた国籍、それは一体何処へ行く……?
 叔父の話がどこまで真実だったのか、今となってはよく分からないのだが、もしそれが本当の話だとして、その国籍、身分証を手にした人間は一体何処から来たのか?
 行商人は見た目はメリア人という感じではなかった、特徴的なメリアの赤髪でもない。

「メリアで生まれたランティス人……?」
「なんだ? 何の話だ?」
「行商人達が持っていた身分証は間違いなくメリア人の物だとコリーさんが言っていました、これは本当に仮説でしかありませんが、先程ノエル君が言っていたように、生まれのせいで差別を受けて育った人間だとしたら、メリア人を嫌うメリア人というのにも納得がいくのですよ」
「それがメリアで生まれたランティス人? だけど、なんでランティス人がメリアで生まれる? メリア人が豊かさを求めて他国に出るのは理解ができるが、元々仲の悪い国同士、しかもランティスのメリア嫌いは相当だぞ、わざわざランティス人がメリアで子を生むなんて事、あまり考えられないんだがな……」
「だから、これはあくまで仮説だと言いましたよ」

 何かが妙に引っかかる。けれどそれは喉に刺さった小骨のように、もどかしくも抜ける事がない。

「とりあえず、明朝まで待ちましょう。場合によっては、私はそのままメルクードへ戻ります」
「はいはい、そこは譲らないんだな。全くお前は変な所で頑固で困る。カイトはどうすっかな。無理やり連れて帰りたい所だが、ツキノと離れたがらない可能性もあるか」
「イグサルも、じゃないですか?」

 今回のルーン訪問はイグサルにとっても一目惚れの相手ツキノに愛を告白する為のものだったはずだ。

「あぁ……うん、まぁ、そうなんだが……全く相手にされない上に、ツキノの項見たか? アルファの項に噛み跡って、どんだけ執着してんだよって少しカイトにどん引きもしたし、それを平然と受け止めてるツキノにも正直脈はないな……と思い始めた所だよ」
「脈がなかったのは最初からですよ……」
「言うなよ。本当に一目惚れだったんだ」
「イグサルの好きな女性のタイプがよく分かりません」
「可愛くて、少し気が強そうな娘」
「それってミヅキじゃないんですか?」

 瞬間イグサルは固まって「……はぁ!?」と素っ頓狂な声をあげた。

「だから、それってまんまミヅキじゃないんですか?」
「馬鹿言え! あんな男女のどこが可愛いって言うんだ!」
「ミヅキはどちらかと言えば可愛いよりは美人ですけど、条件的には間違っていないと思うのですけどねぇ」
「お前の目はどこかおかしい!」
「そうですか?」

 私は首を傾げる。確かにミヅキは髪も短く短髪で、少年のようにも見えるのだがよくよく見れば整った顔立ちの美人なのだ。言動は男らしくもあり、あまり異性として意識した事はなかったが、常に一緒に居るイグサルの言い分は少し間違っていると思う。

「近くにいると見えなくなるものなのでしょうかねぇ……」
「あ? なんだそれは!」

 イグサルは怒ったようにこちらを見やる。そもそもそこで怒る意味も分からない。

「いいえ、なんでもありませんよ」

 私は小さく首を振る。今は他人の恋路に首を突っ込んでいる時ではない。考えなければならない事が多すぎる。

「俺も付いて行こうかな……」

 ノエル君が傍らで呟いた。

「俺にできる事が何かあるなら、俺も皆の手伝いがしたい」

 そう言って彼は拳を握る。けれど、彼を連れて行くことは私にはできない。彼を巻き込むのは間違っている。ランティスに彼を連れて行くのはとても危険だ。その赤髪故にどんな酷い目に遭うか想像もできない。

「私はノエル君の作る手料理が食べたいです」
「それって手伝いって言えるかな?」
「それは勿論、だってこれはノエル君にしかできない仕事ですからね」

 私が笑みを浮かべれば、ノエル君もにっこり笑みを零す。
 この笑顔を消さないように、赤髪への差別などなくなるように、この事件の解決がその一助になるのなら、私はその努力を惜しむつもりはない。


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