運命に花束を

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運命に祝福を

混沌 ②

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『最近どうも姫の様子がおかしいんだよな……』

 ツキノがそんな事を言っていたのはつい先日の話。僕は少し体調を崩し、そのまま発情期ヒートに突入、ツキノはその間僕に付き添ってくれた。
 ツキノと番になって、ちゃんと目の前にツキノがいる状態での発情期は初めてで、僕達は大いに盛り上がったのだけど、僕の発情期ってやっぱり短くてさ、3日後には終わっていた。
 そんな僕達の発情期を終えて姫の下に戻ったツキノが言ったのが、その言葉。少し首を傾げるようにして「何が? って言われると、よく分からないんだけど、なんか変」と、ツキノは眉間に皺を寄せていた。
 僕の方も発情期を終えて、久しぶりに父親の元に顔を出したら、城にはいつの間にか僕の父親の弟、つまり僕の叔父であるマリオ王子も戻って来ていて、しかもファルス王国の第一王子を伴っての帰郷に僕の父親も含め城内は大いに荒れていた。
 まぁ、僕的には知ったことじゃなかったんだけど、ちょっとある人から伝言を預かっていたから無視を決め込む訳にもいかなくてさ、僕の父親と一触即発な状態になりかけていたジャン王子との間に僕は仲裁に入るはめになって、少しばかり面倒くさかった。恨むよ、ノエル。
 そんなこんなの出来事に忙殺されるようにして日々は過ぎ、どうにかこうにか仕切りなおしの今日は僕の父親とメリアの姫レイシア姫との婚約発表の日。これで2人が結婚して、姫に子供が出来れば、僕は晴れて自由の身だよ! やったね!
 そうは言っても、姫に子供を生ませる為にはお相手が必要で、その相手を誰にするのか? とか、そういう問題も山積している訳だけど、そこはそれ、そっちで考えてよって僕達は思っている。
 実は僕の父親、同じベータである弟のマリオ王子を相手にすればいいと密かに考えていたらしいんだけど、マリオ王子が恋人を連れて帰郷したからその目論見は脆くも崩れ去ったらしい。ご愁傷様。
 それにしても、そこに愛も恋もないのに結婚や子作りなんて僕にはやっぱり理解出来ないし、したくない。こんな歪に歪んだ人間関係、関わりたくないなって心底思う。
 レイシア姫も豪胆だし、僕の父親もその条件を飲んだんだから結局僕の母との関係性もその程度のものだったのかな……って、そんな風に思っているよ。
 おっと、ずいぶん話が逸れた、今はツキノの話だよ。今日のツキノはレイシア姫の侍女として姫と共にこの会場に来るはずだったのに、そんな彼の姿が何故か見えない。
 さっきから外の天気は大荒れだし、なんだか嫌な気分になるのは気のせいかな? 窓の外からは叩きつけるような雨音、そして雷の光はまるで昼間のように廊下を照らす。

「ん~と、こっち!」

 まるで犬みたいだけど瞳を閉じて彼の匂いを辿る。フェロモンの匂いを嗅ぎ分けるのは得意ではないけれど、番になったツキノの匂いは僕にとってより鮮明だ。なんだか結びつきが強くなったみたいで嬉しいね。
 ツキノが姫と一緒に車から降りて来る所は見ていたから、この建物の中にいるのは間違いない。僕は集中してツキノの匂いを追う。
 それにしても雷がやばい、地響きを伴う雷鳴はたぶん相当近くで鳴っている。落ちなければいいけれど……なんて思っていたら、またひとつ大きく雷が鳴った。

「うっわ、今の絶対落ちた……」

 どこかで誰かの悲鳴のような声が微かに聞こえた。この嵐じゃ怖がるのも無理はない。僕はオメガとしては可愛げがないかもしれないけど、この育ってしまった僕の体では可愛く怖がっても可愛くないから怖がれない。
 雷はそう好きじゃない、泣き出すほど怖い訳ではないけれど、それでも少し不安になった。早くツキノに抱き付きたい、そしたら安心できるのに。

「ツキノ~どこ~?」
「っぐ……カイ……」
「ん……?」

 今、確かにどこかから声が聞こえた。

「ツキノ~?」

 がちゃん! と何かが倒れる音、続いて人が争うような物音が続く。なに? 僕は音のする方へと駆け出した。

「ツキノ! ねぇ、何処!?」

 僕の呼び声に少し先の部屋の扉がばたん! と派手な音を立てて開いた。そこには、相変わらず身動き取り難そうなドレスを纏ったツキノが着乱れた様子で部屋から飛び出してきた。

「ツキノ!」
「来んな、カイト!」
「なんで!?」

 ツキノがその動き難そうな靴を脱ぎ捨て、帽子も投げやってこちらへと駆けて来る。

「やられた! 姫は!?」
「もう広間の方にいるよ」

 ツキノは小さく舌打ちを打つと僕の腕を掴んで僕の辿った道を戻るようにして駆け出した。

「ねぇ、ちょっとツキノどうしたの!? 何かあったの!?」
「裏切られた! お前の父親の身が危ない!」

 裏切られたって一体誰に? なんて一瞬呑気な事を考えたけど、状況的にはレイシア姫にだよね? だけど、どうして……?

「くそっ、待て!」

 ツキノのいた部屋の中から男が一人追いかけてくる。その男は無闇にアルファのフェロモンを撒き散らしこちらを威嚇してくるのだが、ツキノはそれを跳ねのけた。

「あれ……」
「グライズ公爵だよ。俺はどうやらあいつに売られたらしい、だが買われてやる気はないし、そもそも俺を売り買いしようとはいい度胸だ!」
「でも、なんで……?」
「それが分かれば苦労はしない!」

 確かにそれはツキノの言う通りだ。僕は追いかけて来る男をちらりと見やった。この国の癌、この国を滅ぼそうと企んでいる人物の中では一番の悪党であると思っていたのだが、こうして見るとただの子悪党に見える。
 確かに地位も身分もある男なのは間違いがないのだろう、その力である程度この国の中枢を操る事も出来たのかもしれないが、それにしても初めてまともに見たグライズ公爵からは思っていたほどの畏怖を感じない。
 それよりも、何故か向かう前方から何者かの気配を感じる。僕はバース性のフェロモンを感知する力に疎い。けれど、そんなモノは関係ない、と言わんばかりの威圧を何故か道の先から感じるのだ。

「ツキノ……」
「あぁ、分かってる。これ、誰かいるな……俺達の知らない誰か。それこそこの国で一番の黒幕か……グライズ公爵じゃなかったのか、くそ……」

 何かが起ころうとしている。近寄ってはいけない、と僕の中の危険信号が鳴り響いている。
 僕達のいた控え室の方の廊下側から真っ直ぐに、突き当たりは大広間に続く一番大きな廊下。またしても雷鳴が鳴り響く、窓のガラスが振動で揺れた。
 大きな黒い人影が雷の光に照らされて映っては消え、消えては映り、少しずつこちらへと近付いてくる。僕達はその大広間へと続く廊下へ飛び出して、その黒い影を作り出す人物に目を凝らした。
 薄暗い廊下、それが誰だか分からない、けれど……その男はゆっくりこちらへと歩いて来る。

「ねぇ、ツキノ……」

 逃げなきゃ、今すぐに。僕達は男を見やり、大広間の方へと後ずさる。そこへ、ツキノを追ってきたグライズ公爵が僕達と男の間に飛び出してきた。

「なんだ君は、そんなずぶ濡れで! ここは君のような者が来るような場所ではない、出口は向こうだ、さっさと……」
「失礼ですが、お名前は?」
「あ? この国で一番名の売れた公爵である私の顔を知らぬのか? それこそ、そんな……」
「公爵……」

 その男は「だったらお前に用はない」と、彼を無視して歩き出したのだが、それが気に入らないグライズ公爵はその男の腕を掴んだ。
 僕にだって分かるのに、この人ホントに馬鹿なのか? その男は関わってはいけない人物、できれば自分からは関わらないに越した事がない。そいつはそれくらいの殺気を放っているのにグライズ公爵はその男を胡乱な瞳で見やるのだ。

「そんな物騒なフェロモンを纏って貴殿は一体何処に向かうつもりだ?」
「貴方には関係ない。命が惜しかったら、この場を去ることです」
「現在ここには我が国の重鎮が集まっている、そういう訳にはいかないな。一体警備の者は何をしている、誰か! 誰かおらんのか!」

 グライズ公爵がまともに見える。それくらいその男の纏う空気は異質で、この場にそぐわない。けれど男はそんなグライズ公爵を一睨みして、その胸倉を掴みあげた。

「大人しく逃げていれば、命拾いできたものを……」
「な……お前、こんな事をして、ただで済むと……ぐっ」
「警備の者はもういない、今頃仲間が全員始末済みだ」

 雷鳴が鳴り止まない、雷の閃光に男の顔が浮かび上がった。その閃光は一瞬で、だけど僕はその横顔に見覚えがある。それはたぶんツキノも同じ、瞳を見開き「ユリ……」と、一言言葉を発し、そのまま何も出てこなかったのだろう、絶句したまま動かない。

「う……そ、だろ……?」

 ツキノの僕を掴む腕の力が強くなる。ツキノの動揺が僕にも伝わってくる、だって僕だって同じなのだ。
 兄さんのフェロモン量が他人とは違う事を知っている、その過剰なフェロモンで他者を圧する事が出来る事も知っている。けれど、何故? 何故、今、彼はここに現れた? しかもその発する圧力は禍々しいほどに恐怖を撒き散らす。

「ユリ! 止めろ!!」

 ツキノの叫びに、公爵の襟首は離さずに男がゆるりとこちらを見やった。その瞳はどこまでも無表情に僕達を見やる。

「あの時と同じだ……」

 ツキノの呟き、あの時って? ユリウス兄さんにそっくりなその男は公爵を何の手加減も無しに壁に叩きつけ、こちらへと静かに向き直る。公爵は呻いて壁からずるりと崩れ落ちた。
 まるでスローモーションのようにひとつひとつが鮮明だが、それは本当にほんの一瞬の出来事だった。
 男は少し首を傾げるようにして「君達は……誰?」と、そう言った。

「兄さん! 僕達の事、分からないの!?」

 思わず叫んだ僕の言葉に「兄さん……?」と、やはり彼は首を傾げた。それは僕達を忘れてしまったグノーさんと同じ、どこにも邪気など見られない、本気で僕達が分からないという表情だ。

「兄さん、僕だよ! カイトだよ!! こっちは、こんな格好だけど、ツキノだよ! 見れば分かるだろう!?」
「カイト……ツキ・ノ……?」

 ユリウス兄さんが眉間に皺を刻む。その表情はどこか苦しげで、兄さんが何故そんな表情を僕達に向けるのかが分からない僕は、兄さんの方へと足を向けようとしてツキノに引き止められた。

「様子がおかしい、近付かない方がいい。俺は国境でユリを見たと言っただろう? あの時もユリはどこかおかしかった、その時とユリは変わっていない」
「でも、どう見たってあれはユリウス兄さんだよ!」
「カイトは……ランティスの、ツキノは、メリアの……」

 兄さんが何事か呟きながらふらりとこちらへ歩いて来た。その手に剣を持って、彼はふらりふらりとこちらへと歩いて来る。

「ねぇ、ツキノ、こっち来るよ! どうする!? どうすればいい!?」

 ツキノが兄さんと大広間への扉を見やって逡巡する。向こうには大勢の客人がいるはずだ。その招待客はこの国である程度地位のある人間ばかり、そんな場所にこんな状態の兄さんを向かわせてはいけないと、たぶんツキノはそう思っているのだろう。

「ツキノ、と……カイトは……標的」
「兄さん! ねぇ、ホントどうしちゃったの!? 目を覚ましてよ!!」

 ツキノが僕を背に庇うようにしてじりじりと下がる。それくらいに強烈な威圧を感じるのだ。背筋に冷や汗が浮かぶ、逆らってはいけないと本能が叫ぶ、けれどその叫びに抗わなければ、たぶん僕達は……

「この、下郎がっ! この私に働いた狼藉、許しがたい!!」

 壁に叩きつけられたグライズ公爵が命知らずにも兄さんに食って掛かった。兄さんは冷たい瞳で公爵を一瞥すると、なんの感情も籠らない瞳で剣を一閃振り払った。
 そこには躊躇も何もなく、まるで纏わりつく蝿を追い払うが如く感情の微塵も動かぬ瞳で彼は公爵を切り捨てたのだ。血飛沫が上がる。ツキノの顔色が目に見えて青褪めた。
 それはツキノのトラウマを刺激したのだろ、彼の体が俄かに震えだした。

「ツキノ……」
「っ……大丈夫、大丈夫だ……」

 僕の腕を掴む手が痛いほどにきつくなる。ツキノは僕を守ろうとしてくれている。だけどね、僕、庇われて守られるだけのか弱いオメガじゃないんだよ。僕はツキノの僕の腕を掴む手を撫で、その強張った指を外して指を絡ませた。どこかから悲鳴が聞こえる。それは何処から?
 大広間の扉が大きく開いた。広間から差し込む光が薄暗かった廊下を照らす。広間で何事かあったのだろうか? 幾人かが逃げ出すようにこちらへ駆けてきて、僕達の前で立ち竦んだ。
 それもそうだろう、目の前の廊下には返り血を浴びた異様な風体の男がびしょ濡れの姿でゆらりとこちらへと歩いてくるのだ。まるで化け物に遭遇したような気持ちになっても不思議ではない。

「なんだ! 何が起こっている!? こいつは一体……!」

 ユリウス兄さんが、兄さんらしくもなく「ちっ」と苛立ったように舌打ちを打った。

「セイさん、標的は!」
「そいつらに構うな、標的はそこの2人と、残りは大広間だ」

 どこからか声が聞こえた。その声にも名前にも聞き覚えがある。兄さんに呼ばれた人の名前、それは黒の騎士団のうちの一人。だけど何故だ? 何故ここに黒の騎士団が? そして何故僕達をまるで敵であるかのように扱うのか。
 僕はツキノの手を引いて大広間の方へと駆け出した。廊下は薄暗く、兄さんの表情も見え難い、そんな彼の行動が本心であるのかそうでないのか僕達には分からない。
 広間の明かりが目に眩しい。招待客の女性の何人かが窓の外を見やって泣き崩れている。一体窓の外で何が起こっている?

「ツキノ! カイト! 大変だ、メルクードの街が燃えている!!」

 大広間に飛び込んだ僕達にかかったロディの声。街が……燃えているだって? こんな大雨なのに? 雷が落ちたにしたって、そんな馬鹿な話はない。それに今、僕達はそれ所ではないのだ。

「ロディ、逃げろ!」
「は!?」

 僕はツキノと繋いだ手と反対の手でロディの腕を掴む。

「ちょ……! わ、わっ!! なんだよっ!?」

 異様なまでの威圧感が後ろから迫ってくる。最初は驚いていたロディだったのだが、すぐにそれに気が付いたのだろう「あれは誰だ!?」と、声を上げた。

「あれ、ユリウス兄さんだよ!」
「はあ!? だったら俺達なんで逃げてるんだ!? あの人、敵じゃないだろう!?」
「そう思いたい所だが、さっきからあいつは俺達を追ってやって来る。この殺気、尋常じゃない。何でか分からないが俺達はユリに敵認定されているみたいだ!」
「はぁ!? でも、俺は関係ないだろう! 兄弟喧嘩ならお前達だけでやってくれよ! そんなもんに俺を巻き込むなっっ!!」
「兄弟喧嘩とか、そんな生易しいもんだと思えるなら、お前の感覚は犬以下だっ!」

 僕達の逃げ進む道、波を割ったように人が割れていく。それは全て背後に迫るユリウス兄さんの威圧が人々をそうさせるのだ。

「おい、待て! おい! お前、ユリウス!! 今まで何処に行っていた!」

 そんな異様な空気を纏った兄さんを止めたのは、兄さんの親友を自負するイグサルさん。僕達の護衛を兼ねて今日も壁に張り付いていたのだけど異常を察して駆け寄ってくる。
 兄さんは行く手を遮られた事に苛立った様子でイグサルさんを睨みつけた。兄さんの、そんな表情を今まで見た事がない。
 いつでも誰にでも愛想のいい兄さんは、笑顔を絶やす事のない温和な人なのだ。けれど、今、この明るい大広間の灯りの下で見る彼の表情はどこか病んででもいるかのように仄暗い。

「あなたは誰ですか?」
「は? ふざけんな、ユリウス! 俺だよ、イグサル・トールマンだ! ずっと今まで俺とお前とミヅキの3人でチームを組んでやってきただろ!? 忘れたなんて言わせないぞ!」
「イグサル……トールマン…………」

 兄さんの表情が微かに歪む。それは何か痛みに耐えているかのような表情で、放たれていた威圧が微かに弛んだ。

「そうだ、ユリウス。分かったら、その無闇に垂れ流しているフェロモンを引っ込めろ。俺にまでそれが伝わってくるなんて相当だぞ……お前、自分が何をしているか分かっているのか!?」
「イグサル……私は……」
「話しはちゃんと聞いてやる、俺とお前の仲じゃないか、隠し事なんて無しにしてくれよ」
「仲間は、もう……誰もいないと……」
「あ? 誰にそんな事を吹き込まれた? 誰一人欠けちゃいないぞ、しいて言うならお前が一人、何処かに行方をくらましたんだ。みんな、お前の事を探していたんだぞ!」
「何が……どうして……」

 兄さんの混乱が伝わってくる。兄さんは何故誰も仲間がいないと思い込んだんだ? そういえば僕達の顔を見ても僕達が誰だかも分からない風だった。これは一体どうして……?

「ユリウス! そいつは敵だ! 騙されるな!!」
「セイさん……」

 現れたのは黒髪の男。その顔に見覚えがある。先程兄さんに指示を飛ばしていた黒の騎士団の人だ。

「ああ! お前、あの時の!! よくも俺にデタラメな道教えやがったな! お陰でここまで戻ってくるの、えらく大変だったんだからな!!」

 僕の傍らでツキノが怒鳴る。ツキノは人攫いのアジトからここメルクードに戻って来る時、その場にいた黒の騎士団の許可を取り、あまつさえ向こうへ向かえとご丁寧に馬まで与えられメリアへと向かわされたのだとそう言った。
 けれど、黒の騎士団の人達は誰もメリアから自力で戻ってきたツキノの言う事を信じなかった。
 ツキノがその事実を黒の騎士団の人達に伝えると「そんな事があるはずない。お前に付いていた仲間は、お前は俺達の目すら盗んで逃げ出したと聞いている」と、全く取り合ってくれなかったのだ。

「これはどういう事だ! お前、ユリに何をした!!」

 ツキノの言葉にその男は無表情で「俺は何もしていない」と、そう言った。

「そんな訳あるか! そこの男はユリの仲間で親友だ、それを敵だと言う、お前は一体ユリの何なんだ! 仲間は誰もいないってどういう事だよ! お前達、黒の騎士団は俺達の敵に回ったって事か!? だとしたらその理由は一体なんだ!」
「お前達が、王族の人間だからだ」
「…………はぁ!?」

 そいつの言っている言葉の意味が分からない。確かに僕達は王族の血を引いている。だけど僕もツキノも今までそんな風に王族風を吹かせた事すらないはずだ。だってそもそも僕もツキノも王族として生きてきていない、そんな事を言われてもまさに寝耳に水だ。
 僕達を遠巻きに囲むように、人々がこちらを見ている。そんな外輪の中にいた僕の父親が最悪に機嫌の悪そうな表情で、その輪を抜けてこちらへとやって来た。

「これは一体どういう事だ? こんな席に不躾にも程がある。お前達は何者で、ここに一体何をしに来た? この夜会は……っつ」

 僕の父親はいつも通り、全く空気を読まずに言い募ろうとして黒の騎士団の男に刃物を突きつけられた。

「お前の話を聞く気はない、何故なら、お前は今ここで死ぬからだ」
「あ!? これはどういう事だ、デルクマンの息子! 警備の人間は何処に行った!? ふざけるにしても性質たちが悪……」

 黒髪の男の腕が父の首へと回る。そして反対の手には刃物を握り、それを首元に宛がった。

「お前を殺そうとしている人間を目の前にして呑気な事だな、どれだけ甘やかされて育ったか目に見えるようだ」
「なっ! 放せ!!」

 男の腕に捕らえられた父は暴れて、その刃物が父の体を傷付ける。その刃物はフェイクでも何でもなく、彼等が本気で王子の殺害を狙った者なのだとようやく周りも気が付いた。けれど、警備の人間は誰一人としてやっては来ない。

「暴れるな、痛みが長引くだけだぞ」
「ふざけんなっ! 黙って大人しく殺されてやるほど、俺は軟弱ではない!」

 揉み合う2人、一番近くにいたイグサルさんが王子の加勢に入る。兄さんはそんな騒動の傍らで、何故かぼんやりと人事のように佇んでいた。

「ユリウス兄さん!」

 僕の呼び声に彼はゆっくり顔を上げる。その瞳に光は見えず、どこまでも虚ろなその瞳にぞっとした。

「私は……兄などではない」
「そうだ、ユリウス。そいつ等は敵だ! 躊躇するな!」

 兄さんの体からまたゆらりとフェロモンが立ち上る、それと同時に何故かまた外の雨足が激しくなり雷鳴が轟いた。

「お前達は……敵だ……」
「ユリ! お前、どうしちまったんだよ! お前はそんな風に簡単に人を傷付けようとするような奴じゃなかっただろう!!」
「私には守るべきものがある。それを、私は守らなければ……」
「ユリの守るべきものって何だよ! お前がした事で悲しんでる奴が何人もいる! ノエルだってお前を探してメリアに向かったんだぞ!!」
「……ノエ…ル……?」

 ノエルの名に反応して、兄さんの気持ちが微かに揺れた。

「誰だ? ノエル……」
「誰ってどういう事だよ! ノエルはお前の恋人だろ!!」
「違う、私の番はミーア、ただ一人……」
「ユリウス! そいつの話しはデタラメだ! 聞く必要はない!! お前は村に残る彼女とその子の事だけ考えていればいい!」

 彼女? ミーア? 知らない名だ。それに子供……?

「そうだ、私はミーアと我が子を守らなければ!」

 兄さんが抜き身の剣をこちらへと向けた。いっそう威圧の気が高まって、それに恐れをなした者達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

「私は我が子の為に、この世界を作り変える!」
「ふざけんなっ!」
「ふざけてなどいない。私達はこの醜い世界を正すのだ、誰にも支配されない世界を、この手に……」
「ユリウス、それはうちの親父の思想と同じだろう?」

 ふいにかけられた声、逃げ出した人々の波に逆らうようにしてやって来たのは黒髪の貴公子だった。話した事はないけれど遠目に何度か見かけた事がある、彼はファルスのジャン王子。

「お前達親子はその為に今まで身を粉にしてこの大陸中に働きかけてきただろう? 今、お前のやろうとしている事は、そんなお前達自身の働きを全て水泡に帰すような事だと何故分からない?」
「お前達のやっている事は全て己の保身だけで、真に私達の事を考えたものではないだろう?」
「己の保身? 聞き捨てならないな、いつ私達が自分達の保身を考えたと言うんだ? 親父はあの歳になってもイリヤに留まらず各地を回って国の安寧を……」
「けれど、差別はなくならない。むしろファルスでは赤髪差別も黒髪差別も酷くなる一方だ!」
「それは、我が国だけでどうこう出来る問題ではない部分があってだな……」

 兄さんが今度はジャン王子に剣を向けた。振り払われた剣、ジャン王子はその剣を剣で受ける。

「国があるから差別が生まれる、そんなものは全て取り払ってしまえばいい。その為には王家など無用なのですよ」
「暴論だな……その為に私達を殺しに来たのか、ユリウス!」
「もう、話し合いの余地はない」

 兄さんとジャン王子、その向こう側では黒い男と僕の父親、そしてイグサルさんが戦っている。僕達はどこに加勢すればいいのか誰の言う事を信じればいいのか分からない。けれど、今この場で明らかな不審者はユリウス兄さんと黒い男で間違いないのだ。

「ツキノ……」

 僕はツキノと繋いだ手を強く握った。
 相変わらず警備の人間はやって来ない。そして、不自然な事に僕達に付いているはずの他の黒の騎士団の人間もやって来ない。黒の騎士団はそれを望んでいるのか? それとも、今もただ傍観しているのか? 彼等の仕事の基本は諜報業務だと彼等は常々言っていた。
 けれど、こんな事になって、自分達の仲間が表舞台に立ち、こんな暴挙に及んでも止める事すらしないのか!?

「カイト、行くぞ」
「おい、お前等、行くって……」
「ユリを止められる人間なんて、この場にいるのは俺達くらいのものだろうが!」

 ツキノの言葉に僕も頷き、僕達はロディを置き去りにして、その争いの輪の中に飛び込んだ。

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