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第四章  阿羅国

夢の中の愛しい方  ユーチェン視点

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※アラト(阿羅彦)の最初の子を産んだユーチェンの心の中を描きます。
 





 美しい絹織物のいくつかを広げ、そして王の装束に使うものを選び出していく。
今年の絹織物の出来はことのほか良い。
これならば、紗国やその他の国のどこへ持って行っても高い値で売れるだろう。
養蚕から織物まで一手に任されている私には、ほっとする瞬間だ。

ふと鳥のさえずりが聞こえ、窓を見る。
季節は春、冬が長いこの地には本当に待ち遠しかった陽ざしだ、温かく、心までが安らぐ。

「おかあさま」

振り向くと、戸を半分開けて息子がぽつんと一人で立ってこちらを覗き見ていた。

「まあ、由利彦、一人なの?」

息子は私の問いかけにニコリと笑って恥ずかしそうに頷き、トトトと駆けてきた。
両手で迎え、膝の上に乗せる。
もうすぐ5歳になるというのにいつまでも甘えん坊で心配になるが、かわいくてたまらない。
我が子とはこれほどまでに愛おしいのかと。

「何をしていたの?」
「お父様のお召し物の準備ですよ」
「きれいですね」

由利彦はキラキラとした瞳で反物を眺めた。

その様子を見ていて思う。
この子はこの地の王の一番目の子、つまり……普通に考えれば跡継ぎとなるのだろう。
だが、本当に務まるのだろうかと。

私自身は一貴族の娘にすぎない。

父は文官として城勤めをする人だった。
王家に呼ばれ祝宴に出席することはあっても、身内から王家に嫁いだものもおらず、貴族としては末端といえる。
それに、身分の低い母が隠れて産んだ私は軽視されて、それほど高度な学びも得ていない。

この子をどう育てて行けばいいのかと、そればかりが不安だった。

「おかあさま、おとうさまとのお食事はいつですか?」
「そうね、今週はお忙しいのではないかしら」

そう言って安心させるように微笑みかけた。
そしてギュッと抱きしめて背中をぽんぽんと叩く。
体重のすべてを預けて私の胸にすがる息子からは、まだ赤子のような匂いがする。

「さみしいです」
「そうね、でも、あなたは他の弟や妹たちの見本にならねばなりませんよ、母にはこうして甘えても……ね」
「……はい」

黒く艶のあるまっすぐな髪をそっと撫でて、そして頬を寄せた。

「今、阿羅彦様はね、アオアイに行く準備でお忙しいの。それはわかっているでしょう?あなたも」
「はい、国として認めてもらえるよう、色々と準備を……」
「そうね。由利彦、あなたはまだ幼くとも、それに無関心でいてはだめだわ、いずれあなたの国になるのだから」
「ん……」

その時、するりと戸が開き使用人が入ってきた。

「王子様はおやすみですか?」
「いえ、寝ているわけではないの。少しね、お話をしていただけよ」
「そうですか、では、王子様をわたくしに」
「何かあって?」
「はい、王様がユーチェン様をお呼びです」
「そう」

私は胸の中の子をそっと渡すと、その他の使用人に私の書きつけ通りに布の準備をし、仕立てに出すよう指示をしてから、鏡に向かった。

鏡台の布をめくり、座った私の姿は日に焼けて健康そうに見えた。
ずっと家の中に押し込められて、誰にも会わずに過ごしていたあの実家での日々はもう、過ぎたこと、いつまでも胸において過去の苦しみに囚われている私ではいけない。

幼いころから夢に時折現れては、私の手を取って笑顔を見せてくれた黒髪の美しい方。
寂しい生活の中、あの夢だけが私の支えであった。
そして、私を本当にここに連れて来てくれて、子を授けてくれた。

だが、愛は得られない。

それを悟ったのは、はじめてこの地に来たその直後だった。
阿羅彦様の横に立つ人がいた。
白い髪で赤い目の蛇族のあの優しい人は、深く愛されていた。
長い間、悲しみも喜びもずっと共有してきた二人、その間に入れるわけはなかった。

では、私は?

そう思ってふと微笑んだ。

「ユーチェン様?」

私の髪を整えていた侍女が不思議そうに尋ねてきた。

「なんでもありませんよ、さあ、髪はそれくらいで良いでしょう、お待たせしてはいけないわ、宮殿にまいりましょう」

立ち上がった私の姿は、凛々しい母の姿。
そう、私は母だ、それを誇って生きる、全ては由利彦のために。





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ユーチェンは紗国出身の狐族の女性です。
紗国は私の作品『狐の国のお嫁様 ~紗国の愛の物語~』で舞台になった国です。
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