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第四章 阿羅国
建国記
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秋のある日、早めの昼を食べて、いつものように窓の外を見た。
美しい草原はどこまでも続き、秋の草花も咲いている。
ジル……君もきっと喜んでいるね。
何より、草花が好きだったから。
細く白い美しい指で、花を摘んで、そっと花の香りを楽しんで静かに笑って。
僕の胸の中で生きるジルは微笑んでいるよね。
その時ふと、視界のはるか彼方から何かの異変を感じた。
小さな震えのようなもの。
空気の流れが急に逆巻いたような、違和感のあるものだった。
「……」
俺は無言でその方向をじっと見た。
そして胸の中のもやもやを晴らすように記憶を呼び起こす。
そうだ……いつだったか、時間の流れがわからない俺には正確には言えないが、前にもこの震えのようなものを感じたことがあったはず。
あの時は、まだイバンも若かった。
100年ほど前になるかもしれない。
「アラト?」
振り向くと、報告書を持ったクレイダが立っていた。
「何を見ていた? 様子がおかしかったが」
「ああ、クレイダか……」
「驚かせた? めずらしいね、人を感知しないなんて」
クレイダは心配そうにそう言った。
「うん……向こうなんだが」
「むこう?」
「ああ、遥か向こうだ、この国のことでも、おそらく龍の統べる森のことでもなく、もっと向こうだ」
「え? 急になんだ? その遠くがどうかしたのか?」
「その、遠くから、ある震えを感じたのだ」
「震え?」
鳩が豆鉄砲を食ったようとは良く言ったもので、クレイダは目を真ん丸にして口をポカンと開けて俺を凝視した。
「ああ、空間の震えのようなものかもしれない、なんだろうこの違和感は……背筋がぞっとするような……何か……何かがおかしい……」
「敵か? なにかが襲ってくるような予感なのか?」
「いや、そうではないと思うが……その……なんと表現したらいいのか、わからないんだ、思い出したんだが、実は前にもこの感覚を感じたことがあったんだよ」
「前にも……いつぐらいだ?」
「まだイバンも若かったと思うんだが、正確にはわからない」
「……なんていうか、アラトの時を感じないその能力?ってのは、良し悪しだよなあ」
「俺もそう思うよ」
クレイダの率直な意見に思わず苦笑して窓から離れた、そして使用人にお茶をいれさせる。
かつて日本にいたころ、茶園を営む祖父が直々に教えてくれた『一番おいしい入れ方』を、俺はこの国に広めた。
皆、上手にお茶をいれてくれる。
「どうだろう、日記のようなものを書いてみては?」
「日記?」
座った俺は思わず仰け反った。
「だが……そういうのは……んーなんだか苦手な気がするぞ」
「何も個人的なあれこれを書くのではなくて、国の成り立ちを綴るのだと思えば、どうだ?」
「ふむ」
「この国の歴史を覚書として書いていくのでもいい。そうすれば、どれくらい日が経ったのか一目瞭然だろう」
「なるほどな」
クレイダは、報告書を差し出して、それを開いて指さした。
「これも、かなり厚さがあるだろう? 家畜の放牧のあれこれを書き記しているんだよ、昨年の今頃は何をしていたか、何が起こったか。読み返してみるといろいろと勉強になるんだぞ、それにアタシがいなくてもこれを見れば今なにをすべきかわかるわけだ」
「なるほど……それはいいかもしれないな」
クレイダは満面の笑みで手を叩いた。
「ならば、早速だ、今からだ!」
「ええ……何から書こう……」
「それはもちろん、アラトがここに来たところからだよ」
後の世に、阿羅国の『建国記』として残ることになったものは、こうして誕生した。
この時の俺はまだ知る由もないが、その建国記はやがて紗国に渡り研究されることとなる。
美しい草原はどこまでも続き、秋の草花も咲いている。
ジル……君もきっと喜んでいるね。
何より、草花が好きだったから。
細く白い美しい指で、花を摘んで、そっと花の香りを楽しんで静かに笑って。
僕の胸の中で生きるジルは微笑んでいるよね。
その時ふと、視界のはるか彼方から何かの異変を感じた。
小さな震えのようなもの。
空気の流れが急に逆巻いたような、違和感のあるものだった。
「……」
俺は無言でその方向をじっと見た。
そして胸の中のもやもやを晴らすように記憶を呼び起こす。
そうだ……いつだったか、時間の流れがわからない俺には正確には言えないが、前にもこの震えのようなものを感じたことがあったはず。
あの時は、まだイバンも若かった。
100年ほど前になるかもしれない。
「アラト?」
振り向くと、報告書を持ったクレイダが立っていた。
「何を見ていた? 様子がおかしかったが」
「ああ、クレイダか……」
「驚かせた? めずらしいね、人を感知しないなんて」
クレイダは心配そうにそう言った。
「うん……向こうなんだが」
「むこう?」
「ああ、遥か向こうだ、この国のことでも、おそらく龍の統べる森のことでもなく、もっと向こうだ」
「え? 急になんだ? その遠くがどうかしたのか?」
「その、遠くから、ある震えを感じたのだ」
「震え?」
鳩が豆鉄砲を食ったようとは良く言ったもので、クレイダは目を真ん丸にして口をポカンと開けて俺を凝視した。
「ああ、空間の震えのようなものかもしれない、なんだろうこの違和感は……背筋がぞっとするような……何か……何かがおかしい……」
「敵か? なにかが襲ってくるような予感なのか?」
「いや、そうではないと思うが……その……なんと表現したらいいのか、わからないんだ、思い出したんだが、実は前にもこの感覚を感じたことがあったんだよ」
「前にも……いつぐらいだ?」
「まだイバンも若かったと思うんだが、正確にはわからない」
「……なんていうか、アラトの時を感じないその能力?ってのは、良し悪しだよなあ」
「俺もそう思うよ」
クレイダの率直な意見に思わず苦笑して窓から離れた、そして使用人にお茶をいれさせる。
かつて日本にいたころ、茶園を営む祖父が直々に教えてくれた『一番おいしい入れ方』を、俺はこの国に広めた。
皆、上手にお茶をいれてくれる。
「どうだろう、日記のようなものを書いてみては?」
「日記?」
座った俺は思わず仰け反った。
「だが……そういうのは……んーなんだか苦手な気がするぞ」
「何も個人的なあれこれを書くのではなくて、国の成り立ちを綴るのだと思えば、どうだ?」
「ふむ」
「この国の歴史を覚書として書いていくのでもいい。そうすれば、どれくらい日が経ったのか一目瞭然だろう」
「なるほどな」
クレイダは、報告書を差し出して、それを開いて指さした。
「これも、かなり厚さがあるだろう? 家畜の放牧のあれこれを書き記しているんだよ、昨年の今頃は何をしていたか、何が起こったか。読み返してみるといろいろと勉強になるんだぞ、それにアタシがいなくてもこれを見れば今なにをすべきかわかるわけだ」
「なるほど……それはいいかもしれないな」
クレイダは満面の笑みで手を叩いた。
「ならば、早速だ、今からだ!」
「ええ……何から書こう……」
「それはもちろん、アラトがここに来たところからだよ」
後の世に、阿羅国の『建国記』として残ることになったものは、こうして誕生した。
この時の俺はまだ知る由もないが、その建国記はやがて紗国に渡り研究されることとなる。
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