狐の国のお嫁様 ~紗国の愛の物語~

真白 桐羽

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沫雪-あわゆき-2

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顔は見えないけど声だけがする。
そんな状況で何も知らない翠は怖がるかと思ったが、意外にもスタスタとベッドに近寄り、つま先立ちになってベッドを覗き込んで、小さな手を差し出した。

「……ふふ……かわいい子だね……薫はこんなかわいい子の親なんだね……翠、薫をたのんだよ。薫を……まもってあげてね……それから薫、本当に色々とありがとう、君がこの先ずっと幸せでいてくれるように……僕も天から見守るから……ね」
「ハリル様」

僕もそっと近寄って翠の後に立つと、翠の手は力なく動かないハリル様の左手をさすっていた。

「これで僕も、ようやく……この世界から解放されるわけ?……もうちょっと早くても良かったと……思わない?」

力なく笑ったハリル様の目に薄っすらと涙が浮かんだ。
僕もハリル様を見つめながら一筋涙が流れるのを感じた。

「ねえ薫……僕があの世に行ったらさ、誰が迎えてくれるんだろ」
「それは……」

僕はうまく答えられない。

汀紗ていしゃ様……なんてね。先に逝っちゃってるんだから、今度ぐらいは……ちゃんと……遅れないで来て……くれるかな」

ハッとしてハリル様を見つめると、彼は力を振り絞るようにして、棚を指差した。

「そこの棚から汀紗様の絵姿取って……きて」

僕は慌てて棚に近寄り、小さな絵姿を見つけると、それを持ちベッドに寄った。
そしてそれを見えるように差し出した。

汀紗様……それは先代の紗国王で、蘭紗様のお父様だ。
絵姿は写実的に描かれていて、ほとんど写真と変わらない。
銀色の真っ直ぐな髪を腰の長さで切りそろえてあり、厳しい銀色の瞳はこちらをじっと見据えるようで、絵でありながら見つめているとこちらが観察されているように感じてしまう。

まだ若い頃の先代のようで、20代の若者のように見える。
色は蘭紗様に似ているのに、まるで似ていないこの先代の姿を僕は初めて見た。

「絵姿を……見て……なんてすてきな人だろうって……会ってみたかった……だからね僕……できたら、王墓にね……行きたかったんだ……ほんとはね」
「王墓に……」
「この人も、この人だって……きっと僕のこと、待っていて……くれたんだろうなって」
「それはそうですよ。お待ちになっていらしたんです」
「会って……みたかった……こんな素敵な人が……僕を待っていてくれているのなら……会いたかった」

僕は涙が抑えられずに震える手で絵姿を持つのが精一杯だったけど……もう片方の手で、彼の手をにぎる翠の上から自分の手も重ねた。

「お会いできますでしょう……きっと……今度こそ」
「そう……だね……なら……こわくない……よね」

絵姿をじっと見つめたまま、薄く笑ってハリル様はスッと目を閉じられた。
シンとなった部屋に「クルゥ」という悲しげなクーちゃんの鳴き声が響き、僕はハリル様が逝ってしまわれたことを感じた。

「ん……ハリル様……うぅ」

僕が泣き崩れると翠が僕の背中をさすってくれた。
小さな温かい手が僕を必死に慰めてくれた。
肩に乗るクーちゃんはやわらかな羽で僕の頬をさするようにしてくれた。

止めどもなく溢れてくる涙は暖かくて……ああ僕は生きている。
そう感じさせてくれた。
こんな風に儚く逝ってしまわれたハリル様のことを思うと、どうして僕だけがこんなにも恵まれているのかと……そうも思ってしまう。
でも違うのだ。
「僕なんて……」などと卑下してはいけない……僕を愛してくれる人に感謝して生きていくこと。
それがハリル様の残してくれた言葉への答えにもなるのだから。

僕はよろよろと次の間につながる襖を開けて、心配そうに立っていた3人にハリル様が逝ってしまわれたことを告げた。
喜紗さんは静かに涙を流して、僑先生はスッと部屋に入りハリル様の状態を見た。
蘭紗様は僕を抱きしめて、そして翠を抱き上げた。

「葬儀のことなど……」
「私がすべて取り仕切ります。先代のお嫁様でいらっしゃるのです、これぐらいはさせてくださいませ」

蘭紗様の言葉に、喜紗さんが絞り出すように言った。

「ああ、それでは任せよう」
「……ハリル様は……汀紗様がお迎えに来てくださるかもと、嬉しそうにおっしゃっていました」
「ええ!」

喜紗さんが驚愕に目を見開いた。

「ハリル様は……父をお許しになられたのか?」

蘭紗様も僕を覗き込む。

「はい、最期は絵姿をじっとご覧になって……素敵な人だとおっしゃって……お会いしてみたかったと、今度こそちゃんと迎えに来てくれるかな?って」

そこで僕は涙がこみ上げてきてもう話せなくなってしまった。
蘭紗様の着物が濡れるのも構わず顔を押さえつけてしまう。
優しく優しく髪を撫でてくれて、救われた気分になった。

ハリル様の人生を思うと、涙が止まらない。
だけど、この世界で彼のために涙を流す人はほんの少数だ。
ハリル様の最後の時をより良いものとするために、里に戻っていたところを呼び出された侍女達。
彼女達は悔しい気持ちと喪失感でいっぱいだろうと思う、そして静かに皆が一列に並び表情を変えずに立っていた。
王がいる前で泣いたりなどしないよう、厳しく律しているのだと聞いたことがある。

僕は彼女達に最後の思いを伝えさせてあげたくて、蘭紗様を促して家族で退室することにした。
蘭紗様は一度だけハリル様に近寄り、小さくお祈りの言葉を捧げ、綺麗な礼をした。

そして部屋を出た僕たち3人は何も言わず静かに歩いた。
僕の手を離さない翠と蘭紗様に囲まれて。

廊下はシンとして冷気が漂っていた。
立ち止まり紫の小花が咲く庭を見た。

相変わらず雪が降ってきていた、でもその花の上ですっと消えていく雪。
地面にも花にも葉にも触れることができないで消えてしまう雪を見て、思った。
あの方は、この雪のような人だったなと。
今頃きっと、ようやく会えた運命の人と手を取り合って笑顔になっているだろうと、そう思えた。

どうかハリル様……心安らかにお眠りください。

僕は2人の手のぬくもりを感じながらじっと空を眺め続けた。

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