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儚き命

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 森の中だ……季節は初夏、葉や花の良い匂いが漂う空気のきれいな森だ。
そしてそこには小さい池がある、その横に白い光に包まれた小さな狐がちょこんと座っている。

ここは……見覚えがある……これ、北海道のお祖父様の別荘の近くの森じゃない?

驚いて立ち上がった僕に狐が寄ってきた。
とても小さな狐で、まだ子供のように見える。

この子……もしかしてあの時の?

僕は深呼吸して落ち着こうと努力してから、中腰になって狐の顔を見た。

「薫……この場所を覚えているだろうか?そなたを迎えにいったのは我だ……あのときは力が発揮できずすまなかった」
「え?」
「我は子供のうちに天に召された紗国の王子・瀬里紗せりしゃと申す、そなたを迎えに使者として日本に遣わされたのだが、力が足りず、うまくいかなかった」
「でも……僕は紗国に到着できましたよ」
「そうだな……それはそなた自身の力だ、紗国がそなたの住むべき場所だから、運命に引き寄せられ元に戻っただけなのだ、だが、我が使者としてきちんと迎えていれば、もっと早くそなたは戻れた」

小さな狐はシュンとしてうなだれた。
僕は、別荘の庭でいつも寝ていた子狐さんが瀬里紗様だったと理解し、胸が熱くなった。

「お迎えに来てくださっていたのですね、ありがとうございます」
「礼を言われるようなことは、してないのだ」
「瀬里紗様、あの幼い僕が紗国に渡っていたとしても、できることは何もありませんでした。動かない体でも一生懸命生きていたからこそ、僕は色々と学ぶこともできて、そして今王妃としてやれているのです。僕には必要な時間だったのですよ」
「……そうか……だがそなたはお嫁様の中でも特に体が弱かった……あのままあの世界に置いておくのは危ないと感じていた」
「はい……確かに体の弱さには苦労はしましたけどね」

僕は小さな子狐にそっと手を伸ばし、失礼かな?と思いながら頬のあたりを撫でた。
くすぐったそうに首を傾げて微笑んだように見えた。

「お詫びに一度だけ、あちらにそなたの声を届けよう」
「え?」

僕は反応ができずに固まってしまった。
声を届ける?

「つまり……僕の気持ちを誰かに伝えられるということですか?日本の誰かに?」
「うむ……しかし血縁に限る。そなたの両親と妹になる」
「そうですか……そのうちの一人ですか……」
「いや、ちょうど今、そなたの家族は自宅で同じ様に正月を迎えている。3人揃っておるのだ。だからそこへ声を届けてやろう」
「……そう……ですか……なら……えっと……どうしよう、何を話そう!」

僕は急なことに頭がまわらない。

「今ここにいて元気にしていると、そう伝えたいと、そなた事あるごとに思っておったであろう?」
「はい、たしかに……そう思ってました」
「ならば、そう言えばいい。紗国で元気で暮らしていると」
「はい……そうですね」

僕は頷き、子狐に微笑んだ。

白い光に包まれ、気がつくと懐かしい日本の自宅のリビングルームが見えた。
そこにゆったりとした大きなソファーがあって、父が座っている。
僕もそのソファーに座って庭から差し込む日の光を浴びるのが好きだった。
母と妹は二人で紅茶をいれているようだ。

「えと……みんな、久しぶり」
「え?……!薫?薫なの?!」
「おにいちゃん!」
「お前……今までどこに……」

狼狽する3人は、きょろきょろとあたりを見渡している。
声しか聞こえないのかな……そうか……声を届けるとそうおっしゃていたからね。

何から話せばいいのかわからず、焦る僕。
でも時間に限りがあるだろう……そう思うと早く伝えねばと口を開いた。

「僕、今地球じゃないところにいるの、紗国という国の王様、蘭紗様という方の王妃となって、暮らしています。大切にしてもらって、毎日とても幸せです」
「え?は?しゃこく?」

父親のらしくない慌てる姿に笑った。

「ここは異世界なんだ。翠紗というかわいい息子もいるんだよ、ほんとにとてもかわいいの。僕は幸せに暮らしています。……体の弱い僕を……大切に育ててくれてありがとう、感謝しています、ずっとこの気持を伝えたかった」
「薫!……息子って……結婚?」
「おにいちゃん……どこなの?見えないよ……」

母は泣いていた、悲しそうな嬉しそうな顔で。
妹は顔色も良く、元気そうになっていた、きっと手術はうまくいったんだね。
父は立ち上がりウロウロと動き回っていた、こんな落ち着きのない父を見るのは初めてだ。

「こっちに来て、調子がいいよ、もう高熱を出して寝込むこともないよ、だから心配しないでね。小夜子も元気そうだね、素敵な女性になってね。3人共さようなら。こうやって報告できてよかった。ありがとう」

白い光が再び僕を覆った。

そしてキンという金属音と共に、ストンと元の世界に戻った。
僕はビクっとして体を震わせキョロキョロとあたりを見渡す。
佐良紗様も蘭紗様も僕を見つめていた。
ずっと唱えていなければならない祝詞も中断しているようだ。

「薫……そなた今……一瞬どこかへ行っていたのか?突然横に薫が感じられなくなって我は……」

蘭紗様は僕をきつく抱きしめた。
「プハっ」と蘭紗様の肩から顔を出して佐良紗様を見ると、困ったような顔で首を傾げていた。

「そなたは……ほんに不思議な人じゃ……神がまた降臨なされたか?」
「はい……瀬里紗様というまだ子供のときにお亡くなりになった王子で……その方が僕の使者として日本にお迎えに来てくださっていたそうです……」
「瀬里紗……」
「……というと……」

蘭紗様と佐良紗様はお互いを見つめて時が止まったように動かない。

「あの……」
「……薫、それは……瀬里紗は我の兄だ」
「え……おにいさん?……」
「狐の姿で生まれ、そして人化できぬまま2つで亡くなったのじゃ。母は違うが我らの兄じゃよ……今から26年ほど前に天に召されたのだ」

佐良紗様から語られたのは僕の知らなかった悲しい歴史だった。
王家に生まれた王子でも、そんなふうに儚く亡くなる人もいるんだね。

「それで……我らの兄は薫に何と?」

蘭紗様は僕を抱きしめたまま離してくれない。

「……使者として、日本に迎えに行ったのに、上手く力が発揮できずにすまなかったと、そうおっしゃって……それから、一度だけ、僕の声を日本の家族に届けてやると言ってくださり、そのとおりに……」

僕の目から大粒の涙が流れたのを感じた。
自分でもびっくりして急いで手で拭う。
もう二度と会うことができないと思っていた家族の顔を見れた……その喜びは言葉では表わせない。

「では……会えたのか?」
「いえ、僕からは両親と妹の姿が見えましたけど……あちらからは声しか聞こえていないようでした、でも、元気そうで……だけど、心配かけてたみたいで……お母さん痩せたなって」

佐良紗様は紗幕を手で払い、こちらにスッと歩いてこられた。
そして僕の横に座り、手を握ってくれた。

「……兄がそなたにしてやりたかったことなのだろうが……天としても異例だろう……これは奇跡じゃ、来ることはできても行くことのできない世界に、声だけでも届けられたのじゃ、兄の心を動かしたのはそなたの心がきれいであるからだろう……そなたの優しい心が皆を癒やし、そして動かす。尊いことであるな」
「……はい」

蘭紗様は優しく頭を撫でてくれ、佐良紗様に手を握られて、僕は落ち着きを取り戻した。

「ありがとうございます……すみません動揺してしまって」
「いや、構わぬ。このような奇跡を見て、そして、兄の名を聞いて……我らとて嬉しい気持ちじゃ……それに、会えぬと思っていた家族と会えて嬉しかったであろう」
「はい」
「薫、大丈夫か?」

心配気な顔で僕の顔を覗き込んだ蘭紗様にニッコリ微笑んで頷いた。

「では……続きをするとしよう……」

佐良紗様は再び紗幕の向こう側に静かに移動し、祭壇に向かって祈りを捧げ始めた。
僕と蘭紗様も同じ様に唱える。
言葉の一つ一つに思いを込めて、神への感謝を捧げた。





 あれから、僕は瀬里紗様の可愛らしい小さな姿をよく思い出す。
僕の心の中の思いが届いていたということは、こうやって瀬里紗様のことを考えていることもきっと伝わっている。
2才で儚く逝った方と知って、だから子狐の姿だったのだなと理解した。
瀬里紗様のことは誰からも聞いたことが無かった。
子が夭折したことによって、悲しみに暮れた王妃が体を壊し離宮に引きこもったこともあり、そのことに触れることを禁止にしたという理由があったようだ。

でも、だからって……
教えてほしかったな……と、そう思う。

あの出来事の後、喜紗さんが僕に話してくれた。
人化できないまま……あの小さな可愛らしい子狐の姿のまま、話すこともできずにずっと寝ていらしたと。
彼にとっては初めての甥だ、心から誕生を喜び、心配し、そして可愛がったのだと言う。

豪華に設えた王子の部屋で、小さな姿がいつも柔らかな布団に寝かされている。
毎朝やって来ては、撫でてあげるのが日課だったという先代の王は、どんな気持ちで体の弱い我が子を見ていたのだろうか。

本来なら後継ぎのはずの男子なのに……というのは、僕と同じだ。

瀬里紗様が僕の使者として僕の体を心配し、一刻も早く紗国へと思ってくださった思いは、そこに繋がるような気がした。
僕の体調を心配してくれていた思いが嬉しかった。

だけど、日本にお迎えにいらしても、やっぱりずっと寝ていらした。
あのかわいい寝姿が僕の脳裏に焼き付いて離れない。

瀬里紗様……ありがとうございます。
ぼくはもう、大丈夫ですよ。
どうか、ゆっくりとおやすみください。

僕はその思いを胸に、美しい紗国の景色を眺めた。
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