狐の国のお嫁様 ~紗国の愛の物語~

真白 桐羽

文字の大きさ
247 / 317

香夜葉ーかやはー

しおりを挟む
 僕は研究所に向かっている。
近衛を連れて森林を抜ける道を選んだ。
もう足元に雪はない、かわりに道端に芽を出す緑の草花達がかわいらしい。
パサっと小さな音がして時折草が揺れるのは、小動物が通るかららしい。
冬から始めた散歩は体力作りだけでなく、紗国の季節の移り変わりも目に見えて、とても有意義なものになっている。

さきほど学び舎に翠を送っていったところだ、時間がどうしても合わない時以外は連れて行くようにしているから、学び舎の先生や生徒達も僕に慣れてきて驚かれることも逃げられることもなくなった。

新緑の美しい黄緑の葉が揺れて心地よい風が吹いた。
髪が少し揺れておでこにも風が当たる。
乱れた耳横の髪を撫で付けて空を仰いだ。

今日の空も、きれい。

やがて、キラキラと日差しを反射して光る水面が見えてきて、研究所の瀟洒な西洋風建物が見えてきた。

門の前に立つ見慣れた衛兵が、嬉しそうに礼をしてくれた。
僕も一言労いの言葉をかけて玄関に入る、そしていつもどおり研究室のドアを開こうとした時、小さな泣き声を聞いた。

ドアノブを握ろうとしていた僕の手は止まり、泣き声がする方に顔を向けた。

荷物を持ってくれている侍女をその場に待たせ、僕はそちらの方へ歩いていく。
食堂の方へ抜ける回廊の先に、その子はいた。

……ああ、この子は……涼鱗さんが連れて帰ってきたという……

僕はそのことに思い至ったけれど、声をかけていいのか迷った。
翠のように畑で働いていたというその子。

港町の賭場の主が隠し持っていた畑は、森の奥深く、誰の目にも触れがたい場所にあって日のあたりも良く、クスリの原料を栽培するのに適した場所だったという。
そこで働いていたのは港町であぶれた不法入国の外国人乗組員や、賭場で全財産を失った者、そして外国から売られてきた犯罪人や、賭場の隅で売春を許されていた女達の子。

人間扱いされないその者たちの劣悪な環境は、肉体労働なのに食事は1食か2食、それなのに給与から食事代の名目で引かれているので雀の涙ほどの給金しかもらえない。
それでもそこでしか職に付けない者、そして売られてきたものはやるしかないのだ。

その中にいて過酷な労働に耐えてきた子どもが8人もいたという。

宰相としてその摘発に立ち会った涼鱗さんは、その現場で息も絶え絶えに倒れていた一人の男の子を見つけた。
体中傷だらけで、特にムチで叩かれているらしく、背と手、腕の傷が酷かったみたいだ。
涼鱗さんに帯同していた城の医師らがすぐに手当をしたが意識を戻さず、名簿や聞き込みから名を探り当て、娼婦の母を尋ねるも、その母はなんとすでに息を引き取っていたというから……なんとも悲しいことだ。

その子は母が亡くなったことを知らないまま昏々と眠り続け、涼鱗さんはほっとけなかったらしく、連れ帰ったのだと、蘭紗様から聞いた。

その子は孤児ではなく、母と暮らしていて親からの愛情は受けていた。
そのことだけでもこの子の人生において、きっと日の当たる場所だったんじゃないかと思った。
ただ……それだけにそれを亡くした今、その悲しみの強さは計り知れない。

香夜葉かやは……だよね?」

涼鱗さんが『かやは』という彼の名に、『夜に香る葉』という美しい字を付けたらしい。

親が初めて子に送るもの、それが名だ……

「……」

目に涙を浮かべたまま僕を振り返った少年は身体が小さくて、とても頼りなかった。
現在8才というが……とても留紗より年上だとは思えない。


「ごめんね突然話しかけて、僕は紗国の王妃、薫といいます。君のことは聞いているよ」

なるべくゆっくりと、静かに話しかけた。
目線を合わせるために香夜葉の横に一緒に腰掛けた。
中庭に面する位置に、不自然に置かれたふんわりしたソファー……
前からここに置いてあったのではないから、きっと涼鱗さんがここに置かせたのだろうね。

「ごめんなさい……泣いてごめんなさい」

舌足らずな喋り方で必死に謝る子の頭に手を置いた。
柔らかな薄茶色の小さな頭は震えていて、三角の耳は垂れていた。

「どうして謝るの?」
「泣いたら……怒られる」
「もう、誰も怒らないよ、ここにはそんな怖い人はいないんだ」

僕はその子の頬に手をやり、顔を上に向かせた。

きれいな澄んだ赤茶色の目にたくさんの涙が浮かんでいる。
その涙がひとしずく、僕の手を濡らした。

「泣きたいなら、泣いたっていいんだよ」
「……ん……」

閉じた唇が震えて嗚咽が漏れる。
僕が抱きしめてあげると、小さな体が震えながら僕に抱きついてきて大きな声で泣き始めた。

こんなかわいい子を残していったお母さんは、どれほど無念だっただろうね。

僕は背中をさすり、とんとんしながら何も言わずにしばらくそうしていた。

「薫、香夜葉が……世話になったようだね」

涼鱗さんが侍女を連れてやってきた。
この子の横にいた侍女が、僕のことを伝えにいったのだろう。

「うん、大丈夫だよ。悲しい時は泣かなくちゃね」
「ああ……そうだね」

涼鱗さんの声に反応して、真っ赤になった顔でぐずぐずになった香夜葉は顔を上げた、そしてじっと涼鱗さんを見つめた。

「香夜葉、この人はね、この国の王妃様だよ」
「おうひさま……」
「そして、私の友なんだよ」
「あは……はじめて言われた!」
「だけど、薫は友人じゃないか」
「そうだけど……面と向かってそう言われるとうれしいな」

僕と涼鱗さんが笑っているのを見て、キョトンとなった香夜葉もクスッと笑った。

「あ、笑った!」
「うん、笑ったねぇ」
「笑うとかわいい」
「本当に世界一かわいいねえ?」
「あら、もう自慢なんですか?」
「いけないかい?」

真顔の涼鱗さんに僕が吹き出すと、香夜葉も笑って涼鱗さんの差し出す腕に抱きかかえられた。

「さあ、香夜葉、ゆっくりでいいからちゃんと朝食を食べなさいよ。君は食が細すぎるんだからねえ……薫すまないね、この子の食事を世話をしてくるから、先に仕事をはじめていてくれないかい?」
「うん、そうするね」

僕は、涼鱗さんに抱っこされた時に香夜葉がホッとしたような、幸せがこぼれたような笑顔したことを見逃さなかった。

この子はきっと、涼鱗さんとカジャルさんに愛されて、幸せになれるとそう確信できる。

ちゃんと愛情を受け取ることのできる子だから。
ちゃんと、お母さんに愛されていた子だったから。

よかったね、香夜葉。



春風が気持ちよく吹いて新緑の匂いがした。






しおりを挟む
感想 39

あなたにおすすめの小説

牛獣人の僕のお乳で育った子達が僕のお乳が忘れられないと迫ってきます!!

ほじにほじほじ
BL
牛獣人のモノアの一族は代々牛乳売りの仕事を生業としてきた。 牛乳には2種類ある、家畜の牛から出る牛乳と牛獣人から出る牛乳だ。 牛獣人の女性は一定の年齢になると自らの意思てお乳を出すことが出来る。 そして、僕たち家族普段は家畜の牛の牛乳を売っているが母と姉達の牛乳は濃厚で喉越しや舌触りが良いお貴族様に高値で売っていた。 ある日僕たち一家を呼んだお貴族様のご子息様がお乳を呑まないと相談を受けたのが全ての始まりー 母や姉達の牛乳を詰めた哺乳瓶を与えてみても、母や姉達のお乳を直接与えてみても飲んでくれない赤子。 そんな時ふと赤子と目が合うと僕を見て何かを訴えてくるー 「え?僕のお乳が飲みたいの?」 「僕はまだ子供でしかも男だからでないよ。」 「え?何言ってるの姉さん達!僕のお乳に牛乳を垂らして飲ませてみろだなんて!そんなの上手くいくわけ…え、飲んでるよ?え?」 そんなこんなで、お乳を呑まない赤子が飲んだ噂は広がり他のお貴族様達にもうちの子がお乳を飲んでくれないの!と言う相談を受けて、他のほとんどの子は母や姉達のお乳で飲んでくれる子だったけど何故か数人には僕のお乳がお気に召したようでー 昔お乳をあたえた子達が僕のお乳が忘れられないと迫ってきます!! 「僕はお乳を貸しただけで牛乳は母さんと姉さん達のなのに!どうしてこうなった!?」 * 総受けで、固定カプを決めるかはまだまだ不明です。 いいね♡やお気に入り登録☆をしてくださいますと励みになります(><) 誤字脱字、言葉使いが変な所がありましたら脳内変換して頂けますと幸いです。

公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜

上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。 体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。 両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。 せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない? しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……? どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに? 偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも? ……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない?? ――― 病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。 ※別名義で連載していた作品になります。 (名義を統合しこちらに移動することになりました)

この世界は僕に甘すぎる 〜ちんまい僕(もふもふぬいぐるみ付き)が溺愛される物語〜

COCO
BL
「ミミルがいないの……?」 涙目でそうつぶやいた僕を見て、 騎士団も、魔法団も、王宮も──全員が本気を出した。 前世は政治家の家に生まれたけど、 愛されるどころか、身体目当ての大人ばかり。 最後はストーカーの担任に殺された。 でも今世では…… 「ルカは、僕らの宝物だよ」 目を覚ました僕は、 最強の父と美しい母に全力で愛されていた。 全員190cm超えの“男しかいない世界”で、 小柄で可愛い僕(とウサギのぬいぐるみ)は、今日も溺愛されてます。 魔法全属性持ち? 知識チート? でも一番すごいのは── 「ルカ様、可愛すぎて息ができません……!!」 これは、世界一ちんまい天使が、世界一愛されるお話。

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

助けたドS皇子がヤンデレになって俺を追いかけてきます!

夜刀神さつき
BL
医者である内藤 賢吾は、過労死した。しかし、死んだことに気がつかないまま異世界転生する。転生先で、急性虫垂炎のセドリック皇子を見つけた彼は、手術をしたくてたまらなくなる。「彼を解剖させてください」と告げ、周囲をドン引きさせる。その後、賢吾はセドリックを手術して助ける。命を助けられたセドリックは、賢吾に惹かれていく。賢吾は、セドリックの告白を断るが、セドリックは、諦めの悪いヤンデレ腹黒男だった。セドリックは、賢吾に助ける代わりに何でも言うことを聞くという約束をする。しかし、賢吾は約束を破り逃げ出し……。ほとんどコメディです。  ヤンデレ腹黒ドS皇子×頭のおかしい主人公

あなたの隣で初めての恋を知る

彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

処理中です...