14 / 21
世界平和の章
第十四話
しおりを挟む
『今月8日昼、○○市のアパート駐車場で、背中に刺し傷のある血だらけの女子児童が倒れているのを近くの住民が発見し、通報した。警察官が現場に駆け付けたところ、女子児童は既に死亡しており、事件発覚の4日前に行方不明の捜索願が出されていた杉浦美樹さん(15)であることが確認された。県警は9日、住所不定、無職の國森正和容疑者(42)を殺人及び死体遺棄の疑いで逮捕した。國森容疑者は「(女の子が)自分の言うことを聞かずに反抗したので殺した」と容疑を認め、女子児童への性的暴行についてもほのめかしているという。』
図書館に置かれていた最新の新聞に事件のことが載っていた。
僕は妙に体の力が抜けて新聞から目を離して天を見上げる。
不意に猛烈な哀しみが体に押し寄せてきた。これまで僕は気づかぬふりをしていたが、今となっては認めざるを得なかった。〝自分は美樹のことが好きだったのだ。〟桜と離れ離れになってしまったことで生じた心の穴を埋めていたのは、紛れもなく美樹の存在だった。
僕は図書館を出てふらふらと街を歩く。おぼつかない足取りでよろめいていると、前から自転車に乗ったおばさんに迷惑そうにベルを鳴らされる。けれども僕はそのベルにすら驚くことができなかった。感情がどうしようもないほど停滞していた。
その後何日経っても、僕はあれほどやる気に充ちていたはずの、絵を描く気力さえ出なくなってしまった。書きたいものがなくなったのである。
少し前までは、絵を描いてお金がもらえることが快感だった。しかし今となってはキャンバスを見ることも苦痛である。
外を出歩くたびにすれ違う、「普通」の人間をみると、僕は強烈な悪寒に襲われる。当たり前の日々を送る人々に対して沸き起こる化物みたいな劣等感だ。僕には今、親と慕える人物がいない。生活を共にする友達はもう星になってしまった。絵と引き換えに金を手に入れてそれで暮らす毎日。これは果たして意味があるのだろうか。これまでたくさんの絵を描いてきて腕を磨いて、もうある程度満足した。もはや金以外のために絵を描き続ける理由がわからない。仕事をしているとき以外は、かつて親といたころと何のかわりもない生活をしている。学校が仕事に変わっただけだ。結局自分は何がしたいのか、僕は見つけることができなかった。
薄暗い部屋の中には、ぐちゃぐちゃに壊された絵の残骸だけが、無造作に散らばっている。
僕はその中心で、何も成さず、静かに朽ちてゆく。
アキナリはその日、桜の家まで勝手についてきた。しかも何がそんなに気に入ったのか知らないが、それから頻繁に桜の家を訪れるようになった。桜は始め彼の来訪を心の底から煙たがっていたが、アキナリはそんな桜の態度に嫌な顔一つせず毎回何かしら生活の助けになる物を持ってきてくれるので、だんだん申し訳ないという気持ちが芽生えてきた。
そんな時分に、例のごとく桜の家にやって来たアキナリは言った。
「桜ちゃん、働かなくていいから俺の家で一緒に暮らさないかい?もちろん体の関係なんか求めないからさ」
「嫌です」
「どうして?」
「嫌は嫌だからです」
アキナリはなぜか困ったような顔をした。
「桜ちゃん、君は自分ひとりで頑張ろうとしすぎてるよ。もう少し周りの人を頼らないと。そりゃ他に頼る当てがあるなら俺じゃなくてもいいんだけどさ。第一もうお金の入りがないでしょ?」
そう言われると桜は言葉に詰まった。今の桜は仕事をしておらず、現状この一年で溜めた貯蓄を切り崩して生活している。アキナリが持ってくる日用品を素直に受け取っているのも、生活に不安があるからだった。
「桜ちゃんが俺と暮らすのが駄目な理由っていったい何なんだい?」
アキナリの口調はどこまでも穏やかだった。
駄目な理由……
改めて問われるとよく分からない。アキナリがいい人であるということはここ最近の対応で分かってきたし、かつてオーナーから女の子を大切に扱う評判のいい客ということも聞いていた。何より知り合いでも何でもない自分のことを、身を呈して守ってくれた恩人であるのだ。ある程度の貯蓄はあるとはいえ、いつまで家賃が払えるか分からない状況を考えると金銭的にも非常にありがたい。ではなぜ、自分は即答で断ったのだろう。
そう考えると、桜は自分が男に対して恐怖心という癒えぬ傷を抱えてしまっていることを認めざるを得なかった。
では私はこのままでいいのか。男に慄いたままこの生を歩んでそれでいいのか。
アキナリの申し出を受けることで、場合によっては二度と立ち直れないような傷を受けてしまうリスクがあることも当然分かっていた。分かっているけど桜は、それでも前に進みたい。
「アキナリさんと……一緒に生活がしたいです」
気づけば桜は泣いていた。どうして泣いているのか、自分でもわけが分からなかった。
図書館に置かれていた最新の新聞に事件のことが載っていた。
僕は妙に体の力が抜けて新聞から目を離して天を見上げる。
不意に猛烈な哀しみが体に押し寄せてきた。これまで僕は気づかぬふりをしていたが、今となっては認めざるを得なかった。〝自分は美樹のことが好きだったのだ。〟桜と離れ離れになってしまったことで生じた心の穴を埋めていたのは、紛れもなく美樹の存在だった。
僕は図書館を出てふらふらと街を歩く。おぼつかない足取りでよろめいていると、前から自転車に乗ったおばさんに迷惑そうにベルを鳴らされる。けれども僕はそのベルにすら驚くことができなかった。感情がどうしようもないほど停滞していた。
その後何日経っても、僕はあれほどやる気に充ちていたはずの、絵を描く気力さえ出なくなってしまった。書きたいものがなくなったのである。
少し前までは、絵を描いてお金がもらえることが快感だった。しかし今となってはキャンバスを見ることも苦痛である。
外を出歩くたびにすれ違う、「普通」の人間をみると、僕は強烈な悪寒に襲われる。当たり前の日々を送る人々に対して沸き起こる化物みたいな劣等感だ。僕には今、親と慕える人物がいない。生活を共にする友達はもう星になってしまった。絵と引き換えに金を手に入れてそれで暮らす毎日。これは果たして意味があるのだろうか。これまでたくさんの絵を描いてきて腕を磨いて、もうある程度満足した。もはや金以外のために絵を描き続ける理由がわからない。仕事をしているとき以外は、かつて親といたころと何のかわりもない生活をしている。学校が仕事に変わっただけだ。結局自分は何がしたいのか、僕は見つけることができなかった。
薄暗い部屋の中には、ぐちゃぐちゃに壊された絵の残骸だけが、無造作に散らばっている。
僕はその中心で、何も成さず、静かに朽ちてゆく。
アキナリはその日、桜の家まで勝手についてきた。しかも何がそんなに気に入ったのか知らないが、それから頻繁に桜の家を訪れるようになった。桜は始め彼の来訪を心の底から煙たがっていたが、アキナリはそんな桜の態度に嫌な顔一つせず毎回何かしら生活の助けになる物を持ってきてくれるので、だんだん申し訳ないという気持ちが芽生えてきた。
そんな時分に、例のごとく桜の家にやって来たアキナリは言った。
「桜ちゃん、働かなくていいから俺の家で一緒に暮らさないかい?もちろん体の関係なんか求めないからさ」
「嫌です」
「どうして?」
「嫌は嫌だからです」
アキナリはなぜか困ったような顔をした。
「桜ちゃん、君は自分ひとりで頑張ろうとしすぎてるよ。もう少し周りの人を頼らないと。そりゃ他に頼る当てがあるなら俺じゃなくてもいいんだけどさ。第一もうお金の入りがないでしょ?」
そう言われると桜は言葉に詰まった。今の桜は仕事をしておらず、現状この一年で溜めた貯蓄を切り崩して生活している。アキナリが持ってくる日用品を素直に受け取っているのも、生活に不安があるからだった。
「桜ちゃんが俺と暮らすのが駄目な理由っていったい何なんだい?」
アキナリの口調はどこまでも穏やかだった。
駄目な理由……
改めて問われるとよく分からない。アキナリがいい人であるということはここ最近の対応で分かってきたし、かつてオーナーから女の子を大切に扱う評判のいい客ということも聞いていた。何より知り合いでも何でもない自分のことを、身を呈して守ってくれた恩人であるのだ。ある程度の貯蓄はあるとはいえ、いつまで家賃が払えるか分からない状況を考えると金銭的にも非常にありがたい。ではなぜ、自分は即答で断ったのだろう。
そう考えると、桜は自分が男に対して恐怖心という癒えぬ傷を抱えてしまっていることを認めざるを得なかった。
では私はこのままでいいのか。男に慄いたままこの生を歩んでそれでいいのか。
アキナリの申し出を受けることで、場合によっては二度と立ち直れないような傷を受けてしまうリスクがあることも当然分かっていた。分かっているけど桜は、それでも前に進みたい。
「アキナリさんと……一緒に生活がしたいです」
気づけば桜は泣いていた。どうして泣いているのか、自分でもわけが分からなかった。
0
あなたにおすすめの小説
お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚
ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。
五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。
ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。
年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。
慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。
二人の恋の行方は……
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
時間を止めて ~忘れられない元カレは完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な人でした 【完結】
remo
恋愛
どんなに好きになっても、彼は絶対に私を愛さない。
佐倉ここ。
玩具メーカーで働く24歳のOL。
鬼上司・高野雅(がく)に叱責されながら仕事に奔走する中、忘れられない元カレ・常盤千晃(ちあき)に再会。
完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な彼には、悲しい秘密があった。
【完結】ありがとうございました‼
12年目の恋物語
真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。
だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。
すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。
2人が結ばれるまでの物語。
第一部「12年目の恋物語」完結
第二部「13年目のやさしい願い」完結
第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中
※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。
嘘をつく唇に優しいキスを
松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。
桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。
だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。
麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。
そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。
10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました
専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる