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悪役令嬢と第一王子と短い髪
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クリスティーナが髪を切った。その噂はすぐに学内中に広まり、学園に向かう道では注目の的だ。
教室に着くと、すぐに周囲に人が集まってきた。
昨日は遠くから様子を見ていた生徒も輪に加わり、クリスティーナを取り囲む人の数は倍以上になっている。
……と、他人事のように言ってみたのだが、今は私がそのクリスティーナ本人だ。そして、今のこの状況には予想外しかなかった。
一言で表現するならば、あり得ない。だって私は髪を切ったのだ。長い髪しか許されない世界で短い髪になり、常識はずれの存在になったのだ。
こいつは常識がないから近づかないでおこう。そう思われて、周囲から人が離れていくはずだった。
はずだったのに……これでは真逆の結果だ。
私から離れるどころか、好意的に話しかけてくる人は昨日よりも増えているし、短い髪も悪く言われたりしない。
これでは……これでは計画と違う。
だがまだだ。これからやってくる本命が、今の私を受け入れてくれるとは限らない。
民衆の声は関係ない。大切なのは、バッドエンドに近づくこと。婚約破棄を手に入れて、クリスティーナとしてのバッドエンドを迎えること。
さあ……来い!
気合を入れたところで、「キャー」と黄色い歓声が上がった。
「クリスティーナはいるか」
優しげながらも、芯の通った声でその正体はすぐに分かった。声で分からなくても、呼び方ですぐに分かるし、このタイングでイベントが発生することもわかっている。
やってきたのだ。クリスティーナの許嫁が。
彼の名はヴァリーン・ブオノーモ。この国の第一王子だ。
ゲームプレイヤー目線で言うと、ふたりは険悪だ。そのふたりをさらに険悪にするできごとがこれから起こる。
先にネタバレをしておくと、王子はアリスのことを心配して教室にやってきた。
アリスの能力は特別で、これからの国をよくしてくれると国王は思っている。
王子自身はまだ半信半疑であったが、興味を持っていた。
そんな国の重要人物候補に、酷い仕打ちをしたのが、悪役令嬢のクリスティーナだ。
初日からクリスに罵声を浴びせ、帰りには突き飛ばす。
そんなことをしたクリスティーナに、王子は文句を言いに来るのだ。
そしてこのイベントは、バッドエンドを目指す私にとっての一世一代のチャンスだ。
ここできちんと嫌われることができれば、目標の達成……バッドエンド近づくこと間違いなしだ。
「クリスティーナなのか……?」
私の前に立った第一王子は驚いた顔で固まっている。
整った顔立ちは、そんな驚いた姿でさえ様になっていた。
いい。実にいい。このままここで喧嘩をすれば完璧だ。さあ、どんな言葉でもいい。どんな罵声でもいい。容赦なく浴びせて欲しい。そうしたら私は、ハッピーエンドに近づける。
どんな言葉が来ても、全て否定して差し上げますわ……あ、これいいんじゃない?
心の中まで悪役令嬢になれてきた気がする。
準備が万端なことを確認して、静かに次の言葉を待つ。
「美しい……」
「何をくだらないことを……は?」
攻撃的なことを言われる前提で身構えていたので、マヌケな声が出てしまった。
いや、きっと聞き間違いに違いない……念のために確認しておこう。
「なんとおっしゃいましたか?」
「クリスティーナ……君はこんなに美しかったのか……よし、今すぐ式を挙げよう」
「!?」
クリスティーナなら大喜びだっただろう。王子と結婚すれば、自分の立場を確固たるものにできる。立場を武器に、死ぬまで好きなことをすることができるのが確定する。
クリスティーナ目線ならばハッピーエンドだ。ここで王子の差し出した手を取り、今すぐにでも式を挙げればいい……クリスティーナならそうしただろうが……ちょっとまって欲しい。
これでは話が違う。これでは私の思い描いた未来とは違う。
「王子、頭がおかしくなったのですか?」
言ってから頭を抱えたのは、王子ではなく私だ。完全に素の声が出てしまった。
悪役令嬢らしきふるまいは行方不明で、これではどこにでもいるモブと変わらない。
「少し会わないうちに、そんなことを言うのようになったのか……」
ヴァリーン第一王子は、今日何度目か分からない驚いた顔を浮かべると、私をじっと見つめる。
その驚いた顔はゲームでも見たことがある。
アリスの言動に驚き、じっと耳を傾けるシーンだ。表情こそ驚きに見ているが、内心はとても好意的に受け取っていて、アリスに惹かれていくきっかけになる……というのは、ゲームプレイヤーなら誰でも知っている。
そう、このままいけばクリスティーナはハッピーエンド。だがそれは、クリスティーナな私が望む未来とはかけ離れている。
今なら……今ならまだなんとかなる……はずだ。
「そうです。これが本当のわたくしです。今まで気づいていらっしゃらなかったとは、王子もダメダメですわね」
我ながら完璧ではないだろうか。この際、クリスティーナっぽいかはどうでもいい。
王子に嫌われるには、最高の回答ではないだろうか。
「ああ、気が付かなった……クリスティーナ、教えてくれ。どうして君は髪を切ったんだい?」
「それなら簡単です。邪魔でしたので」
よし、ズボラさもアピールできた。
長い髪をきれいにするのが面倒で髪を切ったなんて、失望されるに違いない。グッジョブ!私!
「そんな理由で……」
「何か問題でも?」
お、これは悪役令嬢っぽい。短い台詞だから、強めに言えたし、王子がさっきよりも戸惑っているように見える。
「クリスティーナ」
「なんでしょうか」
「正直な話、私は君との婚約を破棄したいと考えていた」
これはいい流れだ。思っていたよりもずいぶん早いが、婚約破棄の話が出るなんてこれ以上ない展開だ。
あとは王子の背中を後押しすればいいだけだ。
「そんなことが許されるとはお思いで?」
あくまでも拒否。自分の意志ではなく、仕方なく婚約している感を出す。それもできるだけ上から目線で。
「ああ、その通りだ……だが、今その考えが変わった。クリスティーナ、今の君であれば、ぜひ妻として迎え入れたいと思っている」
「当然ですわ……は?」
王子が何を言ったのか分からなかった。
思考を整理しようとしていると、「キャー」と歓声上がり、教室のあちこちから拍手が聞こえてくる。
これはどうみても祝福されている。いやおかしい。
何がおかしいって色々だ。
まずクリスティーナが王子に婚約破棄されないなんておかしいし、王子と悪役令嬢で名高いクリスティーナの結婚が祝福されるなんておかしい。
「それは……婚約を破棄しないということですか?」
「そのつもりだ。今の君は実に興味深い」
この王子は本気で頭がおかしくなったのだろうか。あるいはゲームがバグったのだろうか。婚約破棄に向かって完璧に誘導しているはずなのに、真逆のことを言い始めた。
「……えーっと、理由を教えていただいても?」
「君が髪を切った理由が、私の好みに合わせたからではなかったからだ」
「は?」
もう意味が分からない。私の中では理解不能……あ、思い出した。思い出してしまった。
作中のハッピーエンド、ヴァリーン王子が主人公のアリスに惹かれた最初の理由を。
外見……それも髪型が気になって声をかけたのだ。もしや、王子は短い髪の女の子が好きなのではないだろうか……?
もしそうだとすれば、私は完全に悪手を踏んだとしか言えない。
今すぐに言い訳を……王子の好みを知って合わせた。
今ならその言い訳も間に合うはず……。
「この髪は誰が切ったんだい?」
「私です。クリスティーナ様のご要望に応えさせていただきました」
力強い返事とともに現れたのはアリスだ。彼女は短い髪を揺らしながら、ヴァリーン王子の前に立った。
よし、まだいける!王子が短髪好きなら、アリスだって好みのはずだ。
アリスになびいてくれれば、婚約破棄は夢じゃない!
「素晴らしい仕事をしてくれた」
「ありがとうございます!クリスティーナ様だけでなく、第一王子にまで喜んでもらえて嬉しいです!」
アリスは無邪気な笑顔を浮かべる。可愛い。
天然の可愛さを詰め込んだその笑顔は、女の私であっても思わず見とれてしまう。
……これはら王子も目を離せないはず……って、こっちを見てる!?
「クリスティーナ様、本当にお綺麗ですよね……」
「ああ……心の美しさまで溢れ出しているようだ……」
この2人は何を言っているのだろうか?私は悪役令嬢だ。
心は汚れに汚れきっている。
そのはずなのに……なぜかその場にいる全員が2人の言葉に頷き、私を見つめている。
その居心地の悪さから、思わず私は下を向いてしまった。
「や、やめてくださる……」
やっとのことで絞りだした言葉に、何人もが息を呑んだのが分かった。
そんな目で私をみないで!
だって私は悪役令嬢なんだから!
教室に着くと、すぐに周囲に人が集まってきた。
昨日は遠くから様子を見ていた生徒も輪に加わり、クリスティーナを取り囲む人の数は倍以上になっている。
……と、他人事のように言ってみたのだが、今は私がそのクリスティーナ本人だ。そして、今のこの状況には予想外しかなかった。
一言で表現するならば、あり得ない。だって私は髪を切ったのだ。長い髪しか許されない世界で短い髪になり、常識はずれの存在になったのだ。
こいつは常識がないから近づかないでおこう。そう思われて、周囲から人が離れていくはずだった。
はずだったのに……これでは真逆の結果だ。
私から離れるどころか、好意的に話しかけてくる人は昨日よりも増えているし、短い髪も悪く言われたりしない。
これでは……これでは計画と違う。
だがまだだ。これからやってくる本命が、今の私を受け入れてくれるとは限らない。
民衆の声は関係ない。大切なのは、バッドエンドに近づくこと。婚約破棄を手に入れて、クリスティーナとしてのバッドエンドを迎えること。
さあ……来い!
気合を入れたところで、「キャー」と黄色い歓声が上がった。
「クリスティーナはいるか」
優しげながらも、芯の通った声でその正体はすぐに分かった。声で分からなくても、呼び方ですぐに分かるし、このタイングでイベントが発生することもわかっている。
やってきたのだ。クリスティーナの許嫁が。
彼の名はヴァリーン・ブオノーモ。この国の第一王子だ。
ゲームプレイヤー目線で言うと、ふたりは険悪だ。そのふたりをさらに険悪にするできごとがこれから起こる。
先にネタバレをしておくと、王子はアリスのことを心配して教室にやってきた。
アリスの能力は特別で、これからの国をよくしてくれると国王は思っている。
王子自身はまだ半信半疑であったが、興味を持っていた。
そんな国の重要人物候補に、酷い仕打ちをしたのが、悪役令嬢のクリスティーナだ。
初日からクリスに罵声を浴びせ、帰りには突き飛ばす。
そんなことをしたクリスティーナに、王子は文句を言いに来るのだ。
そしてこのイベントは、バッドエンドを目指す私にとっての一世一代のチャンスだ。
ここできちんと嫌われることができれば、目標の達成……バッドエンド近づくこと間違いなしだ。
「クリスティーナなのか……?」
私の前に立った第一王子は驚いた顔で固まっている。
整った顔立ちは、そんな驚いた姿でさえ様になっていた。
いい。実にいい。このままここで喧嘩をすれば完璧だ。さあ、どんな言葉でもいい。どんな罵声でもいい。容赦なく浴びせて欲しい。そうしたら私は、ハッピーエンドに近づける。
どんな言葉が来ても、全て否定して差し上げますわ……あ、これいいんじゃない?
心の中まで悪役令嬢になれてきた気がする。
準備が万端なことを確認して、静かに次の言葉を待つ。
「美しい……」
「何をくだらないことを……は?」
攻撃的なことを言われる前提で身構えていたので、マヌケな声が出てしまった。
いや、きっと聞き間違いに違いない……念のために確認しておこう。
「なんとおっしゃいましたか?」
「クリスティーナ……君はこんなに美しかったのか……よし、今すぐ式を挙げよう」
「!?」
クリスティーナなら大喜びだっただろう。王子と結婚すれば、自分の立場を確固たるものにできる。立場を武器に、死ぬまで好きなことをすることができるのが確定する。
クリスティーナ目線ならばハッピーエンドだ。ここで王子の差し出した手を取り、今すぐにでも式を挙げればいい……クリスティーナならそうしただろうが……ちょっとまって欲しい。
これでは話が違う。これでは私の思い描いた未来とは違う。
「王子、頭がおかしくなったのですか?」
言ってから頭を抱えたのは、王子ではなく私だ。完全に素の声が出てしまった。
悪役令嬢らしきふるまいは行方不明で、これではどこにでもいるモブと変わらない。
「少し会わないうちに、そんなことを言うのようになったのか……」
ヴァリーン第一王子は、今日何度目か分からない驚いた顔を浮かべると、私をじっと見つめる。
その驚いた顔はゲームでも見たことがある。
アリスの言動に驚き、じっと耳を傾けるシーンだ。表情こそ驚きに見ているが、内心はとても好意的に受け取っていて、アリスに惹かれていくきっかけになる……というのは、ゲームプレイヤーなら誰でも知っている。
そう、このままいけばクリスティーナはハッピーエンド。だがそれは、クリスティーナな私が望む未来とはかけ離れている。
今なら……今ならまだなんとかなる……はずだ。
「そうです。これが本当のわたくしです。今まで気づいていらっしゃらなかったとは、王子もダメダメですわね」
我ながら完璧ではないだろうか。この際、クリスティーナっぽいかはどうでもいい。
王子に嫌われるには、最高の回答ではないだろうか。
「ああ、気が付かなった……クリスティーナ、教えてくれ。どうして君は髪を切ったんだい?」
「それなら簡単です。邪魔でしたので」
よし、ズボラさもアピールできた。
長い髪をきれいにするのが面倒で髪を切ったなんて、失望されるに違いない。グッジョブ!私!
「そんな理由で……」
「何か問題でも?」
お、これは悪役令嬢っぽい。短い台詞だから、強めに言えたし、王子がさっきよりも戸惑っているように見える。
「クリスティーナ」
「なんでしょうか」
「正直な話、私は君との婚約を破棄したいと考えていた」
これはいい流れだ。思っていたよりもずいぶん早いが、婚約破棄の話が出るなんてこれ以上ない展開だ。
あとは王子の背中を後押しすればいいだけだ。
「そんなことが許されるとはお思いで?」
あくまでも拒否。自分の意志ではなく、仕方なく婚約している感を出す。それもできるだけ上から目線で。
「ああ、その通りだ……だが、今その考えが変わった。クリスティーナ、今の君であれば、ぜひ妻として迎え入れたいと思っている」
「当然ですわ……は?」
王子が何を言ったのか分からなかった。
思考を整理しようとしていると、「キャー」と歓声上がり、教室のあちこちから拍手が聞こえてくる。
これはどうみても祝福されている。いやおかしい。
何がおかしいって色々だ。
まずクリスティーナが王子に婚約破棄されないなんておかしいし、王子と悪役令嬢で名高いクリスティーナの結婚が祝福されるなんておかしい。
「それは……婚約を破棄しないということですか?」
「そのつもりだ。今の君は実に興味深い」
この王子は本気で頭がおかしくなったのだろうか。あるいはゲームがバグったのだろうか。婚約破棄に向かって完璧に誘導しているはずなのに、真逆のことを言い始めた。
「……えーっと、理由を教えていただいても?」
「君が髪を切った理由が、私の好みに合わせたからではなかったからだ」
「は?」
もう意味が分からない。私の中では理解不能……あ、思い出した。思い出してしまった。
作中のハッピーエンド、ヴァリーン王子が主人公のアリスに惹かれた最初の理由を。
外見……それも髪型が気になって声をかけたのだ。もしや、王子は短い髪の女の子が好きなのではないだろうか……?
もしそうだとすれば、私は完全に悪手を踏んだとしか言えない。
今すぐに言い訳を……王子の好みを知って合わせた。
今ならその言い訳も間に合うはず……。
「この髪は誰が切ったんだい?」
「私です。クリスティーナ様のご要望に応えさせていただきました」
力強い返事とともに現れたのはアリスだ。彼女は短い髪を揺らしながら、ヴァリーン王子の前に立った。
よし、まだいける!王子が短髪好きなら、アリスだって好みのはずだ。
アリスになびいてくれれば、婚約破棄は夢じゃない!
「素晴らしい仕事をしてくれた」
「ありがとうございます!クリスティーナ様だけでなく、第一王子にまで喜んでもらえて嬉しいです!」
アリスは無邪気な笑顔を浮かべる。可愛い。
天然の可愛さを詰め込んだその笑顔は、女の私であっても思わず見とれてしまう。
……これはら王子も目を離せないはず……って、こっちを見てる!?
「クリスティーナ様、本当にお綺麗ですよね……」
「ああ……心の美しさまで溢れ出しているようだ……」
この2人は何を言っているのだろうか?私は悪役令嬢だ。
心は汚れに汚れきっている。
そのはずなのに……なぜかその場にいる全員が2人の言葉に頷き、私を見つめている。
その居心地の悪さから、思わず私は下を向いてしまった。
「や、やめてくださる……」
やっとのことで絞りだした言葉に、何人もが息を呑んだのが分かった。
そんな目で私をみないで!
だって私は悪役令嬢なんだから!
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