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第一章
第9話
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放課後にお出かけをする。美空のお願いは、極めてシンプルだった。だから、あえてどこに行くかは決めなかった。どこかに出かける〈どこか〉が重要なのではなく、放課後に出かけるというその行動が重要だったからだ。
それは、美空が今までしたくてもできなかったことの一つだった。早く帰ってこないと夕飯が遅れると怒る両親の機嫌を損ねたくなくて、教室でおしゃべりしたり、部活に行ったりする生徒たちを横目に、いつもそそくさと退散していた。
だから、教室に残っている生徒たちの談笑が聞こえてくるのが、どれほど羨ましかったことか。何となく部活も入りづらくて、一年生で入っていた茶道部も指導の先生が辞める時に、一緒になって辞めてしまっていた。
だから美空が放課後を楽しめたことは、この一年でほとんどない。
両親は心配性なのだ、と美空は思う。でも、それが娘のかけがえのない高校生活の足枷になってしまうのは、また違っているとも感じている。普通におしゃべりをしたり、ちょっと居残りをしながら友達と放課後を過ごすことの、一体何がいけないのだろうか。
結局帰家に早くったところで、父親が帰って来るのはもう少し後で、食事中に楽しいことを話すというわけでもない。学校で楽しいことがあれば別だが、死のうと思うくらいの学校生活を送っていて、話題も何も美空にはないのだ。
今日は、楽しそうに放課後話しこむクラスメイト達の輪に、混じることができる。美空は胸がドキドキして、掃除まで張り切ってしまった。
そんな様子に気がついた、美空の数少ない友達の一人である奈々が、美空の制服の裾をつんつんと引っ張った。
「美空ちゃん、何かいいことあった?」
「え、なんで?」
振り返り、美空はどきんと血管が拡張した。
「妙に楽しそうだし、いつもなら顔引きつらせて帰るのに、今日は余裕じゃない?」
いつも顔を引きつらせて帰っていたのかと、美空は苦笑いをした。それもそうで、放課後が近くなると、美空は両親の顔が思い浮かんできて、なんだかんだ毎日落ち着かないのだった。
「放課後、ちょっと用事があってお出かけするんだ」
「え……ご両親、大丈夫なの?」
それに美空は少し不安になりながらも、小さくうなずく。
「美空ちゃんのお家、すごい厳しいもんね。大丈夫なら良かったけど」
誰とどこに行くの、と聞かれて、美空は夕の名前を出すのは気が引けたので、知り合いと出かけると話を濁した。
夕と出かけるなどと言っても、生徒会の用事を頼まれたと言えば済むことなのだが、何となく今は秘密にしておきたかった。
そんな美空の様子に、奈々はふうんと口をちょっとだけ尖らせる。目をくりっとさせてから、美空をじっと見つめた。
「……美空ちゃん、彼氏できたんだったら話してよね?」
とつじょ、予想外の言葉を言われて、美空の方が驚いてぽかんと口を開けてしまった。その後、空気の玉を思い切り吸い込んでしまい、ゴホゴホとむせる。
女の勘というやつなのか、奈々は妙に鋭かった。美空は咳き込んで顔を真っ赤にする。それが落ち着いてから、おずおずと奈々を見つめた。
「うん。その時はするけど、今日は、彼氏じゃないから」
怪しいな、と奈々にからかわれたのだが、時計を見て美空はいけない、と慌てて鞄を引っ掴んだ。
「ほんとほんと。奈々ちゃん、また明日ね」
「うん、何かあれば報告してよね」
それに美空は何もないよ、と胸中でつぶやきながらも「分かった」とうなずいて手を振ると教室を出た。
校門で夕と待ち合わせするのは気が引けた。というのも、やはり生徒会長というだけあって、学内での夕の存在感は輝くものがある。校門に立っていたら目立ってしまうわけで、そんな輝く存在の元に駆け寄っていく勇気は美空にはなかった。
学校の入り口から少し離れた場所で待ち合わせをして、二人で電車へと乗り込んだ。幸いにも、同じ時間に帰る生徒が少なかったようで、二人はあまり目立つこともなく電車に乗って、帰路へと着くことができた。
誰かに見られたくない一心で、足早に黙って電車に乗り込んだ美空だったのだが、やっと落ち着いて一息ついたところで、夕が上から覗き込んできた。
「美空くん、どこ行こうか?」
「えっと、それは考えていなくて……」
そうだろうと思った、と言って、くすくすと夕が笑いだす。美空は困ってしまった。遊びたいとは思ったものの、遊んだことがないので遊び方が分からなかったのだ。それを見越していたのか、夕は途中の駅で降りた。
「美空くん、映画は好き?」
「あんまり、観たことがないんですけど……」
「じゃあ、今日は僕と一緒に映画を観て遊ぶのはどう?」
夕の提案に、美空はとっさに顔を上げた。ちょうど、見たい映画が上映中だったのだ。いつもは、いに行かずにレンタルになるまで待っていたのだが、今日くらいはそれを観てもいいのかもしれないと思った。
「それは、良いって顔だね。じゃあ、こっち」
行こうと手を引っ張られて、美空の足が軽やかに動き始める。神様は美空の気持ちを察することが上手だ。美空は夕のひんやりとした手を掴みながら、じんわりと心が温かくなっていくのを感じていた。
それは、美空が今までしたくてもできなかったことの一つだった。早く帰ってこないと夕飯が遅れると怒る両親の機嫌を損ねたくなくて、教室でおしゃべりしたり、部活に行ったりする生徒たちを横目に、いつもそそくさと退散していた。
だから、教室に残っている生徒たちの談笑が聞こえてくるのが、どれほど羨ましかったことか。何となく部活も入りづらくて、一年生で入っていた茶道部も指導の先生が辞める時に、一緒になって辞めてしまっていた。
だから美空が放課後を楽しめたことは、この一年でほとんどない。
両親は心配性なのだ、と美空は思う。でも、それが娘のかけがえのない高校生活の足枷になってしまうのは、また違っているとも感じている。普通におしゃべりをしたり、ちょっと居残りをしながら友達と放課後を過ごすことの、一体何がいけないのだろうか。
結局帰家に早くったところで、父親が帰って来るのはもう少し後で、食事中に楽しいことを話すというわけでもない。学校で楽しいことがあれば別だが、死のうと思うくらいの学校生活を送っていて、話題も何も美空にはないのだ。
今日は、楽しそうに放課後話しこむクラスメイト達の輪に、混じることができる。美空は胸がドキドキして、掃除まで張り切ってしまった。
そんな様子に気がついた、美空の数少ない友達の一人である奈々が、美空の制服の裾をつんつんと引っ張った。
「美空ちゃん、何かいいことあった?」
「え、なんで?」
振り返り、美空はどきんと血管が拡張した。
「妙に楽しそうだし、いつもなら顔引きつらせて帰るのに、今日は余裕じゃない?」
いつも顔を引きつらせて帰っていたのかと、美空は苦笑いをした。それもそうで、放課後が近くなると、美空は両親の顔が思い浮かんできて、なんだかんだ毎日落ち着かないのだった。
「放課後、ちょっと用事があってお出かけするんだ」
「え……ご両親、大丈夫なの?」
それに美空は少し不安になりながらも、小さくうなずく。
「美空ちゃんのお家、すごい厳しいもんね。大丈夫なら良かったけど」
誰とどこに行くの、と聞かれて、美空は夕の名前を出すのは気が引けたので、知り合いと出かけると話を濁した。
夕と出かけるなどと言っても、生徒会の用事を頼まれたと言えば済むことなのだが、何となく今は秘密にしておきたかった。
そんな美空の様子に、奈々はふうんと口をちょっとだけ尖らせる。目をくりっとさせてから、美空をじっと見つめた。
「……美空ちゃん、彼氏できたんだったら話してよね?」
とつじょ、予想外の言葉を言われて、美空の方が驚いてぽかんと口を開けてしまった。その後、空気の玉を思い切り吸い込んでしまい、ゴホゴホとむせる。
女の勘というやつなのか、奈々は妙に鋭かった。美空は咳き込んで顔を真っ赤にする。それが落ち着いてから、おずおずと奈々を見つめた。
「うん。その時はするけど、今日は、彼氏じゃないから」
怪しいな、と奈々にからかわれたのだが、時計を見て美空はいけない、と慌てて鞄を引っ掴んだ。
「ほんとほんと。奈々ちゃん、また明日ね」
「うん、何かあれば報告してよね」
それに美空は何もないよ、と胸中でつぶやきながらも「分かった」とうなずいて手を振ると教室を出た。
校門で夕と待ち合わせするのは気が引けた。というのも、やはり生徒会長というだけあって、学内での夕の存在感は輝くものがある。校門に立っていたら目立ってしまうわけで、そんな輝く存在の元に駆け寄っていく勇気は美空にはなかった。
学校の入り口から少し離れた場所で待ち合わせをして、二人で電車へと乗り込んだ。幸いにも、同じ時間に帰る生徒が少なかったようで、二人はあまり目立つこともなく電車に乗って、帰路へと着くことができた。
誰かに見られたくない一心で、足早に黙って電車に乗り込んだ美空だったのだが、やっと落ち着いて一息ついたところで、夕が上から覗き込んできた。
「美空くん、どこ行こうか?」
「えっと、それは考えていなくて……」
そうだろうと思った、と言って、くすくすと夕が笑いだす。美空は困ってしまった。遊びたいとは思ったものの、遊んだことがないので遊び方が分からなかったのだ。それを見越していたのか、夕は途中の駅で降りた。
「美空くん、映画は好き?」
「あんまり、観たことがないんですけど……」
「じゃあ、今日は僕と一緒に映画を観て遊ぶのはどう?」
夕の提案に、美空はとっさに顔を上げた。ちょうど、見たい映画が上映中だったのだ。いつもは、いに行かずにレンタルになるまで待っていたのだが、今日くらいはそれを観てもいいのかもしれないと思った。
「それは、良いって顔だね。じゃあ、こっち」
行こうと手を引っ張られて、美空の足が軽やかに動き始める。神様は美空の気持ちを察することが上手だ。美空は夕のひんやりとした手を掴みながら、じんわりと心が温かくなっていくのを感じていた。
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