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夏休み初旬 私と絵

近づく体と図鑑

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夏休みに入って1週間。

課題はぼちぼち、部活は適当にこなしていた。

でも今回の夏はいつものような夏ではない。

お父さんの仕事の手伝いがある。

ここ7日間、毎日じゃないけど充実している気がした。

何か予定があることは気持ち的にも良いことらしい。

詰めすぎるとよくないけど。

それに今週の土曜日は涼と海へ行く。

しかし終わったら夏のメインイベントは無くなってしまうが、1回夏らしいことをすれば私は満足だ。

別にその日から予定が無くなるわけじゃない。

夏休み中は手伝いがずっとあるのだから。

勿論今日もお父さんの仕事場に居る。

3日に1回か、2日に1回の頻度で来ているから受付のお姉さん方も私とは顔見知りになった。

仕事場に着くと、真っ先に受付へ顔を出す。



「才田凛音さんをお願いします」



才田さんの名前を出してお姉さん方に言うとキラキラした眼差しになるのはわかってる。

どこかに電話をかけて話す声もやはり高い。

この場所では才田さんはクールなアイドルだ。

しかし私と2人の時にはクールではなくなる。

それを知らないお姉さん方はクールな才田さんにときめいているみたい。

才田さんの呼び出しが終わると、お待ちくださいと言われて私は受付で待つ。

たまに「学校の宿題はどうなの?」とか「部活は?」とかを質問してくれるので沈黙はそこまでなかった。



「桜様お待ちしてました」



才田さんは私の呼び出しがかかるとすぐに来てくれる。

案の定、受付のお姉さん方は目がハートになっていて、そんな姿を見た才田さんは「お疲れ様です」とクールに挨拶した。



「それでは行きましょう」

「はい」  



お姉さん方に軽くお辞儀をして私は才田さんと共に地下の研究室へ向かう。

私1人だと立ち入れないから、才田さんの力が必要なのだ。

これが仕事場の一連の流れ。

後は研究室に入って青年がいる扉の前で軽く打ち合わせをして会話を開始する感じだ。



「桜様、今日はどうする予定で?」

「塗り絵を持ってきたんです。それを話題にしようかなって。最初は色鉛筆の方が良いかもしれないと思ったんですけど、あの細い腕で描くのなら筆を使った方が楽かなと思ったので絵の具を持ってきました。少し大荷物に見えますけど」

「なるほど。そういえば、彼も本をねだったようです。私は詳しい事はわかりませんが他の研究員が言ってました。初めて自分の欲求を言ったようで…」

「そうなんですか?その本は今は…?」

「彼が持ってます。それも1つの話題に出来るかと」

「わかりました。それでは行ってきます」

「何かあればすぐに言ってください。…扉を開けます」



重い音はいつも変わらない。

青年の元へ行く時は心臓が今でもバクバクと動く。

まだ緊張は解けていないみたいだ。

それでも私はお父さんの手伝いに来ている。

逃げ出すわけにはいかない。

完全に扉が開けば1歩ずつ歩く。

扉がが閉まると同時に青年は顔を上げてこっちを見た。



「こんにちは」

「…こんにちは」



いつもと同じ体育座り。

でも前と違うのは周りに私が描いた絵が散らばっている事だ。

なんだか嬉しくて私は小走りで駆け寄る。

よく見たら足元には1冊の図鑑が置いてあった。



「これ図鑑ですか?」

「うん…。動物の…」



私が本について聞くと、青年は細い腕で図鑑を持ち上げて太ももの上に乗せる。

きっとその腕では重いだろうなと思い見てしまった。

私は隣に座って開かれた図鑑を覗き込む。



「好きなの、ある?」

「好きな動物ですか?…うさぎとか?モフモフの」

「うさぎ…」



青年は迷うことなくページを捲る。

目次を見なくたってわかるらしい。

それくらい使い込んでいるのか。

最後にあったのは3日前。

多くて3日間で頭に入れたことになる。

凄いなと私は感心した。

うさぎのページを開いた青年は少し図鑑をずらして私に見えやすいように持ってきてくれる。

私は本の半分を手で支えてうさぎを見た。



「可愛い…!」

「これとか…あったかそう」

「本当ですね!白いうさぎも茶色いうさぎも可愛いなぁ」

「うん…」



お互いに図鑑へ指を置いて話し合う。

うさぎトークでこんなにも盛り上がるとは。

すると青年は1番上に載っていた、真っ白いうさぎを細く折れそうな人差し指で差す。



「これ、描いてほしい…」

「任せてください」



塗り絵の存在を忘れて私は何も描かれていない大きめのメモ帳を取り出すと、鉛筆を持って描き始める。

青年が持っている図鑑を時々見ながら。

モフモフ感を出すために鉛筆を動かすと青年視線を感じる。

興味津々で見てくれていて私も描きがいがあった。

気合を入れて描くとすぐに出来上がり、私は前と同じようにメモ帳を破って青年に渡すと、両手で大事そうに受け取ってくれた。



「可愛い…」

「意外と上手く描けました。ポイントはクリクリの目です」

「うん…」



青年は自分の目の前に紙を持ってきてジッと見つめると図鑑の上に乗せる。

そしてうざきを指でなぞるように動かした。

尻尾を通って耳へ到達する。

丸くなっている背中を通ればうさぎの出来上がり。



「こうすると、楽しい…」

「あっ、そうだ」



やっと塗り絵を思い出して私はバッグから1冊出す。

表紙を見せるように持ってくると青年の目は輝いた。



「ぬりえ…」

「はい!私、絵の具持ってきたんです。良ければ一緒にやりませんか?」

「うん」



頷いてくれた青年に塗り絵の本を渡して、色付けたい絵を探してもらう。

その間に私はパレットを出して絵の具の準備を始めた。



「どうでしょう?塗りたいのありますか?」

「…犬があった」

「それじゃあ犬を塗りましょうか」



先程、私が描いたうさぎよりもクリクリの目をしている犬のページを開く青年。

私はペットボトルの水で少し濡らした筆を青年に手渡した。



「何の色が良いですか?」

「色…」

「犬って色んな模様とか、色があるから自由で良いと思います。普通じゃない色だって芸術的になって素敵なので。真っ黒でも、水玉模様でも、紫色でも構いませんよ」

「……」



私はあるだけの絵の具を床に並べてどんな色があるかを見せる。

青年が手を伸ばした色は水色だった。

水色の犬なんているだろうか。

いや、何でも良いと言ったのは私だ。

青年水色の絵の具を私に預ける。

私はパレットにまずは少量の絵の具を出した。



「このままの色が良いですか?それとも濃くします?薄めます?」

「え?」

「えっと、濃くすると……こんな感じ。薄めると…こうなります」



私は絵の具を混ぜ合わせたり、水を足したりして色を変えさせる。

その瞬間を1秒も逸らさずに青年は見ていた。

私も絵の具の色を徐々に変える瞬間が楽しい。

まるで実験みたいで。

持っているパレットを青年に近づけて説明する。



「好きな色を取ってください。あ、勿論筆で。それをこの塗り絵の隙間に塗っていけば完成です」

「うん…」



私の言葉通りに青年はパレットに筆をつける。

控えめに絵の具を取ると、塗り絵の犬に線を描いた。



「綺麗な色になって良かった…」



青年は続けて犬の体に線を引くように筆を動かす。

染まっていく犬の姿はまるで真っ青な空のようだった。

夢中で染める青年はどこか楽しそうに感じる。

私はその顔を見れて満足だ。

塗り絵を買おうと思ってくれてありがとうと、当時の自分を褒めてあげた。
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