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第1章:出会い
第5話:日参
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「これは、これは、よく来てくださいました」
見習同心小林海太郎は檜垣屋に日参していた。
檀家数十万を超える檜垣屋に婿に入るために顔を売ろうとしていた。
その企みを知っていても、大番頭の角兵衛は満面の笑みを浮かべて迎える。
「この前は申し訳なかったな。
父上と年寄りの方々には話を通しておいたのだが、お奉行や与力の方々が反対されては、同心ではどうにもならんのだ」
「いえ、いえ、小林様が頑張ってくださったのはよく存じております。
ただ、御隠居と主人がご本家の対応に苦慮しているのです」
「御本家……檜垣河内家だったな。
二の禰宜殿が何か言ってきたのか」
「檜垣屋の隆盛は御本家でも羨ましく思っておられます。
神宮家は神領の事で何かと入用の多いのです。
御本家のお孫様はゆうお嬢さんの又従弟にあたられます。
その方が檜垣屋の当主に成れれば、何かと無理を言い易くなるのです」
「だが、檜垣河内家の子供はまだ幼いのではなかったか」
「お嬢様よりも六つ年下ですが、それくらいの歳の差は公家の家では当たり前のことなのです」
「くっ、何とかならんのか、何とか」
「小林様が檜垣屋に大きな利を与えてくだされば、大番頭の私も話がしやすいのですが、今はとてもとても」
「利か、利さえ与えられたら味方になってくれるのだな」
「これまでも色々と便宜を図らせていただいてきた心算ですが」
「分かっている、分かっているが、もっと何とかならないのか」
「大番頭とは言え、檜垣屋に貢献されてくださらないと、どうにもなりません」
「檜垣屋に利をもたらしたら、養子に推挙してくれるのだな」
「御隠居と当主、御本家を黙らせるくらいの利をもたらしてくだされば、命を賭けて推挙させていただきます」
「約束だぞ」
最後は吐き捨てるように言って小林海太郎は去って行った。
大番頭の角兵衛は、このような男に恋心を抱いてしまったお嬢さんに溜息のでる思いだった。
だが小林海太郎も最初からこのように傲慢だったわけではない。
十三歳で見習同心として出仕し、周りの町衆からちやほやと甘やかされ、毎日のように袖の下を貰っているうちに、おかしくなってしまったのだ。
まだ幼い頃、斎宮のどんど花を観賞に行った際に、偶然奉行所恒例の花見とかちあい、仲良くなってしまったのだ。
大番頭の角兵衛がまだ手代だった頃の話だが、今は病に臥せっている女将さんとお嬢さん、珍しく御隠居と主人までそろっての遊興だった。
大番頭としては、どうせ恋心を抱くのなら、役高千石で諸大夫芙蓉間詰の格式を誇る、お奉行の子弟と恋仲になってもらいたかった。
せめて御目見以上の旗本で、焼火の間詰の伊勢奉行所支配組頭の子弟と恋仲になってくれていたら、心から応援する事ができた。
山田三方の人々から「お頭衆」「お屋敷さん」と信頼を込めて呼ばれている伊勢奉行所支配組頭は十人もいるのだ。
その子弟で家を継げない者は多い。
その誰でもいいのに、事もあろうに顔だけしか取り柄のない主水同心家の長男に恋するなんて、恋の病ほど質が悪いモノはないと大番頭は思っていた。
「ごめんするよ」
そう物思いに耽っていた大番頭の前に肩衣姿の若者が現れた。
「これは、これは、柘植の若君、何か御用でございますか」
伊勢山田の武士で日常に肩衣を着用するのは支配組頭だけ。
長年伊勢山田で暮らす大番頭がその身分を見間違える訳がない。
ましてお嬢さんと恋仲になってもらいたかったと思っていた、当の本人なのだから間違えようがない。
「役所で海太郎がおかしな動きをしていたのでな。
その理由が聞きたくてやってきたのだが、話してくれるよな」
優し気に話しかける柘植定之丞だったが、その目は全く笑っていなかった。
小林海太郎と同じ十八歳とは思えない、とても厳しい視線だった。
見習同心小林海太郎は檜垣屋に日参していた。
檀家数十万を超える檜垣屋に婿に入るために顔を売ろうとしていた。
その企みを知っていても、大番頭の角兵衛は満面の笑みを浮かべて迎える。
「この前は申し訳なかったな。
父上と年寄りの方々には話を通しておいたのだが、お奉行や与力の方々が反対されては、同心ではどうにもならんのだ」
「いえ、いえ、小林様が頑張ってくださったのはよく存じております。
ただ、御隠居と主人がご本家の対応に苦慮しているのです」
「御本家……檜垣河内家だったな。
二の禰宜殿が何か言ってきたのか」
「檜垣屋の隆盛は御本家でも羨ましく思っておられます。
神宮家は神領の事で何かと入用の多いのです。
御本家のお孫様はゆうお嬢さんの又従弟にあたられます。
その方が檜垣屋の当主に成れれば、何かと無理を言い易くなるのです」
「だが、檜垣河内家の子供はまだ幼いのではなかったか」
「お嬢様よりも六つ年下ですが、それくらいの歳の差は公家の家では当たり前のことなのです」
「くっ、何とかならんのか、何とか」
「小林様が檜垣屋に大きな利を与えてくだされば、大番頭の私も話がしやすいのですが、今はとてもとても」
「利か、利さえ与えられたら味方になってくれるのだな」
「これまでも色々と便宜を図らせていただいてきた心算ですが」
「分かっている、分かっているが、もっと何とかならないのか」
「大番頭とは言え、檜垣屋に貢献されてくださらないと、どうにもなりません」
「檜垣屋に利をもたらしたら、養子に推挙してくれるのだな」
「御隠居と当主、御本家を黙らせるくらいの利をもたらしてくだされば、命を賭けて推挙させていただきます」
「約束だぞ」
最後は吐き捨てるように言って小林海太郎は去って行った。
大番頭の角兵衛は、このような男に恋心を抱いてしまったお嬢さんに溜息のでる思いだった。
だが小林海太郎も最初からこのように傲慢だったわけではない。
十三歳で見習同心として出仕し、周りの町衆からちやほやと甘やかされ、毎日のように袖の下を貰っているうちに、おかしくなってしまったのだ。
まだ幼い頃、斎宮のどんど花を観賞に行った際に、偶然奉行所恒例の花見とかちあい、仲良くなってしまったのだ。
大番頭の角兵衛がまだ手代だった頃の話だが、今は病に臥せっている女将さんとお嬢さん、珍しく御隠居と主人までそろっての遊興だった。
大番頭としては、どうせ恋心を抱くのなら、役高千石で諸大夫芙蓉間詰の格式を誇る、お奉行の子弟と恋仲になってもらいたかった。
せめて御目見以上の旗本で、焼火の間詰の伊勢奉行所支配組頭の子弟と恋仲になってくれていたら、心から応援する事ができた。
山田三方の人々から「お頭衆」「お屋敷さん」と信頼を込めて呼ばれている伊勢奉行所支配組頭は十人もいるのだ。
その子弟で家を継げない者は多い。
その誰でもいいのに、事もあろうに顔だけしか取り柄のない主水同心家の長男に恋するなんて、恋の病ほど質が悪いモノはないと大番頭は思っていた。
「ごめんするよ」
そう物思いに耽っていた大番頭の前に肩衣姿の若者が現れた。
「これは、これは、柘植の若君、何か御用でございますか」
伊勢山田の武士で日常に肩衣を着用するのは支配組頭だけ。
長年伊勢山田で暮らす大番頭がその身分を見間違える訳がない。
ましてお嬢さんと恋仲になってもらいたかったと思っていた、当の本人なのだから間違えようがない。
「役所で海太郎がおかしな動きをしていたのでな。
その理由が聞きたくてやってきたのだが、話してくれるよな」
優し気に話しかける柘植定之丞だったが、その目は全く笑っていなかった。
小林海太郎と同じ十八歳とは思えない、とても厳しい視線だった。
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