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第6章:伊勢歌舞伎
第63話:三代目染山喜十郎
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最近顔色が優れず、何かにつけて溜息をつく愛妻ゆうを案じる柘植定之丞は、歌舞伎見物を考えたのだが、檜垣屋に大反対されてしまった。
「定之丞様、ゆうを案じてくださるのは心から有り難いと思っております。
しかしながら、人の多い芝居小屋に妊婦を行かせるのは危険でございます。
どうかお考え直しください」
伊賀忍者として代々伝えられた知識で、妊娠の時期によっては動いた方が良いと知っている定之丞だが、ゆうと腹の子を真剣に案じる隠居には逆らえなかった。
今更芝居小屋を貸し切りから大丈夫だとも言えない雰囲気だった。
芝居見物を心から楽しみにしているゆうにも、見物に行くと使いをやった澤村一座にも悪いと思ったが、こればかりは仕方がなかった。
檜垣屋には二人目以降の男子を跡継ぎに送ると約束しているのだ。
一人目の孫が腹にいる状態で、二人目の男児を心待ちにしている隠居を怒らせ、老体に何かあってはいけないとも思ったのだ。
これで芝居見物は流れると思われたのだが、染山喜十郎と言う役者が座長以下の主だった役者を説得した。
「座長も皆も伊勢の事は耳にしているだろう。
伊勢で一番力を持っているのは、御奉行様ではなく柘植様だ。
伊勢御師を牛耳っておられるのも柘植様だ。
京大阪の博徒を懲らしめられたのも柘植様だ。
この後の京大阪興行でも、柘植様の御力を借りられるかもしれない。
ここは何としてでも柘植様のご機嫌を取るべきだ」
普段は飲む打つ買うの三拍子が揃った遊び人の三代目染山喜十郎が、何時になくまともな事を言うのに、座長以下の役者たちは驚いた。
だが、染山喜十郎の言う事は皆事前に聞き知っている事だった。
興行先がどのような状態なのか、歌舞伎仲間に問い合わせるのは常識だし、年に一度は伊勢に来ているので、自分達の目と耳でも確かめている。
それに、七年前まで澤村一座を背負ってきた助高屋高助の実子である、染山喜十郎の言葉を無碍にはできなかった。
心がけが悪く芸も心もとないが、助高屋高助の弟子たちは、何としても一人前の役者に育てなければ師匠に恩返しができないと思っていた。
「御機嫌を取らなければいけないのは分かった。
だがどうやれば良いと思っているのだ」
「柘植様の奥方様の御実家は、権禰宜家の檜垣屋だ。
檜垣屋と言えば伊勢で一二を争う御師宿で、立派な神楽殿を持っている。
そこで演じさせてもらえれば良い」
「神楽殿か、格式高い伊勢神楽を演じる舞台に、我らのような歌舞伎を上げてくれると思っているのか」
「そこはそれ、座長が何とかしてくれれば」
「無理を申すな。
神楽は神々に奉納するか、祈祷やお払いのために行われる由緒正しき物。
格式の高い能や狂言ならともかく、庶民の歌舞伎を舞台に上げてくれる訳がない」
「だったら庭先でも構わないではないか。
元々歌舞伎は地についた物だ。
地廻りで演じる時には舞台のない事もある。
俺はやった事がないが、この中には地方で旅芝居をしていた者もいるだろう」
余りにも必死で訴える染山喜十郎に不審を感じる者が現れるくらい、形振り構わない言動だった。
父親の助高屋高助を鼻にかける染山喜十郎は、ろくに遊ぶ場所もない地方回りを極端に嫌い、整えられた舞台以外には絶対に出ようとしなかったのだ。
「喜十郎が心を入れ変えてそこまで言うのなら、私も覚悟を決めよう。
神楽殿で演じさせてもらえるのならそれに勝る喜びはない。
だが、まず間違いなく断られるだろう。
その時は庭先をお借りして演じさせて欲しいと頼み込む。
反対する者はいるか」
座長である二代目澤村宗十郎の言葉に反対する者は誰もいなかった。
三代目染山喜十郎の言動には不審を感じていても、誰もが興行の成功を願っていたし、その為には柘植家の支援が必要不可欠だと分かっていた。
「定之丞様、ゆうを案じてくださるのは心から有り難いと思っております。
しかしながら、人の多い芝居小屋に妊婦を行かせるのは危険でございます。
どうかお考え直しください」
伊賀忍者として代々伝えられた知識で、妊娠の時期によっては動いた方が良いと知っている定之丞だが、ゆうと腹の子を真剣に案じる隠居には逆らえなかった。
今更芝居小屋を貸し切りから大丈夫だとも言えない雰囲気だった。
芝居見物を心から楽しみにしているゆうにも、見物に行くと使いをやった澤村一座にも悪いと思ったが、こればかりは仕方がなかった。
檜垣屋には二人目以降の男子を跡継ぎに送ると約束しているのだ。
一人目の孫が腹にいる状態で、二人目の男児を心待ちにしている隠居を怒らせ、老体に何かあってはいけないとも思ったのだ。
これで芝居見物は流れると思われたのだが、染山喜十郎と言う役者が座長以下の主だった役者を説得した。
「座長も皆も伊勢の事は耳にしているだろう。
伊勢で一番力を持っているのは、御奉行様ではなく柘植様だ。
伊勢御師を牛耳っておられるのも柘植様だ。
京大阪の博徒を懲らしめられたのも柘植様だ。
この後の京大阪興行でも、柘植様の御力を借りられるかもしれない。
ここは何としてでも柘植様のご機嫌を取るべきだ」
普段は飲む打つ買うの三拍子が揃った遊び人の三代目染山喜十郎が、何時になくまともな事を言うのに、座長以下の役者たちは驚いた。
だが、染山喜十郎の言う事は皆事前に聞き知っている事だった。
興行先がどのような状態なのか、歌舞伎仲間に問い合わせるのは常識だし、年に一度は伊勢に来ているので、自分達の目と耳でも確かめている。
それに、七年前まで澤村一座を背負ってきた助高屋高助の実子である、染山喜十郎の言葉を無碍にはできなかった。
心がけが悪く芸も心もとないが、助高屋高助の弟子たちは、何としても一人前の役者に育てなければ師匠に恩返しができないと思っていた。
「御機嫌を取らなければいけないのは分かった。
だがどうやれば良いと思っているのだ」
「柘植様の奥方様の御実家は、権禰宜家の檜垣屋だ。
檜垣屋と言えば伊勢で一二を争う御師宿で、立派な神楽殿を持っている。
そこで演じさせてもらえれば良い」
「神楽殿か、格式高い伊勢神楽を演じる舞台に、我らのような歌舞伎を上げてくれると思っているのか」
「そこはそれ、座長が何とかしてくれれば」
「無理を申すな。
神楽は神々に奉納するか、祈祷やお払いのために行われる由緒正しき物。
格式の高い能や狂言ならともかく、庶民の歌舞伎を舞台に上げてくれる訳がない」
「だったら庭先でも構わないではないか。
元々歌舞伎は地についた物だ。
地廻りで演じる時には舞台のない事もある。
俺はやった事がないが、この中には地方で旅芝居をしていた者もいるだろう」
余りにも必死で訴える染山喜十郎に不審を感じる者が現れるくらい、形振り構わない言動だった。
父親の助高屋高助を鼻にかける染山喜十郎は、ろくに遊ぶ場所もない地方回りを極端に嫌い、整えられた舞台以外には絶対に出ようとしなかったのだ。
「喜十郎が心を入れ変えてそこまで言うのなら、私も覚悟を決めよう。
神楽殿で演じさせてもらえるのならそれに勝る喜びはない。
だが、まず間違いなく断られるだろう。
その時は庭先をお借りして演じさせて欲しいと頼み込む。
反対する者はいるか」
座長である二代目澤村宗十郎の言葉に反対する者は誰もいなかった。
三代目染山喜十郎の言動には不審を感じていても、誰もが興行の成功を願っていたし、その為には柘植家の支援が必要不可欠だと分かっていた。
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