12 / 32
第1章
第10話:抜け荷
しおりを挟む
江戸で家基が札差相手に強権を発動していた頃、長谷川平蔵は新潟湊にいた。
浅草仙右衛門はもちろん、手を貸していた新潟商人も捕らえる為だ。
一般的な抜け荷は、越後沖ではなく九州で行われていた。
九州各地で、日本の船主が清国の唐船と密貿易を行っていた。
無人島、人のいない海岸、船が近寄らない沖合で密貿易を繰り返していた。
唐物の代償が、金銀財宝や俵物なら長谷川平蔵もむきにはならなかった。
浅草仙右衛門が抜荷の代価にしたのが、人間だったから激怒したのだ。
長谷川平蔵は、火付け盗賊改めの権限を最大限利用して、越後長岡藩に領内の取り調べを認めさせた。
取り調べの対象は、商人や船頭だけでなく長岡藩の役人にも及んでいた。
普通なら大名家の名誉にかけて強く抗議する所なのだが、長岡藩は全く抗議しなかった、いや、できなかった。
長岡藩には幕閣にも知られた名家老、山本老迂斎がいた。
江戸には山本老迂斎の盟友である高野常道がいて、主君牧野備前守を支えていた。
山本老迂斎は高野常道の手紙から、大納言家基を襲った一味の探索を邪魔する事は、主君の切腹と改易につながると判断したのだ。
だから抗議ではなく協力をしたのだが、それが長岡藩を改易から救った。
長谷川平蔵が、長岡藩の新潟湊役人が不正をしている事を次々とあばいていった。
その多くが抜荷を見逃す事で得た財貨を隠すための帳簿操作だった。
もし捜査に協力せず、邪魔するような抗議をしていたら、藩が進んで抜荷をしていたと思われ、主君の切腹や藩の改易もありえたのだ。
ただその帳簿操作は、名家老と呼ばれる山本老迂斎でも見つけられない、とても巧妙な物だった。
絶妙な細工で数字を誤魔化していたのだ。
それなのに、急に来てさっと見ただけの火付け盗賊改めの与力同心が、普通なら絶対に見つからないような細かな数字の違いを的確に見つけ出していた。
長谷川平蔵や与力同心にそのような算術の能力があった訳ではない。
先祖代々草として新潟湊に住み着いている柘植の下忍が、何所でどのような不正が行われているかを、具体的に教えてくれたのだ。
多数の有能な草が、そこまで情報を集めていたのには理由があった。
後に北前船と言われる蝦夷と大阪を結ぶ弁財船によって、新潟湊は栄えていた。
多くの商家が立ち並ぶ中に、御定法を破ってでも利益を得ようとする者がいた。
莫大な富を蓄えていただけでなく、柘植松之丞と敵対している浅草仙右衛門と、協力関係にあったのだ。
柘植松之丞は、江戸の暗黒街を完全に支配するために下忍を送り込んでいたのだ。
それと、単に殺すだけでなく、莫大な富を盗む気でいた。
だから柘植の下忍は、新潟湊の商家や豪農の家に盗みに入るのに、役人の不正を利用する事まで考えていたので、詳しく調べていたのだ。
商家や豪農を柘植松之丞の舐役が調べるだけでなく、草を兼ねた引き込みを新潟湊の商家や豪農の家に送り込んでいた。
引き込みの中には、妻や夫を持ち、子供までもうけている者がいた。
単なる盗賊の舐役ではできない、忍者の草だからできる、子々孫々に与えられた役目として、新潟湊の商家や豪農の家に入り込んでいた。
「御頭、この商家に浅草仙右衛門の手先が匿われております」
引き込みが長谷川平蔵に浅草仙右衛門の潜伏先を教えた。
抜荷商人の屋敷の前に、長谷川平蔵と二人の同心がいた。
抜荷に関係する新潟商人の店舗兼用の屋敷だった。
新潟湊では、六つもの商家が抜荷に手を染めており、一家だけ先に捕縛に入ると、他の五家が証拠を消すだけでなく、浅草仙右衛門を逃がしてしまうかもしれない。
引き込みも、十割の自信があって浅草仙右衛門だと言っているわけではない。
浅草仙右衛門を名乗っている六人の内で、一番確率が高い奴だと言っているだけだった。
「一人も逃がすな、手向かうものは斬って捨てよ!」
火付け盗賊改め方の同心が、商家の表戸を叩き壊して押し入った。
完全に不意を突く事ができたので、裏の事情を何も知らない丁稚や下男下女が、慌て騒いでいた。
人が悪事に加担している事を知っている番頭や手代は、顔面蒼白となって逃げようとしたが、与力同心に叩きのめされて身動きできなくなる。
奥にいた主人は裏口から逃げようとしたが、裏口からも、与力一人と同心二人が誰一人逃がさない覚悟で討ち入って来る。
「しゃらくせぇ、捕まえられるものなら捕まえてみやがれ!」
逃げられないと覚悟を決めた浅草仙右衛門が、大刀を中段に構えて逆襲してきた。
浅草仙右衛門を守るように四人の男が向かってくる。
五人が狙ったのは長谷川平蔵だった。
ただ一人、与力同心とは明らかに違う、身分の高い装束をしいていたからだ。
悪党の執念なのか、身分の高い武士を道連れにしようとした。
浅草仙右衛門は、それなりに剣の稽古をしたと思われる姿だった。
他の四人は、多少は道場で鍛えたように見える程度だった。
ただ、度胸だけは腑抜けた幕臣よりもあった。
誰かが斬られても構わない覚悟と勢いで、生き残った者が長谷川平蔵を斬れればいいという勢いで、襲い掛かってきた。
浅草仙右衛門も、四人の配下から僅かに遅れて突きを入れて来た。
どれほど名の知れた剣客でも、先に襲って来た四人を斬り倒した後では、浅草仙右衛門を斃せない、逆に斬られると思えた。
だが、長谷川平蔵が編み出した歩法は変幻自在で敵を幻惑する。
流れるように動いて敵を返り討ちにする。
江戸の拠点を急襲した時に比べて、浅草仙右衛門一味は人数が少な過ぎた。
もう少し人数がいれば、腕利きが十人いれば、長谷川平蔵を斬れたかもしれない。
「御頭、人相書きと違います!」
長谷川平蔵が討ち入ったのは、浅草仙右衛門が潜伏している可能性が一番高い商家だったが、残念ながら本人ではなかった。
そこにいたのは浅草仙右衛門を名乗る影武者だった。
長年商家に入り込んでいる腕利きの下忍でも、食事の時以外は常に宗十郎頭巾をかぶっているので、確認のしようがなかった。
何より、匿っている商家の主人自身が浅草仙右衛門だと信じていたのだ。
六商家の当主全員が、自分が匿っている男こそ本物の浅草仙右衛門だと、信じていたのだ。
使用人に影武者だと見抜けるわけがなかった。
残念なことに、六カ所の商家の何処にも浅草仙右衛門はいなかった。
人相書きに少し似た男もいたが、犬狩りのために赤城山にいた長谷川平蔵に知らせを届けに来た柘植松之丞の伝令が、浅草仙右衛門ではないと断言した。
柘植松之丞は、浅草仙右衛門の顔を知っている配下を平蔵につけてくれたのだ。
新潟湊に浅草仙右衛門がいると知らせを受けた柘植松之丞も、憶病かと思われるくらい慎重な仙右衛門が、何時までも新潟にいるとは思っていなかった。
長年対立してきたので、浅草仙右衛門は柘植松之丞の実力を知っている。
落ち目になった仙右衛門を、松之丞が見逃すとは思わないはずだと考えていた。
十中八九、江戸から遠く離れた場所まで逃げていると思っていた。
とはいえ、何かの事情で新潟を離れられない可能性も皆無ではなかった。
だから、仙右衛門が新潟にいるという知らせを受けて直ぐに平蔵に知らせたのだ。
それと、家基を操るのに邪魔な平蔵を江戸から遠ざけようとしたのもあった。
「知っている事は全て話せ!」
長谷川平蔵は、長岡藩の奉行所を借りて、捕らえた連中に激しい拷問を加えた。
普通なら、老中の許可を貰わなければ拷問はできない。
だが今回の事件は、大納言家基に対する暗殺未遂事件なのだ。
取り調べの邪魔をするような事があれば、家治将軍の逆鱗に触れる。
いや、その前に家基から厳しい罰を受ける事になる。
そんな家基の行動を、家治将軍が追認するのは誰の目にも明らかだった。
だからこそ、長岡藩の家老山本老迂斎は、唯々諾々と長谷川平蔵に従うのだ。
家基暗殺未遂事件の協力者が領内の商人だったのだ。
その商人から賄賂を受け取っていた藩士が、抜荷に加担していたのだ。
僅かでも庇っていると思われたら、主君が斬首される恐れがある。
山本老迂斎は、藩士全員に火付け盗賊改めに全面協力するように命じた。
武士の誇りを踏みにじられるような事があっても、唯々諾々と従えと命じた。
少しでも頭の働く者はその指示に従った。
ところが、まだ悪事が露見していない藩士が数多くいたのだ。
柘植松之丞が下忍を引き込みに入れていたのは、とても豊かな商家か豪農だけだったので、悪徳役人を全て把握している訳ではなかった。
把握していたのは、自分と敵対していた浅草仙右衛門の抜荷に関係していた商人と豪農だけだった、彼らから賄賂を受け取っていた悪徳役人だけだった。
なので、浅草仙右衛門一味から賄賂を受け取っていない、まだ捕らえられていない悪徳役人が、長谷川平蔵を恐れて逐電した。
「捕らえよ、地の果てまで追いかけてでも捕らえるのだ!」
何としてでも主君と藩を守りたい家老の山本老迂斎は、動かせる藩士を総動員して逐電した悪徳役人を追わせた。
長谷川平蔵は、山本老迂斎を始めとした長岡藩士を哀れに思った。
表向き怒り易く、安祥譜代まで平気で斬首する次期将軍の逆鱗に触れそうなのだ。
山本老迂斎を始めとした長岡藩士が慌てふためく気持ちは良く分かった。
ただ、長谷川平蔵自身は、家基を恐ろしいとは思った事は一度もない。
むしろ超箱入り息子で操り易いと思っていた。
できる事ならずっと側近くに仕えて、柳沢吉保や田沼意次のような立身出世をしたいと思っていた。
そのためには、何としてでも浅草仙右衛門を捕らえないといけない。
だから長岡藩も利用できるだけ利用する気でいた。
長岡藩が逃げた悪徳役人を追ってくれれば、自分達は浅草仙右衛門を追いかけられると割り切った。
藩への処罰を逃れたい山本老迂斎は、どのような依頼も命令も聞いてくれる。
それが例え藩士を総動員して浅草仙右衛門を追えと言うものであってもだ。
長谷川平蔵は、江戸と違って使える手先が少ないので、頭を下げる事も高飛車に命じる事もなく長岡藩士を使えるなら、山本老迂斎を利用し続ける気でいた。
浅草仙右衛門はもちろん、手を貸していた新潟商人も捕らえる為だ。
一般的な抜け荷は、越後沖ではなく九州で行われていた。
九州各地で、日本の船主が清国の唐船と密貿易を行っていた。
無人島、人のいない海岸、船が近寄らない沖合で密貿易を繰り返していた。
唐物の代償が、金銀財宝や俵物なら長谷川平蔵もむきにはならなかった。
浅草仙右衛門が抜荷の代価にしたのが、人間だったから激怒したのだ。
長谷川平蔵は、火付け盗賊改めの権限を最大限利用して、越後長岡藩に領内の取り調べを認めさせた。
取り調べの対象は、商人や船頭だけでなく長岡藩の役人にも及んでいた。
普通なら大名家の名誉にかけて強く抗議する所なのだが、長岡藩は全く抗議しなかった、いや、できなかった。
長岡藩には幕閣にも知られた名家老、山本老迂斎がいた。
江戸には山本老迂斎の盟友である高野常道がいて、主君牧野備前守を支えていた。
山本老迂斎は高野常道の手紙から、大納言家基を襲った一味の探索を邪魔する事は、主君の切腹と改易につながると判断したのだ。
だから抗議ではなく協力をしたのだが、それが長岡藩を改易から救った。
長谷川平蔵が、長岡藩の新潟湊役人が不正をしている事を次々とあばいていった。
その多くが抜荷を見逃す事で得た財貨を隠すための帳簿操作だった。
もし捜査に協力せず、邪魔するような抗議をしていたら、藩が進んで抜荷をしていたと思われ、主君の切腹や藩の改易もありえたのだ。
ただその帳簿操作は、名家老と呼ばれる山本老迂斎でも見つけられない、とても巧妙な物だった。
絶妙な細工で数字を誤魔化していたのだ。
それなのに、急に来てさっと見ただけの火付け盗賊改めの与力同心が、普通なら絶対に見つからないような細かな数字の違いを的確に見つけ出していた。
長谷川平蔵や与力同心にそのような算術の能力があった訳ではない。
先祖代々草として新潟湊に住み着いている柘植の下忍が、何所でどのような不正が行われているかを、具体的に教えてくれたのだ。
多数の有能な草が、そこまで情報を集めていたのには理由があった。
後に北前船と言われる蝦夷と大阪を結ぶ弁財船によって、新潟湊は栄えていた。
多くの商家が立ち並ぶ中に、御定法を破ってでも利益を得ようとする者がいた。
莫大な富を蓄えていただけでなく、柘植松之丞と敵対している浅草仙右衛門と、協力関係にあったのだ。
柘植松之丞は、江戸の暗黒街を完全に支配するために下忍を送り込んでいたのだ。
それと、単に殺すだけでなく、莫大な富を盗む気でいた。
だから柘植の下忍は、新潟湊の商家や豪農の家に盗みに入るのに、役人の不正を利用する事まで考えていたので、詳しく調べていたのだ。
商家や豪農を柘植松之丞の舐役が調べるだけでなく、草を兼ねた引き込みを新潟湊の商家や豪農の家に送り込んでいた。
引き込みの中には、妻や夫を持ち、子供までもうけている者がいた。
単なる盗賊の舐役ではできない、忍者の草だからできる、子々孫々に与えられた役目として、新潟湊の商家や豪農の家に入り込んでいた。
「御頭、この商家に浅草仙右衛門の手先が匿われております」
引き込みが長谷川平蔵に浅草仙右衛門の潜伏先を教えた。
抜荷商人の屋敷の前に、長谷川平蔵と二人の同心がいた。
抜荷に関係する新潟商人の店舗兼用の屋敷だった。
新潟湊では、六つもの商家が抜荷に手を染めており、一家だけ先に捕縛に入ると、他の五家が証拠を消すだけでなく、浅草仙右衛門を逃がしてしまうかもしれない。
引き込みも、十割の自信があって浅草仙右衛門だと言っているわけではない。
浅草仙右衛門を名乗っている六人の内で、一番確率が高い奴だと言っているだけだった。
「一人も逃がすな、手向かうものは斬って捨てよ!」
火付け盗賊改め方の同心が、商家の表戸を叩き壊して押し入った。
完全に不意を突く事ができたので、裏の事情を何も知らない丁稚や下男下女が、慌て騒いでいた。
人が悪事に加担している事を知っている番頭や手代は、顔面蒼白となって逃げようとしたが、与力同心に叩きのめされて身動きできなくなる。
奥にいた主人は裏口から逃げようとしたが、裏口からも、与力一人と同心二人が誰一人逃がさない覚悟で討ち入って来る。
「しゃらくせぇ、捕まえられるものなら捕まえてみやがれ!」
逃げられないと覚悟を決めた浅草仙右衛門が、大刀を中段に構えて逆襲してきた。
浅草仙右衛門を守るように四人の男が向かってくる。
五人が狙ったのは長谷川平蔵だった。
ただ一人、与力同心とは明らかに違う、身分の高い装束をしいていたからだ。
悪党の執念なのか、身分の高い武士を道連れにしようとした。
浅草仙右衛門は、それなりに剣の稽古をしたと思われる姿だった。
他の四人は、多少は道場で鍛えたように見える程度だった。
ただ、度胸だけは腑抜けた幕臣よりもあった。
誰かが斬られても構わない覚悟と勢いで、生き残った者が長谷川平蔵を斬れればいいという勢いで、襲い掛かってきた。
浅草仙右衛門も、四人の配下から僅かに遅れて突きを入れて来た。
どれほど名の知れた剣客でも、先に襲って来た四人を斬り倒した後では、浅草仙右衛門を斃せない、逆に斬られると思えた。
だが、長谷川平蔵が編み出した歩法は変幻自在で敵を幻惑する。
流れるように動いて敵を返り討ちにする。
江戸の拠点を急襲した時に比べて、浅草仙右衛門一味は人数が少な過ぎた。
もう少し人数がいれば、腕利きが十人いれば、長谷川平蔵を斬れたかもしれない。
「御頭、人相書きと違います!」
長谷川平蔵が討ち入ったのは、浅草仙右衛門が潜伏している可能性が一番高い商家だったが、残念ながら本人ではなかった。
そこにいたのは浅草仙右衛門を名乗る影武者だった。
長年商家に入り込んでいる腕利きの下忍でも、食事の時以外は常に宗十郎頭巾をかぶっているので、確認のしようがなかった。
何より、匿っている商家の主人自身が浅草仙右衛門だと信じていたのだ。
六商家の当主全員が、自分が匿っている男こそ本物の浅草仙右衛門だと、信じていたのだ。
使用人に影武者だと見抜けるわけがなかった。
残念なことに、六カ所の商家の何処にも浅草仙右衛門はいなかった。
人相書きに少し似た男もいたが、犬狩りのために赤城山にいた長谷川平蔵に知らせを届けに来た柘植松之丞の伝令が、浅草仙右衛門ではないと断言した。
柘植松之丞は、浅草仙右衛門の顔を知っている配下を平蔵につけてくれたのだ。
新潟湊に浅草仙右衛門がいると知らせを受けた柘植松之丞も、憶病かと思われるくらい慎重な仙右衛門が、何時までも新潟にいるとは思っていなかった。
長年対立してきたので、浅草仙右衛門は柘植松之丞の実力を知っている。
落ち目になった仙右衛門を、松之丞が見逃すとは思わないはずだと考えていた。
十中八九、江戸から遠く離れた場所まで逃げていると思っていた。
とはいえ、何かの事情で新潟を離れられない可能性も皆無ではなかった。
だから、仙右衛門が新潟にいるという知らせを受けて直ぐに平蔵に知らせたのだ。
それと、家基を操るのに邪魔な平蔵を江戸から遠ざけようとしたのもあった。
「知っている事は全て話せ!」
長谷川平蔵は、長岡藩の奉行所を借りて、捕らえた連中に激しい拷問を加えた。
普通なら、老中の許可を貰わなければ拷問はできない。
だが今回の事件は、大納言家基に対する暗殺未遂事件なのだ。
取り調べの邪魔をするような事があれば、家治将軍の逆鱗に触れる。
いや、その前に家基から厳しい罰を受ける事になる。
そんな家基の行動を、家治将軍が追認するのは誰の目にも明らかだった。
だからこそ、長岡藩の家老山本老迂斎は、唯々諾々と長谷川平蔵に従うのだ。
家基暗殺未遂事件の協力者が領内の商人だったのだ。
その商人から賄賂を受け取っていた藩士が、抜荷に加担していたのだ。
僅かでも庇っていると思われたら、主君が斬首される恐れがある。
山本老迂斎は、藩士全員に火付け盗賊改めに全面協力するように命じた。
武士の誇りを踏みにじられるような事があっても、唯々諾々と従えと命じた。
少しでも頭の働く者はその指示に従った。
ところが、まだ悪事が露見していない藩士が数多くいたのだ。
柘植松之丞が下忍を引き込みに入れていたのは、とても豊かな商家か豪農だけだったので、悪徳役人を全て把握している訳ではなかった。
把握していたのは、自分と敵対していた浅草仙右衛門の抜荷に関係していた商人と豪農だけだった、彼らから賄賂を受け取っていた悪徳役人だけだった。
なので、浅草仙右衛門一味から賄賂を受け取っていない、まだ捕らえられていない悪徳役人が、長谷川平蔵を恐れて逐電した。
「捕らえよ、地の果てまで追いかけてでも捕らえるのだ!」
何としてでも主君と藩を守りたい家老の山本老迂斎は、動かせる藩士を総動員して逐電した悪徳役人を追わせた。
長谷川平蔵は、山本老迂斎を始めとした長岡藩士を哀れに思った。
表向き怒り易く、安祥譜代まで平気で斬首する次期将軍の逆鱗に触れそうなのだ。
山本老迂斎を始めとした長岡藩士が慌てふためく気持ちは良く分かった。
ただ、長谷川平蔵自身は、家基を恐ろしいとは思った事は一度もない。
むしろ超箱入り息子で操り易いと思っていた。
できる事ならずっと側近くに仕えて、柳沢吉保や田沼意次のような立身出世をしたいと思っていた。
そのためには、何としてでも浅草仙右衛門を捕らえないといけない。
だから長岡藩も利用できるだけ利用する気でいた。
長岡藩が逃げた悪徳役人を追ってくれれば、自分達は浅草仙右衛門を追いかけられると割り切った。
藩への処罰を逃れたい山本老迂斎は、どのような依頼も命令も聞いてくれる。
それが例え藩士を総動員して浅草仙右衛門を追えと言うものであってもだ。
長谷川平蔵は、江戸と違って使える手先が少ないので、頭を下げる事も高飛車に命じる事もなく長岡藩士を使えるなら、山本老迂斎を利用し続ける気でいた。
2
あなたにおすすめの小説
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
電子の帝国
Flight_kj
歴史・時代
少しだけ電子技術が早く技術が進歩した帝国はどのように戦うか
明治期の工業化が少し早く進展したおかげで、日本の電子技術や精密機械工業は順調に進歩した。世界規模の戦争に巻き込まれた日本は、そんな技術をもとにしてどんな戦いを繰り広げるのか? わずかに早くレーダーやコンピューターなどの電子機器が登場することにより、戦場の様相は大きく変わってゆく。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる