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第一部 異世界建築士と獣人の少女
第81話:建築士ムラタ、始動
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瀧井さんとの酒の席は、実に有意義な時間だった。
全面的に改めるわけではないが、自分の歴史認識の偏りや視野の狭さに気付かされた。
なにより、リトリィへの想いを共有できる同志を得た気分だ。
足元をふらつかせながら宿に戻る。正直、どうやって帰ってきたのか、あまり記憶にない。
部屋に入ると、客人がいた。
ペリシャさんだった。
リトリィはというと、目は赤い、服の胸元は濡れている、一体何があったのだろう。
「ほら、旦那様がお戻りになられましたよ? ちゃんと笑顔でお迎えしなきゃ」
「は、はい……」
しゃくりあげながら立ち上がるリトリィに、自分が約束の時間を一刻もオーバーしたことの罪深さに、今更ながら気づく。
「では、わたしはこれにて失礼させていただきますね。リトリィさん、ほら、笑顔、笑顔」
そう言って笑顔ですれ違いざま、
「うちの人も、あとでお仕置きね――」
低い声で、怖いことを言う。
ぱたんと扉が閉まったあと、俺は酔いが一気に醒める思いだった。
「あー……リトリィ、遅くなった――」
すべてを言い終わる前に、リトリィが飛び込んでくる。
飛びつかれて、自分でも思ったより酔いが回っていたのか、支えきれずにそのまま床に倒れ込んでしまった。
「――しりません」
彼女は嗚咽が止まらないまま、俺の懐に顔を埋め、その一言だけを言う。
あ、これはマジで怒っている奴だ。……まずい。
「あ、あのさ、つい、瀧井の爺さんと話が……」
「しりません」
「えっと、これから、夫婦として生活するうえで参考に――」
「しりません」
「――ごめん」
「し――」
リトリィは言いかけて、そして。
「赦してほしい、ですか?」
真っ赤な目で、首をもたげる。彼女の美しい青紫の瞳が、ひどいことになっている。
ひどいことになっているが――
涙で潤んだその瞳を、美しいと思ってしまうのは、俺の業の深さゆえか。
「赦してほしい」
「じゃあ――」
そっと、俺の口をふさぎ。
「愛して――抱いて、ください」
ごめんリトリィ。
泣かないで。
君に魅力が無いんじゃないんだよ。
本当だ、信じてくれ。
お酒が悪い――んじゃなくて、飲み過ぎた俺が悪いのです。
本当に、果てしなく、ごめんなさい。
ついでにMONJA-STORMを口からぶちまけた俺の世話も、きっちりさせてしまって、心の底から、本当にごめんなさい。
はい。約束します。
もう絶対に飲み過ぎません。
「……お酒臭いです」
「ご、ごめん。だから、さっきから言ってるけど、俺、背中向けるから……」
「そんなことしたら、一生赦しません」
「で、でも酒臭いだろ? だったらキスはもう――」
言いかけた俺の口を、リトリィがふさぐ。
「……私がこうしていたいんです。
せめて一晩、ずっとこのまま、抱きしめていてください。唇も、離さないで」
* 飲み過ぎは、ムスコくんが戦力にならなくなる恐れがございます。
* お酒は、用法・容量を守って、楽しくお付き合いください。
翌朝、すさまじい頭痛に苦しみ抜いた俺は、昼前までベッドで死んでいたのだった。
一晩の腕枕の後遺症――激烈な腕の痺れ――にのたうち回れば、脳内で愉快な運動会が繰り広げられ鳴り響く鈍痛という、ステキコラボレーション。
――これぞ天罰覿面、というものであろう。
昼過ぎ、リトリィに支えられながら、例の小屋の前で、俺は、いまだに残る頭痛に悩みつつ、どうしたものかと思案していた。
「ムラタさん、どうですか? 修理で済みそうですか?」
ペリシャさんの質問に、俺は「難しい、ですね」とだけ答える。
小屋の屋根はすっかり腐り、大きな穴が開いていた。それはそのまま梁だけでなく柱まで腐らせ、土壁を崩壊させている。
中央の太い柱は歪み、傾ぎ、それが他の構造を圧迫し、全体をゆがませている。修理というより、全部ばらして組み直した方がよほど早いかもしれない。
その、ぼろぼろの屋根は、アスファルト塗料を塗った、薄い木の板を敷き詰めたもの。なるほど、日本におけるメジャーな屋根材、化粧スレートの木片版と考えればいいか。だがそれもあちこち腐って穴が開き、屋根の役割をほとんどなしていない。かろうじて雨宿りに使える、という程度だ。なんといっても、上を見上げれば無数の綺羅星が見えるかのようなありさまなのだから。
それから、これは地震がほとんどない土地柄だからなのかもしれないが、筋交い――構造を強化する斜めの柱――がほとんどない。剥がれ落ちた土壁の奥に見えるのは、ただまっすぐの、縦の柱のみ。申し訳程度に、四つ角の部分にあるだけだ。
昔の日本家屋、いわゆる「伝統構法」にも筋交いは無いが、その代わり「貫」と呼ばれる水平の柱が、垂直の柱の間に何本も渡されている。
それが柔構造として働くことで、地震の際、壁の一部は壊れても全体の構造は壊れないようになっている。それが昔の日本の建築物の特徴だ。古い寺を見ると、それが分かる。
しかしこの建物には、それもない。
これでは、震度四を超えるような地震が来たら、たとえこの家が新築だったとしても、下手したら崩壊していたかもしれない。なにせ、壁材は土と藁――レンガですらないのだ。いわゆる、木と紙と土の日本家屋のようなものである。それなのに筋交いも貫もないことに加えて、このオンボロぶり。このままでは、震度三程度でもあっさり崩壊する気がする。
「これは、建て替えたほうがいいです。ある程度の建材の流用はできても、修理以前の問題です」
「そう、ですか……」
ペリシャさんは残念そうだ。修理で済ませられるならそうしたいと思っていたのだろう。一から建てるとなると、当然費用も掛かる……と思っているに違いない。
だが、果てしない修繕に次ぐ修繕でだましだまし使うよりは、いっそ、必要なだけの大きさにサイズダウンしたうえで建て替えてしまった方が、長く使えるというものだ。
長期的に見れば、こちらの方がずっとコストが下がる。
さっさと作れて、しかも耐震性を確保、工期を圧縮することで人件費を安く上げるというなら、いわゆるツーバイフォー工法が最適だ。
だが、アレは製材が完全に規格化されていて、しかも大量生産ができる環境が整っている場合の話だ。のこぎりでザクザクと木材を切らねばならないところからスタートしなければならないとしたら、この工法は使いづらい。
そもそも構造用合板をどうするかという問題がある。木を桂剥きにする機械は存在するのだろうか。なにより、合板の強度を保障する、風雨に対して長期間びくともしない耐候性の高さを誇る接着剤なんて、都合よく開発されているのだろうか。
日本ではフェノール樹脂接着剤を使った合板が、水に強く、しかも長寿命ということもあって、耐力壁、つまり地震に耐える外壁材として使えた。この世界の化学力が、そこまで日本に追いついているとはとても思えない。
というか、木工用ボンド――酢酸ビニル樹脂すらないと思う。
普通の無垢板を使うにしても、使用する木材の反りや収縮などが生じてしまえば、ツーバイフォーの「面による断熱性・耐震性」などのメリットは失われてしまう。いっそ、丸太を積み上げるログハウス風にでもした方がマシかもしれない。
結局、工場で同じ規格の板や柱をばっさばっさ作って現場に運ぶ「プレカット工法」が使えない以上、俺の知識では、大したことができないということになる。なんと歯がゆいことだろうか。
……いや、待て。俺の悪い癖だ、確かめてみる前から勝手な想像をするな。それで、何度もリトリィを泣かせてきたじゃないか。
動力ノコギリがないとは限らない。まずは調べてみるのが一番だ。
電気が無くても使える動力と言ったら、一番あり得るのが水力製材。川なら、俺たちがたどってきた、あの川がある。街の中にも支流が引き込まれていたし、あの川幅なら十分な水量があったはずだ。
たとえ合板でなく無垢板であろうとも、十分に乾燥させてからなら、それ以上変形することもなく、使えるはずだ。
「すみません、ペリシャさん。このあたりで、製材屋はありますでしょうか? 木の板や柱を作るための場所です。水車などを利用したものがあればよいのですが」
「製材……ですか?」
あれば、ツーバイフォー工法が使える。
もしかしたら、この世界に、革命が起こせるかもしれない工法。
全面的に改めるわけではないが、自分の歴史認識の偏りや視野の狭さに気付かされた。
なにより、リトリィへの想いを共有できる同志を得た気分だ。
足元をふらつかせながら宿に戻る。正直、どうやって帰ってきたのか、あまり記憶にない。
部屋に入ると、客人がいた。
ペリシャさんだった。
リトリィはというと、目は赤い、服の胸元は濡れている、一体何があったのだろう。
「ほら、旦那様がお戻りになられましたよ? ちゃんと笑顔でお迎えしなきゃ」
「は、はい……」
しゃくりあげながら立ち上がるリトリィに、自分が約束の時間を一刻もオーバーしたことの罪深さに、今更ながら気づく。
「では、わたしはこれにて失礼させていただきますね。リトリィさん、ほら、笑顔、笑顔」
そう言って笑顔ですれ違いざま、
「うちの人も、あとでお仕置きね――」
低い声で、怖いことを言う。
ぱたんと扉が閉まったあと、俺は酔いが一気に醒める思いだった。
「あー……リトリィ、遅くなった――」
すべてを言い終わる前に、リトリィが飛び込んでくる。
飛びつかれて、自分でも思ったより酔いが回っていたのか、支えきれずにそのまま床に倒れ込んでしまった。
「――しりません」
彼女は嗚咽が止まらないまま、俺の懐に顔を埋め、その一言だけを言う。
あ、これはマジで怒っている奴だ。……まずい。
「あ、あのさ、つい、瀧井の爺さんと話が……」
「しりません」
「えっと、これから、夫婦として生活するうえで参考に――」
「しりません」
「――ごめん」
「し――」
リトリィは言いかけて、そして。
「赦してほしい、ですか?」
真っ赤な目で、首をもたげる。彼女の美しい青紫の瞳が、ひどいことになっている。
ひどいことになっているが――
涙で潤んだその瞳を、美しいと思ってしまうのは、俺の業の深さゆえか。
「赦してほしい」
「じゃあ――」
そっと、俺の口をふさぎ。
「愛して――抱いて、ください」
ごめんリトリィ。
泣かないで。
君に魅力が無いんじゃないんだよ。
本当だ、信じてくれ。
お酒が悪い――んじゃなくて、飲み過ぎた俺が悪いのです。
本当に、果てしなく、ごめんなさい。
ついでにMONJA-STORMを口からぶちまけた俺の世話も、きっちりさせてしまって、心の底から、本当にごめんなさい。
はい。約束します。
もう絶対に飲み過ぎません。
「……お酒臭いです」
「ご、ごめん。だから、さっきから言ってるけど、俺、背中向けるから……」
「そんなことしたら、一生赦しません」
「で、でも酒臭いだろ? だったらキスはもう――」
言いかけた俺の口を、リトリィがふさぐ。
「……私がこうしていたいんです。
せめて一晩、ずっとこのまま、抱きしめていてください。唇も、離さないで」
* 飲み過ぎは、ムスコくんが戦力にならなくなる恐れがございます。
* お酒は、用法・容量を守って、楽しくお付き合いください。
翌朝、すさまじい頭痛に苦しみ抜いた俺は、昼前までベッドで死んでいたのだった。
一晩の腕枕の後遺症――激烈な腕の痺れ――にのたうち回れば、脳内で愉快な運動会が繰り広げられ鳴り響く鈍痛という、ステキコラボレーション。
――これぞ天罰覿面、というものであろう。
昼過ぎ、リトリィに支えられながら、例の小屋の前で、俺は、いまだに残る頭痛に悩みつつ、どうしたものかと思案していた。
「ムラタさん、どうですか? 修理で済みそうですか?」
ペリシャさんの質問に、俺は「難しい、ですね」とだけ答える。
小屋の屋根はすっかり腐り、大きな穴が開いていた。それはそのまま梁だけでなく柱まで腐らせ、土壁を崩壊させている。
中央の太い柱は歪み、傾ぎ、それが他の構造を圧迫し、全体をゆがませている。修理というより、全部ばらして組み直した方がよほど早いかもしれない。
その、ぼろぼろの屋根は、アスファルト塗料を塗った、薄い木の板を敷き詰めたもの。なるほど、日本におけるメジャーな屋根材、化粧スレートの木片版と考えればいいか。だがそれもあちこち腐って穴が開き、屋根の役割をほとんどなしていない。かろうじて雨宿りに使える、という程度だ。なんといっても、上を見上げれば無数の綺羅星が見えるかのようなありさまなのだから。
それから、これは地震がほとんどない土地柄だからなのかもしれないが、筋交い――構造を強化する斜めの柱――がほとんどない。剥がれ落ちた土壁の奥に見えるのは、ただまっすぐの、縦の柱のみ。申し訳程度に、四つ角の部分にあるだけだ。
昔の日本家屋、いわゆる「伝統構法」にも筋交いは無いが、その代わり「貫」と呼ばれる水平の柱が、垂直の柱の間に何本も渡されている。
それが柔構造として働くことで、地震の際、壁の一部は壊れても全体の構造は壊れないようになっている。それが昔の日本の建築物の特徴だ。古い寺を見ると、それが分かる。
しかしこの建物には、それもない。
これでは、震度四を超えるような地震が来たら、たとえこの家が新築だったとしても、下手したら崩壊していたかもしれない。なにせ、壁材は土と藁――レンガですらないのだ。いわゆる、木と紙と土の日本家屋のようなものである。それなのに筋交いも貫もないことに加えて、このオンボロぶり。このままでは、震度三程度でもあっさり崩壊する気がする。
「これは、建て替えたほうがいいです。ある程度の建材の流用はできても、修理以前の問題です」
「そう、ですか……」
ペリシャさんは残念そうだ。修理で済ませられるならそうしたいと思っていたのだろう。一から建てるとなると、当然費用も掛かる……と思っているに違いない。
だが、果てしない修繕に次ぐ修繕でだましだまし使うよりは、いっそ、必要なだけの大きさにサイズダウンしたうえで建て替えてしまった方が、長く使えるというものだ。
長期的に見れば、こちらの方がずっとコストが下がる。
さっさと作れて、しかも耐震性を確保、工期を圧縮することで人件費を安く上げるというなら、いわゆるツーバイフォー工法が最適だ。
だが、アレは製材が完全に規格化されていて、しかも大量生産ができる環境が整っている場合の話だ。のこぎりでザクザクと木材を切らねばならないところからスタートしなければならないとしたら、この工法は使いづらい。
そもそも構造用合板をどうするかという問題がある。木を桂剥きにする機械は存在するのだろうか。なにより、合板の強度を保障する、風雨に対して長期間びくともしない耐候性の高さを誇る接着剤なんて、都合よく開発されているのだろうか。
日本ではフェノール樹脂接着剤を使った合板が、水に強く、しかも長寿命ということもあって、耐力壁、つまり地震に耐える外壁材として使えた。この世界の化学力が、そこまで日本に追いついているとはとても思えない。
というか、木工用ボンド――酢酸ビニル樹脂すらないと思う。
普通の無垢板を使うにしても、使用する木材の反りや収縮などが生じてしまえば、ツーバイフォーの「面による断熱性・耐震性」などのメリットは失われてしまう。いっそ、丸太を積み上げるログハウス風にでもした方がマシかもしれない。
結局、工場で同じ規格の板や柱をばっさばっさ作って現場に運ぶ「プレカット工法」が使えない以上、俺の知識では、大したことができないということになる。なんと歯がゆいことだろうか。
……いや、待て。俺の悪い癖だ、確かめてみる前から勝手な想像をするな。それで、何度もリトリィを泣かせてきたじゃないか。
動力ノコギリがないとは限らない。まずは調べてみるのが一番だ。
電気が無くても使える動力と言ったら、一番あり得るのが水力製材。川なら、俺たちがたどってきた、あの川がある。街の中にも支流が引き込まれていたし、あの川幅なら十分な水量があったはずだ。
たとえ合板でなく無垢板であろうとも、十分に乾燥させてからなら、それ以上変形することもなく、使えるはずだ。
「すみません、ペリシャさん。このあたりで、製材屋はありますでしょうか? 木の板や柱を作るための場所です。水車などを利用したものがあればよいのですが」
「製材……ですか?」
あれば、ツーバイフォー工法が使える。
もしかしたら、この世界に、革命が起こせるかもしれない工法。
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