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第二部 異世界建築士と大工の娘

第155話:それは甘い出会いではなくて

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「それにしても、今日はどうしてここに?」

 俺も疑問に思ったことを、ナリクァンさんが聞く。

「はい。この街に着いてから、以前泊まっていたお宿に行ったんですけど、ムラタさんがいらっしゃらなくて。
 それで、きっと現場にいらっしゃるんだろうなって思って行ってみたら、いらっしゃらなくて。
 こちらにと伺ったものですから、向かおうとしたらタキイ夫人に会いまして。
 ……それで、沐浴をいただいて、このドレスもいただいてしまって――」

 ……ああ、俺を探してぐるぐる回っているうちに、ペリシャさんに捕まったのか。
 それにしても、借りたじゃなくて、「いただいた」とは。ドレスを。こんな高そうなものを。
 瀧井さん夫妻って、あんな古い集合住宅に住んでるけど、実はかなりのお金持ちだったのだろうか。

「ここまでは歩いてきたの?」
「ええと……タキイ夫人のおうちから、夫人に呼んでいただけた馬車で……」
「そう、それはよかった。そんな可愛らしいで歩いてきたなんて言ったら、また、お説教をしなければならないところでしたわ」

 そう言って笑う。
 ナリクァンさん、本当にリトリィのことをでてくれているようだ。

「ところで、鍛冶のおつとめは終わったのかしら?」
「はい。おかげさまで」
「そう、偉いわね。どこぞの宿無しと違って」

 ちらりと俺を見るナリクァンさん。宿無しって、そりゃないだろう。

「じゃあ、納得いくものができたのかしら?」
「はい。……ムラタさんのお手に馴染むかは、これから調整してみないと分からないのですけれど」
「そう……。ああ、ムラタさん。そこのモミの枝、リースに使えそうな程度に、適当に切っていただいて構いませんことよ?」

 突然話を振られ、仰天する。

「え、あ、いやその……こんな整えられた庭木を、ですか?」
「あら、何か問題があって?」

 ――大ありだ!
 おそらく庭師が丹精込めて育て、剪定せんていしている木だ。それを、切って構わないって、俺の良心がとがめる。

「あ、あの。私はその、庭木を整えるセンスがございませんので、形が崩れたらと思いまして……」
「あら。大丈夫よ、そのくらい。うちの庭師があとで整えますから」
「い、いえ、それこそ庭師さんが、リース作りに最適な枝を選ぶべきでしょう。なにか切っても問題ないもの……ええと、たきぎのようなものはありませんか?」

 ナリクァンさんはため息をつくと、庭師を呼び、薪を取りに行かせる。
 リトリィはその間に、腕にかけていた手提げバッグから、を取り出した。

 木製の薄い板のような鞘から突き出した、木の柄。
 飴色に輝く柄は、樫の木から削り出したものだろうか。
 よくある、単なる棒ではない。明らかに、ナイフの柄のように、持ち主の握り方を意識した作りになっている。

「あの……ムラタさんのご注文では、二種類の歯、ということだったのですが、お話に聞いた、横引き用の歯であれば、そのまま縦引きにも使えるだろうと親方様がおっしゃって……」

 リトリィは、テーブルに横たえらえたそれを、鞘から三分の一ほど引き抜いてみせた。

 冬の、うららかな陽光をギラリと反射する鋸刃のこばに、ごくりと唾を飲み込む。
 アイネお得意の防錆ぼうせい加工が施された、漆黒の鋸身のこみ

「……これは、鉄をハンマーで打って作った――んだよな?」
「それをさらに圧延あつえんしてならして、磨いてあります」
 鍛造した鉄を、さらに圧延? 圧延だけすればよかったんじゃないのか?
 俺の素朴な疑問に、リトリィははにかむように笑った。

「親方様にも同じことを言われて笑われちゃったんですけど……やっぱり、鉄は、打ちたくて」
 ――なるほど。骨の髄までなわけだ。
 思わず苦笑する。

 鈍い輝きを放つ、片刃の黒いのこぎり。なんというか、おいそれと触れていいものではないように思われて、手を出すのに少々、ためらってしまうほどだ。
 だがこれは、リトリィが、俺のために作ってくれた逸品のはず。
 ごくりと唾を飲み込み、そっと手に取り、柄を握りしめる。

「……ほ、ほんとにいいのか?」
「どうして確認するのですか?」
「い、いや……」

 男たるもの、女性を前に臆するわけにはいかない。鍛えられ、磨き抜かれたは、艶消しの漆黒の鋸身でありながら、上品な鈍い光を乗せる。

 ――というより、美しく滑らかな鋸身に施された黒い防錆加工のおかげで、なんというか、厨二ゴコロをくすぐられる漆黒の刀身を連想させる。
 ……ダークオーラをまとった邪剣、みたいな。

「でしたら、お好きになさってください。――あなたの、ものですから」

 ふわりと微笑むリトリィに、胸が高鳴る。ぴこぴこと動く耳は、つまり自信の表れだろう。俺に、手に取ってほしくて仕方がないようだ。

「ほ、本当に、俺のものになるのか?」
「ええ。……どうして、お疑いになるのですか?」
「い、いや、疑ってなんかいないさ、君を疑うなんて、そんな――」

 ……疑ってなどいない。疑ってなどいないが、まさかこんな――いろいろとになってやってくるとは思わなかったのだ。

 ナリクァンさんが、さっさと手に取りなさい、とばかりに横目を冷たくスライドさせる。つまり、さっさと気の利いた感想を言ってやれ、ということなのだろう。

 改めて、黒光りするソレを見下ろし、握る手に力を籠める。

「……あ」

 リトリィの口から洩れた声に、俺は何かやらかしたかと、硬直する。

「あ、な、なんかダメだった……?」
「あの――ソレは私にとっても初めてなので、その……まずは、やさしく、あつかってくださいね……?」

 頬を染めて、うつむき気味のリトリィ。

「や、やさし……」
「上手にできてるか、自信……ないので」

 どこまで謙虚なんだろう。この出来栄えで、なお自信がないと言う。

 ――なぜこんなにも、彼女は愛らしいのだろう!

 もう、だめだ! 我慢なんてしていられない!
 その黒光りする鋸身のこみを、鞘から一気に引き抜く。

 アーサー王が岩から剣を引き抜いたとき、こんな気持ちだったのだろうか。
 『俺の手のためにあつらえられた』、そんな言葉がぴったりの、吸い付くような滑らかな肌触り。
 リトリィが作ってくれたナイフと同じ、俺の手に――あるべきところにあるように収まる、それくらいぴったりと、俺の手に合わせられている。

 これでは片刃でも仕方がない。この手、この向きにぴったりと合うように作られた柄は、反対向きに使うことを想定されていないはずだ。要求した仕様と違っていても、これはこれで納得できる。

 そんな俺に合わせるように、庭師さんが何本も薪を持ってくる。
 俺は礼を言うと、さっそくテラスから下りて、試し切りをすることにした。

「あ……そんな、急に――」
 リトリィが立ち上がるが、俺は一気に鋸を引く。
 ざり――薪の木の皮が、勢いよく削れてゆく。軽く引いたつもりなのに、すごい切れ味だ。

「大丈夫! 上手にできてるよ!」

 互い違いに、微妙に角度をつけられた刃に、その丹念な仕事ぶりを見る。
 マレットさんには悪いが、今朝まで現場で使っていた押し鋸とは雲泥の差だ。刃が食い込んで動かなくなるようなこともない。

 ――作ったのが初めてだなんて思えない、いくらでも切れる。いい仕事っぷりだ。

 今朝までの不自由な思いから、やっと解放される。殊勲賞ものの働きに、おもわず彼女に向けてガッツポーズ。リトリィの方は恥ずかし気にうつむいてしまうが、ドレスの後ろがばふばふと揺れているので、多分ドレスの中の尻尾は相当に荒ぶっているのだろう。

 しばらく薪を輪切りにしていると、リトリィもテラスから下りてきた。

「あの、それで――」
「ああ、もうこれでやっと使いにくい押し鋸とお別れできる! 親方にはお礼をいくら言っても言い足りないよ! ありがとう!」

 本当に、礼を言い足りない。親父殿は俺のため――いや、リトリィのために、きっとさまざまに骨を折ってくださったはずだ。会えなかったこのしばらくの間に、持てる知識と技術を、徹底的に注ぎ込んだに違いない。

 リトリィの、来たるべき独り立ちの日のために。
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