4 / 5
4/4 これからのわたしたち
しおりを挟む
天気のいい平日の午後。わたしは自分の店に、友人をむかえていた。
ティルクは国立学院の学生だから平日は夕方まで学院で勉強をしていて、今は店にも家にもいない。
店内の窓際に置かれたテーブル。あまり使わないけど、たまに商談で使ったりする。
そのテーブルを挟んで、わたしと友人はむかいあう。
そこそこお世話になってる人だから、ちょい高めの紅茶を出してみた。わたしも飲んでみたかったし。
「昨日学院で、ティルクくんを見たわよ。大きくなったわね」
そういうのは、この国をまとめている女性で、名前をヴァニラ・へグルサーダ大公という。
20歳半ば、もしくは前半かも……と、そのくらい若く見えるけど、わたしと同年代のはずだから、もうそれなりにいい年かな。同じアラサーだ。そして同じ未婚同士、お仲間だ。
「あなたは、全然変わらないわね。昔のまま」
あなたも、10年前とそんなに変りませんよ? 若作りの秘訣でも知っているのですか?
「そうですか? まぁわたし、若作りの秘訣を知っているもので」
わたしの冗談に大公は反応せず、
「でも彼、どうする気なの?」
話の矛先を変えてくる。
彼って、ティルクのことだよね?
「どうするって?」
「このまま、飼い殺しにするの? お店の手伝いをさせるだけ?」
いやないい方。
でも、的を得ている。
「本人は、それでいいといってますけど」
わたしの答えに、
「でも、あなたは良くないでしょ?」
即座に返してくる彼女。
なんでこんなに、急所にズバズパ切り込んでこれるの。
「じゃあ、どうしろっていうんです?」
大公は顎を指で支えるようにして、
「あなた、彼が学院でどのような生徒なのかご存知?」
「いいえ?」
ティルクは意外と頭がいいというか記憶力がすごくて、成績は優秀らしい。
「成績がいいのは知ってますけど……なにかやらかしました? だったら、ちゃんと叱っておきますよ」
「なにもやらかしてないわよ、やらかしたのはあなたでしょ? トラリラの大砦を魔法で粉々にしたりね」
そ、それは……何年前の話ですか!
だってしょうがないでしょ? 〈聖剣の勇者〉が「やっちゃえっ! ぶっこわしてくださいっ!」っていったんだから。
「まぁ、そうね。成績は……いいどころではないわね。ここ10年で一番の秀才よ」
ヴァニラさんは冷めた始めた紅茶に口をつけ、
「あなたよりも、頭いいわよ? あの子」
さすがにそれは……わたしと比べられても。
わたし、高校も卒業してないよ?
「なにがいいたいんですか? バカなわたしにもわかるように話してください」
ふてくれたようにいうわたし。
「なんでわからないの。いい? あなたの息子はとても優秀です」
「はぁ。ありがとうございます」
「親に似ずやらかしもしません」
「親もしてませんよ?」
「したでしょ? やらかしたでしょ? 五回くらい」
五回? そんなにやらかしたっけ?
あっ、でも。
「エルフの族長は、勝手にぶっぱなされに来たんです。あれは、わたしのせいじゃないです」
エルフ族の族長が勝手にわたしの魔法範囲に入ってきて、勝手にぶっ飛んだことがあったけど、そして結構な問題になったけど、あれはわたしのせいじゃないと思う。
「それも、大問題でしたわね。それ以外もですけど」
もうだめだ。この話題は広げない方がいい。
「で、結局なんなんですか? うちの息子をどうしたいんですか」
「そうですね。ティルクくんには、大公宮に上がってもらおうと思います」
大公宮はこの国の政治の中心で、頭のいいお役人どもの巣窟だ。
ってことは、なに? 役人に……ティルクを公務員にしたいってこと?
「息子の就職先を斡旋していただけると?」
「ええ、そうです」
「それは……ありがたいですけど、ティルクが選ぶことですから、わたしにいわれましても」
のんびりと返したわたしに、
「あなたにいわないと、あの子はこの店で働くっていうに決まってるでしょ!」
ヴァニラさんは怒鳴った。最近では珍しいなー。戦時中はよく、〈聖剣の勇者〉を怒鳴りつけてたけど。
「そ、そう……ですか?」
そういわれれば、そうかもな。
あの子、わたしにべったりだし。
「そこからなの!? あなた、自分の息子のことわかってないの? あの子にとってあなたは女神以上の存在で、もう信仰してるっていっていいわよ。どんな育て方したの!」
すみません。
子育てに失敗したのは、自覚してます……。
でも、わたしを崇めるようには育ててません……よね?
この後、わたしは友人にガミガミいわれながら、高かった割にそれほどの味じゃない紅茶をすする時間をすごした。
そして夜。夕ご飯の後。
「ねぇ、ティルク」
今日のご飯も美味しかったよ。お料理上手になったね。
と思ったけど、いいたいのはそれじゃない。
「はい、ご主人さま」
「あなた、すっごく成績がいいんですってね。大公さんが、あなたを役人に召し上げたいんですって。どうする?」
テーブルに散乱する空になった食器を積みあげながら、
「ご主人さまのご命令でしたら、そのようにいたします」
ティルクが答える。
あぁ、ダメだ。通じてない? それとも、わかってていってる?
「そういう意味じゃない。あなたがどうしたいか、聞きたいの」
「ぼくは、ご主人さまと幸せになりたいです」
ちょいズレてる答え。
でもそれが、ティルクの「本当の願い」なのかもしれない。
直接的に、斬り込んだ方がいいのかな?
「ティルク。あなた、わたしと結婚したいの? 夫婦になりたいの?」
わたしの直球に、しばらく無言で無表情を晒したあと、
「ご主人さまは、なにをおっしゃっているのですか? 意味がわかりませんが」
いや、わかるでしょ!? ほぼ毎日、夫婦生活的なことを求めてくるくせにっ。
顎に手を当て、考えるそぶりを見せ始めるティルク。わたしは彼がなにかしらの解答を見つけるのを黙って待った。
「ちょっと待ってください。ぼく……ご主人さまと結婚できるんですか?」
この子、どういう意味でいってるの?
「法的にどうこうなら、できるはずよ?」
「だってぼく、一応ご主人さまの養子になってますよね?」
わかってるのか、そこは。
っていうか一応じゃなくて、正式にだけどね。10年前に、正式な書類を正式に国に提出したからね。
「養子縁組の書類がどうこうなら、問題ない。わたしはこの国の公王さまの友人だもん。そのくらいなんとでもなるわ」
ならなかったら、ふたりでこの国を出て行けばいいだけだ。この国でしか通用しない紙切れの縛りなんて、なんの障害にもならない。
「わたしはね、長生きなの。知ってるでしょ?」
そう、長寿のスキルを持っている。このままいくと、800歳くらいまで生きられるらしい。
ちなみにまだアラサーだ。100歳までもまだ遠い。
「は、はい」
「だからあなたの一生を、ともに生きてもいい。そのくらいには、あなたを大切な存在に思ってる」
わたしの言葉に、混乱したような表情をするティルク。
だけど、わたしの意図するところは把握できたようで、
「ぼくと結婚して……いただけるのですか? ぼくの一生を、ご主人さまの側で生きることを、許していただけるのですか……?」
わたしはうなずいて、
「そう、いったのよ」
ティルクの顔が輝く。
本音の笑顔で。
その子どもっぽい表情に、わたしは昔を思い出した。まだ「それなりに母子だったころ」の、わたしたちを。
「そうなるとあなたには、あなたの人生をちゃんと生きてもらわないといけないの。わたしの付属物じゃダメってこと」
わたしの言葉に、
「ぼくは、ご主人さまのものです」
きっぱりと返してくるティルク。
「違う。わたしはわたしだし、あなたはあなた」
階級社会制度が蔓延しているこの世界では、わたしの「現代日本的な価値観」の方が珍しいかもしれない。
でもわたしは「現代日本」で育ったから、「個人」を大切に考えてしまう。
わたしの言葉に、少し困った顔するティルク。
どうすればいいのかわからないときの顔だ。
「あなた、わたしと結婚したいのよね?」
少しの間があって、
「結婚にこだわるわけじゃありませんが、ずっと、一生、この命が終わるその瞬間まで、ご主人さまの側にいさせてほしいです」
重い言葉だな。
それが本音だとわかってるとなおさらだ。
「では、そのご主人さまってのを、禁止にします。わたしは、対等な関係の人と人生を歩んでいきたい。わかるわよね? 普通のことでしょ?」
ティルクは、わからないとはいわなかった。
「で、では……なんとお呼びすれば、よろしいのですか?」
そのまどろっこしい言葉づかいも禁止しないとね。
でも、徐々にでいいかな。
それはまた今度で。
「あなた、わたしの名前は知ってる?」
「はい……真珠(しんじゅ)の魔女さま……です」
「うん。でもそれは通名よ。あだ名?」
当たり前だ。〈真珠の魔女〉なんて名前なわけがない。
「わたしには、〈聖剣の勇者〉にしか教えていない、本当の名前があるの」
そう、あちらの世界での本名。
〈魔女〉が「本当の名」を敵に知られるのは、この世界では危険だ。
だから〈魔女〉の「本当の名」を知ること自体が、危険をはらんでいる。重要機密を知ってるわけだからね。
「それを、あなたに教えてあげる」
わたしは、「本当の名」口にすることを禁忌にしいる。わたし自身に封印を施してあるといってもいい。
だから「本当の名」を口にしようと考えるだけで、わたしは身体中に激しい痛みを感じていた。
本当に、油断したら床を転げ回ちゃうほどに痛い。
「でもね、気をつけて。魔女の真の名を知ったなら、もう逃げられないわよ?」
ティルクにはわかるだろう。
今のわたしが、いつものわたしじゃないってこと。
「これは契約」
わたしは、抑えていた魔力を解放する。
怖いだろうな。
今のわたしは、〈魔女〉の力を溢れさせてるから。
本気を出せばこの街を壊滅させられるくらいのプレッシャーを、隠していないんだから。
「わたしの名をしり、わたしの名を憶えているかぎり、わたしはあなたの妻でいてあげる」
「……はい、ご」
ご主人さま。そういおうとして噛み殺したのは褒めてあげる。
「誓い……ます。あなたと、契約します」
〈魔女〉との契約だ。
ろくなものじゃないよ?
でも、あなたは本気だよね。
わかるよ。今のわたしは、すべての「悪意」を見ることができるから。
でもあなたからは、なんの悪意も見えない。
わたしに対して、ひとかけらの悪意もない。
だから……。
わたしは「封印」を解いて、ティルクに「本当の名」を教えた。
喉の奥から熱い塊が逆流して、口の中に血の味が広がる。わたしは表情を変えずに、それを飲みこんだ。
もう、誰も呼ぶことのない。
忘れてもいいかもしれない名前。
でもわたしにとっては大切な本名を、わたしはこの世界でできた大切な人に教えた。
そして再度、「本当の名」に「封印」をかける。
契約は成された。
ティルクはなにもわかってないみたいだけど、わたしの「本当の名」を知った彼と、わたしの深層が繋がった。
彼はわたしを、「本当に殺せる」ようになった。〈魔女〉には「本当の名を知る者に殺されたときには、蘇生できない」という、呪いがかかっている。
たいていのことでなら、〈魔女〉は死んでも生き返ることができる。わたしも前の戦いでは、6回死んでそのたびに蘇生してるし。
「でも、誰にもいっちゃダメだからね。声に出すのも、文字に書くのも禁止。あぶないから」
「……はい、わかりました。ですがそのお名前で呼べないのであれば、やはりぼくは、あなたをどのように呼べばよろしいですか?」
それは、そうよね……。
「ティルクは、なんて呼びたい?」
「ご主人さまでなければ、女神さま……でしょうか」
なにいってんの? こいつ。
「却下」
「美しき……」
「却下。普通のでいいでしょ?」
どんなのが普通かわからないけど、美しきから始まるなにかは普通じゃないだろう。
十数秒の沈黙のあと、
「……しん、じゅ?」
ティルクがつぶやく。
「真珠と、呼んでよろしいですか」
普通といえば普通なのかな?
わたしは「真珠」を冠された〈魔女〉だからね。
さまが付いてないだけ、マシかな。
「じゃあ、呼んでみて」
「はい……真珠」
「なぁ~に? ティルク♡」
満面の笑顔を作ってやった。どうだ、かわいいだろう?
「すみません、少し不気味なので普通でお願いします」
なんだとこのやろう!
……はぁ。
まぁ、いいや。
「なにか質問はっ!」
ティルクは視線を斜め上に向け、1・2・3……3秒経過。
「結婚式は、いつにしますか?」
いつもの、仔犬みたいな顔で笑った。
【End】
ティルクは国立学院の学生だから平日は夕方まで学院で勉強をしていて、今は店にも家にもいない。
店内の窓際に置かれたテーブル。あまり使わないけど、たまに商談で使ったりする。
そのテーブルを挟んで、わたしと友人はむかいあう。
そこそこお世話になってる人だから、ちょい高めの紅茶を出してみた。わたしも飲んでみたかったし。
「昨日学院で、ティルクくんを見たわよ。大きくなったわね」
そういうのは、この国をまとめている女性で、名前をヴァニラ・へグルサーダ大公という。
20歳半ば、もしくは前半かも……と、そのくらい若く見えるけど、わたしと同年代のはずだから、もうそれなりにいい年かな。同じアラサーだ。そして同じ未婚同士、お仲間だ。
「あなたは、全然変わらないわね。昔のまま」
あなたも、10年前とそんなに変りませんよ? 若作りの秘訣でも知っているのですか?
「そうですか? まぁわたし、若作りの秘訣を知っているもので」
わたしの冗談に大公は反応せず、
「でも彼、どうする気なの?」
話の矛先を変えてくる。
彼って、ティルクのことだよね?
「どうするって?」
「このまま、飼い殺しにするの? お店の手伝いをさせるだけ?」
いやないい方。
でも、的を得ている。
「本人は、それでいいといってますけど」
わたしの答えに、
「でも、あなたは良くないでしょ?」
即座に返してくる彼女。
なんでこんなに、急所にズバズパ切り込んでこれるの。
「じゃあ、どうしろっていうんです?」
大公は顎を指で支えるようにして、
「あなた、彼が学院でどのような生徒なのかご存知?」
「いいえ?」
ティルクは意外と頭がいいというか記憶力がすごくて、成績は優秀らしい。
「成績がいいのは知ってますけど……なにかやらかしました? だったら、ちゃんと叱っておきますよ」
「なにもやらかしてないわよ、やらかしたのはあなたでしょ? トラリラの大砦を魔法で粉々にしたりね」
そ、それは……何年前の話ですか!
だってしょうがないでしょ? 〈聖剣の勇者〉が「やっちゃえっ! ぶっこわしてくださいっ!」っていったんだから。
「まぁ、そうね。成績は……いいどころではないわね。ここ10年で一番の秀才よ」
ヴァニラさんは冷めた始めた紅茶に口をつけ、
「あなたよりも、頭いいわよ? あの子」
さすがにそれは……わたしと比べられても。
わたし、高校も卒業してないよ?
「なにがいいたいんですか? バカなわたしにもわかるように話してください」
ふてくれたようにいうわたし。
「なんでわからないの。いい? あなたの息子はとても優秀です」
「はぁ。ありがとうございます」
「親に似ずやらかしもしません」
「親もしてませんよ?」
「したでしょ? やらかしたでしょ? 五回くらい」
五回? そんなにやらかしたっけ?
あっ、でも。
「エルフの族長は、勝手にぶっぱなされに来たんです。あれは、わたしのせいじゃないです」
エルフ族の族長が勝手にわたしの魔法範囲に入ってきて、勝手にぶっ飛んだことがあったけど、そして結構な問題になったけど、あれはわたしのせいじゃないと思う。
「それも、大問題でしたわね。それ以外もですけど」
もうだめだ。この話題は広げない方がいい。
「で、結局なんなんですか? うちの息子をどうしたいんですか」
「そうですね。ティルクくんには、大公宮に上がってもらおうと思います」
大公宮はこの国の政治の中心で、頭のいいお役人どもの巣窟だ。
ってことは、なに? 役人に……ティルクを公務員にしたいってこと?
「息子の就職先を斡旋していただけると?」
「ええ、そうです」
「それは……ありがたいですけど、ティルクが選ぶことですから、わたしにいわれましても」
のんびりと返したわたしに、
「あなたにいわないと、あの子はこの店で働くっていうに決まってるでしょ!」
ヴァニラさんは怒鳴った。最近では珍しいなー。戦時中はよく、〈聖剣の勇者〉を怒鳴りつけてたけど。
「そ、そう……ですか?」
そういわれれば、そうかもな。
あの子、わたしにべったりだし。
「そこからなの!? あなた、自分の息子のことわかってないの? あの子にとってあなたは女神以上の存在で、もう信仰してるっていっていいわよ。どんな育て方したの!」
すみません。
子育てに失敗したのは、自覚してます……。
でも、わたしを崇めるようには育ててません……よね?
この後、わたしは友人にガミガミいわれながら、高かった割にそれほどの味じゃない紅茶をすする時間をすごした。
そして夜。夕ご飯の後。
「ねぇ、ティルク」
今日のご飯も美味しかったよ。お料理上手になったね。
と思ったけど、いいたいのはそれじゃない。
「はい、ご主人さま」
「あなた、すっごく成績がいいんですってね。大公さんが、あなたを役人に召し上げたいんですって。どうする?」
テーブルに散乱する空になった食器を積みあげながら、
「ご主人さまのご命令でしたら、そのようにいたします」
ティルクが答える。
あぁ、ダメだ。通じてない? それとも、わかってていってる?
「そういう意味じゃない。あなたがどうしたいか、聞きたいの」
「ぼくは、ご主人さまと幸せになりたいです」
ちょいズレてる答え。
でもそれが、ティルクの「本当の願い」なのかもしれない。
直接的に、斬り込んだ方がいいのかな?
「ティルク。あなた、わたしと結婚したいの? 夫婦になりたいの?」
わたしの直球に、しばらく無言で無表情を晒したあと、
「ご主人さまは、なにをおっしゃっているのですか? 意味がわかりませんが」
いや、わかるでしょ!? ほぼ毎日、夫婦生活的なことを求めてくるくせにっ。
顎に手を当て、考えるそぶりを見せ始めるティルク。わたしは彼がなにかしらの解答を見つけるのを黙って待った。
「ちょっと待ってください。ぼく……ご主人さまと結婚できるんですか?」
この子、どういう意味でいってるの?
「法的にどうこうなら、できるはずよ?」
「だってぼく、一応ご主人さまの養子になってますよね?」
わかってるのか、そこは。
っていうか一応じゃなくて、正式にだけどね。10年前に、正式な書類を正式に国に提出したからね。
「養子縁組の書類がどうこうなら、問題ない。わたしはこの国の公王さまの友人だもん。そのくらいなんとでもなるわ」
ならなかったら、ふたりでこの国を出て行けばいいだけだ。この国でしか通用しない紙切れの縛りなんて、なんの障害にもならない。
「わたしはね、長生きなの。知ってるでしょ?」
そう、長寿のスキルを持っている。このままいくと、800歳くらいまで生きられるらしい。
ちなみにまだアラサーだ。100歳までもまだ遠い。
「は、はい」
「だからあなたの一生を、ともに生きてもいい。そのくらいには、あなたを大切な存在に思ってる」
わたしの言葉に、混乱したような表情をするティルク。
だけど、わたしの意図するところは把握できたようで、
「ぼくと結婚して……いただけるのですか? ぼくの一生を、ご主人さまの側で生きることを、許していただけるのですか……?」
わたしはうなずいて、
「そう、いったのよ」
ティルクの顔が輝く。
本音の笑顔で。
その子どもっぽい表情に、わたしは昔を思い出した。まだ「それなりに母子だったころ」の、わたしたちを。
「そうなるとあなたには、あなたの人生をちゃんと生きてもらわないといけないの。わたしの付属物じゃダメってこと」
わたしの言葉に、
「ぼくは、ご主人さまのものです」
きっぱりと返してくるティルク。
「違う。わたしはわたしだし、あなたはあなた」
階級社会制度が蔓延しているこの世界では、わたしの「現代日本的な価値観」の方が珍しいかもしれない。
でもわたしは「現代日本」で育ったから、「個人」を大切に考えてしまう。
わたしの言葉に、少し困った顔するティルク。
どうすればいいのかわからないときの顔だ。
「あなた、わたしと結婚したいのよね?」
少しの間があって、
「結婚にこだわるわけじゃありませんが、ずっと、一生、この命が終わるその瞬間まで、ご主人さまの側にいさせてほしいです」
重い言葉だな。
それが本音だとわかってるとなおさらだ。
「では、そのご主人さまってのを、禁止にします。わたしは、対等な関係の人と人生を歩んでいきたい。わかるわよね? 普通のことでしょ?」
ティルクは、わからないとはいわなかった。
「で、では……なんとお呼びすれば、よろしいのですか?」
そのまどろっこしい言葉づかいも禁止しないとね。
でも、徐々にでいいかな。
それはまた今度で。
「あなた、わたしの名前は知ってる?」
「はい……真珠(しんじゅ)の魔女さま……です」
「うん。でもそれは通名よ。あだ名?」
当たり前だ。〈真珠の魔女〉なんて名前なわけがない。
「わたしには、〈聖剣の勇者〉にしか教えていない、本当の名前があるの」
そう、あちらの世界での本名。
〈魔女〉が「本当の名」を敵に知られるのは、この世界では危険だ。
だから〈魔女〉の「本当の名」を知ること自体が、危険をはらんでいる。重要機密を知ってるわけだからね。
「それを、あなたに教えてあげる」
わたしは、「本当の名」口にすることを禁忌にしいる。わたし自身に封印を施してあるといってもいい。
だから「本当の名」を口にしようと考えるだけで、わたしは身体中に激しい痛みを感じていた。
本当に、油断したら床を転げ回ちゃうほどに痛い。
「でもね、気をつけて。魔女の真の名を知ったなら、もう逃げられないわよ?」
ティルクにはわかるだろう。
今のわたしが、いつものわたしじゃないってこと。
「これは契約」
わたしは、抑えていた魔力を解放する。
怖いだろうな。
今のわたしは、〈魔女〉の力を溢れさせてるから。
本気を出せばこの街を壊滅させられるくらいのプレッシャーを、隠していないんだから。
「わたしの名をしり、わたしの名を憶えているかぎり、わたしはあなたの妻でいてあげる」
「……はい、ご」
ご主人さま。そういおうとして噛み殺したのは褒めてあげる。
「誓い……ます。あなたと、契約します」
〈魔女〉との契約だ。
ろくなものじゃないよ?
でも、あなたは本気だよね。
わかるよ。今のわたしは、すべての「悪意」を見ることができるから。
でもあなたからは、なんの悪意も見えない。
わたしに対して、ひとかけらの悪意もない。
だから……。
わたしは「封印」を解いて、ティルクに「本当の名」を教えた。
喉の奥から熱い塊が逆流して、口の中に血の味が広がる。わたしは表情を変えずに、それを飲みこんだ。
もう、誰も呼ぶことのない。
忘れてもいいかもしれない名前。
でもわたしにとっては大切な本名を、わたしはこの世界でできた大切な人に教えた。
そして再度、「本当の名」に「封印」をかける。
契約は成された。
ティルクはなにもわかってないみたいだけど、わたしの「本当の名」を知った彼と、わたしの深層が繋がった。
彼はわたしを、「本当に殺せる」ようになった。〈魔女〉には「本当の名を知る者に殺されたときには、蘇生できない」という、呪いがかかっている。
たいていのことでなら、〈魔女〉は死んでも生き返ることができる。わたしも前の戦いでは、6回死んでそのたびに蘇生してるし。
「でも、誰にもいっちゃダメだからね。声に出すのも、文字に書くのも禁止。あぶないから」
「……はい、わかりました。ですがそのお名前で呼べないのであれば、やはりぼくは、あなたをどのように呼べばよろしいですか?」
それは、そうよね……。
「ティルクは、なんて呼びたい?」
「ご主人さまでなければ、女神さま……でしょうか」
なにいってんの? こいつ。
「却下」
「美しき……」
「却下。普通のでいいでしょ?」
どんなのが普通かわからないけど、美しきから始まるなにかは普通じゃないだろう。
十数秒の沈黙のあと、
「……しん、じゅ?」
ティルクがつぶやく。
「真珠と、呼んでよろしいですか」
普通といえば普通なのかな?
わたしは「真珠」を冠された〈魔女〉だからね。
さまが付いてないだけ、マシかな。
「じゃあ、呼んでみて」
「はい……真珠」
「なぁ~に? ティルク♡」
満面の笑顔を作ってやった。どうだ、かわいいだろう?
「すみません、少し不気味なので普通でお願いします」
なんだとこのやろう!
……はぁ。
まぁ、いいや。
「なにか質問はっ!」
ティルクは視線を斜め上に向け、1・2・3……3秒経過。
「結婚式は、いつにしますか?」
いつもの、仔犬みたいな顔で笑った。
【End】
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
35
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる