シンママの私と、元地味眼鏡くん

吉野葉月

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十六話

 誰かがアンドレとの会話に割って入って来た。
 
「噴水なら、僕が止めておきました。ついでに付近も綺麗に掃除しておいたのでお気になさらず」

 男性は背筋を伸ばしスタスタと歩いて私たちの前に割り入り、アンドレを軽く睨みつけた。

「僕の家に何か?」

 背の高い貴族の男性だ。
 銀色の髪が風になびいて揺れ、金の瞳は日差しで明るく光っている。貴族の知り合いはハウスキーパーの仕事先の男爵しか知らないはずなのに、彼の声には聞き覚えがあった。

「家? ここ、お前の家なのか?」

「そうだよ。ずっと前から僕の家だよ」

 アンドレは顔を真っ赤にして震えている。

「アンドレ、この方はいったい……」

 小声で耳打ちすれば、アンドレは蔑んだ目で見つめた。

「お前、コイツが分からないって相当アホなんだな。どこに目ぇつけてんだよ。眼鏡しか見てなかったのか?」

「失礼な……」

 そんなこと言われても知らないものは知らない。貴族の友人も、銀髪の友人もいない。
 不思議に思いながらも再び男性の顔を見上げれば、私の腕の中でリュシアンもコテンと首をかしげた。
 可愛くて息が止まった。
 お昼寝したから目が潤んでぷるぷるし、大きい瞳がより一層魅力的に見える。
 貴族の男性も同様に思っているのか、まばたきもせずにリュシアンを見つめている。リュシアンはちょっといたずらっ子だけど、全世界が認める美麗な赤ちゃんに違いない。

「あの、どなたか存じませんが、噴水を止めていただいて本当に助かりました。このままでは被害総額が大変なことになるところでした」

「いえいえ。周辺の民家にも水は来てなかったですし、水浸し程度で済んで良かったです」

「リュシアンもお兄ちゃんにありがとうって言おうね」

「きゃはっ! きゃーあ!」

 リュシアンを抱え直すと、ふと、男性の目が見開いた気がした。

「……」

「……ん? どうしました?」

 男性はリュシアンを凝視したあと、そばの私とリュシアンとを見比べて小さく呟いた。

「……ローズ?」

「はい?」

「あぁ、やっぱりローズだったんだ!」

 男性は顔をほころばせ、私の背中に大きく腕を回した。

「ということは、この子は僕の子どもだね?」

「……僕の……?」

 そんなことを言える人間はこの世にただ一人だ。

「イヴァン……?」

「うん! おかえり、ローズ!」

 銀髪で黄金の瞳を持つ青年──イヴァンは、私の身長に合わせて少し腰を屈めると、思いっきり抱きしめた。リュシアンと私は弾みでふわっと持ち上がった。

「えっ、待って! 怖いって!」

「大丈夫だよ」

 白樺の香りがふんわり鼻をかすめ、厚くなった胸板が私とリュシアンを包み込む。身長も雰囲気も私の知るリュシアンとは違っていて、知らない男の人のようである。心臓が意図せずドキドキと高鳴る。こんなはずじゃなかったのに、ねずみ色の仄暗い髪の毛や分厚い眼鏡はどこにいってしまったのだろう。地味でも眼鏡でもなくなったら、彼のアイデンティティはいったい。
 イヴァンは鎖骨までの長めの髪の毛を少し手に取り、私が尋ねるよりも先に口を開いた。

「綺麗な色じゃない? 太陽に照らすとほら、透き通るような銀色」

 まばゆい笑顔を繰り出して、彼は自らの髪を梳いた。地味眼鏡の通称がぴったりだと、心の中で思っていたことを謝ろうと思っていたのに、いざ彼を目の前にするとスラスラと言葉が出てこない。想像していたよりもずっとかっこよくて目を離せないのだ。

「気になる?」

「そりゃあ……」

 私は照れくさくなって、ぷいっと顔を反らしてしまった。聞いてみたいことが山ほどある、会いたかった人が目の前にいる。胸が激しく打ちつける。イヴァンはもちろん、私が少女のように胸を躍らせているなんて思わないだろう。

「というか……本物? 本当にイヴァン?」

「本物だよ!」

 なにせ、ずっと顔を合わせていなかったのだ。
 卒業式の日、私は照れくさくて逃げるように帰ってしまったから、まともに顔を合わせるのは事に及んだ日以来なのだ。
 イヴァンに会いたかったけど、いざ対面するとやっぱりどこか落ち着かない。そわそわした気持ちが、胸のあたりを疼かせる。

「ちゃんとホクロもあるよ。指先とうなじと、あと股間へ続く鼠径靭帯に沿って」

「そ、そういうこと言わなくていい!」

 イヴァンは私と会わなかった間、何をしていたのだろう。卒業して一年半、見ない間にお辞儀も服装も品のある、立派な貴族になっている。
 我を忘れて見惚れていると、アンドレは貧乏揺すりをしながらペッと地面に唾を吐いた。

「なんだ、その髪。高校デビューならぬ社会人デビューか? ウケるんだけど」

 イヴァンはアンドレの物言いにはビクともせずに頷いた。

「ある意味そうかもね」

「はぁ? ある意味?」

「学生時代は喋りたくても喋れなかったんだよ」

 ハッとして彼の顔に目を向けた。
 そういえば、滞ることもどもることもなく流暢に話している。以前のイヴァンは必要最低限のことしか口に出さなかったのに。

「やっと封印が解けたんだ」

 執事の言葉が頭によぎる。
 膨大な魔力を抑えるために分厚い眼鏡をかけ、口をつぐんでいたのだ。

「僕の魔法も見て!」

 ブワッと風が渦を巻き、リュシアンが咲かせたカトレアの花が一斉に舞い上がった。赤い花が風に乗り、彼の遥か頭上をくるくると浮遊する。

「なっ……!?」

「こ……れは……」

「魔法だよ。僕、魔力調節ができるようになったんだ。ローズのおかげでね!」

 イヴァンが腕を一振りすると、様々なところで舞っていた鮮やかな花が列をなして並んだ。花はフェリクス侯爵家の屋敷の壁や窓枠、庭園のテーブルや椅子などにポンポンと意思を持つように飛んで、庭は華やかに彩られた。

「きゃはー!」

 リュシアンは喜んで手を叩いている。

「お前が魔法なんか使える訳ねぇだろ。デタラメ言うな」

「デタラメじゃないよ」

 イヴァンはクスッと笑うと、唇に人差し指を立てる仕草をした。

「僕はね、生まれ変わったんだよ。アンドレくん」

 イヴァンの金色の瞳が鋭く光り、アンドレは身震いした。学生時代には考えられなかったことだ。

「あの日は大変だったんだよ。自分でもなんであんなことできたのか分からなくて、全然眠れなかった」

「坊っちゃん挙動不審でしたね。顔を真っ赤にして汗ばんで帰宅して、食事もせずに自室に籠もってしまわれて」

「あははっ。本当にね。バレバレだよね」

 通りがかった執事が口を挟む。
 やはり知られていたと思うとちょっと照れる。何を隠そう、誘ったのは私だから。

「日付が変わってからやっと眠りにつけたんだけど、次の日、起きたら髪がごっそり抜け落ちたんだ。抜けなかった髪も生え際から変色した。三日後には今のような銀色に全て変わってしまったんだ」

「目の色も同じですな。瞬きするたび、徐々に金色に染まって」

「……」

 イヴァンの瞳は、元々はリュシアンと同じ黒色だ。わざと視力を下げ、視界がぼやける眼鏡の奥で、どんなふうに見えていたのだろう。そして今はどんな世界が見えているんだろう。

「最初、僕は病気の線を疑ったんだよ。ローズが実は男好きな遊び人で、得体の知れない性病を移されたって。でも違った。湯浴びをイメージしたらベタベタした身体が温水で洗い流され、あっという間に綺麗になった。ブランチのスープはカップの取っ手を握って念じたら、ちょうどいい温度に温まった。それまで魔法に困らされていたのに、自由に操れるようになっていたんだ」

 イヴァンは下半身に目を向け、つられて私も視線をやった。

「それで分かったんだ。使ったからだって」

「……」

 私の脳裏に浮かぶのは、過ぎし日の全裸なイヴァン。私と彼の淫らな姿を思い出して、自然と頬が染まっていく。

「何を」

 ピンと来ていないアンドレは、しつこくイヴァンに問い詰める。

「僕の……」

「やめて──!!」

 口に出しそうなイヴァンを、私は顔を真っ赤にしながら必死の思いで食い止めた。
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