シンママの私と、元地味眼鏡くん

吉野葉月

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二十四話

 地上へと続く階段の入口で、アンドレが鬼の形相で私を睨みつけていた。
 
「こんなところに堕ちて……売女にでもなるつもりか!?」
 
 右腕をグッと捕まれ、彼のそばへ引き寄せられた。
 
「こんなところって……」
 
 断っておくが、アルカナリア帝国では風俗営業は違法ではない。お金を稼ぐ手段がない人たちの最後の砦として、また性欲を持て余している人たちのため、罰則等はない。堂々と言える職業でないことは確かだが。
 
「だから何? 私はお金が欲しいのよ。邪魔しないでくれる?」
 
「お前はここにいるべきではないと言っているんだ!」
 
「じゃあどこにいればいいのよ!!」
 
「それは……」
 
 アンドレは急に声をひそめたが、すぐに胸を張って言った。
 
「オレのところだ!」

「冗談はやめて」

 私は目を伏せ、息を漏らした。
 またその話かと思うとうんざりする。

「私は誰とも結婚しないと言ったでしょう」

「身体を売ってもか?」

「そうよ」

 身体で稼げるのは若い女の子の特権である。物は言いようだ。堂々と言い放つと、アンドレはしばし考え込んで頭を垂れた。

「……お前なんか売れるのか?」

「はぁ!? 失礼ね。まだ二十歳だけど」

 ナンバーワンにはならなくとも、客を取ることくらいできる。イヴァン教えてくれた性的な知識も忘れてはいない。

「世の中にはこんな女でも興奮できる男の人もいるんです」

「……オレとかな」

「やめて。気持ち悪い」

 意味が分からない。
 散々けなされた人から好きだと言われて、喜ぶ人間がどこにいるのだろう。

「お客様を待たせているの。もう帰って」

 扉を閉めようと身体を強く押せば、どこに隠していたのかアンドレの手には花束が握られてあった。

「オレが客になればいい話だ」

 アンドレは薄暗い地下室の入口で、マーガレットの花束を私へ向けた。

「ローズ、本気だ。結婚してくれ」

 虫酸が走る。

「嫌です」

「そう言うと思ったぜ」

 アンドレは鼻で笑い、花束を無造作に投げ捨てた。私は目を疑った。

「ちょっと何してるの。お花がダメになっちゃう……」

「高田華子」

「……え?」

 一瞬、息が止まった。
 高田華子は前世の私の名前だ。一人娘に恵まれ、夫のモラハラに耐えて生きてきた女性だ。
 何故アンドレが私の名前を知っているのだろう。
 身体の芯まで冷たくなっていく。

「どした? 顔色悪いじゃん。寂しいなぁ」

 アンドレは私の顔を覗き込んできたが、目を合わすことができない。

「どうしてその名前を知っているか、教えてあげようか」

 いやだ。
 知りたくない。
 声に出そうとしているのに、上手く言葉が出てこない。私は震える手でスカートの裾を握りしめた。
 アンドレは私の様子にはお構いなしに喋り続ける。

「前世の記憶があるからだよ、華子」

 身体中を悪寒が走った。
 多くの人は私のことを名字、または華ちゃん、もしくは華子さんと呼んでいた。呼び捨てにする人物はひとりしかいない。

「玲王さん……?」

 アンドレはニヤリと口角を上げる。

「おう。久しぶりだな、奥さん」

 目の前がたちまち真っ暗になる。

「オレはアンドレ・アルカン。前の名を高田玲王。お前の前世の夫だ」

 頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
 私の他にも前世の記憶を持つことがいること、そしてその相手がアンドレだということに。

 前世の私は病気がちで、晩年は完治しない病を患っていた。しかし生きる喜びより死んで楽になりたい思いが強く、延命はせずに肉体の限界が来るのを選んだ。娘が成人してからは、夫の支配下にあるこの生活を終わらせたいとばかり考えていた。
 だから四十代で死んだとき、やっと解放されると清々しい気持ちだった。これからは天国で、娘の幸せを願おうと思った。

 それなのに、死んでも生まれ変わって出会ってしまうなんて。
 なんで?
 神様、この人が私に吐いた暴言の数々を見ていなかったの?

「どうして、“私”が、高田華子だと?」

「はっ。知らねぇよそんなの。第六感?」

 アンドレの足元で、白い花びらがグシャリとちぎれる。

「お前は知らなかったみたいだけど、オレは一目で分かったぞ。コイツは昔どこかで出会ったことがあるって確信していた。そこからは早かったぜ。昔オレと関わりがあった人物で、オレに素っ気なく振る舞いそうな人物を総ざらいしていった」

「……」

 ふらつきそうになるのを必至でこらえる。
 アンドレは好きではない。
 しかし、前世の夫はもっと憎い。
 喋り続ける彼の声が、いつしか夫の声のように聞こえる。否が応でも自分の所有物にしたいアンドレの行動が、自由を厭う夫の思想とピッタリと一致する。

「お前のことだ。まーた、オレに指図されたくねぇとでも思ってるんだろう?」

 私は口をぎゅっと結んだ。
 アンドレが夫なら何を言っても無駄だ。弁の立たない私は夫に言いくるめられることが分かりきっている。

「図星だろ? お前のことなんかお見通しなんだよ」

 アンドレは踵を返すと、部屋が並ぶ方へゆっくりと歩き出した。私は我に返って、彼の前に立ちふさがった。

「やめて。お客様がいるって言ってるでしょう」

「お客様ねぇ」

 クックックッ、と、馬鹿にしたように笑う。

「いいかい? お前の未来は真っ暗だ」

「先のことなんて分からない」

「分かるね」

 アンドレはドン、と壁に腕をついた。
 前世を思い出して全身に鳥肌が立つ。

「色んな男とヤッてれば間違いなく、そのうち病気をもらう。二十数年過ごした感じ、昔みたいに科学が発達してねぇことは確かだし、特効薬のワクチンもない。お前、死ぬ一択だ。」

 ギラついた瞳が私を捕らえた。

「……あなたと結婚するくらいだったら死んだほうがマシよ」

「金がなくてもか?」

 アンドレは騎士服のズボンから小銭を取り出した。丸いシルバーのコインは、千円ほどの価値がある。

「公園の修復費、いくらかかるか知ってるか?」

 アンドレは巾着の中のコインをすべて床にぶちまけた。コインはぶつかりあってジャラジャラと音がした。

「これで一万だ。おおよそ、これの百倍の価格だな」

「!!」

 つまり、一千万円だ。
 背筋が凍りつく。

「死んでもいいけど。お前が返せなかったら子どもに払ってもらうことになるんだけど、ちゃんと分かってるよな?」

「……!」

 心臓が、破裂しそうなほど速く打ちつけた。
 修理にそんな大金が必要だったなんて初耳だ。せいぜい数百万円だと思っていた。

「自分の夢は諦めて、借金返済のための人生。おぉ、なんて可哀想なことよ」

 アンドレはわざとらしく泣き真似をした。

「だがな。その残酷ルートを通らない方法がひとつだけある」

 私を蔑んだ目で見下ろした。

「オレと結婚するんだな。そうすればチャラにしてやる」 
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