シンママの私と、元地味眼鏡くん

吉野葉月

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二十九話

 今夜は侯爵家に泊まることになった私は、部屋着に着替えてまた一階へ降りてきた。
 一階ではイヴァンがリュシアンを抱きかかえたまま、ソファでうたた寝していた。
 そういえばアンドレは、この家を早朝に訪れている。遅くまで仕事をしていたイヴァンは、寝たばかりで起こされたのかも知れない。
 リュシアンはというと、どこかから持って来た眼鏡を握りしめて寝ている。必需品だったものがすっかりオモチャにされていて、私は小さく吹き出した。

「ブランケットを貸していただけますか? このままでは少し肌寒そう」

 メイドにお願いすると、快く頼みを引き受けてくれた。


 すやすやと寝息を立てて眠っている二人は、ブランケットをかけても紅茶を入れてもビクリともしない。

「よっぽど疲れているのね……」

 私はソファの横にしゃがみ込んで、肘掛けに腕をついて彼の顔を眺めた。
 閉じたまぶたの先で、長いまつ毛が一定のリズムで上下する。入学した頃、目線が同じだった小さなイヴァンの面影が残っている。寝ていると幼く見えるけれど、彼も私と同じ二十歳の青年だ。
 
 先程、太陽が落ちたみたいに敷地全体が明るく照らされた。リュシアンにはあの威力の魔法は出せないから、おそらくイヴァンの魔法だろう。
 大人になった彼は、今度は私を守る番になったということだろうか。

「何のために……」

 イヴァンは私のことを迎え入れたいのだろうか。イヴァンのことは嫌いじゃないけれども、私の中に刻まれる前世の記憶が、結婚に歯止めをかける。
 女性が外で活躍できる時代に生まれながら、夫の言いなりにしか生きられなかった。尽くしたって、感謝のひとことさえなかった。
 相手が誰であろうと、結婚だけは受け入れられない。

「ごめんね……」

「いいよ」

 突然イヴァンは声を上げ、私は驚いて咄嗟に口を手で抑えた。

「イヴァン? 起きてるの?」

「……」

 返事はなく、まぶたは固く閉じられたままだ。

「ライアン、お砂糖もうひとつくれる?」

 ライアンとは侯爵家の老執事の愛称だ。私を彼と思っているのだろう。私はそのままソファの横で彼を見上げた。

「かしこまりました、坊っちゃん」

 執事のふりをして夢の中の彼と言葉を交わす。イヴァンは口をモゾモゾ動かしながらも、すやすやと寝息を立てている。

「ねぇ……ライアン」

「は、はい、なんでしょう」

 声のトーンがだいぶ異なるが、夢の中のイヴァンは気づいてはいないようだ。

「僕、生きてて良かった……」

 思いがけない台詞に、私は目を丸くした。
 死にたいくらい、嫌なことがあったのだろうか。
 優しくて真面目な彼にそんな台詞を言わせるなんて、どこのどいつだ。タンスの角に小指をぶつけれて悶えてしまえばいい。

「そうですよ。死んだって憎い相手は変わりません。あなたが損するだけですよ」

 前世で私が病死したあと、家族の生活は変わらなかった。いや、むしろ娘にしわ寄せが行っていた。成仏するまでの短い間で衰弱する彼女を目の当たりにし、何度抱きしめたいと思ったか。
 人の傷みが分からない人には、どんな名言も響かないのだ。

「人生は、思い描いた通りにはならない。でも、予想外の幸せにも出会えるんだね」

「予想外……リュシアンですか?」

 私の人生設計の中には組み込まれているが、イヴァンにとっては考えていなかっただろう。私は心苦しく思いながら、おずおずと訊ねた。

「あはは、ローズだよ」

 心臓が強く脈を打つ。

「わ……私? いえ、ローズさまですか?」
 
 突然名前を呼ばれ、私は慌てふためいた。
 鼓動が激しく、鳴り止まない。

「な、なんで……」

「なんで……? やだなぁ、それは僕と彼女だけの秘密じゃやないか」

 イヴァンは含み笑いをした。

「リュシアンも可愛いけどね。でも今の僕は、ローズがいなかったら別の人格になっていたと思うし」

「お、大げさですよ」

「そうかなぁ……」

 むにゃむにゃと、たまに宇宙語混じりで話し続ける。
 私がいたからなんて、たいそれたことを言う。
 私は頼られる側ではないし、あなたのことを利用しようと見定めていた人間だ。

「例えばそうだなぁ……いじわるされて服がびしょびしょになったとき、遅くまでひとりで教室に残ってたことがあったんだ。義父さんを心配させたくなかったから家にも帰れなくて……十歳くらいだったかな。そうしたらね、ローズがいきなり教室に飛び込んで来て、“家まで送ってくれない? ”って言うんだ」

 そんなことあっただろうか。
 必死で記憶を手繰り寄せるが、十年前のことなんてほとんど覚えていない。

「ローズは図書館で勉強してたら真っ暗になってたんだって。夜道は危ないから誰かと帰りなさいって言われてるからって、僕は言いつけの道連れにされちゃったんだ」

「そ、それはそれは……」

「僕でも良いんだ、って。パァッと心が明るくなったんだ。地味眼鏡な僕でも、頼りにしてくれてるんだって」

「……」

「試験前でもうみんな帰って、誰もいなくなっちゃってて。真っ暗な廊下に僕たち二人だけの足音が響くんだ。窓ガラスには僕の大好きな、ローズの横顔が映ってさ。綺麗だった。同い年とは思えなかった……」

 頬が熱くなる。
 イヴァンはまさか私が聞いているなんて、これっぽっちも思っていないだろう。

「で、問題はこのあと。ライアン、覚えてる? ローズ、誘拐されかけたよね」

「え……!?」

 いや、記憶にない。
 そんなことは初耳だ。

「知らない人たちが僕たちに声をかけてきた。雨だから馬車で送っていってあげるよ、って。一人が馬車から身を乗り出し僕たちの顔を交互に見て、ローズを選んだ。無理矢理に馬車へ乗せようとした」

「!!」

「驚くべきことに、ローズも乗り気だった」

「え? そのはずは……」

 私は恋愛脳じゃないし、男好きで異性の肉体が無いと生きていけないタイプでもない。

「普通、ああいう輩は身体に墨を入れてたり言葉も乱暴だったりするよね。でも彼ら、元貴族だったのかな。所作が丁寧で紳士的で、僕の目から見てもかっこよかったんだ。“個人所有の図書館に向かってるから一緒に行かないか”って。ローズにとっては堪らなかったろうね」

 だからホイホイ着いて行ったということか。自分のことながら、呆れて顔が真っ赤になった。
 イヴァンはまぶたを閉じたまま、ぎゅっと拳を握った。

「でね。僕、負けたくないと思ったんだ。僕に話しかけてくれるただ一人の彼女を、他の人に渡したくなかった」

 私はハッとしてイヴァンの顔を見つめた。
 私にもリュシアンにも、手を差し伸べてくれる親切な人。いつも笑顔でいるけれど、同情心とか、見返りを期待しているのではないのだ。

「もし先生や大人に言われて僕と仲良くしてくれているんだとしても、それでも良かった。あの頃の僕は、彼女に何度も救われたから」

 先生に言われたから仲良くしていたのではない。私が仲良くなりたいから、話しかけていたのだ。
 心の中で主張したが、執事になりすましている以上、本当のことを教えることはできない。

「彼女が馬車へ乗り込んで、我慢できなくて詠唱してしまった。制御できないうちは魔法を使わないと決めていたのに堪えきれなかった」

 イヴァンは指でクルクルとらせんを描いた。
 浮遊や竜巻を起こす技であり、リュシアンもよく使っている。

「風魔法だ」

「悪い男たちを吹き飛ばしたのでございますね」

「いや、違う」

 イヴァンは座ったまま私に手を伸ばすと、ふわりと腕の中へ抱きしめた。

「え……な……っ!?」

「こうやった」

 イヴァンとリュシアンへかけてあったブランケットがはらりと落ちる。口元にイヴァンの腕が当たり、彼の匂いに包まれる。

「僕たちが消えたんだ。気づいたら、教室に瞬間移動していた。彼らにローズを触らせたくないと思ったら、居ても立ってもいられなかった。攻撃より先に逃げる方を選んだんだ」

 イヴァンらしくて、納得だ。
 誰かに何か意地悪を言われても、あまり言い返す方じゃない。

「再び戻って来てしまった教室で、ローズはやっぱり僕を受け入れてくれた。親が迎えに来るまでかくれんぼしようとか、学園の七不思議を検証しに行こうとか、普通の友達みたいに接してくれた。僕は楽しくて嬉しくて……心の底から思ったんだんだよ。ローズが好きだって。ローズが望むもの、なんでも叶えてあげたいって……」

 目をつぶったままのイヴァンが微笑み、心にあたたかいものがあふれた。
 彼が好きなのはきっと、飾らない私の姿。
 相手を立てたり、顔色を伺うことなんて必要ない。自然体でいてもいいんだ。

 頬を涙が伝った。

 本当の私は、我儘なんだ。
 社会の荒波を渡っていけるだけのバイタリティや能力は持ち合わせていないくせに、子どもとふたりで自由に生きたいと願っている。

「なんでも……」

「そうだよ。なんでもだよ」

「リュシアンの存在は迷惑じゃない?」

「迷惑じゃない」
 
 きっぱりと言い切った彼の姿がまぶしく、涙で前が見えない。

「僕の子どもの頃を支えてくれたローズを、超える人は現れない。僕にとっては君が最初で最後の大切な女の子だよ」

「……うん」

 子どもが欲しいと頼んだのが、本当に彼で良かった。
 リュシアンはイヴァンのような、強くて優しい青年になってくれるだろうか。外見だけじゃなくて、心が優れた大人に育ってくれたらいい。
 私は彼の寝顔を改めて見つめる。きめ細やかな白い肌にかかる銀色の前髪を横に分けた。

 愛しているの気持ちを込めてーー私はイヴァンの唇にキスをした。
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