溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

吉野葉月

文字の大きさ
11 / 22

十一

しおりを挟む
 角度を変えながら何度か愉しんだあと、彼は目を瞬かせて言った。
 
「結婚しよう。俺の妻になって」
 
「……はい?」
 
 思いもよらぬ言葉に、間抜けな声が出た。
  
「俺の妻で、大和の母親。そんなに難しいことじゃないと思うんだけどなぁ。君にもできるし……というか、君にしかできないよ!」
 
 頼くんは平然とした顔で私の頬を撫でる。
 彼は平気かも知れないが、私にはブランクがある。そんなに何度もちゅっちゅするのはちょっと、どうかと思うんだけど。
 不意にくる口付けは防ぎようがなくて、私の心臓は先程からはち切れそうなのに。
 
「君はまだ婚約者の状態だ。なら、俺が奪ったって何の問題もないよな?」
 
「奪うって……」
 
「あのさ、優月。離島に女の子……それも婚約者のいる相手と二人で移住なんて、相当な覚悟がないとしないんだよ。俺は最初から、何が起こったって責任を取るって決意していたんだ。その為にたくさん貯金してるし、優月が困ったら力になれるように、色んなパターンを想定しているんだ。君の婚約者なんか全く怖くないね」
 
「……でも」
 
「正しい道に進もうとするのは君の良いところだけど、自分の気持ちも大事にしていいと思うんだよ。他人に合わせてばかりじゃ何のために生きているか分からなくなる。待ってて、君らしくいられる場所を取り戻すから」
 
 頼くんはコツンと額を合わせ、力強く語った。
 いつもそうだ。落ち込んでいると、暗いところから引っ張り上げてくれるのだ。
 自分ひとりじゃ不満な現状を打破する勇気のない私にとって、いつも指針になる考え方をしている。
 羨ましくて、憧れだ。
 
 口が立つ龍平に頼くんが傷つけられるようなことは避けて欲しいけれど、もし滅茶苦茶にやられたとしても、私を逃がそうとしてくれるその気持ちだけで充分嬉しい。
  
「うん」
 
 私は小さく返事をした。
 
 
 
 
 離島への小旅行を終え、またいつも通りの日常が戻った。
 洗濯機が終了の音楽を鳴らすと、五分も経たないうちに龍平がダメ出しの言葉を発する。
 
「おい、いつまでボーッとしてんだ。早く乾かさないと臭くなるって言ってんだろうが」
 
「……そんなに経ってないけど」
 
「言い訳すんじゃねぇよ」
 
 ちょうど帰ってきたばかりの龍平は、弁当箱の入った小ぶりのランチバッグをがシャンと床に投げつけた。
 以前は壊れるから止めてと言っていたが、「誰のせいでこうなったと思っているんだ」と反論されるのが目に見えており、考えるのをやめた。
 想定どおり、弁当箱は蓋のロック部分が外れていた。
 私は深くため息をついてそれに水を張った。
 放置していた密封容器特有の、嫌な臭いがした。
 
 蛇口は、手をかざすとセンサーが反応して自動で水が出てくる便利な道具である。離島の古民家とは比べ物にならないほど進化した、使いやすい最新式のキッチンだ。
 けれども、だからと言って居心地の良さと比例する訳ではないことを私は身を持って知った。不便でも慣れれば大きな問題ではない。むしろ懐かしいとさえ感じてしまうのは、元々裕福な家の出ではないからかも知れない。
 
「幸せってなんだろうな……」
 
 頼くんには私自身の気持ちを大事にしていいと言われたけど、他の人に迷惑をかけてまで優先してもいいことなのか、私には分からない。
 仕事も特技も何にもない私が、生き延びる以外のことを求めてもいいのだろうか。それって罪にならないのだろうか。
 
「おい! 電気点けるならカーテン閉めろって言ってるよな!?  耳悪ぃのか!? 」
 
「あっ……ご、ごめん」
 
 龍平に指摘され見て見れば、カーテン上部の左右を閉じるマグネット部分がくっついておらず、ほんの少しだけ外が見えた。 
 私には全く気にならないことが、彼にとっては叱咤するほどの注意事項となるから厄介だ。
 多分、これが価値観の違いというものだろう。
 
 私は頭に込み上げる怒りや不甲斐なさを、じっと拳を握りしめてやり過ごす。テーブルについた握りこぶしがプルプルと震える。
 
 |(今は我慢だ。頼くんは私と結婚したいと言ってくれた。そんなに簡単にはできないだろうけど、死ぬまでこうってことじゃない。その気持ちがあれば龍平の嫌みなんて平気よ。あんなの外野が騒いでるって思えばいいのよ、私の人生の主役は私)
 
 吐くことを意識して呼吸を繰り返す。
 不思議なことに、頼くんや大和くんの笑顔を思い浮かべれば、だんだんと鼓動は治まっていく。
 居場所がないと思っていたけどそんなことはなかった。頼くんも旧友も変わらず接してくれるなんて、私は幸運だ。
 
 |(そうだ、顔を上げなきゃ。私はひとりじゃないんだから)
 
 
 その日から私は、龍平の顔色を伺うことを減らした。もちろん彼の怒りは減ることはなかったけど、心の中に溜め込まないようにSNSを経由して吐き出すだけでだいぶ軽くなる。
 頼くんは私の話を否定しないから、私の存在をまるごと受け止めてくれている気がするしてくる。
 わかってくれる人がいるだけで明日も頑張れる気がする。
 
 |(やっぱり好き……)
 
 
 彼の姿を何度も反芻しながら、もらった言葉や笑顔を噛み締める。
 
 いつから好きだったのかと思い返せば、随分と前に遡る。まだ私も彼も十代だった頃の話だ。
 
「……」
 
 
 "旦那が不倫しているから別れることになるかも知れない"と妹が暗い顔をしていたのはこの頃だった。
 私は当事者でもないのに世界が一変した。
 永遠が、こんなに軽いものだとは知らなかったのだ。この気持ちをどうしても吐き出したくて、誰かに聞いて欲しくて、私は彼を選んだ。
 
 身内の話題を自分のことのように心配してくれた頼くんは、他人事とは思えないほど目に涙を溜めていた。
 
「……他人のことなのに、そんなに?」
  
 私が茶化してその理由を問うと、自分の弟もそう・・なんだって教えてくれた。
  
「そんなにだよ」 
 
 
 
 
「そっか、そのときから……」
 
 好きなものが一緒というのは話題に事欠かさないけど、苦しんでいるものが一緒なのはそれ以上に価値があるものなんだと知った。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

シンデレラは王子様と離婚することになりました。

及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・ なりませんでした!! 【現代版 シンデレラストーリー】 貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。 はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。 しかしながら、その実態は? 離婚前提の結婚生活。 果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。

財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す

花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。 専務は御曹司の元上司。 その専務が社内政争に巻き込まれ退任。 菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。 居場所がなくなった彼女は退職を希望したが 支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。 ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に 海外にいたはずの御曹司が現れて?!

美しき造船王は愛の海に彼女を誘う

花里 美佐
恋愛
★神崎 蓮 32歳 神崎造船副社長 『玲瓏皇子』の異名を持つ美しき御曹司。 ノースサイド出身のセレブリティ × ☆清水 さくら 23歳 名取フラワーズ社員 名取フラワーズの社員だが、理由があって 伯父の花屋『ブラッサムフラワー』で今は働いている。 恋愛に不器用な仕事人間のセレブ男性が 花屋の女性の夢を応援し始めた。 最初は喧嘩をしながら、ふたりはお互いを認め合って惹かれていく。

ピアニストは御曹司の盲愛から逃れられない

花里 美佐
恋愛
☆『君がたとえあいつの秘書でも離さない』スピンオフです☆ 堂本コーポレーション御曹司の堂本黎は、英国でデビュー直後のピアニスト栗原百合と偶然出会った。 惹かれていくふたりだったが、百合は黎に隠していることがあった。 「俺と百合はもう友達になんて戻れない」

君がたとえあいつの秘書でも離さない

花里 美佐
恋愛
クリスマスイブのホテルで偶然出会い、趣味が合ったことから強く惹かれあった古川遥(27)と堂本匠(31)。 のちに再会すると、実はライバル会社の御曹司と秘書という関係だった。 逆風を覚悟の上、惹かれ合うふたりは隠れて交際を開始する。 それは戻れない茨の道に踏み出したも同然だった。 遥に想いを寄せていた彼女の上司は、仕事も巻き込み匠を追い詰めていく。

叱られた冷淡御曹司は甘々御曹司へと成長する

花里 美佐
恋愛
冷淡財閥御曹司VS失業中の華道家 結婚に興味のない財閥御曹司は見合いを断り続けてきた。ある日、祖母の師匠である華道家の孫娘を紹介された。面と向かって彼の失礼な態度を指摘した彼女に興味を抱いた彼は、自分の財閥で花を活ける仕事を紹介する。 愛を知った財閥御曹司は彼女のために冷淡さをかなぐり捨て、甘く変貌していく。

契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~

猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」  突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。  冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。  仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。 「お前を、誰にも渡すつもりはない」  冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。  これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?  割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。  不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。  これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

処理中です...