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十一

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 角度を変えながら何度か愉しんだあと、彼は目を瞬かせて言った。
 
「結婚しよう。俺の妻になって」
 
「……はい?」
 
 思いもよらぬ言葉に、間抜けな声が出た。
  
「俺の妻で、大和の母親。そんなに難しいことじゃないと思うんだけどなぁ。君にもできるし……というか、君にしかできないよ!」
 
 頼くんは平然とした顔で私の頬を撫でる。
 彼は平気かも知れないが、私にはブランクがある。そんなに何度もちゅっちゅするのはちょっと、どうかと思うんだけど。
 不意にくる口付けは防ぎようがなくて、私の心臓は先程からはち切れそうなのに。
 
「君はまだ婚約者の状態だ。なら、俺が奪ったって何の問題もないよな?」
 
「奪うって……」
 
「あのさ、優月。離島に女の子……それも婚約者のいる相手と二人で移住なんて、相当な覚悟がないとしないんだよ。俺は最初から、何が起こったって責任を取るって決意していたんだ。その為にたくさん貯金してるし、優月が困ったら力になれるように、色んなパターンを想定しているんだ。君の婚約者なんか全く怖くないね」
 
「……でも」
 
「正しい道に進もうとするのは君の良いところだけど、自分の気持ちも大事にしていいと思うんだよ。他人に合わせてばかりじゃ何のために生きているか分からなくなる。待ってて、君らしくいられる場所を取り戻すから」
 
 頼くんはコツンと額を合わせ、力強く語った。
 いつもそうだ。落ち込んでいると、暗いところから引っ張り上げてくれるのだ。
 自分ひとりじゃ不満な現状を打破する勇気のない私にとって、いつも指針になる考え方をしている。
 羨ましくて、憧れだ。
 
 口が立つ龍平に頼くんが傷つけられるようなことは避けて欲しいけれど、もし滅茶苦茶にやられたとしても、私を逃がそうとしてくれるその気持ちだけで充分嬉しい。
  
「うん」
 
 私は小さく返事をした。
 
 
 
 
 離島への小旅行を終え、またいつも通りの日常が戻った。
 洗濯機が終了の音楽を鳴らすと、五分も経たないうちに龍平がダメ出しの言葉を発する。
 
「おい、いつまでボーッとしてんだ。早く乾かさないと臭くなるって言ってんだろうが」
 
「……そんなに経ってないけど」
 
「言い訳すんじゃねぇよ」
 
 ちょうど帰ってきたばかりの龍平は、弁当箱の入った小ぶりのランチバッグをがシャンと床に投げつけた。
 以前は壊れるから止めてと言っていたが、「誰のせいでこうなったと思っているんだ」と反論されるのが目に見えており、考えるのをやめた。
 想定どおり、弁当箱は蓋のロック部分が外れていた。
 私は深くため息をついてそれに水を張った。
 放置していた密封容器特有の、嫌な臭いがした。
 
 蛇口は、手をかざすとセンサーが反応して自動で水が出てくる便利な道具である。離島の古民家とは比べ物にならないほど進化した、使いやすい最新式のキッチンだ。
 けれども、だからと言って居心地の良さと比例する訳ではないことを私は身を持って知った。不便でも慣れれば大きな問題ではない。むしろ懐かしいとさえ感じてしまうのは、元々裕福な家の出ではないからかも知れない。
 
「幸せってなんだろうな……」
 
 頼くんには私自身の気持ちを大事にしていいと言われたけど、他の人に迷惑をかけてまで優先してもいいことなのか、私には分からない。
 仕事も特技も何にもない私が、生き延びる以外のことを求めてもいいのだろうか。それって罪にならないのだろうか。
 
「おい! 電気点けるならカーテン閉めろって言ってるよな!?  耳悪ぃのか!? 」
 
「あっ……ご、ごめん」
 
 龍平に指摘され見て見れば、カーテン上部の左右を閉じるマグネット部分がくっついておらず、ほんの少しだけ外が見えた。 
 私には全く気にならないことが、彼にとっては叱咤するほどの注意事項となるから厄介だ。
 多分、これが価値観の違いというものだろう。
 
 私は頭に込み上げる怒りや不甲斐なさを、じっと拳を握りしめてやり過ごす。テーブルについた握りこぶしがプルプルと震える。
 
 |(今は我慢だ。頼くんは私と結婚したいと言ってくれた。そんなに簡単にはできないだろうけど、死ぬまでこうってことじゃない。その気持ちがあれば龍平の嫌みなんて平気よ。あんなの外野が騒いでるって思えばいいのよ、私の人生の主役は私)
 
 吐くことを意識して呼吸を繰り返す。
 不思議なことに、頼くんや大和くんの笑顔を思い浮かべれば、だんだんと鼓動は治まっていく。
 居場所がないと思っていたけどそんなことはなかった。頼くんも旧友も変わらず接してくれるなんて、私は幸運だ。
 
 |(そうだ、顔を上げなきゃ。私はひとりじゃないんだから)
 
 
 その日から私は、龍平の顔色を伺うことを減らした。もちろん彼の怒りは減ることはなかったけど、心の中に溜め込まないようにSNSを経由して吐き出すだけでだいぶ軽くなる。
 頼くんは私の話を否定しないから、私の存在をまるごと受け止めてくれている気がするしてくる。
 わかってくれる人がいるだけで明日も頑張れる気がする。
 
 |(やっぱり好き……)
 
 
 彼の姿を何度も反芻しながら、もらった言葉や笑顔を噛み締める。
 
 いつから好きだったのかと思い返せば、随分と前に遡る。まだ私も彼も十代だった頃の話だ。
 
「……」
 
 
 "旦那が不倫しているから別れることになるかも知れない"と妹が暗い顔をしていたのはこの頃だった。
 私は当事者でもないのに世界が一変した。
 永遠が、こんなに軽いものだとは知らなかったのだ。この気持ちをどうしても吐き出したくて、誰かに聞いて欲しくて、私は彼を選んだ。
 
 身内の話題を自分のことのように心配してくれた頼くんは、他人事とは思えないほど目に涙を溜めていた。
 
「……他人のことなのに、そんなに?」
  
 私が茶化してその理由を問うと、自分の弟もそう・・なんだって教えてくれた。
  
「そんなにだよ」 
 
 
 
 
「そっか、そのときから……」
 
 好きなものが一緒というのは話題に事欠かさないけど、苦しんでいるものが一緒なのはそれ以上に価値があるものなんだと知った。 
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