拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~

藤原ライラ

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第一部:私だけの物語

32.お姫様抱っこ

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「仕方がないだろう。あんたの歩幅に合わせてたら夜が明ける」

 ものすごい言われ様である。私が特段歩くのが遅いということはないと思う。令嬢はみんなこんなものだ。

 人波をかき分ける様に、クリスはすたすたと歩く。
 周囲からの視線が針のように突き刺さってくる。とんだ注目の的だ。

 美男子に攫われるがごとく、夜会を後にする令嬢。
 私だって逆の立場なら目を奪われる光景だろう。

「そういうことじゃ、なくて」

 ぴたりと体が密着したら、衆人環視とは別の恥ずかしさも込み上げてくる。見上げるばかりだった端整な顔が、すぐ近くにある。

 これはいわゆる、“お姫様抱っこ”というやつだろうか。

 はじめてされた。あんなに小柄で華奢だった腕に、私は抱き上げられている。そして、これは不思議と嫌ではないのだ。

「じゃあなに」

「重たく、ない……?」
 最近ちょっと体重が増えた。理由は分かっている。

 クリスが時々持ってくるお菓子がいけないのだ。
 美味しいな、と思って食べて、自分でもまたそのお店に行って買ってしまって。そんなことを繰り返しているうちに、太った。仕立てたドレスが入らないほどではないけれど。

 青い目がちらりと私を見遣る。けれどそれは一瞬のことで、彼はまたすっと前を向いた。背中に回した手の位置を少し変えて、彼は私を軽々と抱え直す。

「振り落とされたくなかったら、肩か首に手を置いてつかまって」

 身を縮めるように胸の前で握りしめていた手を、肩に置いてみる。
 服越しに骨ばった感触が触れる。

 二人で並んで歩いていた頃、私達の影は同じように伸びていて変わりなかった。
 この肩はいつの間にこんなに広くなったのだろう。

 侯爵家の馬車に荷物のように担ぎ込まれたかと思うと、クリスは大きな音を立てて扉を閉めた。すぐに御者に自分の屋敷に向かうように告げる。

「あ、私、家に帰してもらったら」

「一人じゃ脱げないドレスを着たままで? その恰好で寝るの? ばかじゃないのか」

 確かに、このドレスは構造が複雑なので一人では脱げない。でも息を吸うようにばかだと言われると、さすがの私でもちょっとむっとする。

「……母上にも今日は連れて帰ってくるように言われてる」
 言い訳のように、クリスは言った。エステル様にまで言われていたらしょうがない。

「そもそもあんたが悪いんだ」

 整えられていた前髪をわしゃわしゃと崩すと、いつものクリスの顔に戻る。仏頂面が睨みつけてくる。

「私が?」

「オースティン男爵は、社交界随一の女たらしで通ってるんだぞ。そんなやつにほいほい近寄っていくやつがあるか」

「ご、ごめん」

 一応、近寄ってはいなくて向こうが寄っては来たのだけれど。
 全然知らなかった。そんな人には見えなかったのに。
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