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前日譚:青百合の王と灰の魔術師
10.魔術師の願い
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「百年かかったよ、マルコ」
エアハルトはゆっくりと目を開けた。王の言葉は時を経て、現実になった。通り過ぎていくだけだったものに、心を奪われた。
木漏れ日のように煌めく瞳。夜空のような黒い髪。
その全てを自分のものにできたら、どんなにかいいだろう。何度も何度も考えた。その時同時に、ティーナが、マルコが、エアハルトを見た。
愛だとか、恋だとか、結局もう百年生きても分からなかった。王女様の目を見れば、自分に惚れていることは明らかだったけれど。
だって、それは全部エアハルトがそうなるようにしたことだ。キスをして、微笑みかけて、髪を撫でた。好きになるように、仕向けた。
あの本を読んだ時、王女様の記憶を対価にしようと決めた。
どうせ記憶を奪うのなら、最後に優しくしてもよかったのかもしれなかった。けれど、優しくしてしまったら、その時彼女が応えてくれてもそうじゃなくても、もう手放せる気がしなかった。
いつもそうだ。優しくしてもひどくしても、最後に女は泣く。ティーナのように、王女様のように。
椅子から立ち上がって、左の人差し指で円を描いた。
「現れろ」
言葉のまま、重厚な造りの扉がエアハルトの前に出現する。これは対価を置いている空間へと繋がる扉だった。エアハルトしか知らない秘密の部屋。
山のように積まれた金塊が、眩い光を放つ。その傍には色とりどりの宝石がごろりと無造作に転がっている。
虚しくて美しい、誰かの願いと釣り合うもの。
金塊の真ん中に、ちょこんと場違いなクマのぬいぐるみが座っていた。
マルコの最初の願いの対価はこれだった。
最初の願いの時も、マルコは「なんでも望むものを」と答えた。だから、彼が毎晩抱いて眠っていたぬいぐるみを対価にした。
王女様に話した通り、あの後マルコとティーナがどうなったのか、エアハルトは知らない。ただ、今の世の地図に、彼が治めた国の名前はもうない。
それが、マルコの願いを叶えた報いなのかは、分からない。
ローブから王女様の刺繍のハンカチを取り出す。これをクマの隣に飾ろうか。
名前は番だけに呼ばせるものだと、師匠は教えてくれた。人間を番にする方法もあると言っていたけれど、エアハルトはそれを知ることを拒んだ。必要のないことだと思ったから。
彼女の声が、エアハルトの名前を呼んだらどんな気分だっただろう。あの鈴を転がすような声がまた頭の中で響く。
「大切にするって、言ったもんな」
大切にするということが、どういうことか、本当のところは分からないけれど。少なくとも、ここに飾ることではないような気がした。エアハルトはまたローブにハンカチを仕舞込んだ。数々の仰々しい対価に背を向けて、元の部屋に戻る。
扉はエアハルトが出ると、何もせずともぬるりと、姿を消した。
「おれだけを見て、おれのことだけ考えて、おれだけのものになってほしい、か」
カウチソファに横になって考える。願う側になって初めて、望みを口に出すことがこんなにも難しいのだと気が付いた。自分は本当は何を望んでいるのか、暗闇の中に放りだされた気分だ。
手を離したのは正しかったのか、縛りつけることが正しかったのか。
望んだ願いが叶って、呪いが解けて、彼女は幸せになれるだろうか。もし幸せになれないのなら。
「おれが君を幸せに……っていうのはだめだな。もしできなかったら噓になる」
結果として嘘になるかもしれないことは、言えないしできない。そして仮定としてでさえ、そんなことを考えている自分が、とんでもなくばかだなと思った。ばかで、愚かで、エアハルトは声を立てて笑った。
けれど、忘れてしまいたいとは思わなかった。
エアハルトはこれから先も、もっと長い時間を生きるだろう。そして、きっと何度も思い出すだろう。彼女のことを。
名前なんて、ただの記号だ。
誰かが誰かに付けた、区別のための呼称だろう。それでも特別なのは何故だろう。
「ルイーゼ」
聞こえないところなら、もう一度くらい名前を呼んでも許されるだろうか。呟いた小さな声は、雨音にかき消されていった。
雨はまだ、降り続いている。
エアハルトはゆっくりと目を開けた。王の言葉は時を経て、現実になった。通り過ぎていくだけだったものに、心を奪われた。
木漏れ日のように煌めく瞳。夜空のような黒い髪。
その全てを自分のものにできたら、どんなにかいいだろう。何度も何度も考えた。その時同時に、ティーナが、マルコが、エアハルトを見た。
愛だとか、恋だとか、結局もう百年生きても分からなかった。王女様の目を見れば、自分に惚れていることは明らかだったけれど。
だって、それは全部エアハルトがそうなるようにしたことだ。キスをして、微笑みかけて、髪を撫でた。好きになるように、仕向けた。
あの本を読んだ時、王女様の記憶を対価にしようと決めた。
どうせ記憶を奪うのなら、最後に優しくしてもよかったのかもしれなかった。けれど、優しくしてしまったら、その時彼女が応えてくれてもそうじゃなくても、もう手放せる気がしなかった。
いつもそうだ。優しくしてもひどくしても、最後に女は泣く。ティーナのように、王女様のように。
椅子から立ち上がって、左の人差し指で円を描いた。
「現れろ」
言葉のまま、重厚な造りの扉がエアハルトの前に出現する。これは対価を置いている空間へと繋がる扉だった。エアハルトしか知らない秘密の部屋。
山のように積まれた金塊が、眩い光を放つ。その傍には色とりどりの宝石がごろりと無造作に転がっている。
虚しくて美しい、誰かの願いと釣り合うもの。
金塊の真ん中に、ちょこんと場違いなクマのぬいぐるみが座っていた。
マルコの最初の願いの対価はこれだった。
最初の願いの時も、マルコは「なんでも望むものを」と答えた。だから、彼が毎晩抱いて眠っていたぬいぐるみを対価にした。
王女様に話した通り、あの後マルコとティーナがどうなったのか、エアハルトは知らない。ただ、今の世の地図に、彼が治めた国の名前はもうない。
それが、マルコの願いを叶えた報いなのかは、分からない。
ローブから王女様の刺繍のハンカチを取り出す。これをクマの隣に飾ろうか。
名前は番だけに呼ばせるものだと、師匠は教えてくれた。人間を番にする方法もあると言っていたけれど、エアハルトはそれを知ることを拒んだ。必要のないことだと思ったから。
彼女の声が、エアハルトの名前を呼んだらどんな気分だっただろう。あの鈴を転がすような声がまた頭の中で響く。
「大切にするって、言ったもんな」
大切にするということが、どういうことか、本当のところは分からないけれど。少なくとも、ここに飾ることではないような気がした。エアハルトはまたローブにハンカチを仕舞込んだ。数々の仰々しい対価に背を向けて、元の部屋に戻る。
扉はエアハルトが出ると、何もせずともぬるりと、姿を消した。
「おれだけを見て、おれのことだけ考えて、おれだけのものになってほしい、か」
カウチソファに横になって考える。願う側になって初めて、望みを口に出すことがこんなにも難しいのだと気が付いた。自分は本当は何を望んでいるのか、暗闇の中に放りだされた気分だ。
手を離したのは正しかったのか、縛りつけることが正しかったのか。
望んだ願いが叶って、呪いが解けて、彼女は幸せになれるだろうか。もし幸せになれないのなら。
「おれが君を幸せに……っていうのはだめだな。もしできなかったら噓になる」
結果として嘘になるかもしれないことは、言えないしできない。そして仮定としてでさえ、そんなことを考えている自分が、とんでもなくばかだなと思った。ばかで、愚かで、エアハルトは声を立てて笑った。
けれど、忘れてしまいたいとは思わなかった。
エアハルトはこれから先も、もっと長い時間を生きるだろう。そして、きっと何度も思い出すだろう。彼女のことを。
名前なんて、ただの記号だ。
誰かが誰かに付けた、区別のための呼称だろう。それでも特別なのは何故だろう。
「ルイーゼ」
聞こえないところなら、もう一度くらい名前を呼んでも許されるだろうか。呟いた小さな声は、雨音にかき消されていった。
雨はまだ、降り続いている。
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みんなの感想(4件)
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読み終わりました!
良かった!なんか、大人のためのおとぎ話って感じで、表面が乾いている心に潤い与えて、静かに深部に到達していくお話でした。
良きお話をありがとうございました!!
かんなさん
お読み頂きありがとうございます!
もうほんと嬉しいです……。
こう、切ないけれども救いがあるというか、残酷だけど優しいお話を目指していたので、お心の深いところまで届いたのならば幸いです。
感想ありがとうございましたm(_ _)m
君の中のおれキターっ!!!!!最高すぎる!!!。・゜・(ノД`)・゜・。
なとみさん
ありがとうございます!
分割して転載する時にサブタイ悩んだんですけど、なとみさんが好きって言ってくれたのでこれにしました!
あらためて再読してます🫶
ハーディさんかっこいいー!!!
何度も言ってる気がしますが、「ここから先は大人の時間」ってするハーディさんが好きすぎます💕
そして、お兄様方のお名前を見ると何だかニコニコしちゃうし、ハッピーちゃんの出番も心待ちにしちゃいます🕊️✨
夕月さん
感想ありがとうございます!
この話はもうハーディのかっこよさだけで持ってるあれなのでそう言って頂けて嬉しいです^^
ハッピーはね、いい奴なんですけどね!
再読本当に嬉しいです°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°