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第一章 動き出した英雄譚
第三話 遠見の鏡
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「え、えエッと……ソれは……」
アイラにとっては彼女がウンディーネだということよりも、そっちの方が衝撃が大きかった。
なにせ彼女は、まだ自らの名前を名乗っていないのだ。理解が全く追いつかない状況を前に、忘れていた恐怖が再びやってくる。
「おいウル。お前また覗いたな?」
「だっテ! この子がどんナ子か分からなイとこっちが危ないじゃナイ! もしこの子が悪者デ、起キタ瞬間襲ッテきたらどうするのヨ!」
「あの程度の魔物に手も足も出ない奴に、そこまで警戒する必要ないだろうが! 大体、無断での魔法の使用は禁じていたはずだ!」
「うッ……」
青年の叱咤にウルは所在なさげに少年から視線を外す。
今の会話をしっかり聞いていれば、きっと今アイラが抱えているモヤモヤも解消できたのだが、青年のアイラへの至極適当な評価に思いっきり心を抉られてしまったため、彼女の心境はそれどころではなかった。
確かにアイラに魔物と対峙する力はない。だが、それを名も知らぬ青年に指摘されては如何ともし難い。
なにか一つでも反論をせねばと一本踏み出すも、残念ながらその材料になり得るものが彼女にはなかった。
そんなアイラの様子に気付いた青年はわずかに目を細めたが、彼が起こした反応はそれだけだった。
結局なにも言わぬまま、青年はアイラから視線を切ってウンディーネを半眼で睨んだ。
「すまない。コイツはどうやらお前の夢を覗いていたらしい。俺の不手際だ、どうか許してやって欲しい」
「えッと、ごめんなさイ」
青年とウルが揃って頭を下げるが、理解が追い付いていないアイラはただ狼狽えることしかできない。
そもそもアイラは、夢を覗くという行為に検討がついていなかったのだ。
「分カラないって顔ネ。ワタシの存在ニついてもマだ半信半疑だッタみたいだシ。もしカシて、アイラって精霊にツいてもあまり分かってナイんじゃなイ?」
「あ、あはは……はい、実はあんまりよく知らなくて……」
アイラの住んでいたテンペスト村の学校には教材も少なく、教えてもらえたのだって近隣の魔物のことや、初級魔法の類だけだ。
故に精霊についての情報は絵本を読んだ程度で、実際にどんな力を持っているか、どんな所に棲んでいるのか、その生体については欠片も理解していなかった。
「まず、精霊ってイうのは……そうネ。簡単にイえば自然ニ宿る意思なノ。ワタシ、ウンディーネだったら水に宿る意思ってトころネ。その意思が実体ヲ持つ程強力になったモノ。ソレが精霊なノ。コレ以上の説明のしようがナいからそうイうものだと理解してチょうだイ」
「は、はあ……」
「そシて精霊は、それぞレが宿る自然に精通する能力を使えるノ。炎の精霊だッたら炎の魔法を、風ノ精霊だったら風の魔法を。そシテ水の精霊でアるワタシは水属性の魔法を扱えるワ」
「な、なるほど……?」
精霊は自然に宿る意思の具現。
つまり、アイラが今まで切り倒した木や飲んでいた水にもウルのような精霊が宿っていた、なんてことも考えられるわけだ。
その思考に至った途端、アイラは胸に氷の杭を打たれたような感覚に襲われた。
その仮説が正しいとするならば、アイラは自分が気付かない間に多くの精霊を食べていた、殺してしまっていたことになるからだ。
「ふふッ、大丈夫ヨ。精霊が住マう場所は総じて霊力が高い場所ナノ。こコに来た時調べたけれど、この周辺にはそウいった場所ハナいわ。仮に居たとシテも、無抵抗に食べられルヨうなおバカさんが居ると思ウ?」
「そ、そうですよね! よかったぁ……」
補足するようにウルが続ける。恐らくアイラが今しがた危惧したことを察したのだろう。
安心したのか、それとも照れ隠しの現われか。アイラはホッと、小さく胸を撫でおろした。
「そうでナくとも、そもソも下級ノ精霊は実態を持つコトが出来ないの。例えナニかと一緒に食べられたおバカさんガ居たとシテも、アイラの身体ヲすり抜けるんじゃないカシラ」
こんな風にね、と。ウルは腕を一部霊体化させてアイラの頭を撫でて見せた。
その手はアイラの頭をすり抜け、顔の周りをゆらゆらと揺らめく。決して心休まる絵面ではないが、視界を囲む美しい青の粒子にアイラは少し見惚れていた。
「ソレじゃア話ヲ戻すわネ。ソれぞれの宿る属性の魔法が使えるノは話したわよネ。けレど、ほとンどの精霊が使えるのは下級、ヨくて中級の魔法なノ。まアそれでも人間は中々扱えない高度な魔法ナンだけれどネ」
そこでウルは胸の前に手を置き、声音をやや大きくして続けた。
「でもワタシみたいな。それコそ伝説にナるような大精霊は上級、そノ上の超級の魔法も扱えるノ。加エて、精霊魔法って言って、ワタシ自身の霊力を魔力に練りコんで使う、更に強力な魔法も使えるノヨ!」
つまるところ、物語の世界で描かれていたことは事実だったということだ。
本当はもっと得られる情報があったはずなのだが、アイラの脳は既に悲鳴を上げている。混乱から立ち直ったばかりのアイラには、些か情報量が多すぎたようだ。
「で、伝説……なるほど。大体理解できました!」
全くの嘘である。
恐らくアイラは、彼女が語った半分も理解出来ていない。
だが丁寧に説明されていることだけは理解出来たため、これ以上は彼女に迷惑になってしまうだろう。という的外れな気遣いからの言葉だったのだが、一報のウルは私の弁を受けて訝しげに顔を顰めた。
嫌な汗がアイラの背筋を伝う。このままでは下手な上に不細工極まりない気遣いがバレてしまうと、アイラは内心大慌てで次の言葉を探した。
「そ、そうだっ! とういうことは、ウルさんは水の魔法を得意としているんですよね? 水の魔法でどうやって私の夢を見たんですか?」
「アあ……そうカ。この魔法ハ普通知ラナいわよネ。ちョッと見てテ」
まだ少々疑り顔だが、ウルはなんとか納得してくれたようだ。
言うが早いか、ウルは静かに右の手のひらを身体の前へと突き出した。
もう先のことは気にしていないのか、ウルはニヤリと笑いながら、かざした手のひらに左手を添え……
『ホイっと!』
するとどうだろう。
ウルの手の上に突如として一枚の大鏡が現れたではないか。
これは通常であれば有り得ない現象だった。
魔法の中でも、固形の物質を出現させる物は総じてかなり高度な魔法に分類される。それを呪文を唱えることなく魔法を完成させたとでも言うのだろうか?
ウルの力を目の当たりに初めて、アイラはこの精霊がどれほど強力な精霊かを実感した。
「もしかしてウルさんって……伝説みたいに天災レベルの魔法を撃てる……?」
「当たり前じゃナイ! ワタシはウンディーネなのヨ?」
豊満な胸に左手を当て、エッヘンとふんぞり返る可愛らしい少女が、そんな恐ろしいことを……?
常識を軽く飛び越える言葉の数々に眩暈を覚え、アイラはたまらず額に手を当てた。
「良いのかお前。知らない奴にこんなの見せて」
「イいのよ減るモンじゃナいんだシ。それヨりアンタはこっち向キナさイ。今から写すかラ」
「今回の落ち度は俺にもあるし……しょうがないか。ほら、やるならさっさとしてくれ」
どうやらこの鏡を出す魔法は、あまり他人に見せていいものではないらしい。
青年を見ていると何故か凄い申し訳ない気持ちが湧いてくる。
アイラの理解がまだ追い付けていないのもあるが、こちらは助けて貰ってその後の介抱までして貰っているのだ。
しかしここで話を切ってしまうのは、親身に説明をしてくれているウルに申し訳が立たない。
そう思い直し、アイラは気を改めて彼女の言葉に耳を傾けた。
「じゃアとりあえずサッきの記憶をっと……よしヨしイい感ジ。アイラ、ちょっトコっち来てみなさイ」
「あ、はい!」
促されるままアイラは差し出された鏡の前に向かった。
鏡を覗き込むと、そこには見事に白目を剥いて伸びている桃髪の少女が──
「なっ──なにこれ!?」
あまりにも間抜けな寝顔に本日何度目かの羞恥がアイラを襲う。
状況的にこれは青年に一撃貰った直後の映像だろう。
しかし今思えば、全身傷だらけの瀕死の少女を殴り付けるのは男の子として如何なものだろうか。
アイラはそっと気付かれないようにと、青年を半眼で睨みつけた。
が、しかし。丁度青年がこちらを見た頃だったのか、その視線はバッチリ交差してしまった。
青年が浮かべる苦笑いが、アイラの良心に突き刺さる。
「コレはコイツの記憶ヨ」
「記憶……?」
「そウ。この魔法ハネ、指定した相手ノ記憶。モしくは夢に介入デきるの。モウ少し頑張れば音声もバっちりヨ。他にも、遠くのモのを写したりも出来るワ。例えばソう、貴方を見つけたミたいにネ!」
興奮気味に二つの丘ををたわわに揺らし、得意げに語るウルの横で、青年はわずかに顔をしかめる。それを機敏に察したウルは我にかえり、蒼色の瞳をぐるりと回し、さらには口笛を吹きだした。
少年が呆れたように溜息をつき、ウルが安堵したように口笛をやめ、肩を撫でおろす。ウルの口笛が美しく、もっと聞いていたいと思ったがそれは口には出さないでおこう。
「えっと……つまりネ? ごメんなさイ! この魔法を使っテ貴方の夢を覗いたノ!」
アイラの目に追えない程の速度でウルは頭を下げた。
「き、気にしないでください! 別に見られても困るものじゃないですし……っ!」
大慌てで、少女は両手を振って乱心する。
高位の、それも憧れのウンディーネに頭を下げられたとあっては、取り乱すのも致し方ないと言えよう。
ここまで献身的に説明してもらってようやく、アイラは何故自分の名前がバレていたのか合点がいった。
恐らくアイラが見ていた夢の中で、誰かがその名前を呼んだのだ。
当然アイラは夢の内容なんてこれっぽっちも覚えていないので、どんな夢だったかは想像もつかないが……目線を反らすウルを見る限り、その内容はあまり口に出せるものではなかったのだろう。
「ホント? ホントに許してくれるノ?」
「はい! もちろんですよ!」
「ありがとウ! どっかノ誰カトは違ってアイラは優しいのネ! フフっ、特別にワタシを呼び捨テで呼ぶことを許可すルワ!」
「は、はい! ……って、はいぃ!?」
あまりにも突然の申し出に、アイラは堪らず悲鳴を上げる。
その言葉の威力に、彼女の視界はぐにゃりと回った。
「呼んでやってくれ。ウルは人間の事が好きらしい。だから、ここに居る間だけでも仲良くしてやってくれると有り難い」
最後に「面倒が減るしな」と続けた青年は優し気な笑みを浮かべ、狼狽するアイラを諭した。
青年の主張にウルが顔を赤くして余計なお世話と声を荒げているが、その行動が彼の言葉こそが事実である明になっていたりする。
「え、ええっと。その……私でよかったら」
「え、イイノ? ワタシとオ友達にナッてくれるの?」
「友達!?」
想像よりかなり飛躍した問いに、アイラは堪らず悲鳴のような奇声を発していた。
精霊と、それも高位の精霊とだ。当然断るのが普通の反応だろう。
助けを求めて青年に視線を送るが、疲れた笑いが返ってくるだけだった。
その笑みが「諦めろ」と言ってる気がした。きっと彼は気苦労の耐えない人なのだろう……
青年が頼れない以上、ここは自分で断るしかない。
そう決意して、アイラは青年からウルへと視線を戻した……筈だった。
項垂れたアイラの両手は、気付けばウルの両手を取っていた。
彼女がウンディーネだからだろうか。それとも別の理由からだろうか。その手はひんやりと冷たかった。
触れた手のひらが、一瞬ビクリと跳ね上がる。
「す、すぐに……っていうのは難しいかもしれないですけど、そうなれたらいいなと思います!」
それはきっと反射的に取った行動だった。
交わった蒼の瞳が、どこか縋るように揺れていたから。
あまりに寂しそうな色をするから。
その返答は、酷く曖昧な答えだったと思う。
それでもアイラの答えにウルは顔を輝かせて、己の手を握るその細い手を強く握り返した。
「ヤッタッ! ワタシ人間ノ女の子と話すのガ大好きなノ! ウンディーネの泉を訪れるのはムさ苦シイ男ばっかりだったかラネ!」
「そ、そうだったんですね……あはは……」
アイラが読んだ物語でも、ウンディーネは男性に求婚されるお話が多かった。伝記で登場したウンディーネが行動を共にしていた人間も女の人だった記憶がある。
きっとこの言葉は本当のことで、恐らく現実でもそれほど大差がなかったということだろう。
加えてこれほどの美女なのだ。さぞ男の興味を惹くに違いない。
「そ、そういえば。ウルはなんであの人と一緒に居るんで……の?」
精霊を敬う気持ちと、ウルと親しくなりたいという思いが混在し、アイラは最早正しい言葉遣いを忘れていた。
改めて声に出すとやはり恐れ多いが、彼女の願いを無下にも出来ない。折角の申し出だと、アイラはこの精霊のことをウルと呼ぶことにした。
「ウッ……そ、ソレは……ええっと……あハは……」
突如ウルは顔中から冷や汗を流し始め、目がぐるぐると泳ぎだした。
不味い。もしかしたら聞いてはいけないことだったのかもしれないと、急いで謝ろうと口を開いたその時だった。
ぐうううううぅぅ……
「あっ! え、えっと! 今のは違くて……そういうのじゃなくて!」
タイミングが良いのか悪いのか。アイラの腹の虫が盛大に悲鳴を上げた。
「お腹ガ空いてるノ?」
「もう時間も遅いからな。よし、先に飯にしようか」
「ううう……はい……」
一体自分は何回この人たちの前で醜態を晒せばいいのだ。二人の気遣いが、逆にアイラの良心を深く抉る。
消えてしまいたい衝動を必死に抑え、アイラは青年に連れられてトボトボと拠点の奥へと歩いて行った。
♢
背中を追いかける少女の気配を探る。
その縮こまった気配を感じて、俺は正解だったなと一人納得した。
あの状態のまま『避難所』に連れて行くのは、逆に彼女の精神を傷つけかねない。
暖かい食事というのは気を紛らわせるにも効果的だ。
幸いにも、ウルが少女の不安を取り除いてくれている。
アイツがお喋りは玉に瑕だが、今回はいい方向に転んでくれたようだ。
さて。
ここは一つ一つ。
彼女の強張った部分を解してから、本題を切り出すとしよう。
アイラにとっては彼女がウンディーネだということよりも、そっちの方が衝撃が大きかった。
なにせ彼女は、まだ自らの名前を名乗っていないのだ。理解が全く追いつかない状況を前に、忘れていた恐怖が再びやってくる。
「おいウル。お前また覗いたな?」
「だっテ! この子がどんナ子か分からなイとこっちが危ないじゃナイ! もしこの子が悪者デ、起キタ瞬間襲ッテきたらどうするのヨ!」
「あの程度の魔物に手も足も出ない奴に、そこまで警戒する必要ないだろうが! 大体、無断での魔法の使用は禁じていたはずだ!」
「うッ……」
青年の叱咤にウルは所在なさげに少年から視線を外す。
今の会話をしっかり聞いていれば、きっと今アイラが抱えているモヤモヤも解消できたのだが、青年のアイラへの至極適当な評価に思いっきり心を抉られてしまったため、彼女の心境はそれどころではなかった。
確かにアイラに魔物と対峙する力はない。だが、それを名も知らぬ青年に指摘されては如何ともし難い。
なにか一つでも反論をせねばと一本踏み出すも、残念ながらその材料になり得るものが彼女にはなかった。
そんなアイラの様子に気付いた青年はわずかに目を細めたが、彼が起こした反応はそれだけだった。
結局なにも言わぬまま、青年はアイラから視線を切ってウンディーネを半眼で睨んだ。
「すまない。コイツはどうやらお前の夢を覗いていたらしい。俺の不手際だ、どうか許してやって欲しい」
「えッと、ごめんなさイ」
青年とウルが揃って頭を下げるが、理解が追い付いていないアイラはただ狼狽えることしかできない。
そもそもアイラは、夢を覗くという行為に検討がついていなかったのだ。
「分カラないって顔ネ。ワタシの存在ニついてもマだ半信半疑だッタみたいだシ。もしカシて、アイラって精霊にツいてもあまり分かってナイんじゃなイ?」
「あ、あはは……はい、実はあんまりよく知らなくて……」
アイラの住んでいたテンペスト村の学校には教材も少なく、教えてもらえたのだって近隣の魔物のことや、初級魔法の類だけだ。
故に精霊についての情報は絵本を読んだ程度で、実際にどんな力を持っているか、どんな所に棲んでいるのか、その生体については欠片も理解していなかった。
「まず、精霊ってイうのは……そうネ。簡単にイえば自然ニ宿る意思なノ。ワタシ、ウンディーネだったら水に宿る意思ってトころネ。その意思が実体ヲ持つ程強力になったモノ。ソレが精霊なノ。コレ以上の説明のしようがナいからそうイうものだと理解してチょうだイ」
「は、はあ……」
「そシて精霊は、それぞレが宿る自然に精通する能力を使えるノ。炎の精霊だッたら炎の魔法を、風ノ精霊だったら風の魔法を。そシテ水の精霊でアるワタシは水属性の魔法を扱えるワ」
「な、なるほど……?」
精霊は自然に宿る意思の具現。
つまり、アイラが今まで切り倒した木や飲んでいた水にもウルのような精霊が宿っていた、なんてことも考えられるわけだ。
その思考に至った途端、アイラは胸に氷の杭を打たれたような感覚に襲われた。
その仮説が正しいとするならば、アイラは自分が気付かない間に多くの精霊を食べていた、殺してしまっていたことになるからだ。
「ふふッ、大丈夫ヨ。精霊が住マう場所は総じて霊力が高い場所ナノ。こコに来た時調べたけれど、この周辺にはそウいった場所ハナいわ。仮に居たとシテも、無抵抗に食べられルヨうなおバカさんが居ると思ウ?」
「そ、そうですよね! よかったぁ……」
補足するようにウルが続ける。恐らくアイラが今しがた危惧したことを察したのだろう。
安心したのか、それとも照れ隠しの現われか。アイラはホッと、小さく胸を撫でおろした。
「そうでナくとも、そもソも下級ノ精霊は実態を持つコトが出来ないの。例えナニかと一緒に食べられたおバカさんガ居たとシテも、アイラの身体ヲすり抜けるんじゃないカシラ」
こんな風にね、と。ウルは腕を一部霊体化させてアイラの頭を撫でて見せた。
その手はアイラの頭をすり抜け、顔の周りをゆらゆらと揺らめく。決して心休まる絵面ではないが、視界を囲む美しい青の粒子にアイラは少し見惚れていた。
「ソレじゃア話ヲ戻すわネ。ソれぞれの宿る属性の魔法が使えるノは話したわよネ。けレど、ほとンどの精霊が使えるのは下級、ヨくて中級の魔法なノ。まアそれでも人間は中々扱えない高度な魔法ナンだけれどネ」
そこでウルは胸の前に手を置き、声音をやや大きくして続けた。
「でもワタシみたいな。それコそ伝説にナるような大精霊は上級、そノ上の超級の魔法も扱えるノ。加エて、精霊魔法って言って、ワタシ自身の霊力を魔力に練りコんで使う、更に強力な魔法も使えるノヨ!」
つまるところ、物語の世界で描かれていたことは事実だったということだ。
本当はもっと得られる情報があったはずなのだが、アイラの脳は既に悲鳴を上げている。混乱から立ち直ったばかりのアイラには、些か情報量が多すぎたようだ。
「で、伝説……なるほど。大体理解できました!」
全くの嘘である。
恐らくアイラは、彼女が語った半分も理解出来ていない。
だが丁寧に説明されていることだけは理解出来たため、これ以上は彼女に迷惑になってしまうだろう。という的外れな気遣いからの言葉だったのだが、一報のウルは私の弁を受けて訝しげに顔を顰めた。
嫌な汗がアイラの背筋を伝う。このままでは下手な上に不細工極まりない気遣いがバレてしまうと、アイラは内心大慌てで次の言葉を探した。
「そ、そうだっ! とういうことは、ウルさんは水の魔法を得意としているんですよね? 水の魔法でどうやって私の夢を見たんですか?」
「アあ……そうカ。この魔法ハ普通知ラナいわよネ。ちョッと見てテ」
まだ少々疑り顔だが、ウルはなんとか納得してくれたようだ。
言うが早いか、ウルは静かに右の手のひらを身体の前へと突き出した。
もう先のことは気にしていないのか、ウルはニヤリと笑いながら、かざした手のひらに左手を添え……
『ホイっと!』
するとどうだろう。
ウルの手の上に突如として一枚の大鏡が現れたではないか。
これは通常であれば有り得ない現象だった。
魔法の中でも、固形の物質を出現させる物は総じてかなり高度な魔法に分類される。それを呪文を唱えることなく魔法を完成させたとでも言うのだろうか?
ウルの力を目の当たりに初めて、アイラはこの精霊がどれほど強力な精霊かを実感した。
「もしかしてウルさんって……伝説みたいに天災レベルの魔法を撃てる……?」
「当たり前じゃナイ! ワタシはウンディーネなのヨ?」
豊満な胸に左手を当て、エッヘンとふんぞり返る可愛らしい少女が、そんな恐ろしいことを……?
常識を軽く飛び越える言葉の数々に眩暈を覚え、アイラはたまらず額に手を当てた。
「良いのかお前。知らない奴にこんなの見せて」
「イいのよ減るモンじゃナいんだシ。それヨりアンタはこっち向キナさイ。今から写すかラ」
「今回の落ち度は俺にもあるし……しょうがないか。ほら、やるならさっさとしてくれ」
どうやらこの鏡を出す魔法は、あまり他人に見せていいものではないらしい。
青年を見ていると何故か凄い申し訳ない気持ちが湧いてくる。
アイラの理解がまだ追い付けていないのもあるが、こちらは助けて貰ってその後の介抱までして貰っているのだ。
しかしここで話を切ってしまうのは、親身に説明をしてくれているウルに申し訳が立たない。
そう思い直し、アイラは気を改めて彼女の言葉に耳を傾けた。
「じゃアとりあえずサッきの記憶をっと……よしヨしイい感ジ。アイラ、ちょっトコっち来てみなさイ」
「あ、はい!」
促されるままアイラは差し出された鏡の前に向かった。
鏡を覗き込むと、そこには見事に白目を剥いて伸びている桃髪の少女が──
「なっ──なにこれ!?」
あまりにも間抜けな寝顔に本日何度目かの羞恥がアイラを襲う。
状況的にこれは青年に一撃貰った直後の映像だろう。
しかし今思えば、全身傷だらけの瀕死の少女を殴り付けるのは男の子として如何なものだろうか。
アイラはそっと気付かれないようにと、青年を半眼で睨みつけた。
が、しかし。丁度青年がこちらを見た頃だったのか、その視線はバッチリ交差してしまった。
青年が浮かべる苦笑いが、アイラの良心に突き刺さる。
「コレはコイツの記憶ヨ」
「記憶……?」
「そウ。この魔法ハネ、指定した相手ノ記憶。モしくは夢に介入デきるの。モウ少し頑張れば音声もバっちりヨ。他にも、遠くのモのを写したりも出来るワ。例えばソう、貴方を見つけたミたいにネ!」
興奮気味に二つの丘ををたわわに揺らし、得意げに語るウルの横で、青年はわずかに顔をしかめる。それを機敏に察したウルは我にかえり、蒼色の瞳をぐるりと回し、さらには口笛を吹きだした。
少年が呆れたように溜息をつき、ウルが安堵したように口笛をやめ、肩を撫でおろす。ウルの口笛が美しく、もっと聞いていたいと思ったがそれは口には出さないでおこう。
「えっと……つまりネ? ごメんなさイ! この魔法を使っテ貴方の夢を覗いたノ!」
アイラの目に追えない程の速度でウルは頭を下げた。
「き、気にしないでください! 別に見られても困るものじゃないですし……っ!」
大慌てで、少女は両手を振って乱心する。
高位の、それも憧れのウンディーネに頭を下げられたとあっては、取り乱すのも致し方ないと言えよう。
ここまで献身的に説明してもらってようやく、アイラは何故自分の名前がバレていたのか合点がいった。
恐らくアイラが見ていた夢の中で、誰かがその名前を呼んだのだ。
当然アイラは夢の内容なんてこれっぽっちも覚えていないので、どんな夢だったかは想像もつかないが……目線を反らすウルを見る限り、その内容はあまり口に出せるものではなかったのだろう。
「ホント? ホントに許してくれるノ?」
「はい! もちろんですよ!」
「ありがとウ! どっかノ誰カトは違ってアイラは優しいのネ! フフっ、特別にワタシを呼び捨テで呼ぶことを許可すルワ!」
「は、はい! ……って、はいぃ!?」
あまりにも突然の申し出に、アイラは堪らず悲鳴を上げる。
その言葉の威力に、彼女の視界はぐにゃりと回った。
「呼んでやってくれ。ウルは人間の事が好きらしい。だから、ここに居る間だけでも仲良くしてやってくれると有り難い」
最後に「面倒が減るしな」と続けた青年は優し気な笑みを浮かべ、狼狽するアイラを諭した。
青年の主張にウルが顔を赤くして余計なお世話と声を荒げているが、その行動が彼の言葉こそが事実である明になっていたりする。
「え、ええっと。その……私でよかったら」
「え、イイノ? ワタシとオ友達にナッてくれるの?」
「友達!?」
想像よりかなり飛躍した問いに、アイラは堪らず悲鳴のような奇声を発していた。
精霊と、それも高位の精霊とだ。当然断るのが普通の反応だろう。
助けを求めて青年に視線を送るが、疲れた笑いが返ってくるだけだった。
その笑みが「諦めろ」と言ってる気がした。きっと彼は気苦労の耐えない人なのだろう……
青年が頼れない以上、ここは自分で断るしかない。
そう決意して、アイラは青年からウルへと視線を戻した……筈だった。
項垂れたアイラの両手は、気付けばウルの両手を取っていた。
彼女がウンディーネだからだろうか。それとも別の理由からだろうか。その手はひんやりと冷たかった。
触れた手のひらが、一瞬ビクリと跳ね上がる。
「す、すぐに……っていうのは難しいかもしれないですけど、そうなれたらいいなと思います!」
それはきっと反射的に取った行動だった。
交わった蒼の瞳が、どこか縋るように揺れていたから。
あまりに寂しそうな色をするから。
その返答は、酷く曖昧な答えだったと思う。
それでもアイラの答えにウルは顔を輝かせて、己の手を握るその細い手を強く握り返した。
「ヤッタッ! ワタシ人間ノ女の子と話すのガ大好きなノ! ウンディーネの泉を訪れるのはムさ苦シイ男ばっかりだったかラネ!」
「そ、そうだったんですね……あはは……」
アイラが読んだ物語でも、ウンディーネは男性に求婚されるお話が多かった。伝記で登場したウンディーネが行動を共にしていた人間も女の人だった記憶がある。
きっとこの言葉は本当のことで、恐らく現実でもそれほど大差がなかったということだろう。
加えてこれほどの美女なのだ。さぞ男の興味を惹くに違いない。
「そ、そういえば。ウルはなんであの人と一緒に居るんで……の?」
精霊を敬う気持ちと、ウルと親しくなりたいという思いが混在し、アイラは最早正しい言葉遣いを忘れていた。
改めて声に出すとやはり恐れ多いが、彼女の願いを無下にも出来ない。折角の申し出だと、アイラはこの精霊のことをウルと呼ぶことにした。
「ウッ……そ、ソレは……ええっと……あハは……」
突如ウルは顔中から冷や汗を流し始め、目がぐるぐると泳ぎだした。
不味い。もしかしたら聞いてはいけないことだったのかもしれないと、急いで謝ろうと口を開いたその時だった。
ぐうううううぅぅ……
「あっ! え、えっと! 今のは違くて……そういうのじゃなくて!」
タイミングが良いのか悪いのか。アイラの腹の虫が盛大に悲鳴を上げた。
「お腹ガ空いてるノ?」
「もう時間も遅いからな。よし、先に飯にしようか」
「ううう……はい……」
一体自分は何回この人たちの前で醜態を晒せばいいのだ。二人の気遣いが、逆にアイラの良心を深く抉る。
消えてしまいたい衝動を必死に抑え、アイラは青年に連れられてトボトボと拠点の奥へと歩いて行った。
♢
背中を追いかける少女の気配を探る。
その縮こまった気配を感じて、俺は正解だったなと一人納得した。
あの状態のまま『避難所』に連れて行くのは、逆に彼女の精神を傷つけかねない。
暖かい食事というのは気を紛らわせるにも効果的だ。
幸いにも、ウルが少女の不安を取り除いてくれている。
アイツがお喋りは玉に瑕だが、今回はいい方向に転んでくれたようだ。
さて。
ここは一つ一つ。
彼女の強張った部分を解してから、本題を切り出すとしよう。
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冷遇王妃はときめかない
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幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
【1話完結】あなたの恋人は毎夜わたしのベッドで寝てますよ。
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ソフィア・ラテットは、婚約者アレックスから疎まれていた。
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スーパーのビニール袋で竜を保護した
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竜は、災害指定生物。
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震える子竜と、役立たず扱いされたスキル――
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