蟷螂

佐藤龍昇

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第一章

第一章

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小学校に入学し、少しの時が経った頃。その日は授業参観だった。教室の後ろには保護者がずらりと並び、入りきれない人たちは廊下から首を伸ばしていた。出席番号1番の生徒から「お父さんとお母さんの尊敬できるところ」という内容を発表していた。1番の子は綺麗な服を着ている。ガタガタと慣れない木の椅子を引きながら、ピシッと両手を伸ばし、持っていた作文用紙を広げながら大きく拙い声で読み上げていく。

「わたしのおとうさんは、おいしゃさんを、しています。まいにち、いろんなひとをたすけていて、かっこいいです。おかあさんは、おしごととりょうりを、がんばっています。」

そんなふうに両親の尊敬できるところを、生徒が次々と発表していった。どの子も似たような話をしているがそれぞれの親は若干涙ぐむような人がいたり、満足そうに頷く親もいた。次に僕の番となった。みんなと同じように椅子を引く、床に椅子の足が引っかかり後ろにずらせない。なんとか立ったあとに母を探した。教室の後ろに見つけた。長い髪の毛に、僕と似た目の人。今日は白いフワッとした服に黒色の涼しげなズボンを履いている。荷物は少なそうだ。母を見つけた後は黒板の方を向き、一生懸命書いた作文用紙を自分が見えやすいように目いっぱいに広げた。

「だいめい、ぼくのおかあさん。はせがわれん。」

大きな声で読み上げる。

「ぼくのおかあさんは、やさしいです。いっしょにごはんをたべてくれて、えほんもよんでくれます。あさは「いってらっしゃい」ってぎゅってしてくれて、よるは「おかえり」ってぎゅってしてくれます。
おかあさんは、がっこうのようふくをせんたくしてくれて、おなかがいたいときも、よしよしってしてくれます。だから、ぼくもおかあさんがいたいときは、よしよしします。ともだちが、「おとうさんにあそんでもらった」っていってて、ぼくも「そうなんだね」っていったけど、おかあさんがいれば、あそべるから、だいじょうぶです。おかあさんは、つよくて、かっこよくて、かわいいです。ぼくは、おかあさんがいちばんすきです。」

しっかり読み上げるために大きな声を出したためか、鼻息がふんふんと鳴っている。母の方を振り返った。母はこちらを涙目になりながら笑顔で見てくれている。作文を必死に書いてよかった。母のこの顔が見られるなら幸せだ。
最後の生徒まで発表をし終えた後は、そのまま終わりの会へと移行し学校は終わった。みんな終わりの会を終えた後はそれぞれの家族のもとへ向かった。僕も大好きといった母の元へ向かう。

「どうだった?」

元気一杯に母に発表の感想を聞いてみる。

「本当に可愛いし、本当に嬉しいわ、ないちゃった。」

綺麗で優しい微笑みを浮かべた母が、僕の頭を撫でながらいってくれた。それだけで僕にとって意味がないと思ったことにも意味があったんだと思えた。その日は夕日になる前の道を、手を繋ぎながら2人で帰った。

次の日は学校に登校して、はじめの会が始まるまでの時間。クラスメイトの仲良し数人が、お母さんがこんなだった。おとうさんはこうだった。お寿司食べにいった。ハンバーガーを食べにいったと話で盛り上がっていた。僕もその話にランドセルをロッカーに置いて加わった。

「ぼくはおかあさんがすきなごはんをつくってくれたんだ。にくじゃがだったんだよ」

みんなと同じような感情を僕も持っていて、話せるのは楽しかった。その中の1人が僕に向かって言った。

「れんくんのパパはどんなひとなの?」
「ぱぱ?」

昨日の授業参観ではおかあさんだけでなく、おとうさんも来ている家庭が多かった。僕にはお母さんしかいなかったのが普通で、それに疑問を持ったこともなかった。

「あ、なんかごめんね。」

その場では、質問に対して答えることができなかったが、話は次の休み時間は鬼ごっこをしようという話題に移っていた。
その日はなんとなく「おとうさん」という話題が離れなかった。友達との会話もどこか上の空になってしまうほどだった。帰り道はいつもの道を1人で帰った。昨日は母と手を繋いで帰ったので少しの寂しさはあったが、家に帰ると母が待っていると思うと、だんだんと軽い気持ちで帰ることができた。
集合住宅がいくつか並ぶうちの一つの建物に入り、階段を登った。重たいランドセルがカシャカシャと音を鳴らす。少し息が切れる。家の前につき、扉を開けた。

「ただいまあ!」

家の中の入り組んだ場所まで聞こえるように大きな声で言った。

「おかえりー。」

家の中から母の声が聞こえる。今日も元気そうな声だった。靴を玄関に面倒だが急いで並べるようにして脱ぎ、ランドセルをひとまず廊下に投げ置いた。走って、夕飯の準備をしているであろう母の足へ跳んでしがみつく。

「ただいま!」

改めて、母の顔を見上げながら大きな声でいう。母は僕の顔を見下ろしながら、いつもの微笑みでもう一度おかえりと言ってくれた。
夜ご飯の支度を済ませ、2人用のダイニングテーブルに座った。僕は日で眩しくならないように窓側を背に座った。今日の夜ご飯はゆで卵の肉巻きだ。ご飯を食べながら、ふと学校で言われたことを思い出した。母に聞いてみようかな。

「ねえ、おかあさん?」

母の顔をみる。ご飯を食べながらだからか、口元に手を当てて反応をした。

「ぼくにおとうさんがいないのはなんで?」

少し、母の目が泳ぐ。

「いつもの会にいるお友だちはみんなおかあさんだけなのに、学校にはおとうさんがいる人もいたよ。」

母は少し笑った。目は笑っていなかった。

「…いずれ、話さないといけないものね。」

聞き取れないほどその声は小さかった。母はご飯を飲み込んだあとに口を開いた。

「お父さんはね、昔自分でね、んん、1人でね、死んじゃったの。」
「どういうこと?なんで?」

おかあさんは黙った。悪い空気にしたのに耐えられず、僕はご飯を一口食べた。

「昔ね、1人でいなくなったの。辛い出来事だから蓮くんには話してなかったのよ。」
「……おとうさん、いないの?」

勝手に出てきた問いだった。

「そうなの、ごめんね。」

母は悲しそうな顔をした。涙は見えなかった。ぼくが悲しい顔をしていたからだろう、母は椅子から立って僕をそっと抱きしめてくれた。抱きしめられているのに、おとうさんのことが頭から離れなかった。

「今度また慈息会にいこうね。」

その週の学校が終わり、母が言う「じそくかい」の日になった。家から少し遠いみたいで車で20分くらいの場所であり、若干山の中にあるようだった。
あまり街では見かけない見た目で、どこか異国風の建物があった。白い壁に丸い屋根、ただ屋根の1番上には何かをモチーフにしたようなものが置かれている。一見するとなにかの虫のように見えた。周囲はすこし木々が擦れるような音が聞こえた。その建物の扉を母が開き、中に入って右側に進む。建物の中はとても天井が高かった。いつも来る度におもうが、高い天井の割には不自然な蛍光灯だけの証明に違和感があった。その後、学校の教室くらいの大きさの部屋に入った。誰かが利用していたのであろう、椅子を引き摺ったあとが床についている。壁も年がたっているのかすこし古めかしい日焼けの色をしていた。いつも母とじそくかいにくるとこの部屋にくる。今日は友達は来てないみたいだ。待っていると、「先生」が入ってきた。

「おはようございます、長谷川さん。」
「おはようございます。」

母が挨拶を返す。

「おはよう、れんくん。」
「…おはようございます。」

挨拶をされたので挨拶を返した。なんとなく親や学校の先生より話しづらい印象のある人だ。先生が周りを見渡して、口を開く。

「今日はおふたりだけですね、それでは今日の息の環、慈息会を始めましょうか」

母を見ると、穏やかな表情をしていた。決して家では見せないような表情だった。
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