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1話「連れていかないで」

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 気付いたらボクはここにいる。

見えない壁の向こうではボクと姿、形の違う生き物がめ目まぐるしく入れ替わりながら動いている。
そして度々ボクを見つめて、笑う。
 
少し見た目は違うけど、ボクに似た子たちが他にもたくさんいて、皆同じように見えない壁の部屋の中にいる。決して楽しそうには見えない。ボクもきっとそうだ。

 ある日、隣の部屋の耳の短い子が教えてくれた。
「あれは人間っていう生き物だ」
「ここでは決まって何人かの同じ見た目の人が交代で私たちのお世話をしてくれるのだけど…」
「その他の、じろじろ私たちを見てはいなくなる人たちのことはわからない」
「でも、この前…」
耳の短い子が浮かない顔で続けた。

「きみの向こう隣りの子が見たことない人に連れられて、いなくなったんだ」

確かにボクの反対隣りには空になった部屋だけがある。耳の短い子がさらに続けてこう言った。
「いつもここにいる人と見たことないその人は笑って話していた。人間の言葉はわからないけど、でもそのとき、きみの向こう隣りにいた子は震えてた」

ボクはなんて返事をしたらいいかわからなかったけど、こう聞いた。
「その子はどこへ行ったんだろうね」

耳の短い子は「さあね」と答えた。
 
 何日たっただろう。今日も水を飲み、ご飯を食べ、トイレをきれいにしてもらい、そして壁の向こうからボクをじろじろ見てくる知らない人間たちに怯え、しょうじきいつも生きている気がしなかった。

そんな時であった。いつもの人と知らない人がしばらくしゃべった後、隣の耳の短い子の部屋を開け、抱きかかえ外へ連れ出した。
二人とも終始笑顔だが、耳の短いその子が震えているのがボクにはすぐわかった。

知らない人はなにか小さな箱を持っていた。
すこしたって、耳の短い子はその箱に入れられた。箱の隙間から目が合ったときにこう伝えられた。

「行ってくるね」
「もう君に会うことはなさそうだけど」
「さようなら」と。

ボクは…何も言葉が出なかった。
「元気でね」なんてとてもじゃないけど言えなかった。
どうかここでの生活と変わらない日々を。と心の中で願った。
 
ご飯を食べているとき、たまに考えてしまう。ボクらより何倍も大きい人間たちは普段なにを食べているのだろう…と。
耳の短い子はもしかして…なんて
考えてしまう自分がいた。
 
あれからまたボクの似た者同士の子たちがちらほらと去っていった。そして空いた部屋にボクより一回り体の小さい新しい子も来た。
 
 ある日、ボクをじっと笑顔で見つめる少し小さな人間が来た。そしてその人は次の日も来てまた笑顔でこっちを見ていた。

またあくる日、その人はもっと大きな人間と一緒に来た。そしていつもここにいる人と笑顔で話している。
ボクのいる部屋の前で。
ボクのことを見ながら。

「ボクの番が来た」
そう確信してまもなく、いつもの人がボクの部屋を開け、そしてボクを持ち上げた。
体が今までにないほど震え怖くて目をつぶった。その時、なぜかあることを思い出した。
初めてここではない場所の記憶がよみがえった。
 
「温かい」
ボクよりずっと大きいけど耳も目も顔もボクに似ている。
「あれ、ボクとそっくりで同じぐらいの大きさの子もいるぞ」
一緒に走り回って、疲れたらまたあの温かいおなかにくっついて寝よう。
「あぁ、気持ちいいなぁ…」

 だがふと目を開け我に返った時、
ボクはもう小さな箱の中にいた。
「さっきのはきっと嘘の記憶なんだ」
そう思うほどの残酷な現実であった。

他の子たちは心配そうにこっちを見ている。あまり他の人間と目を合わさないように、うつむきながら。そりゃそうだ。ボクのようにここを去りたくないからだ。
そうしてボクは大きい人と小さい人に連れられ、ここを去った。
「みんな、さようなら」
 
 どれくらいの時間がたっただろう。これからボクはどうなるのだろう。小さな箱の中で震えているボクを見ながら、この人たちは笑顔でずっと何かを話しかけてくる

 そうしてボクはどこかに着いた。
今までいたところと同じぐらい明るいな。でも一体ここはどこだろう。思っていたよりは広そうだ。頭が混乱するほどいろんなことを一瞬で考えた。
するとボクが入っている小さな箱が空いた。恐る恐る出てみた。
そこにはボクをここに連れてきた二人がいた。

小さい人がボクを抱きかかえた。
そして二人にたくさん撫でられた。
目線をそらすともう一人、二番目に大きくて髪の長い人がいた。

ボクはみんなからたくさん撫でられた。まだ不安は消えず震えたままだが、撫でられるのは気持ち良かった。
でも、怖くて走り回って逃げたりもした。
「やめろ」「近寄るな」と吠えたりもした。全力ではないけど、加減もわからないけど、
「噛んでやるぞ」と牙を向けてもみた。
だって、これから何をされるのかわからないから。

それでもこの人たちは何度も笑顔で近寄ってくる。そして何度も撫でられる。
髪の長い人がお水とご飯のようなものを差し出してくれた。これまでの不安と恐怖で喉がカラカラだった。ボクはあっという間に飲み干した。ご飯もいつもと少し違っていた。いつもと同じようなご飯の上に柔らかそうで良いにおいがするものがのっかっている。味わう暇もなく夢中になって食べつくした。

 おなかが満たされてくると、なんだか眠くなってきた。目が開かなくなってきているボクを見て、みんなはまた撫でてくれている。
きっと今日はボクに悪い出来事は起きないのだろう…そう思えたから目をつぶった。

途中で何度か起きたけど、こんなに眠れたのはいつぶりだろう…
 
「あしたもこんな時間を過ごせるといいな」
 
 
 
 
 
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