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第三十六話 グレタの素性
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ローゼたちはおむつジジイの家に戻ることにして、中央通りを歩いていた。太陽が傾いていて、だいぶ日差しは弱まってきている。火災が起きたのは知っているのだろうが、行きかう人々の間にそれを気にする様子はない。仕事を終えた人たちも出始めて、お疲れ様モードの雰囲気を呈している。疲労困憊のローゼには、とても不思議に思える光景だ。
大事件の渦中にいたローゼたちは知る由もなかったが、おむつ爆撃で一部の民家の屋根に穴が開いたこと以外の事件は、みんな裏道の普通の人は寄り付かない一角で起きていたため、それほど大事にはなっていない。
ようやく娑婆に出られたローゼは、身も心も解放されたのが気持ち良くて、そよ風を全身で浴びようと、大きく背伸びをした。
「ありがとう助けてくれて、アリアス」
ローゼがそう言うと、アリアスは分からない様子で答えた。
「僕、何もしてないんですよ。ローゼさんの言う通り、実家が伯爵家なのは間違いありませんけれど、僕は何も……。――長引くようなら言おうと思ってましたが、すぐに解放されてしまったので」
「またまたご謙遜をー☆」
エミリアが「尋問で知った名前から分かったとか」と言って、続けて「国交はあるんですから、大使館に問い合わせれば出自は分かりますよ」と、もっともらしい答えを言う。
なるほど、そういうことか。一件落着。ローゼとエミリアは、夕食にカルツォーネとチーズとビールを買おうと、アリアスと途中で別れて店に立ち寄ってから、おむつジジイの家に向かう。エミリアがお金持っててほんとによかった。一文無しのローゼはホッと胸を撫で下ろす。だからついでに“豚の魚醤たっぷり焼き”も買った。
「おお、戻って来たか、お二人さん」とおむつジジイが部屋から迎える。「アリアスから聞いたんじゃが、お前さんたちは、通商手形を探しているんじゃってなぁ」
「初めからそう言ってましたが――」ローゼが怒りを抑え込んだような無表情で答える。
「わしゃ、てっきり借金取りかと思ったわい」
「初めから違うって言ってましが――」
「わしゃ(通商手形なんか)取っとらんよー」
「でもまあ、痴ほう症の独居老人の言うことですから、真に受けずに探させてもらいますね」
「ひどくね? 前半口に出して言うことじゃなくね?」
家探し。物色。手形無し。いくら探してもおむつと入れ歯ばかり。なんでこんなに入れ歯あんだよ。メインとスペアの二つでいいだろ?
「わしのこれがくれるんじゃー」とおむつジジイは、小指を立てて頬を薄紅色に染める。
それにしてももらいすぎだろ。“ターナより”? “イレルザより♡”? 何人いだよ小指ちゃん。そんでもってみんな入れ歯だなんて、どんな彼女だ。
おむつジジイは「よく失くすんじゃー」と照れて笑う。
砂糖しか口にしないんだから、入れ歯いらないじゃん。
さすがはローゼとエミリアは女の子。通商手形を探しながらゴミを分別して、散らかったよく分からない小物を片付けていく。
ローゼはふと気がついた。
「そう言えば、グレタさんがいないわね」
「確かに……」とエミリア。
「そうなんじゃぁ」と言ったおむつジジイが、しょんぼりして続ける。
「帰ってきたらいなかったんじゃ。こんな置手紙を残して――」
『おむつちゃんへ。
おむつちゃんとの毎日楽しかったわ。
実はわたし、おむつちゃんにお別れを告げなければならないの。
突然実家に不幸があって、みんなのお口が臭くなりました。
それって、わたしが帰ってお世話してあげないといけないってことでしょう?
だから、わたし帰らなくてはなりません。
でも信じて。わたしは本当におむつちゃんのこと愛しているのよ。
片手いっぱいのお砂糖くらい愛しているの。
お別れも言えずに去ってしまうことをお許しください。
あなたの最愛の人グレタより』
やっすい愛だな、片手って。せめて両手にしてやれよ。
エミリア「両手でも安いですね。銅貨一枚にもなりませんよ」
この町において砂糖は全く高価ではない。グランド大陸はサトウキビが栽培できる地域ではないのだが、ロッツォレーチェは、南にあると言われている別の大陸との交易で大量の砂糖を輸入しているため、他の国々と違ってお金さえ出せればとても簡単に砂糖が手に入る。正規ルートでは高額なので大半は上流階級で消費されてしまうのだけれど、超セレブな二つの自治都市の間にあるここでは、なぜか砂糖が安くたくさん出回っているのだ。(多分横流し)
ちなみに、ミッドエルでの砂糖の価格は砂金とイコールである。そんな砂糖を輸入できるロッツォレーチェの海運力(軍事力)には舌を巻かざるを得ない。国の豊かさの根源にはそれもあるのだろう。付け加えて言うと、ここでの砂糖販売は正規の手続きを踏んでいないため、都市間を持ち歩けない。町の外に持ち出そうとすれば、たちまち捕まって処刑されるかもしれない。
意気消沈したおむつジジイが少し可愛そうに見える。三人は声をかけられずに顔を見合わせた。グレタは裏組織の一員で、おむつジジイから金をむしり取るために派遣された女だったのだろう。組織が壊滅してここにはいられなくなったのだ。
――壊滅させたのジジイじゃねーか。と言うのはさておき、「ぐすり、ぐすり」とおむつジジイがすすり泣く声が聞こえる。
「しかしあれじゃなぁ。ローゼちゃんのボインはニセモンじゃな」
何だよいきなり。
「えっ? そうなんですか?」とエミリアが身を乗り出して驚く。
「それ……入れモンですか?」とアリアスが凝視。
「何言ってんの⁉ 本物ですよ」とローゼは両腕を交差させて胸を隠す横で、エミリアとアリアスは、おむつジジイの説明に耳を傾ける。
「腰がくびれているからボインに見えるだけじゃぁ。ちょっと大きめの普通じゃな」
と、品定めするように見やりながら、おむつジジイが品評した。失礼な。
「へぇ~、ローゼさん、たいしたことないですねー」とエミリアが笑った。
あんたよりはましですよ。
「わたしまだ十四ですもんねー」とエミリアは笑って、“ねー”の部分をおむつジジイとハモる。何仲良くなってんだよ。女好きの色ボケうんこジジイだぞ。
「十八歳以下は大丈夫なんですよ、この小説。結構学びました」
確かに。「わたしも十七歳でーす♡」とおどけてみるローゼだったが、しーん。小声で「ウゼーんだよ、年増」と呟くエミリア、微かな冷笑。みんな知らんぷり。ちょっとつっこんでくれてもいいのに、とローゼ悲しげ。
しばらくして日没。ランプに火を灯したローゼがため息をついた。
「こんだけ大騒ぎだったのに、結局無かったわね」
エミリアは「でも、大火事にならずに済んで良かったですね」と返した。
「わしのおかげじゃ」と、おむつジジイがリスペクト希望あからさまって感じに言った。ローゼが「いや、あなたのせいだから」と言うと、アリアスが説明する。
「じじ様のおしっこで消火したんですよ」
様付けかよ、とやな顔するローゼ「辺り一面燃え盛ってたじゃない?」消えるわけないじゃん、と訝しげ。
「あんなもんお茶の子さいさいじゃ」
「あれを浴びたおかげで、僕火傷しないで済みました」とアリアスが、安寧に浸りきった様子で笑う。
「浴びた?」不安を覚えたローゼが訊き返すと、
「当分洗い流さなくて良いぞ、尿浴健康法じゃ」とおむつジジイが誇らしげ。
アリアス「はい」と爽快に即答。
洗ってないんか‼‼
ローゼはうひぇ~と思いながら、アリアスから距離を置く。確かに少し臭うかも。変な病気をうつされては大変だ、とローゼたちはさっさと宿屋に引き上げることにした。
大事件の渦中にいたローゼたちは知る由もなかったが、おむつ爆撃で一部の民家の屋根に穴が開いたこと以外の事件は、みんな裏道の普通の人は寄り付かない一角で起きていたため、それほど大事にはなっていない。
ようやく娑婆に出られたローゼは、身も心も解放されたのが気持ち良くて、そよ風を全身で浴びようと、大きく背伸びをした。
「ありがとう助けてくれて、アリアス」
ローゼがそう言うと、アリアスは分からない様子で答えた。
「僕、何もしてないんですよ。ローゼさんの言う通り、実家が伯爵家なのは間違いありませんけれど、僕は何も……。――長引くようなら言おうと思ってましたが、すぐに解放されてしまったので」
「またまたご謙遜をー☆」
エミリアが「尋問で知った名前から分かったとか」と言って、続けて「国交はあるんですから、大使館に問い合わせれば出自は分かりますよ」と、もっともらしい答えを言う。
なるほど、そういうことか。一件落着。ローゼとエミリアは、夕食にカルツォーネとチーズとビールを買おうと、アリアスと途中で別れて店に立ち寄ってから、おむつジジイの家に向かう。エミリアがお金持っててほんとによかった。一文無しのローゼはホッと胸を撫で下ろす。だからついでに“豚の魚醤たっぷり焼き”も買った。
「おお、戻って来たか、お二人さん」とおむつジジイが部屋から迎える。「アリアスから聞いたんじゃが、お前さんたちは、通商手形を探しているんじゃってなぁ」
「初めからそう言ってましたが――」ローゼが怒りを抑え込んだような無表情で答える。
「わしゃ、てっきり借金取りかと思ったわい」
「初めから違うって言ってましが――」
「わしゃ(通商手形なんか)取っとらんよー」
「でもまあ、痴ほう症の独居老人の言うことですから、真に受けずに探させてもらいますね」
「ひどくね? 前半口に出して言うことじゃなくね?」
家探し。物色。手形無し。いくら探してもおむつと入れ歯ばかり。なんでこんなに入れ歯あんだよ。メインとスペアの二つでいいだろ?
「わしのこれがくれるんじゃー」とおむつジジイは、小指を立てて頬を薄紅色に染める。
それにしてももらいすぎだろ。“ターナより”? “イレルザより♡”? 何人いだよ小指ちゃん。そんでもってみんな入れ歯だなんて、どんな彼女だ。
おむつジジイは「よく失くすんじゃー」と照れて笑う。
砂糖しか口にしないんだから、入れ歯いらないじゃん。
さすがはローゼとエミリアは女の子。通商手形を探しながらゴミを分別して、散らかったよく分からない小物を片付けていく。
ローゼはふと気がついた。
「そう言えば、グレタさんがいないわね」
「確かに……」とエミリア。
「そうなんじゃぁ」と言ったおむつジジイが、しょんぼりして続ける。
「帰ってきたらいなかったんじゃ。こんな置手紙を残して――」
『おむつちゃんへ。
おむつちゃんとの毎日楽しかったわ。
実はわたし、おむつちゃんにお別れを告げなければならないの。
突然実家に不幸があって、みんなのお口が臭くなりました。
それって、わたしが帰ってお世話してあげないといけないってことでしょう?
だから、わたし帰らなくてはなりません。
でも信じて。わたしは本当におむつちゃんのこと愛しているのよ。
片手いっぱいのお砂糖くらい愛しているの。
お別れも言えずに去ってしまうことをお許しください。
あなたの最愛の人グレタより』
やっすい愛だな、片手って。せめて両手にしてやれよ。
エミリア「両手でも安いですね。銅貨一枚にもなりませんよ」
この町において砂糖は全く高価ではない。グランド大陸はサトウキビが栽培できる地域ではないのだが、ロッツォレーチェは、南にあると言われている別の大陸との交易で大量の砂糖を輸入しているため、他の国々と違ってお金さえ出せればとても簡単に砂糖が手に入る。正規ルートでは高額なので大半は上流階級で消費されてしまうのだけれど、超セレブな二つの自治都市の間にあるここでは、なぜか砂糖が安くたくさん出回っているのだ。(多分横流し)
ちなみに、ミッドエルでの砂糖の価格は砂金とイコールである。そんな砂糖を輸入できるロッツォレーチェの海運力(軍事力)には舌を巻かざるを得ない。国の豊かさの根源にはそれもあるのだろう。付け加えて言うと、ここでの砂糖販売は正規の手続きを踏んでいないため、都市間を持ち歩けない。町の外に持ち出そうとすれば、たちまち捕まって処刑されるかもしれない。
意気消沈したおむつジジイが少し可愛そうに見える。三人は声をかけられずに顔を見合わせた。グレタは裏組織の一員で、おむつジジイから金をむしり取るために派遣された女だったのだろう。組織が壊滅してここにはいられなくなったのだ。
――壊滅させたのジジイじゃねーか。と言うのはさておき、「ぐすり、ぐすり」とおむつジジイがすすり泣く声が聞こえる。
「しかしあれじゃなぁ。ローゼちゃんのボインはニセモンじゃな」
何だよいきなり。
「えっ? そうなんですか?」とエミリアが身を乗り出して驚く。
「それ……入れモンですか?」とアリアスが凝視。
「何言ってんの⁉ 本物ですよ」とローゼは両腕を交差させて胸を隠す横で、エミリアとアリアスは、おむつジジイの説明に耳を傾ける。
「腰がくびれているからボインに見えるだけじゃぁ。ちょっと大きめの普通じゃな」
と、品定めするように見やりながら、おむつジジイが品評した。失礼な。
「へぇ~、ローゼさん、たいしたことないですねー」とエミリアが笑った。
あんたよりはましですよ。
「わたしまだ十四ですもんねー」とエミリアは笑って、“ねー”の部分をおむつジジイとハモる。何仲良くなってんだよ。女好きの色ボケうんこジジイだぞ。
「十八歳以下は大丈夫なんですよ、この小説。結構学びました」
確かに。「わたしも十七歳でーす♡」とおどけてみるローゼだったが、しーん。小声で「ウゼーんだよ、年増」と呟くエミリア、微かな冷笑。みんな知らんぷり。ちょっとつっこんでくれてもいいのに、とローゼ悲しげ。
しばらくして日没。ランプに火を灯したローゼがため息をついた。
「こんだけ大騒ぎだったのに、結局無かったわね」
エミリアは「でも、大火事にならずに済んで良かったですね」と返した。
「わしのおかげじゃ」と、おむつジジイがリスペクト希望あからさまって感じに言った。ローゼが「いや、あなたのせいだから」と言うと、アリアスが説明する。
「じじ様のおしっこで消火したんですよ」
様付けかよ、とやな顔するローゼ「辺り一面燃え盛ってたじゃない?」消えるわけないじゃん、と訝しげ。
「あんなもんお茶の子さいさいじゃ」
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「浴びた?」不安を覚えたローゼが訊き返すと、
「当分洗い流さなくて良いぞ、尿浴健康法じゃ」とおむつジジイが誇らしげ。
アリアス「はい」と爽快に即答。
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