そして僕らは殺意を抱く

木下望太郎

文字の大きさ
2 / 18

第2話  宇佐見夏樹は死にたかった

しおりを挟む

 僕――宇佐見うさみ 夏樹なつき――は死にたかった。正確に言えば、『死んでみようかな』『死ねるといいな』といった感じ。ある少年殺人者は自分を『透明な存在』と語ったそうだが。陳腐なことに、僕もちょうどそういう感じ。

 で、分からないのは、だ。透明なはずの僕を、なぜ放っておいてくれないのか、だ。
 なぜ僕の上履きの中に濡れぞうきんが突っ込まれているのか。なぜ机の中に入れていた教科書に見知らぬ落書きがあるのか。アホだの死ねだのどーでもいいことが書かれているのか。戦時中の検閲でもあるまいし、教科書の本文がなぜ黒々と消されているのか。妙にくっついたページがあると思ったら、なんでまた鼻クソなんかがくっついているのか。どうして僕のときだけ、掃除当番が実質僕だけなのか。なぜ僕の弁当にほこりと虫の死骸がまぶされているのか、窓のサッシの隅にたまってるような。なぜ僕の言葉に答えない? 君らの出来の悪い耳は、脳ミソは、僕の言語に非対応なのか? なぜ、便所の虫を見るように僕をちらりと見て目をそらす? ゴキブリは君らだろうが。
 実にありがち。陳腐にしてチープ。腐ってる糞。やっすいお脳した奴らが考えそうな普通のこと。

 とはいえ、だ。それも一年以上続くと、僕の脳にまで腐敗が侵攻してくるらしい。ぼうっとしていることが多くなった。まれにだが、記憶のない時間がある。食欲はない。かと思えば、猛烈に腹が減る。食っては、下す。もしくは吐く。親には『中学になってから痩せたね』と言われた。のんきな話だ。
 そうして僕は、僕という城の中での籠城戦を展開した。クラスという集団にいながらも、僕一人が透明な城壁の中にいた。奴らがこちらを向くたび、目を伏せて視線が通り過ぎるのを待った。目に見えない城壁の陰で。

 誰にも助けは求めなかった。そうすることは、助けられることは僕の生き方ではなかった。学校は休まなかった。引きこもるなんてのは敗者の所業でしかない、僕にはまるでふさわしくない。本気で腹が痛んだり熱があるときはさすがに休むが。そういったときは、休んでしまえば症状は消えた。しかし、たまに見舞いと称して糞のような奴らが来ることもある。油断はできなかった。
 一年あまり僕は静かに、ごく静かに、一言も言わず一歩も引かず籠城した。似たような戦なら小学生のときにも長く経験していた。いわば百戦錬磨。
しかし、だ。大坂の陣、島原の乱の例を見るまでもなく、籠城というのは援軍の当てがあるときにだけ有効な戦術。そして援軍の見込みはなし。
未だ刀折れても矢尽きてもいないが。ぼちぼち落城かなぁ……そういった空気が僕の城内に漂い始めていた。

 疲れた、疲れました、つーかーれーまーしーた。馬鹿どもの相手をしてあげるのは。そう考えるのは別に苦ではない。
その馬鹿どもに何もできない自分。死にたくなるのはそれを想うときだ。
 今日はそんな気分だった。だから学校の帰り、こんな所まで歩いてきた。通学路でもなんでもない街外れまで。なんとなく、ふらふらと。そして折りよく人目もなく、ちょうどいい橋があったから『死ねるかな』と思ってやってみた。やってみただけなのに、このバカが突然押しやがったのだ。

 とはいえ。こいつが来なかったらどうしていたかは、自分でも分からない。




「ま、狭いし汚ぇけどよ、上がって上がって」
 そのバカがそう言って案内した所は、確かに狭くて汚かった。というか、家
ですらなかった。

 川原に投棄されている、ボロッボロに錆びたワゴン車。横のドアには工具で無理やり開けたのか、親指が通るくらいの穴が汚く開いていた。穴には細い鎖が通され、その鎖は南京錠でつながれている。どうやら、外から鍵を閉めておくためのものらしい。助手席のドアにも同じような鎖と錠がついていた。
 男はポケットから、キーホルダーにつけられた鍵束を取り出す。そのうちの一本で錠を外すと、引きずるような音を立ててドアを開けた。中から湿った空気が流れ出る。わずかにカビのにおいがした。

 上がり込んだ男に続いて、頭だけを突っ込んでみる。中は薄暗かった。横と後ろの窓はカーテンが閉められており、運転席と助手席の窓、フロントガラスには段ボールが貼りつけられていた。座席はすべて背もたれを大きく倒されている。その上に毛布やら大きなビニール袋、空き缶や弁当の空き箱が散らばっていた。隅の方の段ボール箱には、開封されていないジュースや缶詰が乱雑に詰め込まれている。

「……何ここ」
 思わずつぶやくと、男が座席の上であぐらをかいて言う。満面の笑みを浮かべて、鼻が詰まったような声で。
「まったく、しょほがなひなぁのび太くんはぁ。ペケペペン! ひ~み~つ~ち~き~! フワンフワンファ~ファ~」
 男は腹の辺りを探る動作をして、片手を上げてみせた。

 何秒か経ってから、ようやくドラえもんのモノマネだと気づいた。
「……何だよ、秘密『ちき』って」
「ツッコむのそこかよ!」
 男はものすごい勢いでこちらを向き、甲ではたくような形で手を繰り出した。続けて言う。
「それよっか先、ドラえもんかよ! とか、効果音まで口で言うのかよ! とかツッコめよ、空気読めよ」

 小さくため息をついて僕は言う。
「君こそ空気読んで動け。君んちに連れてってくれって言ったんだ。なんで秘密基地なんだよ、小学生か君? それともここが家だってのかい」

 男は笑って拳を突き出し、素早く手前に引いた。ガッツポーズでも取るみたいな動作で。同時に反対の手を、挙手するように高く上げた。
「イエス・家っす! ここが家っす!」

 僕は眼鏡を指で押し上げた。また何秒か考えて、ようやく男の言いたいことが分かった。
「つまり……ここが自分の家ですとそう言いたいわけか」
 男はまたはたくように手を繰り出す。懇願するような、しかし演技がかった表情で。
「ツッコめよ! 恥ずいだろうがスルーされっと。まーともかく、ほれ」

 男はビニール袋の中を探り、何かを取り出してこちらへ放る。バスタオルだった。
 果たして衛生的に大丈夫なものか気になったが、男はもう一つ出したタオルでがしがしと頭を拭いている。濡れたままよりはましだと判断して、僕も頭を拭いた。座席に座り、ドアを閉める。座席は妙に湿っていた。

 男はタオルをかぶったまま震えながら言う。
「うッは、さっびぃ。今ごろ冷えてきたわコレ、本格的に。着替えるか、ジャージぐらいなら貸してやるよ」
 男は制服を脱ぎ、ネクタイを外す。シャツを脱ぎ捨て、向こうを向いてズボンとパンツを一緒にずらした。いやに白い尻が視界に入る。

 さすがに見たくもないので逆方向を向く。運転席の方には、後部座席と同じように何か入ったビニール袋や、カップ麺や弁当の空き箱、空き缶、マンガ雑誌なんかが適当に積み重ねられていた。単に捨てられているというのではなく、大ざっぱながら整理されている感じはある。

「悪い知らせがあンだが」
 トレーナーとジーンズに着替えた男はそう言って、シャツと上下のジャージを放り投げてきた。沈痛な面持ちで、視線をうつむけて首を横に振った。重々しい口調で続ける。
「……パンツは、貸してやれねぇ」
「や、貸していらないから」
 男は鼻で息をつき、顔を上げて満足げに笑った。
 僕は目線をそらし、ため息をついた。

 着替え終わって、僕は本題について尋ねた。この家だか基地だかも気になる
が、それよりも重要なこと。
「さっきのあれ。……どういうことなんだ」
「ああ……」
 男は背を丸めて顔をうつむけた。顔の前で手を組み、その手に目を向けながら言う。真剣な表情。
「すまねぇ……パンツはな、さすがにプライベートなアレだから貸すワケには――」
「そっちじゃないから」
 ツッコむように手の甲を向ける。それから続けた。
「死ぬの、殺すのとかさ。そっち」

 男は何も言わず、視線を僕の方から動かさず、近くにあったコンビニの袋に手を伸ばした。中からタバコを取り出す。口にくわえ、ライターで火をつけようとして、何度やってもつかなかった。

ライターを放り投げ、タバコをくわえたまま言う。その目は僕のひざの辺りを見ていた。
「……死にたかったのか? あんとき」
 僕は男の方から視線をそらさず、姿勢を変えず言う。
「さあ、ね」
 男も姿勢を変えずに言う。
「ほっといても落っちまいそーな顔してたぜ、横から見てっと。ってか気づかなかったか? オレ、近くから二分ぐれー見てたんだけどよ」

 誰かが近くにいたという記憶はない。下ばかり見ていたからか。何かを考えていたという記憶もない。川の水を見て、筆を洗った水みたいな色だなと思ったのは覚えている。その中に、僕の影がおぼろげに映っていた。輪郭を揺らめかせながら、それは僕をのぞいていた。飛ぶのか、死ぬのか、その気なのかと、僕の中をのぞいていた。僕の中には濁った水が流れるばかりで、返せる言葉はどこにもなかった。そこへ、後ろから背中を押される。

 男は言う。
「ビルだろーが崖だろーが飛べそーな顔してた。なんも見えてねー感じの目で
よ。……何アレ」

 僕は、落ちていく感覚を思い出して小さく震えた。
右脚を左のひざ上へ乗せ、その脚を両手でつかむ。小さく息をついた。
「……言う必要はないね」
「オレは、さ」
 男は火のついていないタバコを口から離し、大きく息を吐いた。
「オレは、死にたいね。……殺すってのはなんつーか……代わり。みてーな、よ」
 吐いてもいない煙を見上げるかのように、男は天井を見上げていた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする

夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】 主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。 そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。 「え?私たち、付き合ってますよね?」 なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。 「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。

たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】 『み、見えるの?』 「見えるかと言われると……ギリ見えない……」 『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』  ◆◆◆  仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。  劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。  ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。  後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。  尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。    また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。  尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……    霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。  3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。  愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー! ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

処理中です...