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第8話 袴と浴衣の距離は
しおりを挟むその日も部活の後、僕は例の神社にいた。道着姿で。とはいえ、この前みたいに飛び出してきたわけじゃない、単に気分を出すためだ。
境内に茂る木の葉を透かして、薄紅い夕日が差す中――今日は道場での居残り練習はせず、すぐにこちらへ来た――、太い木刀をゆるゆると振るう。真剣の重さを持つそれを、ゆっくりと。体を貫く軸と、重心の位置を確かめながら。
魔女の話を真に受けたわけじゃない。全部うまくいくわけなんてない。それでも。
勝ちたい、彼に。それは袴を履いた僕も、スカートを履きたい僕も変わりないはずだ。
ずっとそう思ってきたのだから。そうやって竹刀を振ってきたのだから。袴とスカートを区別する、そのずっと前から。
だいたい、彼への気持ちをどうにかする術など――彼の気持ちをどうにかする術はもっと――分からない。分かるわけがない。
けれど、彼への勝ち方は分かる。たとえ遠くとも、少なくともそれは、練習の先にある。考え抜いて鍛え抜いた、その先に。
なら、やるまでだ。それが両方の僕の、一致した意見。
息を吐き、ゆっくりと振り切った木刀をまた掲げた。
そのとき。
「お、こんなとこでやってんのか」
彼が来ていた。ビニール袋を提げ、草履型のサンダルを土に擦る、軽い音を立てて。お祭りでもないのに、紺色の浴衣を着て。
僕が目を瞬かせていると、彼は言った。
「しかしお前、ちゃんとそれやってンだな……昔教えたやつ」
笑う。嬉しそうに。
「すげェな」
僕も笑って――満面の笑顔で――木刀を持ったまま彼の方へ駆け寄る。
「当たり前だよ! やってるよちゃんと、基本だよ基本!」
湧き出る笑みも弾んでしまう声も、両方の僕の一致した行動で。袴を履いた方の僕は内心、苦笑いを浮かべる。
「それにしても……本当に浴衣着てるんだね。普段から」
彼は浴衣の襟をつまんで、ひらひらと振ってみせる。
「普段っつーか、寝るときはほとんどこれだな。冬は寒ィから違うけど」
今日は早めに風呂入ったからなー、と言う彼を、僕はじっくりと眺めてみた。
その浴衣は、日が沈んだばかりの夜空みたいな紺色。そこに、かすれたような白い線がいくつも縦に走っている。
腰には灰色の、幅の広い帯がきちっと巻かれていた。旅館の浴衣についているような細い紐ではない、しっかりしたものだ。彼が前に言ったとおり、結び方もちゃんと知っているのだろう。
何というか、道着姿の彼は何度も見ている――今日だって見た――のだけど。浴衣姿の彼には、また違った感動があった。
何といっても姿勢がいい。地から天へと貫くように、正中線が――体の芯、軸となる一本の筋が――真っ直ぐに通っている。歩いていたときも、立ち止まっても。もちろん道着のときもそうなのだけれど、見慣れぬ浴衣姿では、それが特に顕になる。
その姿勢で、浴衣を着崩すことなく、ぴしりと身につけた彼の姿は。真剣のような端正さがあった。
あるいはこれが。粋、というものだろうか。
僕は視線を伏せ、つぶやくように言う。
「……似合うね」
彼はうなずく。唇の端を緩ませて。
「だろ」
「ところで、何でここに? まさかそれ、また――」
僕は言って、彼の提げたビニール袋に手を伸ばす。
彼は何も言わず袋を体の後ろに隠し、跳び退く。
彼には酒を呑む悪癖がある。父親が買い置きしてある日本酒の一升パックから、少し抜き取って呑むのだそうだ――取り過ぎたら水をちょっと足してごまかす、という極悪ぶりなのだ、こいつは――。
視線をそらす彼の正面に回り込む。
「返しときなよ、それ」
彼は歯を見せて決まり悪げに笑う。
「いや、聞けって。ことわざにも言うだろ、酒は天からの美禄、御神酒あがらぬ神は無し、酒は憂いの玉箒って――」
「知らねえよだから何なんだよ。いいから返してきなよ」
彼はまた顔をそむける。
僕はまた回り込み、顔を近づけて言う。
「いいね? 絶対だよ? 適当言って後で呑むなよ? 約束しろ」
彼は視線を伏せながら、つぶやくように言う。小さく舌打ちを響かせて。
「……分かったよ。しゃあねェな、約束するよ」
彼という奴はどんなことであれ、約束を違える男ではない。その義理堅さは彼のいくつかある――僕だけが知っている――美点の一つだ。
僕はうなずき、笑う。
けれど顔をしかめてみせ、もう一つ言っておく。
「今度やったら駐在さんに言うからね。いい?」
駐在所の警察官は剣道経験が長いそうで、時々僕らの部へ指導に来てくれる。僕ら二人とはよく知った仲だ。
彼はきびすを返し、足音も高く駆け出した。
「うっせェ知るかバカ! 知らねェからなバーカ!」
僕は手を腰に当て、肩を落として息をつく。
彼という奴は、義理堅い男だ。守れない約束は最初からしない、そういう程度には。
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