30 / 38
第30話 そっくりだ、俺と貴女は
しおりを挟むウォレスの思考を店主の鋭い声がさえぎる。
「先生、こいつぁ敵ですね? ……この迷宮にいて人間じゃねえんなら。ですね?」
店主の視線はウォレスではなく、傷口から積み石をのぞかせるアレシアに向けられていた。彼の長い指は準備運動をするように、ゆるりと曲げては伸ばされていた。
口を開けていたウォレスはそれで我に返れた。刀を構え直す。
「……ああ。そうだ、一から十までそのとおりだ」
そうだ、全部はその後でいい。
アレシアは店主に微笑みかける。
「マスター、お酒はまだ来ないの? けれどねでもね、言っとくけどね。グラスは一つじゃ足りないね」
アレシアの指――床の、斬り落とされた方の手――が、弾く音を一つ鳴らす。
挑発されたと思ったか、それとも不気味に感じたか、店主がわずかに顔をしかめて。その後、視線がわずかに動く。背後の扉で、来客を示す鐘が鳴ったから。
「悪いが今日はお仕舞いで、命が惜しけりゃまたの機に」
アレシアに視線を戻したまま店主は言ったが。聞こえないように客は入り込み、カウンター席へ腰かけた。何か重い音を立て、手にした物をカウンターに置く。
「おい――」
舌打ち一つ、言いかけて。店主の口がそこで止まった。
ウォレスもそちらへ目を向けると。客の首には頭がなくて、客の頭はカウンターにあった。ねじ切られたような荒い傷口から血を流し、カウンター上の頭は何も言わず店主を見つめた。
アレシアが唄うように声を上げ、それに合わせて指を鳴らす。
「グラスは一つじゃ足りないね、一つっきりじゃあ足りないね」
客は他にもいた。カウンターの向こうから立ち上がった。酒樽の陰から姿を見せた。いつの間にかテーブルを囲んでいた。同じく首を手にした者もいたし、内臓をこぼした者もいた。服一面を血で濡らした者もいたし、特に傷のない者もいた。何人かはウォレスにも見覚えがあった、喪失されていった者たちだった。
辺りを見回すウォレスを嘲笑うように、王女は喉を鳴らした。
「どうだ、どうだ見よ英雄殿! 解いてやった、解いてやったぞ封印なぞ! 先生が護った封印なぞなぁ!」
「てめえ……!」
ウォレスは王女の襟首をつかんだ。――どういうことだ。護るんじゃなかったのか、魔王の遺志によって? ――言ってやりたかったが言葉にはならず、ウォレスはただ歯を軋らせた。
頬を、唇を、目の端を震わせ、歪んだ顔で王女は笑う。
「なあ、覚えておるか? 汝らが王宮へ参った日のことを。何を持って参ったかなあ?」
魔王を討ち、その首を王へと献上した日――王女とウォレスが引き合わされた日――か。だが、それがどうした。
歯を剥いたままウォレスの目を見据え、王女は続けた。
「そうよ、私も覚えておるぞ。汝らのこともだが、その夜のことをよ。盗み聞いたのよ、王が、我が父が。魔導師どもと話すのをよ。――龍復活の法を知る、魔王が死んだことについて。無論、汝らへの愚痴もあったが、何より話し合われたのは。首だけで、人を蘇生させる魔導はないかということだった」
王女は笑った。喉を鳴らし、体の肉を震わせ、笑った。にらみ殺すような目をして。
「燃やした。燃やしたよ私は、先生の首を。保管された場所へ、密かに忍び込んでなあ――」
続けてつぶやく王女の顔から、表情は消えていた。
「――そうだ、私が殺した、先生を。あるいはまだ、首だけにせよ、蘇れたであるかもしれぬのに。殺した」
ウォレスは口を開けていた。――ああ、こいつは。そっくりだ、俺と。同じだ――。
捻じ切るように頬を歪めて王女は語った。
「そうよ、私が殺したのだ。それが分かった、再び迷宮に降りて。封印が解けていくにつれ現れた、喪失された者を見て――先生の、首のないお体を見て!」
まるですがりつくように、両手でウォレスの胸ぐらをつかむ。柔らかな肉づきをした手は生温かく、震えていた。
「どうだ、他の者らは還って来ているというのに。どうだ、先生だけは! どうなろうとあのお体のままだ、語らうことすらできぬのだ! ――だから、あの騎士の誘いに乗った。償いをすることを許した。何もかもを犠牲にしてでも、騎士は友と会いたかった。誰もかれもを見捨ててでも、私は殺したかった。汝を、私を」
ウォレスは黙って王女を見た。すがりつく彼女は子供のように縮こまり、赤子のような顔で、涙を流して震えていた。小さかった。迷宮から抱えて駆けた、その日のように。
ウォレスは緩やかに息をつく。
「……なるほど」
なるほど、と、ただそう思った。
会いたかったんだ。俺もあんたも、ジェイナスも。会えなかったんだ、あんただけ。
「気の毒に」
王女の頭をなでた。汗に湿ったその髪は、野の草のようにごわごわと手に絡みつく。それでもなでた。
そっくりだ、俺とあんたは。あんたが俺ならこうなっただろうし、俺があんたならそうしただろう。そうだ、それなら無理もない。俺をあの日フったのも。――眺めて暮らしたいもんじゃない、仇の顔、しかも自分の顔なぞ。
そうだ、あれだって無理もない。俺をフったその直後、自らの手で。邪神を召喚したのも。
魔王がかつて召喚しようとして、地上への影響を懸念して。中途のまま放棄していた魔方陣、それを彼女が完成させた――そう彼女はかつて語った、懐から出した羊皮紙を広げ、最後の術式を目の前で、己の血で書き入れながら――。俺を、英雄らを殺すために。そもそも彼女の居場所のない、地上への影響など省みず。
「気の毒に」
もう一度それだけ言って、さらに増える人だかりの中へ、ウォレスは王女を突き放した。群集の中、未だ辺りを見回す店主と、首のない魔導師の――きっと魔王の――姿が見えた。
人ごみをかき分け――跳ね飛ばし――、ウォレスはアレシアの方へ向かう。途中で人の波の中、テーブル席を囲む壮年の男を見かけた。鎧も剣も身に帯びてはいなかった、怪我はどこにもなかった。低い笑い声を響かせる、彼の分厚い胸板には藻のような白髭が長く揺れていた。同じく笑ってテーブルを囲む、五人のうち一人には見覚えがある。確か、戦士バルタザール。
ひしゃげた空の鎧を足元で蹴散らし、アレシアの背中を追う。アレシアは扉の鐘を鳴らし、外へ出た後だった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
田舎農家の俺、拾ったトカゲが『始祖竜』だった件〜女神がくれたスキル【絶対飼育】で育てたら、魔王がコスメ欲しさに竜王が胃薬借りに通い詰めだした
月神世一
ファンタジー
「くそっ、魔王はまたトカゲの抜け殻を美容液にしようとしてるし、女神は酒のつまみばかり要求してくる! 俺はただ静かに農業がしたいだけなのに!」
ブラック企業で過労死した日本人、カイト。
彼の願いはただ一つ、「誰にも邪魔されない静かな場所で農業をすること」。
女神ルチアナからチートスキル【絶対飼育】を貰い、異世界マンルシア大陸の辺境で念願の農場を開いたカイトだったが、ある日、庭から虹色の卵を発掘してしまう。
孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった!
しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。
ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!?
ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!?
世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる!
「世界の管理者」すら手が出せない最強の農場主、カイト。
これは、世界の運命と、美味しい野菜と、ペットの散歩に追われる、史上最も騒がしいスローライフ物語である!
アラフォーおっさんの週末ダンジョン探検記
ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。
そこには人外異形の生命体【魔物】が存在していた。
【魔物】を倒すと魔石を落とす。
魔石には膨大なエネルギーが秘められており、第五次産業革命が起こるほどの衝撃であった。
世は埋蔵金ならぬ、魔石を求めて日々各地のダンジョンを開発していった。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
【完結】うだつが上がらない底辺冒険者だったオッサンは命を燃やして強くなる
邪代夜叉(ヤシロヤシャ)
ファンタジー
まだ遅くない。
オッサンにだって、未来がある。
底辺から這い上がる冒険譚?!
辺鄙の小さな村に生まれた少年トーマは、幼い頃にゴブリン退治で村に訪れていた冒険者に憧れ、いつか自らも偉大な冒険者となることを誓い、十五歳で村を飛び出した。
しかし現実は厳しかった。
十数年の時は流れてオッサンとなり、その間、大きな成果を残せず“とんまのトーマ”と不名誉なあだ名を陰で囁かれ、やがて採取や配達といった雑用依頼ばかりこなす、うだつの上がらない底辺冒険者生活を続けていた。
そんなある日、荷車の護衛の依頼を受けたトーマは――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる