喪失迷宮の続きを

木下望太郎

文字の大きさ
34 / 38

第34話  喪失迷宮の続き

しおりを挟む

 アレシアは言う。
「休眠時の餌のためにね。龍はび寄せるの、異界の魔物を。彼らが持つ宝も一緒に。そうして彼ら自身や、それを狩りにくる人を。龍は食べるの、彼らのうちで死んだものや――生餌は食べられないからね――、体内器官――罠のようなね――で仕留めたものを」

 ウォレスはあの日へ向け、片手を掲げ返してみせた。

 後ろでアレシアは言う。
「そうして今。わたしが龍を目覚めさせたのはね。迷宮の正体を知って怯え、邪魔する魔王もいなくなって。召喚された、邪神も死んで餌になって。それらを殺した、君が立派に育ったから。立派な餌に育ったから」

 笑ったまま、ウォレスはあの日を見上げていた。
「へえ」
 餌だのなんだのはどうでもいい。元々そういう関係だった、互いを食いものにしかしてこなかった、冒険者と迷宮は。

 しかしまあ、どうだ、あれは。
 あれのどこなんだ、覇王樹亭サルーン・カクタスは? あれほどに振り回されては、店主といえど生きてはいまい。王女は――あるいは首のない魔王も――どうしたか。召使妖精館クラブ・シルキーの女たちは住み込みではないだろうが、いなければいい。いたらまあ、気の毒に。

 俺の部屋はどこだ、うなるほどに不死鳥の唐黍酎フェニリクスを貯め込んだ部屋は? 今頃は全てぶちまけられているだろうが。あれの一番端だろうが――どこなんだ? 
 あのひやりとした床に寝そべりたい。俺のにおいが染みついた部屋で朝となく夜となく――迷宮にそんなものはない――呑んだくれたい。あるいは覇王樹亭サルーン・カクタスのカウンターで、麦酒エールをあおってぐだぐだと、げっぷを吐いて突っ伏したい。それに召使妖精館クラブ・シルキーで、恥ずかしくなるほどのもてなしを受けながら長々と呑みたい、みんなで。笑い合って、乾杯しあって。

 天の一角で体をくねらせ続けたまま、あの日がウォレスに顔を向けた。多分顔だろう、一番端で一番上だ。それはただの四角い、石の集まりで。ただ申し訳程度に、角のような二本の柱と小さな口――迷宮の入口――が見えた。

 後ろでアレシアが言う。
「ねえ。……ねえ、ぼく」
 返事をせずに見上げたままでいると、アレシアは前に回ってきた。
「ねえ。せっかく出てきた後でさ、こう言うのも悪いけど。喰われたらどう、ぼく。大人しく喰われたら」

 目を向ければ、アレシアはうつむいていた。斬り落とされた手と指を絡め、胸の前で握り直していた。
「それがいいよ。だって、それで一番幸せじゃない、みんなが。龍が、君が、ついでにわたしも。君はそれで、ずっと一緒にいられるよ、わたしと、あの迷宮と。わたしも君と一緒がいいよ、知らない人より少しはね。一人はあんまり得意じゃないんだ」
 笑ってウォレスの目をのぞき込む。
「ね、そうしよ、だいじょうぶ。苦しいのはほんの一瞬、わたしのときとは違ってさ」

 ウォレスはアレシアの目を見返し、目をつむる。かぶりを振った。
「よせ。君はアレシアじゃない。俺は喰われたりしない」
 アレシアの肩を押しのけ、前へ出る。風が緩く吹く中、大地のかけらがゆっくりと降る。

 長く長く空でうごめく、あの日を見返して。ウォレスは刀を握り直した。口の端が吊り上がり、犬歯まで歯がのぞく。肩が、背が震えた。
 しかし、なるほど。確かにこれはあの日かもしれない。だって、きっと大冒険だ。

 つぶやく。
「来いよ、やろうぜ。望むところさ、続きならな」
 あの日の続きなら。

 それが聞こえたかのように、あの日は大きく頭を上げた。地鳴りのような声を上げ――声なのかは分からないが、少なくともそれは天を揺らし、ウォレスの鼓膜と刀を震わせ、肺の底さえ痺れさせた――、ウォレスへ向けて雪崩なだちた。

 天の端で小さかったそれが、ただ長いそれが近づくにつれて。ウォレスの顔が正直引きつる。
 大きかった、それは。大きいという言葉で十分表現できる程度ではあったが、大きかった。視界を覆うほどだ、ウォレスの足で縦横約三百二十歩、それが迷宮の、一階層分の面積だった。あの日の――龍の――太さだった。

 地を蹴って横へ跳び、連続で何度も跳び続け、あの日の突進からどうにか身をかわしたが。地の砂と共に巻き上がる風圧に、ウォレスの体が浮き上がる。地面へ、不様ぶざまに腹から落ちた。
 顔をしかめて立ち上がり、駆けて、さらに後へ続いて流れるあの日の胴――なのか、まだ胸なのかもう尾なのか――から身を離す。頭の方は地面すれすれを飛びながら、砂と一緒に森を――木々を、粉々に――巻き上げ。その先、離れた行く手には。街があった。ウォレスの生まれ育った街。王城の下、ディオンやアランたちが暮らす街。

「おい……!」

 まだ続く尾――そうであって欲しい、胸や腹ではなく――から身をかわし、走り続けながら。あの日の――龍の――大きさを、ウォレスはそのとき初めて知った。天にあるときは分からなかった。遠かったからだけではない。周りに何もなかったから。比べるものがなかったから。
 今やそれははっきり分かった。王城と大聖堂、それらを重ねても届くかどうかの高さ――その体の太さ――だった。そして横にも、きっちりと同じ幅。

 あの日の頭は街を進んだ。石造り煉瓦造り土壁造りの家々が、みっしりと建ち並ぶ街を。行く手に何もないかのように、速度を落とすこともなく。まるで髭を剃るように、街は手もなく剃られていった。積み石を連ねたその体に、巻き起こす風に、壁を砕かれ屋根を巻き上げられ、その中のものもまとめて、ぞりぞりぞりと剃られていった。

 ようやくあの日の尾がウォレスの前を過ぎた頃。あの日の行く手、高台の王城の上から、そのふもと、大聖堂の辺りから。それぞれ一斉に幾つも幾つも、数え切れないほどいくつもいくつも、炎の弾が放たれた。王宮や教会の魔導部隊か。
 あの日の頭で爆ぜたそれらは、しかしわずかに石の破片を散らせただけで。うなりも上げず進むあの日に、王城は積み木のように崩されて。曲がりくねるその体が軽く触れ、大聖堂もへし折られて。砂埃のような破片が漂う中を、三尖塔がそれぞれに落ちていった。

 ウォレスの唇が震える。
「おい。……おい……!」

 ディオンは王城にいただろう。守備の指揮を取っていたはずだ、魔導部隊まで仕切っているかは知らないが。シーヤは大聖堂の方か。アランの店はどこだ? ヴェニィはあの腹で逃げられるか? サリウスと店は、俺たちの山獅子亭クーガーズは? 
 街の方へと走りながら、ウォレスの顔が、手の指先が足が震える。体の温度が逃げていく、ただ高い空へ逃げていく。ひとしきり震え終わった後。息を吐いて歯を噛み締める。
「……おい」

 知っている。ろくでもないとは知っている、迷宮が。待ち受ける幾多の罠に襲い来る異界の魔物、それでいて甘く惹きつける宝。その全てがろくでもない。
 それはいい、知っている、お互い様だ。ウォレスも。ディオンたちも。アレシアも、王女も、何人もの――もう名前も、顔すら出てこない者もいる――昔の仲間も、他大勢の同業者も、喪失されていった者たちも。全員が全員、ろくでもない。

 だが、とウォレスは思う。
 お前は待っていただろう。ただ待っていただろう、俺たちがお前の中へ降りるまで、じっと待っていただろう。酒のようにただじっと。辛抱し切れない俺のような者にはともかくとして。それがどうだ、このざまは? その外でこのざまは? 

 迷宮じゃない。あの日じゃない、お前はもう。

 ウォレスは唾を吐き捨てた。転移の呪文を唱え始める。

 お前がそれでも、あの日だともしも言うのなら。今日で終いだ、悪ふざけは。あの日の続きは。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

田舎農家の俺、拾ったトカゲが『始祖竜』だった件〜女神がくれたスキル【絶対飼育】で育てたら、魔王がコスメ欲しさに竜王が胃薬借りに通い詰めだした

月神世一
ファンタジー
​「くそっ、魔王はまたトカゲの抜け殻を美容液にしようとしてるし、女神は酒のつまみばかり要求してくる! 俺はただ静かに農業がしたいだけなのに!」 ​ ​ブラック企業で過労死した日本人、カイト。 彼の願いはただ一つ、「誰にも邪魔されない静かな場所で農業をすること」。 ​女神ルチアナからチートスキル【絶対飼育】を貰い、異世界マンルシア大陸の辺境で念願の農場を開いたカイトだったが、ある日、庭から虹色の卵を発掘してしまう。 ​孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった! ​しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。 ​ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!? ​ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!? ​世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる! ​「世界の管理者」すら手が出せない最強の農場主、カイト。 これは、世界の運命と、美味しい野菜と、ペットの散歩に追われる、史上最も騒がしいスローライフ物語である!

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アラフォーおっさんの週末ダンジョン探検記

ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
 ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。  そこには人外異形の生命体【魔物】が存在していた。  【魔物】を倒すと魔石を落とす。  魔石には膨大なエネルギーが秘められており、第五次産業革命が起こるほどの衝撃であった。  世は埋蔵金ならぬ、魔石を求めて日々各地のダンジョンを開発していった。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

【完結】うだつが上がらない底辺冒険者だったオッサンは命を燃やして強くなる

邪代夜叉(ヤシロヤシャ)
ファンタジー
まだ遅くない。 オッサンにだって、未来がある。 底辺から這い上がる冒険譚?! 辺鄙の小さな村に生まれた少年トーマは、幼い頃にゴブリン退治で村に訪れていた冒険者に憧れ、いつか自らも偉大な冒険者となることを誓い、十五歳で村を飛び出した。 しかし現実は厳しかった。 十数年の時は流れてオッサンとなり、その間、大きな成果を残せず“とんまのトーマ”と不名誉なあだ名を陰で囁かれ、やがて採取や配達といった雑用依頼ばかりこなす、うだつの上がらない底辺冒険者生活を続けていた。 そんなある日、荷車の護衛の依頼を受けたトーマは――

処理中です...