闇の胎動

雨竜秀樹

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解き放たれる悪

第9話 解放と新生

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 厳重に封印された妖魔を支配する王冠。
 ルミナはそれを被り、妖魔たちに命令を出す。万が一にも彼女に異変が起きた時は命を奪ってでも止めるように厳命された聖騎士やドワーフの戦士たちが、彼女の周囲を囲んでいる。
 命じられた妖魔たちは、嫌々ながらも王都の復興に取り掛かった。
 ゴブリンやコボルドなどは手先の器用さは職人に劣らず、オークやオーガ、トロールの怪力は瓦礫の撤去や石材木材の運搬に重宝される。人間やドワーフの一部が監督官となり、最初はぎこちなかったが、一か月も経つ頃には慣れていた。それは想像以上の便利さであり、しかも無給で文句も出ないとなれば、王国官吏たちの喜びは天に昇らんばかりである。とはいえ、どれだけ働いたところで殺された人々が生き還ってくるわけではない。妖魔は常に侮蔑されて、石やゴミを投げられ、時に直接的に殴る蹴るなどの暴行の標的となったし、それを止める者はいなかった。
 そういった光景を幾度も目にしながら、ルミナの表情は徐々に険しさを増していく。

(私たちは正しいのか……)

 信仰心に揺るぎはないが、それでも王冠を通して、妖魔たちの悲鳴や怒りが流れ込んでくる。最近では、妖魔たちを嘲笑する人間たちの暗い側面も一緒に。それらの感情を知らぬほどに初心ではないが、日に日に妖魔のように人々の邪心が増していくようにも感じられて、ルミナの心は徐々に重くなっていく。
 そうした日々が過ぎていき、ついに王都の復興まであと一歩という時、耳を疑う知らせが届く。

「隣国が、我が国に軍を送ってきたのです。それに教会の方から……、背信者ルミナを討てとの命令が……。いくつか心当たりがありますが、おそらくルミナ様の威光を削ごうという勢力が暗躍したのではないかと……。ルミナ様、わたくし達と一緒に聖都に向かいましょう。すべての事情を説明すれば……」
「背信者……、わたしが?」
「残念ながら、各勢力の謀略による争いになっております。我々は巻き込まれてしまい、潔白を証明するには中立の立場に戻るしかありません。今すぐ妖魔どもを始末して、急ぎ教会本部に!」

 冷ややかな空気が辺りに広がる。
 神への絶対的な信仰と忠誠を誓っていたルミナにとって、背信者として討たれる命令は噴飯ものであったが、心の奥底で燻る違和感は、彼女を強く縛り続けていた。

「私はこの神のために、この国で暮らす民のため、志半ばで倒れた友や同胞のために戦ってきた」

 彼女の目の前に立っていた聖騎士は、ルミナの声に戸惑いを見せながらも、何とか冷静さを保とうと努めた。

「ルミナ様、教会の決定には逆らえません。妖魔の王冠を被った時点で、その力に魅入られてしまったのではないかと教会上層部にも疑われております。今すぐその王冠を手放して、教会本部に……。我々聖騎士団は全力で貴方様の弁護をいたします」

 聖騎士の嘆願を聞きながら、ルミナは王冠に手を触れた。彼女の指先が冷たい金属に触れると、王冠を通して妖魔たちの苦痛や怒りが伝わる。そこにはただただ純粋な邪心が広がっており、破壊に対する喜び、無慈悲で残虐であることを誇りとする彼らなりの哲学、人間と相いれることのない異界の者の思念であった。おそらく今回のような謀略も、彼ら妖魔の哲学においては喜んで許容されるものであろう。裏切り、不意討ち、盤外戦術などの何でもありは恥じることではなく、誇ることだろう。

 ――お前たちも一皮むけばそうだろ?

 彼女はその声に応えてしまっているのではないかという恐れがよぎる。しかし、ルミナはその思考を振り払うかのように首を振った。

「教会の判断が誤りであるとは思わない。だが……」

 彼女は力強く声を上げた。

「私たちは妖魔のような獣ではない。保身のみに走れば、あるいはお前の提案が最善なのかもしれない。しかし、それは私の願いではない。神は私をそう創ったと思う」

 そう言った瞬間、彼女の聖剣がまばゆい輝きを放つ。
 聖騎士は驚き、ルミナは今までのないほどに穏やかな気持ちで剣に触れる。すると、ずるりと聖騎士の影が蠢いた。

「なっ!?」

 驚く聖騎士と、無言で影を貫くルミナ。

「人選を誤りました」

 影が発した声は、忘れもしないルミナに聖剣を届けたユーグのものである。
 聖騎士も剣を抜き放ち、自分の影から出てきた化け物を牽制するが、ユーグは聖騎士を無視してルミナに語りかける。

「妖魔の王冠を被るまでは予想通り、あとは哀れなローレンスのように、それに支配するつもりで支配されるか、あるいは貴女の提案した通りに人間らしい残酷さで妖魔を皆殺しにするかと思いましたが」
「妖魔を殺すという考えは変わっていない」
「いいえ、変わっていますよ。妖魔たちの邪心に触れて、哀れみ、怒り、救ってやろうなどと! どこまでも、人間はどこまでも、傲慢ですね!」

 影はとてつもない怒気を放つが、聖剣の光に阻まれて、それ以上は何もできない。
 理解が及ばず、聖騎士は問う。

「ルミナ様、救うとはいったい?」
「救うのは神の御業、私はただ神の教えを説くだけだ。善も悪も知らぬ幼子に、別の世界から来た招かれざる客人に、それが私の使命ですね。神よ」

 ルミナの穏やかだが覚悟のある言葉に、聖騎士はとめるべきか見守るべきか躊躇したが、すぐに自分はこの場で起きる奇跡を見届けるべきだと確信する。同胞の心使いに感謝し、ルミナは影――ユーグを見る。
 すでに影からは怒気は消え去り、勝敗の見えた遊戯盤を前に不貞腐れたように子供のように佇むのみ。できるのは、せいぜいが皮肉った負け惜しみである。

「いいですよ、今回のゲームはそちらの勝ちです。次は舞台だけでなく、対戦相手をもっとよく見るとしましょう。貴女のような狂人でないことも祈りますよ」

 ルミナはすでにユーグの言葉を聞いていない。
 彼女は聖剣を掲げると、妖魔の王冠を通して、自身の意思を流し込む。

 光が広がっていく、部屋全体を包み込んでユーグの影を吹き飛ばす。
 光の波はそれで終わらず、労働に従事する妖魔の群れ、けなす人々、それらを超えて、国境に向かって防衛網を構築する軍勢、たいして侵略しようと進む軍、それからもっと先の国や大陸まで呑み込んでいく。

 それはほんの一瞬であったが、確かに世界は光に飲み込まれた。

「ルミナ、さま?」

 聖騎士が目をあけた時、そこに何もない。
 神官戦士ルミナはどこにもおらず、彼女の被っていた妖魔の兜も聖剣も消え去っている。しかし聖騎士には、制御から離れた妖魔が暴れ出すのではという思いはなかった。
 復興した王都には、やはりというか茫然自失とした人々と妖魔の姿がある。
 そして、いち早く正気を取り戻した妖魔――ゴブリンの一匹が天を仰いで叫んだ。

「ふざけるな! なんだ、この気持ち、なんて苦しい、なんて残酷なんだ。俺たちが今前やってきたことが、俺たちがなしたことが、こんなにも辛いなんて!」

 オークの戦士も苦々しく吠えた。

「俺たちが軽々と捨てた命が、敵の命、味方の命、自分自身の命が、こんなにも重く感じるなど、こんなにも、俺たちの血塗られた戦史が冒涜されるとは! それを心地いいと感じるなんて、どこまで馬鹿にすれば……」

 どれだけ辛い戦いでも、敗者の屈辱を受けても涙1つ流さなかったオークの目から、ボロボロと涙が零れ落ちる。
 もはや、彼らは自分たちの邪悪さを誇れない。
 他人の皮を剥いで笑うことも、好奇心のままに肉を解体することも、自分の命を投げ捨てるような無謀な戦いも、ただ殺し、殺されるだけの無意味な闘争も、独善的な天使に命の価値を示されたから。
 今まで罪を積みとも思わなかった罪業が重くのしかかりながらも、それを悲観して自殺することも許されぬ厳格さに、妖魔たちは叶うならば植え付けられた良心を胸を割いて取り出したいと願った。
 しかし、それは許されない。
 罪を知らずに罪を犯したとしても、はやり犯した罪自体は残るのだ。
 今までは勝者の権利として行われた人間たちからの仕打ちに対しても、罪悪感などは欠片もなかった。しかし、それを植え付けられた。決して借り物ではなく、自分自身の心として、自らの邪心と同等以上の良心の痛みに、これから死ぬまで付き合っていかなければならない。
 悪を知らずに悪を行った無知に対して、これほど強烈な一撃はなかったに違いない。

「ルミナ様……」

 聖騎士は天を仰いだ。
 邪知暴虐の限りを尽くした妖魔たちでさえ、これほどまでに辛いのだ。
 人々の心に、良心に打ち据えられた鞭もまた、同等以上に強烈であったはずである。無論、これですべてが解決したわけではないだろう。彼女の起こした奇跡をもってしても、争いはなくならない。
 あるいは、より激しい争いの種をまいただけになるかもしれない。

「そちらの妖魔の代表者と話がしたい。貴君らが行ってきた王国に対する賠償、それと貴君らの今後処遇について。聖騎士殿も立ち会っていただきたい」
「やれやれ問題ごとを一つ解決して、もっと大きな課題を残すとは、先に逝ったグリンガング師父が羨ましい」
「国境の防衛線は維持しろ、こちらはもとより戦う気はないが、相手の出方はわからん」

 王国軍とドワーフの官吏や騎士たちの声が聞こえ始める。
 解き放たれた悪が今後どうなるのか、どうするのか、知る者はいないが、願う者は少なくない。どうか、少しでも良き方に。



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