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2巻試し読み
2-1
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プロローグ
聖都テナン――。
聖王が統治する聖王国の首都であり、教皇を頂点とする聖神教の聖地。軍事、経済、文化などにおいて、世界の中心地にふさわしい最高水準を誇る都市でもある。
これまで、国家の君主である聖王と宗教的な指導者である教皇が、互いの利益のために結びつき、この地を繁栄させて来た。いまや、世界各地から流れて来る人々や品々により、溢れるばかりの富が聖都を潤している。
だが、人と富の集まるところ、血腥い権力争いは強くなっていく。
貴族や聖職者達は密告、賄賂、暗殺など、政敵を排除するために、ありとあらゆる謀略を張りめぐらせるのに余念がない。時には執拗なまでに媚を売り、必要とあれば昨日まで仲間であった人間すら容赦なく問答無用で裏切る。
そんな陰謀渦巻く聖王国の公爵家筆頭、レイネル・ルト・ハーディア。
鋭い眼光に、黒々とした威厳のある口髭をたくわえた、恰幅のいい壮年の男で、今年で五十歳になる。その彼はいま、豪華な刺繍が施された藍色のローブを身に纏い、どっしりとソファに座って、遠征から帰還した末の息子ルクスから報告を聞いていた。
「ソフィ補佐官や『アラリックの戦徒』など、いささか犠牲は出ましたが……、フェーリアン王国の姫君を籠絡することに成功いたしました」
「そうか、よくやったな」
「いえ、これもすべて、父上の御尽力のおかげです」
目の前の父親と同じ銀髪銀目をした青年は、畏まった直立不動の姿勢で頭を下げた。
葡萄酒を飲みながら、鷹揚に頷くレイネルも、父親というより部下を褒めるような感じである。貴族社会においては、親子の情愛よりも、単純な身分の上下関係が重視されるのは珍しくない。そこには、家族的な温かさは皆無であった。
「それで父上、フェーリアン王国で発見した巨大な地下迷宮のことですが……」
「ああ、辺境の地ならではの発見だったな」
「はい。未だ部下に調査させているのですが……、なかなかに広く。できれば、また、いくらかの兵をお貸しいただきたいと思いまして……」
「迷宮の探索か……。生憎と、北の妖魔達に兵を割かねばならなくてな。あまり数を出せん。その代わりと言ってはなんだが、ちょうど今、当家にうってつけの者が来ている」
息子の言葉を聞き、レイネルは呼び鈴を鳴らす。
すぐに従者が駆けつけて来ると、レイネルは「彼をここに呼べ」と短く命じた。
「父上、適任の者とはいったい?」
「専門家だ。もっとも、私でも扱いに困る人物であるが……」
ルクスは首をかしげた。聖王国の大貴族であるレイネルの権力が及ばない人物とは、いったい、どのような相手であろう。
果たして、その人物はすぐに現れた。
少し長めの黒髪に、穏やかな黒い瞳をした、女性のような面立ち。年齢は二十歳前後だろうか。七天使が描かれている純白の外套を身に纏い、陶器のような白い肌には不釣り合いな、黒光りのする革鎧を着ている。
「か、かれは……」
「紹介しよう。といっても、すでに知っているか? 彼は七勇者の一人、カイル・ランフレアだ」
「ご紹介に与り光栄に存じます。公爵」
そう言うと、カイルは二人に向かって騎士のような礼を取った。
その拍子に、首から下げた聖神教の聖印がふわりと揺れ、その光がルクスの目を射抜く。胸元に回した右手には魔法の指輪がいくつも嵌められており、両耳にも金色の飾りをつけている。
「カイル殿、こちらは……」
ルクスは、その只ならぬ気配に、ゆっくりと一歩後退した。
カイルの腰には、柄頭に白い竜が彫られた長剣と、武骨な小剣を差しており、大貴族の前だというのに、まったく臆した様子もない。
圧倒的な雰囲気に呑まれ、脅えた表情を見せた息子に苦笑しながら、改めて公爵が勇者の方を向いて口を開きかけたその時だった。
「――公爵、失礼!」
いきなり、カイルがルクスに向かって跳躍し、優雅な礼の姿勢から、目にも留まらぬ速さで居合いの体勢へ移っていた。引き抜かれた刀身を避けようと、ルクスは身を仰け反らせたが、すでに遅い。
「カ、カイル殿!!」
客人の突然の暴挙に、泡を喰うレイネル。だが、カイルは躊躇いもなく、ルクスの下腹から首の付け根にかけて逆袈裟に斬って捨てた。
「ぎゃぁああああああ!!!!!!!」
異様な悲鳴を上げて倒れる息子を見て、公爵は激しい非難をカイルに浴びせる。
「こ、この無礼はいったい、どういうことか!? 事と次第によっては、勇者といえども……!」
「公爵、落ち着いてください。コレは、アナタの息子ではありません」
するとなんと、カイルの言葉と同時に、ルクスの体が液状にぐずぐずと溶け始めたではないか。
先ほどまで、レイネルの息子であった存在とは似ても似つかない、人型の見るも悍ましい化け物の姿。目も鼻もない、のっぺりとした顔に、不気味に歪む真っ赤な三日月の口――。
「こ、これはいったい!!」
「ドッペルゲンガー。人間の脳を喰らい、知識と記憶、外見を己のモノとする。邪悪な魔術で生み出された魔法生物……。特別な力を持つ者か、見破りの魔法が掛けられた指輪を持たねば、正体を見破ることはできません」
そう言って、勇者は蛋白石が嵌められた指輪を撫でる。おそらく、その指輪に特殊な力が秘められているのだろう。
「な、ならば息子は……」
勇者は動揺する公爵に告げる。
「公爵……、残念ですが、ご子息と騎士団はすでに……」
「や、やったのは、フェーリアン王国の姫か?」
「そこまでは……、ですが、ドッペルゲンガーなど使うあたり、優れた魔法の使い手が関与しているのは、間違いないでしょう」
その話を聞き、公爵は滅ぼした魔法帝国を思い出す。
「聖王陛下に進言し、フェーリアン王国に軍を出すよう要請した方が良いのでは?」
「そ、それは……」
ルクスに預けた兵を失い、何も得られていないとなれば、貴族間での評判は大きく下がるだろう。それは、公爵にとっては好ましいことではなかった。
口ごもる公爵を見て、カイルはふっと溜め息をつくと、提案をする。
「公爵、貴方には恩義がある。前の裁判で、俺の仲間に有利な発言をしていただいた。その借りを返す意味で、助力しましょう」
勇者は淡々と告げる。
少し前、カイルの仲間達は、酒場で乱闘騒ぎを起こしてしまった。
その時、仲間の一人が仲裁に駆けつけた聖騎士を殴り倒してしまったのである。酔っていたとはいえ、聖王国で聖騎士に手を上げた者は極刑に処される。勇者の仲間であっても、それは変わらない。
だが、そのことを知ったレイネル公爵は罪を軽減するように助け舟を出した。
巨大な権力を持つ公爵が介入したことにより、カイルの仲間達は謹慎程度の罰で済んだのである。
無論、レイネル公爵は親切で助けたわけではない。
聖王と関わりを持たない七勇者の一人と繋がりを得ることで、何かしらの恩恵、場合によっては、聖王に対する牽制にもなるかもしれないと考えて、彼の仲間を助けたのである。
その借りをさっそく返そうとするカイルに、いささか戸惑いながらも、元々、地下迷宮に行ってもらう予定だったと自分を納得させて、公爵は首を縦に振る。
「何か情報は?」
「地下迷宮……、こやつは、地下迷宮に向かわせる兵を出してほしいと言っていた」
「なるほど、では……」
勇者はドッペルゲンガーの死体を睨みつける。
「すぐにでも、その地下迷宮に向かいましょう。もっと詳しいお話をお聞きしても?」
「いやしかし、カイル殿のお仲間はまだ謹慎中では? まさか、たった一人で向かう気で?」
「ええ、俺一人で片付けられたらと思っています。それに、今は少し彼女達と距離を置きたいので」
はにかんで、困ったように笑う顔は、どこにでもいる青年のものであった。酒場で騒ぎになったいきさつは、勇者カイルを巡る色恋沙汰にあるという。
(誰が勇者の心を射止めるか……、勇者も大変だな)
カイルを除き、パーティの他のメンバーは全員女だったという話を思い出しながら、公爵はカイルの実力を信じて、地下迷宮の探索を任せることにした。同時に、フェーリアン王国に対して、別の手を打つことにする。
(地下迷宮はカイル殿に任せるとして、フェーリアン王国の支配には、ロナン王国を……、いや、ベティア帝国を使うか……。二千の兵を退けたのだ。生半可な戦力を送るわけにもいかん)
予定より多くの出費だと、公爵は顔を顰める。
それから公爵は、ルクスから受けた地下迷宮に関するすべての情報を、勇者に話し始めた。
そんな、公爵と勇者の会話を、隣室に通じる扉の外で盗み聞いている者がいた。
公爵の館には幾重もの魔法、あるいは奇跡による結界が張られていたが、侵入者にとって、それらの仕掛けを掻い潜ることは造作もないことだった。
彼らの会話を聞き終えると、勇者と公爵が部屋を去ったのを見計らい、侵入者は公爵の部屋に侵入する。
「にゃーるほど、地下迷宮に挑むのは勇者カイルさんっすか。けど、彼らの相手には力不足スよねぇ」
まだ少女と言っていい幼い声だが、どこか老獪さを感じさせる。
彼女は楽しそうに、飛び撥ねた頭部の髪を揺らしながら、どちらが勝つのかと予想した。
「う~ん、パワーバランス的には、やっぱ、あたしはカイルさんに付いた方が良いすかねぇ」
賭け事を愉しむように、そう呟くと、調度品のひとつを失敬する。
「魔法帝国製の黄金杯。こりゃ、依頼料代わりに貰っておきますね」
誰もいなくなった部屋でそう呟いて、盗んだ黄金杯の代わりに、彼女は羊皮紙を置いて立ち去った。
―― モニカ ――
羊皮紙には、ただそれだけ書かれていた。
その名を知る者は誰もいない。
今はまだ。
第一章 地下迷宮の支配者とゴブリン強化計画
邪悪にして悪辣なる地下迷宮の第七階層、「王の間」にて。
溜め息が出るほどの美貌を持つ美少女ハルヴァーは黒い髪を弄りながら、水晶球に映し出される冒険者達の様子を見ていた。
冒険者達は、いずれも彼女好みの欲望を胸に秘め、地下迷宮の探索に挑んでいた。今のところ、彼らの活動範囲は地下一階と地下二階であり、稀に地下三階まで下りて来る者もいる。
「まだまだ弱いよね。シアちゃん?」
ハルヴァーは、すぐ後ろにいる少女に問いかけた。
すると、どんよりとした目の少女シアは音もなく首を縦に振り、短く答える。
「はい、その通りです」
「冒険者達がもっと強くなるか、前みたいに大勢で攻め込んで来るまで、待たなきゃダメだよね~」
ハルヴァーはそう言って、邪悪な笑みを浮かべる。
彼女を含め、地下迷宮の支配者達は強大な力を持っている。
それは単騎で軍勢を押し返すほどの力量であり、ハルヴァー本人の言葉を信じるならば、国を滅ぼすことも容易だと言う。
だが、その力を振るう機会は滅多にない。
少なくとも、シアの知る限り、ハルヴァーがまともに戦ったのは、このひと月で一回だけである。
その理由について、地下迷宮の支配者達は「失う魔力の量が多いから」と答えている。
アルアークやハルヴァーが戦うとなれば、地下迷宮を支えている魔力を大量に費やしてしまう。それは、彼ら支配者にとって好ましい事態ではない。魔力を著しく消費すれば、地下迷宮そのものが消滅してしまうかもしれないのである。
無論、以前のように人間が大挙して押し寄せて来るのなら、話は別である。
なぜなら、失った魔力を再び手に入れることができる方法のひとつが、地下迷宮内で死んだ人間の魂を捕らえることだからである。人間の魂は、アルアークやハルヴァーにとって、重宝なものだ。魂を魔力に変換することができるうえ、金銀財宝に換えたり、天使や悪魔との取引に使ったりもできる。
よって、ハルヴァーが思う存分に暴れたとしても、採算が取れる見込みはある。一騎当千の強者か、あるいは軍勢が相手である必要があるが。
だが、そんな機会はそうそうあるものではない。
日頃、ハルヴァーが手がける主な仕事は、地下迷宮に仕掛けられた罠や魔物達の管理である。
この地下迷宮では、冒険者をおびき寄せるための餌として、随所に財宝が埋蔵されているのだ。財宝を目当てにやって来た冒険者を始末するのは、魔物達の仕事である。
必要に応じて罠を補修し、魔物達を管理調整する、そうした諸々を常に万全の状態に整えておくのは、常人には耐えられないほど緻密で、果てのない作業である。
だがアルアークとハルヴァーの兄妹二人は、自らその作業に手を下し、難なくこなしていた。最近では余裕さえ出て来たのか、二人で交互に作業を行うことも珍しくない。
今この時も、ハルヴァーは余裕綽々で、水晶球に目を据えたまま、傍らの少女とお喋りをしている。
「そう言えばシアちゃん、こないだ図書館に行ったみたいだけど、何か本を借りたの?」
「はい、『ゲルペシュの囁き』全六巻と『赤竜異本』『黒き鳩の書』『失われた時代』です」
「なるほどね。あ、『ゲルペシュの囁き』を読む時には気をつけた方が良いよ。幸福な幻影を見せて、本の中に閉じ込めようとするからね」
「はい、気をつけます。ですが、今が一番幸せですから、偽りの幸福などに惑わされません」
泥水のように濁った金色の瞳を輝かせながら、シアは少し力強い声で呟く。
ハルヴァーは満足そうに頷き、シアと出会った当時の追想にしばし耽った。
邪悪にして悪辣なる地下迷宮が創造される以前──。
儀式に最も適した場所を探すために、フェーリアン王国に入ってすぐのことであった。
無謀にも山賊達がアルアークとハルヴァーに襲い掛かって来たのである。その時は、まだ人間であったとはいえ、いや、人間だからこそ制限なく力を振るえた彼らは、あっという間に敵を血祭りに上げ、山賊の根城に案内させた。
その後、命乞いをする山賊達を殺したのだが、二人は奇妙なモノを見つけた。
それが人間であるとは、当初は気が付かなかった。
人の原形を留めぬほど、いくつもの部分が欠損した少女。普通の人間ならば死んでいるはずの状態でありながら、彼女は生きていた。
いや、死ねなかったのである。
その少女は、魔法や奇跡とはまた異なる異能の力を有していた。そうした人間が、ごく稀に生まれるのだ。
聖神教会は彼らを変異者と呼び、見つけ次第、火炙りにするようにと触れ回っていた。
彼らの異能は、魔法や奇跡のように体系化できるものではなかった。ある者は炎や風を操り、またある者は、体の一部を石や液体に変質させた。フェーリアン王国の姫フランディアルのように、精神を操る瞳を有する者もいたし、その他、力の種類は千差万別ある。
彼女もそんな直接目に見えない力をもって生まれた人間であった。
その力とは、何をされても死なない「不死」の力。
厳密を期すなら、禁呪に代表される高位の魔法や奇跡で魂ごと痕跡を消し去ってしまえば、殺すことは可能である。だが、そこまで徹底的に破壊しない限り、死なない。
どれだけ血を流しても、心臓を抉り出しても、どれだけ年を取っても、死ぬことなく生き続ける。
この異能は、少女にとっては祝福ではなく呪いの類であった。
我が子の異常に気付いた両親は恐れをなし、人買いに売り払った。そして少女は山賊達の慰み者として、十年以上生き続けた。
面白半分に目や腕を潰され、犯され、体を切り裂かれた。
死なない体であっても、痛みは感じる。
何度も助けを呼んだが、その叫び声は、すべて闇の中に消えた。少女がとうとう精神に異常をきたした後も、山賊達は何年も彼女を使い続けた。そして、使えなくなった後はゴミのように捨てた。
だが、ゴミ溜の中でも少女は生き続けた。
傷口に蠅がたかり、蛆が生じても、体が凍りつくほどの寒さにさらされても、死にそうなほどに飢えて、喉が渇いても、死ねなかった。
そんな少女を、図らずも見つけてしまったのがアルアークとハルヴァーである。
二人は過去を見る魔法を使い、その悲惨な事情を大まかに知った。
禁呪を使用すれば、少女を不死の苦しみから救うために殺してやることもできたが、あえてそれはせず、少女を助ける秘術を試すことにした。
「――召喚、死山を築く無邪気にして歪みし大悪魔」
「ギギギギ、ギアァアアア!! この俺様を呼び出したのはいったいどこのどいつだぁあああ!! 俺様を至高階級悪魔と知っての無礼かぁ? はらわた引きずり出して、貪り食って……」
巨大な悪魔は怒り狂っていたが、召喚者の正体を知ると狼狽した。
「……」
「やあ」
「ギゲェ!? あ、アルアーク様ぁ、ハルヴァー様ぁ!!」
悪魔は奇怪な叫びを上げると、蒼い瞳に冷たい色を浮かべている召喚者と軽く手を振る美少女の名を呼んだ。
不遜にも召喚魔法で呼び出されたと怒っていた時の勢いはどこかに吹き飛んだらしく、可能な限り頭を低く下げて、服従の姿勢を取る。
「い、いやぁああ、本日はお日柄もよく。お二方におかれましては、ご壮健そうで何よりです。オレ様……、もとい、わたくし如き下賤の輩を呼び出していただけるとは光栄の極み。たとえ我が身が滅びるようなご命令であっても、喜んで従わせていただきます」
お世辞たらたらの奇妙な敬語で語りかける悪魔を前にして、アルアークとハルヴァーは顔を見合わせると――。
「それは良かった」
「うんうん、同意してくれる悪魔が出るまで何体でも呼び出そうと思っていたけど、一体目で上手くいくとは、さすが兄様、運がいいね!」
「?」
そう言いながら優しく笑う二人の姿を見つつ、悪魔は心中で首をかしげる。
滅多に使わない敬語などを使ったので、自分が何を言ったのかよく覚えていなかったが、実は何やらとんでもないことを口走ったのではないか。などと焦っていると、召喚者が冷たい声で命じた。
「今より、この娘を助ける」
「ギギギギ、回復魔法ですね? 任せてください。こう見えても、人間の一人くらい、死体からでも再生させることができるですよ。けど、見たところまだ生きている感じですから、もっと簡単な作業ですかね」
だが――。
「いや、違う」
「うん、違うよ。キミは何もしなくていいんだ。ただ、この地上に存在しているだけでいい」
「へ?」
不思議そうに首をかしげる悪魔を無視して、アルアークとハルヴァーは魔法を唱える。
「――付与、永続融合」
「――創造、新たな体」
「げ、げぇええ!!」
悪魔は絶望的な悲鳴を上げた。
唱えられた呪文を聞けば、どんな魔法が発動されるかわかるのだ。
その魔法とは、錬金魔術師が魔獣や魔法生物を作るように、悪魔である自分と死にぞこないの少女を合成させる魔法である。
もしも二人の魔術師のうちどちらかが魔力の調整を誤れば、悪魔は完全に消滅する。仮に成功しても、悪魔の力の多くは少女に奪われてしまう。
「ギィース!」
なんで自分がこんな目に、と涙目になりながら、人間を見下ろせるほど巨大であった悪魔が、猫程度にまで小さく縮んでしまった。
かたや、少女は人の形を取り戻し、理性も取り戻す。
「……ぁ」
生まれたままの姿の少女に、アルアークは自分の白い外套をかけてやり、問いかけた。
「気分はどうだ?」
少女は金色の目を眩しそうに細め、答えを返した。
「死にたい」
少女のどんよりとした暗い瞳を覗きこみながら、兄妹は軽く微笑む。
「そう言えるのならば、大丈夫だ」
「だね。兄様!」
真に死を望む人間は、死にたいなどと、いちいち口にしない。
アルアークは冷たい笑みを、ハルヴァーは意地悪そうな笑みを浮かべて、少女に言った。
「死を望むには、お前はまだ若い。この世界には、生きるに値する愉しみが無数に存在する」
「そうそう、この世の娯楽を堪能してからでないと、死ぬに死ねないよ?」
「愉しいことなんて……ない」
黒い髪を揺らしながら、少女は目を伏せて呟いた。
「そうかな?」
「そんなことないよ」
そして二人は再び魔法を唱え、あるものを呼び出した。
アルアークが呼び出したのは、手のひらに収まるサイズの小さな白い壺であり、蜘蛛と蜂が交ざった奇怪な生き物の絵が描かれている。
ハルヴァーが呼び出したのは、少女の身の丈に合う黒いワンピースである。滑らかな手触りの生地に細やかな刺繍が施されている最高級品である。
アルアークは、少女に壺を手渡した。
「中に入っているのは『ジャーミエンの蜜』と呼ばれる嗜好品だ」
「……」
少女は無言のままだ。深く蒼い瞳に覇気がない。
「お前にやろう。食べてみるといい」
「……いらない」
「そうかな? まあ、いい。好きな時に食べれば良い」
アルアークはそう言って、妹のハルヴァーと代わった。
ハルヴァーは、人形のように体を固めて動かない少女に、手早く着付けをした。少女は体のすべてを預けてしまう心地よさに浸っているうちに、あっという間にワンピースを着せられてしまった。
「ほら見て、可愛いね?」
ハルヴァーはニコニコ笑いながら、いつの間に呼び出したのか、鏡に少女の姿を映して見せた。
そこには、人形のように可愛らしい少女がいた。目は虚ろでどんよりしているが、気怠げで奇妙な魅力に満ちている。顔には、あざなどひとつもない。白い肌は新雪のようである。手足もきちんとある。
少女は、自分が今、目も見えるし言葉も喋れるということに気付いた。自分の意思で考え、その気になれば、動くこともできると知った。生きているのだ、と実感した瞬間、猛烈に喉が渇き、お腹が空いた。
そこで、手にしていた小さな壺を開け、中を見た。
中には、赤紫色のドロリとした液体が入っており、食欲をそそる甘い香りがする。我慢できずに、口に含むと、
「……」
言葉にならない美味しさに、自然と目から涙が溢れて来る。
もう無我夢中で、小さな壺の中にあるモノをすべて飲み尽くした。
すると急に睡魔が襲って来て、そのまま、眠ってしまった。
少女は生まれて初めて、安らかに眠った。
一方、アルアークとハルヴァーは、魔法で小屋をこしらえ、少女を中に運びこんだ。少女の手足がきちんと動くか、内臓の具合はどうかなど、精密検査をするためだった。
その後もアルアークとハルヴァーは魔法を駆使し、王侯貴族のような贅を尽くした暮らしを少女に味わわせた。
そして一週間後、改めて少女に訊ねたのである。
「本当に死にたいのか?」
「殺しちゃっていいの?」
望みとあらば叶えよう、と冷酷に言い放つ彼らに、少女は涙ながらに首を振った。
「死にたくない。でも、前のようになりたくもない」
そう聞いて、彼らは満足したように笑い、こう約束した。
「復讐の誓いにかけて、お前に力と知識を蓄える機会を授けよう。力があれば、お前は前のようにみじめな思いをすることはない。知識があれば、幸せになる方法がわかるだろう」
「それまでは、私達の手伝いをしてもらおうかな? 見返りは十分に用意するよ。それに、いつまでも拘束する気はないから安心してよ。力と知識をたっぷり蓄えられたと思ったら、あるいは私達が嫌になったら、いつ出て行ってもいい」
アルアークとハルヴァーに残っていた僅かな人間性が、シアに対する同情心を生み出したのかもしれない。それは少女にとって、人生で最大の幸運を掴んだ瞬間と言えた。
「手伝い? 出て行く? どこかに行って……何かするんですか?」
真剣な表情で問いかける少女に、アルアークとハルヴァーはどう説明したものかと顔を見合わせていたが、そういえば、今更だが少女の名を知らないことに考えが及んだ。
「改めて自己紹介をしておこう。私の名はアルアークだ」
「私はアルアーク兄様の妹、ハルヴァー。さて、キミの名前は?」
名前。
それを聞かれて、少女は濁った金色の目から涙を流して答えた。
「……シア。私の名前は、シアです」
自分は名前を持った人間だった。
忘れかけていた人間らしい感情を思い出しながら、シアは、命の恩人である二人に付き従うことを決意したのである。
「ギィース、オレ様の名前はギールイル・ギールガシア・ギーストリアだぜ!」
ついでに、シアの体の一部となった悪魔も名乗りをあげた。かつての巨体が、今は不細工な猫に翼を生やしたような姿となっているから、もはや小悪魔としか言えないが。
(長いから「ギー」と呼ぶことにしよう)
悪魔の自己紹介を聞き、少女は心の中でそう決めた。
* * *
魔法帝国の皇族である二人の兄妹、アルアークとハルヴァーは、祖国を滅ぼした国々に復讐するため、人間の魂を喰らって魔法の力に換える迷宮を創造した。
その名は、邪悪にして悪辣なる地下迷宮。
一階層ごとに大都市を超える広さを持っており、千の罠と万の魔物が潜む恐ろしい場所であると同時に、そこには巨万の富が眠っている。そのため、一攫千金を狙う冒険者が日々、この巨大な地下迷宮に挑んで来る。
運よく財宝を発見して莫大な富を手にした者もいれば、恐ろしい罠や化け物の餌食になった者もいる。
また、これは外には知られていないことではあるが、地下迷宮には今、アルアークやハルヴァーに忠誠を誓った元冒険者や、聖神教の信徒から迫害を受けた者、地下迷宮の邪悪な気配に寄与させられた妖魔など、様々な者が集まり始めている。
妖魔のなかでも先兵となっているのは、薄緑色の肌に皺の多い醜い顔をした小柄な妖魔――ゴブリン達である。
そしてゴブリン達を率いるのは、プルックと呼ばれるゴブリンの一人だ。
彼は、かつて地下迷宮に攻め込んで来た聖王国の兵士達を迎え撃つ際に、さほど役に立てなかったことを恥じ、終末の騎士テェルキスと、聖王国に仕えていたソフィに戦い方の教えを乞うた。
個々の戦い方ではない。
集団――、組織としての戦い方である。
元々、ゴブリンの強さはたいしたものではなかった。強者に媚びへつらい、弱者に厳しく当たるという、決して褒められたものではない性格の者が多いゆえ、多くの点で人間よりも劣っている。
稀にプルックのように、優秀な者も現れるが、その数は多くはない。
そんなわけで、テェルキスとソフィはゴブリン達を鍛えるにあたり、いくつかの部隊に分けることから着手した。
まずは、ゴブリン二十体でひとつの小隊を作った。
その小隊を五個束ねると、中隊になる。
さらに、中隊が五個で大隊となる。
各隊に隊長をつけて、その長に従わせるという単純な図式である。
人間の世界では昔から当たり前のように行われていることであったが、森や山で暮らし、文明社会とは無縁のゴブリン達には、初めての経験であった。
しかし、それが功を奏し、今まで曖昧であった階級という概念が定着していく。
その後、各隊の特性ごとに兵種の分類がなされるようになった。
食糧や武器の補給など、後方支援を行う輜重兵をはじめとして、剣と盾と革鎧で武装した戦士隊、鋭い槍で武装した長槍隊、狩人のような身軽な装備の偵察隊、主力戦力となる大剣を持ち全身鎧を着た重装隊の歩兵部隊が編成された。
そして次に、テェルキスとソフィは、騎兵部隊の編成に取りかかることにした。
* * *
地下迷宮が創造されてから、すでに一ヵ月以上が経過した。
フェーリアン王国を中心に、地下迷宮の噂は確実に広まっている。
冒険者達の数が増え、彼らを相手にする商人が集まり、さびれた小国にも金が回り始めた。
フェーリアン王国の姫は、この流れを止めないようにするため、冒険者達が地下迷宮内で手に入れた財宝に税をかけないことを約束した。さらには、冒険者相手の商人に優遇措置を敷くと宣言する。
奇妙なことに、フェーリアン王国の貴族達も姫の政策に一切口を挟もうとしなかった。それどころか、私財を投じて、姫の政策を後押ししたのである。貴族達はすべてドッペルゲンガーに入れ替わっているのである。
結果として、フェーリアン王国はゆっくりとだが、繁栄の道を進んでいる。
その立役者である姫の名をフランディアルという。
十四歳とは思えない成熟した体の持ち主であり、赤い髪、そして赤茶の瞳には魅了の力があると噂されている。
妖精姫ともあだ名される姫は今、地下迷宮の最下層にいた。
この階層は、まるで巨大な美術館のようである。
壁や床に白い大理石が敷き詰められており、見るだけで溜め息が出そうな輝きを放っている。
広間に置かれた美術品の数々は、どれも目を引く品々ばかりである。例えば、漆黒に輝く三つの首を持つ竜のガラス細工、生きているかのように生々しい雄山羊の黄金像、千個以上の色とりどりの宝石で装飾された宝箱。
壁に飾られた絵画の数々も、威厳ある魔法使い達の肖像画をはじめとして、どれもこれも、いつまで見ていても飽きが来ない。
地下迷宮の最下層は円形構造になっており、部屋数はちょうど百である。
アルアークの寵愛を受ける女性達のために造られた部屋部屋なのだが、今のところ、埋まっているのは、フェーリアン王国の姫フランディアルのための「妖精姫の部屋」だけである。
室内には、広間に勝るとも劣らない豪華な調度品が設えられている。たった一人の女性のためだけに用意された特別な部屋でもあった。
その豪華絢爛たる室内で、美しい姫フランディアルと地下迷宮の支配者アルアークが長椅子に腰掛け、ゲームに興じていた。
駒を交互に動かして勝敗を競うゲームで、二人が出会った日の思い出の遊戯でもある。
「こうして、遊戯盤で遊ぶのは、七年前に行われた大陸和平会議の時以来でしょうか?」
姫は、騎士の駒を動かしながら尋ねた。
「そうだな」
アルアークは黄金色の髪を揺らしながら、氷のように冷たい声で答えた。
深い海のように蒼の瞳、男でも見惚れるほどの美丈夫が、竜の駒を動かす。
「あの会議の時、私達はまだ子供だった」
大陸和平会議は七年前に行われた。
魔法帝国と聖王国は主義主張の違いにより険悪な仲であったが、話し合いでケリがつくならばと、大陸にある国々から有力者を集めて、話し合いの場が持たれたのだ。
魔法帝国の皇帝は率先して会議への出席を表明し、皇帝の子であるアルアークとハルヴァーも将来の顔つなぎに、と連れていかれた。
大陸和平会議は二ヵ月以上に亘って続いた。
主たる議事内容は、各国内に住む妖魔・蛮族の処し方に関する方針であった。
聖王国の北側には、強大な力を持つダークエルフの部族連合が存在しており、そのため聖王国は、妖魔を殲滅すべしと強硬に主張。
魔法帝国は、その案に異を唱え、彼らと手を組むべきだとの立場を取った。
結局のところ、話し合いは平行線のまま終わったが、全体の流れとしては、聖王国側の意見が主流となり、魔法帝国は孤立する形となってしまった。
その一年後、妖魔・蛮族との共存共栄を主張した魔法帝国は、各国から袋叩きにされることになる。
だが、その大陸和平会議がなければ、アルアークとフランディアルが出会うこともなかったし、互いに目的の差はあれこうして共闘することもなかっただろう。
フランディアルはアルアークと初対面したあの会議の場で、なぜか気が合うのを感じ、妹のハルヴァーも交えてゲームなどをしながら、互いの国の友誼を誓い合ったのである。
「我が国を……、私を頼っていただき嬉しかったです」
「私もだ。互いに力になれたのなら嬉しい」
それを聞いて、フランディアルは花が咲くように笑い、魔法使いを模した駒を動かして言った。
「これで十六手以内に、私の勝ちですね」
アルアークは冷たい瞳で盤面を見る。フランディアルの言う通り、逆転の手は残されていない。投了宣言するしかない。
聖都テナン――。
聖王が統治する聖王国の首都であり、教皇を頂点とする聖神教の聖地。軍事、経済、文化などにおいて、世界の中心地にふさわしい最高水準を誇る都市でもある。
これまで、国家の君主である聖王と宗教的な指導者である教皇が、互いの利益のために結びつき、この地を繁栄させて来た。いまや、世界各地から流れて来る人々や品々により、溢れるばかりの富が聖都を潤している。
だが、人と富の集まるところ、血腥い権力争いは強くなっていく。
貴族や聖職者達は密告、賄賂、暗殺など、政敵を排除するために、ありとあらゆる謀略を張りめぐらせるのに余念がない。時には執拗なまでに媚を売り、必要とあれば昨日まで仲間であった人間すら容赦なく問答無用で裏切る。
そんな陰謀渦巻く聖王国の公爵家筆頭、レイネル・ルト・ハーディア。
鋭い眼光に、黒々とした威厳のある口髭をたくわえた、恰幅のいい壮年の男で、今年で五十歳になる。その彼はいま、豪華な刺繍が施された藍色のローブを身に纏い、どっしりとソファに座って、遠征から帰還した末の息子ルクスから報告を聞いていた。
「ソフィ補佐官や『アラリックの戦徒』など、いささか犠牲は出ましたが……、フェーリアン王国の姫君を籠絡することに成功いたしました」
「そうか、よくやったな」
「いえ、これもすべて、父上の御尽力のおかげです」
目の前の父親と同じ銀髪銀目をした青年は、畏まった直立不動の姿勢で頭を下げた。
葡萄酒を飲みながら、鷹揚に頷くレイネルも、父親というより部下を褒めるような感じである。貴族社会においては、親子の情愛よりも、単純な身分の上下関係が重視されるのは珍しくない。そこには、家族的な温かさは皆無であった。
「それで父上、フェーリアン王国で発見した巨大な地下迷宮のことですが……」
「ああ、辺境の地ならではの発見だったな」
「はい。未だ部下に調査させているのですが……、なかなかに広く。できれば、また、いくらかの兵をお貸しいただきたいと思いまして……」
「迷宮の探索か……。生憎と、北の妖魔達に兵を割かねばならなくてな。あまり数を出せん。その代わりと言ってはなんだが、ちょうど今、当家にうってつけの者が来ている」
息子の言葉を聞き、レイネルは呼び鈴を鳴らす。
すぐに従者が駆けつけて来ると、レイネルは「彼をここに呼べ」と短く命じた。
「父上、適任の者とはいったい?」
「専門家だ。もっとも、私でも扱いに困る人物であるが……」
ルクスは首をかしげた。聖王国の大貴族であるレイネルの権力が及ばない人物とは、いったい、どのような相手であろう。
果たして、その人物はすぐに現れた。
少し長めの黒髪に、穏やかな黒い瞳をした、女性のような面立ち。年齢は二十歳前後だろうか。七天使が描かれている純白の外套を身に纏い、陶器のような白い肌には不釣り合いな、黒光りのする革鎧を着ている。
「か、かれは……」
「紹介しよう。といっても、すでに知っているか? 彼は七勇者の一人、カイル・ランフレアだ」
「ご紹介に与り光栄に存じます。公爵」
そう言うと、カイルは二人に向かって騎士のような礼を取った。
その拍子に、首から下げた聖神教の聖印がふわりと揺れ、その光がルクスの目を射抜く。胸元に回した右手には魔法の指輪がいくつも嵌められており、両耳にも金色の飾りをつけている。
「カイル殿、こちらは……」
ルクスは、その只ならぬ気配に、ゆっくりと一歩後退した。
カイルの腰には、柄頭に白い竜が彫られた長剣と、武骨な小剣を差しており、大貴族の前だというのに、まったく臆した様子もない。
圧倒的な雰囲気に呑まれ、脅えた表情を見せた息子に苦笑しながら、改めて公爵が勇者の方を向いて口を開きかけたその時だった。
「――公爵、失礼!」
いきなり、カイルがルクスに向かって跳躍し、優雅な礼の姿勢から、目にも留まらぬ速さで居合いの体勢へ移っていた。引き抜かれた刀身を避けようと、ルクスは身を仰け反らせたが、すでに遅い。
「カ、カイル殿!!」
客人の突然の暴挙に、泡を喰うレイネル。だが、カイルは躊躇いもなく、ルクスの下腹から首の付け根にかけて逆袈裟に斬って捨てた。
「ぎゃぁああああああ!!!!!!!」
異様な悲鳴を上げて倒れる息子を見て、公爵は激しい非難をカイルに浴びせる。
「こ、この無礼はいったい、どういうことか!? 事と次第によっては、勇者といえども……!」
「公爵、落ち着いてください。コレは、アナタの息子ではありません」
するとなんと、カイルの言葉と同時に、ルクスの体が液状にぐずぐずと溶け始めたではないか。
先ほどまで、レイネルの息子であった存在とは似ても似つかない、人型の見るも悍ましい化け物の姿。目も鼻もない、のっぺりとした顔に、不気味に歪む真っ赤な三日月の口――。
「こ、これはいったい!!」
「ドッペルゲンガー。人間の脳を喰らい、知識と記憶、外見を己のモノとする。邪悪な魔術で生み出された魔法生物……。特別な力を持つ者か、見破りの魔法が掛けられた指輪を持たねば、正体を見破ることはできません」
そう言って、勇者は蛋白石が嵌められた指輪を撫でる。おそらく、その指輪に特殊な力が秘められているのだろう。
「な、ならば息子は……」
勇者は動揺する公爵に告げる。
「公爵……、残念ですが、ご子息と騎士団はすでに……」
「や、やったのは、フェーリアン王国の姫か?」
「そこまでは……、ですが、ドッペルゲンガーなど使うあたり、優れた魔法の使い手が関与しているのは、間違いないでしょう」
その話を聞き、公爵は滅ぼした魔法帝国を思い出す。
「聖王陛下に進言し、フェーリアン王国に軍を出すよう要請した方が良いのでは?」
「そ、それは……」
ルクスに預けた兵を失い、何も得られていないとなれば、貴族間での評判は大きく下がるだろう。それは、公爵にとっては好ましいことではなかった。
口ごもる公爵を見て、カイルはふっと溜め息をつくと、提案をする。
「公爵、貴方には恩義がある。前の裁判で、俺の仲間に有利な発言をしていただいた。その借りを返す意味で、助力しましょう」
勇者は淡々と告げる。
少し前、カイルの仲間達は、酒場で乱闘騒ぎを起こしてしまった。
その時、仲間の一人が仲裁に駆けつけた聖騎士を殴り倒してしまったのである。酔っていたとはいえ、聖王国で聖騎士に手を上げた者は極刑に処される。勇者の仲間であっても、それは変わらない。
だが、そのことを知ったレイネル公爵は罪を軽減するように助け舟を出した。
巨大な権力を持つ公爵が介入したことにより、カイルの仲間達は謹慎程度の罰で済んだのである。
無論、レイネル公爵は親切で助けたわけではない。
聖王と関わりを持たない七勇者の一人と繋がりを得ることで、何かしらの恩恵、場合によっては、聖王に対する牽制にもなるかもしれないと考えて、彼の仲間を助けたのである。
その借りをさっそく返そうとするカイルに、いささか戸惑いながらも、元々、地下迷宮に行ってもらう予定だったと自分を納得させて、公爵は首を縦に振る。
「何か情報は?」
「地下迷宮……、こやつは、地下迷宮に向かわせる兵を出してほしいと言っていた」
「なるほど、では……」
勇者はドッペルゲンガーの死体を睨みつける。
「すぐにでも、その地下迷宮に向かいましょう。もっと詳しいお話をお聞きしても?」
「いやしかし、カイル殿のお仲間はまだ謹慎中では? まさか、たった一人で向かう気で?」
「ええ、俺一人で片付けられたらと思っています。それに、今は少し彼女達と距離を置きたいので」
はにかんで、困ったように笑う顔は、どこにでもいる青年のものであった。酒場で騒ぎになったいきさつは、勇者カイルを巡る色恋沙汰にあるという。
(誰が勇者の心を射止めるか……、勇者も大変だな)
カイルを除き、パーティの他のメンバーは全員女だったという話を思い出しながら、公爵はカイルの実力を信じて、地下迷宮の探索を任せることにした。同時に、フェーリアン王国に対して、別の手を打つことにする。
(地下迷宮はカイル殿に任せるとして、フェーリアン王国の支配には、ロナン王国を……、いや、ベティア帝国を使うか……。二千の兵を退けたのだ。生半可な戦力を送るわけにもいかん)
予定より多くの出費だと、公爵は顔を顰める。
それから公爵は、ルクスから受けた地下迷宮に関するすべての情報を、勇者に話し始めた。
そんな、公爵と勇者の会話を、隣室に通じる扉の外で盗み聞いている者がいた。
公爵の館には幾重もの魔法、あるいは奇跡による結界が張られていたが、侵入者にとって、それらの仕掛けを掻い潜ることは造作もないことだった。
彼らの会話を聞き終えると、勇者と公爵が部屋を去ったのを見計らい、侵入者は公爵の部屋に侵入する。
「にゃーるほど、地下迷宮に挑むのは勇者カイルさんっすか。けど、彼らの相手には力不足スよねぇ」
まだ少女と言っていい幼い声だが、どこか老獪さを感じさせる。
彼女は楽しそうに、飛び撥ねた頭部の髪を揺らしながら、どちらが勝つのかと予想した。
「う~ん、パワーバランス的には、やっぱ、あたしはカイルさんに付いた方が良いすかねぇ」
賭け事を愉しむように、そう呟くと、調度品のひとつを失敬する。
「魔法帝国製の黄金杯。こりゃ、依頼料代わりに貰っておきますね」
誰もいなくなった部屋でそう呟いて、盗んだ黄金杯の代わりに、彼女は羊皮紙を置いて立ち去った。
―― モニカ ――
羊皮紙には、ただそれだけ書かれていた。
その名を知る者は誰もいない。
今はまだ。
第一章 地下迷宮の支配者とゴブリン強化計画
邪悪にして悪辣なる地下迷宮の第七階層、「王の間」にて。
溜め息が出るほどの美貌を持つ美少女ハルヴァーは黒い髪を弄りながら、水晶球に映し出される冒険者達の様子を見ていた。
冒険者達は、いずれも彼女好みの欲望を胸に秘め、地下迷宮の探索に挑んでいた。今のところ、彼らの活動範囲は地下一階と地下二階であり、稀に地下三階まで下りて来る者もいる。
「まだまだ弱いよね。シアちゃん?」
ハルヴァーは、すぐ後ろにいる少女に問いかけた。
すると、どんよりとした目の少女シアは音もなく首を縦に振り、短く答える。
「はい、その通りです」
「冒険者達がもっと強くなるか、前みたいに大勢で攻め込んで来るまで、待たなきゃダメだよね~」
ハルヴァーはそう言って、邪悪な笑みを浮かべる。
彼女を含め、地下迷宮の支配者達は強大な力を持っている。
それは単騎で軍勢を押し返すほどの力量であり、ハルヴァー本人の言葉を信じるならば、国を滅ぼすことも容易だと言う。
だが、その力を振るう機会は滅多にない。
少なくとも、シアの知る限り、ハルヴァーがまともに戦ったのは、このひと月で一回だけである。
その理由について、地下迷宮の支配者達は「失う魔力の量が多いから」と答えている。
アルアークやハルヴァーが戦うとなれば、地下迷宮を支えている魔力を大量に費やしてしまう。それは、彼ら支配者にとって好ましい事態ではない。魔力を著しく消費すれば、地下迷宮そのものが消滅してしまうかもしれないのである。
無論、以前のように人間が大挙して押し寄せて来るのなら、話は別である。
なぜなら、失った魔力を再び手に入れることができる方法のひとつが、地下迷宮内で死んだ人間の魂を捕らえることだからである。人間の魂は、アルアークやハルヴァーにとって、重宝なものだ。魂を魔力に変換することができるうえ、金銀財宝に換えたり、天使や悪魔との取引に使ったりもできる。
よって、ハルヴァーが思う存分に暴れたとしても、採算が取れる見込みはある。一騎当千の強者か、あるいは軍勢が相手である必要があるが。
だが、そんな機会はそうそうあるものではない。
日頃、ハルヴァーが手がける主な仕事は、地下迷宮に仕掛けられた罠や魔物達の管理である。
この地下迷宮では、冒険者をおびき寄せるための餌として、随所に財宝が埋蔵されているのだ。財宝を目当てにやって来た冒険者を始末するのは、魔物達の仕事である。
必要に応じて罠を補修し、魔物達を管理調整する、そうした諸々を常に万全の状態に整えておくのは、常人には耐えられないほど緻密で、果てのない作業である。
だがアルアークとハルヴァーの兄妹二人は、自らその作業に手を下し、難なくこなしていた。最近では余裕さえ出て来たのか、二人で交互に作業を行うことも珍しくない。
今この時も、ハルヴァーは余裕綽々で、水晶球に目を据えたまま、傍らの少女とお喋りをしている。
「そう言えばシアちゃん、こないだ図書館に行ったみたいだけど、何か本を借りたの?」
「はい、『ゲルペシュの囁き』全六巻と『赤竜異本』『黒き鳩の書』『失われた時代』です」
「なるほどね。あ、『ゲルペシュの囁き』を読む時には気をつけた方が良いよ。幸福な幻影を見せて、本の中に閉じ込めようとするからね」
「はい、気をつけます。ですが、今が一番幸せですから、偽りの幸福などに惑わされません」
泥水のように濁った金色の瞳を輝かせながら、シアは少し力強い声で呟く。
ハルヴァーは満足そうに頷き、シアと出会った当時の追想にしばし耽った。
邪悪にして悪辣なる地下迷宮が創造される以前──。
儀式に最も適した場所を探すために、フェーリアン王国に入ってすぐのことであった。
無謀にも山賊達がアルアークとハルヴァーに襲い掛かって来たのである。その時は、まだ人間であったとはいえ、いや、人間だからこそ制限なく力を振るえた彼らは、あっという間に敵を血祭りに上げ、山賊の根城に案内させた。
その後、命乞いをする山賊達を殺したのだが、二人は奇妙なモノを見つけた。
それが人間であるとは、当初は気が付かなかった。
人の原形を留めぬほど、いくつもの部分が欠損した少女。普通の人間ならば死んでいるはずの状態でありながら、彼女は生きていた。
いや、死ねなかったのである。
その少女は、魔法や奇跡とはまた異なる異能の力を有していた。そうした人間が、ごく稀に生まれるのだ。
聖神教会は彼らを変異者と呼び、見つけ次第、火炙りにするようにと触れ回っていた。
彼らの異能は、魔法や奇跡のように体系化できるものではなかった。ある者は炎や風を操り、またある者は、体の一部を石や液体に変質させた。フェーリアン王国の姫フランディアルのように、精神を操る瞳を有する者もいたし、その他、力の種類は千差万別ある。
彼女もそんな直接目に見えない力をもって生まれた人間であった。
その力とは、何をされても死なない「不死」の力。
厳密を期すなら、禁呪に代表される高位の魔法や奇跡で魂ごと痕跡を消し去ってしまえば、殺すことは可能である。だが、そこまで徹底的に破壊しない限り、死なない。
どれだけ血を流しても、心臓を抉り出しても、どれだけ年を取っても、死ぬことなく生き続ける。
この異能は、少女にとっては祝福ではなく呪いの類であった。
我が子の異常に気付いた両親は恐れをなし、人買いに売り払った。そして少女は山賊達の慰み者として、十年以上生き続けた。
面白半分に目や腕を潰され、犯され、体を切り裂かれた。
死なない体であっても、痛みは感じる。
何度も助けを呼んだが、その叫び声は、すべて闇の中に消えた。少女がとうとう精神に異常をきたした後も、山賊達は何年も彼女を使い続けた。そして、使えなくなった後はゴミのように捨てた。
だが、ゴミ溜の中でも少女は生き続けた。
傷口に蠅がたかり、蛆が生じても、体が凍りつくほどの寒さにさらされても、死にそうなほどに飢えて、喉が渇いても、死ねなかった。
そんな少女を、図らずも見つけてしまったのがアルアークとハルヴァーである。
二人は過去を見る魔法を使い、その悲惨な事情を大まかに知った。
禁呪を使用すれば、少女を不死の苦しみから救うために殺してやることもできたが、あえてそれはせず、少女を助ける秘術を試すことにした。
「――召喚、死山を築く無邪気にして歪みし大悪魔」
「ギギギギ、ギアァアアア!! この俺様を呼び出したのはいったいどこのどいつだぁあああ!! 俺様を至高階級悪魔と知っての無礼かぁ? はらわた引きずり出して、貪り食って……」
巨大な悪魔は怒り狂っていたが、召喚者の正体を知ると狼狽した。
「……」
「やあ」
「ギゲェ!? あ、アルアーク様ぁ、ハルヴァー様ぁ!!」
悪魔は奇怪な叫びを上げると、蒼い瞳に冷たい色を浮かべている召喚者と軽く手を振る美少女の名を呼んだ。
不遜にも召喚魔法で呼び出されたと怒っていた時の勢いはどこかに吹き飛んだらしく、可能な限り頭を低く下げて、服従の姿勢を取る。
「い、いやぁああ、本日はお日柄もよく。お二方におかれましては、ご壮健そうで何よりです。オレ様……、もとい、わたくし如き下賤の輩を呼び出していただけるとは光栄の極み。たとえ我が身が滅びるようなご命令であっても、喜んで従わせていただきます」
お世辞たらたらの奇妙な敬語で語りかける悪魔を前にして、アルアークとハルヴァーは顔を見合わせると――。
「それは良かった」
「うんうん、同意してくれる悪魔が出るまで何体でも呼び出そうと思っていたけど、一体目で上手くいくとは、さすが兄様、運がいいね!」
「?」
そう言いながら優しく笑う二人の姿を見つつ、悪魔は心中で首をかしげる。
滅多に使わない敬語などを使ったので、自分が何を言ったのかよく覚えていなかったが、実は何やらとんでもないことを口走ったのではないか。などと焦っていると、召喚者が冷たい声で命じた。
「今より、この娘を助ける」
「ギギギギ、回復魔法ですね? 任せてください。こう見えても、人間の一人くらい、死体からでも再生させることができるですよ。けど、見たところまだ生きている感じですから、もっと簡単な作業ですかね」
だが――。
「いや、違う」
「うん、違うよ。キミは何もしなくていいんだ。ただ、この地上に存在しているだけでいい」
「へ?」
不思議そうに首をかしげる悪魔を無視して、アルアークとハルヴァーは魔法を唱える。
「――付与、永続融合」
「――創造、新たな体」
「げ、げぇええ!!」
悪魔は絶望的な悲鳴を上げた。
唱えられた呪文を聞けば、どんな魔法が発動されるかわかるのだ。
その魔法とは、錬金魔術師が魔獣や魔法生物を作るように、悪魔である自分と死にぞこないの少女を合成させる魔法である。
もしも二人の魔術師のうちどちらかが魔力の調整を誤れば、悪魔は完全に消滅する。仮に成功しても、悪魔の力の多くは少女に奪われてしまう。
「ギィース!」
なんで自分がこんな目に、と涙目になりながら、人間を見下ろせるほど巨大であった悪魔が、猫程度にまで小さく縮んでしまった。
かたや、少女は人の形を取り戻し、理性も取り戻す。
「……ぁ」
生まれたままの姿の少女に、アルアークは自分の白い外套をかけてやり、問いかけた。
「気分はどうだ?」
少女は金色の目を眩しそうに細め、答えを返した。
「死にたい」
少女のどんよりとした暗い瞳を覗きこみながら、兄妹は軽く微笑む。
「そう言えるのならば、大丈夫だ」
「だね。兄様!」
真に死を望む人間は、死にたいなどと、いちいち口にしない。
アルアークは冷たい笑みを、ハルヴァーは意地悪そうな笑みを浮かべて、少女に言った。
「死を望むには、お前はまだ若い。この世界には、生きるに値する愉しみが無数に存在する」
「そうそう、この世の娯楽を堪能してからでないと、死ぬに死ねないよ?」
「愉しいことなんて……ない」
黒い髪を揺らしながら、少女は目を伏せて呟いた。
「そうかな?」
「そんなことないよ」
そして二人は再び魔法を唱え、あるものを呼び出した。
アルアークが呼び出したのは、手のひらに収まるサイズの小さな白い壺であり、蜘蛛と蜂が交ざった奇怪な生き物の絵が描かれている。
ハルヴァーが呼び出したのは、少女の身の丈に合う黒いワンピースである。滑らかな手触りの生地に細やかな刺繍が施されている最高級品である。
アルアークは、少女に壺を手渡した。
「中に入っているのは『ジャーミエンの蜜』と呼ばれる嗜好品だ」
「……」
少女は無言のままだ。深く蒼い瞳に覇気がない。
「お前にやろう。食べてみるといい」
「……いらない」
「そうかな? まあ、いい。好きな時に食べれば良い」
アルアークはそう言って、妹のハルヴァーと代わった。
ハルヴァーは、人形のように体を固めて動かない少女に、手早く着付けをした。少女は体のすべてを預けてしまう心地よさに浸っているうちに、あっという間にワンピースを着せられてしまった。
「ほら見て、可愛いね?」
ハルヴァーはニコニコ笑いながら、いつの間に呼び出したのか、鏡に少女の姿を映して見せた。
そこには、人形のように可愛らしい少女がいた。目は虚ろでどんよりしているが、気怠げで奇妙な魅力に満ちている。顔には、あざなどひとつもない。白い肌は新雪のようである。手足もきちんとある。
少女は、自分が今、目も見えるし言葉も喋れるということに気付いた。自分の意思で考え、その気になれば、動くこともできると知った。生きているのだ、と実感した瞬間、猛烈に喉が渇き、お腹が空いた。
そこで、手にしていた小さな壺を開け、中を見た。
中には、赤紫色のドロリとした液体が入っており、食欲をそそる甘い香りがする。我慢できずに、口に含むと、
「……」
言葉にならない美味しさに、自然と目から涙が溢れて来る。
もう無我夢中で、小さな壺の中にあるモノをすべて飲み尽くした。
すると急に睡魔が襲って来て、そのまま、眠ってしまった。
少女は生まれて初めて、安らかに眠った。
一方、アルアークとハルヴァーは、魔法で小屋をこしらえ、少女を中に運びこんだ。少女の手足がきちんと動くか、内臓の具合はどうかなど、精密検査をするためだった。
その後もアルアークとハルヴァーは魔法を駆使し、王侯貴族のような贅を尽くした暮らしを少女に味わわせた。
そして一週間後、改めて少女に訊ねたのである。
「本当に死にたいのか?」
「殺しちゃっていいの?」
望みとあらば叶えよう、と冷酷に言い放つ彼らに、少女は涙ながらに首を振った。
「死にたくない。でも、前のようになりたくもない」
そう聞いて、彼らは満足したように笑い、こう約束した。
「復讐の誓いにかけて、お前に力と知識を蓄える機会を授けよう。力があれば、お前は前のようにみじめな思いをすることはない。知識があれば、幸せになる方法がわかるだろう」
「それまでは、私達の手伝いをしてもらおうかな? 見返りは十分に用意するよ。それに、いつまでも拘束する気はないから安心してよ。力と知識をたっぷり蓄えられたと思ったら、あるいは私達が嫌になったら、いつ出て行ってもいい」
アルアークとハルヴァーに残っていた僅かな人間性が、シアに対する同情心を生み出したのかもしれない。それは少女にとって、人生で最大の幸運を掴んだ瞬間と言えた。
「手伝い? 出て行く? どこかに行って……何かするんですか?」
真剣な表情で問いかける少女に、アルアークとハルヴァーはどう説明したものかと顔を見合わせていたが、そういえば、今更だが少女の名を知らないことに考えが及んだ。
「改めて自己紹介をしておこう。私の名はアルアークだ」
「私はアルアーク兄様の妹、ハルヴァー。さて、キミの名前は?」
名前。
それを聞かれて、少女は濁った金色の目から涙を流して答えた。
「……シア。私の名前は、シアです」
自分は名前を持った人間だった。
忘れかけていた人間らしい感情を思い出しながら、シアは、命の恩人である二人に付き従うことを決意したのである。
「ギィース、オレ様の名前はギールイル・ギールガシア・ギーストリアだぜ!」
ついでに、シアの体の一部となった悪魔も名乗りをあげた。かつての巨体が、今は不細工な猫に翼を生やしたような姿となっているから、もはや小悪魔としか言えないが。
(長いから「ギー」と呼ぶことにしよう)
悪魔の自己紹介を聞き、少女は心の中でそう決めた。
* * *
魔法帝国の皇族である二人の兄妹、アルアークとハルヴァーは、祖国を滅ぼした国々に復讐するため、人間の魂を喰らって魔法の力に換える迷宮を創造した。
その名は、邪悪にして悪辣なる地下迷宮。
一階層ごとに大都市を超える広さを持っており、千の罠と万の魔物が潜む恐ろしい場所であると同時に、そこには巨万の富が眠っている。そのため、一攫千金を狙う冒険者が日々、この巨大な地下迷宮に挑んで来る。
運よく財宝を発見して莫大な富を手にした者もいれば、恐ろしい罠や化け物の餌食になった者もいる。
また、これは外には知られていないことではあるが、地下迷宮には今、アルアークやハルヴァーに忠誠を誓った元冒険者や、聖神教の信徒から迫害を受けた者、地下迷宮の邪悪な気配に寄与させられた妖魔など、様々な者が集まり始めている。
妖魔のなかでも先兵となっているのは、薄緑色の肌に皺の多い醜い顔をした小柄な妖魔――ゴブリン達である。
そしてゴブリン達を率いるのは、プルックと呼ばれるゴブリンの一人だ。
彼は、かつて地下迷宮に攻め込んで来た聖王国の兵士達を迎え撃つ際に、さほど役に立てなかったことを恥じ、終末の騎士テェルキスと、聖王国に仕えていたソフィに戦い方の教えを乞うた。
個々の戦い方ではない。
集団――、組織としての戦い方である。
元々、ゴブリンの強さはたいしたものではなかった。強者に媚びへつらい、弱者に厳しく当たるという、決して褒められたものではない性格の者が多いゆえ、多くの点で人間よりも劣っている。
稀にプルックのように、優秀な者も現れるが、その数は多くはない。
そんなわけで、テェルキスとソフィはゴブリン達を鍛えるにあたり、いくつかの部隊に分けることから着手した。
まずは、ゴブリン二十体でひとつの小隊を作った。
その小隊を五個束ねると、中隊になる。
さらに、中隊が五個で大隊となる。
各隊に隊長をつけて、その長に従わせるという単純な図式である。
人間の世界では昔から当たり前のように行われていることであったが、森や山で暮らし、文明社会とは無縁のゴブリン達には、初めての経験であった。
しかし、それが功を奏し、今まで曖昧であった階級という概念が定着していく。
その後、各隊の特性ごとに兵種の分類がなされるようになった。
食糧や武器の補給など、後方支援を行う輜重兵をはじめとして、剣と盾と革鎧で武装した戦士隊、鋭い槍で武装した長槍隊、狩人のような身軽な装備の偵察隊、主力戦力となる大剣を持ち全身鎧を着た重装隊の歩兵部隊が編成された。
そして次に、テェルキスとソフィは、騎兵部隊の編成に取りかかることにした。
* * *
地下迷宮が創造されてから、すでに一ヵ月以上が経過した。
フェーリアン王国を中心に、地下迷宮の噂は確実に広まっている。
冒険者達の数が増え、彼らを相手にする商人が集まり、さびれた小国にも金が回り始めた。
フェーリアン王国の姫は、この流れを止めないようにするため、冒険者達が地下迷宮内で手に入れた財宝に税をかけないことを約束した。さらには、冒険者相手の商人に優遇措置を敷くと宣言する。
奇妙なことに、フェーリアン王国の貴族達も姫の政策に一切口を挟もうとしなかった。それどころか、私財を投じて、姫の政策を後押ししたのである。貴族達はすべてドッペルゲンガーに入れ替わっているのである。
結果として、フェーリアン王国はゆっくりとだが、繁栄の道を進んでいる。
その立役者である姫の名をフランディアルという。
十四歳とは思えない成熟した体の持ち主であり、赤い髪、そして赤茶の瞳には魅了の力があると噂されている。
妖精姫ともあだ名される姫は今、地下迷宮の最下層にいた。
この階層は、まるで巨大な美術館のようである。
壁や床に白い大理石が敷き詰められており、見るだけで溜め息が出そうな輝きを放っている。
広間に置かれた美術品の数々は、どれも目を引く品々ばかりである。例えば、漆黒に輝く三つの首を持つ竜のガラス細工、生きているかのように生々しい雄山羊の黄金像、千個以上の色とりどりの宝石で装飾された宝箱。
壁に飾られた絵画の数々も、威厳ある魔法使い達の肖像画をはじめとして、どれもこれも、いつまで見ていても飽きが来ない。
地下迷宮の最下層は円形構造になっており、部屋数はちょうど百である。
アルアークの寵愛を受ける女性達のために造られた部屋部屋なのだが、今のところ、埋まっているのは、フェーリアン王国の姫フランディアルのための「妖精姫の部屋」だけである。
室内には、広間に勝るとも劣らない豪華な調度品が設えられている。たった一人の女性のためだけに用意された特別な部屋でもあった。
その豪華絢爛たる室内で、美しい姫フランディアルと地下迷宮の支配者アルアークが長椅子に腰掛け、ゲームに興じていた。
駒を交互に動かして勝敗を競うゲームで、二人が出会った日の思い出の遊戯でもある。
「こうして、遊戯盤で遊ぶのは、七年前に行われた大陸和平会議の時以来でしょうか?」
姫は、騎士の駒を動かしながら尋ねた。
「そうだな」
アルアークは黄金色の髪を揺らしながら、氷のように冷たい声で答えた。
深い海のように蒼の瞳、男でも見惚れるほどの美丈夫が、竜の駒を動かす。
「あの会議の時、私達はまだ子供だった」
大陸和平会議は七年前に行われた。
魔法帝国と聖王国は主義主張の違いにより険悪な仲であったが、話し合いでケリがつくならばと、大陸にある国々から有力者を集めて、話し合いの場が持たれたのだ。
魔法帝国の皇帝は率先して会議への出席を表明し、皇帝の子であるアルアークとハルヴァーも将来の顔つなぎに、と連れていかれた。
大陸和平会議は二ヵ月以上に亘って続いた。
主たる議事内容は、各国内に住む妖魔・蛮族の処し方に関する方針であった。
聖王国の北側には、強大な力を持つダークエルフの部族連合が存在しており、そのため聖王国は、妖魔を殲滅すべしと強硬に主張。
魔法帝国は、その案に異を唱え、彼らと手を組むべきだとの立場を取った。
結局のところ、話し合いは平行線のまま終わったが、全体の流れとしては、聖王国側の意見が主流となり、魔法帝国は孤立する形となってしまった。
その一年後、妖魔・蛮族との共存共栄を主張した魔法帝国は、各国から袋叩きにされることになる。
だが、その大陸和平会議がなければ、アルアークとフランディアルが出会うこともなかったし、互いに目的の差はあれこうして共闘することもなかっただろう。
フランディアルはアルアークと初対面したあの会議の場で、なぜか気が合うのを感じ、妹のハルヴァーも交えてゲームなどをしながら、互いの国の友誼を誓い合ったのである。
「我が国を……、私を頼っていただき嬉しかったです」
「私もだ。互いに力になれたのなら嬉しい」
それを聞いて、フランディアルは花が咲くように笑い、魔法使いを模した駒を動かして言った。
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アルアークは冷たい瞳で盤面を見る。フランディアルの言う通り、逆転の手は残されていない。投了宣言するしかない。
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