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2巻試し読み
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アルアークは問いかける。
「どこで、ミスを?」
「五手前、あそこでヘビを取ったのはまずかったですね。あそこは、駒を取らずに、弓兵で牽制するか、歩兵の守りを固めるべきでした」
そう説明しながら、フランディアルは五手前まで駒の位置を戻した。
「なるほど、いや、見事だ」
「ですが所詮、盤上の戦いでしかありません。現実の戦いは、敵と味方の駒が同数でもなければ、戦いのルールも同じであるとは限りません」
「確かにな。地下迷宮の中ならば、私もハルヴァーも動けるが、外でとなると、妖魔達――と言っても、今のところゴブリンだけだが、彼らしか動けない……」
地下迷宮の支配者たるアルアークとハルヴァー、彼らの最終目標は、祖国を滅ぼした聖王国と連合諸国の指導者達を捕らえて、可能な限り苦しめ、なぶり殺しにすることである。
そこで手始めに、虐げられている妖魔達を仲間に引き入れた。
妖魔を追って来た冒険者や兵士は殺し、あるいは懐柔し、地下迷宮の力を高めるために使う。
さらには、妖魔達を訓練して武器を与え、地上を蹂躙させる。
そうなると、各国はアルアークおよびハルヴァーの命を狙い、地下迷宮に冒険者なり軍なりを派遣するだろう。その者達を血祭りに上げれば、妖魔の力をより強化できるという寸法である。
単純な図式であるが、今のところ、妖魔達を訓練するところまでは上手くいっている。
「そういえば、陛下は、聖王国の騎士にゴブリン達の訓練をさせているとか?」
「ソフィのことか?」
およそ一ヵ月前のことだが、アルアークとハルヴァーが生み出した邪悪な祭器により、聖王国の女騎士ソフィ・ヴァーツラフは祖国への忠誠心を消し去られた。そして今や、ソフィはアルアークの命により、ゴブリン達の指導にあたるまでになっている。
それに加えて、アルアークが呼び出した終末の騎士テェルキスも、ゴブリン達に戦いの技を教えている。騎士である彼らの教えは、ゴブリンにとってはかなり難易度の高いものではあるが、死力を尽くして戦い方を覚えてもらうほかにない。地下帝国は聖王国を滅ぼす軍勢としてゴブリンの力を必要としており、彼らも迷宮の支配者の恩義に報いるためには強くならなくてはいけなかった。
もっとも、理由はそれだけではない。仮にも聖王国に地下帝国が滅ぼされたら、妖魔を目の仇にしている彼らにゴブリン達も滅ぼされる運命にあるからだ。
「ソフィか、あれは良い騎士だ」
地下迷宮の支配者アルアークは、感情を感じさせない冷たい声で告げた。
「殺して捨てるには惜しい。地下帝国の黒騎士として、十二分に働いてもらう」
フランディアルには、その言葉はどこか嘘臭く聞こえたが、そうは口にせず、アルアークの傍に来て、耳元で囁いた。
「では、我が騎士コーリアスも使ってください。敵対する貴族のことは、ご心配なく。すでにお預かりしたドッペルゲンガーと入れ替わらせておりますので。コーリアスは、私の護衛をさせておくよりも、陛下の兵としてお役立てくださった方が良いでしょう」
フェーリアン王国は、すでにフランディアルが掌握しているも同然なのだった。
政敵はすべて排除し、父親である国王も軟禁した。地下迷宮に利するような法律を次々と施行したため、冒険者達が、続々とフェーリアン王国を訪れている。
後は、地下迷宮が攻略されないように、アルアークとハルヴァーに力をつけてもらえばいい。
「わかった。だが、代わりとなる護衛をつけることが条件だ」
「仰せのままに。そう言えば、近々、陛下のご友人が地下迷宮を訪れるとか? お名前は確か……」
妖精姫がその名を言う前に、地下迷宮の支配者は、懐かしそうに蒼い瞳を細めて答えた。
「テオドールだ。テオドール・ビロスト。私が子供の頃は、奴隷として仕えていた者だが、その後、自分を買い戻し、今は商人をしている」
「商業国家キレトスの?」
「いいや、商人組合には属していない。金さえ払えば、どんな物でも揃えてくれる非合法の闇商人だ。以前、師に食糧調達をお願いしたのだが、それも用立ててくれた。その後も食糧を送り続けてくれているので、その礼をしなくてはならない」
アルアークは律儀というか、マメというか、良くも悪くも借りをきっちり返す性格である。
「なるほど。でしたら、私も一度ご挨拶させてください」
フェーリアン王国を活性化させるために、有能な商人は一人でも多い方が良い。そんな思惑から、フランディアルは言った。アルアークは「わかった」と、短く返事をする。
その時、テェルキスとソフィが「王の間」に到着したようだった。
フランディアルとアルアークは、いささか惜しみながらも、遊具を片付け、テェルキスとソフィを迎え入れた。
* * *
紺碧色の鎧兜に身を固め、薄緑色のマントを羽織った騎士。
アルアークにテェルキスと名付けられた存在は、この世界に属する者ではない。終末の世界とされる異界から召喚された魔物であり、堕落せし猟犬を従える審判の騎士とも呼ばれる。
魔物とはいえ、言葉を喋ることもできるし、それ相応の意思も知識もある。彼は、本物の騎士さながらに、召喚者であるアルアークに忠誠を捧げている。
テェルキスの傍らにいるのは、真っ黒なバケツを引っくり返したような兜を被った少女で、その名をソフィ・ヴァーツラフという。
ソフィは元々聖王国の騎士であったが、地下迷宮の主達によって、祖国への忠誠心を根こそぎ奪われ、地下迷宮に仕える身となった。その鎧は元来白色だったが、黒色に染め直され、黒マントの深紅の裏地には、雷の力を宿すが如き剣を手にした女性の姿が描かれている。
テェルキスとソフィ――彼らが「王の間」に姿を現したのを見たハルヴァーは、この地下迷宮の君主であり、兄でもあるアルアークがやって来るまで待たせることにした。彼女の傍らには、少女シアが付き従っている。
それから間もなく、アルアークが赤髪の姫フランディアルを伴って登場した。
「あ、兄様」
ハルヴァーは楽しそうな声を上げた。
「待たせたな」
アルアークは冷たい声で言うと、白亜の玉座に座る。後方にフランディアルが控えるように立つ。地下迷宮の支配者達は終末の騎士に問う。
「では、用件を聞こう」
「何の用かな?」
テェルキスは低い濁声で答える。
『ゴブリン歩兵部隊の編成はほぼ完了いたしました。続いて、騎兵部隊の編成に取りかかろうと思うのですが、ゴブリンの体型に見合う騎獣を見繕っていただく件は、どのようになりましたでしょうか?』
その問いかけに応えて、アルアークは、ここしばらくロナン王国およびベティア帝国の周辺を略奪させていたプルックや、彼の息子達からの報告を伝える。
「ゴブリンは背が低く、馬を操るのに向いていない。何種類かの騎獣を試させてみたが、一番相性が良かったのは狼だ。それ以外では巨大蜘蛛だな。今はまだ中隊規模だが、すでに一定の成果を上げている」
この一ヵ月の間、アルアークはゴブリン達に騎乗できる生き物を見つけるように様々な騎乗動物を試した。
最初はうまくいかず、失敗ばかりであった。
少なくないゴブリン達がひどいケガを負うこともあった。
だが、ゴブリン達は徐々に、自分達が乗りやすい魔獣を発見していったのである。
とりわけ大型の狼やおぞましい巨大蜘蛛は、ゴブリン達が騎獣として乗るのにちょうどいい大きさであった。
そして、この生き物達はゴブリンが背に乗っても怒ることなく、むしろ喜んで彼らを背に乗せたのである。
ゴブリン達は僅かな時間で、人が馬を飼い馴らしたように、狼や巨大蜘蛛を飼い馴らした。
「問題は数だよね。兄様」
「そうだな」
地下迷宮の外に攻め込ませる時のことを考えると、アルアークが召喚魔法を用いて魔獣を呼び出すわけにもいかない。といって、大型の狼を育てて増やすには時間が足りない。いくらゴブリンと相性が良くても、頭数が揃えられなくては話にならない。
何故なら、ゴブリン達の本領は圧倒的な物量戦にあるからである。
「フランディアル、隣国リージェは別名『狼の国』と呼ばれていたな」
「はい、彼の国では犬ではなく、狼を番犬代わりにしているとか」
「こちらに輸入できるか?」
「狼だけなら、相応の金貨を積めば不可能ではないと思います。ですが、狼用の騎乗防具なども手にするのは、いささか難しいかと……」
「それに関しては、テオドールに話してみよう。で、騎獣はどれくらい必要だ?」
アルアークがテェルキスの方に目を向けると、忠実な騎士は、すかさず答えを告げる。
『まずは、五個大隊の騎兵部隊を予定しておりますゆえ』
最低でも、二千五百頭。
損耗を鑑みての予備を考えると、それよりも多く必要である。
「フランディアル。五千、いや六千頭ほど手に入れてほしい」
アルアークは必要な数より多く告げる。こう言っておけば、最低でも半数は揃えると考えてのことである。
「御意に」
赤髪の姫は、ドレスの裾を摘まみ軽く一礼して、了解の意を示す。
「まだ問題点があります」
今度は、ソフィが申し立てをする。
「ゴブリンは弱い敵に対しては勇猛ですが、強者を相手にした時は、士気が著しく下がり、あっさりと瓦解してしまいます」
これはゴブリンという種族の特性であり、訓練によってどうこうできる問題ではなかった。
地下迷宮内ならば、アルアークやハルヴァーのような圧倒的な強者が近くにいる限り、ゴブリンの士気が低下することはまずない。だが、地下迷宮の支配者達は外に出られない。
終末の騎士テェルキスあたりならば、その存在感ひとつでゴブリン達の敵前逃亡を防ぐことは可能であるが、恐怖心に支配された軍隊は動きが鈍くなり、本来の力を発揮できない。元々弱いゴブリンが、さらに弱体化するのだから、もはや論外とさえ言える。
「ゴブリンの士気を低下させないために、つねに彼らの傍らにあって、後押しする者が必要なのです。できれば、彼らの近縁種が良いかと思われます……」
「近縁種か……、確かオークやトロールなどが近縁だったな」
「やつらは強いには強いけれど、数はゴブリンほどいないよね。兄様」
「村を襲撃するついでに、オークやトロールが近隣にいれば連れて来るように命じてはいるが。それほど多くは集まらないだろう」
オークやトロールは、身体能力には優れているが、雄しか存在しない種族である。ゴブリンの護衛をするほか、妖魔ラミアやスキュラ、アラクネなど、女性だけの妖魔を守りつつ、人里離れて暮らしている。自然崇拝者が多く、魔法帝国の定義した魔法体系から離れた自然魔法と呼ばれる魔法を習得している者もいる。
「そうだ。せっかくだし、聖王国の兵士の魂を使って『強制進化の祭壇』を使ってみようよ!」
とハルヴァーは、いかにも名案とばかりに提案する。
「『強制進化の祭壇』?」
首をかしげるソフィに、ハルヴァーは邪悪な笑みを浮かべながら語る。
「進化の系統樹にアクセスして、ある種の生物の存在そのものを変化させる仕掛けだよ。本来は、第三層の動植物を弄るための仕掛けだけど、生物なら何にでも使えるよね? 兄様」
「仕掛けを起動するには、相応の魂を捧げる必要があるが、先の戦いで手に入れた分を使えば、問題ないだろう。ただ、ゴブリン達の体をいじくるのだから、彼らの了承も取らねばならんだろう」
兄の言葉を聞き、妹ハルヴァーは「そうだね。兄様」と言って頷いている。そんな風に、いとも簡単に納得してしまう兄妹に、ソフィは恐る恐る問いかける。
「あの、その『強制進化の祭壇』とは、いったいどういうものなのか、今ひとつわかりません。進化の系統樹? とは、何でしょうか?」
魔法使いの兄妹は顔を見合わせた後、門外漢にもわかりやすいよう、噛み砕いて説明する。
「進化の系統樹っていうのは、生物の進化の過程と形跡を示す全体像のこと。樹の太い幹から枝葉が細かく分かれていくように、生物は、進化するにつれて多種多様に枝分かれしていくんだ。そしてその枝葉は、生物の種ごとに、きちっと分離されている。例えば、ある植物種を『強制進化の祭壇』で進化させても、他の植物種は変化しない。もちろん人間も変化しない。その枝葉の先に、人間という種は存在しないからね!」
「ある生物種の進化を促進し、種のあり方そのものを変質させるのが『強制進化の祭壇』の力だ。本来ならば、そうした進化は何千、何万年という単位の時間をかけて行われるらしいが、『強制進化の祭壇』はそれに近い変化を一瞬で済ませてしまう。つまり、一瞬にしてゴブリンの亜種を生み出すこともできるというわけだ」
この説明を受け、ソフィはさらに突っ込んだ質問をした。
「ゴブリン種がどのような進化をするか、あらかじめわかるのですか?」
アルアークは頷いて答える。
「ある程度は、進化の方向性を定めることができる。だが、例えばゴブリンという種の特性を戦闘力に特化させれば、それまで持っていた利点──繁殖力の高さや成長の早さといった特性を失うかもしれない」
自然界では弱い者ほど数が増える。強くなれば、繁殖力が低下するのは当然である。
アルアークはそこまで言ってハルヴァーの方を見ると、彼女も無言でコクリと首を縦に振る。
「事は重大であるから、私達だけでは決められん。プルックをはじめ、ゴブリンの有力者達を召集する必要がある」
アルアークが、そう言った時だった。
ハルヴァーに付き随う少女シアの使い魔ギーが、どこからともなく現れて声を上げた。
「ギィース! シア様、ご報告!」
使い魔が、シアの耳元で何事か囁く。
シアは報告を聞き終えると、泥のような目を輝かせながら、話の内容を明かす。
「アルアーク様、ハルヴァー様、さきほど、『刻命玉』に異変があったようです。どうやら、聖王国に送ったドッペルゲンガーが何者かに殺されたようで」
刻命玉とは、壊れることにより、創造主に魔法生物の命が尽きたことを知らせる魔法の道具である。もっとも、誰にどのように壊されたかまではわからない。だが、敵側にドッペルゲンガーの変身を見破る力を持った者がいるということがわかっただけでも収穫である。
報告を聞いたアルアークは冷たく笑い、シアの頭を軽く撫でる。
「そうか、ご苦労」
「兄様、どうする? 思ったより早くばれちゃったみたいだけど?」
「聖王国は何らかの報復処置を取るだろう。予定より早いが、テオドールとルガルを呼び寄せよう」
「守りを固めるなら、ウィンスレットとか、他の高弟達を呼び寄せた方が良いんじゃないの?」
魔法帝国の残党である彼らを呼び寄せる時期に関して、アルアークは少しばかり考えてから結論を出す。
「いや、彼らには、聖王国の北に広がるダークエルフの部族連合の支援に向かってもらう。先日、爺から話を聞いたのだが、どうも聖王国の攻撃が苛烈になって来ているらしい」
「そっか、それじゃあ仕方ないよね。ダークエルフは魔法帝国を唯一支持してくれた者達だし、助けなきゃ」
そう言いながらも、ハルヴァーは少しばかり残念そうである。
「彼らが聖王国の軍勢を退けるまでの辛抱だ」
「うん、そうだね。兄様」
「では、彼らが来るまでの間に、この地下迷宮の軍勢を強化するとしよう」
アルアークは、蒼い瞳に冷たい光の輝きを宿しながら、素早く魔法を唱える。
「――通信、言葉を伝える闇鶫」
言葉を伝える使い魔を生み出す魔法である。
相手に言葉が届くまで、少しばかり時間がかかるため、緊急時には使えないが、今回のように各地に散らばっているゴブリン達に招集をかけるには最適の魔法である。
魔法により生み出されたのは、嘴からつま先まで真っ黒な鶫で、耳障りな鳴き声を上げつつ地下迷宮の奥へと飛び去って行く。
「プルック達、上手くやれているかな?」
「最初からすべて上手くはいかないだろうが、応援を送っているのだから、相応の成果は出してくれるだろう」
アルアークの命を受けたゴブリンの先遣隊は、根のように張り巡らせた地下通路を進み、無防備な村々に襲撃をかけていた。
* * *
ゴブリンの長プルックが率いる襲撃部隊は、地下通路を使い厳重警戒の国境を通り抜けると、鬱蒼と生い茂る森や険しい山など、人目につかない場所に作られた出口から抜け出した。
地下帝国の軍勢にとって、国境の警備など無いも同じなのである。
目指すは、ベティア帝国およびロナン王国に属する村々。
つまり、アルアークとハルヴァーの祖国を滅ぼした国々が襲撃の対象である。無論、無辜の民を傷つけるのは許されることではない。だが、地下迷宮の支配者達の胸には復讐の想いがどす黒く燃えている。しかも、これまでずっと虐げられて来たゴブリン達が向かうのであるから、その手の道徳的な話は無意味であった。
ただ元冒険者デリトの「無暗に民衆を殺さない方がいい。そうした方が、民衆の不安や怒りを国に向けさせられる」という言葉を受けて、地下迷宮の支配者達は、可能な限り民を殺さないようにしろと通達を出した。
(可能な限り……)
森に潜んだプルックは、魔力を帯びた赤き曲刀の柄を握り、心の中で命令を反芻する。
しかし、自分の集落が焼き滅ぼされた時の光景が未だに脳裏にこびりついている。以前、地下迷宮に攻め込んで来た人間の兵士達を殺しに殺したが、それでも未だに気は晴れない。
アルアークとハルヴァーに逆らう気はないが、「可能な限り」という曖昧な部分は、自分の思う通りにやって問題ないだろうと考えている。
「野郎ども、行くぞ」
夜になり、村々が寝静まったのを機に、プルックは部下に号令をかけた。
後ろに控えるゴブリン達は、黄色い目をギラギラと輝かせ、口々に叫び声を上げる。
今回、彼らが襲うのはベティア帝国の村である。ロナン王国や他の村々にも別の部隊が派遣されており、今日明日で、数十の村々に襲撃が行われる手はずとなっている。
「狼乗り達は村を迂回して、オレ達の攻める方とは反対側から攻撃を仕掛けろ。ガラグ、ガース、ドランドはオレと一緒に正面から突っ込むぞ」
プルックは、中隊規模の兵を率いている。
歩兵四個小隊。それに加えて、狼乗り一個小隊であるから、兵の数は計、百体。
この百体の兵士を、プルックが指揮しているのだ。
事前に放った斥候の報告によれば、襲撃対象である村はそこそこ大きく、約三百人の村人が住んでいるということだ。だが冒険者などはおらず、常駐している兵士も十人足らずである。
武装していない人間相手ならば十分に戦えると、プルックはこの村を襲うことを考えた。
「ギギ、りょうかい」
「任せてくれ」
「はやぐ、血が見たい」
プルックの指示に、歩兵部隊の小隊長達がそれぞれ言葉を返す。
彼らは全員、プルックの息子達である。
生まれてから、まだ一ヵ月もたっていない。だが、早熟なゴブリンの子供達は、すでに大人と同じように武器を持ち、戦えるまでに成長している。
「すすめぇ!」
プルックの号令一下、妖魔達は森から出て行く。
一糸乱れず、とはお世辞にも言えないが、一応は陣形を組んでいた。狼に乗った騎兵隊は大きく弧を描いて移動し、村を挟撃しようとしている。プルック達の歩兵部隊はひたすら前進していた。
無数の足音が騒々しく響き渡り、村側も異変を感じ取ったのだろう。
守備兵達が松明を片手に、姿を見せる。そして叫んだ。
「て、敵襲! 鐘を鳴らせ!」
「戦える者は武器を取れ!」
「ゴブリンだ! 敵はゴブリンどもだ!」
ベティア帝国は軍事大国ゆえ、兵士達は精鋭ぞろいである。村の守備部隊も十分に訓練されており、かなりの数のゴブリン達を見ても、恐れることなく立ち向かって来る。さらに、守備兵達の声を聞いた数十人の村人達が、勇敢にも鍬や鋤を手に加勢する。
ゴブリンの奇声と人間の怒号、鉄の武器が交わる音が辺りに響き渡った。
真正面からぶつかる戦いで優勢を示したのは、ベティア帝国側だ。
ゴブリンと人間の大きさを比べてみれば、大人と子供ほどの違いがある。ゴブリン一族の中でも大きい方であるプルックであっても、人間と比べれば一回りは小さい。そのため、単純に力で負けており、徐々に押されていく。
思った以上に敵が善戦しており、このままでは挟撃する前に押しつぶされてしまう。
加えて、守備兵の一人が、村にある非常用の鐘を鳴らそうと、走り始めていた。
(マズイ!)
プルックは本能的に危険を感じ取り、背筋をゾクリと震わせた。
守備兵が鳴らそうとしている鐘は、魔法帝国でよく使われた品物である。聖征戦争が終わり、各国は魔法帝国から様々な品々を自国に持ち帰ったが、この鐘はその中のひとつだった。一定の手順で鳴らすことにより、兵士達を転移させる力を有している。
ゴブリンであるプルックには、そこまではわからなかったが、本能的に危険を感じて叫んだ。
「くそぉ! だれか、アイツを殺せ!」
だが、誰も彼も目前の敵に集中しており、余裕がない。
守備兵が鐘の前に立つと同時に、どこからか放たれた一本の矢が、風を切るような音と共に飛来した。矢は守備兵の首に突き刺さり、間一髪というところで増援が呼ばれる危険は去った。
鐘の音はなくとも、剣戟の音を聞きつけた村人達が反撃を始めたようである。だが幸いなことに戦いに加わる者は少なく、ほとんどの者は慌てて逃げ出していた。
そんな混沌とした状況の中、先ほどまでゴブリン達が身を潜めていた森の方から、獣のような咆哮が上がる。
「な、なんだ?」
プルックの驚く声と同時に、身の丈ほどの大剣を持った女戦士が、森の奥から飛び出して来た。 彼女は、あっという間に乱戦の中に飛び込んで来ると、プルックに襲い掛かろうとしていた男の首を刎ね飛ばす。
「よぉ、プルックの旦那」
「じぇ、ジェン! どうしてここに?」
血で染まった大剣を軽々と振り回しながら、ジェンと呼ばれた女戦士は獰猛な笑みを浮かべた。彼女は女蛮族と呼称される女系戦士の一族である。また、地下迷宮に挑んだ元冒険者でもあり、今は地下迷宮に属している。
ジェンは、鍛え上げられた腹筋や腕や足の引き締まった筋肉を見せびらかすような、肌も露わな格好をしていた。下着のような、露出の多い服装が彼女の好みなのである。
「アルアークの大将から、ヤバそうだったら手助けするようにって依頼を受けてね」
「じゃあ、さっきの矢はローナが?」
「そうだよ。今も森の奥から狙っている」
夜の暗闇のなか、鐘を鳴らそうとした兵士を正確に射抜いた仲間の技量を誇るように、ジェンは胸を張る。
「デリトも来ているからね。よっぽどひどいケガを負わない限り、奇跡で癒してくれるよ」
そんな風に言って女戦士は戦場を見回した。ちょうど、背後から突くような形で狼乗り達が守備兵に襲い掛かり始めている。それを見て、女蛮族の戦士は、勝負は決まったようだと肩をすくめた。
女蛮族の後を追って来たのか、イズレーンという名の赤髪の女戦士が駆け足でこちらに向かって来る。
「ジェン! いきなり飛び出さないでよ!」
「もう戦いは終わったぜ」
「ええ、守備兵は全員死んだし、後は食糧を奪って村に火を放てばいいわね」
そんな会話を聞きながら、プルックは多少複雑な気持ちであった。
彼ら元冒険者達は当初、プルックを追って地下迷宮にやって来たのである。
だが、今や彼女らはアルアーク達に仕える身であり、プルックらと共に戦う仲間である。戦う理由は理想のため、恋のため、戦闘欲を満たすためなど様々であるが、同胞を容易く殺して、胸は痛まないのだろうか。と、プルックは柄にもなく考えてしまう。
「どうしたんだい?」
プルックの視線に気づいたのか、ジェンは問いかける。
「いや……、前の時も思ったんだが、お前ら、同じ種族を殺すのに、抵抗はないのか?」
ゴブリンも、数が増えすぎて食糧が確保できない時など、生きるために同胞を殺すことがある。だが、仕える主人の命令だからといって同族を殺そうとは思わない。そのあたり、ジェンはどのように思っているのか、改めて聞いてみたかった。
「あたしみたいな女蛮族は、そういう難しいことは、あんまり考えないね。武器を持って戦う意思がある相手なら、誰であろうと特に気にはしない」
ジェンの答えに、隣にいるイズレーンは口をとがらせて反論する。
「ちょっと、あんまり誤解されるようなことを言わないでよ。別に私達も、好きで殺しをしているわけじゃない。ただ今の時代……、命の値段は安いわ」
イズレーンは、自分の故郷を思い出しつつ、そう言った。
彼女は冒険者になる以前、ある村で農民として暮らしていた。税として収穫のほとんどを渡していたので、その日の食事に事欠くことも多かった。兄がたくさんいたが、みな軍に徴兵され、そのまま帰って来ず、両親は流行病に倒れた。
豊かな大国から少し離れれば、別段、珍しい話ではない。
命に価値があるのは、平和で豊かな時代のことである。逆に、争い続きで混沌とした貧しい時代には、命の値段は限りなく安くなる。
「いつの日か、命に価値が出る日が来ると良いわね」
と、この話題を締め括るように言うと、イズレーンは森の奥から出て来たデリトの方を見る。彼は傷つき倒れているゴブリン達に近づくと、癒しの奇跡を使い始める。聖神教の神官である彼も、色々と思うところはあるだろうが、その奇跡の技により、この日、多くのゴブリンの命が救われた。
地下迷宮の底より這い出したゴブリン達は多くの村々を焼き、食糧を奪い取った。だが、各地で激しい抵抗に遭い、少なからぬ被害を出していた。そして、帰還の命を受けたゴブリン達は、ひとつの決断を迫られることになる。
* * *
騎乗具をつけた飛竜に跨り、空路を進む青年がいた。
聖王国内でも最上位の冒険者チーム「夜明けの光」のリーダーであり、国内外で〝光の勇者〟と讃えられるカイルである。
彼は、本当にただ一人で、フェーリアン王国にあるという地下迷宮を目指していた。
身軽な空の旅は順調で、すでにいくつも国境を越えている。
(少し、静かすぎるかな)
和気藹々と語り合うチームメンバーがいなくなり、空の旅は静かで順調であるが味気のないものになりつつあった。
だが、先日の酒場での乱闘を思い出し、自分を巡って女達の攻防戦が水面下で繰り広げられていたのだと思うと、実に暗澹たる心持ちになる。
今は少しばかり、仲間達と距離を置きたかった。
(こればかりは……、時間も解決してくれないよな)
カイルは気を紛らわせるように眼下の景色を見下ろす。
穏やかな風、暖かな日差し、白い花が咲き誇る平原。
そして、慌てふためきながら逃げまどう人々。
「なに?」
カイルの向かう方角から、村人らしき人影が逃げて来る。
彼らを追いたてているのは、狼に跨った十数匹の醜い妖魔――ゴブリン達である。
「チッ! 下りろ!」
飛竜は獰猛な性格で、訓練を受けた乗り手でも扱いは難しい。だが、カイルは手綱を巧みに操り、逃げまどう村人達とゴブリンの間に割って入った。
人を一人乗せられるだけあって、さすがに飛竜は大きい。その巨体でもって、飛竜は皮膜の付いた翼を羽ばたかせながら、ゴブリン達を威嚇するように吼える。普通ならば、誰しもこの咆哮に恐れをなして逃げ出すはずだが、リーダーらしきゴブリンは怯むことなく、狼を操っていた。
さらに――。
「逃ゲルナ! 戦え! 地下帝国のために、オレ達自身のために!」
仲間を鼓舞するように、しゃがれた声で叫ぶ。
「地下帝国?」
リーダーらしきゴブリンは、カイルの呟きを無視して、ゴブリンの持ち物にしてはあまりに上等な手槍を投げ、飛竜を牽制しようとした。だが、力が足らなかったのか、飛竜の硬い鱗を貫くことはかなわず、弾かれてしまう。飛竜は、自分に対して攻撃を放った矮小な妖魔を丸呑みにしようと、長い首を伸ばして口を開ける。
ゴブリンは、人間の子供ほどの大きさしかないため、武装をしていようが一口で丸呑みである。
「待て、殺すな!」
「グガァ!」
乗り手に制され、飛竜の動きが止まった。それでもゴブリンの腕に噛みつき、狼から引きずり下ろす。
それを見ていたゴブリン達は戦意を失い、我先に逃げ出した。
「そいつを逃がすな」
カイルは飛竜に命じると、ひらりと背から降りた。そして、逃げて来た村人達を集めて呼びかける。
「皆さん、大丈夫! ゴブリン共は逃げ去りました」
遠巻きに様子を見ていた村人達は、歓声を上げながらカイルを取り囲んだ。
そして口々に賞賛の言葉をかける。
「ありがとうございます。お蔭で助かりました。お、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「冒険者『夜明けの光』のリーダー、カイル・ランフレアだ」
「……カイル。ひょっとして、あの光の勇者カイル様ですか!」
「光の勇者って言うのはやめてくれ。どうにも、恥ずかしい」
そう言って、カイルは穏やかに微笑む。
その笑顔は、女性に見間違えるほど柔らかく、かつ美しく、村人達の心を魔法のように捕らえてしまった。
村の娘達は全員、突如現れて窮地を救ってくれた勇者に心をときめかせている。
カイル本人に自覚はないのだが、彼は天然の女殺しなのである。
「それより、ここは、まだロナン王国内ですよね? 辺境の小国ならまだしも、どうして大国の村がゴブリンに襲われたのでしょうか?」
カイルが問いかけると、日に焼けて善良そうな顔をした村の代表者らしき男が前に出て、答える。
「いえ、それがわからんのです……。ゴブリン達はどこからともなく現れて、あっという間に村の衛兵達を殺したんです。その後、我々にまで襲い掛かって来て……、着の身着のまま必死にここまで逃げて来たんです」
「村は近くですか? 良ければ、護衛しますよ」
「ほ、本当ですか! ですが、カイル様を満足させられるほどの報酬は……」
「いいんですよ。困っている人を助けるのは、俺の仕事です」
その言葉を聞き、村人達は感極まったように涙を流して頭を下げる。
「聖神に感謝を……、カイル様。やはりアナタは勇者だ」
「お、大げさです」
そう言いながら、カイルは飛竜の元に戻る。
そして、捕らえたゴブリンに尋ねる。
「お前、地下帝国と言ったな?」
「グラッドは何も知らン。殺せ」
「……まあいい、後でゆっくり聞き出す。言っとくが、逃げようなんて思うなよ。その気になれば、飛竜に命じて、腕を食いちぎらせることもできるんだからな。死ぬより辛いぞ」
そう釘を刺しておき、ゴブリンの投げた手槍を探して調べる。
(ゴブリンにも使いやすいように手を加えているが、間違いない。聖王国の騎士が使う品物だ)
この槍を手に入れた経緯なども詳しく聞く必要がありそうだ、とカイルは考えながら、飛竜の背を馬車代わりにして女性や子供を乗せ、村へと向かう。
そして、村に到着したものの――。
そこは血の海であった。
どす黒い血をまき散らして死んでいるのは、ゴブリン達である。
体を上下に引き裂かれた死体、腰から上が吹き飛んでいる死体、胸を一突きされて目を見開いたまま絶命している死体、喉を切り裂かれている死体、ミンチのように細かく潰された死体など、ありとあらゆる方法で惨殺された死体が、ゴミのように散乱している。
少なくとも数十体、いや百体近いゴブリンが無惨な屍をさらしていた。
「こ、これは……」
おそらく、村を襲ったゴブリン達であろう。
「おやぁ~、カイルさん。ちょっと遅かったスね」
血溜まりの中心で、一人の少女が不敵な笑みを浮かべていた。
「はじめまして、モニカって言います」
ぴょんと撥ねた髪の毛を揺らしながら、軽く胸に手を当てて名乗る。
「カイルさんのサポートをするように言われてきました。いや~、ピンポイントで位置を特定するの、結構大変でしたよぉ~。まあ、魔法も奇跡も便利ですけど、万能じゃないスね」
「これは、お前がやったのか?」
「ん? ああ、そうですよ。演出的にも悪くない感じスよね? っても、正当防衛ですよ。襲い掛かって来たのは、向こうが先でしたしね」
おどけるような仕草をする少女モニカ。
一度見たら忘れられないほど、深く印象に残る整った顔立ちの少女だった。短く切られた髪は、太陽の光を編んだかのような明るい金色。蒼い瞳は、この状況を愉しむ輝きを放っている。
聖王国の聖導学院の女子学生が着ている制服によく似た、身軽そうな服を身に着け、貴族が決闘の際に使う白い手袋、美しい脚線を覆い隠す黒タイツと、極端に露出の少ない出で立ちである。
ベルト型の短剣入れを腰に巻いており、パッと見ただけで十数本の短剣を所持していることがわかる。だが、その短剣で殺したというには説明がつかない死体も多数ある。
少女は口では演出と言っているが、別の攻撃手段があるということを、おそらくわざと教えているのだ。カイルを牽制するように、少女は邪気のない笑みを浮かべた。
「カイルさん、お噂通りの熱血漢な感じで、嬉しいですよ。ひとつ、よろしくお願いします」
「レイネル公爵から言われて来たのか? 悪いけど、地下迷宮には俺一人で……」
「ダメですよぉ。そんなことしたら、カイルさんはボロ屑みたいに殺されて、聖都に置いて来た女は全員寝取られますよ?」
モニカは予言するように告げる。
「な、何を言っているんだ?」
「んふふ、そうならないように、力を貸してあげるって言っているんです。いかに勇者といえども、たった一人で地下迷宮に向かうのは、自殺行為ですよ」
底知れぬ迫力に、思わずカイルは後ずさりする。
「普通の人なら、欲望を抑えれば地下迷宮になんか向かわないでも済むんでしょうけど。残念ながら、カイルさんは勇者様ですからね~、地下迷宮の存在を知れば、挑まなきゃならない運命に縛られているんすよぉ」
「モニカ、悪いんだが、君が何を言っているのか、俺にはさっぱりわからない」
「にゃはは、説明したいんですけど、制約上、そうもいかないんスよね。まあ、理解しなくていいんで、一緒に連れて行ってください」
猫のように笑う少女に、カイルは首を横に振る。
「い、いや、今から行くのは危険な場所だ。俺だけなら、何かあっても対処できる。だけど、君を守りながらでは、どうなるかわからない。悪いが、君はこの村の再建を手伝って……」
「あたしたぶんカイルさんより強いスよ? それに、こんなところにいるなんて、嫌ス」
「こ、こんなところって……」
自分でやっておきながら失礼だろと、カイルが言おうとすると、モニカは村のある一点を指さす。
そこには、妖魔の死骸があった。
ゴブリン、オーク、オーガ、ミノタウロス、アラクネなど、多種多様な妖魔が十字架に磔にされて殺されている。手首や腹、首などに杭を打たれて絶命しており、見るも無残な姿を晒していた。
「こんなん見たら、ゴブリン達もそりゃ怒りますよね~。一応、あたしは関係ないって言ったんですけど」
モニカは、飛び撥ねた前髪を揺らしながら、ばつが悪そうに呟く。だが、カイルはその言葉を聞き流して、後ろにいる村人達に問いかけた。
「こ、これは……、アナタ方が?」
非難するような勇者の声に、先ほどの善良そうな村人が答える。
「森に隠れている邪悪な妖魔達を捕らえて来たのは、私達の国――ロナン王国の騎士様ですが、磔にしたのは私達です。勇者様」
「何故、そんなことを……」
力なく呟く勇者に、村人達は罪悪感の欠片もない様子で返す。
「妖魔が生まれて来たこと自体が罪です。その罪悪を浄化するために、罰として磔にしたんです。それこそが、聖神教の教えだと聞きました」
「違う! 聖神教の教えは、正義と平和、愛を広めることだ。このような残虐な行いを許してはいない」
そう怒鳴りつけると、カイルは磔にされている死体を解放しようと、その手首に突き刺さった杭を抜き始める。
「勇者様、何をするのです!?」
「たとえ妖魔であろうと、死体を辱めることは認められない」
そう言いながらも、カイルは混乱していた。
聖王国では、捕らえて来た妖魔達を公開処刑の名目で嬲り殺しにするなど珍しくはない。カイルも何度かその場に立ち会ったことがあるが、その時は、このような胸が悪くなるような感情は生まれなかった。
そのことを指摘するように、モニカが口を開く。
「おやおや、カイルさん。どうしたんスか……。別にこんなこと、この大陸じゃ珍しくないスよ。カイルさんだって初めて見るわけじゃないですよね? なのに、なんで今さらそんなに嫌そうな顔をしているんですか?」
理由はわからない。
だが、何かに縛られていた想いが胸から溢れて来て、カイルは自分でも非常識と思うことをしてしまっている。
「なんでって……」
上手く言葉にできなかった。
「……わからない。だが、ゴブリン達が村人達を追いかけていた理由に近いかもしれない」
ゴブリンが村人を襲ったこと、その行為をカイルは肯定する気はない。だが、ゴブリン達と同じ妖魔が磔にされている姿を見ると、激情に駆られることを否定できなかった。
それを見て、モニカは決心したように言う。
「……カイルさん。やっぱり主役の素質がありますよ。うんうん、彼らと互角に勝負できるように取り計らいますから、頑張って主役の座を勝ち取ってください」
そう言って、モニカはカイルの肩を叩く。その後、蒼い瞳に危険な輝きを宿しながら、白い目を向ける村人達を睨み返す。
「一方、皆さんはどうスか?」
「な、何を……?」
「己の意志ですよ。何が善で、何が悪か? カイルさんは、きちんと判断できるようになったみたいですけど、皆さんはどうですか? 未だに歪んだ……、おっと、正しい聖神教の教えとやらを信じますか?」
意味不明なセリフに、村人達は戸惑いつつ顔を見合わせる。
「よ、よくわかんねェけど。勇者様がダメって言うなら……」
村人の一人がカイルを手伝い、妖魔の死体を磔台から下ろそうとすると、次から次へと手を貸す者が現れる。結局、村人総出となり、日暮れまでには人も妖魔も関係なく死体を埋葬し終えた。
その間、モニカは、飛竜に捕らえられたゴブリンのグラッドを尋問していた。そして、彼らがこの村を襲うために使った地下迷宮の出入口のひとつを聞き出すことに成功する。
だが翌日、カイルはすぐには地下迷宮に向かおうとしなかった。まずは、捕らえたゴブリンを解放し、この村が受けた被害を近隣の領主に伝えるために、まったく別の方向に向かうことを選択する。
このお人好しな選択にモニカは苦笑したが、特に異議は唱えなかった。
ともかく、カイルとモニカは迷宮への入口をひとつ知ったのだ。
勇者が地下迷宮に近づきつつあることを、地下の支配者達はまだ知らない。
「どこで、ミスを?」
「五手前、あそこでヘビを取ったのはまずかったですね。あそこは、駒を取らずに、弓兵で牽制するか、歩兵の守りを固めるべきでした」
そう説明しながら、フランディアルは五手前まで駒の位置を戻した。
「なるほど、いや、見事だ」
「ですが所詮、盤上の戦いでしかありません。現実の戦いは、敵と味方の駒が同数でもなければ、戦いのルールも同じであるとは限りません」
「確かにな。地下迷宮の中ならば、私もハルヴァーも動けるが、外でとなると、妖魔達――と言っても、今のところゴブリンだけだが、彼らしか動けない……」
地下迷宮の支配者たるアルアークとハルヴァー、彼らの最終目標は、祖国を滅ぼした聖王国と連合諸国の指導者達を捕らえて、可能な限り苦しめ、なぶり殺しにすることである。
そこで手始めに、虐げられている妖魔達を仲間に引き入れた。
妖魔を追って来た冒険者や兵士は殺し、あるいは懐柔し、地下迷宮の力を高めるために使う。
さらには、妖魔達を訓練して武器を与え、地上を蹂躙させる。
そうなると、各国はアルアークおよびハルヴァーの命を狙い、地下迷宮に冒険者なり軍なりを派遣するだろう。その者達を血祭りに上げれば、妖魔の力をより強化できるという寸法である。
単純な図式であるが、今のところ、妖魔達を訓練するところまでは上手くいっている。
「そういえば、陛下は、聖王国の騎士にゴブリン達の訓練をさせているとか?」
「ソフィのことか?」
およそ一ヵ月前のことだが、アルアークとハルヴァーが生み出した邪悪な祭器により、聖王国の女騎士ソフィ・ヴァーツラフは祖国への忠誠心を消し去られた。そして今や、ソフィはアルアークの命により、ゴブリン達の指導にあたるまでになっている。
それに加えて、アルアークが呼び出した終末の騎士テェルキスも、ゴブリン達に戦いの技を教えている。騎士である彼らの教えは、ゴブリンにとってはかなり難易度の高いものではあるが、死力を尽くして戦い方を覚えてもらうほかにない。地下帝国は聖王国を滅ぼす軍勢としてゴブリンの力を必要としており、彼らも迷宮の支配者の恩義に報いるためには強くならなくてはいけなかった。
もっとも、理由はそれだけではない。仮にも聖王国に地下帝国が滅ぼされたら、妖魔を目の仇にしている彼らにゴブリン達も滅ぼされる運命にあるからだ。
「ソフィか、あれは良い騎士だ」
地下迷宮の支配者アルアークは、感情を感じさせない冷たい声で告げた。
「殺して捨てるには惜しい。地下帝国の黒騎士として、十二分に働いてもらう」
フランディアルには、その言葉はどこか嘘臭く聞こえたが、そうは口にせず、アルアークの傍に来て、耳元で囁いた。
「では、我が騎士コーリアスも使ってください。敵対する貴族のことは、ご心配なく。すでにお預かりしたドッペルゲンガーと入れ替わらせておりますので。コーリアスは、私の護衛をさせておくよりも、陛下の兵としてお役立てくださった方が良いでしょう」
フェーリアン王国は、すでにフランディアルが掌握しているも同然なのだった。
政敵はすべて排除し、父親である国王も軟禁した。地下迷宮に利するような法律を次々と施行したため、冒険者達が、続々とフェーリアン王国を訪れている。
後は、地下迷宮が攻略されないように、アルアークとハルヴァーに力をつけてもらえばいい。
「わかった。だが、代わりとなる護衛をつけることが条件だ」
「仰せのままに。そう言えば、近々、陛下のご友人が地下迷宮を訪れるとか? お名前は確か……」
妖精姫がその名を言う前に、地下迷宮の支配者は、懐かしそうに蒼い瞳を細めて答えた。
「テオドールだ。テオドール・ビロスト。私が子供の頃は、奴隷として仕えていた者だが、その後、自分を買い戻し、今は商人をしている」
「商業国家キレトスの?」
「いいや、商人組合には属していない。金さえ払えば、どんな物でも揃えてくれる非合法の闇商人だ。以前、師に食糧調達をお願いしたのだが、それも用立ててくれた。その後も食糧を送り続けてくれているので、その礼をしなくてはならない」
アルアークは律儀というか、マメというか、良くも悪くも借りをきっちり返す性格である。
「なるほど。でしたら、私も一度ご挨拶させてください」
フェーリアン王国を活性化させるために、有能な商人は一人でも多い方が良い。そんな思惑から、フランディアルは言った。アルアークは「わかった」と、短く返事をする。
その時、テェルキスとソフィが「王の間」に到着したようだった。
フランディアルとアルアークは、いささか惜しみながらも、遊具を片付け、テェルキスとソフィを迎え入れた。
* * *
紺碧色の鎧兜に身を固め、薄緑色のマントを羽織った騎士。
アルアークにテェルキスと名付けられた存在は、この世界に属する者ではない。終末の世界とされる異界から召喚された魔物であり、堕落せし猟犬を従える審判の騎士とも呼ばれる。
魔物とはいえ、言葉を喋ることもできるし、それ相応の意思も知識もある。彼は、本物の騎士さながらに、召喚者であるアルアークに忠誠を捧げている。
テェルキスの傍らにいるのは、真っ黒なバケツを引っくり返したような兜を被った少女で、その名をソフィ・ヴァーツラフという。
ソフィは元々聖王国の騎士であったが、地下迷宮の主達によって、祖国への忠誠心を根こそぎ奪われ、地下迷宮に仕える身となった。その鎧は元来白色だったが、黒色に染め直され、黒マントの深紅の裏地には、雷の力を宿すが如き剣を手にした女性の姿が描かれている。
テェルキスとソフィ――彼らが「王の間」に姿を現したのを見たハルヴァーは、この地下迷宮の君主であり、兄でもあるアルアークがやって来るまで待たせることにした。彼女の傍らには、少女シアが付き従っている。
それから間もなく、アルアークが赤髪の姫フランディアルを伴って登場した。
「あ、兄様」
ハルヴァーは楽しそうな声を上げた。
「待たせたな」
アルアークは冷たい声で言うと、白亜の玉座に座る。後方にフランディアルが控えるように立つ。地下迷宮の支配者達は終末の騎士に問う。
「では、用件を聞こう」
「何の用かな?」
テェルキスは低い濁声で答える。
『ゴブリン歩兵部隊の編成はほぼ完了いたしました。続いて、騎兵部隊の編成に取りかかろうと思うのですが、ゴブリンの体型に見合う騎獣を見繕っていただく件は、どのようになりましたでしょうか?』
その問いかけに応えて、アルアークは、ここしばらくロナン王国およびベティア帝国の周辺を略奪させていたプルックや、彼の息子達からの報告を伝える。
「ゴブリンは背が低く、馬を操るのに向いていない。何種類かの騎獣を試させてみたが、一番相性が良かったのは狼だ。それ以外では巨大蜘蛛だな。今はまだ中隊規模だが、すでに一定の成果を上げている」
この一ヵ月の間、アルアークはゴブリン達に騎乗できる生き物を見つけるように様々な騎乗動物を試した。
最初はうまくいかず、失敗ばかりであった。
少なくないゴブリン達がひどいケガを負うこともあった。
だが、ゴブリン達は徐々に、自分達が乗りやすい魔獣を発見していったのである。
とりわけ大型の狼やおぞましい巨大蜘蛛は、ゴブリン達が騎獣として乗るのにちょうどいい大きさであった。
そして、この生き物達はゴブリンが背に乗っても怒ることなく、むしろ喜んで彼らを背に乗せたのである。
ゴブリン達は僅かな時間で、人が馬を飼い馴らしたように、狼や巨大蜘蛛を飼い馴らした。
「問題は数だよね。兄様」
「そうだな」
地下迷宮の外に攻め込ませる時のことを考えると、アルアークが召喚魔法を用いて魔獣を呼び出すわけにもいかない。といって、大型の狼を育てて増やすには時間が足りない。いくらゴブリンと相性が良くても、頭数が揃えられなくては話にならない。
何故なら、ゴブリン達の本領は圧倒的な物量戦にあるからである。
「フランディアル、隣国リージェは別名『狼の国』と呼ばれていたな」
「はい、彼の国では犬ではなく、狼を番犬代わりにしているとか」
「こちらに輸入できるか?」
「狼だけなら、相応の金貨を積めば不可能ではないと思います。ですが、狼用の騎乗防具なども手にするのは、いささか難しいかと……」
「それに関しては、テオドールに話してみよう。で、騎獣はどれくらい必要だ?」
アルアークがテェルキスの方に目を向けると、忠実な騎士は、すかさず答えを告げる。
『まずは、五個大隊の騎兵部隊を予定しておりますゆえ』
最低でも、二千五百頭。
損耗を鑑みての予備を考えると、それよりも多く必要である。
「フランディアル。五千、いや六千頭ほど手に入れてほしい」
アルアークは必要な数より多く告げる。こう言っておけば、最低でも半数は揃えると考えてのことである。
「御意に」
赤髪の姫は、ドレスの裾を摘まみ軽く一礼して、了解の意を示す。
「まだ問題点があります」
今度は、ソフィが申し立てをする。
「ゴブリンは弱い敵に対しては勇猛ですが、強者を相手にした時は、士気が著しく下がり、あっさりと瓦解してしまいます」
これはゴブリンという種族の特性であり、訓練によってどうこうできる問題ではなかった。
地下迷宮内ならば、アルアークやハルヴァーのような圧倒的な強者が近くにいる限り、ゴブリンの士気が低下することはまずない。だが、地下迷宮の支配者達は外に出られない。
終末の騎士テェルキスあたりならば、その存在感ひとつでゴブリン達の敵前逃亡を防ぐことは可能であるが、恐怖心に支配された軍隊は動きが鈍くなり、本来の力を発揮できない。元々弱いゴブリンが、さらに弱体化するのだから、もはや論外とさえ言える。
「ゴブリンの士気を低下させないために、つねに彼らの傍らにあって、後押しする者が必要なのです。できれば、彼らの近縁種が良いかと思われます……」
「近縁種か……、確かオークやトロールなどが近縁だったな」
「やつらは強いには強いけれど、数はゴブリンほどいないよね。兄様」
「村を襲撃するついでに、オークやトロールが近隣にいれば連れて来るように命じてはいるが。それほど多くは集まらないだろう」
オークやトロールは、身体能力には優れているが、雄しか存在しない種族である。ゴブリンの護衛をするほか、妖魔ラミアやスキュラ、アラクネなど、女性だけの妖魔を守りつつ、人里離れて暮らしている。自然崇拝者が多く、魔法帝国の定義した魔法体系から離れた自然魔法と呼ばれる魔法を習得している者もいる。
「そうだ。せっかくだし、聖王国の兵士の魂を使って『強制進化の祭壇』を使ってみようよ!」
とハルヴァーは、いかにも名案とばかりに提案する。
「『強制進化の祭壇』?」
首をかしげるソフィに、ハルヴァーは邪悪な笑みを浮かべながら語る。
「進化の系統樹にアクセスして、ある種の生物の存在そのものを変化させる仕掛けだよ。本来は、第三層の動植物を弄るための仕掛けだけど、生物なら何にでも使えるよね? 兄様」
「仕掛けを起動するには、相応の魂を捧げる必要があるが、先の戦いで手に入れた分を使えば、問題ないだろう。ただ、ゴブリン達の体をいじくるのだから、彼らの了承も取らねばならんだろう」
兄の言葉を聞き、妹ハルヴァーは「そうだね。兄様」と言って頷いている。そんな風に、いとも簡単に納得してしまう兄妹に、ソフィは恐る恐る問いかける。
「あの、その『強制進化の祭壇』とは、いったいどういうものなのか、今ひとつわかりません。進化の系統樹? とは、何でしょうか?」
魔法使いの兄妹は顔を見合わせた後、門外漢にもわかりやすいよう、噛み砕いて説明する。
「進化の系統樹っていうのは、生物の進化の過程と形跡を示す全体像のこと。樹の太い幹から枝葉が細かく分かれていくように、生物は、進化するにつれて多種多様に枝分かれしていくんだ。そしてその枝葉は、生物の種ごとに、きちっと分離されている。例えば、ある植物種を『強制進化の祭壇』で進化させても、他の植物種は変化しない。もちろん人間も変化しない。その枝葉の先に、人間という種は存在しないからね!」
「ある生物種の進化を促進し、種のあり方そのものを変質させるのが『強制進化の祭壇』の力だ。本来ならば、そうした進化は何千、何万年という単位の時間をかけて行われるらしいが、『強制進化の祭壇』はそれに近い変化を一瞬で済ませてしまう。つまり、一瞬にしてゴブリンの亜種を生み出すこともできるというわけだ」
この説明を受け、ソフィはさらに突っ込んだ質問をした。
「ゴブリン種がどのような進化をするか、あらかじめわかるのですか?」
アルアークは頷いて答える。
「ある程度は、進化の方向性を定めることができる。だが、例えばゴブリンという種の特性を戦闘力に特化させれば、それまで持っていた利点──繁殖力の高さや成長の早さといった特性を失うかもしれない」
自然界では弱い者ほど数が増える。強くなれば、繁殖力が低下するのは当然である。
アルアークはそこまで言ってハルヴァーの方を見ると、彼女も無言でコクリと首を縦に振る。
「事は重大であるから、私達だけでは決められん。プルックをはじめ、ゴブリンの有力者達を召集する必要がある」
アルアークが、そう言った時だった。
ハルヴァーに付き随う少女シアの使い魔ギーが、どこからともなく現れて声を上げた。
「ギィース! シア様、ご報告!」
使い魔が、シアの耳元で何事か囁く。
シアは報告を聞き終えると、泥のような目を輝かせながら、話の内容を明かす。
「アルアーク様、ハルヴァー様、さきほど、『刻命玉』に異変があったようです。どうやら、聖王国に送ったドッペルゲンガーが何者かに殺されたようで」
刻命玉とは、壊れることにより、創造主に魔法生物の命が尽きたことを知らせる魔法の道具である。もっとも、誰にどのように壊されたかまではわからない。だが、敵側にドッペルゲンガーの変身を見破る力を持った者がいるということがわかっただけでも収穫である。
報告を聞いたアルアークは冷たく笑い、シアの頭を軽く撫でる。
「そうか、ご苦労」
「兄様、どうする? 思ったより早くばれちゃったみたいだけど?」
「聖王国は何らかの報復処置を取るだろう。予定より早いが、テオドールとルガルを呼び寄せよう」
「守りを固めるなら、ウィンスレットとか、他の高弟達を呼び寄せた方が良いんじゃないの?」
魔法帝国の残党である彼らを呼び寄せる時期に関して、アルアークは少しばかり考えてから結論を出す。
「いや、彼らには、聖王国の北に広がるダークエルフの部族連合の支援に向かってもらう。先日、爺から話を聞いたのだが、どうも聖王国の攻撃が苛烈になって来ているらしい」
「そっか、それじゃあ仕方ないよね。ダークエルフは魔法帝国を唯一支持してくれた者達だし、助けなきゃ」
そう言いながらも、ハルヴァーは少しばかり残念そうである。
「彼らが聖王国の軍勢を退けるまでの辛抱だ」
「うん、そうだね。兄様」
「では、彼らが来るまでの間に、この地下迷宮の軍勢を強化するとしよう」
アルアークは、蒼い瞳に冷たい光の輝きを宿しながら、素早く魔法を唱える。
「――通信、言葉を伝える闇鶫」
言葉を伝える使い魔を生み出す魔法である。
相手に言葉が届くまで、少しばかり時間がかかるため、緊急時には使えないが、今回のように各地に散らばっているゴブリン達に招集をかけるには最適の魔法である。
魔法により生み出されたのは、嘴からつま先まで真っ黒な鶫で、耳障りな鳴き声を上げつつ地下迷宮の奥へと飛び去って行く。
「プルック達、上手くやれているかな?」
「最初からすべて上手くはいかないだろうが、応援を送っているのだから、相応の成果は出してくれるだろう」
アルアークの命を受けたゴブリンの先遣隊は、根のように張り巡らせた地下通路を進み、無防備な村々に襲撃をかけていた。
* * *
ゴブリンの長プルックが率いる襲撃部隊は、地下通路を使い厳重警戒の国境を通り抜けると、鬱蒼と生い茂る森や険しい山など、人目につかない場所に作られた出口から抜け出した。
地下帝国の軍勢にとって、国境の警備など無いも同じなのである。
目指すは、ベティア帝国およびロナン王国に属する村々。
つまり、アルアークとハルヴァーの祖国を滅ぼした国々が襲撃の対象である。無論、無辜の民を傷つけるのは許されることではない。だが、地下迷宮の支配者達の胸には復讐の想いがどす黒く燃えている。しかも、これまでずっと虐げられて来たゴブリン達が向かうのであるから、その手の道徳的な話は無意味であった。
ただ元冒険者デリトの「無暗に民衆を殺さない方がいい。そうした方が、民衆の不安や怒りを国に向けさせられる」という言葉を受けて、地下迷宮の支配者達は、可能な限り民を殺さないようにしろと通達を出した。
(可能な限り……)
森に潜んだプルックは、魔力を帯びた赤き曲刀の柄を握り、心の中で命令を反芻する。
しかし、自分の集落が焼き滅ぼされた時の光景が未だに脳裏にこびりついている。以前、地下迷宮に攻め込んで来た人間の兵士達を殺しに殺したが、それでも未だに気は晴れない。
アルアークとハルヴァーに逆らう気はないが、「可能な限り」という曖昧な部分は、自分の思う通りにやって問題ないだろうと考えている。
「野郎ども、行くぞ」
夜になり、村々が寝静まったのを機に、プルックは部下に号令をかけた。
後ろに控えるゴブリン達は、黄色い目をギラギラと輝かせ、口々に叫び声を上げる。
今回、彼らが襲うのはベティア帝国の村である。ロナン王国や他の村々にも別の部隊が派遣されており、今日明日で、数十の村々に襲撃が行われる手はずとなっている。
「狼乗り達は村を迂回して、オレ達の攻める方とは反対側から攻撃を仕掛けろ。ガラグ、ガース、ドランドはオレと一緒に正面から突っ込むぞ」
プルックは、中隊規模の兵を率いている。
歩兵四個小隊。それに加えて、狼乗り一個小隊であるから、兵の数は計、百体。
この百体の兵士を、プルックが指揮しているのだ。
事前に放った斥候の報告によれば、襲撃対象である村はそこそこ大きく、約三百人の村人が住んでいるということだ。だが冒険者などはおらず、常駐している兵士も十人足らずである。
武装していない人間相手ならば十分に戦えると、プルックはこの村を襲うことを考えた。
「ギギ、りょうかい」
「任せてくれ」
「はやぐ、血が見たい」
プルックの指示に、歩兵部隊の小隊長達がそれぞれ言葉を返す。
彼らは全員、プルックの息子達である。
生まれてから、まだ一ヵ月もたっていない。だが、早熟なゴブリンの子供達は、すでに大人と同じように武器を持ち、戦えるまでに成長している。
「すすめぇ!」
プルックの号令一下、妖魔達は森から出て行く。
一糸乱れず、とはお世辞にも言えないが、一応は陣形を組んでいた。狼に乗った騎兵隊は大きく弧を描いて移動し、村を挟撃しようとしている。プルック達の歩兵部隊はひたすら前進していた。
無数の足音が騒々しく響き渡り、村側も異変を感じ取ったのだろう。
守備兵達が松明を片手に、姿を見せる。そして叫んだ。
「て、敵襲! 鐘を鳴らせ!」
「戦える者は武器を取れ!」
「ゴブリンだ! 敵はゴブリンどもだ!」
ベティア帝国は軍事大国ゆえ、兵士達は精鋭ぞろいである。村の守備部隊も十分に訓練されており、かなりの数のゴブリン達を見ても、恐れることなく立ち向かって来る。さらに、守備兵達の声を聞いた数十人の村人達が、勇敢にも鍬や鋤を手に加勢する。
ゴブリンの奇声と人間の怒号、鉄の武器が交わる音が辺りに響き渡った。
真正面からぶつかる戦いで優勢を示したのは、ベティア帝国側だ。
ゴブリンと人間の大きさを比べてみれば、大人と子供ほどの違いがある。ゴブリン一族の中でも大きい方であるプルックであっても、人間と比べれば一回りは小さい。そのため、単純に力で負けており、徐々に押されていく。
思った以上に敵が善戦しており、このままでは挟撃する前に押しつぶされてしまう。
加えて、守備兵の一人が、村にある非常用の鐘を鳴らそうと、走り始めていた。
(マズイ!)
プルックは本能的に危険を感じ取り、背筋をゾクリと震わせた。
守備兵が鳴らそうとしている鐘は、魔法帝国でよく使われた品物である。聖征戦争が終わり、各国は魔法帝国から様々な品々を自国に持ち帰ったが、この鐘はその中のひとつだった。一定の手順で鳴らすことにより、兵士達を転移させる力を有している。
ゴブリンであるプルックには、そこまではわからなかったが、本能的に危険を感じて叫んだ。
「くそぉ! だれか、アイツを殺せ!」
だが、誰も彼も目前の敵に集中しており、余裕がない。
守備兵が鐘の前に立つと同時に、どこからか放たれた一本の矢が、風を切るような音と共に飛来した。矢は守備兵の首に突き刺さり、間一髪というところで増援が呼ばれる危険は去った。
鐘の音はなくとも、剣戟の音を聞きつけた村人達が反撃を始めたようである。だが幸いなことに戦いに加わる者は少なく、ほとんどの者は慌てて逃げ出していた。
そんな混沌とした状況の中、先ほどまでゴブリン達が身を潜めていた森の方から、獣のような咆哮が上がる。
「な、なんだ?」
プルックの驚く声と同時に、身の丈ほどの大剣を持った女戦士が、森の奥から飛び出して来た。 彼女は、あっという間に乱戦の中に飛び込んで来ると、プルックに襲い掛かろうとしていた男の首を刎ね飛ばす。
「よぉ、プルックの旦那」
「じぇ、ジェン! どうしてここに?」
血で染まった大剣を軽々と振り回しながら、ジェンと呼ばれた女戦士は獰猛な笑みを浮かべた。彼女は女蛮族と呼称される女系戦士の一族である。また、地下迷宮に挑んだ元冒険者でもあり、今は地下迷宮に属している。
ジェンは、鍛え上げられた腹筋や腕や足の引き締まった筋肉を見せびらかすような、肌も露わな格好をしていた。下着のような、露出の多い服装が彼女の好みなのである。
「アルアークの大将から、ヤバそうだったら手助けするようにって依頼を受けてね」
「じゃあ、さっきの矢はローナが?」
「そうだよ。今も森の奥から狙っている」
夜の暗闇のなか、鐘を鳴らそうとした兵士を正確に射抜いた仲間の技量を誇るように、ジェンは胸を張る。
「デリトも来ているからね。よっぽどひどいケガを負わない限り、奇跡で癒してくれるよ」
そんな風に言って女戦士は戦場を見回した。ちょうど、背後から突くような形で狼乗り達が守備兵に襲い掛かり始めている。それを見て、女蛮族の戦士は、勝負は決まったようだと肩をすくめた。
女蛮族の後を追って来たのか、イズレーンという名の赤髪の女戦士が駆け足でこちらに向かって来る。
「ジェン! いきなり飛び出さないでよ!」
「もう戦いは終わったぜ」
「ええ、守備兵は全員死んだし、後は食糧を奪って村に火を放てばいいわね」
そんな会話を聞きながら、プルックは多少複雑な気持ちであった。
彼ら元冒険者達は当初、プルックを追って地下迷宮にやって来たのである。
だが、今や彼女らはアルアーク達に仕える身であり、プルックらと共に戦う仲間である。戦う理由は理想のため、恋のため、戦闘欲を満たすためなど様々であるが、同胞を容易く殺して、胸は痛まないのだろうか。と、プルックは柄にもなく考えてしまう。
「どうしたんだい?」
プルックの視線に気づいたのか、ジェンは問いかける。
「いや……、前の時も思ったんだが、お前ら、同じ種族を殺すのに、抵抗はないのか?」
ゴブリンも、数が増えすぎて食糧が確保できない時など、生きるために同胞を殺すことがある。だが、仕える主人の命令だからといって同族を殺そうとは思わない。そのあたり、ジェンはどのように思っているのか、改めて聞いてみたかった。
「あたしみたいな女蛮族は、そういう難しいことは、あんまり考えないね。武器を持って戦う意思がある相手なら、誰であろうと特に気にはしない」
ジェンの答えに、隣にいるイズレーンは口をとがらせて反論する。
「ちょっと、あんまり誤解されるようなことを言わないでよ。別に私達も、好きで殺しをしているわけじゃない。ただ今の時代……、命の値段は安いわ」
イズレーンは、自分の故郷を思い出しつつ、そう言った。
彼女は冒険者になる以前、ある村で農民として暮らしていた。税として収穫のほとんどを渡していたので、その日の食事に事欠くことも多かった。兄がたくさんいたが、みな軍に徴兵され、そのまま帰って来ず、両親は流行病に倒れた。
豊かな大国から少し離れれば、別段、珍しい話ではない。
命に価値があるのは、平和で豊かな時代のことである。逆に、争い続きで混沌とした貧しい時代には、命の値段は限りなく安くなる。
「いつの日か、命に価値が出る日が来ると良いわね」
と、この話題を締め括るように言うと、イズレーンは森の奥から出て来たデリトの方を見る。彼は傷つき倒れているゴブリン達に近づくと、癒しの奇跡を使い始める。聖神教の神官である彼も、色々と思うところはあるだろうが、その奇跡の技により、この日、多くのゴブリンの命が救われた。
地下迷宮の底より這い出したゴブリン達は多くの村々を焼き、食糧を奪い取った。だが、各地で激しい抵抗に遭い、少なからぬ被害を出していた。そして、帰還の命を受けたゴブリン達は、ひとつの決断を迫られることになる。
* * *
騎乗具をつけた飛竜に跨り、空路を進む青年がいた。
聖王国内でも最上位の冒険者チーム「夜明けの光」のリーダーであり、国内外で〝光の勇者〟と讃えられるカイルである。
彼は、本当にただ一人で、フェーリアン王国にあるという地下迷宮を目指していた。
身軽な空の旅は順調で、すでにいくつも国境を越えている。
(少し、静かすぎるかな)
和気藹々と語り合うチームメンバーがいなくなり、空の旅は静かで順調であるが味気のないものになりつつあった。
だが、先日の酒場での乱闘を思い出し、自分を巡って女達の攻防戦が水面下で繰り広げられていたのだと思うと、実に暗澹たる心持ちになる。
今は少しばかり、仲間達と距離を置きたかった。
(こればかりは……、時間も解決してくれないよな)
カイルは気を紛らわせるように眼下の景色を見下ろす。
穏やかな風、暖かな日差し、白い花が咲き誇る平原。
そして、慌てふためきながら逃げまどう人々。
「なに?」
カイルの向かう方角から、村人らしき人影が逃げて来る。
彼らを追いたてているのは、狼に跨った十数匹の醜い妖魔――ゴブリン達である。
「チッ! 下りろ!」
飛竜は獰猛な性格で、訓練を受けた乗り手でも扱いは難しい。だが、カイルは手綱を巧みに操り、逃げまどう村人達とゴブリンの間に割って入った。
人を一人乗せられるだけあって、さすがに飛竜は大きい。その巨体でもって、飛竜は皮膜の付いた翼を羽ばたかせながら、ゴブリン達を威嚇するように吼える。普通ならば、誰しもこの咆哮に恐れをなして逃げ出すはずだが、リーダーらしきゴブリンは怯むことなく、狼を操っていた。
さらに――。
「逃ゲルナ! 戦え! 地下帝国のために、オレ達自身のために!」
仲間を鼓舞するように、しゃがれた声で叫ぶ。
「地下帝国?」
リーダーらしきゴブリンは、カイルの呟きを無視して、ゴブリンの持ち物にしてはあまりに上等な手槍を投げ、飛竜を牽制しようとした。だが、力が足らなかったのか、飛竜の硬い鱗を貫くことはかなわず、弾かれてしまう。飛竜は、自分に対して攻撃を放った矮小な妖魔を丸呑みにしようと、長い首を伸ばして口を開ける。
ゴブリンは、人間の子供ほどの大きさしかないため、武装をしていようが一口で丸呑みである。
「待て、殺すな!」
「グガァ!」
乗り手に制され、飛竜の動きが止まった。それでもゴブリンの腕に噛みつき、狼から引きずり下ろす。
それを見ていたゴブリン達は戦意を失い、我先に逃げ出した。
「そいつを逃がすな」
カイルは飛竜に命じると、ひらりと背から降りた。そして、逃げて来た村人達を集めて呼びかける。
「皆さん、大丈夫! ゴブリン共は逃げ去りました」
遠巻きに様子を見ていた村人達は、歓声を上げながらカイルを取り囲んだ。
そして口々に賞賛の言葉をかける。
「ありがとうございます。お蔭で助かりました。お、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「冒険者『夜明けの光』のリーダー、カイル・ランフレアだ」
「……カイル。ひょっとして、あの光の勇者カイル様ですか!」
「光の勇者って言うのはやめてくれ。どうにも、恥ずかしい」
そう言って、カイルは穏やかに微笑む。
その笑顔は、女性に見間違えるほど柔らかく、かつ美しく、村人達の心を魔法のように捕らえてしまった。
村の娘達は全員、突如現れて窮地を救ってくれた勇者に心をときめかせている。
カイル本人に自覚はないのだが、彼は天然の女殺しなのである。
「それより、ここは、まだロナン王国内ですよね? 辺境の小国ならまだしも、どうして大国の村がゴブリンに襲われたのでしょうか?」
カイルが問いかけると、日に焼けて善良そうな顔をした村の代表者らしき男が前に出て、答える。
「いえ、それがわからんのです……。ゴブリン達はどこからともなく現れて、あっという間に村の衛兵達を殺したんです。その後、我々にまで襲い掛かって来て……、着の身着のまま必死にここまで逃げて来たんです」
「村は近くですか? 良ければ、護衛しますよ」
「ほ、本当ですか! ですが、カイル様を満足させられるほどの報酬は……」
「いいんですよ。困っている人を助けるのは、俺の仕事です」
その言葉を聞き、村人達は感極まったように涙を流して頭を下げる。
「聖神に感謝を……、カイル様。やはりアナタは勇者だ」
「お、大げさです」
そう言いながら、カイルは飛竜の元に戻る。
そして、捕らえたゴブリンに尋ねる。
「お前、地下帝国と言ったな?」
「グラッドは何も知らン。殺せ」
「……まあいい、後でゆっくり聞き出す。言っとくが、逃げようなんて思うなよ。その気になれば、飛竜に命じて、腕を食いちぎらせることもできるんだからな。死ぬより辛いぞ」
そう釘を刺しておき、ゴブリンの投げた手槍を探して調べる。
(ゴブリンにも使いやすいように手を加えているが、間違いない。聖王国の騎士が使う品物だ)
この槍を手に入れた経緯なども詳しく聞く必要がありそうだ、とカイルは考えながら、飛竜の背を馬車代わりにして女性や子供を乗せ、村へと向かう。
そして、村に到着したものの――。
そこは血の海であった。
どす黒い血をまき散らして死んでいるのは、ゴブリン達である。
体を上下に引き裂かれた死体、腰から上が吹き飛んでいる死体、胸を一突きされて目を見開いたまま絶命している死体、喉を切り裂かれている死体、ミンチのように細かく潰された死体など、ありとあらゆる方法で惨殺された死体が、ゴミのように散乱している。
少なくとも数十体、いや百体近いゴブリンが無惨な屍をさらしていた。
「こ、これは……」
おそらく、村を襲ったゴブリン達であろう。
「おやぁ~、カイルさん。ちょっと遅かったスね」
血溜まりの中心で、一人の少女が不敵な笑みを浮かべていた。
「はじめまして、モニカって言います」
ぴょんと撥ねた髪の毛を揺らしながら、軽く胸に手を当てて名乗る。
「カイルさんのサポートをするように言われてきました。いや~、ピンポイントで位置を特定するの、結構大変でしたよぉ~。まあ、魔法も奇跡も便利ですけど、万能じゃないスね」
「これは、お前がやったのか?」
「ん? ああ、そうですよ。演出的にも悪くない感じスよね? っても、正当防衛ですよ。襲い掛かって来たのは、向こうが先でしたしね」
おどけるような仕草をする少女モニカ。
一度見たら忘れられないほど、深く印象に残る整った顔立ちの少女だった。短く切られた髪は、太陽の光を編んだかのような明るい金色。蒼い瞳は、この状況を愉しむ輝きを放っている。
聖王国の聖導学院の女子学生が着ている制服によく似た、身軽そうな服を身に着け、貴族が決闘の際に使う白い手袋、美しい脚線を覆い隠す黒タイツと、極端に露出の少ない出で立ちである。
ベルト型の短剣入れを腰に巻いており、パッと見ただけで十数本の短剣を所持していることがわかる。だが、その短剣で殺したというには説明がつかない死体も多数ある。
少女は口では演出と言っているが、別の攻撃手段があるということを、おそらくわざと教えているのだ。カイルを牽制するように、少女は邪気のない笑みを浮かべた。
「カイルさん、お噂通りの熱血漢な感じで、嬉しいですよ。ひとつ、よろしくお願いします」
「レイネル公爵から言われて来たのか? 悪いけど、地下迷宮には俺一人で……」
「ダメですよぉ。そんなことしたら、カイルさんはボロ屑みたいに殺されて、聖都に置いて来た女は全員寝取られますよ?」
モニカは予言するように告げる。
「な、何を言っているんだ?」
「んふふ、そうならないように、力を貸してあげるって言っているんです。いかに勇者といえども、たった一人で地下迷宮に向かうのは、自殺行為ですよ」
底知れぬ迫力に、思わずカイルは後ずさりする。
「普通の人なら、欲望を抑えれば地下迷宮になんか向かわないでも済むんでしょうけど。残念ながら、カイルさんは勇者様ですからね~、地下迷宮の存在を知れば、挑まなきゃならない運命に縛られているんすよぉ」
「モニカ、悪いんだが、君が何を言っているのか、俺にはさっぱりわからない」
「にゃはは、説明したいんですけど、制約上、そうもいかないんスよね。まあ、理解しなくていいんで、一緒に連れて行ってください」
猫のように笑う少女に、カイルは首を横に振る。
「い、いや、今から行くのは危険な場所だ。俺だけなら、何かあっても対処できる。だけど、君を守りながらでは、どうなるかわからない。悪いが、君はこの村の再建を手伝って……」
「あたしたぶんカイルさんより強いスよ? それに、こんなところにいるなんて、嫌ス」
「こ、こんなところって……」
自分でやっておきながら失礼だろと、カイルが言おうとすると、モニカは村のある一点を指さす。
そこには、妖魔の死骸があった。
ゴブリン、オーク、オーガ、ミノタウロス、アラクネなど、多種多様な妖魔が十字架に磔にされて殺されている。手首や腹、首などに杭を打たれて絶命しており、見るも無残な姿を晒していた。
「こんなん見たら、ゴブリン達もそりゃ怒りますよね~。一応、あたしは関係ないって言ったんですけど」
モニカは、飛び撥ねた前髪を揺らしながら、ばつが悪そうに呟く。だが、カイルはその言葉を聞き流して、後ろにいる村人達に問いかけた。
「こ、これは……、アナタ方が?」
非難するような勇者の声に、先ほどの善良そうな村人が答える。
「森に隠れている邪悪な妖魔達を捕らえて来たのは、私達の国――ロナン王国の騎士様ですが、磔にしたのは私達です。勇者様」
「何故、そんなことを……」
力なく呟く勇者に、村人達は罪悪感の欠片もない様子で返す。
「妖魔が生まれて来たこと自体が罪です。その罪悪を浄化するために、罰として磔にしたんです。それこそが、聖神教の教えだと聞きました」
「違う! 聖神教の教えは、正義と平和、愛を広めることだ。このような残虐な行いを許してはいない」
そう怒鳴りつけると、カイルは磔にされている死体を解放しようと、その手首に突き刺さった杭を抜き始める。
「勇者様、何をするのです!?」
「たとえ妖魔であろうと、死体を辱めることは認められない」
そう言いながらも、カイルは混乱していた。
聖王国では、捕らえて来た妖魔達を公開処刑の名目で嬲り殺しにするなど珍しくはない。カイルも何度かその場に立ち会ったことがあるが、その時は、このような胸が悪くなるような感情は生まれなかった。
そのことを指摘するように、モニカが口を開く。
「おやおや、カイルさん。どうしたんスか……。別にこんなこと、この大陸じゃ珍しくないスよ。カイルさんだって初めて見るわけじゃないですよね? なのに、なんで今さらそんなに嫌そうな顔をしているんですか?」
理由はわからない。
だが、何かに縛られていた想いが胸から溢れて来て、カイルは自分でも非常識と思うことをしてしまっている。
「なんでって……」
上手く言葉にできなかった。
「……わからない。だが、ゴブリン達が村人達を追いかけていた理由に近いかもしれない」
ゴブリンが村人を襲ったこと、その行為をカイルは肯定する気はない。だが、ゴブリン達と同じ妖魔が磔にされている姿を見ると、激情に駆られることを否定できなかった。
それを見て、モニカは決心したように言う。
「……カイルさん。やっぱり主役の素質がありますよ。うんうん、彼らと互角に勝負できるように取り計らいますから、頑張って主役の座を勝ち取ってください」
そう言って、モニカはカイルの肩を叩く。その後、蒼い瞳に危険な輝きを宿しながら、白い目を向ける村人達を睨み返す。
「一方、皆さんはどうスか?」
「な、何を……?」
「己の意志ですよ。何が善で、何が悪か? カイルさんは、きちんと判断できるようになったみたいですけど、皆さんはどうですか? 未だに歪んだ……、おっと、正しい聖神教の教えとやらを信じますか?」
意味不明なセリフに、村人達は戸惑いつつ顔を見合わせる。
「よ、よくわかんねェけど。勇者様がダメって言うなら……」
村人の一人がカイルを手伝い、妖魔の死体を磔台から下ろそうとすると、次から次へと手を貸す者が現れる。結局、村人総出となり、日暮れまでには人も妖魔も関係なく死体を埋葬し終えた。
その間、モニカは、飛竜に捕らえられたゴブリンのグラッドを尋問していた。そして、彼らがこの村を襲うために使った地下迷宮の出入口のひとつを聞き出すことに成功する。
だが翌日、カイルはすぐには地下迷宮に向かおうとしなかった。まずは、捕らえたゴブリンを解放し、この村が受けた被害を近隣の領主に伝えるために、まったく別の方向に向かうことを選択する。
このお人好しな選択にモニカは苦笑したが、特に異議は唱えなかった。
ともかく、カイルとモニカは迷宮への入口をひとつ知ったのだ。
勇者が地下迷宮に近づきつつあることを、地下の支配者達はまだ知らない。
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