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第二章 地下迷宮の支配者と新たな妖魔
ベティア帝国では、士族と呼ばれる階級の者が、他国で言うところの貴族である。
平民の生まれであっても、戦場で成果を上げた者は士族に迎えられる。
逆に士族であっても、戦場で活躍できなければ階級を落とされる。士族には多くの特権が与えられているため、多くの者が士族を目指して、あるいは士族の地位を守るために、日夜厳しい訓練に明け暮れている。
この士族制度は軍事大国であるベティア帝国に相応しいと、ガルドレックは考えている。
「閣下、聖王国の話に乗るおつもりですか?」
「ああ」
ガルドレックは短い言葉で応じた。
彼は癖の強い赤茶髪の持ち主であり、髪と同じ色のもじゃもじゃの髭を蓄えた山のような大男である。四十を過ぎても鍛えられた筋肉を維持し、顔や腕には無数の古傷がある。
その外見通り、戦場で勇猛さを示し続けて士族に選ばれた元平民だった。
聖征戦争においては一軍を率いて魔法帝国の魔導兵団を打ち破り、士族最高の称号である将軍の地位を勝ち取っている。
「フェーリアン王国を占領することは、皇帝陛下の望みでもある。それに聖王国は、あの目障りなロナン王国を抑えてくれると言うしな」
ロナン王国はベティア帝国と長年戦い続けている宿敵であった。
だが、五年前の魔法帝国を攻め滅ぼした聖征戦争の際は、聖王国の同盟国として共に戦った仲でもある。両国は戦利品である魔法帝国の遺産を共同で研究してもいる。そして大規模激突は控えつつ、小国の併合を進めていた。
そんなロナン王国とベティア帝国の勢力拡大に危機感を抱いた聖王国は、最後に残ったフェーリアン王国を乗っ取り、両国を牽制する動きを見せていた。
今現在、世界最高水準の軍事力を持つ聖王国に逆らうことはできず、両国は最後の得物が奪われつつあるのを黙って見ていることしかできなかった。
ところが少し前、密偵から伝令鴉を使った連絡があった。
どうやら聖王国の勢力は妖魔に囚われたフェーリアン王国の王女を救いに地下迷宮に向かい、全滅したらしい。その報告の真偽を確かめる前に、聖なる鳥に跨った聖王国からの使いの人間が訪れて、フェーリアン王国侵攻の手助けをすると提案して来た。
「提案して来たレイネル公爵は、息子に命じて彼の国を傀儡にさせようとしていました。その失敗をもみ消すために、私達を利用しようとしているのでしょう」
「ふむ……」
「フェーリアン王国を占領した後、レイネル公爵は息子が我々に殺されたなどの言いがかりをつけて、真相を闇に葬ると同時に、戦いで疲弊した我が軍を滅ぼすような形でフェーリアン王国を奪い取ろうと兵を出すのではと思われます。ひょっとしたら、ロナン王国も攻め込んで来るように裏で話を纏めているかもしれません」
「では、お前はこの話に乗るのは反対なのか?」
ガルドレックは信頼する副官に問いかけた。
「いいえ、閣下。裏を返せば、フェーリアン王国を占領するまで、彼らは手を出して来ないということです。つまり、我が黒鉄師団は苦もなく小国のひとつを手に入れられるのです。それに、相手の出方がわかっていれば、対策も打てるというものです」
薄く笑みを浮かべる副官の姿を見て、
「ギオルド参謀長、何か策があるのだな? ハハハ! まったく頼もしい奴だ!」
ガルドレックは豪快に笑い、副官――そして友人でもある男の背を叩いた。すると、ギオルドと呼ばれた男はゴホゴホとせき込む。
彼はガルドレックとは正反対の細身で不健康そうな男である。
白髪混じりの灰色の髪、髭は剃っており、腕は女のように細く、頬はこけている。ガルドレックとの唯一の共通点は、ベティア帝国人らしい背の高さと琥珀のような色の瞳である。武勇の腕はからっきしであるが、ガルドレックに知恵を貸す副官になることで士族の地位を手に入れた。
「策というほどのものではありません。レイネル公爵に敵対する派閥に、いくらか情報を渡すだけです」
ギオルドは何でもないことのように言うが、聖王国内部の権力闘争はなかなかに複雑であり、誰と誰が争っているかを見分けるのは困難である。武人の国であるベティア帝国内に、それを見極められる人物がいるなど、レイネル公爵は想像したことすらなかっただろう。
「しかし、聖王国が退いた地下迷宮の存在は気になります」
参謀長である男はここへ来るまで、地下迷宮の正体に関して少し探ってみたのだ。
世界のどこかに存在すると言われる、放浪するエルフの王子フィリオの隠れ家、ミノタウロスの王ジョシュの地下城塞、戦乙女の女王シュティアの霊廟など、様々な噂を耳にした。
だが、有益な情報は何ひとつ入って来なかった。
おそらく何者かが意図的に情報操作をしているに違いない。ギオルドはそのことが、どうしても気になってしまう。
ガルドレックは参謀長の心配を吹き飛ばすように語る。
「フェーリアン王国の王都を制圧してしまえば問題ない。地下迷宮など、出入口を封鎖してしまえばそれでよいではないか」
しかしギオルドは慎重な態度を変えない。
「……閣下、やはり地下迷宮の存在が気になります。フェーリアン王国に攻め込む兵を準備している間、地下迷宮を探索する者達を派遣させてもよろしいでしょうか?」
「お前がそんなに気にするなら、いいだろう。許可する」
ガルドレックは友人として、副官として信頼している男に任せることにした。その言葉を聞き、ギオルドは恭しく頭を下げる。
そして、その日のうちに伝令鴉がフェーリアン王国に飛び立ったのであった。
* * *
邪悪にして悪辣なる地下迷宮の地下遺跡、地下迷路をくぐり抜けて、さらに進んだ先にあるのは、第三層――地底に生み出された密林地帯である。
南方の熱帯雨林を思わせる高温多湿のこの地帯は、煮えるように暑い。
むろん床石などというものはなく、ごつごつした赤茶の地面がむき出しになっている。マングローブの下には、泥の底なし沼あるいは緑がかった川が流れている。
アルアークは召喚魔法を使い、この場所に無数の動植物を呼び出していた。
人間をも呑み込むほどの巨大な蛭、流れ出た血に触れると麻痺してしまう黄土色のワニ、子供を丸呑みにできるほど顔面が大きく骨格全体がスケルトン状になっている肉食魚、美しいオレンジ色の花を咲かせて獲物を誘惑する人食い植物など、いずれも危険な化け物である。
それに加えて、ここには無数の害虫や獣が生息しており、準備不足の冒険者は一日で屍をさらすことになるだろう。
しかし、危険が大きいほど見返りも大きい。
密林の奥に進んで行くと、聖神教が栄えるよりも遥か以前に存在した異教の神々を祀る白亜の神殿を目にすることになる。
神殿は石の壁で囲まれ、数千人の信徒を受け入れられる大きさを誇っていた。しかし聖神教と違い、無数の神々を奉じる異教の神殿には、数十体もの神像が鎮座し、無数の手足を持つ悍ましい姿をさらしている。その目や歯の部分には、色とりどりの宝石が嵌められており、手や足に施された装飾品には不可思議な魔法の力が込められていた。
これらの像はすべて、仮初の命を吹き込まれた魔法の像であり、神殿を訪れた者が地下迷宮に属する者であれば祝福し、財宝を狙ってやって来た侵入者であれば襲い掛かるように作られている。
神殿を作成したのは、地下迷宮の支配者の一人ハルヴァーである。第三階層に造られた神殿の数は五十を超えていた。
そんな神殿のひとつに、プルックは配下のゴブリン達を引き連れて向かっていた。
だが密林地帯を抜ける途中で、半数以上の仲間が死んだ。
地下迷宮を支配する主の加護により、プルック達は地下迷宮の罠も魔物も無視して通り過ぎることができるのだが、今回はその加護を一時的に解いている。
何故そのようなことをしているのか? 話はアルアークから「強制進化の祭壇」の力を聞いた時までさかのぼる。
「強制進化の祭壇」の力を聞いたゴブリン達は、その力が非常に魅力的であると同時に、危険なものであると理解した。
無制限で使用を許可されれば、自分達は安易にその力に頼ってしまうことになるだろうと、子供のゴブリンでも簡単に予想できた。そうなれば、結末はろくでもないものになると悟ったのである。これは、彼らの臆病さゆえ発揮される一種の防衛本能だったかもしれない。
だが同時にゴブリンは、このままでは自分達が人間に勝てないことも理解していた。村々に奇襲を仕掛け、人間の何倍もの兵を以て襲い掛かったにもかかわらず、予想を超える死傷者を出していたからである。
アルアークとハルヴァーの力は絶大であるが、その力は地下迷宮の内部にしか届かない。
そのため、地下迷宮の支配者達がゴブリン達兵に求めるのは、外に襲撃を仕掛けることなのだ。その役割を果たせなければ、地下迷宮の支配者達から捨てられるかもしれない。今、地下迷宮の外に追い出されれば、戦いで死ぬ以上のゴブリンが死ぬことになる。
ゴブリン達は何日も相談し、どうするかを決めた。
力を望む者達だけを集め、試練を乗り越えた者にだけ、「強制進化の祭壇」の加護を得る。と、自ら制限をかけることにしたのである。
卑小な存在と侮られているゴブリン達の出した結論を聞き、アルアークとハルヴァーは驚いた。そして、地下迷宮の支配者としてこう宣言したのである。
「その案を受け入れよう。ゴブリン族の未来に幸あれ、試練を乗り越えた者には力を約束しよう」
「君達が忠実である限り、私達は君達を見捨てない」
その言葉を聞き、プルックは安堵して先頭に立ったのである。
相当数の戦えるゴブリンが集まり、その中からさらに精鋭とも言えるゴブリン達が試練を受けることになった。
試練の内容は、第三階層の密林を抜けて「強制進化の祭壇」がある神殿までたどり着くことである。
当然、神殿までの道のりは楽ではない。底なし沼に落ちる者、巨大な大蛇に丸呑みにされる者、暑さにやられて倒れる者など、多くのゴブリンが次々と脱落していった。
しかしそれでも不屈の意志を持ち、幸運にも恵まれたゴブリン達がいる。
その中に、ゴブリンの族長であるプルックもいた。
神殿まで辿り着いたゴブリン達を、一人の少女が出迎えた。
「プルックさん、変化と色彩を司る神シュペルニアの神殿へようこそ」
地下迷宮の支配者に忠誠を誓う少女、シアである。
どんよりとした金色の瞳には、彼らの勇気を称賛するかのように敬意の光が宿っている。
「アルアーク様とハルヴァー様が最上階でお待ちです」
「……みんな、あと一息だ」
プルックの言葉に励まされて、ゴブリン達は神殿の内部に入って行く。
蒸し暑い密林と違い、神殿の中はひんやりと心地よい冷たさに満ちていた。
試練に疲れたゴブリン達は、あまりの心地よさにそのまま眠りたくなってしまう。だが、主人を待たせるわけにはいかないと、必死に歩き続けた。
目指すは神殿の最上階。無数の階段を上る必要がある。
複雑に入り組んだ神殿を、シアが先導した。
小柄な人間の少女とは思えないほど足が速い。プルック達はついて行くのが精いっぱいであった。みんな必死である。集団からはぐれれば、神殿内部に巣食う魔物や罠の餌食になってしまうのだ。
曲がりくねった回廊を進み、何度も階段を上り、一時間以上もの時間を掛けて、ようやく彼らは神殿の最上階に辿り着いた。
そこに、地下迷宮の支配者達がいた。
彼らのすぐ近くには、巨大な樹に無数の動物が交じりあった奇妙な神の石像がある。
「今ここにいる者達に、祝福を……」
「途中で力尽きた者達に、安らぎを……」
「「新しき種の誕生を讃えよう」」
アルアークは重々しく、ハルヴァーは歌うように軽やかに言った。
その言葉に反応したのか、巨大な樹はますます捻じれて蠢き始め、石の獣達もまるで生きているかのように動き始めた。巨大な樹に無数の動物が交じりあった神の石像は、奇怪な踊りをしているようだ。
「この神像が『強制進化の祭壇』だ」
「遥か太古に存在した神々の権能を宿した道具だよ。兄様と私は死者の魂を糧に、古き神々の権能を解放させることができるんだ」
彼らが説明している間に神像の一部がひび割れて、その割れ目から葡萄酒に似た濃い紫色の液体が流れ始めた。
それを見届けたアルアークは、ゴブリン達の手元に小さな銀の杯を魔法で呼び出す。
「さあ、試練を乗り越えた者達よ。ゴブリンという種の先にある未来を見せてくれ」
その言葉が引き金となり、ゴブリン達は我先にと紫色の樹液を銀杯に汲み取ると、一気に飲み干した。
* * *
勇者カイルに捕らえられたゴブリンは、プルックの息子の一人で、その名前をグラッドと言う。
飛竜に食いつかれた時は死を覚悟したが、そのまま捕らえられ、モニカという少女の尋問を受けることになった。
グラッドは何も言うまいと口を閉じていた。にもかかわらずモニカは、グラッドが示すごく僅かな視線の動き、体の震えなどから、グラッド達が出て来た地下迷宮へと通じるおおよその道筋を突き止めてしまったのである。
用済みとなったグラッドは不思議なことに殺されることなく解放された。
解放されてからしばらく、グラッドはこのまま死んでしまうべきか悩んでいた。しかし、自分が失敗したこと、強力な敵が近くにいることを伝えなくてはならないと思い直し、地下迷宮に戻ることを選択した。
不幸中の幸いは、彼が乗っていた狼が戻って来たことである。
しかも、二羽の野兎をくわえてである。
彼は今、地下迷宮の出入口から少し離れた森の中にいた。火を熾すのはまずいと思い、月と星の光を頼りにして、靴裏に隠していたナイフで兎の皮を剥いだ。
「バルネト……、おめぇと一緒に飯を食うのも今日で最後かもしれねェな」
グラッドは狼の言葉が大まかながら理解できるし、彼の言葉は相手にもだいたい伝わる。
異能と言うほど大げさなものではないが、狼に騎乗できるゴブリン達は皆このような特性を持っているのだ。
「ぐぅぅうううるるる」
相づちを打つように、バルネトと呼ばれた狼が低いうなり声を上げた。
兎を適当にばらすと、一羽は自分の前に、もう一羽は狼の前に置いた。ゴブリンは悪食である。生のまま、ガツガツと兎肉を食いちぎる。皮を剥ぐのもいい加減だったため、無数の毛が肉と一緒に口中に入って来るが、ゴブリンは気にすることなく食べきってしまう。
小さい彼らは、人間の食べる半分以下の量で腹が膨れるのだ。
骨をしゃぶりながら、グラッドはこれが最後の食事になるかもしれないと考えていた。
地下迷宮に対して不利な情報を渡したのだから、極刑は免れないだろう。死ぬのは怖いが、父であるプルックや兄弟姉妹、仲間達にまで迷惑が掛かるのは絶対に避けなければならない。
「……クソッ」
我が身が可愛いだけの人間ならば、逃亡を考えただろう。だが、グラッドは同胞のために命を捨てる覚悟で、恐ろしい罰を受けるとわかっていながら、地下迷宮に戻る決心をした。
しかしだからと言って恐怖がなくなるわけではない。
腹が膨れて、余裕が出た分、色々なことを考えてしまう。人間ならば、聖神にでも祈ったかもしれないが、ゴブリンは神を信じていない。よって、何かにすがることもできない。
「グルルルルゥゥゥ」
「バルネト、どうした?」
兎を食べ終えた狼は、木々の奥を警戒するように低い唸り声を上げた。
ただ事ではないと、グラッドがバルネトの背に飛び乗った次の瞬間、「ウオォオオオオ!」と叫び声を上げて、突然ミノタウロスが襲い掛かって来た。
ミノタウロスは、体は人間、頭は雄牛という妖魔である。筋骨隆々で高身長、目は燃えるような赤色で、鋭く立派な角をはやし、茶色の毛皮に覆われた全身の筋肉は硬く引き締まっており、並の剣では歯が立たない。
彼らは生粋の戦闘種族で、好んで斧を使う。
縄張りに踏み込むようなことさえしなければ、何ら問題は起こらないのだが、縄張りに入り込んだ者は、人間であれ妖魔であれ、ミノタウロスは容赦なく襲い掛かって来る。
グラッドはおそらく、自分でも気づかぬうちに縄張りを荒らしてしまったのだろう。
「ギャァアアアアアアア!!!!!!!」
狼に跨ったグラッドは、情けない悲鳴を上げて逃げ惑った。
なにせミノタウロスは大木をも一刀両断するほど巨大な斧を持っており、しかも軽々と操っているのだ。対してグラッドの武器はナイフ一本。狼バルネトの爪も牙も、分厚い毛皮と筋肉で覆われたミノタウロスの体を傷つけることはできない。
「こ、こんなところで死ねねェ!」
先ほど、いったんは死の覚悟を決めたグラッドであるが、無意味に死にたいわけではない。
グラッドはこの世に生を享けてまだ一ヵ月程度である。その年齢を無理やり人間の年齢に換算するなら、十五、六歳程度だろうか?
ゴブリンは生後半年間ほどが最も成長する時期である。それ以降は、たいして成長することはない。
つまり、今は人生でとりわけ成長著しい時期なのだが、同時に一番死にやすい時期でもある。
「侵入者コロス」
鼻息を荒くしながら、ミノタウロスは巨大な斧を振り下ろした。この攻撃をまともに受けたら体を真っ二つにされる。
「後ろに跳べ!」
グラッドは即座に指示を出した。彼の相棒である狼はその期待に応えて、大きくバックステップする。
「う、うぉおお?」
またしても情けない声を上げるゴブリンだが、誰が彼を責めることができよう?
むしろ、狼から振り落とされなかった騎乗能力の高さを褒めるべきである。
「ガァア!! アォオオオンン!!」
「か、勝てねェから逃げようって? そりゃ賛成だけど……、隙がネェ」
ミノタウロスは斧を構えたまま、ジリジリと間合いを詰めて来る。先ほどの一撃を回避されて、いささか慎重になったのかもしれない。
だがもしも今、ここで背を向ければ、その瞬間に叩き斬られる。
ミノタウロスがさらにあと一歩進もうとしたところで、
「ヤめろ。ブラッドハート」
低いがよく通る声は、ずっしりと重く、聞く者に重圧を与えるが、同時に頼もしさも感じさせる力強さがある。
「ドルド、止メルナ、コイツ、侵入者、敵」
「追イ払う相手が違うゾ。こいつはゴブリン、人間じゃナい」
声の主はそう言って、ミノタウロスを説得しようとしていた。
(いったい、誰だ?)
グラッドはミノタウロスの後ろにいる人物を見ようと、少しばかり視線を動かそうとする。
その瞬間、
「全部殺セバ問題ナイ!」
ミノタウロスが咆哮を上げ、グラッドに襲い掛かって来た。
「愚か者ガ」
グラッドが回避するより早く、ミノタウロスの背後にいる存在が拳を振るった。
直後、雷鳴がとどろくような音が鳴り響き、ミノタウロスは体を震わせて崩れ落ちる。
「小サきゴブリンと戦っテも、意味はない」
「オ、オーク……」
グラッドは自分を助けてくれた種族の名を呟いた。
オークという種族は、人に近い姿をしているが、二メートルを超える巨漢であり、鋼のような筋肉の持ち主である。凶悪な顔つきに黄色い目、不揃いで鋭い犬歯、暗い緑色の肌、頭には天をつくように角が伸びており、茶色い髪を生やしている。
がっしりとした筋肉を誇示するように上半身は裸であり、腰に着けているのは布だけという原始的な姿である。だが、その姿を見て、グラッドは感激していた。
圧倒的な暴力の塊。
自分には決して手の届かぬものを仰ぎ見るように、憧れ、尊敬、称賛など、様々な感情の混じった目で相手を見ていた。だが、オークはミノタウロスを肩に担ぐと、ゴブリンに興味はないとばかりに歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってくだせェ。アニキ!」
上手くすれば自分の失態を帳消しにできるかもしれないと考えたグラッドは、慌てて彼の後を追いかける。
* * *
プルック達が「強制進化の祭壇」に向かっている間、彼らに同行することのできなかった弱いゴブリン達は、せめて集団としての力が発揮できるようにと、テェルキスとソフィの指導を受けていた。
さすが地下帝国に仕える騎士達の訓練は厳しい。ゲロを吐くほどの猛特訓に、多くのゴブリンが死にそうな悲鳴を上げていた。
そんな彼らに対して、指導者である二人はこう述べた。
『陛下のお役に立てるようになるには、まだまだ鍛錬が必要だ』
「戦場で死ぬよりましです」
訓練は日に日に厳しさを増していき、次々に脱落者を出していった。
それでもなお指導者達は、やる気を殺がないようにと、優秀な者には褒美を与え、足を引っ張る者には容赦なく制裁を加える。
こうしてようやく、軍団として機能するまでになった。
「小隊として行動する分には、なんとか及第点ですが、中隊、大隊規模での行動は難しいですね」
真っ黒に染まったバケツのような兜を被った女騎士ソフィは、テェルキスと話しながら歩いている。いや、正確にはソフィが一方的に話しかけているだけである。
「やはり、中隊、大隊を纏める強力な指導者が必要だと思います!」
『……』
そんな大声で話し続けて疲れないのだろうかと、テェルキスはバケツのような兜を被った女騎士の方を見た。最近、ソフィにずっと付きまとわれている気がする。
その所為か、妙な疲れを感じる。
(精神的疲労? この私が?)
ありえない、と一笑に付し、テェルキスは無言で歩み続ける。人間ではない彼には疲労という言葉は無縁であるはずなのだ。だが、どうにも気分が悪い。
だが、終末の騎士はなにも言わず歩み続ける。
今向かっているのは、地下迷宮の第五階層にあって「転移の間」と呼ばれる部屋である。
そこは地下迷宮と外をつなぐ場所のひとつであり、軍勢を素早く各地に送り込むための地下迷宮設備でもある。
だが現状、外に出せる兵であるゴブリン達が訓練中のため、違う用途――フランディアルが外に出る時や外から大量の食糧や武器などを仕入れる時に利用されている。
まさか冒険者達が入って来る地下迷宮の出入り口から堂々と物資を輸送したり、国の要人を招いたりするわけにもいかないからだ。
調整が必要なため、一日に一度しか動かすことができないという欠点はあるが、それを差し引いても、この施設は大いに役立っている。
彼らが「転移の間」へ向かう理由は、新しく地下迷宮を訪れる客人の案内役を務めるためである。
「ソレでですね。テェルキスさん、もしよろしければこの後一緒に……」
『静かにしろ。客人が来る』
相手を黙らせようと、紺碧の騎士は若干のいら立ちを交ぜて短く告げる。その言葉を受け、バケツ兜をつけた女騎士はしょぼんりとする。
地下迷宮の施設はそのほとんどが巨大な建造物であり、「転移の間」もその例に洩れることなく、巨人が走り回れるほどの広さがある。石畳の床には、蒼白い輝きを放つ魔法陣が幾重にも重なって描かれており、それを上から見下ろすと、複雑怪奇な幾何学模様になっていることがわかる。
部屋の隅には、遠方から送り届けられた食糧の詰まった箱が積み上げられている。
送ったのはアルアークとハルヴァーの魔法の師匠であるが、用意をしたのは別の者達である。
そして、その人物達が今まさにここを訪れようとしていた。
『来るぞ』
テェルキスが言うのとほぼ同時に、魔法陣が輝きながら回り始める。
円と円が重なり、ひときわ強い光を放つと、何十人もの人間が現れた。
最初に姿を現したのは黒装束の集団である。
半数はフード付きの黒い外套を羽織って顔を隠している。男か女か判別がつかず、目の前にいてさえほとんど気配を感じさせない。
「〝黒蠅〟のルガル。魔法帝国の皇子アルアーク様、皇女ハルヴァー様に御目通り願いたく参上いたしました」
代表者らしき小柄な人物が前に出て自己紹介する。
テェルキスもソフィも、彼のことは聞いていた。
聖王国に裏切られ、魔法帝国に救われた暗殺集団〝黒蠅〟。
男の容姿は非常に醜く、女は美しいといわれる呪われた一族であるが、優れた身体能力を買われて、聖王国に逆らう国の高官を何人も暗殺している。
だが、聖王国の暗部に踏み込み過ぎたせいで、集落ごと潰されることになった。そこを、聖王国と仲の悪かった魔法帝国が救いの手を差し伸べ、彼らを保護したのである。敵対する相手も受け入れる度量の深さは魔法帝国の美点である。
もっとも、それが聖王国が侵攻を加えるきっかけのひとつとなったのだから、欠点とも言えるかもしれない。
もう片方の一団の代表は、踊り子のように肌も露わな衣装を着た美女、美少女達を侍らせた青年である。
「友、アルアークの招きに応じた」
青年は前に出ると、切れ長な目を細めて大仰な動作で一礼した。
身に纏った服は最高級のモノであり、両手の指に宝石で飾られた金や銀の指輪が嵌められている。それ以外にも、無数のアクセサリーを身に着けていた。首飾りや腕輪、耳飾り、ベルトなども、高価な品々であり、彼の財力の高さを象徴している。
「〝狼と蛇の会〟の会長テオドール・ビロスト」
彼はそう名乗り、口を歪めて「キシシ」と独特の笑い声を上げる。
二十代半ば、短く切った薄い金色の髪に、青空のような瞳で、顔立ちは整っているが、狼か蛇の如き印象――要するに、油断ならないと思わせる男なのである。
テェルキスとソフィは、客人を「王の間」まで連れて来るようにと言われている。
紺碧の騎士は腰に提げた首輪をジャラリと鳴らしながら、軽く頭を下げる。
『我らが王の元まで、ご案内いたします』
「お願いいたします」
「よろしく頼む」
片方は丁寧に、もう片方はいささか軽い感じで、テェルキスの申し出を受け入れた。
地下五階から「王の間」がある地下七階まで、普通に移動しては、何日もかかる。そのため、途中、「転移の間」に似た瞬間移動施設を使用して、「王の間」まで移動することになる。
地下迷宮内を瞬間移動する設備は便利ではあるが、反面、敵に押さえられた時の不利益が大きいので、使用できる者は限られている。そのため、地下迷宮の支配者達は使用許可の出ているテェルキスとソフィに案内役をするよう命じたのである。
道中、ルガルをはじめとする黒装束の一団は無言であったが、テオドールと彼が引き連れて来た女の集団は、地下迷宮内を物珍しげに見回しながら、観光でもするかのように色々とテェルキスに尋ねて来た。
――先ほどあった大広間に飾られていた、翡翠で作られた獅子の像はどれくらいの価値か?
――今すれ違った、竜のような角を生やした美しい女悪魔の名前は?
――都市よりも巨大な地下迷宮をどうやって維持しているのか?
などなど、些細なことから地下迷宮の核心に触れる部分まで、次々と質問をして来た。
その都度、濁声のテェルキスの代わりにソフィが返答することになった。
ゴブリン達の訓練にあたる時間以外は、地下迷宮に関する様々な知識を授かるために使われている。おかげで、客人の質問に対して、無難な回答をすることができた。
本人は喜ばないだろうが、声が大きいので、解説役としても有能だと言える。
少しばかり歩いた後、一行は「王の間」の前に到着した。
客人の気配を感じたのか、天使と悪魔が武器を持って戦っている絵の描かれた扉が音を立ててゆっくりと開いた。
そして、
「久しぶりだな。テオ」
「よく来たね。ルガル、それに〝黒蠅〟のみんなも元気だった?」
アルアークとハルヴァーが彼らを出迎えた。
普段は一段高い場所で訪問者を見下ろしている彼らだが、今回は特別とばかり、玉座から下りて来て、彼らの来訪を歓迎しているのだ。
「キシシ、アル、ハルヴァーちゃん。久しぶりだな」
テオドールはアルアークを愛称で呼び、不敵な笑みを浮かべながら、気取った風に一礼した。いちいち芝居がかっているが、どうにも憎めない愛嬌のようなものがある。その後ろにいる女達は、主人に倣うように、洗礼された動作で頭を下げた。
それを見て、まずはアルアークが口を開く。
「食糧の提供に感謝する。だが……」
「間違って結構な量を送って来たよね? まあ、ゴブリン達はどんどん生まれているから、問題ないけど、追加料金はおいくら?」
「え? 追加料金? ハルヴァーちゃん、何言ってんだ?」
「〝指輪卿〟に確認を取ったんだけど、一月分の料金だけしか支払っていないらしいから」
以前、一ヵ月分の食糧を頼んだところ、一ヵ月分を優に超える量が送られて来たのだ。何かおかしいと思い、地下迷宮の財政を管理しているユニーク・モンスターに確認してみたところ、支払いとして送った金塊は地下迷宮の保有する財産のうち、僅か一滴にも満たない量だった。いくらなんでも、食べ物がこんなに安いはずがない、相手の間違いだと、地下迷宮の支配者達は思い込んでいた。
だが、
「キシシ、ご冗談を……、注文したのは一年分だろ?」
「え?」
「ん?」
地下迷宮を支配する兄妹はお互いの顔を見合わせた。その様子を見て、「……あれ? 違うのか?」と言って、テオドールは苦笑いを浮かべる。
「魔法の勉強ばかりしていないで、少しは外に出て世間のことを学んだ方が良いぜ。ロナン王国は魔法帝国から手に入れた技術を改良して、自国の穀倉地帯を一気に倍以上にしたんだ。ここ数年は豊作続きで、小麦なんかの値段は軒並み下がっている」
「……そうだったのか」
「私達の知識って、五年も前のものだもんね」
肩を落とす兄妹を慰めるように、テオドールは軽く肩を叩く。
「ま、まあ、気にすんなよ。そのあたり、必要なら専門家を紹介するぜ。いや、それよりも、オレが色々教えてやるよ。なに、少しコツを掴めば、相場なんてすぐに読み取れるようになる。授業料は、国ひとつでどうだ?」
おどけるように言うテオドールだが、商人特有の抜け目のなさと、アルアークに対する友情が綯い交ぜになった提案だった。
「考えておく」
「だね。兄様」
そう言って、兄妹はもう一組の客人達の方に目を向けた。
友人に接する時の気易い態度のテオドールに対して、ルガルと〝黒蠅〟の面々は、仕えるべき主人と頭を同じ高さにするなど畏れ多いと言わんばかりに、即座に頭を床にこすり付けた。彼らの一糸乱れぬ動きは、訓練された軍隊のように素早く、文句のつけようがない。
「……ルガル、そんなに畏まらないでよ。もっと楽にして」
「姫様。先の戦ではお役に立てず、誠に申し訳ありませんでした。本来ならば命で償うべきところ、ご慈悲を賜り、生き恥を曝しておりましたが、このたび再び使ってくださるとのこと……、我ら〝黒蠅〟の一族、今度こそ身命を賭して、お役に立つことを誓います」
「キミ達が頑張ったのは知っているよ。だから気にしないで。命を無駄にしちゃダメだよ。私達が死ねと言うまで死なない。約束できるかな?」
「誓います」
「うん、じゃあ顔を上げて」
頭を下げていたルガルは怯えたように体を震わせて、言葉を紡ぐ。
「わ、わたくしのような醜い面相を魔法帝国の……、それも王族の方に向けるなど、どうかご容赦を……、姫様が穢れてしまいます」
「私達に忠誠を誓う臣下ならば、その顔を見るべきだと思う。その瞳の奥に何があるかを感じ、何を望むかを見て、期待に応えたい。そうだよね? 兄様!」
「ああ、その通りだ」
アルアークは重々しく頷いて告げる。
「ルガル、さあ立ち上がり、面を上げて顔を見せよ」
その一言で、ルガルはゆっくりと身を起こすと、顔を隠していたフードを取った。
その下にあったのは、確かに醜い貌。
年の頃は判別不能だが、かなり老けているようにも見える。焼けただれた顔に抜け落ちた髪、手も足もボロボロであり、褐色の肌も薄汚れている。
一見、浮浪者か何かと見間違えそうなほど、その姿は酷い。
だが、濁った黄色い目には世に絶望した者が浮かべる諦観の色はなく、主の命に従って尽くそうとする忠義の輝きがある。
それを見て、ハルヴァーは満足そうに頷くと、ルガルの顔に美しい手で触れた。
「〝黒蠅〟の一族、聖王国から追われた暗殺者達、ごめんね。君達をちゃんと保護したかったんだけど、力不足だった」
「そして、お前達の力の使い方も間違っていた。お前達の本領は防諜活動ではなく、やはり、暗殺と破壊活動だ。ルガル……、今一度、お前達の力を借りたい。私達の復讐に付き合ってくれないか?」
地下迷宮の支配者達から直々に言葉を受け、ルガルは感極まったように涙を浮かべながら語る。
「……住処を失い、今までご迷惑をかけていた我らを受け入れてくれたこと、その恩義に報いることができなかった我らに、再びチャンスを頂けるとは……、これほど寛大で偉大な支配者に仕えられるのは、我らにとって至上の喜びです」
ルガルの涙が滴になって落ちる前に、ハルヴァーは繊細な指で涙を払い、告げる。
「滅ぼされた魔法帝国の復讐を一緒にやろう。今この瞬間から、君達の雇い主は兄様と私だよ。私達のために働いて……、代わりに君達の居場所を用意してあげる。暗殺集団としての力、衰えていないよね?」
「無論です」
「うん、期待しているよ。ね、兄様!」
「ああ、忠誠には報償を、裏切りには血を、だ。〝黒蠅〟達、改めて歓迎しよう」
そう言って、アルアークが右手を差し出すと、ルガルは手の甲に口づけをし、忠誠を誓った。
「心得ております。我が一族の力、どうかお役立てください」
ルガルの手を掴み、ハルヴァーは彼を無理やり引っ張る。
「さあ、それじゃあ中に入って。ささやかだけど、宴の準備をしたんだから!」
ベティア帝国では、士族と呼ばれる階級の者が、他国で言うところの貴族である。
平民の生まれであっても、戦場で成果を上げた者は士族に迎えられる。
逆に士族であっても、戦場で活躍できなければ階級を落とされる。士族には多くの特権が与えられているため、多くの者が士族を目指して、あるいは士族の地位を守るために、日夜厳しい訓練に明け暮れている。
この士族制度は軍事大国であるベティア帝国に相応しいと、ガルドレックは考えている。
「閣下、聖王国の話に乗るおつもりですか?」
「ああ」
ガルドレックは短い言葉で応じた。
彼は癖の強い赤茶髪の持ち主であり、髪と同じ色のもじゃもじゃの髭を蓄えた山のような大男である。四十を過ぎても鍛えられた筋肉を維持し、顔や腕には無数の古傷がある。
その外見通り、戦場で勇猛さを示し続けて士族に選ばれた元平民だった。
聖征戦争においては一軍を率いて魔法帝国の魔導兵団を打ち破り、士族最高の称号である将軍の地位を勝ち取っている。
「フェーリアン王国を占領することは、皇帝陛下の望みでもある。それに聖王国は、あの目障りなロナン王国を抑えてくれると言うしな」
ロナン王国はベティア帝国と長年戦い続けている宿敵であった。
だが、五年前の魔法帝国を攻め滅ぼした聖征戦争の際は、聖王国の同盟国として共に戦った仲でもある。両国は戦利品である魔法帝国の遺産を共同で研究してもいる。そして大規模激突は控えつつ、小国の併合を進めていた。
そんなロナン王国とベティア帝国の勢力拡大に危機感を抱いた聖王国は、最後に残ったフェーリアン王国を乗っ取り、両国を牽制する動きを見せていた。
今現在、世界最高水準の軍事力を持つ聖王国に逆らうことはできず、両国は最後の得物が奪われつつあるのを黙って見ていることしかできなかった。
ところが少し前、密偵から伝令鴉を使った連絡があった。
どうやら聖王国の勢力は妖魔に囚われたフェーリアン王国の王女を救いに地下迷宮に向かい、全滅したらしい。その報告の真偽を確かめる前に、聖なる鳥に跨った聖王国からの使いの人間が訪れて、フェーリアン王国侵攻の手助けをすると提案して来た。
「提案して来たレイネル公爵は、息子に命じて彼の国を傀儡にさせようとしていました。その失敗をもみ消すために、私達を利用しようとしているのでしょう」
「ふむ……」
「フェーリアン王国を占領した後、レイネル公爵は息子が我々に殺されたなどの言いがかりをつけて、真相を闇に葬ると同時に、戦いで疲弊した我が軍を滅ぼすような形でフェーリアン王国を奪い取ろうと兵を出すのではと思われます。ひょっとしたら、ロナン王国も攻め込んで来るように裏で話を纏めているかもしれません」
「では、お前はこの話に乗るのは反対なのか?」
ガルドレックは信頼する副官に問いかけた。
「いいえ、閣下。裏を返せば、フェーリアン王国を占領するまで、彼らは手を出して来ないということです。つまり、我が黒鉄師団は苦もなく小国のひとつを手に入れられるのです。それに、相手の出方がわかっていれば、対策も打てるというものです」
薄く笑みを浮かべる副官の姿を見て、
「ギオルド参謀長、何か策があるのだな? ハハハ! まったく頼もしい奴だ!」
ガルドレックは豪快に笑い、副官――そして友人でもある男の背を叩いた。すると、ギオルドと呼ばれた男はゴホゴホとせき込む。
彼はガルドレックとは正反対の細身で不健康そうな男である。
白髪混じりの灰色の髪、髭は剃っており、腕は女のように細く、頬はこけている。ガルドレックとの唯一の共通点は、ベティア帝国人らしい背の高さと琥珀のような色の瞳である。武勇の腕はからっきしであるが、ガルドレックに知恵を貸す副官になることで士族の地位を手に入れた。
「策というほどのものではありません。レイネル公爵に敵対する派閥に、いくらか情報を渡すだけです」
ギオルドは何でもないことのように言うが、聖王国内部の権力闘争はなかなかに複雑であり、誰と誰が争っているかを見分けるのは困難である。武人の国であるベティア帝国内に、それを見極められる人物がいるなど、レイネル公爵は想像したことすらなかっただろう。
「しかし、聖王国が退いた地下迷宮の存在は気になります」
参謀長である男はここへ来るまで、地下迷宮の正体に関して少し探ってみたのだ。
世界のどこかに存在すると言われる、放浪するエルフの王子フィリオの隠れ家、ミノタウロスの王ジョシュの地下城塞、戦乙女の女王シュティアの霊廟など、様々な噂を耳にした。
だが、有益な情報は何ひとつ入って来なかった。
おそらく何者かが意図的に情報操作をしているに違いない。ギオルドはそのことが、どうしても気になってしまう。
ガルドレックは参謀長の心配を吹き飛ばすように語る。
「フェーリアン王国の王都を制圧してしまえば問題ない。地下迷宮など、出入口を封鎖してしまえばそれでよいではないか」
しかしギオルドは慎重な態度を変えない。
「……閣下、やはり地下迷宮の存在が気になります。フェーリアン王国に攻め込む兵を準備している間、地下迷宮を探索する者達を派遣させてもよろしいでしょうか?」
「お前がそんなに気にするなら、いいだろう。許可する」
ガルドレックは友人として、副官として信頼している男に任せることにした。その言葉を聞き、ギオルドは恭しく頭を下げる。
そして、その日のうちに伝令鴉がフェーリアン王国に飛び立ったのであった。
* * *
邪悪にして悪辣なる地下迷宮の地下遺跡、地下迷路をくぐり抜けて、さらに進んだ先にあるのは、第三層――地底に生み出された密林地帯である。
南方の熱帯雨林を思わせる高温多湿のこの地帯は、煮えるように暑い。
むろん床石などというものはなく、ごつごつした赤茶の地面がむき出しになっている。マングローブの下には、泥の底なし沼あるいは緑がかった川が流れている。
アルアークは召喚魔法を使い、この場所に無数の動植物を呼び出していた。
人間をも呑み込むほどの巨大な蛭、流れ出た血に触れると麻痺してしまう黄土色のワニ、子供を丸呑みにできるほど顔面が大きく骨格全体がスケルトン状になっている肉食魚、美しいオレンジ色の花を咲かせて獲物を誘惑する人食い植物など、いずれも危険な化け物である。
それに加えて、ここには無数の害虫や獣が生息しており、準備不足の冒険者は一日で屍をさらすことになるだろう。
しかし、危険が大きいほど見返りも大きい。
密林の奥に進んで行くと、聖神教が栄えるよりも遥か以前に存在した異教の神々を祀る白亜の神殿を目にすることになる。
神殿は石の壁で囲まれ、数千人の信徒を受け入れられる大きさを誇っていた。しかし聖神教と違い、無数の神々を奉じる異教の神殿には、数十体もの神像が鎮座し、無数の手足を持つ悍ましい姿をさらしている。その目や歯の部分には、色とりどりの宝石が嵌められており、手や足に施された装飾品には不可思議な魔法の力が込められていた。
これらの像はすべて、仮初の命を吹き込まれた魔法の像であり、神殿を訪れた者が地下迷宮に属する者であれば祝福し、財宝を狙ってやって来た侵入者であれば襲い掛かるように作られている。
神殿を作成したのは、地下迷宮の支配者の一人ハルヴァーである。第三階層に造られた神殿の数は五十を超えていた。
そんな神殿のひとつに、プルックは配下のゴブリン達を引き連れて向かっていた。
だが密林地帯を抜ける途中で、半数以上の仲間が死んだ。
地下迷宮を支配する主の加護により、プルック達は地下迷宮の罠も魔物も無視して通り過ぎることができるのだが、今回はその加護を一時的に解いている。
何故そのようなことをしているのか? 話はアルアークから「強制進化の祭壇」の力を聞いた時までさかのぼる。
「強制進化の祭壇」の力を聞いたゴブリン達は、その力が非常に魅力的であると同時に、危険なものであると理解した。
無制限で使用を許可されれば、自分達は安易にその力に頼ってしまうことになるだろうと、子供のゴブリンでも簡単に予想できた。そうなれば、結末はろくでもないものになると悟ったのである。これは、彼らの臆病さゆえ発揮される一種の防衛本能だったかもしれない。
だが同時にゴブリンは、このままでは自分達が人間に勝てないことも理解していた。村々に奇襲を仕掛け、人間の何倍もの兵を以て襲い掛かったにもかかわらず、予想を超える死傷者を出していたからである。
アルアークとハルヴァーの力は絶大であるが、その力は地下迷宮の内部にしか届かない。
そのため、地下迷宮の支配者達がゴブリン達兵に求めるのは、外に襲撃を仕掛けることなのだ。その役割を果たせなければ、地下迷宮の支配者達から捨てられるかもしれない。今、地下迷宮の外に追い出されれば、戦いで死ぬ以上のゴブリンが死ぬことになる。
ゴブリン達は何日も相談し、どうするかを決めた。
力を望む者達だけを集め、試練を乗り越えた者にだけ、「強制進化の祭壇」の加護を得る。と、自ら制限をかけることにしたのである。
卑小な存在と侮られているゴブリン達の出した結論を聞き、アルアークとハルヴァーは驚いた。そして、地下迷宮の支配者としてこう宣言したのである。
「その案を受け入れよう。ゴブリン族の未来に幸あれ、試練を乗り越えた者には力を約束しよう」
「君達が忠実である限り、私達は君達を見捨てない」
その言葉を聞き、プルックは安堵して先頭に立ったのである。
相当数の戦えるゴブリンが集まり、その中からさらに精鋭とも言えるゴブリン達が試練を受けることになった。
試練の内容は、第三階層の密林を抜けて「強制進化の祭壇」がある神殿までたどり着くことである。
当然、神殿までの道のりは楽ではない。底なし沼に落ちる者、巨大な大蛇に丸呑みにされる者、暑さにやられて倒れる者など、多くのゴブリンが次々と脱落していった。
しかしそれでも不屈の意志を持ち、幸運にも恵まれたゴブリン達がいる。
その中に、ゴブリンの族長であるプルックもいた。
神殿まで辿り着いたゴブリン達を、一人の少女が出迎えた。
「プルックさん、変化と色彩を司る神シュペルニアの神殿へようこそ」
地下迷宮の支配者に忠誠を誓う少女、シアである。
どんよりとした金色の瞳には、彼らの勇気を称賛するかのように敬意の光が宿っている。
「アルアーク様とハルヴァー様が最上階でお待ちです」
「……みんな、あと一息だ」
プルックの言葉に励まされて、ゴブリン達は神殿の内部に入って行く。
蒸し暑い密林と違い、神殿の中はひんやりと心地よい冷たさに満ちていた。
試練に疲れたゴブリン達は、あまりの心地よさにそのまま眠りたくなってしまう。だが、主人を待たせるわけにはいかないと、必死に歩き続けた。
目指すは神殿の最上階。無数の階段を上る必要がある。
複雑に入り組んだ神殿を、シアが先導した。
小柄な人間の少女とは思えないほど足が速い。プルック達はついて行くのが精いっぱいであった。みんな必死である。集団からはぐれれば、神殿内部に巣食う魔物や罠の餌食になってしまうのだ。
曲がりくねった回廊を進み、何度も階段を上り、一時間以上もの時間を掛けて、ようやく彼らは神殿の最上階に辿り着いた。
そこに、地下迷宮の支配者達がいた。
彼らのすぐ近くには、巨大な樹に無数の動物が交じりあった奇妙な神の石像がある。
「今ここにいる者達に、祝福を……」
「途中で力尽きた者達に、安らぎを……」
「「新しき種の誕生を讃えよう」」
アルアークは重々しく、ハルヴァーは歌うように軽やかに言った。
その言葉に反応したのか、巨大な樹はますます捻じれて蠢き始め、石の獣達もまるで生きているかのように動き始めた。巨大な樹に無数の動物が交じりあった神の石像は、奇怪な踊りをしているようだ。
「この神像が『強制進化の祭壇』だ」
「遥か太古に存在した神々の権能を宿した道具だよ。兄様と私は死者の魂を糧に、古き神々の権能を解放させることができるんだ」
彼らが説明している間に神像の一部がひび割れて、その割れ目から葡萄酒に似た濃い紫色の液体が流れ始めた。
それを見届けたアルアークは、ゴブリン達の手元に小さな銀の杯を魔法で呼び出す。
「さあ、試練を乗り越えた者達よ。ゴブリンという種の先にある未来を見せてくれ」
その言葉が引き金となり、ゴブリン達は我先にと紫色の樹液を銀杯に汲み取ると、一気に飲み干した。
* * *
勇者カイルに捕らえられたゴブリンは、プルックの息子の一人で、その名前をグラッドと言う。
飛竜に食いつかれた時は死を覚悟したが、そのまま捕らえられ、モニカという少女の尋問を受けることになった。
グラッドは何も言うまいと口を閉じていた。にもかかわらずモニカは、グラッドが示すごく僅かな視線の動き、体の震えなどから、グラッド達が出て来た地下迷宮へと通じるおおよその道筋を突き止めてしまったのである。
用済みとなったグラッドは不思議なことに殺されることなく解放された。
解放されてからしばらく、グラッドはこのまま死んでしまうべきか悩んでいた。しかし、自分が失敗したこと、強力な敵が近くにいることを伝えなくてはならないと思い直し、地下迷宮に戻ることを選択した。
不幸中の幸いは、彼が乗っていた狼が戻って来たことである。
しかも、二羽の野兎をくわえてである。
彼は今、地下迷宮の出入口から少し離れた森の中にいた。火を熾すのはまずいと思い、月と星の光を頼りにして、靴裏に隠していたナイフで兎の皮を剥いだ。
「バルネト……、おめぇと一緒に飯を食うのも今日で最後かもしれねェな」
グラッドは狼の言葉が大まかながら理解できるし、彼の言葉は相手にもだいたい伝わる。
異能と言うほど大げさなものではないが、狼に騎乗できるゴブリン達は皆このような特性を持っているのだ。
「ぐぅぅうううるるる」
相づちを打つように、バルネトと呼ばれた狼が低いうなり声を上げた。
兎を適当にばらすと、一羽は自分の前に、もう一羽は狼の前に置いた。ゴブリンは悪食である。生のまま、ガツガツと兎肉を食いちぎる。皮を剥ぐのもいい加減だったため、無数の毛が肉と一緒に口中に入って来るが、ゴブリンは気にすることなく食べきってしまう。
小さい彼らは、人間の食べる半分以下の量で腹が膨れるのだ。
骨をしゃぶりながら、グラッドはこれが最後の食事になるかもしれないと考えていた。
地下迷宮に対して不利な情報を渡したのだから、極刑は免れないだろう。死ぬのは怖いが、父であるプルックや兄弟姉妹、仲間達にまで迷惑が掛かるのは絶対に避けなければならない。
「……クソッ」
我が身が可愛いだけの人間ならば、逃亡を考えただろう。だが、グラッドは同胞のために命を捨てる覚悟で、恐ろしい罰を受けるとわかっていながら、地下迷宮に戻る決心をした。
しかしだからと言って恐怖がなくなるわけではない。
腹が膨れて、余裕が出た分、色々なことを考えてしまう。人間ならば、聖神にでも祈ったかもしれないが、ゴブリンは神を信じていない。よって、何かにすがることもできない。
「グルルルルゥゥゥ」
「バルネト、どうした?」
兎を食べ終えた狼は、木々の奥を警戒するように低い唸り声を上げた。
ただ事ではないと、グラッドがバルネトの背に飛び乗った次の瞬間、「ウオォオオオオ!」と叫び声を上げて、突然ミノタウロスが襲い掛かって来た。
ミノタウロスは、体は人間、頭は雄牛という妖魔である。筋骨隆々で高身長、目は燃えるような赤色で、鋭く立派な角をはやし、茶色の毛皮に覆われた全身の筋肉は硬く引き締まっており、並の剣では歯が立たない。
彼らは生粋の戦闘種族で、好んで斧を使う。
縄張りに踏み込むようなことさえしなければ、何ら問題は起こらないのだが、縄張りに入り込んだ者は、人間であれ妖魔であれ、ミノタウロスは容赦なく襲い掛かって来る。
グラッドはおそらく、自分でも気づかぬうちに縄張りを荒らしてしまったのだろう。
「ギャァアアアアアアア!!!!!!!」
狼に跨ったグラッドは、情けない悲鳴を上げて逃げ惑った。
なにせミノタウロスは大木をも一刀両断するほど巨大な斧を持っており、しかも軽々と操っているのだ。対してグラッドの武器はナイフ一本。狼バルネトの爪も牙も、分厚い毛皮と筋肉で覆われたミノタウロスの体を傷つけることはできない。
「こ、こんなところで死ねねェ!」
先ほど、いったんは死の覚悟を決めたグラッドであるが、無意味に死にたいわけではない。
グラッドはこの世に生を享けてまだ一ヵ月程度である。その年齢を無理やり人間の年齢に換算するなら、十五、六歳程度だろうか?
ゴブリンは生後半年間ほどが最も成長する時期である。それ以降は、たいして成長することはない。
つまり、今は人生でとりわけ成長著しい時期なのだが、同時に一番死にやすい時期でもある。
「侵入者コロス」
鼻息を荒くしながら、ミノタウロスは巨大な斧を振り下ろした。この攻撃をまともに受けたら体を真っ二つにされる。
「後ろに跳べ!」
グラッドは即座に指示を出した。彼の相棒である狼はその期待に応えて、大きくバックステップする。
「う、うぉおお?」
またしても情けない声を上げるゴブリンだが、誰が彼を責めることができよう?
むしろ、狼から振り落とされなかった騎乗能力の高さを褒めるべきである。
「ガァア!! アォオオオンン!!」
「か、勝てねェから逃げようって? そりゃ賛成だけど……、隙がネェ」
ミノタウロスは斧を構えたまま、ジリジリと間合いを詰めて来る。先ほどの一撃を回避されて、いささか慎重になったのかもしれない。
だがもしも今、ここで背を向ければ、その瞬間に叩き斬られる。
ミノタウロスがさらにあと一歩進もうとしたところで、
「ヤめろ。ブラッドハート」
低いがよく通る声は、ずっしりと重く、聞く者に重圧を与えるが、同時に頼もしさも感じさせる力強さがある。
「ドルド、止メルナ、コイツ、侵入者、敵」
「追イ払う相手が違うゾ。こいつはゴブリン、人間じゃナい」
声の主はそう言って、ミノタウロスを説得しようとしていた。
(いったい、誰だ?)
グラッドはミノタウロスの後ろにいる人物を見ようと、少しばかり視線を動かそうとする。
その瞬間、
「全部殺セバ問題ナイ!」
ミノタウロスが咆哮を上げ、グラッドに襲い掛かって来た。
「愚か者ガ」
グラッドが回避するより早く、ミノタウロスの背後にいる存在が拳を振るった。
直後、雷鳴がとどろくような音が鳴り響き、ミノタウロスは体を震わせて崩れ落ちる。
「小サきゴブリンと戦っテも、意味はない」
「オ、オーク……」
グラッドは自分を助けてくれた種族の名を呟いた。
オークという種族は、人に近い姿をしているが、二メートルを超える巨漢であり、鋼のような筋肉の持ち主である。凶悪な顔つきに黄色い目、不揃いで鋭い犬歯、暗い緑色の肌、頭には天をつくように角が伸びており、茶色い髪を生やしている。
がっしりとした筋肉を誇示するように上半身は裸であり、腰に着けているのは布だけという原始的な姿である。だが、その姿を見て、グラッドは感激していた。
圧倒的な暴力の塊。
自分には決して手の届かぬものを仰ぎ見るように、憧れ、尊敬、称賛など、様々な感情の混じった目で相手を見ていた。だが、オークはミノタウロスを肩に担ぐと、ゴブリンに興味はないとばかりに歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってくだせェ。アニキ!」
上手くすれば自分の失態を帳消しにできるかもしれないと考えたグラッドは、慌てて彼の後を追いかける。
* * *
プルック達が「強制進化の祭壇」に向かっている間、彼らに同行することのできなかった弱いゴブリン達は、せめて集団としての力が発揮できるようにと、テェルキスとソフィの指導を受けていた。
さすが地下帝国に仕える騎士達の訓練は厳しい。ゲロを吐くほどの猛特訓に、多くのゴブリンが死にそうな悲鳴を上げていた。
そんな彼らに対して、指導者である二人はこう述べた。
『陛下のお役に立てるようになるには、まだまだ鍛錬が必要だ』
「戦場で死ぬよりましです」
訓練は日に日に厳しさを増していき、次々に脱落者を出していった。
それでもなお指導者達は、やる気を殺がないようにと、優秀な者には褒美を与え、足を引っ張る者には容赦なく制裁を加える。
こうしてようやく、軍団として機能するまでになった。
「小隊として行動する分には、なんとか及第点ですが、中隊、大隊規模での行動は難しいですね」
真っ黒に染まったバケツのような兜を被った女騎士ソフィは、テェルキスと話しながら歩いている。いや、正確にはソフィが一方的に話しかけているだけである。
「やはり、中隊、大隊を纏める強力な指導者が必要だと思います!」
『……』
そんな大声で話し続けて疲れないのだろうかと、テェルキスはバケツのような兜を被った女騎士の方を見た。最近、ソフィにずっと付きまとわれている気がする。
その所為か、妙な疲れを感じる。
(精神的疲労? この私が?)
ありえない、と一笑に付し、テェルキスは無言で歩み続ける。人間ではない彼には疲労という言葉は無縁であるはずなのだ。だが、どうにも気分が悪い。
だが、終末の騎士はなにも言わず歩み続ける。
今向かっているのは、地下迷宮の第五階層にあって「転移の間」と呼ばれる部屋である。
そこは地下迷宮と外をつなぐ場所のひとつであり、軍勢を素早く各地に送り込むための地下迷宮設備でもある。
だが現状、外に出せる兵であるゴブリン達が訓練中のため、違う用途――フランディアルが外に出る時や外から大量の食糧や武器などを仕入れる時に利用されている。
まさか冒険者達が入って来る地下迷宮の出入り口から堂々と物資を輸送したり、国の要人を招いたりするわけにもいかないからだ。
調整が必要なため、一日に一度しか動かすことができないという欠点はあるが、それを差し引いても、この施設は大いに役立っている。
彼らが「転移の間」へ向かう理由は、新しく地下迷宮を訪れる客人の案内役を務めるためである。
「ソレでですね。テェルキスさん、もしよろしければこの後一緒に……」
『静かにしろ。客人が来る』
相手を黙らせようと、紺碧の騎士は若干のいら立ちを交ぜて短く告げる。その言葉を受け、バケツ兜をつけた女騎士はしょぼんりとする。
地下迷宮の施設はそのほとんどが巨大な建造物であり、「転移の間」もその例に洩れることなく、巨人が走り回れるほどの広さがある。石畳の床には、蒼白い輝きを放つ魔法陣が幾重にも重なって描かれており、それを上から見下ろすと、複雑怪奇な幾何学模様になっていることがわかる。
部屋の隅には、遠方から送り届けられた食糧の詰まった箱が積み上げられている。
送ったのはアルアークとハルヴァーの魔法の師匠であるが、用意をしたのは別の者達である。
そして、その人物達が今まさにここを訪れようとしていた。
『来るぞ』
テェルキスが言うのとほぼ同時に、魔法陣が輝きながら回り始める。
円と円が重なり、ひときわ強い光を放つと、何十人もの人間が現れた。
最初に姿を現したのは黒装束の集団である。
半数はフード付きの黒い外套を羽織って顔を隠している。男か女か判別がつかず、目の前にいてさえほとんど気配を感じさせない。
「〝黒蠅〟のルガル。魔法帝国の皇子アルアーク様、皇女ハルヴァー様に御目通り願いたく参上いたしました」
代表者らしき小柄な人物が前に出て自己紹介する。
テェルキスもソフィも、彼のことは聞いていた。
聖王国に裏切られ、魔法帝国に救われた暗殺集団〝黒蠅〟。
男の容姿は非常に醜く、女は美しいといわれる呪われた一族であるが、優れた身体能力を買われて、聖王国に逆らう国の高官を何人も暗殺している。
だが、聖王国の暗部に踏み込み過ぎたせいで、集落ごと潰されることになった。そこを、聖王国と仲の悪かった魔法帝国が救いの手を差し伸べ、彼らを保護したのである。敵対する相手も受け入れる度量の深さは魔法帝国の美点である。
もっとも、それが聖王国が侵攻を加えるきっかけのひとつとなったのだから、欠点とも言えるかもしれない。
もう片方の一団の代表は、踊り子のように肌も露わな衣装を着た美女、美少女達を侍らせた青年である。
「友、アルアークの招きに応じた」
青年は前に出ると、切れ長な目を細めて大仰な動作で一礼した。
身に纏った服は最高級のモノであり、両手の指に宝石で飾られた金や銀の指輪が嵌められている。それ以外にも、無数のアクセサリーを身に着けていた。首飾りや腕輪、耳飾り、ベルトなども、高価な品々であり、彼の財力の高さを象徴している。
「〝狼と蛇の会〟の会長テオドール・ビロスト」
彼はそう名乗り、口を歪めて「キシシ」と独特の笑い声を上げる。
二十代半ば、短く切った薄い金色の髪に、青空のような瞳で、顔立ちは整っているが、狼か蛇の如き印象――要するに、油断ならないと思わせる男なのである。
テェルキスとソフィは、客人を「王の間」まで連れて来るようにと言われている。
紺碧の騎士は腰に提げた首輪をジャラリと鳴らしながら、軽く頭を下げる。
『我らが王の元まで、ご案内いたします』
「お願いいたします」
「よろしく頼む」
片方は丁寧に、もう片方はいささか軽い感じで、テェルキスの申し出を受け入れた。
地下五階から「王の間」がある地下七階まで、普通に移動しては、何日もかかる。そのため、途中、「転移の間」に似た瞬間移動施設を使用して、「王の間」まで移動することになる。
地下迷宮内を瞬間移動する設備は便利ではあるが、反面、敵に押さえられた時の不利益が大きいので、使用できる者は限られている。そのため、地下迷宮の支配者達は使用許可の出ているテェルキスとソフィに案内役をするよう命じたのである。
道中、ルガルをはじめとする黒装束の一団は無言であったが、テオドールと彼が引き連れて来た女の集団は、地下迷宮内を物珍しげに見回しながら、観光でもするかのように色々とテェルキスに尋ねて来た。
――先ほどあった大広間に飾られていた、翡翠で作られた獅子の像はどれくらいの価値か?
――今すれ違った、竜のような角を生やした美しい女悪魔の名前は?
――都市よりも巨大な地下迷宮をどうやって維持しているのか?
などなど、些細なことから地下迷宮の核心に触れる部分まで、次々と質問をして来た。
その都度、濁声のテェルキスの代わりにソフィが返答することになった。
ゴブリン達の訓練にあたる時間以外は、地下迷宮に関する様々な知識を授かるために使われている。おかげで、客人の質問に対して、無難な回答をすることができた。
本人は喜ばないだろうが、声が大きいので、解説役としても有能だと言える。
少しばかり歩いた後、一行は「王の間」の前に到着した。
客人の気配を感じたのか、天使と悪魔が武器を持って戦っている絵の描かれた扉が音を立ててゆっくりと開いた。
そして、
「久しぶりだな。テオ」
「よく来たね。ルガル、それに〝黒蠅〟のみんなも元気だった?」
アルアークとハルヴァーが彼らを出迎えた。
普段は一段高い場所で訪問者を見下ろしている彼らだが、今回は特別とばかり、玉座から下りて来て、彼らの来訪を歓迎しているのだ。
「キシシ、アル、ハルヴァーちゃん。久しぶりだな」
テオドールはアルアークを愛称で呼び、不敵な笑みを浮かべながら、気取った風に一礼した。いちいち芝居がかっているが、どうにも憎めない愛嬌のようなものがある。その後ろにいる女達は、主人に倣うように、洗礼された動作で頭を下げた。
それを見て、まずはアルアークが口を開く。
「食糧の提供に感謝する。だが……」
「間違って結構な量を送って来たよね? まあ、ゴブリン達はどんどん生まれているから、問題ないけど、追加料金はおいくら?」
「え? 追加料金? ハルヴァーちゃん、何言ってんだ?」
「〝指輪卿〟に確認を取ったんだけど、一月分の料金だけしか支払っていないらしいから」
以前、一ヵ月分の食糧を頼んだところ、一ヵ月分を優に超える量が送られて来たのだ。何かおかしいと思い、地下迷宮の財政を管理しているユニーク・モンスターに確認してみたところ、支払いとして送った金塊は地下迷宮の保有する財産のうち、僅か一滴にも満たない量だった。いくらなんでも、食べ物がこんなに安いはずがない、相手の間違いだと、地下迷宮の支配者達は思い込んでいた。
だが、
「キシシ、ご冗談を……、注文したのは一年分だろ?」
「え?」
「ん?」
地下迷宮を支配する兄妹はお互いの顔を見合わせた。その様子を見て、「……あれ? 違うのか?」と言って、テオドールは苦笑いを浮かべる。
「魔法の勉強ばかりしていないで、少しは外に出て世間のことを学んだ方が良いぜ。ロナン王国は魔法帝国から手に入れた技術を改良して、自国の穀倉地帯を一気に倍以上にしたんだ。ここ数年は豊作続きで、小麦なんかの値段は軒並み下がっている」
「……そうだったのか」
「私達の知識って、五年も前のものだもんね」
肩を落とす兄妹を慰めるように、テオドールは軽く肩を叩く。
「ま、まあ、気にすんなよ。そのあたり、必要なら専門家を紹介するぜ。いや、それよりも、オレが色々教えてやるよ。なに、少しコツを掴めば、相場なんてすぐに読み取れるようになる。授業料は、国ひとつでどうだ?」
おどけるように言うテオドールだが、商人特有の抜け目のなさと、アルアークに対する友情が綯い交ぜになった提案だった。
「考えておく」
「だね。兄様」
そう言って、兄妹はもう一組の客人達の方に目を向けた。
友人に接する時の気易い態度のテオドールに対して、ルガルと〝黒蠅〟の面々は、仕えるべき主人と頭を同じ高さにするなど畏れ多いと言わんばかりに、即座に頭を床にこすり付けた。彼らの一糸乱れぬ動きは、訓練された軍隊のように素早く、文句のつけようがない。
「……ルガル、そんなに畏まらないでよ。もっと楽にして」
「姫様。先の戦ではお役に立てず、誠に申し訳ありませんでした。本来ならば命で償うべきところ、ご慈悲を賜り、生き恥を曝しておりましたが、このたび再び使ってくださるとのこと……、我ら〝黒蠅〟の一族、今度こそ身命を賭して、お役に立つことを誓います」
「キミ達が頑張ったのは知っているよ。だから気にしないで。命を無駄にしちゃダメだよ。私達が死ねと言うまで死なない。約束できるかな?」
「誓います」
「うん、じゃあ顔を上げて」
頭を下げていたルガルは怯えたように体を震わせて、言葉を紡ぐ。
「わ、わたくしのような醜い面相を魔法帝国の……、それも王族の方に向けるなど、どうかご容赦を……、姫様が穢れてしまいます」
「私達に忠誠を誓う臣下ならば、その顔を見るべきだと思う。その瞳の奥に何があるかを感じ、何を望むかを見て、期待に応えたい。そうだよね? 兄様!」
「ああ、その通りだ」
アルアークは重々しく頷いて告げる。
「ルガル、さあ立ち上がり、面を上げて顔を見せよ」
その一言で、ルガルはゆっくりと身を起こすと、顔を隠していたフードを取った。
その下にあったのは、確かに醜い貌。
年の頃は判別不能だが、かなり老けているようにも見える。焼けただれた顔に抜け落ちた髪、手も足もボロボロであり、褐色の肌も薄汚れている。
一見、浮浪者か何かと見間違えそうなほど、その姿は酷い。
だが、濁った黄色い目には世に絶望した者が浮かべる諦観の色はなく、主の命に従って尽くそうとする忠義の輝きがある。
それを見て、ハルヴァーは満足そうに頷くと、ルガルの顔に美しい手で触れた。
「〝黒蠅〟の一族、聖王国から追われた暗殺者達、ごめんね。君達をちゃんと保護したかったんだけど、力不足だった」
「そして、お前達の力の使い方も間違っていた。お前達の本領は防諜活動ではなく、やはり、暗殺と破壊活動だ。ルガル……、今一度、お前達の力を借りたい。私達の復讐に付き合ってくれないか?」
地下迷宮の支配者達から直々に言葉を受け、ルガルは感極まったように涙を浮かべながら語る。
「……住処を失い、今までご迷惑をかけていた我らを受け入れてくれたこと、その恩義に報いることができなかった我らに、再びチャンスを頂けるとは……、これほど寛大で偉大な支配者に仕えられるのは、我らにとって至上の喜びです」
ルガルの涙が滴になって落ちる前に、ハルヴァーは繊細な指で涙を払い、告げる。
「滅ぼされた魔法帝国の復讐を一緒にやろう。今この瞬間から、君達の雇い主は兄様と私だよ。私達のために働いて……、代わりに君達の居場所を用意してあげる。暗殺集団としての力、衰えていないよね?」
「無論です」
「うん、期待しているよ。ね、兄様!」
「ああ、忠誠には報償を、裏切りには血を、だ。〝黒蠅〟達、改めて歓迎しよう」
そう言って、アルアークが右手を差し出すと、ルガルは手の甲に口づけをし、忠誠を誓った。
「心得ております。我が一族の力、どうかお役立てください」
ルガルの手を掴み、ハルヴァーは彼を無理やり引っ張る。
「さあ、それじゃあ中に入って。ささやかだけど、宴の準備をしたんだから!」
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