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3巻試し読み
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プロローグ
月が真っ赤に染まっていた。
絢爛たる聖都は静けさに包まれており、夜遅くまで行われる司祭達の説法も騎士達が剣や弓を扱う訓練の音も、この夜はまったく鳴りを潜めている。
聖都の民衆は、そのただならぬ雰囲気に誰もが言い知れぬ不安を覚えた。
赤い月は人々の不安を象徴しているかのようである。
熱心な聖神教の信徒である聖都の民は心を落ち着かせようと、聖神に祈りを捧げたが、一度生まれた不安を消すことはできなかった。形のない恐れが夜の闇を深め、聖都全体を包み込んでいく。
そんな中、ある古びた館の前に、とある少女が現れた。
モニカである。
ぴょんと飛び撥ねた髪の毛を揺らしながら、モニカは目当ての人物を見つけて声をかけた。
「セレンデァス・ルフェストニアムさん、探しましたよぉ~」
名を呼ばれた女は、館に入ろうとしていた足を止め、少し驚いたように答える。
「へぇ、よく噛まずに名前を言えたな」
「驚くポイントはそこスかぁ? 『よくこの場所を突き止めたな』とか、『お前はいったい何者だ』とか、そんな感じのリアクションを期待していたんスけど?」
にゃははと、モニカは猫のように笑う。
敵対する意思はないとも取れるし、相手を油断させる演技にも見える。
女は少し困ったような笑みを浮かべて言った。
「とりあえず、オレ様……おっと、わたくし様のことはセレスって呼んでくれ、本名はセレンディにゃ………、セレンデァス・ルフェズぅ……。ああ、長い名前なんでな、舌を噛みそうなんだ」
目立つ容貌の女である。
ショッキングピンクに染めた長髪、ギラギラと輝く紫と金の色違いの瞳。
美しくはあるが、その美しさは獲物を油断させる人食い花が持つ類のものであり、その鋭い眼光は獲物を狩ろうとする野獣のようでもある。
「セレス、七勇者の一人にして、聖神教会に反抗している異端児」
「ご存知いただき、光栄の至りだ」
「聖神教会から指名手配されている貴女が、その聖神教会の総本山ともいえる聖都のど真ん中に堂々と館を構えているのには驚きましたよ。この聖都の警備も意外とザルなんスねェ~」
モニカはからかうように言う。
この聖都、大軍を防ぐ備えは万全だが個人の抜け道は多い。それもこれも、金で動く輩がいるためだ。
「それで、何か用事か?」
「いやぁ~、七勇者の一人である貴女にお願いがあって来たんスけど……」
七勇者。
聖王国にいる七人の勇者はいずれも一騎当千、いや、一騎一軍に匹敵する力の持ち主である。
彼らのうち、三人は聖王国の軍に属しており、三人は冒険者として活動している。
そして、残る最後の一人はセレス。
勇者でありながら聖神教会に反抗する者である。
「話くらいは聞いてやるよ。入りな」
何かの魔法か、ギィィイイと軋んだ音を立てて、門が独りでに開く。
彼女の住処らしいが、パッと見はまるで幽霊屋敷のようだ。
手入れがされていないため、草木は茫々、門の蝶番も錆びている。おまけに泥棒が侵入した形跡があり、何ヵ所も窓が割られていた。
外観だけでこのありさまなので、館の中は、推して知るべしである。
「外でいいスよ」
別に、掃除していない埃だらけの部屋に入ることを嫌がったわけではない。
単純に、外の方が話しやすいと考えたからである。
(しばらくの間なら、教皇の目を誤魔化すこともできますしねェ~)
モニカは笑顔を崩さずに続ける。
「地下迷宮に手を貸すの止めてもらえませんか?」
「地下迷宮? さて、どっちの地下迷宮だ?」
セレスは面白そうに尋ね返す。その目は相手を見定めつつ、飛び掛かる隙を窺っている獣のようだ。
「どっちもです」
モニカはきっぱりと答える。
「地下迷宮は世界にとって、害悪スよね? 勇者としては、どっちもぶっ潰すのが正しいと思いませんか?」
「勇者としての本分を忘れたオレ様……、おっと、わたくし様には関係ない話だな」
セレスは肩をすくめる。
「ケチッ」
モニカはぷっと頬を膨らませる。
「ははっ、交渉する相手を間違えたな!」
そう叫ぶや否や、セレスはいきなりモニカに飛び掛かった。
いつの間にか、禍々しい輝きを宿す剣を手にしており、その剣がモニカ目がけて振り下ろされる。しかし、それを予想していたのか、モニカは後方に跳んで回避した。
「オレ様……おっと、わたくし様がぶっ壊すつもりなのは、聖王国の方だけだぜ!」
その言葉を聞いて、モニカは軽く肩をすくめながら、飛び撥ねた前髪を揺らす。
「そうですよね~。カイルさんみたいにチョロくないみたいですし……、貴女がどちらの味方をするかは知っています」
と、あくまで余裕を崩さないモニカに、セレスは警戒を強めた。
何度も死線をくぐり抜けた勇者に備わる勘が、一筋縄ではいかない相手だと警告している。
「知っている? おいおい、初対面のはずだが?」
セレスの質問を、モニカはきれいさっぱり黙殺した。
「仕方がありませんね。扱いにくい役者には、御退場いただきます」
モニカも手品師のように短剣を次々と取り出すと、手にした物から順に投げつけた。その動きは適当なように見えて、短剣一本一本がセレスに吸い込まれるように飛んでいく。
様々な方向から迫り来る短剣を、セレスは己の剣を振り回して叩き落とし、そのままモニカとの距離を詰めていった。
それに対して、モニカも逃げることなく間合いを詰めると、再び短剣を手品のように取り出し、セレスの喉元を目がけて一突きする。
普通の人間ならば、そのまま喉を貫かれて即死するような素早く的確な一撃である――が、セレスは即座に迎撃した。
セレスの長剣とモニカの短剣が激しく火花を散らす。モニカの短剣が弾き飛ばされるかと思われたが、彼女は勇者セレスの一撃を見事受け止めた。
だが、勇者の顔にあるのは驚きではなく歓喜だった。
(強い!)
自分と互角、いや、それ以上に戦える相手は久しぶりである。
セレスは嬉しくてたまらなかった。
だからつい、相手が人間であることを忘れてしまった。
つば競り合いを続けたまま、セレスは呪を紡ぐ。
「――攻撃、無慈悲なる必滅」
これは勇者のみが扱える攻撃魔法であり、周囲に無数の光球を生み出して敵に叩き付ける大技である。基本的に魔獣や巨人などを仕留めるために使う技であり、人間相手に使えば、骨も残さずに消し去るほどの威力を有している。
次々と光球が生み出される中、モニカは素早く対抗呪文を唱える。
「――福音、偉大なる守護神は此処に」
モニカの背後に、盾を手にする顔の無い騎士の幻影が浮かび上がる。
同時に、セレスの周囲を漂っていた光球が一斉に掃射された。
先ほどモニカが投擲した短剣をセレスがことごとく撃ち落としたように、今度は騎士の幻影がすべての光球を弾き返す。
「見たこともねェ魔法だな……、いや、それとも奇跡か?」
騎士の幻影は役目は果たしたとばかりに、姿を消してしまう。
「にゃはは、なんでしょうかねェ?」
双方、不敵な笑みを浮かべ、一歩も引かぬ態勢で競り合い続ける。
力を抜いた瞬間、命を失うことになるという緊迫した状況にもかかわらず、二人は愉しそうに笑っている。
「勇者は地上では殺されないって聞きましたけど、セレスさん、はじめての犠牲者になりますか?」
「いいや、それよりも、いろいろ謎を持ったお前が謎のまま死んでいくっていうのはどうだぁ?」
二人は同時に後方へ跳び退き、武器を構え直した。
「ところで、いくら深夜だからって、こんなに暴れまわれば聖都警備隊が出張ってくるはずだが?」
剣を打ち合う程度ならばいざ知らず、深夜に大魔法が炸裂すれば、住民達は騒ぎ、聖都の守護を任された者達が駆けつけて来るはずだ。しかし、その気配は全くない。
皆、深い眠りについているかのような静けさである。
「邪魔になりそうだったんで、ちょっと細工をしておいたス。どんなに騒いでも、誰もここには来ませんよ」
「まるで、強姦魔みたいな台詞だな」
「にゃ!?」
セレスの言葉に、モニカは心外だと目を丸くするが、すぐさま自分の言った台詞を思い出して、照れたように笑う。
「ん~、言われてみれば確かに……、では、言い直しましょう。この夜は私達だけのもの、寝かせませんよ~」
「……今度は、売れない男娼の客引きみたいだな」
セレスはぼやきながら、問いかける。
「ひょっとして、この不気味に輝く赤い月のせいか?」
「さあ、どうでしょうか?」
「隠すなよ、お前の仕業だろ? オレ様……おっと、わたくし様の勘がそう言っている」
魔法や奇跡を駆使して天候を操作し、自分に有利な状況を作りだす術者は大陸でも数えるほどしかいない。
だが、セレスはこの女ならばそれくらいできるような気もした。
「……勘がいいスね。『恐れよ、狂神の憤怒』、たとえ神の代理人である教皇でも、今何が起こっているかわかりませんよ」
正直に答えた彼女に、セレスは嬉しそうに笑いながら言う。
「そんな準備をしてくるってことは、交渉は決裂すると、最初からわかっていたんだろ?」
「おや、ばれたスか?」
道化のような態度を示すモニカに、セレスは心底感心する。
「ああ、いいなぁ~。いい勝負ができそうだ……」
モニカはペロリと唇を舐めて、問いかけた。
「おい、もう一度名乗れよ。戦の礼儀だ」
ただ蹂躙するつもりであったが、その他大勢ではないようである。
その名を覚えておこうと、セレスは名乗るように促す。
「様式美ってやつスか?」
めんどくさいと思いながら、彼女は完璧な一礼をして名乗りを上げた。
「私の名はモニカ……、二つ名とかは特にないス。とりあえず、より良い世界のために、黒き勇者セレスさんに挑戦させていただくスよ」
勇者もそれに応じる。
「いいだろう。七勇者の一人、セレンデァス・ルフェストニアムが受けて立つ」
セレスはそう言うと、自分の言葉に驚きつつ苦笑した。
「……お、今回は名前を噛まずに言えた」
それを合図に、両者は戦いを再開する。
剣戟が響き渡り、魔法により生み出された炎と雷が大地を引き裂くような轟音を響かせた。さらには、誰も見たことのない魔導の道具や神秘の技が飛び交う。
しかし、セレスが指摘した通り、聖都には誰一人、この死闘の目撃者はいなかった。
人知れず始まった戦いは、人知れず終わることになる。
次の日、セレスとモニカが戦った場所に無数のクレーターができていることに住民達が気付き、大騒ぎとなる。
聖都警備隊は調査を行ったが、原因を突き止めることはできなかった。
ただ、そこで激しい戦いが起きたことは明白であり、その凄まじい痕跡の原因についての噂が聖都に流れたが、数日もするとその噂は消えてしまった。
セレスとモニカという二人が戦ったことは誰も知ることがなかったのである。
しかし、この戦いの結果は、聖都から遠い地にある「邪悪にして悪辣なる地下迷宮」の将来を大きく変えることになるのであった。
何故なら、地下帝国に味方するはずであったセレスは、この戦いを機に別の道を歩むことになるからである。
第一章 地下帝国の日々
邪悪にして悪辣なる地下迷宮の最深部、第八階層。
そこは、地下迷宮の支配者アルアークのために作られた後宮であり、「悦楽の神殿」と呼ばれている。ここに立ち入ることができるのは、地下迷宮の支配者である兄妹と彼らの寵愛を受けることを許された女のみである。
今まで、兄妹以外にこの場所を訪れたのは小国の姫フランディアルだけであったが、本日新たに十二人の娘が迎え入れられた。
暗殺者集団〝黒蠅〟の中から選び抜かれた娘達だ。
狼のような琥珀色の瞳。
死体を燃やした後に残る灰のような色の髪。
蜜を塗ったようにヌラヌラとした暗褐色の肌。
それ以外は特に共通点はない。
妖艶な長身の美女もいれば、幼い少年のような背の低い少女もいる。
髪型もバリエーション豊かで、アルアークの妹・ハルヴァーのように長く伸ばした者もいれば、短い巻き毛の者もいる。
愛らしい者、凛々しい者、儚げな者など、おそらく可能な限り見た目の違う娘を集めたのだろう。これほど美しい娘達が集まれば、男色家でもない限り、必ず一人は好みのタイプがいるはずである。
「美しいな」
「うん、合格! 黒い宝石のようだね。兄様の傍に置くに相応しい」
と、絶世の美貌を誇る両君主からも称賛の声が上がる。
彼らが見ていたのは見た目の美しさだけではない。
娘達の立ち姿や瞳の輝き、その精神と魂の色まで感じ取って出した評価である。
「一族の繁栄のため、どうかお傍に仕えさせてください」
一人の娘が一同を代表して口を開いた。
彼女は〝黒蠅〟の長ルガルの娘である。
扇情的な服を着ており、十二人の中でひときわ目立っていた。
「よかろう。私の名において、〝黒蠅〟の一族と血の契りを結ぼう」
そう言って、アルアークは魔法で短剣を呼び出すと、軽く手の平を傷つける。
その血が床に落ちぬように、ハルヴァーは銀の杯を出現させ、兄の傍に寄り添い、手から流れる血を受け止めた。
杯が血で満たされると、ハルヴァーは兄の傷ついた手を癒すように舌を出してぺろぺろと舐める。
「あぁ、にいさまのちぃ……」
潤んだ瞳で傷を舐め続ける妹から銀杯を受け取り、アルアークは傷ついていない方の手で銀杯を掲げた。
「魔法帝国の法と同じく、王族である私は誰か一人を伴侶とすることはない」
裏を返せば、たとえ誰か一人を愛することになったとしても、その一人だけに愛を注ぐことは許されない。
魔法帝国では正室という概念は存在しない。
女同士の嫉妬による争いを避けるための措置であると同時に、皇帝の愛が平等であることを示すためのものでもある。実際に上手くいくかどうかは魔法帝国の長い歴史を見ても半々だが、アルアークの父と祖父はそのあたり非常に如才なくやっていた。祖父の千を超える妃は全員不平不満など言わなかったそうだ。父も十数人の妻に平等の愛を注いで諍いを起こさせなかった。
しかし、これだけ多くの伴侶がいながら、魔法帝国の王侯貴族は子宝に恵まれる機会は少ない。そのため、世継の問題に悩まされることはしばしばあるが、王位継承権を争うような事態は数えるほどしかなかった。
「祖先の名に懸けて、みな平等に愛そう。他に愛する男がいるのならば去って良い。咎めはしない。この婚礼に異議がある者も同様だ」
男女の愛と呼ぶには程遠い言葉だが、王族の彼は普通の恋愛などしない。しかし、だからといって、愛がないわけでもない。彼は確かに伴侶達を幸せにするであろう。
そして、彼の言葉に、「いいえ、異議などありません」とルガルの娘が答えた。
他の娘達も同意して一礼する。
「では、誓約の血を飲むがよい」
アルアークが冷たい声で命じた。
最初の一人が銀の杯に近づき、中に入った血を啜る。それを皮切りに、娘達は順に銀の杯に口をつけていく。杯の中の血の味は酒にも似た酩酊感を伴うものの、アルコールを喉に流し込んだ時のように体がカッと燃える熱さはない。氷のような冷たさなのだ。
最後の一人が銀の杯の血を飲み干すと、地下迷宮の支配者アルアークは蒼い瞳に冷たい輝きを宿しながら宣言した。
「血の誓約はなされた。〝黒蠅〟の一族に邪悪なる祝福を……」
ハルヴァーも唇についた血をペロリと舐め取って、妖艶な声音で宣言する。
「あはぁ、兄様が……、地下帝国がある限り、そしてキミ達が忠誠を誓い続ける限り、一族の繁栄を保証しよう!」
「父ルガルを筆頭に、我ら〝黒蠅〟の一族、今後も変わらぬ忠誠を誓います」
その誓いを、アルアークは受け取った。
「よかろう。ではこれより、汝らは私の花嫁だ」
そう言って、彼女達に新たな名を与える。
「これより〝黒蠅の花嫁〟として、仕えるがよい」
「新しき名、ありがたく頂戴いたします」
娘達は喜びを噛みしめながら頭を下げた。
血を交わらせる婚礼の儀式は終わった。
次は、花嫁としての役割を果たす必要がある。
「ではさっそく、務めを果たしてほしい」
「なんなりと」
黄金の髪を持つ美丈夫は重々しく告げ、〝黒蠅の花嫁〟は嬉々として主命を待つ。
何をすればいいのかは、妹であるハルヴァーが答えた。
彼女は兄の手の傷口を舐め終え、説明を始める。
「『地下迷宮の書』が奪われ、兄様の力は大きく落ちている」
それは、次のような理由からであった。
まず地下迷宮には重要な心臓部ともいえる「迷宮核」がある。
次いで重要な五つの秘宝「地下迷宮の書」「魔杯」「災厄の鍵」「魔法帝国の王錫」「挑戦者の証」が存在する。
それらは、アルアークとハルヴァーの力の源にして、彼らがその身に魔法帝国の魂を繋ぎ止めるための秘宝なのだ。
同時に、不死身の彼らにとって唯一の弱点でもあった。
言うなれば、「迷宮核」は彼らの命そのものであり、五つの秘宝は手足に等しい。そして、地下迷宮内に溢れる大量の金銀財宝は血である。
したがって、その一つが地下迷宮の外に運び出されると、その時点で、彼らの力は大きく減衰してしまうのである。
少し前、地下迷宮に侵入した謎の女盗賊モニカによって、「地下迷宮の書」が奪われた。その後、一緒に行動していた勇者カイルを仲間に引き入れ脳内を探ったが、見たこともない術で勇者の記憶は改竄されており、秘宝の行方はようとして知れなかった。そのため、アルアークとハルヴァーはモニカの存在すら知らずにいる。
しかし、モニカの存在はわからずとも、誰かが「地下迷宮の書」を奪ったことは間違いない。そのため今は、著しく低下したアルアークの体力を回復し地下迷宮の防御を固めなくてはならない。
ところで、この理屈からすれば不思議な話だが、アルアークと一心同体であるはずのハルヴァーの体力は消耗していない。
それは、この兄妹が地下迷宮の創造時に自らの肉体と精神に施した特殊な絡繰りによるものである。秘宝が奪われた際に生じるダメージや傷は、すべて兄のアルアークが被るようにしておいたのである。
「迷宮核」が運び出されたり、あるいは山のような財宝が根こそぎ奪われたりしない限り、ハルヴァーが傷を負うことはない。
なぜ、そのような措置を施したのか?
その一番大きな理由は、地下迷宮で最強を誇るハルヴァーが常に万全の状態で動けるようにしておくためである。
「兄様に『魂』を捧げて……。ああ、勘違いしないでね。死ねって言う訳じゃない。少し疲れるかもしれないけど、大丈夫」
ハルヴァーは邪悪な笑みを浮かべた。
普通の人間ならば恐れ慄くだろうが、〝黒蠅の花嫁〟達は至って平然としていた。それどころか「具体的には、どうすればいいのでしょうか?」と自ら率先して問いかける。そこには恐怖も不安もない。
その琥珀色の瞳に映るのは、支配者に対する狂信と忠誠の色だけだ。
もう少し詳しく説明しようとするハルヴァーを、アルアークは手で制する。
そして、冷たい笑みを浮かべると、「来い」と命じ、〝黒蠅の花嫁〟の一人を抱き寄せた。
「口で説明するより、この方が速い」
言われるまま体を預ける花嫁の首筋に――アルアークは吸血鬼が血を吸うかのように噛みついた。
突然の凶行を受けながらも、花嫁は痛みの声を漏らす代わりに「ああぁ!」と快感に痺れる声を上げた。全身が凍るような冷たさに襲われつつも、内側からは灼熱の炎に燃やされるような熱さが広がるという、相反する感覚に貫かれる。それは、目から涙が溢れ出るほどの想像を絶する快楽である。
そんな心を溶かす快楽から逃げようとする者などいない。
恍惚の表情を浮かべ、花嫁は自らアルアークの肩に手を回す。
「ここまでだ」
アルアークは娘の首筋から口を離す。
噛み痕からわずかに血が流れているが、それほどひどい傷ではない。
「あと何度か繰り返す。しばらく休め」
〝黒蠅の花嫁〟は蕩けるような顔つきのまま、よろよろと後退する。
そして、すぐに代わりの花嫁がアルアークの前に立ち、期待に目を輝かせて首筋を晒し主人の抱擁を待つ。
――魂の蒐集。
吸血鬼が乙女の生血を力とするように、アルアークとハルヴァーは人の魂を力の源としている。
地下迷宮の化身である彼らが魂を手に入れる方法は様々だ。地下迷宮の中ならば、侵入者が魔物に殺された時や致死性の罠で止めを刺された時、あるいは空腹で行き倒れた時などに手に入る。外であれば、眷属に与えた機能で奪い取れる。
そして今回の場合のように、自らの意志で魂を差し出す従僕から受け取る場合もある。
このように地下迷宮の支配者達は魂を蒐集する一方、その魂を消費しながら金銀財宝を生み出し、神にも等しい力を行使しているのだ。
ところが、魂の管理に必要な秘宝の一つを何者かによって奪われてしまったため、地下迷宮の一部の機能に狂いが出ている。急ぎ修復する必要があった。
そこで呼び寄せられたのが〝黒蠅の花嫁〟達である。
アルアークは自分を愛する女達を魂の通行口にする「愛欲の聖餐」という権能を有している。
これを行使すれば、眷属を派遣する必要なし――地上で失われた魂を集めて取り入れることができる。
現在、シアの他に、聖王国の騎士であったソフィと元勇者のカイルが眷属となっているが、ベティア帝国を相手にした時と同じように地上に送り出すことはできない。
なぜなら眷属である彼らが敗れてしまえば、アルアークだけでなく、ハルヴァーも秘宝が奪われた時と同様のダメージを受けてしまうからだ。
秘宝を奪った者が何者なのかわからないのに、彼らを外に出すのはリスクが大きすぎる。
そこで、「愛欲の聖餐」の出番となるわけだが、当然デメリットもあった。
まず、魂の通行口となる女達は極度に疲労する。
普通の娘ならばすぐさまミイラと化してしまうだろう。
その点、〝黒蠅〟の娘達は美しいだけでなく、優秀な暗殺者たるべく厳しい訓練で強靭な肉体を作り上げている。
そのため、アルアークの死の抱擁を受けても即死することはない。もちろん、殺さないように手加減しなければならないが、アルアークは、そのあたりの力加減は心得ている。
少なくとも、妹よりは。
復讐のためならば、自分を慕う者を死地に向かわせる冷酷さはある。
だが、無意味に同胞を殺めはしない。
娘達を抱擁する兄の姿を見つめながら、ハルヴァーは恭しく頭を下げた。
口元に浮かぶのはいつも通りの邪悪な笑み。
本格的に魂と生気を奪い取る様は、獣が交わるような激しいものである。
「それじゃあ兄様、今しばらくご休息を……、後は私がやっておくね」
「任せた」
考え方は多少異なる兄妹だが、目的は共通している。
すべては復讐のために。
聖王国を支えるすべてを壊す。
そのために、今はまだ力を蓄える。
地下迷宮を生み出すまでに五年もかけたのである。
あと少しくらい時間をかけても問題はない。
* * *
地下第七階層、「王の間」の近くに配された会議室。
そこは気品をたたえた美しい造りで、数十人がゆったりと入れる広々とした空間である。だが、今この会議室にいるのは僅か三名にすぎなかった。
いずれもアルアークによって召喚された異界の騎士達だ。
第一に召喚された騎士は、堕落せし猟犬を従える審判の騎士のテェルキス。
紺碧の鎧兜を身に着けた、威風堂々たる大柄の騎士である。その体躯に相応しい大剣を手にしており、彼が動くたびに、ベルトから提がる首輪付きの鎖がジャラリと音を立てた。
次に、勇者カイルとの戦いで召喚された騎士が二名。
盲目の人形を従える刑罰の騎士、ジャディア。
真紅の鎧兜に鳥を模した黄金の仮面で顔を隠した、少年のように小柄な騎士である。手にした短剣をくるくると回しており、イヤリングのように耳に着けた鈴がチィリーンと透明な音色を奏でる。
さらに無尽なる数の蟲を従える飢饉の騎士、ストルニトス。
錆びついた深緑の鎧兜と暗い紫色のマントに身を包んだ巨漢で、三人の中で最も体格が大きい。丸太のように太く凶悪な棍棒を手にしており、体を動かすたびにギィイイと錆びついた鎧の音を響かせている。
彼らは終末と呼ばれる世界に属する騎士であり、アルアークの召喚魔法により呼び出された存在だった。
一騎当千の力を持つ強者なのだが、異世界より召喚された身であるため、この世界に留まるには絶えず魔力を召喚者により供給され続けなければならない。もしも召喚者との繋がりを断ち切られたら、この世界から放逐されてしまう。
それが彼らの弱点である。
とはいえ、アルアークの召喚魔法を打ち破れる魔法や奇跡の使い手はそう多くはない。
『以上が、陛下からの伝言だ』
新たに呼び出された二人の騎士に、テェルキスは今後の方針を聞き取りにくい濁声で告げた。
「なるほど、我らが主の望みはわかったよ。ボクらに軍を率いろって言うんだね?」
鳥顔の仮面を着けた真紅の騎士ジャディアが、少年のような外見に見合った軽い口調で言う。
彼が派手なオレンジ色のマントを翻すと、チィリーンと鈴のような音が響き渡る。
体を動かすたびに音を出すのは、終末の騎士の種族としての特徴なのだ。
テェルキスもストルニトスも例外ではない。
その他にも、終末の騎士達に共通するものはいくつかあった。
それは騎士としての誇りが歪んでいること、捕虜を束縛すること、などである。
異界の住人でありながら、彼らなりに自らの能力を誇るように演出に気を遣っているらしい。
「シカシ、難シイナ」
巨漢の騎士ストルニトスの声は、聞く者を不快にさせる。
『ああ、しかし、難しい仕事を命じられるというのは、期待されている証拠でもある』
濁声で呟いたのは、テェルキスだ。
他の二騎士もコクリと頷く。
個による武力ではなく、兵を率いて敵を制圧せよ。
テェルキス達はすでに個々の実力を十分に示した、今度は将としての実力を見せろ、というのがアルアークの命である。
今現在、地下迷宮の外で万の軍勢を率いることができるのは、プルックだけだった。
「強制進化の祭壇」で新たなゴブリンの王を生み出そうとしても、上手くいかなかったのだ。
それは、ゴブリンの個体ごとに経験や資質が異なるためと考えられている。
不死者やゴブリンといった兵の数が増えてきた今、地下迷宮の支配者としては、彼らを統率し運用できる将軍が一人でも多く欲しいところなのだろう。
つまり、アルアークは終末の騎士達をゴブリン達の見本としようというわけだ。
三騎士は、召喚者であるアルアークの邪悪な波動に心酔しているため、その望みに全力で応える気になっていた。
「デ、率イルノハ?」
ストルニトスが不快な声で尋ねた。
終末の騎士は存在するだけで周囲に恐怖を振り撒く。そのため、臆病なゴブリン達を操るには適任ではない。もちろん、主が命じるのならば無理を押し通す心づもりではある。しかし、アルアークは配下の特性もきちんと把握していた。
『不死者だ』
テェルキスが答えた。
先の戦いで、プルック率いる妖魔軍は大勝し、その際の死体はほとんど回収している。
その後、地下迷宮の支配者に仕える悪魔達が死霊魔術を駆使し、それらの死体に偽りの命を吹き込んだのである。
負なる力により動く腐乱死体、白骨化した骸骨兵などに加えて、黄色い霊質を纏わせた死霊騎士、怨念により巨大化した死せる巨人などが生み出されており、その数は今なお増え続けている。
『不死者の群れを率い、我々はベティア帝国を攻める』
「フム」
「異論はないけど……、ロナン王国はどうするの?」
フェーリアン王国の北に位置する二つの大国。
北東にあるベティア帝国。
北西のロナン王国。
どちらも魔法帝国を滅ぼすのに力を貸した仇敵であり、アルアークとハルヴァーが滅ぼすと誓った国々である。
『そちらには、妖魔達が当たる』
テェルキスの濁声が響く。
「妖魔! あんな弱い奴らで大丈夫?」
ジャディアはまるで劇場の役者のように、大げさな身振りで言う。
「スデニ戦ッテ、勝利シテイルト聞ク」
鎧を不快に軋ませながら、ストルニトスは呟いた。
『ハルヴァー様がお決めになったことだ、我らは従うのみ』
本来ならば、自分達だけで二国を相手取りたかったのだが、アルアークから全権を託された妹君の命令とあれば従うしかない。
「まあ失敗したら、僕らが代わりにやればいいか」
「ソノ通リダ」
『……』
終末と呼ばれる世界から顕現した彼らだが、この世界に呼ばれて受肉する時、召喚者を通してある程度の知識を与えられている。
だから、ゴブリンやオークと自分達との力量もよく知っていた。
彼らからすれば、人間も妖魔も羽虫程度の強さなのだ。
そのため、どうしても相手を過小評価してしまうが、テェルキスは違う。
アルアークの呪法により、本来の種から格上げされた妖魔達の存在を認めていた。自分達に敵うとは思っていないが、決して低くも見ていない。
『我らの目的はベティア帝国だ。ゆっくりと、押しつぶすように進撃する』
その声には、どこか陶酔するような響きがあった。
地下帝国の主であるアルアークとハルヴァーは、一息に敵国を滅ぼして終わらせる気はない。
それで気が済むのならば、とうの昔に実行している。
彼らは敵国に苦しんでほしいのだ。
魔法帝国を滅ぼした国々に恐怖と混乱を味わわせたいのである。
まずは不死者が恐怖を与え、妖魔が混乱を及ぼし、既存の秩序を瓦解させる。
そしてすべてを復讐の劫火で焼き尽くした後、聖王国が望まぬ新しい秩序を打ち立てる。
『すべては、アルアーク様とハルヴァー様の為に』
テェルキスはそう呟く。
同意するかのように、他の二人も首を縦に振る。
月が真っ赤に染まっていた。
絢爛たる聖都は静けさに包まれており、夜遅くまで行われる司祭達の説法も騎士達が剣や弓を扱う訓練の音も、この夜はまったく鳴りを潜めている。
聖都の民衆は、そのただならぬ雰囲気に誰もが言い知れぬ不安を覚えた。
赤い月は人々の不安を象徴しているかのようである。
熱心な聖神教の信徒である聖都の民は心を落ち着かせようと、聖神に祈りを捧げたが、一度生まれた不安を消すことはできなかった。形のない恐れが夜の闇を深め、聖都全体を包み込んでいく。
そんな中、ある古びた館の前に、とある少女が現れた。
モニカである。
ぴょんと飛び撥ねた髪の毛を揺らしながら、モニカは目当ての人物を見つけて声をかけた。
「セレンデァス・ルフェストニアムさん、探しましたよぉ~」
名を呼ばれた女は、館に入ろうとしていた足を止め、少し驚いたように答える。
「へぇ、よく噛まずに名前を言えたな」
「驚くポイントはそこスかぁ? 『よくこの場所を突き止めたな』とか、『お前はいったい何者だ』とか、そんな感じのリアクションを期待していたんスけど?」
にゃははと、モニカは猫のように笑う。
敵対する意思はないとも取れるし、相手を油断させる演技にも見える。
女は少し困ったような笑みを浮かべて言った。
「とりあえず、オレ様……おっと、わたくし様のことはセレスって呼んでくれ、本名はセレンディにゃ………、セレンデァス・ルフェズぅ……。ああ、長い名前なんでな、舌を噛みそうなんだ」
目立つ容貌の女である。
ショッキングピンクに染めた長髪、ギラギラと輝く紫と金の色違いの瞳。
美しくはあるが、その美しさは獲物を油断させる人食い花が持つ類のものであり、その鋭い眼光は獲物を狩ろうとする野獣のようでもある。
「セレス、七勇者の一人にして、聖神教会に反抗している異端児」
「ご存知いただき、光栄の至りだ」
「聖神教会から指名手配されている貴女が、その聖神教会の総本山ともいえる聖都のど真ん中に堂々と館を構えているのには驚きましたよ。この聖都の警備も意外とザルなんスねェ~」
モニカはからかうように言う。
この聖都、大軍を防ぐ備えは万全だが個人の抜け道は多い。それもこれも、金で動く輩がいるためだ。
「それで、何か用事か?」
「いやぁ~、七勇者の一人である貴女にお願いがあって来たんスけど……」
七勇者。
聖王国にいる七人の勇者はいずれも一騎当千、いや、一騎一軍に匹敵する力の持ち主である。
彼らのうち、三人は聖王国の軍に属しており、三人は冒険者として活動している。
そして、残る最後の一人はセレス。
勇者でありながら聖神教会に反抗する者である。
「話くらいは聞いてやるよ。入りな」
何かの魔法か、ギィィイイと軋んだ音を立てて、門が独りでに開く。
彼女の住処らしいが、パッと見はまるで幽霊屋敷のようだ。
手入れがされていないため、草木は茫々、門の蝶番も錆びている。おまけに泥棒が侵入した形跡があり、何ヵ所も窓が割られていた。
外観だけでこのありさまなので、館の中は、推して知るべしである。
「外でいいスよ」
別に、掃除していない埃だらけの部屋に入ることを嫌がったわけではない。
単純に、外の方が話しやすいと考えたからである。
(しばらくの間なら、教皇の目を誤魔化すこともできますしねェ~)
モニカは笑顔を崩さずに続ける。
「地下迷宮に手を貸すの止めてもらえませんか?」
「地下迷宮? さて、どっちの地下迷宮だ?」
セレスは面白そうに尋ね返す。その目は相手を見定めつつ、飛び掛かる隙を窺っている獣のようだ。
「どっちもです」
モニカはきっぱりと答える。
「地下迷宮は世界にとって、害悪スよね? 勇者としては、どっちもぶっ潰すのが正しいと思いませんか?」
「勇者としての本分を忘れたオレ様……、おっと、わたくし様には関係ない話だな」
セレスは肩をすくめる。
「ケチッ」
モニカはぷっと頬を膨らませる。
「ははっ、交渉する相手を間違えたな!」
そう叫ぶや否や、セレスはいきなりモニカに飛び掛かった。
いつの間にか、禍々しい輝きを宿す剣を手にしており、その剣がモニカ目がけて振り下ろされる。しかし、それを予想していたのか、モニカは後方に跳んで回避した。
「オレ様……おっと、わたくし様がぶっ壊すつもりなのは、聖王国の方だけだぜ!」
その言葉を聞いて、モニカは軽く肩をすくめながら、飛び撥ねた前髪を揺らす。
「そうですよね~。カイルさんみたいにチョロくないみたいですし……、貴女がどちらの味方をするかは知っています」
と、あくまで余裕を崩さないモニカに、セレスは警戒を強めた。
何度も死線をくぐり抜けた勇者に備わる勘が、一筋縄ではいかない相手だと警告している。
「知っている? おいおい、初対面のはずだが?」
セレスの質問を、モニカはきれいさっぱり黙殺した。
「仕方がありませんね。扱いにくい役者には、御退場いただきます」
モニカも手品師のように短剣を次々と取り出すと、手にした物から順に投げつけた。その動きは適当なように見えて、短剣一本一本がセレスに吸い込まれるように飛んでいく。
様々な方向から迫り来る短剣を、セレスは己の剣を振り回して叩き落とし、そのままモニカとの距離を詰めていった。
それに対して、モニカも逃げることなく間合いを詰めると、再び短剣を手品のように取り出し、セレスの喉元を目がけて一突きする。
普通の人間ならば、そのまま喉を貫かれて即死するような素早く的確な一撃である――が、セレスは即座に迎撃した。
セレスの長剣とモニカの短剣が激しく火花を散らす。モニカの短剣が弾き飛ばされるかと思われたが、彼女は勇者セレスの一撃を見事受け止めた。
だが、勇者の顔にあるのは驚きではなく歓喜だった。
(強い!)
自分と互角、いや、それ以上に戦える相手は久しぶりである。
セレスは嬉しくてたまらなかった。
だからつい、相手が人間であることを忘れてしまった。
つば競り合いを続けたまま、セレスは呪を紡ぐ。
「――攻撃、無慈悲なる必滅」
これは勇者のみが扱える攻撃魔法であり、周囲に無数の光球を生み出して敵に叩き付ける大技である。基本的に魔獣や巨人などを仕留めるために使う技であり、人間相手に使えば、骨も残さずに消し去るほどの威力を有している。
次々と光球が生み出される中、モニカは素早く対抗呪文を唱える。
「――福音、偉大なる守護神は此処に」
モニカの背後に、盾を手にする顔の無い騎士の幻影が浮かび上がる。
同時に、セレスの周囲を漂っていた光球が一斉に掃射された。
先ほどモニカが投擲した短剣をセレスがことごとく撃ち落としたように、今度は騎士の幻影がすべての光球を弾き返す。
「見たこともねェ魔法だな……、いや、それとも奇跡か?」
騎士の幻影は役目は果たしたとばかりに、姿を消してしまう。
「にゃはは、なんでしょうかねェ?」
双方、不敵な笑みを浮かべ、一歩も引かぬ態勢で競り合い続ける。
力を抜いた瞬間、命を失うことになるという緊迫した状況にもかかわらず、二人は愉しそうに笑っている。
「勇者は地上では殺されないって聞きましたけど、セレスさん、はじめての犠牲者になりますか?」
「いいや、それよりも、いろいろ謎を持ったお前が謎のまま死んでいくっていうのはどうだぁ?」
二人は同時に後方へ跳び退き、武器を構え直した。
「ところで、いくら深夜だからって、こんなに暴れまわれば聖都警備隊が出張ってくるはずだが?」
剣を打ち合う程度ならばいざ知らず、深夜に大魔法が炸裂すれば、住民達は騒ぎ、聖都の守護を任された者達が駆けつけて来るはずだ。しかし、その気配は全くない。
皆、深い眠りについているかのような静けさである。
「邪魔になりそうだったんで、ちょっと細工をしておいたス。どんなに騒いでも、誰もここには来ませんよ」
「まるで、強姦魔みたいな台詞だな」
「にゃ!?」
セレスの言葉に、モニカは心外だと目を丸くするが、すぐさま自分の言った台詞を思い出して、照れたように笑う。
「ん~、言われてみれば確かに……、では、言い直しましょう。この夜は私達だけのもの、寝かせませんよ~」
「……今度は、売れない男娼の客引きみたいだな」
セレスはぼやきながら、問いかける。
「ひょっとして、この不気味に輝く赤い月のせいか?」
「さあ、どうでしょうか?」
「隠すなよ、お前の仕業だろ? オレ様……おっと、わたくし様の勘がそう言っている」
魔法や奇跡を駆使して天候を操作し、自分に有利な状況を作りだす術者は大陸でも数えるほどしかいない。
だが、セレスはこの女ならばそれくらいできるような気もした。
「……勘がいいスね。『恐れよ、狂神の憤怒』、たとえ神の代理人である教皇でも、今何が起こっているかわかりませんよ」
正直に答えた彼女に、セレスは嬉しそうに笑いながら言う。
「そんな準備をしてくるってことは、交渉は決裂すると、最初からわかっていたんだろ?」
「おや、ばれたスか?」
道化のような態度を示すモニカに、セレスは心底感心する。
「ああ、いいなぁ~。いい勝負ができそうだ……」
モニカはペロリと唇を舐めて、問いかけた。
「おい、もう一度名乗れよ。戦の礼儀だ」
ただ蹂躙するつもりであったが、その他大勢ではないようである。
その名を覚えておこうと、セレスは名乗るように促す。
「様式美ってやつスか?」
めんどくさいと思いながら、彼女は完璧な一礼をして名乗りを上げた。
「私の名はモニカ……、二つ名とかは特にないス。とりあえず、より良い世界のために、黒き勇者セレスさんに挑戦させていただくスよ」
勇者もそれに応じる。
「いいだろう。七勇者の一人、セレンデァス・ルフェストニアムが受けて立つ」
セレスはそう言うと、自分の言葉に驚きつつ苦笑した。
「……お、今回は名前を噛まずに言えた」
それを合図に、両者は戦いを再開する。
剣戟が響き渡り、魔法により生み出された炎と雷が大地を引き裂くような轟音を響かせた。さらには、誰も見たことのない魔導の道具や神秘の技が飛び交う。
しかし、セレスが指摘した通り、聖都には誰一人、この死闘の目撃者はいなかった。
人知れず始まった戦いは、人知れず終わることになる。
次の日、セレスとモニカが戦った場所に無数のクレーターができていることに住民達が気付き、大騒ぎとなる。
聖都警備隊は調査を行ったが、原因を突き止めることはできなかった。
ただ、そこで激しい戦いが起きたことは明白であり、その凄まじい痕跡の原因についての噂が聖都に流れたが、数日もするとその噂は消えてしまった。
セレスとモニカという二人が戦ったことは誰も知ることがなかったのである。
しかし、この戦いの結果は、聖都から遠い地にある「邪悪にして悪辣なる地下迷宮」の将来を大きく変えることになるのであった。
何故なら、地下帝国に味方するはずであったセレスは、この戦いを機に別の道を歩むことになるからである。
第一章 地下帝国の日々
邪悪にして悪辣なる地下迷宮の最深部、第八階層。
そこは、地下迷宮の支配者アルアークのために作られた後宮であり、「悦楽の神殿」と呼ばれている。ここに立ち入ることができるのは、地下迷宮の支配者である兄妹と彼らの寵愛を受けることを許された女のみである。
今まで、兄妹以外にこの場所を訪れたのは小国の姫フランディアルだけであったが、本日新たに十二人の娘が迎え入れられた。
暗殺者集団〝黒蠅〟の中から選び抜かれた娘達だ。
狼のような琥珀色の瞳。
死体を燃やした後に残る灰のような色の髪。
蜜を塗ったようにヌラヌラとした暗褐色の肌。
それ以外は特に共通点はない。
妖艶な長身の美女もいれば、幼い少年のような背の低い少女もいる。
髪型もバリエーション豊かで、アルアークの妹・ハルヴァーのように長く伸ばした者もいれば、短い巻き毛の者もいる。
愛らしい者、凛々しい者、儚げな者など、おそらく可能な限り見た目の違う娘を集めたのだろう。これほど美しい娘達が集まれば、男色家でもない限り、必ず一人は好みのタイプがいるはずである。
「美しいな」
「うん、合格! 黒い宝石のようだね。兄様の傍に置くに相応しい」
と、絶世の美貌を誇る両君主からも称賛の声が上がる。
彼らが見ていたのは見た目の美しさだけではない。
娘達の立ち姿や瞳の輝き、その精神と魂の色まで感じ取って出した評価である。
「一族の繁栄のため、どうかお傍に仕えさせてください」
一人の娘が一同を代表して口を開いた。
彼女は〝黒蠅〟の長ルガルの娘である。
扇情的な服を着ており、十二人の中でひときわ目立っていた。
「よかろう。私の名において、〝黒蠅〟の一族と血の契りを結ぼう」
そう言って、アルアークは魔法で短剣を呼び出すと、軽く手の平を傷つける。
その血が床に落ちぬように、ハルヴァーは銀の杯を出現させ、兄の傍に寄り添い、手から流れる血を受け止めた。
杯が血で満たされると、ハルヴァーは兄の傷ついた手を癒すように舌を出してぺろぺろと舐める。
「あぁ、にいさまのちぃ……」
潤んだ瞳で傷を舐め続ける妹から銀杯を受け取り、アルアークは傷ついていない方の手で銀杯を掲げた。
「魔法帝国の法と同じく、王族である私は誰か一人を伴侶とすることはない」
裏を返せば、たとえ誰か一人を愛することになったとしても、その一人だけに愛を注ぐことは許されない。
魔法帝国では正室という概念は存在しない。
女同士の嫉妬による争いを避けるための措置であると同時に、皇帝の愛が平等であることを示すためのものでもある。実際に上手くいくかどうかは魔法帝国の長い歴史を見ても半々だが、アルアークの父と祖父はそのあたり非常に如才なくやっていた。祖父の千を超える妃は全員不平不満など言わなかったそうだ。父も十数人の妻に平等の愛を注いで諍いを起こさせなかった。
しかし、これだけ多くの伴侶がいながら、魔法帝国の王侯貴族は子宝に恵まれる機会は少ない。そのため、世継の問題に悩まされることはしばしばあるが、王位継承権を争うような事態は数えるほどしかなかった。
「祖先の名に懸けて、みな平等に愛そう。他に愛する男がいるのならば去って良い。咎めはしない。この婚礼に異議がある者も同様だ」
男女の愛と呼ぶには程遠い言葉だが、王族の彼は普通の恋愛などしない。しかし、だからといって、愛がないわけでもない。彼は確かに伴侶達を幸せにするであろう。
そして、彼の言葉に、「いいえ、異議などありません」とルガルの娘が答えた。
他の娘達も同意して一礼する。
「では、誓約の血を飲むがよい」
アルアークが冷たい声で命じた。
最初の一人が銀の杯に近づき、中に入った血を啜る。それを皮切りに、娘達は順に銀の杯に口をつけていく。杯の中の血の味は酒にも似た酩酊感を伴うものの、アルコールを喉に流し込んだ時のように体がカッと燃える熱さはない。氷のような冷たさなのだ。
最後の一人が銀の杯の血を飲み干すと、地下迷宮の支配者アルアークは蒼い瞳に冷たい輝きを宿しながら宣言した。
「血の誓約はなされた。〝黒蠅〟の一族に邪悪なる祝福を……」
ハルヴァーも唇についた血をペロリと舐め取って、妖艶な声音で宣言する。
「あはぁ、兄様が……、地下帝国がある限り、そしてキミ達が忠誠を誓い続ける限り、一族の繁栄を保証しよう!」
「父ルガルを筆頭に、我ら〝黒蠅〟の一族、今後も変わらぬ忠誠を誓います」
その誓いを、アルアークは受け取った。
「よかろう。ではこれより、汝らは私の花嫁だ」
そう言って、彼女達に新たな名を与える。
「これより〝黒蠅の花嫁〟として、仕えるがよい」
「新しき名、ありがたく頂戴いたします」
娘達は喜びを噛みしめながら頭を下げた。
血を交わらせる婚礼の儀式は終わった。
次は、花嫁としての役割を果たす必要がある。
「ではさっそく、務めを果たしてほしい」
「なんなりと」
黄金の髪を持つ美丈夫は重々しく告げ、〝黒蠅の花嫁〟は嬉々として主命を待つ。
何をすればいいのかは、妹であるハルヴァーが答えた。
彼女は兄の手の傷口を舐め終え、説明を始める。
「『地下迷宮の書』が奪われ、兄様の力は大きく落ちている」
それは、次のような理由からであった。
まず地下迷宮には重要な心臓部ともいえる「迷宮核」がある。
次いで重要な五つの秘宝「地下迷宮の書」「魔杯」「災厄の鍵」「魔法帝国の王錫」「挑戦者の証」が存在する。
それらは、アルアークとハルヴァーの力の源にして、彼らがその身に魔法帝国の魂を繋ぎ止めるための秘宝なのだ。
同時に、不死身の彼らにとって唯一の弱点でもあった。
言うなれば、「迷宮核」は彼らの命そのものであり、五つの秘宝は手足に等しい。そして、地下迷宮内に溢れる大量の金銀財宝は血である。
したがって、その一つが地下迷宮の外に運び出されると、その時点で、彼らの力は大きく減衰してしまうのである。
少し前、地下迷宮に侵入した謎の女盗賊モニカによって、「地下迷宮の書」が奪われた。その後、一緒に行動していた勇者カイルを仲間に引き入れ脳内を探ったが、見たこともない術で勇者の記憶は改竄されており、秘宝の行方はようとして知れなかった。そのため、アルアークとハルヴァーはモニカの存在すら知らずにいる。
しかし、モニカの存在はわからずとも、誰かが「地下迷宮の書」を奪ったことは間違いない。そのため今は、著しく低下したアルアークの体力を回復し地下迷宮の防御を固めなくてはならない。
ところで、この理屈からすれば不思議な話だが、アルアークと一心同体であるはずのハルヴァーの体力は消耗していない。
それは、この兄妹が地下迷宮の創造時に自らの肉体と精神に施した特殊な絡繰りによるものである。秘宝が奪われた際に生じるダメージや傷は、すべて兄のアルアークが被るようにしておいたのである。
「迷宮核」が運び出されたり、あるいは山のような財宝が根こそぎ奪われたりしない限り、ハルヴァーが傷を負うことはない。
なぜ、そのような措置を施したのか?
その一番大きな理由は、地下迷宮で最強を誇るハルヴァーが常に万全の状態で動けるようにしておくためである。
「兄様に『魂』を捧げて……。ああ、勘違いしないでね。死ねって言う訳じゃない。少し疲れるかもしれないけど、大丈夫」
ハルヴァーは邪悪な笑みを浮かべた。
普通の人間ならば恐れ慄くだろうが、〝黒蠅の花嫁〟達は至って平然としていた。それどころか「具体的には、どうすればいいのでしょうか?」と自ら率先して問いかける。そこには恐怖も不安もない。
その琥珀色の瞳に映るのは、支配者に対する狂信と忠誠の色だけだ。
もう少し詳しく説明しようとするハルヴァーを、アルアークは手で制する。
そして、冷たい笑みを浮かべると、「来い」と命じ、〝黒蠅の花嫁〟の一人を抱き寄せた。
「口で説明するより、この方が速い」
言われるまま体を預ける花嫁の首筋に――アルアークは吸血鬼が血を吸うかのように噛みついた。
突然の凶行を受けながらも、花嫁は痛みの声を漏らす代わりに「ああぁ!」と快感に痺れる声を上げた。全身が凍るような冷たさに襲われつつも、内側からは灼熱の炎に燃やされるような熱さが広がるという、相反する感覚に貫かれる。それは、目から涙が溢れ出るほどの想像を絶する快楽である。
そんな心を溶かす快楽から逃げようとする者などいない。
恍惚の表情を浮かべ、花嫁は自らアルアークの肩に手を回す。
「ここまでだ」
アルアークは娘の首筋から口を離す。
噛み痕からわずかに血が流れているが、それほどひどい傷ではない。
「あと何度か繰り返す。しばらく休め」
〝黒蠅の花嫁〟は蕩けるような顔つきのまま、よろよろと後退する。
そして、すぐに代わりの花嫁がアルアークの前に立ち、期待に目を輝かせて首筋を晒し主人の抱擁を待つ。
――魂の蒐集。
吸血鬼が乙女の生血を力とするように、アルアークとハルヴァーは人の魂を力の源としている。
地下迷宮の化身である彼らが魂を手に入れる方法は様々だ。地下迷宮の中ならば、侵入者が魔物に殺された時や致死性の罠で止めを刺された時、あるいは空腹で行き倒れた時などに手に入る。外であれば、眷属に与えた機能で奪い取れる。
そして今回の場合のように、自らの意志で魂を差し出す従僕から受け取る場合もある。
このように地下迷宮の支配者達は魂を蒐集する一方、その魂を消費しながら金銀財宝を生み出し、神にも等しい力を行使しているのだ。
ところが、魂の管理に必要な秘宝の一つを何者かによって奪われてしまったため、地下迷宮の一部の機能に狂いが出ている。急ぎ修復する必要があった。
そこで呼び寄せられたのが〝黒蠅の花嫁〟達である。
アルアークは自分を愛する女達を魂の通行口にする「愛欲の聖餐」という権能を有している。
これを行使すれば、眷属を派遣する必要なし――地上で失われた魂を集めて取り入れることができる。
現在、シアの他に、聖王国の騎士であったソフィと元勇者のカイルが眷属となっているが、ベティア帝国を相手にした時と同じように地上に送り出すことはできない。
なぜなら眷属である彼らが敗れてしまえば、アルアークだけでなく、ハルヴァーも秘宝が奪われた時と同様のダメージを受けてしまうからだ。
秘宝を奪った者が何者なのかわからないのに、彼らを外に出すのはリスクが大きすぎる。
そこで、「愛欲の聖餐」の出番となるわけだが、当然デメリットもあった。
まず、魂の通行口となる女達は極度に疲労する。
普通の娘ならばすぐさまミイラと化してしまうだろう。
その点、〝黒蠅〟の娘達は美しいだけでなく、優秀な暗殺者たるべく厳しい訓練で強靭な肉体を作り上げている。
そのため、アルアークの死の抱擁を受けても即死することはない。もちろん、殺さないように手加減しなければならないが、アルアークは、そのあたりの力加減は心得ている。
少なくとも、妹よりは。
復讐のためならば、自分を慕う者を死地に向かわせる冷酷さはある。
だが、無意味に同胞を殺めはしない。
娘達を抱擁する兄の姿を見つめながら、ハルヴァーは恭しく頭を下げた。
口元に浮かぶのはいつも通りの邪悪な笑み。
本格的に魂と生気を奪い取る様は、獣が交わるような激しいものである。
「それじゃあ兄様、今しばらくご休息を……、後は私がやっておくね」
「任せた」
考え方は多少異なる兄妹だが、目的は共通している。
すべては復讐のために。
聖王国を支えるすべてを壊す。
そのために、今はまだ力を蓄える。
地下迷宮を生み出すまでに五年もかけたのである。
あと少しくらい時間をかけても問題はない。
* * *
地下第七階層、「王の間」の近くに配された会議室。
そこは気品をたたえた美しい造りで、数十人がゆったりと入れる広々とした空間である。だが、今この会議室にいるのは僅か三名にすぎなかった。
いずれもアルアークによって召喚された異界の騎士達だ。
第一に召喚された騎士は、堕落せし猟犬を従える審判の騎士のテェルキス。
紺碧の鎧兜を身に着けた、威風堂々たる大柄の騎士である。その体躯に相応しい大剣を手にしており、彼が動くたびに、ベルトから提がる首輪付きの鎖がジャラリと音を立てた。
次に、勇者カイルとの戦いで召喚された騎士が二名。
盲目の人形を従える刑罰の騎士、ジャディア。
真紅の鎧兜に鳥を模した黄金の仮面で顔を隠した、少年のように小柄な騎士である。手にした短剣をくるくると回しており、イヤリングのように耳に着けた鈴がチィリーンと透明な音色を奏でる。
さらに無尽なる数の蟲を従える飢饉の騎士、ストルニトス。
錆びついた深緑の鎧兜と暗い紫色のマントに身を包んだ巨漢で、三人の中で最も体格が大きい。丸太のように太く凶悪な棍棒を手にしており、体を動かすたびにギィイイと錆びついた鎧の音を響かせている。
彼らは終末と呼ばれる世界に属する騎士であり、アルアークの召喚魔法により呼び出された存在だった。
一騎当千の力を持つ強者なのだが、異世界より召喚された身であるため、この世界に留まるには絶えず魔力を召喚者により供給され続けなければならない。もしも召喚者との繋がりを断ち切られたら、この世界から放逐されてしまう。
それが彼らの弱点である。
とはいえ、アルアークの召喚魔法を打ち破れる魔法や奇跡の使い手はそう多くはない。
『以上が、陛下からの伝言だ』
新たに呼び出された二人の騎士に、テェルキスは今後の方針を聞き取りにくい濁声で告げた。
「なるほど、我らが主の望みはわかったよ。ボクらに軍を率いろって言うんだね?」
鳥顔の仮面を着けた真紅の騎士ジャディアが、少年のような外見に見合った軽い口調で言う。
彼が派手なオレンジ色のマントを翻すと、チィリーンと鈴のような音が響き渡る。
体を動かすたびに音を出すのは、終末の騎士の種族としての特徴なのだ。
テェルキスもストルニトスも例外ではない。
その他にも、終末の騎士達に共通するものはいくつかあった。
それは騎士としての誇りが歪んでいること、捕虜を束縛すること、などである。
異界の住人でありながら、彼らなりに自らの能力を誇るように演出に気を遣っているらしい。
「シカシ、難シイナ」
巨漢の騎士ストルニトスの声は、聞く者を不快にさせる。
『ああ、しかし、難しい仕事を命じられるというのは、期待されている証拠でもある』
濁声で呟いたのは、テェルキスだ。
他の二騎士もコクリと頷く。
個による武力ではなく、兵を率いて敵を制圧せよ。
テェルキス達はすでに個々の実力を十分に示した、今度は将としての実力を見せろ、というのがアルアークの命である。
今現在、地下迷宮の外で万の軍勢を率いることができるのは、プルックだけだった。
「強制進化の祭壇」で新たなゴブリンの王を生み出そうとしても、上手くいかなかったのだ。
それは、ゴブリンの個体ごとに経験や資質が異なるためと考えられている。
不死者やゴブリンといった兵の数が増えてきた今、地下迷宮の支配者としては、彼らを統率し運用できる将軍が一人でも多く欲しいところなのだろう。
つまり、アルアークは終末の騎士達をゴブリン達の見本としようというわけだ。
三騎士は、召喚者であるアルアークの邪悪な波動に心酔しているため、その望みに全力で応える気になっていた。
「デ、率イルノハ?」
ストルニトスが不快な声で尋ねた。
終末の騎士は存在するだけで周囲に恐怖を振り撒く。そのため、臆病なゴブリン達を操るには適任ではない。もちろん、主が命じるのならば無理を押し通す心づもりではある。しかし、アルアークは配下の特性もきちんと把握していた。
『不死者だ』
テェルキスが答えた。
先の戦いで、プルック率いる妖魔軍は大勝し、その際の死体はほとんど回収している。
その後、地下迷宮の支配者に仕える悪魔達が死霊魔術を駆使し、それらの死体に偽りの命を吹き込んだのである。
負なる力により動く腐乱死体、白骨化した骸骨兵などに加えて、黄色い霊質を纏わせた死霊騎士、怨念により巨大化した死せる巨人などが生み出されており、その数は今なお増え続けている。
『不死者の群れを率い、我々はベティア帝国を攻める』
「フム」
「異論はないけど……、ロナン王国はどうするの?」
フェーリアン王国の北に位置する二つの大国。
北東にあるベティア帝国。
北西のロナン王国。
どちらも魔法帝国を滅ぼすのに力を貸した仇敵であり、アルアークとハルヴァーが滅ぼすと誓った国々である。
『そちらには、妖魔達が当たる』
テェルキスの濁声が響く。
「妖魔! あんな弱い奴らで大丈夫?」
ジャディアはまるで劇場の役者のように、大げさな身振りで言う。
「スデニ戦ッテ、勝利シテイルト聞ク」
鎧を不快に軋ませながら、ストルニトスは呟いた。
『ハルヴァー様がお決めになったことだ、我らは従うのみ』
本来ならば、自分達だけで二国を相手取りたかったのだが、アルアークから全権を託された妹君の命令とあれば従うしかない。
「まあ失敗したら、僕らが代わりにやればいいか」
「ソノ通リダ」
『……』
終末と呼ばれる世界から顕現した彼らだが、この世界に呼ばれて受肉する時、召喚者を通してある程度の知識を与えられている。
だから、ゴブリンやオークと自分達との力量もよく知っていた。
彼らからすれば、人間も妖魔も羽虫程度の強さなのだ。
そのため、どうしても相手を過小評価してしまうが、テェルキスは違う。
アルアークの呪法により、本来の種から格上げされた妖魔達の存在を認めていた。自分達に敵うとは思っていないが、決して低くも見ていない。
『我らの目的はベティア帝国だ。ゆっくりと、押しつぶすように進撃する』
その声には、どこか陶酔するような響きがあった。
地下帝国の主であるアルアークとハルヴァーは、一息に敵国を滅ぼして終わらせる気はない。
それで気が済むのならば、とうの昔に実行している。
彼らは敵国に苦しんでほしいのだ。
魔法帝国を滅ぼした国々に恐怖と混乱を味わわせたいのである。
まずは不死者が恐怖を与え、妖魔が混乱を及ぼし、既存の秩序を瓦解させる。
そしてすべてを復讐の劫火で焼き尽くした後、聖王国が望まぬ新しい秩序を打ち立てる。
『すべては、アルアーク様とハルヴァー様の為に』
テェルキスはそう呟く。
同意するかのように、他の二人も首を縦に振る。
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