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4巻試し読み
4-2
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約束を反故にすれば、疲弊したベティア帝国を、ロナン王国のみならず聖王国の軍勢が攻撃するぞという脅しである。
「いいだろう。必要ならば、その後の戦いも、すべて我らが引き受ける」
皇帝は好戦的な笑みを浮かべた。
「戦狂い」という噂も間違いではないようだ。
「だが、戦に必要な物資の支援はしていただく。食料、金銭、女だ」
「ふん、城塞都市リゼンベルクから好きなように持っていくがよい」
「狸め、どうしても我らを略奪者にしたいようだな?」
「略奪ではない。王である余が構わぬと言っているのだ。都市さえ戻ってくれば、後で民や兵を送って『損害』は補填できる」
ロナン国王にとって、領地はむろん大事だが、そこに住む民草のことなどどうでもよかった。民というものは、耕す土地さえあてがっておけば、勝手に増えていくものだと考えているのである。
「その後の戦はロナン王国に任せていただきたい。各地の諸侯にも手柄を立てさせねばならぬ」
城塞都市を落とせば、難所というほどの難所はない。
そのまま妖魔に支配された土地を奪い返しながら南に進み、地下迷宮があると言われるフェーリアン王国に攻め入る予定である。その途中で得られる資源を、ベティア帝国に独り占めさせるわけにはいかない。
「もちろんじゃとも、同じ轍は踏みたくないであろうし、構わぬであろう?」
ベティア帝国のガルドレック将軍は、フェーリアン王国を陥落するつもりだった。
しかし、彼の率いる黒鉄師団がまさかの敗北。
現在、将軍不在となった黒鉄師団は、同規模の砂塵師団に組み込まれている。
「チッ、好きにするがよい」
ゲッエンベルグ皇帝は口惜しそうに舌打ちをするが、これは演技である。
精強と名高いベティア帝国の兵士達も、城塞都市を落とした後は、フェーリアン王国に攻め入るだけの力が残っているかどうか、怪しいところだ。したがって、戦狂いではあっても、この程度の腹芸はして見せる。
それに、フェーリアン王国を相手にすれば、聖王国とロナン王国も苦戦が予想された。自国の軍を疲弊させるぐらいなら、互いに消耗してもらったほうが良いという考えだった。
「よろしい」
聖王は満足そうに首を縦に振る。
「では、これより全軍……」
と聖王が言おうとした時、伝令の一人が慌てて天幕に入って来た。
「緊急連絡です! りゅ、竜が! 上空に竜が現れました! 現在、ロナン王国軍の天幕に向かっているとのこと!」
その言葉に、誰よりも早く反応したのは、ロナン王国の国王フェルセネクである。
彼は顔面蒼白になり、配下の者達に自陣へ戻れと緊急指示を出した。
何故なら、彼が心から愛する妻子がいるからである。
* * *
薄い茶色の髪を風になびかせ、おっかなびっくりといった様子で竜の背に跨るデリトは、胃が痛くなるのを感じていた。
竜に振り落されないように、体を丸めてしがみついている。
竜は、闇商人テオドールが用意した邪竜だ。
漆黒の鱗を持ち、真っ赤な瞳を輝かせた邪竜は、混沌竜と呼ばれる種類である。ほかの種の竜と違い、野生動物と変わらぬレベルの知性しかない。しかし、闘争本能にひたすら忠実で、炎や雷撃、吹雪など多種多様な属性の吐息による攻撃を行い、攻撃能力や防御能力、機動力もほかの竜族に比べて頭一つ抜けている。
エルフの賢者によれば、もしも彼らに知性があったなら、世界を支配していただろう、と評されるほどだ。
以前、地下帝国に攻め込んできた竜王の強さを目にしたテオドールは、混沌竜を自国の戦力に組み込めないものかと考えた。そのことをアルアークに相談したところ、竜を捕縛した実績のある地下帝国の騎士ソフィとフェーリアン王国の客将コーリアスに供を命じた。そして彼女らは秘境に赴き、混沌竜の捕獲に見事成功したのである。
捕らえた数は二十三頭。
アルアークは、主だった者にこの混沌竜を与えた。
そのうちの一人、勇者カイルは、元より竜を乗騎としていたため、いち早く混沌竜を従えることに成功した。
「デリト殿、そう緊張しないで頂きたい」
闇神官のデリトと一緒に竜に跨っているカイルが言った。
カイルは元来美青年だが、堂々と竜の背に乗る姿はなおいっそう美しい。その声にも自信が満ちている。
「たとえ振り落とされたとしても、地面に叩きつけられる前にお救いいたします」
「不吉なことは言わないでください!」
デリトはガチガチと歯を鳴らしながら、情けない声で悲鳴を上げた。
空気が薄く、奇跡の助けがなくては息ができないほどの高所を飛んでいるのだ。もしも、竜の背から落ちれば、とても助からない。デリトの体は地面に叩きつけられたトマトのように潰れてしまうだろう。
嫌な想像をして、デリトは背筋をぶるりと震わせる。
カイルはそれに気づいているのか、いないのか。
「竜の扱いには慣れていますから、どうぞご安心を」
などと言って、デリトを励ます。
もちろん、そんな一言でデリトの不安が取り除かれるはずもなく、相変わらずガクガクと体を震わせている。その様子を見て、勇者カイルは問いかけた。
「ところで、貴方は竜を転生させる力があると聞きました。それはいったいどのような力なのですか?」
「ああ、そのことですか……。私自身の力ではありません。この宝珠のお蔭です」
そう言って、デリトは懐から光り輝く小さな宝珠を取り出す。
――神の慈悲は此処に。
宝球は、宗教騎士達に殺された妖魔を転生させたもので、一種の魔法の道具である。
「これをくれた方がいたのですが、誰であったか、思い出すことができません」
「記憶の欠落ですか。俺と同じですね」
カイルはそう言って、自分の身に起きた出来事を話す。
「俺も誰かと一緒に地下迷宮に来たのですが、誰だったのか思い出せない。どうやら、その人物のお蔭で、陛下達の目に留まることなく地下迷宮を探索できたようなのですが……」
「貴方と行動を共にした侵入者と、私に宝珠を与えた人物は、ひょっとすると同一人物なのでしょうか?」
デリトは問いかけるというよりも、独り言のように呟いた。
「貴方と共に来た侵入者は、陛下の秘宝を奪ったのですね。その一方で、私には宝珠を与えた。地下帝国に対して利と害を与えています。いったいどうして、そのようなことをするのでしょうか?」
「……」
カイルは、わからないと無言のうちに伝えた。
ここでカイルとデリトの言っている侵入者とはモニカのことだが、二人共不思議と彼女に関する記憶がすっぽり抜け落ちている。
モニカが正体不明とされるのは、それなりの秘密があるのだが、そのことを彼らは知らない。しかし地下帝国にとって、勇者カイルの記憶まで操作できる力の持ち主は。脅威であることは間違いない。
「いずれにせよ、その者は再び地下迷宮を訪れる筈です。その時こそ、正体を暴いてやりますよ」
カイルは努めて明るく言うと、竜の手綱を握りしめた。
「それでは、高度を落とします」
「う、ちょ、心の準備が!」
その声を無視して、カイルは手綱を打つ。
みるみる高度が下がり、眼下に広がるのは、見渡す限りの広大な緑地に雄々しく翻る騎士団の旗と兵士達。聖王国と連合諸国の軍勢である。
空から突如として現れた竜に兵士達は驚きを隠せないようではあるが、騎士達が配下の兵を見事に統率して防御陣形を取った。それに加えて、従軍している司祭達が守りの結界を張り巡らし、即座に対空用の迎撃部隊までが送り出された。
「さすがに対応が早い」
「竜の姿を見て逃げ回るかと思ったのに、可愛げのない連中ですね」
とデリトは応じつつ、高速で接近する者達に大声で呼びかける。
「ロナン王国の天馬騎士! ベティア帝国の竜騎兵! それに、聖王国の天使達!」
デリトとカイルは、それら三種の兵にちょうど囲まれる場所にあった。
正面北側には聖王国、西側はロナン王国、東側はベティア帝国。
これら各国が送り出したのは、飛ぶ騎獣を操る飛行騎兵や翼を生やした天使達である。
まずは、翼の生えた馬ペガサスに乗ったロナン王国の女騎士達が、混沌竜の腹部を狙って手槍を投擲する。それに続けて、飛竜に乗ったベティア帝国の竜騎兵が突撃槍を構えて突進してくる。
「しっかりつかまって!」
カイルはそう叫ぶと、手綱を握りしめて、騎竜を操った。
竜は咆哮を上げ、大きく翼を羽ばたかせながら、飛行速度を増して突き進む。そして敵兵を迎え撃つ。
「――守護、聖なる守り」
敵の手槍が混沌竜に届く前に、デリトが素早く奇跡を唱えた。すると竜の全身を白い光が包み込み、手槍は竜の鱗にあっさりと弾き返される。
竜は速度を落とすことなく突き進み、ベティア帝国の竜騎兵に正面から激突した。
「ぐぁああああ!!!」
「ば、ばかなぁああ!!」
激突音と共に、ベティア帝国の竜騎兵は悲鳴を上げて墜落していく。
カイルは手綱を握っているのとは別の手で短剣を投げ、竜騎兵の腕や肩を貫いたのだ。
乗り手の制御を失った飛竜達は、カイル達の乗った混沌竜を避けるように通り過ぎてしまう。
「カイルさん! 天使達が奇跡を唱えております! 私の力では防げません!」
デリトの言葉通り、聖王国の天使部隊が協力し合って、攻撃の奇跡を一斉に唱えていた。
人間であるデリトが駆使する奇跡の守りでは、天使達による奇跡の力を打ち消せない。
奇跡を操る力量が、蟻と象くらいに違うのである。
『――Ⅱ・Ⅳ・Ⅸ・Ⅵ・Ⅶ・Ⅴ・Ⅷ・Ⅲ・Ⅹ・Ⅰ』
天使達が唱える奇跡の言葉は、人間には発音不可能だが、その必殺の意志は十分に伝わってくる。
次の瞬間、真っ白な閃光が放たれた。
神聖なる力は、闇に堕ちたカイルにとって脅威である。
「――起動、闇あれ!」
カイルは即座に護符を掲げて呪文を唱えた。
それはアルアークより与えられた護符で、攻撃的な奇跡の力を消滅させる「漆黒の六芒星」を呼び出す。以前、天使長の攻撃にあって苦戦したことから、対策として下賜されたのである。
護符から黒い六芒星が現れると、天使達が放った、刃のごとき光は霞の如く消え去ってしまう。
必殺の奇跡を封じられた天使達は動揺を隠せない。
その隙を狙って、混沌竜は翼を羽ばたかせた。
すると旋風が巻き起こり、貧弱な翼しか持たない天使達は枯れ葉のように吹き飛ばされる。
しかし、敵の各国は航空部隊の第二陣、第三陣を放つ。
「チッ、きりがない!」
「カイルさん、ロナン王国の陣地は西の方角です!」
デリトは旗に描かれた紋章を見て、そう叫ぶ。
「目的地は近いようですね。ですが、そう簡単に事は運ばない。デリト殿、しばらく姿を隠してください」
デリトは慌てて「姿隠しの外套」を被った。
その名の通り、アルアークがデリトに与えた姿を見えなくする魔法のコートである。
これを身に着けると、カイルのサポートを行えなくなるが、デリトの姿を敵に見られる心配はない。
はたしてデリトの姿が消えると同時に、上空から強襲があった。雷鳴の如き素早さで、純白の竜が襲い掛かってきたのだ。
「凍える吐息を!」
カイルの指示に合わせて、混沌竜は口から猛吹雪を吐き出す。
しかし、その猛吹雪も、純白の竜が吐き出す閃光にかき消されてしまう。
それどころか、吹雪をかき消す閃光が混沌竜自身の体を貫いた。
だが、混沌竜は、竜種の中ではひときわ生命力高い。
体を一度や二度貫かれた程度で死ぬことはない。
加えて、自分に傷を与えた者に対して寛容な態度を取れるほど穏やかな気性でもなかった。
「光輝竜!」
カイルは襲い掛かってきた竜の名を口にした。
これは天使と同じく天界と地上を行き来する聖神の御使いであり、聖王国から守護竜として崇められている。
混沌竜と違って知性は高い。卑小な妖魔を嫌悪しており、自慢の閃光の吐息によりこれまで何百という妖魔を引き裂いてきた。
光輝竜の瞳は翠の色に輝き、憎悪の念に燃え上がっている。混沌竜を一撃で仕留められなかった不満から、低い唸り声を漏らしていた。
「久しいな、カイル? 数年ぶりだが、まさかこのような再会をするとは思わなかったぞ」
「……七勇者筆頭、カルテン・ミーラカディア!」
カイルも相手の名を叫ぶ。
カルテン・ミーラカディア。
それは聖神教会に忠誠を誓う勇者の一人にして、聖王国に刃向かう者を悉く滅ぼしてきた最強の男だった。
黒い髪をオールバックにしており、緑の瞳は邪悪なる者を咎める鋭い光を宿している。
また、体から放たれる威圧感は半端なモノではない。対峙しているだけでも、カイルの全身からは汗が噴き出してしまう。
「教皇猊下に刃向かう愚か者は、死をもって償うがいい」
勇者カルテンは、教皇から下賜された剣を腰から抜き放った。
それは邪悪を滅ぼす聖剣である。
「聖剣ティライラか」
カイルは剣の銘を口にする。
幾重もの守りに固められた魔法帝国の皇帝の首を刎ね飛ばした代物であり、アルアークとハルヴァーにとっては、まさに憎悪の象徴だ。
真っ白な輝きを纏う刀身を見て、さすがの混沌竜も身を硬くする。
恐るべき破壊と災厄をまき散らす邪竜の鱗でさえも、カルテンの聖剣から放たれる斬撃の前には無力なのである。
そして、闇に堕ちた勇者カイルにとっても、聖剣の一撃は致命傷となる。
カイルが地上で戦う場合、地下迷宮の加護を得ることはできない。そのため、毒竜と魂を繋いだ不死性も失われているのだ。
「ならば、我が妻の一人リーエルトが作った邪剣エフライムで御相手しよう」
カイルはいつも通りの昏い笑みを浮かべて腰の剣を抜き放つ。
その紫色の刀身から、黒い炎が噴き上がっていた。
カイルと共に闇に堕ちてくれた仲間にして、妻の一人でもあるリーエルトが地下迷宮で作成した剣である。
聖なる存在を斬り裂く、邪なる剣であり、聖なる加護を受けた勇者カルテンと光輝竜にとっては猛毒のようなものだ。
「妻の一人?」
カルテンは眉を顰める。
「食いつくところはそこかよ。堅物勇者殿」
「……貴様、何人もの妻を持つというのか?」
「誰も彼もを幸せにしようとした結果だ。彼女達も喜んでくれている。夜の相手が少し大変ではあるが、そこは仕方がない。これで満足か?」
堕ちた勇者は嘲笑した。
「汚らわしい。貴様も、貴様の女達も、まとめて地獄に突き落としてくれよう」
「人の幸せにケチをつけるなよ。童貞勇者」
「死ねェいいいい!!!!」
叫び声を上げながら、聖王国の勇者は竜と共に襲い掛かる。
それを見て、カイルは混沌竜の背から飛び降りた。
「なっ!?」
驚くカルテンを尻目に、カイルは「ピィイイイイイ!!!!」っと口笛を吹く。
その瞬間、風よりも素早く、雲を突き抜けて飛竜が駆けつけてきた。
現れたのは、カイルが地下帝国に属する以前から騎乗していた飛竜である。竜種が好きなカイルは地下帝国に属する身となってからも、飛竜の世話をしてきた。
今回も、長年連れ添った相棒の飛竜を併走させていたのだ。
カイルは空中で飛竜の手綱を手にすると、ひらりと曲芸師のようにその背に乗った。あっという間の早業であり、タイミングを間違えれば死んでしまう無茶な行動だった。だが、カイルは完璧なタイミングで飛竜に乗り移り、聖剣の一撃を躱す。
「悪いが、騎竜を変えさせてもらう」
カイルはそう言って、不敵に笑う。
乗り手を失った混沌竜は、獰猛な叫び声を上げながら、ロナン王国の陣地へと猛スピードで飛び去っていく。
カルテンは舌打ちしながらも、混沌竜を見逃した。
ここで邪竜のあとを追えば、背後から斬られることは必至だからだ。
「それじゃあ、しばしお付き合い願おうか」
カルテンは、カイルの計略にかかって足止めされていることに気づいていたが、もはやどうすることもできなかった。
* * *
カイルの支配から解き放たれた混沌竜は、暴走する猛牛のように速度を上げていた。
乗り手であるデリトのことなど一切構わずに、ロナン王国の軍勢に向かって急降下し始める。
「竜が来たぞ!」
「成敗せよ!」
「弓兵、構えろ!」
怒号が飛び交う中、ロナン王国の騎士団は矢を放つ。だが、邪竜の鱗は傷つかない。それどころか、弾き返されて落ちてきた矢が味方に当たる始末である。
ロナン王国軍の戦闘姿勢は基本的に、物量で相手を押しつぶすものであり、聖王国やベティア帝国に比べて、練度は低い。
「死ぬ。死ぬうううぅううう!!!!」
鮫の巨体に張りつくコバンザメのように、デリトは死に物狂いで竜の体にしがみついていた。
そんな情けない乗り手を無視して、邪竜は天をも震わさんばかりの咆哮を上げる。
その雄叫びを聞いた民兵達は、大半が意識を失って倒れるか、戦意を喪失し棒立ちとなった。意識を保ち得た者はごく僅かで、それも我先にと争って逃げ出す始末だ。
邪竜はそんな軍勢をあざ笑うかのように、口から吐息を吐き出す。
混沌竜という名の通り、氷・雷・炎・毒といった多種多様なブレスによる攻撃で周囲を混沌の渦に巻き込んでいく。
これにはロナン王国の軍勢もひとたまりもなく、ただ蹴散らされていくばかりである。
それから、混沌竜はひときわ大きな天幕を発見すると、その場所に降り立った。
突風が巻き起こり、周辺にいた騎士達は悉く薙ぎ倒される。
「や、やっと到着ですか……」
「姿隠しの外套」を被ったまま、デリトは急いで竜の背から滑り降りた。
そんな神官を無視して、混沌竜は鋭い爪で天幕を破壊する。
天幕の中には、黄金の鎧を身に纏った女騎士達と、豪華な衣装で着飾った美しい娘達がいた。
「姫様を連れて、逃げなさい!」
「こ、ここは、女王近衛隊にお任せを」
「竜め、私達が相手だ! ペステネーレ騎士団長が来るまで、足止めをするんだ!」
そう言って武器を構える女騎士達は、ロナン王国の王妃と王女を守る近衛部隊である。
竜の巨体を前にしても、戦う意志を捨てない精神力は見事なものだ。
だが、声や体に震えは隠せない。
彼女達とは別に、逃げようとする者達もいた。ロナン王国の王妃と王女、侍女達だ。
「王妃様、姫様、こっちへ!」
「あ、ああ、どうして竜が……」
「早く逃げなくては……」
混沌竜はまるであざ笑うかのように真っ赤な目を細め、ロナン国王が愛してやまない妻と娘に吐息を浴びせた。
その瞬間、女達は黄金の彫像と化してしまう。
肉体を黄金に変化させる病の吐息であった。
守るべき貴人が黄金像に変えられ、女騎士達は怒りの叫び声を上げた。そして猛然と、竜に向かって突進していく。だが、邪竜は女騎士の攻撃などものともせずに歩き出し、自らの吐息で黄金と化した女達を呑み込んだ。
あっという間に女達を喰らい尽くした竜は翼を大きく広げて、戦場から去って行った。
無力さに項垂れ、涙を流す女騎士達。そこへ、「姿隠しの外套」を脱いだデリトが素知らぬ顔で駆け寄る。それから、まるで今ちょうどこの場に駆けつけたかのように息を切らせながら、言うのであった。
「あ、あれは混沌竜です。邪悪にして悪辣なる地下迷宮より這い出てきたという噂を聞いたことがありましたが……」
「あ、貴方は?」
「聖王様の呼びかけに応えた司祭の一人で、普段は冒険者をやっております。邪竜の姿を見て、慌てて飛んで来たのですが、どうやら一足遅かったようですね。とりあえず、手当てをさせてください」
そう言って、癒しの奇跡を唱える。
重傷を負っている者はいなかったが、竜を前にして手も足も出なかったことが精神的に大きなショックであったようだ。
「司祭殿、あの竜について何やら知っているようですが……」
女騎士の一人が必死の面持ちで問う。
なにせ、王妃と王女が竜に攫われたのである。このまま国に帰れば、一族郎党皆殺しになるだろう。藁にもすがりつきたい女騎士の気持ちは容易に想像できた。
(どうやら、上手く潜り込めたようですね)
デリトは神妙な顔で首を縦に振った。
時を同じくして、二人の勇者は激しい攻防戦を繰り広げていた。
(もうそろそろ、いいかな?)
混沌竜が仕事を終えるまでの時間稼ぎはできた。そう判断したカイルは、飛竜にこの場から離脱せよと指示を出す。
どちらもまだ余力のある状態だった。
しかし各国の飛行部隊が押し寄せて来れば、カイルといえども無事で済む保証はない。
「勝負は預けたぞ」
「貴様、逃げるのか!」
「追ってきたければ、好きにするがいい。だが、貴様の鈍竜で、俺の飛竜に追いつけるかな?」
カイルが嘲笑すると、飛竜は勢いよく翼を羽ばたかせた。
そして、飛竜はここに現れた時と同じく、迅雷の如き速さで上空に飛び去った。
それと入れ替わるように、各国の空軍が到着する。
「カルテン様!」
「お怪我は!?」
「飛竜部隊、急いで追撃を……」
空軍の兵は口々に言うが、カルテンは眉間に皺を寄せて首を横に振った。
「追う必要はない。敵は、勇者の加護があるカイルなのだぞ。仮に追いつけたとしても、お前達ではとても仕留められまい」
カイルは闇に堕ちたとはいえ、地上においては無敵の勇者なのだ。
先ほどの戦闘でも、その力は十分に残されていると感じられた。
「勇者には勇者を……、次に会う時が奴の最後だ」
カルテンはそう誓う。
しばらくして、混沌竜がロナン王国の王妃と王女を連れ去ったと、王の元に報告が入った。
妻子を溺愛している老王は怒り狂い、精鋭たる騎士団を地下迷宮に向かわせた。この行動の陰ににあるデリトの姿を、聖王国側には誰一人として知る者はいなかった。聖王国の陣営内にまんまと潜り込んだデリトは、やがて時が来るまで身を隠すことになる。
一方、カイルは来たるべき戦いの日に備えて城塞都市リゼンベルクに入城した。
聖王国の勇者カルテンが話していたように、カイルもまた、敵対する勇者を倒せるのは自分しかいないと感じていたのだ。敵軍の威力偵察という役目を十分に果たしていたので、そのまま城塞都市にとどまり、妖魔の王プルックに敵軍の戦力を教える。そして、一人城壁に立って遠くを見ながら言う。
「カルテンは俺の獲物です。奴の首、陛下に捧げましょう」
昏い笑みを浮かべながら、カイルもそう誓うのだった。
* * *
聖王国連合と地下帝国が前哨戦を終えた時、セレスとモニカは地下迷宮の前に到着していた。
「で、どうするんだ?」
「ん~、多分、以前使った術への対策はされていると思いますから、今度は別の手段でいきたいと思うス」
モニカはそう言って、地下迷宮の第一階層に降りようとする冒険者の一団を指さした。
一団は、戦士三人、盗賊一人、神官一人、魔法使い一人という理想的なチーム編成だ。
全員が十代半ばで、装備は見るからに中古品である。おそらくは新米冒険者達だろう。
一攫千金を目当てに、一般人が冒険者に転職したばかりといった姿である。
「彼らの影に隠れていきましょう」
モニカはそう告げると、セレスの腕を掴んで、術を唱える。
それが魔法なのか、奇跡なのか、セレスには見当がつかない。
いや、セレスだけではなく、この時代の誰も知らない術なのである。
「――福音、我らは神の影に潜む」
術を唱え終わった瞬間、セレスとモニカの姿は掻き消された。
術により、二人は冒険者達の影に潜んだのだ。
そうとは知らず、新米冒険者達は地下迷宮を降りて行く。
こうしてモニカは再び、支配者達の目を欺いて、地下迷宮に侵入したのである。
第二章 地下帝国と城塞都市
城塞都市リゼンベルク。
この堂々たる城塞都市はロナン王国からベティア帝国へ続く道程の要所であり、都市全体の東西を山で囲まれている。
城壁は星のような形をしており、広範囲にわたって張り巡らされた深い堀には鋭い杭が並んでいた。攻城兵器に対する仕掛けの一つだ。これに加えて、魔法を弾き返すルーン文字の施された城壁は、ドワーフの職人達の手によるものであり、鉄壁の守りを誇っている。
都市への出入口は北と南にある、三重構造の厳重な大門だけである。そこへ至る道には、城門の内側からしか降ろせないはね橋が架けられていた。
招かれざる者が辛うじてはね橋を渡れたとしても、門を開くには何十人もの大男が力を合わせなくてはならない。その間、門の左右に設置された櫓から絶え間なく矢が放たれ、ドワーフが仕掛けた竜の口からは油と炎が吐き出される仕組みである。
門を通らずに城壁を超えようとするのは、さらに無謀と言えた。
なぜなら城壁塔には、いくつも大型弩砲や投石機が設置されているからだ。そこにはドワーフ達が使う命中補正機も仕掛けられているので、城壁にとり付こうとする軍隊の攻城兵器など、悉く破壊されてしまう。
また、都市全土に常に新鮮な水を供給することを目的として、水路橋の内部には浄水の力を持つ宝珠がいくつも備えつけられていた。そのため仮に兵糧攻めにされたとしても、命をつなぐ水が不足する心配はない。
そんな難攻不落の要塞を、妖魔の王プルックはなんと一日で陥落してしまった。
まずはハルヴァーの力によって地下水道までの地下通路を作らせ、深夜に奇襲をかけた。
それからいかにもゴブリンらしい、物量戦術で押し潰したのだ。
通常、城を攻めるには敵陣の守備兵の三倍から五倍の兵力が必要だと言われていた。だが、この攻撃の際には、リゼンベルクにいた守備兵の二十倍もの妖魔が動員されたのである。
しかし、それだけに妖魔側の犠牲も大きかった。
ロナン王国は他国に比べて兵の質が劣るとはいえ、要所に配備されている者達は、何度も激戦をくぐり抜けてきた古参兵揃いであった。
突然の襲撃を受けても、守備兵達は頑強な守りを崩さなかった。次から次へと侵入してくる妖魔達の数に圧倒され、勝敗が決してもなお抵抗をやめずに、最後の最後まで戦おうとした。しかしその所為で、城塞都市には人々の死体が溢れかえったのだった。むろん、妖魔達もその数を半減させた。
さて、そんな妖魔達の王として君臨するプルックは、使い魔から受け取った手紙を読み終えると、その場に集まっている者達を安心させるように言った。
「あるあーく様とはるヴぁー様が援軍を送ってくださるそうだ」
地下迷宮ができて最初の臣下となったのがゴブリンの族長プルックだった。彼は、今や一軍を率いる長としての風格を身に付けており、彼の息子や娘達もまた、各軍団の要職についている。
プルックは「強制進化の祭壇」の力により、ゴブリンの上位種であるゴブリン・ロードに進化した存在だ。その姿かたちはゴブリンとさして変わらないが、同族をまとめ上げる才覚を有し、それをいかんなく発揮している。人間と変わらぬ賢さに加えて、プルックは歴戦の戦士であった。アルアークより下賜された紅き曲刀を携え、数えきれない敵を屠ってきた実績を持つ。
ただ、ゴブリンだった頃からの癖だろうか、未だに「あるあーく様」「はるヴぁー様」と、主の名を少しばかり舌足らずな口調で呼ぶのである。
地下迷宮の支配者達は、その喋り方を咎めるほど狭量ではないため、そのまま放置されているのだが。
「援軍が来るまでの間は、オレ達で守りを固めなきゃならねェ」
「ナらば、守りヲ固めよウ」
妖魔の戦士長ドルドが、たどたどしい口調で応じた。
彼も幾多の激戦をくぐり抜けた褒賞としてオルクスに変化している。
オルクスとは、オークの上位種であるベルゼグよりも上の最上位種だ。
その姿はまるで悪魔のように醜悪かつ凶悪であり、普通のオークよりも一回りも二回りも大きい。暗い緑色の肌には朱い紋様のようなものが浮かび上がり、禍々しく光り輝いている。さらに頭には、捻じれた角が四本も生えていた。
禍々しい外見に見合うよう、力を引き上げられているのだ。
オルクスとは本来、失われた時代に存在していたとされる冥界の神の名なのである。
その名の通り、戦場におけるオルクスは敵に死を与える悪魔と化す。
先程もドルドは、最後まで隠れ潜んでいた守備兵達を情け容赦なく蹴散らし、死に至らしめた。
数十人の熟練兵が不意打ちをかけても、ドルドは動じず立ち向かい、一人残らず葬ったのだ。
その時の戦いでできた無数の斬り傷と返り血が、今もドルドの身に染み付いている。戦好きな妖魔にとっては勲章のようなものだが、彼の愛人である山羊の角を生やした美しい女悪魔バフォメットや、人間の女性の上半身と蜘蛛の下半身を持つアラクネ達は、「化膿したら大変」とばかりに、今なお返り血で濡れたドルドの体を丁寧に拭きとったり、傷口に軟膏を塗ったりしていた。
ところで、今この場には、地下帝国の王アルアークに絶対的な忠誠を誓う少女シアと使い魔のギーも同席している。
シアは人を不安にさせるどんよりとした金色の瞳を輝かせながら、妖魔達の様子を窺いつつ、言った。
「今残っている軍団のうち、戦える軍団は二つのみです」
それに対して、ギーが応える。
「ギィース! ってことは、約二万の兵士がいるって訳だ!」
それを聞き、シアはよりいっそう金色の瞳を怪しく光らせた。
シアを支えているのは、死にかけていた自分を救ってくれたアルアークとハルヴァーに対する忠誠心と、自分を救わなかった世界に対する憎悪である。
シアはアルアークとハルヴァーに目をかけられており、地下帝国の幹部達からも「お嬢様」「お嬢ちゃん」と呼ばれて、可愛がられていた。外見は少女そのものだが、国の重鎮達から丁重に扱われるにふさわしい実力の持ち主なのだ。半人半魔の能力を活かして、これまでに幾度も勝利を重ねている。
そんなシアの傍らで、翼をパタパタさせているのがギーである。不細工な猫のような姿かたちで、しかも翼が生えているのだから、相当に見栄えはよろしくない。しかし、ギーはこのように普段はグレムリンと呼ばれる下位悪魔の姿をとっているが、実はアークデーモンと呼ばれる至高階級の悪魔なのだ。ギーはかつて、うっかり口を滑らせてしまったため、その報いとしてシアと魂を融合させられてしまったのだった。それでもシアが望めば、ギー本来の姿と力を取り戻すことは可能である。
ちなみに、シアの言った軍団とは、地下帝国において新たに採用された単位の名称を示し、兵の人数を表すものだ。
かつて地下帝国が採用していた部隊編成は、その人数に応じて、小隊、中隊、大隊の三種であった。しかし、あっという間に増えるゴブリン達に加えて、地下迷宮の噂を聞きつけて各地から集まってくる妖魔達の存在により、五百を意味する「大隊」から一万の兵士達を意味する「軍団」という単位が新設されたのである。
「こちらは二万。だが、敵は三十万を超える」
カイルが見てきた人数を報告した。
民も徴兵しているロナン王国軍が一番多く、十八万。
次いで、軍事大国であるベティア帝国の精鋭達が七万。
最後に、今回参戦を呼び掛けた聖王国の兵団が五万である。ただし、これは先遣部隊であり、後続にはまだまだ多くの信徒達が控えている。
「大軍における弱点は補給手段だが、聖王国の同盟国である商業国家キレトスの商人達の姿を見た。おそらく遠征に必要な物資は十分に用意してあるだろう」
カイルの言う通り、商業国家キレトスの富豪達は魔法帝国を滅ぼした時と同じく、今回の軍勢も後方支援にまわるつもりらしい。大金を使い雇っている傭兵団の参加はないようだが、それでも、商業国家の富は大陸一である。
軍勢が飢えたり、武器が尽きたりすることはないと考えた方がいいだろう。
「ロナン国王の妻子を誘拐したことで、兵士達はいくらか削れる。だが、それもせいぜい一万と言ったところだ」
「いいだろう。必要ならば、その後の戦いも、すべて我らが引き受ける」
皇帝は好戦的な笑みを浮かべた。
「戦狂い」という噂も間違いではないようだ。
「だが、戦に必要な物資の支援はしていただく。食料、金銭、女だ」
「ふん、城塞都市リゼンベルクから好きなように持っていくがよい」
「狸め、どうしても我らを略奪者にしたいようだな?」
「略奪ではない。王である余が構わぬと言っているのだ。都市さえ戻ってくれば、後で民や兵を送って『損害』は補填できる」
ロナン国王にとって、領地はむろん大事だが、そこに住む民草のことなどどうでもよかった。民というものは、耕す土地さえあてがっておけば、勝手に増えていくものだと考えているのである。
「その後の戦はロナン王国に任せていただきたい。各地の諸侯にも手柄を立てさせねばならぬ」
城塞都市を落とせば、難所というほどの難所はない。
そのまま妖魔に支配された土地を奪い返しながら南に進み、地下迷宮があると言われるフェーリアン王国に攻め入る予定である。その途中で得られる資源を、ベティア帝国に独り占めさせるわけにはいかない。
「もちろんじゃとも、同じ轍は踏みたくないであろうし、構わぬであろう?」
ベティア帝国のガルドレック将軍は、フェーリアン王国を陥落するつもりだった。
しかし、彼の率いる黒鉄師団がまさかの敗北。
現在、将軍不在となった黒鉄師団は、同規模の砂塵師団に組み込まれている。
「チッ、好きにするがよい」
ゲッエンベルグ皇帝は口惜しそうに舌打ちをするが、これは演技である。
精強と名高いベティア帝国の兵士達も、城塞都市を落とした後は、フェーリアン王国に攻め入るだけの力が残っているかどうか、怪しいところだ。したがって、戦狂いではあっても、この程度の腹芸はして見せる。
それに、フェーリアン王国を相手にすれば、聖王国とロナン王国も苦戦が予想された。自国の軍を疲弊させるぐらいなら、互いに消耗してもらったほうが良いという考えだった。
「よろしい」
聖王は満足そうに首を縦に振る。
「では、これより全軍……」
と聖王が言おうとした時、伝令の一人が慌てて天幕に入って来た。
「緊急連絡です! りゅ、竜が! 上空に竜が現れました! 現在、ロナン王国軍の天幕に向かっているとのこと!」
その言葉に、誰よりも早く反応したのは、ロナン王国の国王フェルセネクである。
彼は顔面蒼白になり、配下の者達に自陣へ戻れと緊急指示を出した。
何故なら、彼が心から愛する妻子がいるからである。
* * *
薄い茶色の髪を風になびかせ、おっかなびっくりといった様子で竜の背に跨るデリトは、胃が痛くなるのを感じていた。
竜に振り落されないように、体を丸めてしがみついている。
竜は、闇商人テオドールが用意した邪竜だ。
漆黒の鱗を持ち、真っ赤な瞳を輝かせた邪竜は、混沌竜と呼ばれる種類である。ほかの種の竜と違い、野生動物と変わらぬレベルの知性しかない。しかし、闘争本能にひたすら忠実で、炎や雷撃、吹雪など多種多様な属性の吐息による攻撃を行い、攻撃能力や防御能力、機動力もほかの竜族に比べて頭一つ抜けている。
エルフの賢者によれば、もしも彼らに知性があったなら、世界を支配していただろう、と評されるほどだ。
以前、地下帝国に攻め込んできた竜王の強さを目にしたテオドールは、混沌竜を自国の戦力に組み込めないものかと考えた。そのことをアルアークに相談したところ、竜を捕縛した実績のある地下帝国の騎士ソフィとフェーリアン王国の客将コーリアスに供を命じた。そして彼女らは秘境に赴き、混沌竜の捕獲に見事成功したのである。
捕らえた数は二十三頭。
アルアークは、主だった者にこの混沌竜を与えた。
そのうちの一人、勇者カイルは、元より竜を乗騎としていたため、いち早く混沌竜を従えることに成功した。
「デリト殿、そう緊張しないで頂きたい」
闇神官のデリトと一緒に竜に跨っているカイルが言った。
カイルは元来美青年だが、堂々と竜の背に乗る姿はなおいっそう美しい。その声にも自信が満ちている。
「たとえ振り落とされたとしても、地面に叩きつけられる前にお救いいたします」
「不吉なことは言わないでください!」
デリトはガチガチと歯を鳴らしながら、情けない声で悲鳴を上げた。
空気が薄く、奇跡の助けがなくては息ができないほどの高所を飛んでいるのだ。もしも、竜の背から落ちれば、とても助からない。デリトの体は地面に叩きつけられたトマトのように潰れてしまうだろう。
嫌な想像をして、デリトは背筋をぶるりと震わせる。
カイルはそれに気づいているのか、いないのか。
「竜の扱いには慣れていますから、どうぞご安心を」
などと言って、デリトを励ます。
もちろん、そんな一言でデリトの不安が取り除かれるはずもなく、相変わらずガクガクと体を震わせている。その様子を見て、勇者カイルは問いかけた。
「ところで、貴方は竜を転生させる力があると聞きました。それはいったいどのような力なのですか?」
「ああ、そのことですか……。私自身の力ではありません。この宝珠のお蔭です」
そう言って、デリトは懐から光り輝く小さな宝珠を取り出す。
――神の慈悲は此処に。
宝球は、宗教騎士達に殺された妖魔を転生させたもので、一種の魔法の道具である。
「これをくれた方がいたのですが、誰であったか、思い出すことができません」
「記憶の欠落ですか。俺と同じですね」
カイルはそう言って、自分の身に起きた出来事を話す。
「俺も誰かと一緒に地下迷宮に来たのですが、誰だったのか思い出せない。どうやら、その人物のお蔭で、陛下達の目に留まることなく地下迷宮を探索できたようなのですが……」
「貴方と行動を共にした侵入者と、私に宝珠を与えた人物は、ひょっとすると同一人物なのでしょうか?」
デリトは問いかけるというよりも、独り言のように呟いた。
「貴方と共に来た侵入者は、陛下の秘宝を奪ったのですね。その一方で、私には宝珠を与えた。地下帝国に対して利と害を与えています。いったいどうして、そのようなことをするのでしょうか?」
「……」
カイルは、わからないと無言のうちに伝えた。
ここでカイルとデリトの言っている侵入者とはモニカのことだが、二人共不思議と彼女に関する記憶がすっぽり抜け落ちている。
モニカが正体不明とされるのは、それなりの秘密があるのだが、そのことを彼らは知らない。しかし地下帝国にとって、勇者カイルの記憶まで操作できる力の持ち主は。脅威であることは間違いない。
「いずれにせよ、その者は再び地下迷宮を訪れる筈です。その時こそ、正体を暴いてやりますよ」
カイルは努めて明るく言うと、竜の手綱を握りしめた。
「それでは、高度を落とします」
「う、ちょ、心の準備が!」
その声を無視して、カイルは手綱を打つ。
みるみる高度が下がり、眼下に広がるのは、見渡す限りの広大な緑地に雄々しく翻る騎士団の旗と兵士達。聖王国と連合諸国の軍勢である。
空から突如として現れた竜に兵士達は驚きを隠せないようではあるが、騎士達が配下の兵を見事に統率して防御陣形を取った。それに加えて、従軍している司祭達が守りの結界を張り巡らし、即座に対空用の迎撃部隊までが送り出された。
「さすがに対応が早い」
「竜の姿を見て逃げ回るかと思ったのに、可愛げのない連中ですね」
とデリトは応じつつ、高速で接近する者達に大声で呼びかける。
「ロナン王国の天馬騎士! ベティア帝国の竜騎兵! それに、聖王国の天使達!」
デリトとカイルは、それら三種の兵にちょうど囲まれる場所にあった。
正面北側には聖王国、西側はロナン王国、東側はベティア帝国。
これら各国が送り出したのは、飛ぶ騎獣を操る飛行騎兵や翼を生やした天使達である。
まずは、翼の生えた馬ペガサスに乗ったロナン王国の女騎士達が、混沌竜の腹部を狙って手槍を投擲する。それに続けて、飛竜に乗ったベティア帝国の竜騎兵が突撃槍を構えて突進してくる。
「しっかりつかまって!」
カイルはそう叫ぶと、手綱を握りしめて、騎竜を操った。
竜は咆哮を上げ、大きく翼を羽ばたかせながら、飛行速度を増して突き進む。そして敵兵を迎え撃つ。
「――守護、聖なる守り」
敵の手槍が混沌竜に届く前に、デリトが素早く奇跡を唱えた。すると竜の全身を白い光が包み込み、手槍は竜の鱗にあっさりと弾き返される。
竜は速度を落とすことなく突き進み、ベティア帝国の竜騎兵に正面から激突した。
「ぐぁああああ!!!」
「ば、ばかなぁああ!!」
激突音と共に、ベティア帝国の竜騎兵は悲鳴を上げて墜落していく。
カイルは手綱を握っているのとは別の手で短剣を投げ、竜騎兵の腕や肩を貫いたのだ。
乗り手の制御を失った飛竜達は、カイル達の乗った混沌竜を避けるように通り過ぎてしまう。
「カイルさん! 天使達が奇跡を唱えております! 私の力では防げません!」
デリトの言葉通り、聖王国の天使部隊が協力し合って、攻撃の奇跡を一斉に唱えていた。
人間であるデリトが駆使する奇跡の守りでは、天使達による奇跡の力を打ち消せない。
奇跡を操る力量が、蟻と象くらいに違うのである。
『――Ⅱ・Ⅳ・Ⅸ・Ⅵ・Ⅶ・Ⅴ・Ⅷ・Ⅲ・Ⅹ・Ⅰ』
天使達が唱える奇跡の言葉は、人間には発音不可能だが、その必殺の意志は十分に伝わってくる。
次の瞬間、真っ白な閃光が放たれた。
神聖なる力は、闇に堕ちたカイルにとって脅威である。
「――起動、闇あれ!」
カイルは即座に護符を掲げて呪文を唱えた。
それはアルアークより与えられた護符で、攻撃的な奇跡の力を消滅させる「漆黒の六芒星」を呼び出す。以前、天使長の攻撃にあって苦戦したことから、対策として下賜されたのである。
護符から黒い六芒星が現れると、天使達が放った、刃のごとき光は霞の如く消え去ってしまう。
必殺の奇跡を封じられた天使達は動揺を隠せない。
その隙を狙って、混沌竜は翼を羽ばたかせた。
すると旋風が巻き起こり、貧弱な翼しか持たない天使達は枯れ葉のように吹き飛ばされる。
しかし、敵の各国は航空部隊の第二陣、第三陣を放つ。
「チッ、きりがない!」
「カイルさん、ロナン王国の陣地は西の方角です!」
デリトは旗に描かれた紋章を見て、そう叫ぶ。
「目的地は近いようですね。ですが、そう簡単に事は運ばない。デリト殿、しばらく姿を隠してください」
デリトは慌てて「姿隠しの外套」を被った。
その名の通り、アルアークがデリトに与えた姿を見えなくする魔法のコートである。
これを身に着けると、カイルのサポートを行えなくなるが、デリトの姿を敵に見られる心配はない。
はたしてデリトの姿が消えると同時に、上空から強襲があった。雷鳴の如き素早さで、純白の竜が襲い掛かってきたのだ。
「凍える吐息を!」
カイルの指示に合わせて、混沌竜は口から猛吹雪を吐き出す。
しかし、その猛吹雪も、純白の竜が吐き出す閃光にかき消されてしまう。
それどころか、吹雪をかき消す閃光が混沌竜自身の体を貫いた。
だが、混沌竜は、竜種の中ではひときわ生命力高い。
体を一度や二度貫かれた程度で死ぬことはない。
加えて、自分に傷を与えた者に対して寛容な態度を取れるほど穏やかな気性でもなかった。
「光輝竜!」
カイルは襲い掛かってきた竜の名を口にした。
これは天使と同じく天界と地上を行き来する聖神の御使いであり、聖王国から守護竜として崇められている。
混沌竜と違って知性は高い。卑小な妖魔を嫌悪しており、自慢の閃光の吐息によりこれまで何百という妖魔を引き裂いてきた。
光輝竜の瞳は翠の色に輝き、憎悪の念に燃え上がっている。混沌竜を一撃で仕留められなかった不満から、低い唸り声を漏らしていた。
「久しいな、カイル? 数年ぶりだが、まさかこのような再会をするとは思わなかったぞ」
「……七勇者筆頭、カルテン・ミーラカディア!」
カイルも相手の名を叫ぶ。
カルテン・ミーラカディア。
それは聖神教会に忠誠を誓う勇者の一人にして、聖王国に刃向かう者を悉く滅ぼしてきた最強の男だった。
黒い髪をオールバックにしており、緑の瞳は邪悪なる者を咎める鋭い光を宿している。
また、体から放たれる威圧感は半端なモノではない。対峙しているだけでも、カイルの全身からは汗が噴き出してしまう。
「教皇猊下に刃向かう愚か者は、死をもって償うがいい」
勇者カルテンは、教皇から下賜された剣を腰から抜き放った。
それは邪悪を滅ぼす聖剣である。
「聖剣ティライラか」
カイルは剣の銘を口にする。
幾重もの守りに固められた魔法帝国の皇帝の首を刎ね飛ばした代物であり、アルアークとハルヴァーにとっては、まさに憎悪の象徴だ。
真っ白な輝きを纏う刀身を見て、さすがの混沌竜も身を硬くする。
恐るべき破壊と災厄をまき散らす邪竜の鱗でさえも、カルテンの聖剣から放たれる斬撃の前には無力なのである。
そして、闇に堕ちた勇者カイルにとっても、聖剣の一撃は致命傷となる。
カイルが地上で戦う場合、地下迷宮の加護を得ることはできない。そのため、毒竜と魂を繋いだ不死性も失われているのだ。
「ならば、我が妻の一人リーエルトが作った邪剣エフライムで御相手しよう」
カイルはいつも通りの昏い笑みを浮かべて腰の剣を抜き放つ。
その紫色の刀身から、黒い炎が噴き上がっていた。
カイルと共に闇に堕ちてくれた仲間にして、妻の一人でもあるリーエルトが地下迷宮で作成した剣である。
聖なる存在を斬り裂く、邪なる剣であり、聖なる加護を受けた勇者カルテンと光輝竜にとっては猛毒のようなものだ。
「妻の一人?」
カルテンは眉を顰める。
「食いつくところはそこかよ。堅物勇者殿」
「……貴様、何人もの妻を持つというのか?」
「誰も彼もを幸せにしようとした結果だ。彼女達も喜んでくれている。夜の相手が少し大変ではあるが、そこは仕方がない。これで満足か?」
堕ちた勇者は嘲笑した。
「汚らわしい。貴様も、貴様の女達も、まとめて地獄に突き落としてくれよう」
「人の幸せにケチをつけるなよ。童貞勇者」
「死ねェいいいい!!!!」
叫び声を上げながら、聖王国の勇者は竜と共に襲い掛かる。
それを見て、カイルは混沌竜の背から飛び降りた。
「なっ!?」
驚くカルテンを尻目に、カイルは「ピィイイイイイ!!!!」っと口笛を吹く。
その瞬間、風よりも素早く、雲を突き抜けて飛竜が駆けつけてきた。
現れたのは、カイルが地下帝国に属する以前から騎乗していた飛竜である。竜種が好きなカイルは地下帝国に属する身となってからも、飛竜の世話をしてきた。
今回も、長年連れ添った相棒の飛竜を併走させていたのだ。
カイルは空中で飛竜の手綱を手にすると、ひらりと曲芸師のようにその背に乗った。あっという間の早業であり、タイミングを間違えれば死んでしまう無茶な行動だった。だが、カイルは完璧なタイミングで飛竜に乗り移り、聖剣の一撃を躱す。
「悪いが、騎竜を変えさせてもらう」
カイルはそう言って、不敵に笑う。
乗り手を失った混沌竜は、獰猛な叫び声を上げながら、ロナン王国の陣地へと猛スピードで飛び去っていく。
カルテンは舌打ちしながらも、混沌竜を見逃した。
ここで邪竜のあとを追えば、背後から斬られることは必至だからだ。
「それじゃあ、しばしお付き合い願おうか」
カルテンは、カイルの計略にかかって足止めされていることに気づいていたが、もはやどうすることもできなかった。
* * *
カイルの支配から解き放たれた混沌竜は、暴走する猛牛のように速度を上げていた。
乗り手であるデリトのことなど一切構わずに、ロナン王国の軍勢に向かって急降下し始める。
「竜が来たぞ!」
「成敗せよ!」
「弓兵、構えろ!」
怒号が飛び交う中、ロナン王国の騎士団は矢を放つ。だが、邪竜の鱗は傷つかない。それどころか、弾き返されて落ちてきた矢が味方に当たる始末である。
ロナン王国軍の戦闘姿勢は基本的に、物量で相手を押しつぶすものであり、聖王国やベティア帝国に比べて、練度は低い。
「死ぬ。死ぬうううぅううう!!!!」
鮫の巨体に張りつくコバンザメのように、デリトは死に物狂いで竜の体にしがみついていた。
そんな情けない乗り手を無視して、邪竜は天をも震わさんばかりの咆哮を上げる。
その雄叫びを聞いた民兵達は、大半が意識を失って倒れるか、戦意を喪失し棒立ちとなった。意識を保ち得た者はごく僅かで、それも我先にと争って逃げ出す始末だ。
邪竜はそんな軍勢をあざ笑うかのように、口から吐息を吐き出す。
混沌竜という名の通り、氷・雷・炎・毒といった多種多様なブレスによる攻撃で周囲を混沌の渦に巻き込んでいく。
これにはロナン王国の軍勢もひとたまりもなく、ただ蹴散らされていくばかりである。
それから、混沌竜はひときわ大きな天幕を発見すると、その場所に降り立った。
突風が巻き起こり、周辺にいた騎士達は悉く薙ぎ倒される。
「や、やっと到着ですか……」
「姿隠しの外套」を被ったまま、デリトは急いで竜の背から滑り降りた。
そんな神官を無視して、混沌竜は鋭い爪で天幕を破壊する。
天幕の中には、黄金の鎧を身に纏った女騎士達と、豪華な衣装で着飾った美しい娘達がいた。
「姫様を連れて、逃げなさい!」
「こ、ここは、女王近衛隊にお任せを」
「竜め、私達が相手だ! ペステネーレ騎士団長が来るまで、足止めをするんだ!」
そう言って武器を構える女騎士達は、ロナン王国の王妃と王女を守る近衛部隊である。
竜の巨体を前にしても、戦う意志を捨てない精神力は見事なものだ。
だが、声や体に震えは隠せない。
彼女達とは別に、逃げようとする者達もいた。ロナン王国の王妃と王女、侍女達だ。
「王妃様、姫様、こっちへ!」
「あ、ああ、どうして竜が……」
「早く逃げなくては……」
混沌竜はまるであざ笑うかのように真っ赤な目を細め、ロナン国王が愛してやまない妻と娘に吐息を浴びせた。
その瞬間、女達は黄金の彫像と化してしまう。
肉体を黄金に変化させる病の吐息であった。
守るべき貴人が黄金像に変えられ、女騎士達は怒りの叫び声を上げた。そして猛然と、竜に向かって突進していく。だが、邪竜は女騎士の攻撃などものともせずに歩き出し、自らの吐息で黄金と化した女達を呑み込んだ。
あっという間に女達を喰らい尽くした竜は翼を大きく広げて、戦場から去って行った。
無力さに項垂れ、涙を流す女騎士達。そこへ、「姿隠しの外套」を脱いだデリトが素知らぬ顔で駆け寄る。それから、まるで今ちょうどこの場に駆けつけたかのように息を切らせながら、言うのであった。
「あ、あれは混沌竜です。邪悪にして悪辣なる地下迷宮より這い出てきたという噂を聞いたことがありましたが……」
「あ、貴方は?」
「聖王様の呼びかけに応えた司祭の一人で、普段は冒険者をやっております。邪竜の姿を見て、慌てて飛んで来たのですが、どうやら一足遅かったようですね。とりあえず、手当てをさせてください」
そう言って、癒しの奇跡を唱える。
重傷を負っている者はいなかったが、竜を前にして手も足も出なかったことが精神的に大きなショックであったようだ。
「司祭殿、あの竜について何やら知っているようですが……」
女騎士の一人が必死の面持ちで問う。
なにせ、王妃と王女が竜に攫われたのである。このまま国に帰れば、一族郎党皆殺しになるだろう。藁にもすがりつきたい女騎士の気持ちは容易に想像できた。
(どうやら、上手く潜り込めたようですね)
デリトは神妙な顔で首を縦に振った。
時を同じくして、二人の勇者は激しい攻防戦を繰り広げていた。
(もうそろそろ、いいかな?)
混沌竜が仕事を終えるまでの時間稼ぎはできた。そう判断したカイルは、飛竜にこの場から離脱せよと指示を出す。
どちらもまだ余力のある状態だった。
しかし各国の飛行部隊が押し寄せて来れば、カイルといえども無事で済む保証はない。
「勝負は預けたぞ」
「貴様、逃げるのか!」
「追ってきたければ、好きにするがいい。だが、貴様の鈍竜で、俺の飛竜に追いつけるかな?」
カイルが嘲笑すると、飛竜は勢いよく翼を羽ばたかせた。
そして、飛竜はここに現れた時と同じく、迅雷の如き速さで上空に飛び去った。
それと入れ替わるように、各国の空軍が到着する。
「カルテン様!」
「お怪我は!?」
「飛竜部隊、急いで追撃を……」
空軍の兵は口々に言うが、カルテンは眉間に皺を寄せて首を横に振った。
「追う必要はない。敵は、勇者の加護があるカイルなのだぞ。仮に追いつけたとしても、お前達ではとても仕留められまい」
カイルは闇に堕ちたとはいえ、地上においては無敵の勇者なのだ。
先ほどの戦闘でも、その力は十分に残されていると感じられた。
「勇者には勇者を……、次に会う時が奴の最後だ」
カルテンはそう誓う。
しばらくして、混沌竜がロナン王国の王妃と王女を連れ去ったと、王の元に報告が入った。
妻子を溺愛している老王は怒り狂い、精鋭たる騎士団を地下迷宮に向かわせた。この行動の陰ににあるデリトの姿を、聖王国側には誰一人として知る者はいなかった。聖王国の陣営内にまんまと潜り込んだデリトは、やがて時が来るまで身を隠すことになる。
一方、カイルは来たるべき戦いの日に備えて城塞都市リゼンベルクに入城した。
聖王国の勇者カルテンが話していたように、カイルもまた、敵対する勇者を倒せるのは自分しかいないと感じていたのだ。敵軍の威力偵察という役目を十分に果たしていたので、そのまま城塞都市にとどまり、妖魔の王プルックに敵軍の戦力を教える。そして、一人城壁に立って遠くを見ながら言う。
「カルテンは俺の獲物です。奴の首、陛下に捧げましょう」
昏い笑みを浮かべながら、カイルもそう誓うのだった。
* * *
聖王国連合と地下帝国が前哨戦を終えた時、セレスとモニカは地下迷宮の前に到着していた。
「で、どうするんだ?」
「ん~、多分、以前使った術への対策はされていると思いますから、今度は別の手段でいきたいと思うス」
モニカはそう言って、地下迷宮の第一階層に降りようとする冒険者の一団を指さした。
一団は、戦士三人、盗賊一人、神官一人、魔法使い一人という理想的なチーム編成だ。
全員が十代半ばで、装備は見るからに中古品である。おそらくは新米冒険者達だろう。
一攫千金を目当てに、一般人が冒険者に転職したばかりといった姿である。
「彼らの影に隠れていきましょう」
モニカはそう告げると、セレスの腕を掴んで、術を唱える。
それが魔法なのか、奇跡なのか、セレスには見当がつかない。
いや、セレスだけではなく、この時代の誰も知らない術なのである。
「――福音、我らは神の影に潜む」
術を唱え終わった瞬間、セレスとモニカの姿は掻き消された。
術により、二人は冒険者達の影に潜んだのだ。
そうとは知らず、新米冒険者達は地下迷宮を降りて行く。
こうしてモニカは再び、支配者達の目を欺いて、地下迷宮に侵入したのである。
第二章 地下帝国と城塞都市
城塞都市リゼンベルク。
この堂々たる城塞都市はロナン王国からベティア帝国へ続く道程の要所であり、都市全体の東西を山で囲まれている。
城壁は星のような形をしており、広範囲にわたって張り巡らされた深い堀には鋭い杭が並んでいた。攻城兵器に対する仕掛けの一つだ。これに加えて、魔法を弾き返すルーン文字の施された城壁は、ドワーフの職人達の手によるものであり、鉄壁の守りを誇っている。
都市への出入口は北と南にある、三重構造の厳重な大門だけである。そこへ至る道には、城門の内側からしか降ろせないはね橋が架けられていた。
招かれざる者が辛うじてはね橋を渡れたとしても、門を開くには何十人もの大男が力を合わせなくてはならない。その間、門の左右に設置された櫓から絶え間なく矢が放たれ、ドワーフが仕掛けた竜の口からは油と炎が吐き出される仕組みである。
門を通らずに城壁を超えようとするのは、さらに無謀と言えた。
なぜなら城壁塔には、いくつも大型弩砲や投石機が設置されているからだ。そこにはドワーフ達が使う命中補正機も仕掛けられているので、城壁にとり付こうとする軍隊の攻城兵器など、悉く破壊されてしまう。
また、都市全土に常に新鮮な水を供給することを目的として、水路橋の内部には浄水の力を持つ宝珠がいくつも備えつけられていた。そのため仮に兵糧攻めにされたとしても、命をつなぐ水が不足する心配はない。
そんな難攻不落の要塞を、妖魔の王プルックはなんと一日で陥落してしまった。
まずはハルヴァーの力によって地下水道までの地下通路を作らせ、深夜に奇襲をかけた。
それからいかにもゴブリンらしい、物量戦術で押し潰したのだ。
通常、城を攻めるには敵陣の守備兵の三倍から五倍の兵力が必要だと言われていた。だが、この攻撃の際には、リゼンベルクにいた守備兵の二十倍もの妖魔が動員されたのである。
しかし、それだけに妖魔側の犠牲も大きかった。
ロナン王国は他国に比べて兵の質が劣るとはいえ、要所に配備されている者達は、何度も激戦をくぐり抜けてきた古参兵揃いであった。
突然の襲撃を受けても、守備兵達は頑強な守りを崩さなかった。次から次へと侵入してくる妖魔達の数に圧倒され、勝敗が決してもなお抵抗をやめずに、最後の最後まで戦おうとした。しかしその所為で、城塞都市には人々の死体が溢れかえったのだった。むろん、妖魔達もその数を半減させた。
さて、そんな妖魔達の王として君臨するプルックは、使い魔から受け取った手紙を読み終えると、その場に集まっている者達を安心させるように言った。
「あるあーく様とはるヴぁー様が援軍を送ってくださるそうだ」
地下迷宮ができて最初の臣下となったのがゴブリンの族長プルックだった。彼は、今や一軍を率いる長としての風格を身に付けており、彼の息子や娘達もまた、各軍団の要職についている。
プルックは「強制進化の祭壇」の力により、ゴブリンの上位種であるゴブリン・ロードに進化した存在だ。その姿かたちはゴブリンとさして変わらないが、同族をまとめ上げる才覚を有し、それをいかんなく発揮している。人間と変わらぬ賢さに加えて、プルックは歴戦の戦士であった。アルアークより下賜された紅き曲刀を携え、数えきれない敵を屠ってきた実績を持つ。
ただ、ゴブリンだった頃からの癖だろうか、未だに「あるあーく様」「はるヴぁー様」と、主の名を少しばかり舌足らずな口調で呼ぶのである。
地下迷宮の支配者達は、その喋り方を咎めるほど狭量ではないため、そのまま放置されているのだが。
「援軍が来るまでの間は、オレ達で守りを固めなきゃならねェ」
「ナらば、守りヲ固めよウ」
妖魔の戦士長ドルドが、たどたどしい口調で応じた。
彼も幾多の激戦をくぐり抜けた褒賞としてオルクスに変化している。
オルクスとは、オークの上位種であるベルゼグよりも上の最上位種だ。
その姿はまるで悪魔のように醜悪かつ凶悪であり、普通のオークよりも一回りも二回りも大きい。暗い緑色の肌には朱い紋様のようなものが浮かび上がり、禍々しく光り輝いている。さらに頭には、捻じれた角が四本も生えていた。
禍々しい外見に見合うよう、力を引き上げられているのだ。
オルクスとは本来、失われた時代に存在していたとされる冥界の神の名なのである。
その名の通り、戦場におけるオルクスは敵に死を与える悪魔と化す。
先程もドルドは、最後まで隠れ潜んでいた守備兵達を情け容赦なく蹴散らし、死に至らしめた。
数十人の熟練兵が不意打ちをかけても、ドルドは動じず立ち向かい、一人残らず葬ったのだ。
その時の戦いでできた無数の斬り傷と返り血が、今もドルドの身に染み付いている。戦好きな妖魔にとっては勲章のようなものだが、彼の愛人である山羊の角を生やした美しい女悪魔バフォメットや、人間の女性の上半身と蜘蛛の下半身を持つアラクネ達は、「化膿したら大変」とばかりに、今なお返り血で濡れたドルドの体を丁寧に拭きとったり、傷口に軟膏を塗ったりしていた。
ところで、今この場には、地下帝国の王アルアークに絶対的な忠誠を誓う少女シアと使い魔のギーも同席している。
シアは人を不安にさせるどんよりとした金色の瞳を輝かせながら、妖魔達の様子を窺いつつ、言った。
「今残っている軍団のうち、戦える軍団は二つのみです」
それに対して、ギーが応える。
「ギィース! ってことは、約二万の兵士がいるって訳だ!」
それを聞き、シアはよりいっそう金色の瞳を怪しく光らせた。
シアを支えているのは、死にかけていた自分を救ってくれたアルアークとハルヴァーに対する忠誠心と、自分を救わなかった世界に対する憎悪である。
シアはアルアークとハルヴァーに目をかけられており、地下帝国の幹部達からも「お嬢様」「お嬢ちゃん」と呼ばれて、可愛がられていた。外見は少女そのものだが、国の重鎮達から丁重に扱われるにふさわしい実力の持ち主なのだ。半人半魔の能力を活かして、これまでに幾度も勝利を重ねている。
そんなシアの傍らで、翼をパタパタさせているのがギーである。不細工な猫のような姿かたちで、しかも翼が生えているのだから、相当に見栄えはよろしくない。しかし、ギーはこのように普段はグレムリンと呼ばれる下位悪魔の姿をとっているが、実はアークデーモンと呼ばれる至高階級の悪魔なのだ。ギーはかつて、うっかり口を滑らせてしまったため、その報いとしてシアと魂を融合させられてしまったのだった。それでもシアが望めば、ギー本来の姿と力を取り戻すことは可能である。
ちなみに、シアの言った軍団とは、地下帝国において新たに採用された単位の名称を示し、兵の人数を表すものだ。
かつて地下帝国が採用していた部隊編成は、その人数に応じて、小隊、中隊、大隊の三種であった。しかし、あっという間に増えるゴブリン達に加えて、地下迷宮の噂を聞きつけて各地から集まってくる妖魔達の存在により、五百を意味する「大隊」から一万の兵士達を意味する「軍団」という単位が新設されたのである。
「こちらは二万。だが、敵は三十万を超える」
カイルが見てきた人数を報告した。
民も徴兵しているロナン王国軍が一番多く、十八万。
次いで、軍事大国であるベティア帝国の精鋭達が七万。
最後に、今回参戦を呼び掛けた聖王国の兵団が五万である。ただし、これは先遣部隊であり、後続にはまだまだ多くの信徒達が控えている。
「大軍における弱点は補給手段だが、聖王国の同盟国である商業国家キレトスの商人達の姿を見た。おそらく遠征に必要な物資は十分に用意してあるだろう」
カイルの言う通り、商業国家キレトスの富豪達は魔法帝国を滅ぼした時と同じく、今回の軍勢も後方支援にまわるつもりらしい。大金を使い雇っている傭兵団の参加はないようだが、それでも、商業国家の富は大陸一である。
軍勢が飢えたり、武器が尽きたりすることはないと考えた方がいいだろう。
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