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4巻試し読み
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プロローグ
魔法帝国が滅びて以来、アルアークは飽くことを知らぬ飢えに悩まされていた。
忠臣である宰相が用意した隠れ家に身を潜め、祖国を蹂躙した者達への復讐を遂げようと知識を貪るその姿は、まるで血に飢えた吸血鬼のようであった。
彼の傍らの机には、人の過去を改竄し洗脳する「逆行幻想の書」、全ての希望や夢を破壊する「絶望の舞踏」、生者の肉体を意のままに作り変える「冒涜なる讃美歌」、人の魂を黄金に変換する「ルアヴェンの黄金秘書」など、常人ならば心を蝕まれる魔導書の類が堆く積まれていた。
「兄様」
椅子に腰かけ、書物に耽溺していた彼のもとへ歩み寄る者がある。
「ハルヴァーか?」
妹の呼びかけに、人間離れした美貌の皇子アルアークが顔を上げた。人間らしい優しさや温かさは露ほどもない。幽鬼のように冷え切った声である。
「兄様……、兄様だけじゃ、あいつらの心臓には届かない」
「何?」
ハルヴァーは、その流れるような黄金色の髪を弄りながら兄に囁く。
「兄様の大願を叶えるには、それに見合った犠牲が必要だよ」
妹の目に狂気の光が宿っているのを見て、アルアークは目を細めた。
魔法帝国が滅びた時、ハルヴァーと親しかった者達は悉く犯されたうえ殺された。無残にも焼け焦げた死体の山を目の前にして、妹の優しい心も死んでしまったのである。
「兄様の一番大切なものを生贄にしなきゃ」
「……」
「わかっているよね? 兄様」
ハルヴァーは口元を歪めて、儀式用の短剣を取り出す。
「さあ、兄様。私を生贄に……、力を手にして……、私達の愛した国民の敵を討って……」
「……」
アルアークはハルヴァーの差し出した短剣を受け取り、鞘から抜き放った。
鋭く光り輝く刃をもってすれば、少女の柔肌を引き裂くことなど造作もない。
「さあ、兄様……」
両手を広げる妹を無視して、アルアークは柱の影に短剣を投げる。
「うぁ!」
ナイフが柱に突き刺さると同時に、驚きの声が上がった。
そして、その柱の後ろから黒髪の美少女が飛び出してくる。その瞬間、アルアークの傍にいたハルヴァーの姿は揺らいで消えてしまう。
「ハルヴァー……、いったい何のマネだ?」
黒髪の少女にアルアークは淡々と尋ねた。
冷たく、どこかあきれたような声だ。
「あれれ、兄様、どうしてあれが幻だってわかったの?」
「髪の色が昔のままだ」
そう言って、近くに歩み寄ってきたハルヴァーの髪をアルアークは優しく撫でた。
幻影が作り出した偽物の黄金の髪ではない。極上の黒絹のような漆黒の髪である。
「アハ、そうだったね。忘れてた!」
ハルヴァーは明るく、意地の悪い笑みを浮かべた。後々、この笑みが邪悪に歪んでいくのだが、今はまだ、他愛のない悪戯を見つかって叱られた悪童が見せるような笑みである。
「兄様は研究に没頭して、近頃はまったく笑っていないから……。少しでも笑わせて、元気になってほしくて」
ハルヴァーは言い訳がましく言った。
刺し殺せ、と迫る幻影のどのあたりにそんなユーモア精神があるのか。アルアークには理解できない。しかしどうやら、元気づけようとしてくれたようだ。
「笑い?」
「うん、笑わなきゃ! きっと、みんなだってそれを望んでいるはずだもの!」
と言うハルヴァーの影が一瞬だけ揺らめいた。
アルアークと同じく、邪法を学んでいる彼女は、日を逐うごとに人間とは別の存在になっている。それでも、自分よりはずっと人間らしいとアルアークは思っていた。
今の言葉を聞き、その理由のひとつが、わかった気がする。
楽しさを追求するのは、人間らしい行為である。
「しかめっ面で、辛い辛いって顔に出しながら復讐するより、笑顔で楽しく復讐しようよ! その方が、きっとみんなも喜ぶし、あいつらは悔しがると思うな~」
ハルヴァーの言う「みんな」とは、死んだ魔法帝国の民のことだ。「あいつら」とは、魔法帝国の民を殺した聖王国と連合諸国の人間である。アルアークとハルヴァーは、死んでいった民の魂を自らの肉体に吸収し、力としているのだ。
すでにその数は、万を超え、日々増え続けている。さらには遥かな過去、アルアークとハルヴァーが生まれる以前からの、国を愛した同胞達を冥界より呼び寄せて、その魂をも身に宿していた。
しかし邪法により力を得た代償は大きかった。その身が受ける苦痛は、火串で臓腑を抉られるより、蛆が体から湧き出るより、耳の穴に大釘を刺しこまれるよりも激烈なものだ。普通の人間なら狂い死んでいるだろう。ところが彼らはそれらすべてを受け入れてなお、傍目には正気を保っているように見えた。
言動や理屈はいささか怪しいが、狂人とは明らかに違う芯がある。
「ねぇ、兄様笑おうよ。辛い時ほど笑わなきゃ!」
微笑む妹に、アルアークは「一理あるな」と口元を歪めた。かつて平和な国で民に笑いかけていた皇子とは思えぬような冷たい笑みだ。
「うん! 兄様素敵!」
ハルヴァーはそう言うと、足早に自らの研究室に戻っていく。
共に魔道に落ちた時から気まぐれな行動が多い彼女だが、アルアークは自分よりも魔法の扱いが上手いと認めている。
今回の奇妙な行動もおそらく、彼女なりのアドバイスなのだろうと解釈して、アルアークは再び禁呪の研究を始めた。
すると不思議なことに、先ほどよりもすっと頭の中に知識が入ってくる。
「……楽しむか」
復讐を楽しむ。
今まで考えもしなかったことである。
自分達のように、これから地下迷宮の化身になれば、無関係な者を大勢巻き込むことは避けられない。
それを楽しむなど許されない行為だと思っていたが、そもそも、許されぬ行為に手を染めようとしているのである。
「その方が、悪人らしくて良いのかも知れぬな」
そう言って、アルアークは再び氷のような微笑を浮かべた。
この憎悪を秘めた笑みが後々、多くの妖魔や冒険者を闇に堕とすことになる。
ともあれ、この日から、アルアークとハルヴァーは憎悪と楽しみを糧に、邪悪なる魔法の技を身につけていったのである。
* * *
アルアークとハルヴァーの記憶が刻まれた「地下迷宮の書」を閉じて、モニカは楽しそうに微笑んでいた。
何か悪戯をする前の子供のような笑みである。
「何が可笑しいんだよ?」
七勇者の一人セレスが問いかける。
聖王国と敵対しており、黒き勇者、背徳の勇者、無法勇者などと呼ばれているセレスは今、正体不明の女盗賊モニカと共に旅をしていた。
彼女は、アルアークとハルヴァーの地下迷宮から秘宝を盗み出した凄腕であり、その情報収集能力は世情に詳しいセレスをも凌いだ。
「いや、できる限り兄妹のことを良く知ろうと思ったんスけど……。微笑ましいエピソードを発見して、ついつい頬が緩んでしまったス」
「覗き魔」
「ひ、酷いスよぉ~、世界のために日夜努力しているっていうのに~」
ぴょんと撥ねた前髪を揺らし、モニカは抗議した。
そんなモニカを適当にあしらいながら、セレスは獣じみた猛々しい笑みを浮かべる。
「努力って言うけど、聖王の地下迷宮に挑んだ時は後ろから見てただけじゃねぇかよ」
「いえいえ、地下迷宮に入る前に不可視の奇跡を使いました。そのおかげで……」
モニカは懐から、真っ白な鍵と灰色の印章を取り出した。
「神聖にして不可侵なる地下迷宮より、こうして『御使いの鍵』と『天なる印章』という秘宝を手に入れることができたス!」
女盗賊が声にしたのは聖王国側の迷宮にある秘宝の名前だった。
アルアークとハルヴァーの地下迷宮からだけではなく、聖王国の地下迷宮からも、彼女達は秘宝を奪い取っていたのである。
「しかし、守護者であるユニーク・モンスターを倒したのは、俺様……、おっと、わたくし様だがな」
「いやぁ~、セレス先生お強かったです! さすが! ヨッ、大陸一!」
「おだてても何も出ねぇよ。っか、お前でも余裕だっただろう?」
モニカは「どうスかねェ~」と、とぼけた。
「まあいい、次は簡単にいかないだろうしな」
「邪悪にして悪辣なる地下迷宮スね。確かに難度は向こうの方が上でしょう。なにせ、地下迷宮の王がきちんと起きている状態スからね。眠りかけの教皇と比べちゃいけないス」
セレスは頷いた。
教皇が覚醒していれば、こうも簡単にはいかなかったはずだ。相手がいつ目覚めるかわからなかったため、必要最低限の秘宝だけ持ち逃げして地上に出てきたのである。優れた冒険者たるもの、引き際が肝心なのだ。
「さて、休憩は終わりだ」
セレスはそう言って立ち上がる。
「おや、もうですか?」
「ああ、じきに戦が始まる」
勇者である彼女は、争いの気配を未然に察することができた。人や妖魔が発する諸々の戦意が微細な空気の流れを通して伝わってくる。
「大戦だ……。大勢が死ぬな」
忌々しそうに呟くものの、その口元は緩んでいた。
強い者と戦うことは彼女の望むところである。
本来ならば、すぐにでもあの戦場に飛び込んでいきたい。
だが、今はほかに優先すべきことがある。
「地上での戦いは彼らに任せよう。これだけ弱体化させれば、聖王国側の地下迷宮がちょっかいをかけてくることもないだろう」
「そうスね。んで、地下帝国軍が地上で頑張っている間に……」
「邪悪にして悪辣なる地下迷宮の王を滅ぼそう。地上に残った妖魔達が勝利すれば、それで聖王国側とのバランスは取れる」
「もしも負けたら?」
「そん時は、仕事が一つ増えるだけさ。俺様……、おっと、わたくし様とお前で地上の大掃除だ」
セレスの返答に、モニカは嫌そうに唇を尖らせる。
「そいつは少し、過干渉な気がするス」
「気にし過ぎだよ。お前も調停者なんぞ気取らずに、もっと楽しめよ」
そう言って、黒き勇者は足早に歩き始めた。
モニカは「待ってくださいよぉ~」と慌てて後を追う。
彼女達が向かう先は、復讐に身を焦がす兄妹が支配する、邪悪にして悪辣なる地下迷宮である。
セレスの言うとおり、今まさに大規模な戦いが始まろうとしていた。
それは後の世、「第二次聖征戦争」と呼ばれることになる戦いであった。
第一章 地下帝国の刺客
アルアークが勇者の仲間達を迎撃した「迷宮都市戦争」から数ヶ月が経っていた。
その後、辺境のフェーリアン王国を起点にして始まった地下帝国の侵攻は、まるで蟻の巣が広がるように、周辺へ拡大し続けている。
高い城壁の守りも、地の底から道を作り進んで来る地下帝国軍勢の前には無意味であった。
アルアークとハルヴァーに忠誠を誓う妖魔達の活躍で、都市は次々と制圧されていく。
陥落した都市の領主達は地下帝国に連れ去られ、二度と地上に出てくることはなかった。
彼らに代わって領主の座に就いたのは、ゴブリン・ロードやオーク・チーフ、ミノタウロス・ウォーロードなどの妖魔達だ。しかし、領地を治めるための実質的な政務は、フェーリアン王国の姫フランディアルや闇商人テオドールの手の者が行った。
支配を強化すべき土地には堕ちた勇者カイルを派遣し、民衆を説得させた。
さらに、旧支配者達が貯め込んだ富を分配するほか、いくつかの減税措置をとったのだ。戦う力を持たぬ民衆達には寛大な対応がとられたと言ってよい。
その効果もあり、民衆達はあれほど忌避していた妖魔達を新たな支配者として受け入れ始めた。彼らがこれほど簡単に宗旨替えしたのは、アルアークとハルヴァーの迷宮が放つ邪悪なる力の影響もある。
それでも、抵抗する者は少なくなかった。
聖神教会の教えを妄信する者達は、妖魔に奪われるくらいならばと、陥落した都市の水源や食料庫を破壊しようとした。妖魔相手に商いをする者を誘拐し、見せしめに殺そうとする者達もいた。だが、いずれに対しても、地下帝国軍は〝黒蠅〟や〝悪魔を宿した者〟の少女達を使い、迅速に事を収めた。
こういった事件は大々的に喧伝され、聖神教会を非難することに役立てられた。実行犯達を広場で処刑したのも、そのためである。
一方、支配者側となった妖魔達の中に、必要以上に略奪を行う者もいた。
ゴブリンの王プルックは言葉を尽くして配下の妖魔を説得し、時に刃で脅し、統制を図ろうとした。謀反を企てる部下は敵よりも脅威であるということを、ロード種となったゴブリンは理解していたからだ。
しかし残念ながら、不正を行ったり、規律を破ったりする妖魔達は後を絶たず、人知れず闇に葬られた。
地下帝国の支配は苛烈ながらも公平であり、たとえ同胞の妖魔だろうとも厳しく処罰されたのである。
こうして地上における勢力を広げていた地下帝国であるが、地の底にある地下迷宮ではどうかというと、こちらも大いに賑わっていた。
聖王国より放たれた恐るべき魔物を撃退したアルアークとハルヴァーは、たった一夜で、地下迷宮を修復した。その後、地下迷宮での戦いに援軍として駆けつけた同胞――〝十貴族〟の三人を歓迎する宴を開いた。
その三人は魔法帝国時代からの重鎮であり、各地に散っていた残党の一部だ。
彼らは地下帝国に手土産を持参した。
〝高等魔女〟は、若返りの秘薬、愛を芽生えさせる媚薬、死者を蘇らせる妙薬といったさまざまな薬品を。
〝高等悪魔崇拝者〟は、魔法帝国の怨念が宿る魔法の道具――呪いをはじき返す指輪、護衛の魔神を召喚するランプ、恐怖心を振り払う軍旗など。
〝高等自然崇拝者〟は、精霊の力を宿した宝石の数々を手土産とした。色とりどりの宝石には精霊の力が閉じ込められており、魔法の言葉を唱えると精霊が呼び出され、自然の恵みを提供した。
これらの財産の半分は、地下帝国のために戦った者達に褒賞として分け与えられ、残りの半分は、地下迷宮の各地に宝物として配置されることになった。
これまで多くの兵士の命を呑み込んだ地下迷宮だが、冒険者達の足が遠のくことはない。
むしろ、兵士達の死体から金品が得られると評判を呼び、地下迷宮を目指す冒険者達の数は増える一方である。冒険者とは元来、命など惜しまぬ荒くれ者なのだ。
彼らが地下迷宮に挑まなくなるのは、地下迷宮の財宝が尽きた時だろう。
幸いなことに、それはまだ当分先になりそうだ。
「順調に進んでいるね! 兄様」
黒の王座に座り、そう言ったのはハルヴァーである。
あらゆる種族を虜にする美少女は、艶やかな黒髪を弄りながら邪悪な笑みを浮かべていた。
「我らの兵が勢いに乗っているから、というのもあるが、それ以上に敵の抵抗が少ない」
円卓を挟んで反対側の王座に座るアルアークは冷たい声で言い、呪文を唱えて卓上に遊戯盤を出現させる。
その上には、白と黒の駒が置かれていた。
上から見れば、黒の駒が各地に散らばり、白の駒が一ヵ所に結集しているのがわかる。
「へぇ、彼らは戦力を集中させているんだ」
「先日、プルックが落とした城塞都市では、聖王国から送られた書状が見つかった」
その内容は以下のとおりだ。
「邪悪なる妖魔と、それを支配する悪を滅ぼす為、各国は正義の旗の下に集うべし」
と檄文を読み上げて、アルアークは冷たい笑みを浮かべる。
「魔法帝国を滅ぼした時と同じだな」
あれから五年の歳月が経つというのに、何一つ変わっていない。
聖王国は正義の旗を掲げ、この地下迷宮を炎と共に焼き尽くすつもりなのだろう。
だが今回は相手の言い分は間違っていない。
邪悪にして悪辣なる地下帝国の軍勢は、私怨により、各都市や砦を蹂躙し、多くの人々を殺した。地下迷宮に侵入した者達の心を弄り、己が手勢に加えんがため洗脳した。
山賊からシアを救ったように、いくらかは邪悪とは反対の行動を取ったこともあるが、それで罪が償われるわけではない。
彼らは間違いなく侵略者であり、悪である。ゆえに、正義という大義は聖王国の側にある。
アルアークもハルヴァーも、それは百も承知だった。
「正義の旗の下に集まらせた。兄様、いよいよ山場だね!」
「聖王国の呼びかけに応じた軍勢は、魔法帝国を滅ぼした時と同じく大軍だ」
「けど、今の私達には軍団がある」
ハルヴァーの言葉にアルアークは軽く頷き、盤面に配置された駒を指差す。
すると、ひとつに纏まっていた白の駒がゆっくりと動き始めた。
向かう先は、邪悪にして悪辣なる地下迷宮。
その途中には、先日、妖魔の王プルックが陥落した城塞都市がある。
「戦場となるのは、この城塞都市――リゼンベルク」
「プルックが地下道を使って陥落した都だね」
「この地を奪い返されるのは避けたいが、籠城する戦力は残っていないな」
「地下道には魔物を放っておいたし、城壁はまだ機能しているから、しばらくの間なら持ちこたえられるはずだよ」
すでに地底は、蜘蛛の巣のごとく広がる地下迷宮と化していた。
フェーリアン王国はもちろんのこと、ロナン王国やベティア帝国まで、地下迷宮の道は縦横無尽に張り巡らされている。
しかし、聖王国の周囲には穢れを払う地下水脈を利用した結界が張られているため、地上から攻め込んで結界を破壊する必要があった。
その点では、城塞都市リゼンベルクは地上部隊を駐留させる最適な拠点といえた。
聖王国のみならず、ロナン王国、ベティア帝国へ侵攻するルートにもなる要所なのだ。もちろん、相手もそのことをよく理解しており、ほかの都や村を後回しにして、リゼンベルクに攻め込む準備をしている。
「それじゃあ兄様、各地の兵に伝令を送ろうよ。リゼンベルクを守るようにってさ!」
「ああ、地下帝国からも援軍を送ろう」
王族の悪癖というべきか、アルアークとハルヴァーは何のためらいもなく人を使い、湯水のように金を使う。
しかし、使いどころを間違えてはいない。彼らが人や妖魔に重要な使命を下す時は、通常よりも遥かに多い報酬を与えている。
そして、その支払われた報酬で妖魔は武具を買い揃えたり、美味い食事を摂ったり、一夜の愛を買ったりするのだ。
こうして、血が体中を巡るように、金が地下帝国を巡り、循環するのである。
誰もがやむことなく金を使い、そのおかげで都市が栄える。
地上ではありえないことだ。
何故なら、金を使うべき者が使わないため、市場に金が出回らず、経済も産業も衰退していっているからである。
この時代においては、大多数の人々が領主と教会に金を支払うことで精一杯で、地下帝国とは正反対の、苦しい生活を送っていた。
もちろん、領主や司教など、上流階級の者達はその限りではない。彼らの多くは、信じられないほど豪奢な暮らしを満喫していた。
農民達が一年かけて稼ぐのと等しい額の食事を食べ、工夫達が何年も同じ服を着ているのに対し、彼らは毎日のように高価な服に着替えているのである。だが、個人の元に富が貯め込まれている限り、市場は潤わない。
「地下迷宮の兵をすべて出そう。出し惜しみする必要はない。だが、少しばかり時間稼ぎは必要かもしれん」
「うん、兄様! まずは、一番つけ入りやすいロナン王国に挨拶をしよう」
ハルヴァーは黒い竜の駒を指さす。
すると、竜の駒はひとりでに白の陣地に向かって、まっすぐに動き始めた。
「ロナン王国の至宝を奪おう」
ハルヴァーは邪悪な笑みを深める。
対して、アルアークは遊戯盤の外に置かれた駒を見た。
剣士、槍兵、斧槍兵、新兵、弓兵、騎馬兵、戦闘馬車、騎士、狂戦士、盗賊、獣人、不死者、狼、蛇、悪魔、魔法使い、暗殺者、天馬、鷲獅子、魔導兵、巨人、魔獣、英雄などなど、多種多様な駒の中から、最弱とされる妖魔の駒を示す。
「それでは、こちらは歓迎の準備を万全にしておこう」
アルアークはそう言って、本来は王の駒を配置すべき黒の陣営の中心に妖魔の駒を置いた。それに合わせて、妖魔を守るように動く戦士の駒もあれば、白の陣営に強襲をかけようとする騎士の駒もある。
そしてさらに、盤の外側から黒い駒が次から次へと盤上に上ってきて、城の陣営を囲んでいく。蟻が砂糖に群がるような駒の動きを見ながら、地下帝国の君主達は口元を綻ばせ、蒼い瞳を細めるのであった。
* * *
緑の広がるロナン王国の大平原に、何千何万という天幕が張られていた。
天幕を支える支柱には、各地から集まってきた騎士団の旗が翻っている。
百戦百勝と名高いブルトーム伯爵の翡翠騎士団、残虐非道で味方からも恐れられるオルデア男爵の白翼騎士団、勇猛果敢な戦獅子と呼ばれるオスカー豪胆公の率いる赤槍騎士団など、ロナン王国の名だたる領主達の旗である。
また、ロナン王国の軍勢がひしめく場所から少し離れた所に、ロナン王国とは長年険悪な関係にあるベティア帝国軍の野営地があった。
兵の数はロナン王国に比べて大きく劣るが、ベティア帝国軍で最強を誇る皇帝近衛騎士団や、飛竜を操る騎士で構成された竜盟師団、黒鉄師団の残存兵力を吸収し膨れ上がった砂塵師団など、ベティア帝国軍が有する強者ぞろいの兵団である。
両国は魔法帝国を滅ぼす際には協力して戦ったものの、国が発展するにつれて対立を深めていった歴史があった。
ベティア帝国は作物を育てるのに適した大地を求め、ロナン王国は鉱物資源が豊かな山脈を欲した。決定的な不仲をもたらした出来事は、二百年ほど前に起きた。
それまでも、食べていくのに精一杯だったベティア帝国が王族でさえも食べ物に困り、多くの餓死者を出す大飢饉に見舞われたのだ。その時、ロナン王国の貴族や商人達は、他国へ売る食料に今までの数十倍もの値を付けたのである。商取引なため値上げもありえるが、それまでは飢饉でもせいぜい三倍程度の値上げであった。
この傍若無人な振る舞いにベティアの皇帝は激怒し、ロナン王国に宣戦を布告。
このまま飢えて死ぬくらいならばと、軍を率いて進軍を開始した。これに対してロナン王国は、ベティア帝国の五倍の兵力で迎え撃った。
しかし、ロナン王国にとってその結果は悲惨なものとなった。
山脈から採れる鉱物資源から作り出された当時最新の装備と、飢え死にしてなるものかという高い士気に支えられたベティア帝国軍は、ロナン王国の兵士達を完膚なきまでに叩きのめし、敵国領内の食料を奪い尽くした。
さらにベティア帝国軍はその勢いに乗じて、王都へと進撃。
対して当時のロナン国王は、自国全土に焦土戦術を命じた。
帝国軍の進軍ルートにある自国の村々を焼き払い、敵の食料補給手段を絶ったのである。
先に述べた通り帝国の食料事情は最悪だったため、現地での略奪が不可能となっては、王都侵攻を断念し、手にした僅かな食料と共に、本国へ帰還するほかなかった。
そんな過去の因縁もあり、王国と帝国は対立が続いている。
ちなみに、この飢饉を終わらせたのは、聖王国と魔法帝国がそれぞれ独自に開発した肥料だった。農作物に害を与える病を駆逐し、成長を促進させる力のある肥料を使ったことにより、大飢饉はゆっくりと収束していったのである。
現在、この時の大飢饉を乗り越えられたのはすべて聖王国の功績とされているが、実際に肥料作成のノウハウを提供し食料援助を惜しまなかったのは魔法帝国だった。聖王国は研究成果を外交取引のカードに使う算段であっただけに、両国に無償で食料援助や技術提供をした魔法帝国に恨みを持つようになったのだ。それ以来、聖王国は魔法帝国と事あるごとに対立する関係となった。
ちなみに魔法帝国は、これらの技術を共有することで、各国の文明レベルの向上を望んでいた。全体が豊かになれば、最終的に魔法帝国も栄えるという考え方だったが、残念ながら成功しなかった。それどころか、後に力を取り戻した両大国から危険視され、滅ぼされる運命を辿ったのである。
魔法帝国は自国の技術を他国に渡して、多くの餓死者を救ったにも拘らずだ。
その後、両国は再び懲りずに国境線で小競り合いを始めた。
しかし、辺境の小国を制圧するために送り込んだ騎士団が次々と敗北したのに加え、妖魔達が領地を侵略し始めたとあっては、いつまでもそんなことを続けているわけにはいかなかった。迎撃の兵を送り出したものの、いずれも返り討ちにあっている。
このままではまずいと両国が考え始めた時、タイミングよく聖王国から使者が来た。
「地の底に潜む邪悪を討つ為、各国は正義の旗の下に集うべし!」
聖王国は、辺境の小国フェーリアン王国にある地下迷宮こそが、今回の災厄の元凶だとして、第二次聖征戦争に踏み切ることを宣言した。
ロナン王国とベティア帝国はいがみ合いながらも、聖王国の仲介を得て軍を起こしたのである。聖王国の呼びかけを無視するという選択肢はなかった。
なぜなら、ロナン王国内には聖神教会の信徒が多数いるため、聖王国の要請を無視すれば民衆が暴動を起こす可能性が高い。一方、聖王国の信徒が少ないベティア帝国側も、聖王国と親交の厚い商業国家キレトスに多額の負債を抱えている。したがって参戦を断ろうものなら、国交断絶という事態も招きかねない。そうなれば国内の物流が止まってしまう。
そうした諸事情により、両国は兵士を集めたのだが、大軍勢を率いる者となれば、それは両国の指導者しかいない。
ロナン王国の国王、フェルセネク・メル・ロナン。
ベティア帝国の皇帝、ゲッエンベルグ・グデルスフィア・ベティア。
魔法帝国を滅ぼした王達が自ら出陣し、兵士達の暴発を抑えている。そしてもちろん、今回の第二次聖征戦争の招集をかけた聖王国の指導者も兵を率いて参戦していた。
その名は聖王イル九世。
さらに聖王の懐刀である、魔法帝国の皇帝を殺した勇者カルテン。
聖王国の重鎮エリオンが率いる神聖騎士団と、大陸全土から馳せ参じた聖神教会の熱烈な信徒達で構成された聖神教会戦闘司祭団の司祭長ホムテス、その両名が両翼を支えるようにして従軍している。
彼ら聖王国軍は、ロナン王国とベティア帝国の軍勢を監視すべく、少し離れた場所で待機していた。
上空から見れば、それぞれの軍勢はちょうど正三角形をなし、その一頂点に位置するように聖王国軍が陣を張っているのがわかるだろう。
各国の兵士をすべて集めれば、三十万もの大軍勢となる。
この時代に、これだけの兵力を集めるのは至難の業だ。維持し続けるのも難しいこの軍勢が瓦解せずにいられるのは、大陸一の宝物を有する商業国家キレトスの大商人達が惜しみない支援を行っているからである。
商人達の望みは、戦争で得た土地で優先的に商売をさせてもらうことだった。
そんな聖王国軍の陣地では、今後の方針を決めるべく、各国の指導者が集まっていた。
場所は、聖王のために張られたひときわ大きな天幕の中である。
「よくぞ集まってくれた」
聖王イル九世が穏やかな声で言う。
その言葉に、ロナン王国の王フェルセネクは恭しく頭を下げた。
「聖王陛下、お目にかかれて光栄です」
「フェルセネク殿、相変わらずじゃのぉ~。そう畏まらずともよい。同じ国王同士、仲良くやろうではないか」
聖王は、ロナン王国の王にそう語りかける。
フェルセネク王は、もじゃもじゃの白い髭を蓄えた老人だった。豪華な冠を載せた頭にはわずかな白髪が残るのみで、毛髪はほとんど抜け落ちている。外見は実際の年齢よりも老け込んでおり、聖王とそう変わらぬように見えた。しかも、ひどくやせ細っており、緑色の濁った瞳はどこか狂気を感じさせる。
好々爺といった印象の聖王に対し、フェルセネク王は常人とは異なる危険な雰囲気に満ちているのだが、意外と腰は低い。
「はっ、お心遣い感謝いたします。ですが、私は国王である前に聖神の教えに従う信徒の一人です。教皇猊下の信頼も厚い貴方様に礼を尽くすのは当然のことです」
しかしその声は、さすがに長年王座に就いていただけに貫録があり、聞く者を黙らせてしまう迫力があった。
「ホッホッホ、嬉しいことを言ってくれるのぉ。貴殿は、奥方と令嬢の次くらいには、儂に気を使ってくれておるのかな?」
「おお、そうでした。後ほど、我が妻と娘をご紹介させていただきます。以前に会われた時よりも、美貌に磨きがかかっております」
ロナン国王とは遥かに年の離れた王妃、そして王妃の連れ子である王女の美貌は大陸中に響いている。
フェルセネク王は彼女達を溺愛しており、片時も傍を離れぬ、と有名だった。
「おやおや、こんな戦場まで連れてきたのか? ご婦人には辛くないかのぉ?」
「ご安心を。手練れの女騎士達に守らせております。どこぞの野蛮人が血迷ったとしても、すぐに返り討ちに遭うことでしょう」
ロナン国王の嫌味に、ベティア帝国の皇帝は不服そうに鼻を鳴らす。
それを潮に、聖王は話し相手を替えた。
「ゲッエンベルグ殿は、だいぶお変わりになられましたな。魔法帝国で手に入れた若返りの薬の力ですかな?」
「その通りだ」
ゲッエンベルグはぶっきら棒に返した。
獅子の鬣のように豊かな赤髪、暗闇でも輝きそうな琥珀色の目を持つ、三十代半ばの大柄な男だ。真っ黒な鎧で武装しており、手の届く位置に巨大な大剣を立てかけてある。その全身からは闘気が滲み出ており、常人ならば彼を見た瞬間にすくみ上がってしまいそうなほどの威圧感が放たれていた。
ベティア帝国内においては、彼は「武帝」「戦神」「獅子皇」と崇拝されており、ロナン王国からは「戦争狂」「血に飢えた獣」「狂乱帝」と恐れられている。
ちなみに、アルアークとハルヴァーの父にして今は滅びし魔法帝国の皇帝は、ゲッエンベルグを「戦時においては英雄王だが、平時では暴君」と評していた。
ベティア帝国の人間は、礼儀作法など気にしない。
それは、皇帝だろうとも例外ではなかった。
現にゲッエンベルグは、聖王を前にして不遜ともいえる態度である。ロナン国王が軽く非難するように睨み付けるが、ベティア帝国の皇帝は鼻で笑うだけだ。
「ホッホッホッ、若さを取り戻して、気力が余っておるようじゃのぉ~」
聖王は相変わらず穏やかに笑いながら、皇帝が発する嵐のような闘気を受け流す。
「安心しろ。今はお前達の国を攻撃するつもりはない。食料も女も奪わぬから、今のうちに好きなだけ楽しむといい」
嶮しい山脈と乾いた荒野を領土とするベティア帝国は、侵略戦争を繰り返しては、いくつもの領土を奪い取ってきた。豊かな平原を持つロナン王国はもちろん標的であり、聖神教会の聖地も例外ではない。
「恐ろしいのぉ~。人間同士、話し合いで解決したいものじゃ」
「ふん、魔法帝国を滅ぼすように招集をかけた男の言葉とは思えぬな」
「妖魔どもに与する者など、人に非ず。滅びて当然じゃろ?」
と言って聖王はニコリと微笑む。
その顔を見て、ゲッエンベルグ皇帝は再び鼻を鳴らし、腰から短剣を引き抜く。それを目にしたロナン国王は何か言おうとするが、それよりも先に皇帝が、机の上に広げられた地図に短剣を突き立てる。
「この戦では我らは同胞というわけだ。先陣を切るのは我らが引き受けよう」
その地図上に位置するのは、城塞都市リゼンベルク。
「貴様、何を勝手なことを! 元々、城塞都市リゼンベルクは我らロナン王国の領地。ベティア帝国の人間が必要以上にでしゃばるな!」
一喝するフェルセネク王だが、ゲッエンベルグ皇帝は取り合わない。
「貴様らが攻めたのでは、あの要塞は何年経っても落とせぬ。それに、今は妖魔どもに奪われているのだろう? 誰のものでもない」
「言わせておけばッ!」
フェルセネク王は唾を吐き散らしつつ叫び、怒りを露わにする。
「まあまあ、フェルセネク殿。まずは、ゲッエンベルグ殿にお任せしてみよう」
「なっ、聖王陛下!」
「ただし、すべてを任せるわけにはいきませぬ。ベティア帝国は南から、聖王国とロナン王国は北から挟むように攻めましょう。そして、城塞都市の支配権はロナン王国のものとすること。先ほど、侵略者でないと言ったのですから、その言葉は守っていただきますぞ。もしも破れば、我らも黙ってはおりませぬ」
魔法帝国が滅びて以来、アルアークは飽くことを知らぬ飢えに悩まされていた。
忠臣である宰相が用意した隠れ家に身を潜め、祖国を蹂躙した者達への復讐を遂げようと知識を貪るその姿は、まるで血に飢えた吸血鬼のようであった。
彼の傍らの机には、人の過去を改竄し洗脳する「逆行幻想の書」、全ての希望や夢を破壊する「絶望の舞踏」、生者の肉体を意のままに作り変える「冒涜なる讃美歌」、人の魂を黄金に変換する「ルアヴェンの黄金秘書」など、常人ならば心を蝕まれる魔導書の類が堆く積まれていた。
「兄様」
椅子に腰かけ、書物に耽溺していた彼のもとへ歩み寄る者がある。
「ハルヴァーか?」
妹の呼びかけに、人間離れした美貌の皇子アルアークが顔を上げた。人間らしい優しさや温かさは露ほどもない。幽鬼のように冷え切った声である。
「兄様……、兄様だけじゃ、あいつらの心臓には届かない」
「何?」
ハルヴァーは、その流れるような黄金色の髪を弄りながら兄に囁く。
「兄様の大願を叶えるには、それに見合った犠牲が必要だよ」
妹の目に狂気の光が宿っているのを見て、アルアークは目を細めた。
魔法帝国が滅びた時、ハルヴァーと親しかった者達は悉く犯されたうえ殺された。無残にも焼け焦げた死体の山を目の前にして、妹の優しい心も死んでしまったのである。
「兄様の一番大切なものを生贄にしなきゃ」
「……」
「わかっているよね? 兄様」
ハルヴァーは口元を歪めて、儀式用の短剣を取り出す。
「さあ、兄様。私を生贄に……、力を手にして……、私達の愛した国民の敵を討って……」
「……」
アルアークはハルヴァーの差し出した短剣を受け取り、鞘から抜き放った。
鋭く光り輝く刃をもってすれば、少女の柔肌を引き裂くことなど造作もない。
「さあ、兄様……」
両手を広げる妹を無視して、アルアークは柱の影に短剣を投げる。
「うぁ!」
ナイフが柱に突き刺さると同時に、驚きの声が上がった。
そして、その柱の後ろから黒髪の美少女が飛び出してくる。その瞬間、アルアークの傍にいたハルヴァーの姿は揺らいで消えてしまう。
「ハルヴァー……、いったい何のマネだ?」
黒髪の少女にアルアークは淡々と尋ねた。
冷たく、どこかあきれたような声だ。
「あれれ、兄様、どうしてあれが幻だってわかったの?」
「髪の色が昔のままだ」
そう言って、近くに歩み寄ってきたハルヴァーの髪をアルアークは優しく撫でた。
幻影が作り出した偽物の黄金の髪ではない。極上の黒絹のような漆黒の髪である。
「アハ、そうだったね。忘れてた!」
ハルヴァーは明るく、意地の悪い笑みを浮かべた。後々、この笑みが邪悪に歪んでいくのだが、今はまだ、他愛のない悪戯を見つかって叱られた悪童が見せるような笑みである。
「兄様は研究に没頭して、近頃はまったく笑っていないから……。少しでも笑わせて、元気になってほしくて」
ハルヴァーは言い訳がましく言った。
刺し殺せ、と迫る幻影のどのあたりにそんなユーモア精神があるのか。アルアークには理解できない。しかしどうやら、元気づけようとしてくれたようだ。
「笑い?」
「うん、笑わなきゃ! きっと、みんなだってそれを望んでいるはずだもの!」
と言うハルヴァーの影が一瞬だけ揺らめいた。
アルアークと同じく、邪法を学んでいる彼女は、日を逐うごとに人間とは別の存在になっている。それでも、自分よりはずっと人間らしいとアルアークは思っていた。
今の言葉を聞き、その理由のひとつが、わかった気がする。
楽しさを追求するのは、人間らしい行為である。
「しかめっ面で、辛い辛いって顔に出しながら復讐するより、笑顔で楽しく復讐しようよ! その方が、きっとみんなも喜ぶし、あいつらは悔しがると思うな~」
ハルヴァーの言う「みんな」とは、死んだ魔法帝国の民のことだ。「あいつら」とは、魔法帝国の民を殺した聖王国と連合諸国の人間である。アルアークとハルヴァーは、死んでいった民の魂を自らの肉体に吸収し、力としているのだ。
すでにその数は、万を超え、日々増え続けている。さらには遥かな過去、アルアークとハルヴァーが生まれる以前からの、国を愛した同胞達を冥界より呼び寄せて、その魂をも身に宿していた。
しかし邪法により力を得た代償は大きかった。その身が受ける苦痛は、火串で臓腑を抉られるより、蛆が体から湧き出るより、耳の穴に大釘を刺しこまれるよりも激烈なものだ。普通の人間なら狂い死んでいるだろう。ところが彼らはそれらすべてを受け入れてなお、傍目には正気を保っているように見えた。
言動や理屈はいささか怪しいが、狂人とは明らかに違う芯がある。
「ねぇ、兄様笑おうよ。辛い時ほど笑わなきゃ!」
微笑む妹に、アルアークは「一理あるな」と口元を歪めた。かつて平和な国で民に笑いかけていた皇子とは思えぬような冷たい笑みだ。
「うん! 兄様素敵!」
ハルヴァーはそう言うと、足早に自らの研究室に戻っていく。
共に魔道に落ちた時から気まぐれな行動が多い彼女だが、アルアークは自分よりも魔法の扱いが上手いと認めている。
今回の奇妙な行動もおそらく、彼女なりのアドバイスなのだろうと解釈して、アルアークは再び禁呪の研究を始めた。
すると不思議なことに、先ほどよりもすっと頭の中に知識が入ってくる。
「……楽しむか」
復讐を楽しむ。
今まで考えもしなかったことである。
自分達のように、これから地下迷宮の化身になれば、無関係な者を大勢巻き込むことは避けられない。
それを楽しむなど許されない行為だと思っていたが、そもそも、許されぬ行為に手を染めようとしているのである。
「その方が、悪人らしくて良いのかも知れぬな」
そう言って、アルアークは再び氷のような微笑を浮かべた。
この憎悪を秘めた笑みが後々、多くの妖魔や冒険者を闇に堕とすことになる。
ともあれ、この日から、アルアークとハルヴァーは憎悪と楽しみを糧に、邪悪なる魔法の技を身につけていったのである。
* * *
アルアークとハルヴァーの記憶が刻まれた「地下迷宮の書」を閉じて、モニカは楽しそうに微笑んでいた。
何か悪戯をする前の子供のような笑みである。
「何が可笑しいんだよ?」
七勇者の一人セレスが問いかける。
聖王国と敵対しており、黒き勇者、背徳の勇者、無法勇者などと呼ばれているセレスは今、正体不明の女盗賊モニカと共に旅をしていた。
彼女は、アルアークとハルヴァーの地下迷宮から秘宝を盗み出した凄腕であり、その情報収集能力は世情に詳しいセレスをも凌いだ。
「いや、できる限り兄妹のことを良く知ろうと思ったんスけど……。微笑ましいエピソードを発見して、ついつい頬が緩んでしまったス」
「覗き魔」
「ひ、酷いスよぉ~、世界のために日夜努力しているっていうのに~」
ぴょんと撥ねた前髪を揺らし、モニカは抗議した。
そんなモニカを適当にあしらいながら、セレスは獣じみた猛々しい笑みを浮かべる。
「努力って言うけど、聖王の地下迷宮に挑んだ時は後ろから見てただけじゃねぇかよ」
「いえいえ、地下迷宮に入る前に不可視の奇跡を使いました。そのおかげで……」
モニカは懐から、真っ白な鍵と灰色の印章を取り出した。
「神聖にして不可侵なる地下迷宮より、こうして『御使いの鍵』と『天なる印章』という秘宝を手に入れることができたス!」
女盗賊が声にしたのは聖王国側の迷宮にある秘宝の名前だった。
アルアークとハルヴァーの地下迷宮からだけではなく、聖王国の地下迷宮からも、彼女達は秘宝を奪い取っていたのである。
「しかし、守護者であるユニーク・モンスターを倒したのは、俺様……、おっと、わたくし様だがな」
「いやぁ~、セレス先生お強かったです! さすが! ヨッ、大陸一!」
「おだてても何も出ねぇよ。っか、お前でも余裕だっただろう?」
モニカは「どうスかねェ~」と、とぼけた。
「まあいい、次は簡単にいかないだろうしな」
「邪悪にして悪辣なる地下迷宮スね。確かに難度は向こうの方が上でしょう。なにせ、地下迷宮の王がきちんと起きている状態スからね。眠りかけの教皇と比べちゃいけないス」
セレスは頷いた。
教皇が覚醒していれば、こうも簡単にはいかなかったはずだ。相手がいつ目覚めるかわからなかったため、必要最低限の秘宝だけ持ち逃げして地上に出てきたのである。優れた冒険者たるもの、引き際が肝心なのだ。
「さて、休憩は終わりだ」
セレスはそう言って立ち上がる。
「おや、もうですか?」
「ああ、じきに戦が始まる」
勇者である彼女は、争いの気配を未然に察することができた。人や妖魔が発する諸々の戦意が微細な空気の流れを通して伝わってくる。
「大戦だ……。大勢が死ぬな」
忌々しそうに呟くものの、その口元は緩んでいた。
強い者と戦うことは彼女の望むところである。
本来ならば、すぐにでもあの戦場に飛び込んでいきたい。
だが、今はほかに優先すべきことがある。
「地上での戦いは彼らに任せよう。これだけ弱体化させれば、聖王国側の地下迷宮がちょっかいをかけてくることもないだろう」
「そうスね。んで、地下帝国軍が地上で頑張っている間に……」
「邪悪にして悪辣なる地下迷宮の王を滅ぼそう。地上に残った妖魔達が勝利すれば、それで聖王国側とのバランスは取れる」
「もしも負けたら?」
「そん時は、仕事が一つ増えるだけさ。俺様……、おっと、わたくし様とお前で地上の大掃除だ」
セレスの返答に、モニカは嫌そうに唇を尖らせる。
「そいつは少し、過干渉な気がするス」
「気にし過ぎだよ。お前も調停者なんぞ気取らずに、もっと楽しめよ」
そう言って、黒き勇者は足早に歩き始めた。
モニカは「待ってくださいよぉ~」と慌てて後を追う。
彼女達が向かう先は、復讐に身を焦がす兄妹が支配する、邪悪にして悪辣なる地下迷宮である。
セレスの言うとおり、今まさに大規模な戦いが始まろうとしていた。
それは後の世、「第二次聖征戦争」と呼ばれることになる戦いであった。
第一章 地下帝国の刺客
アルアークが勇者の仲間達を迎撃した「迷宮都市戦争」から数ヶ月が経っていた。
その後、辺境のフェーリアン王国を起点にして始まった地下帝国の侵攻は、まるで蟻の巣が広がるように、周辺へ拡大し続けている。
高い城壁の守りも、地の底から道を作り進んで来る地下帝国軍勢の前には無意味であった。
アルアークとハルヴァーに忠誠を誓う妖魔達の活躍で、都市は次々と制圧されていく。
陥落した都市の領主達は地下帝国に連れ去られ、二度と地上に出てくることはなかった。
彼らに代わって領主の座に就いたのは、ゴブリン・ロードやオーク・チーフ、ミノタウロス・ウォーロードなどの妖魔達だ。しかし、領地を治めるための実質的な政務は、フェーリアン王国の姫フランディアルや闇商人テオドールの手の者が行った。
支配を強化すべき土地には堕ちた勇者カイルを派遣し、民衆を説得させた。
さらに、旧支配者達が貯め込んだ富を分配するほか、いくつかの減税措置をとったのだ。戦う力を持たぬ民衆達には寛大な対応がとられたと言ってよい。
その効果もあり、民衆達はあれほど忌避していた妖魔達を新たな支配者として受け入れ始めた。彼らがこれほど簡単に宗旨替えしたのは、アルアークとハルヴァーの迷宮が放つ邪悪なる力の影響もある。
それでも、抵抗する者は少なくなかった。
聖神教会の教えを妄信する者達は、妖魔に奪われるくらいならばと、陥落した都市の水源や食料庫を破壊しようとした。妖魔相手に商いをする者を誘拐し、見せしめに殺そうとする者達もいた。だが、いずれに対しても、地下帝国軍は〝黒蠅〟や〝悪魔を宿した者〟の少女達を使い、迅速に事を収めた。
こういった事件は大々的に喧伝され、聖神教会を非難することに役立てられた。実行犯達を広場で処刑したのも、そのためである。
一方、支配者側となった妖魔達の中に、必要以上に略奪を行う者もいた。
ゴブリンの王プルックは言葉を尽くして配下の妖魔を説得し、時に刃で脅し、統制を図ろうとした。謀反を企てる部下は敵よりも脅威であるということを、ロード種となったゴブリンは理解していたからだ。
しかし残念ながら、不正を行ったり、規律を破ったりする妖魔達は後を絶たず、人知れず闇に葬られた。
地下帝国の支配は苛烈ながらも公平であり、たとえ同胞の妖魔だろうとも厳しく処罰されたのである。
こうして地上における勢力を広げていた地下帝国であるが、地の底にある地下迷宮ではどうかというと、こちらも大いに賑わっていた。
聖王国より放たれた恐るべき魔物を撃退したアルアークとハルヴァーは、たった一夜で、地下迷宮を修復した。その後、地下迷宮での戦いに援軍として駆けつけた同胞――〝十貴族〟の三人を歓迎する宴を開いた。
その三人は魔法帝国時代からの重鎮であり、各地に散っていた残党の一部だ。
彼らは地下帝国に手土産を持参した。
〝高等魔女〟は、若返りの秘薬、愛を芽生えさせる媚薬、死者を蘇らせる妙薬といったさまざまな薬品を。
〝高等悪魔崇拝者〟は、魔法帝国の怨念が宿る魔法の道具――呪いをはじき返す指輪、護衛の魔神を召喚するランプ、恐怖心を振り払う軍旗など。
〝高等自然崇拝者〟は、精霊の力を宿した宝石の数々を手土産とした。色とりどりの宝石には精霊の力が閉じ込められており、魔法の言葉を唱えると精霊が呼び出され、自然の恵みを提供した。
これらの財産の半分は、地下帝国のために戦った者達に褒賞として分け与えられ、残りの半分は、地下迷宮の各地に宝物として配置されることになった。
これまで多くの兵士の命を呑み込んだ地下迷宮だが、冒険者達の足が遠のくことはない。
むしろ、兵士達の死体から金品が得られると評判を呼び、地下迷宮を目指す冒険者達の数は増える一方である。冒険者とは元来、命など惜しまぬ荒くれ者なのだ。
彼らが地下迷宮に挑まなくなるのは、地下迷宮の財宝が尽きた時だろう。
幸いなことに、それはまだ当分先になりそうだ。
「順調に進んでいるね! 兄様」
黒の王座に座り、そう言ったのはハルヴァーである。
あらゆる種族を虜にする美少女は、艶やかな黒髪を弄りながら邪悪な笑みを浮かべていた。
「我らの兵が勢いに乗っているから、というのもあるが、それ以上に敵の抵抗が少ない」
円卓を挟んで反対側の王座に座るアルアークは冷たい声で言い、呪文を唱えて卓上に遊戯盤を出現させる。
その上には、白と黒の駒が置かれていた。
上から見れば、黒の駒が各地に散らばり、白の駒が一ヵ所に結集しているのがわかる。
「へぇ、彼らは戦力を集中させているんだ」
「先日、プルックが落とした城塞都市では、聖王国から送られた書状が見つかった」
その内容は以下のとおりだ。
「邪悪なる妖魔と、それを支配する悪を滅ぼす為、各国は正義の旗の下に集うべし」
と檄文を読み上げて、アルアークは冷たい笑みを浮かべる。
「魔法帝国を滅ぼした時と同じだな」
あれから五年の歳月が経つというのに、何一つ変わっていない。
聖王国は正義の旗を掲げ、この地下迷宮を炎と共に焼き尽くすつもりなのだろう。
だが今回は相手の言い分は間違っていない。
邪悪にして悪辣なる地下帝国の軍勢は、私怨により、各都市や砦を蹂躙し、多くの人々を殺した。地下迷宮に侵入した者達の心を弄り、己が手勢に加えんがため洗脳した。
山賊からシアを救ったように、いくらかは邪悪とは反対の行動を取ったこともあるが、それで罪が償われるわけではない。
彼らは間違いなく侵略者であり、悪である。ゆえに、正義という大義は聖王国の側にある。
アルアークもハルヴァーも、それは百も承知だった。
「正義の旗の下に集まらせた。兄様、いよいよ山場だね!」
「聖王国の呼びかけに応じた軍勢は、魔法帝国を滅ぼした時と同じく大軍だ」
「けど、今の私達には軍団がある」
ハルヴァーの言葉にアルアークは軽く頷き、盤面に配置された駒を指差す。
すると、ひとつに纏まっていた白の駒がゆっくりと動き始めた。
向かう先は、邪悪にして悪辣なる地下迷宮。
その途中には、先日、妖魔の王プルックが陥落した城塞都市がある。
「戦場となるのは、この城塞都市――リゼンベルク」
「プルックが地下道を使って陥落した都だね」
「この地を奪い返されるのは避けたいが、籠城する戦力は残っていないな」
「地下道には魔物を放っておいたし、城壁はまだ機能しているから、しばらくの間なら持ちこたえられるはずだよ」
すでに地底は、蜘蛛の巣のごとく広がる地下迷宮と化していた。
フェーリアン王国はもちろんのこと、ロナン王国やベティア帝国まで、地下迷宮の道は縦横無尽に張り巡らされている。
しかし、聖王国の周囲には穢れを払う地下水脈を利用した結界が張られているため、地上から攻め込んで結界を破壊する必要があった。
その点では、城塞都市リゼンベルクは地上部隊を駐留させる最適な拠点といえた。
聖王国のみならず、ロナン王国、ベティア帝国へ侵攻するルートにもなる要所なのだ。もちろん、相手もそのことをよく理解しており、ほかの都や村を後回しにして、リゼンベルクに攻め込む準備をしている。
「それじゃあ兄様、各地の兵に伝令を送ろうよ。リゼンベルクを守るようにってさ!」
「ああ、地下帝国からも援軍を送ろう」
王族の悪癖というべきか、アルアークとハルヴァーは何のためらいもなく人を使い、湯水のように金を使う。
しかし、使いどころを間違えてはいない。彼らが人や妖魔に重要な使命を下す時は、通常よりも遥かに多い報酬を与えている。
そして、その支払われた報酬で妖魔は武具を買い揃えたり、美味い食事を摂ったり、一夜の愛を買ったりするのだ。
こうして、血が体中を巡るように、金が地下帝国を巡り、循環するのである。
誰もがやむことなく金を使い、そのおかげで都市が栄える。
地上ではありえないことだ。
何故なら、金を使うべき者が使わないため、市場に金が出回らず、経済も産業も衰退していっているからである。
この時代においては、大多数の人々が領主と教会に金を支払うことで精一杯で、地下帝国とは正反対の、苦しい生活を送っていた。
もちろん、領主や司教など、上流階級の者達はその限りではない。彼らの多くは、信じられないほど豪奢な暮らしを満喫していた。
農民達が一年かけて稼ぐのと等しい額の食事を食べ、工夫達が何年も同じ服を着ているのに対し、彼らは毎日のように高価な服に着替えているのである。だが、個人の元に富が貯め込まれている限り、市場は潤わない。
「地下迷宮の兵をすべて出そう。出し惜しみする必要はない。だが、少しばかり時間稼ぎは必要かもしれん」
「うん、兄様! まずは、一番つけ入りやすいロナン王国に挨拶をしよう」
ハルヴァーは黒い竜の駒を指さす。
すると、竜の駒はひとりでに白の陣地に向かって、まっすぐに動き始めた。
「ロナン王国の至宝を奪おう」
ハルヴァーは邪悪な笑みを深める。
対して、アルアークは遊戯盤の外に置かれた駒を見た。
剣士、槍兵、斧槍兵、新兵、弓兵、騎馬兵、戦闘馬車、騎士、狂戦士、盗賊、獣人、不死者、狼、蛇、悪魔、魔法使い、暗殺者、天馬、鷲獅子、魔導兵、巨人、魔獣、英雄などなど、多種多様な駒の中から、最弱とされる妖魔の駒を示す。
「それでは、こちらは歓迎の準備を万全にしておこう」
アルアークはそう言って、本来は王の駒を配置すべき黒の陣営の中心に妖魔の駒を置いた。それに合わせて、妖魔を守るように動く戦士の駒もあれば、白の陣営に強襲をかけようとする騎士の駒もある。
そしてさらに、盤の外側から黒い駒が次から次へと盤上に上ってきて、城の陣営を囲んでいく。蟻が砂糖に群がるような駒の動きを見ながら、地下帝国の君主達は口元を綻ばせ、蒼い瞳を細めるのであった。
* * *
緑の広がるロナン王国の大平原に、何千何万という天幕が張られていた。
天幕を支える支柱には、各地から集まってきた騎士団の旗が翻っている。
百戦百勝と名高いブルトーム伯爵の翡翠騎士団、残虐非道で味方からも恐れられるオルデア男爵の白翼騎士団、勇猛果敢な戦獅子と呼ばれるオスカー豪胆公の率いる赤槍騎士団など、ロナン王国の名だたる領主達の旗である。
また、ロナン王国の軍勢がひしめく場所から少し離れた所に、ロナン王国とは長年険悪な関係にあるベティア帝国軍の野営地があった。
兵の数はロナン王国に比べて大きく劣るが、ベティア帝国軍で最強を誇る皇帝近衛騎士団や、飛竜を操る騎士で構成された竜盟師団、黒鉄師団の残存兵力を吸収し膨れ上がった砂塵師団など、ベティア帝国軍が有する強者ぞろいの兵団である。
両国は魔法帝国を滅ぼす際には協力して戦ったものの、国が発展するにつれて対立を深めていった歴史があった。
ベティア帝国は作物を育てるのに適した大地を求め、ロナン王国は鉱物資源が豊かな山脈を欲した。決定的な不仲をもたらした出来事は、二百年ほど前に起きた。
それまでも、食べていくのに精一杯だったベティア帝国が王族でさえも食べ物に困り、多くの餓死者を出す大飢饉に見舞われたのだ。その時、ロナン王国の貴族や商人達は、他国へ売る食料に今までの数十倍もの値を付けたのである。商取引なため値上げもありえるが、それまでは飢饉でもせいぜい三倍程度の値上げであった。
この傍若無人な振る舞いにベティアの皇帝は激怒し、ロナン王国に宣戦を布告。
このまま飢えて死ぬくらいならばと、軍を率いて進軍を開始した。これに対してロナン王国は、ベティア帝国の五倍の兵力で迎え撃った。
しかし、ロナン王国にとってその結果は悲惨なものとなった。
山脈から採れる鉱物資源から作り出された当時最新の装備と、飢え死にしてなるものかという高い士気に支えられたベティア帝国軍は、ロナン王国の兵士達を完膚なきまでに叩きのめし、敵国領内の食料を奪い尽くした。
さらにベティア帝国軍はその勢いに乗じて、王都へと進撃。
対して当時のロナン国王は、自国全土に焦土戦術を命じた。
帝国軍の進軍ルートにある自国の村々を焼き払い、敵の食料補給手段を絶ったのである。
先に述べた通り帝国の食料事情は最悪だったため、現地での略奪が不可能となっては、王都侵攻を断念し、手にした僅かな食料と共に、本国へ帰還するほかなかった。
そんな過去の因縁もあり、王国と帝国は対立が続いている。
ちなみに、この飢饉を終わらせたのは、聖王国と魔法帝国がそれぞれ独自に開発した肥料だった。農作物に害を与える病を駆逐し、成長を促進させる力のある肥料を使ったことにより、大飢饉はゆっくりと収束していったのである。
現在、この時の大飢饉を乗り越えられたのはすべて聖王国の功績とされているが、実際に肥料作成のノウハウを提供し食料援助を惜しまなかったのは魔法帝国だった。聖王国は研究成果を外交取引のカードに使う算段であっただけに、両国に無償で食料援助や技術提供をした魔法帝国に恨みを持つようになったのだ。それ以来、聖王国は魔法帝国と事あるごとに対立する関係となった。
ちなみに魔法帝国は、これらの技術を共有することで、各国の文明レベルの向上を望んでいた。全体が豊かになれば、最終的に魔法帝国も栄えるという考え方だったが、残念ながら成功しなかった。それどころか、後に力を取り戻した両大国から危険視され、滅ぼされる運命を辿ったのである。
魔法帝国は自国の技術を他国に渡して、多くの餓死者を救ったにも拘らずだ。
その後、両国は再び懲りずに国境線で小競り合いを始めた。
しかし、辺境の小国を制圧するために送り込んだ騎士団が次々と敗北したのに加え、妖魔達が領地を侵略し始めたとあっては、いつまでもそんなことを続けているわけにはいかなかった。迎撃の兵を送り出したものの、いずれも返り討ちにあっている。
このままではまずいと両国が考え始めた時、タイミングよく聖王国から使者が来た。
「地の底に潜む邪悪を討つ為、各国は正義の旗の下に集うべし!」
聖王国は、辺境の小国フェーリアン王国にある地下迷宮こそが、今回の災厄の元凶だとして、第二次聖征戦争に踏み切ることを宣言した。
ロナン王国とベティア帝国はいがみ合いながらも、聖王国の仲介を得て軍を起こしたのである。聖王国の呼びかけを無視するという選択肢はなかった。
なぜなら、ロナン王国内には聖神教会の信徒が多数いるため、聖王国の要請を無視すれば民衆が暴動を起こす可能性が高い。一方、聖王国の信徒が少ないベティア帝国側も、聖王国と親交の厚い商業国家キレトスに多額の負債を抱えている。したがって参戦を断ろうものなら、国交断絶という事態も招きかねない。そうなれば国内の物流が止まってしまう。
そうした諸事情により、両国は兵士を集めたのだが、大軍勢を率いる者となれば、それは両国の指導者しかいない。
ロナン王国の国王、フェルセネク・メル・ロナン。
ベティア帝国の皇帝、ゲッエンベルグ・グデルスフィア・ベティア。
魔法帝国を滅ぼした王達が自ら出陣し、兵士達の暴発を抑えている。そしてもちろん、今回の第二次聖征戦争の招集をかけた聖王国の指導者も兵を率いて参戦していた。
その名は聖王イル九世。
さらに聖王の懐刀である、魔法帝国の皇帝を殺した勇者カルテン。
聖王国の重鎮エリオンが率いる神聖騎士団と、大陸全土から馳せ参じた聖神教会の熱烈な信徒達で構成された聖神教会戦闘司祭団の司祭長ホムテス、その両名が両翼を支えるようにして従軍している。
彼ら聖王国軍は、ロナン王国とベティア帝国の軍勢を監視すべく、少し離れた場所で待機していた。
上空から見れば、それぞれの軍勢はちょうど正三角形をなし、その一頂点に位置するように聖王国軍が陣を張っているのがわかるだろう。
各国の兵士をすべて集めれば、三十万もの大軍勢となる。
この時代に、これだけの兵力を集めるのは至難の業だ。維持し続けるのも難しいこの軍勢が瓦解せずにいられるのは、大陸一の宝物を有する商業国家キレトスの大商人達が惜しみない支援を行っているからである。
商人達の望みは、戦争で得た土地で優先的に商売をさせてもらうことだった。
そんな聖王国軍の陣地では、今後の方針を決めるべく、各国の指導者が集まっていた。
場所は、聖王のために張られたひときわ大きな天幕の中である。
「よくぞ集まってくれた」
聖王イル九世が穏やかな声で言う。
その言葉に、ロナン王国の王フェルセネクは恭しく頭を下げた。
「聖王陛下、お目にかかれて光栄です」
「フェルセネク殿、相変わらずじゃのぉ~。そう畏まらずともよい。同じ国王同士、仲良くやろうではないか」
聖王は、ロナン王国の王にそう語りかける。
フェルセネク王は、もじゃもじゃの白い髭を蓄えた老人だった。豪華な冠を載せた頭にはわずかな白髪が残るのみで、毛髪はほとんど抜け落ちている。外見は実際の年齢よりも老け込んでおり、聖王とそう変わらぬように見えた。しかも、ひどくやせ細っており、緑色の濁った瞳はどこか狂気を感じさせる。
好々爺といった印象の聖王に対し、フェルセネク王は常人とは異なる危険な雰囲気に満ちているのだが、意外と腰は低い。
「はっ、お心遣い感謝いたします。ですが、私は国王である前に聖神の教えに従う信徒の一人です。教皇猊下の信頼も厚い貴方様に礼を尽くすのは当然のことです」
しかしその声は、さすがに長年王座に就いていただけに貫録があり、聞く者を黙らせてしまう迫力があった。
「ホッホッホ、嬉しいことを言ってくれるのぉ。貴殿は、奥方と令嬢の次くらいには、儂に気を使ってくれておるのかな?」
「おお、そうでした。後ほど、我が妻と娘をご紹介させていただきます。以前に会われた時よりも、美貌に磨きがかかっております」
ロナン国王とは遥かに年の離れた王妃、そして王妃の連れ子である王女の美貌は大陸中に響いている。
フェルセネク王は彼女達を溺愛しており、片時も傍を離れぬ、と有名だった。
「おやおや、こんな戦場まで連れてきたのか? ご婦人には辛くないかのぉ?」
「ご安心を。手練れの女騎士達に守らせております。どこぞの野蛮人が血迷ったとしても、すぐに返り討ちに遭うことでしょう」
ロナン国王の嫌味に、ベティア帝国の皇帝は不服そうに鼻を鳴らす。
それを潮に、聖王は話し相手を替えた。
「ゲッエンベルグ殿は、だいぶお変わりになられましたな。魔法帝国で手に入れた若返りの薬の力ですかな?」
「その通りだ」
ゲッエンベルグはぶっきら棒に返した。
獅子の鬣のように豊かな赤髪、暗闇でも輝きそうな琥珀色の目を持つ、三十代半ばの大柄な男だ。真っ黒な鎧で武装しており、手の届く位置に巨大な大剣を立てかけてある。その全身からは闘気が滲み出ており、常人ならば彼を見た瞬間にすくみ上がってしまいそうなほどの威圧感が放たれていた。
ベティア帝国内においては、彼は「武帝」「戦神」「獅子皇」と崇拝されており、ロナン王国からは「戦争狂」「血に飢えた獣」「狂乱帝」と恐れられている。
ちなみに、アルアークとハルヴァーの父にして今は滅びし魔法帝国の皇帝は、ゲッエンベルグを「戦時においては英雄王だが、平時では暴君」と評していた。
ベティア帝国の人間は、礼儀作法など気にしない。
それは、皇帝だろうとも例外ではなかった。
現にゲッエンベルグは、聖王を前にして不遜ともいえる態度である。ロナン国王が軽く非難するように睨み付けるが、ベティア帝国の皇帝は鼻で笑うだけだ。
「ホッホッホッ、若さを取り戻して、気力が余っておるようじゃのぉ~」
聖王は相変わらず穏やかに笑いながら、皇帝が発する嵐のような闘気を受け流す。
「安心しろ。今はお前達の国を攻撃するつもりはない。食料も女も奪わぬから、今のうちに好きなだけ楽しむといい」
嶮しい山脈と乾いた荒野を領土とするベティア帝国は、侵略戦争を繰り返しては、いくつもの領土を奪い取ってきた。豊かな平原を持つロナン王国はもちろん標的であり、聖神教会の聖地も例外ではない。
「恐ろしいのぉ~。人間同士、話し合いで解決したいものじゃ」
「ふん、魔法帝国を滅ぼすように招集をかけた男の言葉とは思えぬな」
「妖魔どもに与する者など、人に非ず。滅びて当然じゃろ?」
と言って聖王はニコリと微笑む。
その顔を見て、ゲッエンベルグ皇帝は再び鼻を鳴らし、腰から短剣を引き抜く。それを目にしたロナン国王は何か言おうとするが、それよりも先に皇帝が、机の上に広げられた地図に短剣を突き立てる。
「この戦では我らは同胞というわけだ。先陣を切るのは我らが引き受けよう」
その地図上に位置するのは、城塞都市リゼンベルク。
「貴様、何を勝手なことを! 元々、城塞都市リゼンベルクは我らロナン王国の領地。ベティア帝国の人間が必要以上にでしゃばるな!」
一喝するフェルセネク王だが、ゲッエンベルグ皇帝は取り合わない。
「貴様らが攻めたのでは、あの要塞は何年経っても落とせぬ。それに、今は妖魔どもに奪われているのだろう? 誰のものでもない」
「言わせておけばッ!」
フェルセネク王は唾を吐き散らしつつ叫び、怒りを露わにする。
「まあまあ、フェルセネク殿。まずは、ゲッエンベルグ殿にお任せしてみよう」
「なっ、聖王陛下!」
「ただし、すべてを任せるわけにはいきませぬ。ベティア帝国は南から、聖王国とロナン王国は北から挟むように攻めましょう。そして、城塞都市の支配権はロナン王国のものとすること。先ほど、侵略者でないと言ったのですから、その言葉は守っていただきますぞ。もしも破れば、我らも黙ってはおりませぬ」
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