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5巻試し読み
5-2
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室内にいるのは暗緑色の鎧を身に着けた少女達だ。
アルアークが姿を見せると、少女達は一斉に跪いて臣下の礼を示した。
「これより、貴公らには地下迷宮を守る番人となる不死者を作り出してもらう。始める前に、何か質問はあるか?」
「はい、アルアーク様。実はシア様のお姿が見当たらないのです。どこに行かれたのかご存じではありませんか?」
少女の一人が不安そうに問いかけた。
「シアには特命を出した。しばらくは帰らない」
「危険な任務なのですか?」
「危険はない。使命を果たせば、ここにも顔を見せるだろう」
アルアークがそう答えると、少女はほっと安心した顔になった。
「では各々、準備は良いか?」
少女達は「はい」と返事をする。
「貴公らの思うように、番人を作成すると良い」
アルアークは続いて転移の魔法を唱え「死体保管所」から死体を呼び出した。
腐敗し、悪臭を放つ亡骸。
城塞都市リゼンベルクの戦いで命を落とした、ロナン王国とベティア帝国の兵士の死体である。
手足が千切れたものや上半身や頭部だけの死体もあるので、はっきりとした数は不明だが、おおよそ十体くらいだろう。鎧や衣服は剥ぎ取られ、剥き出しになった肌には蛆が湧いている。
死体を見慣れない者であれば吐き気を催す光景に違いない。しかしアルアークも少女達も、いたって慣れたものだ。人の原型を留めぬ無残な姿も、鼻が曲がるほどの腐臭も、すでに人でなくなった彼らには、さして気にならない。
「複数の死体を繋ぎ合わせた屍魔導兵を作るのはどうかしら?」
「地下迷宮で運用するのだから、逃げる相手を追い詰める|―飢えた食屍鬼が良いと思うけど……」
「攻撃的な不死者なら、彷徨える解体屋にするというのも捨てがたいわ」
「待って。ここは死体に見合った不死者にするべきよ」
〝命を弄ぶ者〟の呼び名に相応しく、様々な意見が飛び交う。粘土をこねくり回すように、死体を弄りながら、どんなものを作ろうかと話し合っている。いささかなりと道徳心のある者ならば眉を顰めるところだ。
やがて意見がまとまったのか、少女達は声を揃えて、不死者を生み出す魔法を唱える。
「――屍法、墓所の守護者」
その魔法に応じて、少女達の体から緑色の焔が吹き上がった。焔は死体に巻き付き、失われた四肢や半身を蘇らせる。かりそめの命が与えられた不死者の虚ろな眼窩に怪しげな光が灯った。すると不死者は呻き声を上げつつ、ゆっくりと体を起こす。
負の力を吸収し、何度でも再生復活する不死者の誕生である。
拠点防衛用に最適だと言えるだろう。
「何故それを選んだ?」
アルアークは問いかける。
「私達なりに、死者に対する敬意を示したのです。生前の彼らは守備兵のようでしたから、死後も同じ役職に就かせるべきだと考えました」
〝命を弄ぶ者〟は、死体に手を触れるだけで生前の記憶が読み取れる。その結果として、彼らにふさわしい役目を与えたのだった。
その悪徳に満ちた行いを「敬意の表明」と言う少女達の目はどこまでも純粋に輝き、アルアークの蒼い瞳をまっすぐ見返していた。
「すばらしい。それでこそ地下帝国の住民だ」
地下迷宮の支配者はそう称賛した。
少女達は慌てた様子で一礼する。
悪の種は芽吹き、すくすくと育っているらしい。無力だった少女達も、もはや何者にも犯される恐れはないだろう。
そのことに満足しながら、アルアークは指示を下した。
「では、今から言う場所に、その不死者を番人として配置して来い」
時を同じくして、アルアークの妹ハルヴァーは、ロナン王国軍を相手に使ってしまった罠を再設置すべく、地下第二階層にいた。
「水晶玉を通して遠隔操作して設置するというのでも良かったんだけどね。時間が許す限り、自分の目で見ながら修復したいんだ」
ハルヴァーが話しかけている相手は、〝十貴族〟の一員たる〝高等悪魔崇拝者〟エプリスクランであった。
漆黒の髪を持つ美丈夫で、悪魔を使役する魔法と悪魔を身に宿す魔法に精通している人物だ。彼は常々、自分のことを子供の守護者と語っており、シアが死神に命を奪われそうになった時も、さっそうと駆けつけた。
ちなみにハルヴァーは美少女だが、エプリスクランにとってはギリギリ守備範囲外の年齢らしい。
「ハルヴァー様が自らおみ足を運ばれ、領地の安寧にお力を尽くされるお姿に、配下である私このエプリスクランは、涙が溢れんばかりにございます」
あまりに仰々しい物言いに、ハルヴァーはややうんざりしたらしく、「もっと肩の力を抜きなよ」と言いつつ、手は早くも罠の補修に取りかかっていた。
ここを通行する敵を押し潰すための「転がる大岩」は、ほぼ使い尽くしてしまったので、新たに大岩を嵌め込む必要がある。角がとれて丸くなった大岩に破壊力を持たせ、勢いよく転がるように、魔法を付与しなくてはならない。
壁の隙間から現れて敵の命を狩りとる「ふりこ式の大鎌」もあるが、その大鎌は血で錆びついていた。こちらに関しては〝高等悪魔崇拝者〟から手先の器用な悪魔を呼び出し、新品同然に磨くよう命じる。
本物の竜そっくりの唸り声を上げて敵を威圧する「偽竜」は、利口な冒険者に正体を見破られ破壊されたので、一から組み立て直す作業も必要だった。今度は壊されないように、触れた瞬間に感電する魔法の防護も忘れずに付与しておく。
「そう言えば、ユニーク・モンスターのロード種はどうしているのでしょうか?」
エプリスクランが訊いた。
ロード種とは、魔法帝国の貴族達の魂を素材に作り出された存在で、〝十貴族〟の祖先にあたる。そして、彼らは地下帝国の管理人でもあった。
「城塞都市リゼンベルクやロナン王国、それにベティア帝国の首都から、我が地下迷宮へ通じる道をすべて迷宮にしようと思ってね。みんな、その作業に従事してもらっているよ」
ハルヴァーの言う通り、邪悪にして悪辣なる地下迷宮と各都市を結ぶ道は着々と迷宮化している。地下迷宮は、まるで蟻の巣のように大陸全土に広がりつつあるのだ。大都市を丸々呑み込むほどのものではないが、ダンジョンとしては充分に機能する。
その点について、兄妹はこれまであまり目を向けてこなかったのだが、「せっかく作った道なのだから簡易であっても迷宮にすればいい」と、地下迷宮の管理人であるロード種を派遣することになったのだった。
「しかし何故、今そのようなことを?」
エプリスクランは首を傾げた。
すでにロナン王国やベティア帝国は滅んだも同然なのである。
今さら彼らの領地に地下迷宮を生み出しても、あまり旨みはない。
「それはもちろん、今後のためだよ」
ハルヴァーは大岩に魔力を付与しながら、そう答えた。
「聖王国を滅ぼした後、地下帝国の臣下に与える領地が必要でしょ?」
その臣下とは、凄まじい勢いで増え続ける妖魔達のことだ。
大自然の神秘を語る〝高等自然崇拝者〟コルストエルムによれば、あらゆる生き物は、総数が減るに従い生まれる数が増え、総数が増えれば生まれる数は減る。
とはいえ、ハルヴァーには実際にそうなるかどうかわからない。
だから、増え続ける彼らを受け入れられるように領土を拡大しているのだ。
幸い、妖魔の多くは深い地の底でも生活できる。プルックは地上で生きていきたいようであったが、戦いが終わって妖魔の数が減る心配がなくなれば、あるいは〝高等自然崇拝者〟コルストエイムの予想が外れたとしたら、再び領土を巡る争いが起こるだろう。
「まあ、役に立たなかったら、役に立たなかったでいいけどね」
ハルヴァーは笑って言う。地底が迷宮になっていようとも、地上に影響がなければ困る者はいないはずだ、と。
アルアークとハルヴァーの復讐心は、今は世界を蝕む猛毒だが、復讐が果たされた後は、それも無害な存在となる。
よって、地下迷宮に住み着くのもよいだろうし、目障りだったら埋め立てればよい、と。
「そんなことよりも、罠の修復は終わったかな?」
「はい」
〝高等悪魔崇拝者〟エプリスクランは頷いた。
彼が呼び出した小悪魔達の手により「ふりこ式の大鎌」の刃は新品同然に輝いている。
「それじゃあ、次に行こうか」
広大な地下迷宮には、まだまだ数多くの罠があるのだ。
さすがにそのすべてに直接手入れをするのは難しいが、ハルヴァーはできる限り自らの手で修復しておきたかった。
多くの命を奪ってきた罠であり、彼女の罪の証でもあるのだから。
それが風化することのないように、彼女は精魂込めて、罠の修復を行うのであった。
この世の悪が絶えることがないようにと願いながら。
* * *
黄金都市アルナスタリアムまで、あと少しというところまで迫った妖魔の軍勢。
血気盛んな妖魔達は頻繁に斥候を出し、どうやって黄金都市を蹂躙しようかと考えを巡らせていた。そんな中でプルックだけは苦い顔をして、アルアークへの伝令に遣わせた息子が戻ってくるのを待ちわびている。
しかし、伝令の帰還より先に、商業都市から使いの者が訪れた。
「使者だと?」
「へい、数十人ほどで、酒や家畜を持ってきました」
プルックは額に皺を寄せながら、配下に命令を下す。
「罠かもしれない。敵兵が隠れていないか、四方八方に偵察兵を出せ」
「了解しやした。使者は血祭にして、我が軍の士気を高めるのに使いますか?」
「いや、まずは話を聞こう。その上で、どうするかを判断する」
プルックはそう言うと、使者が暗殺者に変じた場合に備え、身代わりを用意した。
プルックに背格好の似ているゴブリンに王冠を被せ、それらしい衣装を着せてやる。こうすれば、人間には見抜けない。プルックはこう考えて、自分は護衛兵の武具を着用し、身代わりの隣に立つことにした。
これならば相手の姿を間近に見られるし、配下の者に指示を出すこともできる。
「いいか、俺の言ったことをそのまま伝えるんだぞ」
「へい、大族長のお言葉を伝えます」
プルックの命に従うと、身代わりは素直に返事をする。
そのほか細かい点を打ち合わせているうちに、商業国家の使者が姿を現した。
大商人アルムと、彼につき従う商人達である。
(戦士ではないな。さほど威圧感はない)
プルックは相手の物腰や歩き方などから、そう見抜いていた。
(となると本当に使者なのか。あるいは一流の暗殺者なのか。二つに一つだ)
手練れの暗殺者だとすれば、さながら一般人のように何の危険も感じさせずに標的に近づき、死の刃を突き立てるはずだ。目の前の相手がそうなのかそうでないのか、プルックにはわからなかったが、とりあえず警戒は怠らない。
「まずは名乗りを上げろ。それから、要件を言え」
プルックの指示に従い、影武者がそう声を発した。
それに応えて、使者の先頭にいた男が述べる。
「偉大なる妖魔の大王、お会いできて光栄です。私は商業国家キレトスの大商人アルム・アルギス・アルナスタリアムと申します」
殺気立つ妖魔に周囲を囲まれながらも、青年は〝蛇の舌〟の異名に恥じぬよう堂々と名乗った。
「本日は和平を結びたく参上いたしました」
(和平?)
プルックは顔をしかめたが、大商人に気づかれぬように、身代わりにそっと耳打ちをして、代弁させた。
「和平など受け入れられぬ。我らは主の命を受け、死と破壊を運んできたのだ。商業国家キレトスの大商人は、我らの主の祖国を滅ぼした。ゆえに、我らは貴様らの国を滅ぼす」
「ええ、そうした噂は聞いております。地下迷宮の王は、かって存在した魔法帝国の皇族の末裔であること、その魔法帝国と我々の国との間に戦があったことも承知しております。だからこそ私どもは和平の条件が成ると考えておる次第です」
「どういうことだ?」
プルックは思わず疑問を口に出してしまった。
幸い、身代わりのゴブリンも驚いて不思議そうに目を瞠ったので、先の台詞は王自身の口から出たものと商業国家の使者は解釈したようだ。まさか妖魔の王が身代わりを立てるという知恵を付けているとは思わなかったのである。
「この場にいるのは皆、魔法帝国を滅ぼすのに加担した商人達です。一方、現在アルナスタリアムにいるのは魔法帝国の滅亡に何ら関係のない者達です」
アルムが告白するのを聞いた瞬間――。
「なんだと!」
「貴様ラ、嬲り殺ス」
「串刺しだ。皮剥ぎだ。王への供物にするんだ」
「主の仇討ちだ」
すべての妖魔達が怒りの声を上げた。それだけアルアークとハルヴァーは慕われていると言える。
大商人の青年アルムも妖魔達の怒りを予想してはいたが、その予想を大きく超えていた。
海千山千の商売人である彼も肝を冷やすほどの殺意であった。
商人達の大半が腰を抜かし、アルムは背を嫌な汗が流れていくのを感じながら、心を奮い立たせて恐怖に耐えた。
「貴様、それが真実なら、死ぬ覚悟はできているのだろうな?」
プルックの身代わりも、牙を剥き出しにして威圧した。
アルムは必死に恐怖心を抑えながら平伏して言う。
「ええ無論、生きて帰ろうなどとは思っておりません。ですが、魔法帝国に加担した大商人は我らだけではありません。我ら以外の者の多くは港町カルカナに向かい、この大陸から逃げ出そうとしております」
アルムの必死の弁明を聞きながら、プルックはその大商人達に呪いの言葉を吐いた。
(同族を見捨てて逃げるだと!? あるあーく様の言った通りだが、随分と逃げ足が速いことだ! 卑劣な人間どもめ! 決して生かしては帰さん。必ず殺してやる!)
ゴブリンの王でありながら、彼は臆病なのだが、さすがに仲間を見捨てて逃げるようなマネはしない。
そこへ、さらに青年が言う。
「私どもは命を差し出す覚悟でここへやって参りました。その上で、逃亡をはかる大商人達が港町へ向かうルートをお教えします。ですからどうか、アルナスタリアムを破壊することは思いとどまっていただきたいのです。都市が破壊され、商人もいなくなれば、大陸各地の村々が飢えて、暴動が起こるでしょう」
「脅しているつもりか?」
プルックの身代わりは問いかけた。
「いえ。私どもは商人ですので、利益と不利益を秤にかけ、互いが利する道を選んでいただければと思っているだけです」
「貴様らは命すらなくなるというのに、いったいどんな利益があると言うのだ?」
「まずアルナスタリアムの破壊をおやめください。そして商人達に、今まで通りの商売を許してほしいのです。そうすれば黄金都市の者達は、地下帝国の支配を受け入れるでしょう」
それはプルックの望みでもあった。
アルアークとハルヴァーは、地上の領土にはあまり興味がない。復讐の対象者を捕らえることができたならば、それ以上の破壊は求めないだろう。
「次に死者の尊厳を守っていただきたい。おとなしく命を差し出す代わりに、私達をゾンビなどの化け物にせず、死者は慣例通りに先祖が眠る墓に埋葬してください」
大商人は要求を続けた。
死後も責め苦を与える地下帝国のやり口を知っているかのようである。
「逃げた者達は?」
「どうしようとかまいません」
アルムはそう言って頭を下げた。
難しい話を理解できない妖魔達は「殺せ殺せ」と騒ぐのみだが、プルックはどうしたものかと頭を抱えた。アルムとかいう青年の望みは、プルックにとってもそう悪いものではなかったのである。
青年の提案に従えば、主人の望む者達を捕らえられるし、無駄な犠牲を出すこともない。
問題は、この商人に騙されていないかどうかである。
「貴様ら死ぬと言いながら、生きて逃げるつもりじゃないのか?」
警戒するように告げた。
もしも逃がしたとなれば、プルックといえども厳罰は免れない。
「そんなことはありません。それを今から証明いたしましょう」
アルムがそう言うと、背後に控えていた大商人が前に進み出る。
彼の手には、交渉の場にはふさわしくない黄金の酒瓶が握られていた。
「……」
大商人は体を震わせながら、一気に酒瓶の中身を呷った。
「うぅ、ぐはぁ!」
酒を飲んだ大商人は目から血の涙を流して、さらには口からも血を吐いてバタリと倒れた。
プルックは「調べろ」と命じる。
護衛の一人が慌てて近くに寄り、「死んでいる!」と叫んだ。
「いったい、何を飲んだ?」
「黄金蟲の卵をすり潰して作り出した毒酒で、貴人が自害する時に飲むものです。この毒は魂を穢す力があり、聖神教会の高司祭であっても、蘇生させることができぬほど強力です」
アルムの言葉を聞き、プルックはゾッとする。
「ほ、本当か?」
「魔法帝国に連なる方々なら知っているはずです。どうぞご確認ください」
淡々と落ち着いた声で言った。
「いかがでしょうか? 交渉がまとまろうが、まとまらなかろうが、我らはこの酒を呷って死にます。ですが、その時は逃げた者達の多くを取り逃がすことになるでしょう。運河に加え、いくつもの裏街道がありますゆえ」
止めとばかりに舌鋒鋭く熱弁を振るう。
(こいつの目は本気だ)
プルックは体を震わせる。
(どちらを選んでも、こいつらが死ぬことには変わりない。なら、逃げた奴らの情報を吐かせた方が得だな)
プルックはしばらく悩んだ末、結論を出した。
「いいだろう、さっさと逃げた大商人の行方を教えろ。言っておくが、嘘を教えるんじゃないぞ。その時はこの都を焼き払って、貴様らの死体は永遠に地下迷宮に繋がれるものと思え」
そう言って釘を刺す。
「もちろんです」
袂を分かった大商人の運命など知ったことではないと、アルムはエルギス達が逃げた方角を教えた。もちろん、彼しか知らない裏道などが書かれた地図も隠さずに渡すつもりである。
(さて、これが吉と出るか凶と出るか)
アルムの話を聞きながら、プルックは難しい顔をした。
人間は信用ならない。妖魔にとって人間は、遥か昔からの天敵であり、聖神教会による迫害が始まってからは、不倶戴天の相手なのだ。敵ながら、馬鹿ではないから扱いに困る。
アルアークとハルヴァーの加護を得てもなお、人間すべてを滅ぼすことは不可能だろう。彼らが自分達ゴブリンを滅ぼせなかったように。
(黄金都市を滅ぼしたとしても、少なくない数の人間が生き延びて、いずれ復讐の火の手を上げるだろう)
プルックはそう確信していた。
ゴブリン達にとって不都合な未来を回避するためには、可能な限り譲歩する必要がある。
同時に、地下帝国の王への手土産を忘れてもならない。
「逃げた大商人を追うぞ。運河を封鎖しろ!」
「運河を使わずに逃げる者もいるでしょう。こちらの地図に裏街道が記されておりますので、お役立てください」
アルムは懐から地図を出して献上した。
献上品を受け取った身代わりの横からプルックはその地図にさっと目を通し、先ほどと同じように耳打ちする。身代わりは即座に、背後の騎兵部隊に追撃を命じた。
妖魔の大族長の命を受け、狼や猪や巨大な昆虫に跨った妖魔達が歓声を上げる。
これから怪物騎兵部隊による追撃戦が始まるのであった。
彼らの声を聞きながら、アルムは顔を伏せる。
その顔にはすべて上手く事が運んだと、満足げな笑みが浮かんでいた。
* * *
風のような速さで地下迷宮に帰還した〝狼乗り〟グラッドは、地下迷宮の支配者に急ぎの伝言があると告げ、「王の間」へ通されていた。
そこにアルアークの姿はなく、ハルヴァーが黒の王座に身を預けていた。
人間の美醜がわからぬゴブリンのグラッドから見ても、ハルヴァーの姿は美しい。この兄妹には性差どころか、種族を超越した魔性の美があるのだ。
ハルヴァーは、いつもと変わらぬ邪悪な笑みを浮かべて、何の用事か問いかけた。
「親父殿から伝言があります」
ハルヴァーの体から溢れる魔の気配に怯えながら、グラッドは声を震わせる。
「伝言? なんだい?」
「へい、大商人達は何としても捕らえるので、アルナスタリアムを焼き払うのは考え直していただきたいとのことです。っていうのも、あそこにいる商人を全員殺してしまえば、各地で人間共の暴動が勃発するのではと、親父殿は心配しているのです」
「なるほど、私達が何も言わなくても、君らはきちんと未来を考えているんだね」
ハルヴァーは穏やかな口調で応じていたが、ふと意地悪そうに尋ねた。
「私が嫌だと言ったら、どうするつもり?」
「アルアーク様とハルヴァー様の今後の統治にも影響することかと思いやす。どうか、賢明なご判断をと……」
グラッドは頭を伏せる。
反乱する気など欠片もない。
だが、忠臣であればこそ、意見を口にせねばならない時もあるのだ。
「〝高等魔女〟アリスアハトス。君はどう思うかな?」
いつの間にか、ハルヴァーの傍らに一人の少女がいた。
背は低く、シアとそう変わらない年頃のように見えるが、大人びた雰囲気を持っている。
三つ編みにした黄金の髪を肩の辺りまで垂らし、それを片手で弄んでいるが、ハルヴァーは別段咎めるでなく、意見を求めた。
「商人というものは利を見て動きますので、我らが都市を支配するに至ったならば、我らの力を理解して、おとなしく従うでしょう。ですが、我らに力がなくなれば牙を剥くでしょう。そうなる前に、アルアーク様のご友人であるテオドール殿に頼んで、商人達を懐柔するのがよろしいかと思います」
アリスアハトスはもっともらしいことを言ったが、ハルヴァーの目はごまかせない。
「なるほどね。けど、まだ何かほかにもありそうだね。我慢は良くない。言いたいことを言いなさい」
「では、お言葉に甘えまして。魔法帝国の残党である我らとしては、心情的に納得がいきません。我らは復讐の軍勢であり、商業国家キレトスは許すことができぬ存在です。その都市をすべて灰燼と化してこそ、気が晴れるというもの」
〝高等魔女〟は面白そうに言う。それが嘘偽りのない本心であり、願いだった。
そしてその思いは、ハルヴァーも同じである。
グラッドは説得に失敗したと、身を固くした。
「それじゃあ、グラッド。アルナスタリアムを制圧した後のことは、テオドール君に任せるから、君は闇商人の護衛をしてもらえる?」
「へ?」
「プルックの意見を受け入れるということだよ。黄金都市は破壊しない。その代わり、我らの祖国を滅ぼすことに関与した罪人どもを捕らえてきなさい」
ハルヴァーは当然といった顔で言う。
隣にいるアリスアハトスも異論はなさそうだ。
「い、いいんですか?」
グラッドは呻くように伺った。
あるいは、自分の聞き違いかと、一瞬、耳を疑ってしまう。
「私達の気が晴れるのと、君達の将来が明るいものになるのと、どちらが良いか、天秤にかけただけだよ」
狼乗りの妖魔グラッドは、ちらりと魔女の方に視線を向ける。
――それでいいのか?
その問いかけるような視線を受けて、三白眼の魔女は妖魔を見下ろしながら語った。
「私は陛下ほどには君らのことを気にかけてはいない。だけど私達〝十貴族〟がいない間も、両陛下のために戦い続けてきた君らの勲功には敬意を表する」
意地の悪い笑みを投げつつ、彼女は言う。
皮肉げに相手の悪癖を指摘する彼女にしては、ほとんど最高に近い賛辞であろう。
「さあ、私の気が変わらないうちに行きなさい」
ハルヴァーは邪悪なる笑みを浮かべながら、グラッドに退出を促した。
妖魔グラッドが去った後、ハルヴァーはアリスアハトスに尋ねた。
「ああでも言わないと、グラッドは納得しなかったと思うけど、どうかな?」
「彼は今も内心疑っているでしょうが、このまま何もなければ、最終的には陛下の慈悲に感謝する以外にありませんよ」
アリスアハトスは三つ編みを片手で摘まんでは、こねくり回している。
「で、アリスアハトス。プルックが心配しているのは、物資の輸送が滞ることによって起こる混乱だから、それさえなければいいわけだよね?」
地下帝国の君主は〝高等魔女〟に問いかける。
「ええ、表面上の混乱が起きなければ、妖魔も人間達も気にしないでしょう」
「君に任せていいかな?」
「お役に立てるのでしたら、これ以上の喜びはありません」
〝高等魔女〟は深々と頭を下げた。
国を滅ぼされた恨みが晴れない限り、敵を許すはずがないのである。
だが、それを強行すれば、妖魔達の心が離れていくだろう。妖魔に媚を売るつもりなどこれっぽっちもないが、せっかく築き上げた信頼関係をむざむざ壊す必要もない。
「十年、二十年、三十年と時間をかけて、堕落した都に作り変えましょう。商人達には暴利を貪らずにいられないように働きかけましょう。そうやって、魔女釜の中のような混沌たる都市にする……。妖魔達の方から、『どうか、あの都を滅ぼしてください』と嘆願するように仕向けてさしあげますよ」
今は生活に役立つ仕組みのある都であっても、歯車を狂わせてしまえば害悪しかもたらさない。
相応に長い年月が必要だが、〝高等魔女〟である少女にとってはそれほどの時間ではない。
「それは面白そうだ。ただ、できるものなら、アルナスタリアムが破滅するさまを見ておきたかったけど……」
「少し、お待ちいただくわけにはいきませんか?」
「残念ながら、その時間はない。運命の歯車は、勢いを増しているからね。私は大商人達の血と肉、魂で満足するとしよう」
アリスアハトスはもう何も言わず、ただ悲しげに目を伏せた。
* * *
大商人エルギスは自らの持てる財産をかき集め、ただ一人の身内である孫を伴い、大慌てで港町カルカナへ向かっていた。
彼らを乗せた馬車が、けたたましい音を立てて石畳の上を走る。
「急げ急げ、遅れるな!」
エルギスは老人とは思えないほどの元気な声を張り上げた。
馬車には、彼の一族だけではとても使いきれない財貨が積んである。
「妖魔どもに追いつかれる前に、少しでも遠くに逃げるのだ。馬を使い潰してもかまわん。どうせ、海の上にまでは連れていけぬ」
通常ならば運河を通った方が速い。現に、その方法で港町へ向かう商船団もある。
だが今は無数の船が我先に逃げ出そうとしているため、水上の交通混雑が甚だしく陸路の方がよほど速く移動できる。
エルギスはこの状況を踏まえ、船に積み込もうとしていた財産を馬車に移すよう使用人に命じた。そして、ごく一部の者にしか知られていない裏街道を通り、港町を目指したのであった。
エルギスとその取り巻き一行の数は、およそ百名ほど。
護衛には、高給で雇い入れた傭兵達と使用人があたっていた。
「おじい様、何をそんなに急いでいるの?」
孫が無邪気に訊くので、先ほどまで怒鳴っていた老人が、今度は打って変わって猫なで声になり、優しく諭す。
「恐ろしい妖魔どもが、都を包囲しようとしているのだよ。あのままあそこにいたら、どんな殺され方をするかわかったものではない。だから、少しでも速く、遠くに逃げるんだ」
王に近い立場でありながら、あっさりと民を見捨てた老人も、自分の孫となると話は違うらしい。
老人は孫の頭を撫でつつ、「もう寝なさい。何も心配いらないから」などと言っている。
だがその時、外を固めていた護衛が警告を発した。
「エルギス老。霧が出てきました」
「霧?」
窓を開けて外を見ると、いつの間にか深い霧に包まれている。
「前が全く見えません。速度を落とさなくては……」
護衛が言う通り、十メートル先も見えないほどの濃霧である。
霧に視界を塞がれ、道に迷う恐れがある。それどころか、前を進む馬車に激突してしまうかもしれない。エルギスは神に悪態を吐いた。
「聖神め、今まで散々金を注ぎ込んでやったのに、こんな時に我らに不運を呼び寄せるとは!」
信仰心による寄進ではなく、聖神教会に良い顔をしたいから金をばら撒いただけ、という事実は都合よく頭の隅に追いやってしまったらしい。
さらに間の悪いことに、妖魔が現れて行く手を阻んだ。
「妖魔どもです!」
「くそ、どうしてこの道がわかったのか……防げ、防ぐのだ!」
大商人アルムが教えた道を突き進んできた妖魔達は、目指す標的にようやく追いつき、鬨の声を上げて馬車に襲い掛かった。あちらこちらで悲鳴が響き渡り、鉄と鉄がぶつかり合う音がする。
この濃霧の中でも、妖魔の騎兵である狼達は敵の位置を正確に突き止め、襲撃することが可能なのだ。その数はさほど多くはなかったが、大商人を護衛するはずの傭兵達は霧に取り巻かれて、大混乱をきたしていた。
ある者は恐慌状態になって逃げ出したところを後ろから斬り裂かれ、また別の者は「降伏するから命ばかりは助けてくれ」と泣きながら投降した。まさしく阿鼻叫喚の修羅場であった。
そんな中、エルギスは気丈にも魔法の武器を手に取り、もう片方の手で孫を抱きかかえ、馬車から逃げ出そうとした。
「逃げるぞ」
「おじいちゃん、こわいよ」
「大丈夫だ。儂にはこの剣がある」
エルギスが手にしているのは、かつて魔法帝国を滅ぼした際に聖神教会の司祭から渡された短剣だった。力のない老人でも敵を撃退できるよう、短剣には魔法がかかっている。その短剣は所有者を守るべく、禁断の魔法の力によって必要に応じて変化するのだ。
「さあ、おとなしくついておいで。奴らには見えない死角があるはずだ」
エルギスは長年生き抜いてきた勘の良さを生かし、妖魔達の目をまんまと欺いて逃げおおせたかに見えた。
ところが、その行く手に、霧の中から姿を現した者が立ち塞がる。
「どちらへ行かれるのですか?」
「港町でしたら、そちらの方角ではありませんよ」
相手はどうやら二人連れらしい。
「何者だ、お前らは」
「初めまして。私は〝十貴族〟が一人、〝高等死霊魔術師〟フラウスロートです」
「同じく、〝高等錬金術師〟アリストメギアです」
その声が近づくにつれ、次第に姿もはっきり見えてきた。銀色の巻き髪に、血のように赤い瞳を持つ美少女と、狐のような細目の青年だった。
少女の方は黒いフリルの付いたドレスを着ており、青年は趣味の悪い紫色の礼服を着ている。
「〝十貴族〟だと? 魔法帝国の生き残りか?」
エルギスはごくりと生唾を呑みこんだ。
「ええ、我が主の導きに従い、港町で待っておりましたが、一向に来てくださらないので、こちらから出向いてみました」
少女はそう言って、鋭い犬歯を見せる。
「吸血鬼か! すると、この霧も貴様の仕業か?」
エルギスはその正体を看破した。
「ええ、その通り。どちらも正解です。ご老人」
赤目の少女フラウスロートは嬉しそうに笑った。
その不思議なまでに魅力的な笑みに、年若い男性ならば一瞬で虜にされたかもしれないが、年老いたエルギスには通用しない。彼は短剣を向けて、威嚇しつつ、懐柔策を口にする。
「貴様らの勝ちだ。財産はくれてやる」
「おやおや、商人にとって財産は命よりも大事なものではないのですか?」
細目の青年アリストメギアが不思議そうに首を傾げた。
背がひょろりと高く、筋肉もさほどついていない。エルギスくらいの老人でも、その気になれば押し倒せそうである。
だが、ここで戦いを挑む危険性をエルギスは承知していた。そこで、交渉に長けた老獪な商人の口調で相手の油断を誘うことにする。
「私にとって宝は孫だけだよ。後のものはいくらでも替えが利く。貴様らとて、勝ち戦とわかっていながら、むざむざ命を落としたくはないだろ?」
そう言いながら老人は、短剣の魔力を発動させた。
「――起動、多頭竜の刃」
短剣が赤く輝き、刀身が伸びる。
無数に分かれた刃は、まるで意思を持つ蛇のように、魔法帝国の貴族の方へ鎌首をもたげた。
「この刃によってかすり傷でもつけば、たちまち毒素が全身を回り、黒く腐って崩れ落ちる。これは貴様らの魔法帝国でも禁忌とされていた宝物の一つなのだろ?」
合言葉により展開された刃は、使用者が念じるだけで敵にまで伸び、斬り裂くのである。
これまでにもエルギスは、この刃を何度か振るっている。
金で雇われた暗殺者、逆恨みをする傭兵など、すべてこの刃で始末してきた。
そして今、相手はたった二人なのだから、恐れる必要はない。
「さあ、消えろ!」
老人は怒声を上げるが、二人の魔法使いは面白そうに笑っているだけだ。
「これはこれは恐ろしい」
「確かにそれは、今は滅びし魔法帝国で禁忌とされた武器ですよ」
アルアークが姿を見せると、少女達は一斉に跪いて臣下の礼を示した。
「これより、貴公らには地下迷宮を守る番人となる不死者を作り出してもらう。始める前に、何か質問はあるか?」
「はい、アルアーク様。実はシア様のお姿が見当たらないのです。どこに行かれたのかご存じではありませんか?」
少女の一人が不安そうに問いかけた。
「シアには特命を出した。しばらくは帰らない」
「危険な任務なのですか?」
「危険はない。使命を果たせば、ここにも顔を見せるだろう」
アルアークがそう答えると、少女はほっと安心した顔になった。
「では各々、準備は良いか?」
少女達は「はい」と返事をする。
「貴公らの思うように、番人を作成すると良い」
アルアークは続いて転移の魔法を唱え「死体保管所」から死体を呼び出した。
腐敗し、悪臭を放つ亡骸。
城塞都市リゼンベルクの戦いで命を落とした、ロナン王国とベティア帝国の兵士の死体である。
手足が千切れたものや上半身や頭部だけの死体もあるので、はっきりとした数は不明だが、おおよそ十体くらいだろう。鎧や衣服は剥ぎ取られ、剥き出しになった肌には蛆が湧いている。
死体を見慣れない者であれば吐き気を催す光景に違いない。しかしアルアークも少女達も、いたって慣れたものだ。人の原型を留めぬ無残な姿も、鼻が曲がるほどの腐臭も、すでに人でなくなった彼らには、さして気にならない。
「複数の死体を繋ぎ合わせた屍魔導兵を作るのはどうかしら?」
「地下迷宮で運用するのだから、逃げる相手を追い詰める|―飢えた食屍鬼が良いと思うけど……」
「攻撃的な不死者なら、彷徨える解体屋にするというのも捨てがたいわ」
「待って。ここは死体に見合った不死者にするべきよ」
〝命を弄ぶ者〟の呼び名に相応しく、様々な意見が飛び交う。粘土をこねくり回すように、死体を弄りながら、どんなものを作ろうかと話し合っている。いささかなりと道徳心のある者ならば眉を顰めるところだ。
やがて意見がまとまったのか、少女達は声を揃えて、不死者を生み出す魔法を唱える。
「――屍法、墓所の守護者」
その魔法に応じて、少女達の体から緑色の焔が吹き上がった。焔は死体に巻き付き、失われた四肢や半身を蘇らせる。かりそめの命が与えられた不死者の虚ろな眼窩に怪しげな光が灯った。すると不死者は呻き声を上げつつ、ゆっくりと体を起こす。
負の力を吸収し、何度でも再生復活する不死者の誕生である。
拠点防衛用に最適だと言えるだろう。
「何故それを選んだ?」
アルアークは問いかける。
「私達なりに、死者に対する敬意を示したのです。生前の彼らは守備兵のようでしたから、死後も同じ役職に就かせるべきだと考えました」
〝命を弄ぶ者〟は、死体に手を触れるだけで生前の記憶が読み取れる。その結果として、彼らにふさわしい役目を与えたのだった。
その悪徳に満ちた行いを「敬意の表明」と言う少女達の目はどこまでも純粋に輝き、アルアークの蒼い瞳をまっすぐ見返していた。
「すばらしい。それでこそ地下帝国の住民だ」
地下迷宮の支配者はそう称賛した。
少女達は慌てた様子で一礼する。
悪の種は芽吹き、すくすくと育っているらしい。無力だった少女達も、もはや何者にも犯される恐れはないだろう。
そのことに満足しながら、アルアークは指示を下した。
「では、今から言う場所に、その不死者を番人として配置して来い」
時を同じくして、アルアークの妹ハルヴァーは、ロナン王国軍を相手に使ってしまった罠を再設置すべく、地下第二階層にいた。
「水晶玉を通して遠隔操作して設置するというのでも良かったんだけどね。時間が許す限り、自分の目で見ながら修復したいんだ」
ハルヴァーが話しかけている相手は、〝十貴族〟の一員たる〝高等悪魔崇拝者〟エプリスクランであった。
漆黒の髪を持つ美丈夫で、悪魔を使役する魔法と悪魔を身に宿す魔法に精通している人物だ。彼は常々、自分のことを子供の守護者と語っており、シアが死神に命を奪われそうになった時も、さっそうと駆けつけた。
ちなみにハルヴァーは美少女だが、エプリスクランにとってはギリギリ守備範囲外の年齢らしい。
「ハルヴァー様が自らおみ足を運ばれ、領地の安寧にお力を尽くされるお姿に、配下である私このエプリスクランは、涙が溢れんばかりにございます」
あまりに仰々しい物言いに、ハルヴァーはややうんざりしたらしく、「もっと肩の力を抜きなよ」と言いつつ、手は早くも罠の補修に取りかかっていた。
ここを通行する敵を押し潰すための「転がる大岩」は、ほぼ使い尽くしてしまったので、新たに大岩を嵌め込む必要がある。角がとれて丸くなった大岩に破壊力を持たせ、勢いよく転がるように、魔法を付与しなくてはならない。
壁の隙間から現れて敵の命を狩りとる「ふりこ式の大鎌」もあるが、その大鎌は血で錆びついていた。こちらに関しては〝高等悪魔崇拝者〟から手先の器用な悪魔を呼び出し、新品同然に磨くよう命じる。
本物の竜そっくりの唸り声を上げて敵を威圧する「偽竜」は、利口な冒険者に正体を見破られ破壊されたので、一から組み立て直す作業も必要だった。今度は壊されないように、触れた瞬間に感電する魔法の防護も忘れずに付与しておく。
「そう言えば、ユニーク・モンスターのロード種はどうしているのでしょうか?」
エプリスクランが訊いた。
ロード種とは、魔法帝国の貴族達の魂を素材に作り出された存在で、〝十貴族〟の祖先にあたる。そして、彼らは地下帝国の管理人でもあった。
「城塞都市リゼンベルクやロナン王国、それにベティア帝国の首都から、我が地下迷宮へ通じる道をすべて迷宮にしようと思ってね。みんな、その作業に従事してもらっているよ」
ハルヴァーの言う通り、邪悪にして悪辣なる地下迷宮と各都市を結ぶ道は着々と迷宮化している。地下迷宮は、まるで蟻の巣のように大陸全土に広がりつつあるのだ。大都市を丸々呑み込むほどのものではないが、ダンジョンとしては充分に機能する。
その点について、兄妹はこれまであまり目を向けてこなかったのだが、「せっかく作った道なのだから簡易であっても迷宮にすればいい」と、地下迷宮の管理人であるロード種を派遣することになったのだった。
「しかし何故、今そのようなことを?」
エプリスクランは首を傾げた。
すでにロナン王国やベティア帝国は滅んだも同然なのである。
今さら彼らの領地に地下迷宮を生み出しても、あまり旨みはない。
「それはもちろん、今後のためだよ」
ハルヴァーは大岩に魔力を付与しながら、そう答えた。
「聖王国を滅ぼした後、地下帝国の臣下に与える領地が必要でしょ?」
その臣下とは、凄まじい勢いで増え続ける妖魔達のことだ。
大自然の神秘を語る〝高等自然崇拝者〟コルストエルムによれば、あらゆる生き物は、総数が減るに従い生まれる数が増え、総数が増えれば生まれる数は減る。
とはいえ、ハルヴァーには実際にそうなるかどうかわからない。
だから、増え続ける彼らを受け入れられるように領土を拡大しているのだ。
幸い、妖魔の多くは深い地の底でも生活できる。プルックは地上で生きていきたいようであったが、戦いが終わって妖魔の数が減る心配がなくなれば、あるいは〝高等自然崇拝者〟コルストエイムの予想が外れたとしたら、再び領土を巡る争いが起こるだろう。
「まあ、役に立たなかったら、役に立たなかったでいいけどね」
ハルヴァーは笑って言う。地底が迷宮になっていようとも、地上に影響がなければ困る者はいないはずだ、と。
アルアークとハルヴァーの復讐心は、今は世界を蝕む猛毒だが、復讐が果たされた後は、それも無害な存在となる。
よって、地下迷宮に住み着くのもよいだろうし、目障りだったら埋め立てればよい、と。
「そんなことよりも、罠の修復は終わったかな?」
「はい」
〝高等悪魔崇拝者〟エプリスクランは頷いた。
彼が呼び出した小悪魔達の手により「ふりこ式の大鎌」の刃は新品同然に輝いている。
「それじゃあ、次に行こうか」
広大な地下迷宮には、まだまだ数多くの罠があるのだ。
さすがにそのすべてに直接手入れをするのは難しいが、ハルヴァーはできる限り自らの手で修復しておきたかった。
多くの命を奪ってきた罠であり、彼女の罪の証でもあるのだから。
それが風化することのないように、彼女は精魂込めて、罠の修復を行うのであった。
この世の悪が絶えることがないようにと願いながら。
* * *
黄金都市アルナスタリアムまで、あと少しというところまで迫った妖魔の軍勢。
血気盛んな妖魔達は頻繁に斥候を出し、どうやって黄金都市を蹂躙しようかと考えを巡らせていた。そんな中でプルックだけは苦い顔をして、アルアークへの伝令に遣わせた息子が戻ってくるのを待ちわびている。
しかし、伝令の帰還より先に、商業都市から使いの者が訪れた。
「使者だと?」
「へい、数十人ほどで、酒や家畜を持ってきました」
プルックは額に皺を寄せながら、配下に命令を下す。
「罠かもしれない。敵兵が隠れていないか、四方八方に偵察兵を出せ」
「了解しやした。使者は血祭にして、我が軍の士気を高めるのに使いますか?」
「いや、まずは話を聞こう。その上で、どうするかを判断する」
プルックはそう言うと、使者が暗殺者に変じた場合に備え、身代わりを用意した。
プルックに背格好の似ているゴブリンに王冠を被せ、それらしい衣装を着せてやる。こうすれば、人間には見抜けない。プルックはこう考えて、自分は護衛兵の武具を着用し、身代わりの隣に立つことにした。
これならば相手の姿を間近に見られるし、配下の者に指示を出すこともできる。
「いいか、俺の言ったことをそのまま伝えるんだぞ」
「へい、大族長のお言葉を伝えます」
プルックの命に従うと、身代わりは素直に返事をする。
そのほか細かい点を打ち合わせているうちに、商業国家の使者が姿を現した。
大商人アルムと、彼につき従う商人達である。
(戦士ではないな。さほど威圧感はない)
プルックは相手の物腰や歩き方などから、そう見抜いていた。
(となると本当に使者なのか。あるいは一流の暗殺者なのか。二つに一つだ)
手練れの暗殺者だとすれば、さながら一般人のように何の危険も感じさせずに標的に近づき、死の刃を突き立てるはずだ。目の前の相手がそうなのかそうでないのか、プルックにはわからなかったが、とりあえず警戒は怠らない。
「まずは名乗りを上げろ。それから、要件を言え」
プルックの指示に従い、影武者がそう声を発した。
それに応えて、使者の先頭にいた男が述べる。
「偉大なる妖魔の大王、お会いできて光栄です。私は商業国家キレトスの大商人アルム・アルギス・アルナスタリアムと申します」
殺気立つ妖魔に周囲を囲まれながらも、青年は〝蛇の舌〟の異名に恥じぬよう堂々と名乗った。
「本日は和平を結びたく参上いたしました」
(和平?)
プルックは顔をしかめたが、大商人に気づかれぬように、身代わりにそっと耳打ちをして、代弁させた。
「和平など受け入れられぬ。我らは主の命を受け、死と破壊を運んできたのだ。商業国家キレトスの大商人は、我らの主の祖国を滅ぼした。ゆえに、我らは貴様らの国を滅ぼす」
「ええ、そうした噂は聞いております。地下迷宮の王は、かって存在した魔法帝国の皇族の末裔であること、その魔法帝国と我々の国との間に戦があったことも承知しております。だからこそ私どもは和平の条件が成ると考えておる次第です」
「どういうことだ?」
プルックは思わず疑問を口に出してしまった。
幸い、身代わりのゴブリンも驚いて不思議そうに目を瞠ったので、先の台詞は王自身の口から出たものと商業国家の使者は解釈したようだ。まさか妖魔の王が身代わりを立てるという知恵を付けているとは思わなかったのである。
「この場にいるのは皆、魔法帝国を滅ぼすのに加担した商人達です。一方、現在アルナスタリアムにいるのは魔法帝国の滅亡に何ら関係のない者達です」
アルムが告白するのを聞いた瞬間――。
「なんだと!」
「貴様ラ、嬲り殺ス」
「串刺しだ。皮剥ぎだ。王への供物にするんだ」
「主の仇討ちだ」
すべての妖魔達が怒りの声を上げた。それだけアルアークとハルヴァーは慕われていると言える。
大商人の青年アルムも妖魔達の怒りを予想してはいたが、その予想を大きく超えていた。
海千山千の商売人である彼も肝を冷やすほどの殺意であった。
商人達の大半が腰を抜かし、アルムは背を嫌な汗が流れていくのを感じながら、心を奮い立たせて恐怖に耐えた。
「貴様、それが真実なら、死ぬ覚悟はできているのだろうな?」
プルックの身代わりも、牙を剥き出しにして威圧した。
アルムは必死に恐怖心を抑えながら平伏して言う。
「ええ無論、生きて帰ろうなどとは思っておりません。ですが、魔法帝国に加担した大商人は我らだけではありません。我ら以外の者の多くは港町カルカナに向かい、この大陸から逃げ出そうとしております」
アルムの必死の弁明を聞きながら、プルックはその大商人達に呪いの言葉を吐いた。
(同族を見捨てて逃げるだと!? あるあーく様の言った通りだが、随分と逃げ足が速いことだ! 卑劣な人間どもめ! 決して生かしては帰さん。必ず殺してやる!)
ゴブリンの王でありながら、彼は臆病なのだが、さすがに仲間を見捨てて逃げるようなマネはしない。
そこへ、さらに青年が言う。
「私どもは命を差し出す覚悟でここへやって参りました。その上で、逃亡をはかる大商人達が港町へ向かうルートをお教えします。ですからどうか、アルナスタリアムを破壊することは思いとどまっていただきたいのです。都市が破壊され、商人もいなくなれば、大陸各地の村々が飢えて、暴動が起こるでしょう」
「脅しているつもりか?」
プルックの身代わりは問いかけた。
「いえ。私どもは商人ですので、利益と不利益を秤にかけ、互いが利する道を選んでいただければと思っているだけです」
「貴様らは命すらなくなるというのに、いったいどんな利益があると言うのだ?」
「まずアルナスタリアムの破壊をおやめください。そして商人達に、今まで通りの商売を許してほしいのです。そうすれば黄金都市の者達は、地下帝国の支配を受け入れるでしょう」
それはプルックの望みでもあった。
アルアークとハルヴァーは、地上の領土にはあまり興味がない。復讐の対象者を捕らえることができたならば、それ以上の破壊は求めないだろう。
「次に死者の尊厳を守っていただきたい。おとなしく命を差し出す代わりに、私達をゾンビなどの化け物にせず、死者は慣例通りに先祖が眠る墓に埋葬してください」
大商人は要求を続けた。
死後も責め苦を与える地下帝国のやり口を知っているかのようである。
「逃げた者達は?」
「どうしようとかまいません」
アルムはそう言って頭を下げた。
難しい話を理解できない妖魔達は「殺せ殺せ」と騒ぐのみだが、プルックはどうしたものかと頭を抱えた。アルムとかいう青年の望みは、プルックにとってもそう悪いものではなかったのである。
青年の提案に従えば、主人の望む者達を捕らえられるし、無駄な犠牲を出すこともない。
問題は、この商人に騙されていないかどうかである。
「貴様ら死ぬと言いながら、生きて逃げるつもりじゃないのか?」
警戒するように告げた。
もしも逃がしたとなれば、プルックといえども厳罰は免れない。
「そんなことはありません。それを今から証明いたしましょう」
アルムがそう言うと、背後に控えていた大商人が前に進み出る。
彼の手には、交渉の場にはふさわしくない黄金の酒瓶が握られていた。
「……」
大商人は体を震わせながら、一気に酒瓶の中身を呷った。
「うぅ、ぐはぁ!」
酒を飲んだ大商人は目から血の涙を流して、さらには口からも血を吐いてバタリと倒れた。
プルックは「調べろ」と命じる。
護衛の一人が慌てて近くに寄り、「死んでいる!」と叫んだ。
「いったい、何を飲んだ?」
「黄金蟲の卵をすり潰して作り出した毒酒で、貴人が自害する時に飲むものです。この毒は魂を穢す力があり、聖神教会の高司祭であっても、蘇生させることができぬほど強力です」
アルムの言葉を聞き、プルックはゾッとする。
「ほ、本当か?」
「魔法帝国に連なる方々なら知っているはずです。どうぞご確認ください」
淡々と落ち着いた声で言った。
「いかがでしょうか? 交渉がまとまろうが、まとまらなかろうが、我らはこの酒を呷って死にます。ですが、その時は逃げた者達の多くを取り逃がすことになるでしょう。運河に加え、いくつもの裏街道がありますゆえ」
止めとばかりに舌鋒鋭く熱弁を振るう。
(こいつの目は本気だ)
プルックは体を震わせる。
(どちらを選んでも、こいつらが死ぬことには変わりない。なら、逃げた奴らの情報を吐かせた方が得だな)
プルックはしばらく悩んだ末、結論を出した。
「いいだろう、さっさと逃げた大商人の行方を教えろ。言っておくが、嘘を教えるんじゃないぞ。その時はこの都を焼き払って、貴様らの死体は永遠に地下迷宮に繋がれるものと思え」
そう言って釘を刺す。
「もちろんです」
袂を分かった大商人の運命など知ったことではないと、アルムはエルギス達が逃げた方角を教えた。もちろん、彼しか知らない裏道などが書かれた地図も隠さずに渡すつもりである。
(さて、これが吉と出るか凶と出るか)
アルムの話を聞きながら、プルックは難しい顔をした。
人間は信用ならない。妖魔にとって人間は、遥か昔からの天敵であり、聖神教会による迫害が始まってからは、不倶戴天の相手なのだ。敵ながら、馬鹿ではないから扱いに困る。
アルアークとハルヴァーの加護を得てもなお、人間すべてを滅ぼすことは不可能だろう。彼らが自分達ゴブリンを滅ぼせなかったように。
(黄金都市を滅ぼしたとしても、少なくない数の人間が生き延びて、いずれ復讐の火の手を上げるだろう)
プルックはそう確信していた。
ゴブリン達にとって不都合な未来を回避するためには、可能な限り譲歩する必要がある。
同時に、地下帝国の王への手土産を忘れてもならない。
「逃げた大商人を追うぞ。運河を封鎖しろ!」
「運河を使わずに逃げる者もいるでしょう。こちらの地図に裏街道が記されておりますので、お役立てください」
アルムは懐から地図を出して献上した。
献上品を受け取った身代わりの横からプルックはその地図にさっと目を通し、先ほどと同じように耳打ちする。身代わりは即座に、背後の騎兵部隊に追撃を命じた。
妖魔の大族長の命を受け、狼や猪や巨大な昆虫に跨った妖魔達が歓声を上げる。
これから怪物騎兵部隊による追撃戦が始まるのであった。
彼らの声を聞きながら、アルムは顔を伏せる。
その顔にはすべて上手く事が運んだと、満足げな笑みが浮かんでいた。
* * *
風のような速さで地下迷宮に帰還した〝狼乗り〟グラッドは、地下迷宮の支配者に急ぎの伝言があると告げ、「王の間」へ通されていた。
そこにアルアークの姿はなく、ハルヴァーが黒の王座に身を預けていた。
人間の美醜がわからぬゴブリンのグラッドから見ても、ハルヴァーの姿は美しい。この兄妹には性差どころか、種族を超越した魔性の美があるのだ。
ハルヴァーは、いつもと変わらぬ邪悪な笑みを浮かべて、何の用事か問いかけた。
「親父殿から伝言があります」
ハルヴァーの体から溢れる魔の気配に怯えながら、グラッドは声を震わせる。
「伝言? なんだい?」
「へい、大商人達は何としても捕らえるので、アルナスタリアムを焼き払うのは考え直していただきたいとのことです。っていうのも、あそこにいる商人を全員殺してしまえば、各地で人間共の暴動が勃発するのではと、親父殿は心配しているのです」
「なるほど、私達が何も言わなくても、君らはきちんと未来を考えているんだね」
ハルヴァーは穏やかな口調で応じていたが、ふと意地悪そうに尋ねた。
「私が嫌だと言ったら、どうするつもり?」
「アルアーク様とハルヴァー様の今後の統治にも影響することかと思いやす。どうか、賢明なご判断をと……」
グラッドは頭を伏せる。
反乱する気など欠片もない。
だが、忠臣であればこそ、意見を口にせねばならない時もあるのだ。
「〝高等魔女〟アリスアハトス。君はどう思うかな?」
いつの間にか、ハルヴァーの傍らに一人の少女がいた。
背は低く、シアとそう変わらない年頃のように見えるが、大人びた雰囲気を持っている。
三つ編みにした黄金の髪を肩の辺りまで垂らし、それを片手で弄んでいるが、ハルヴァーは別段咎めるでなく、意見を求めた。
「商人というものは利を見て動きますので、我らが都市を支配するに至ったならば、我らの力を理解して、おとなしく従うでしょう。ですが、我らに力がなくなれば牙を剥くでしょう。そうなる前に、アルアーク様のご友人であるテオドール殿に頼んで、商人達を懐柔するのがよろしいかと思います」
アリスアハトスはもっともらしいことを言ったが、ハルヴァーの目はごまかせない。
「なるほどね。けど、まだ何かほかにもありそうだね。我慢は良くない。言いたいことを言いなさい」
「では、お言葉に甘えまして。魔法帝国の残党である我らとしては、心情的に納得がいきません。我らは復讐の軍勢であり、商業国家キレトスは許すことができぬ存在です。その都市をすべて灰燼と化してこそ、気が晴れるというもの」
〝高等魔女〟は面白そうに言う。それが嘘偽りのない本心であり、願いだった。
そしてその思いは、ハルヴァーも同じである。
グラッドは説得に失敗したと、身を固くした。
「それじゃあ、グラッド。アルナスタリアムを制圧した後のことは、テオドール君に任せるから、君は闇商人の護衛をしてもらえる?」
「へ?」
「プルックの意見を受け入れるということだよ。黄金都市は破壊しない。その代わり、我らの祖国を滅ぼすことに関与した罪人どもを捕らえてきなさい」
ハルヴァーは当然といった顔で言う。
隣にいるアリスアハトスも異論はなさそうだ。
「い、いいんですか?」
グラッドは呻くように伺った。
あるいは、自分の聞き違いかと、一瞬、耳を疑ってしまう。
「私達の気が晴れるのと、君達の将来が明るいものになるのと、どちらが良いか、天秤にかけただけだよ」
狼乗りの妖魔グラッドは、ちらりと魔女の方に視線を向ける。
――それでいいのか?
その問いかけるような視線を受けて、三白眼の魔女は妖魔を見下ろしながら語った。
「私は陛下ほどには君らのことを気にかけてはいない。だけど私達〝十貴族〟がいない間も、両陛下のために戦い続けてきた君らの勲功には敬意を表する」
意地の悪い笑みを投げつつ、彼女は言う。
皮肉げに相手の悪癖を指摘する彼女にしては、ほとんど最高に近い賛辞であろう。
「さあ、私の気が変わらないうちに行きなさい」
ハルヴァーは邪悪なる笑みを浮かべながら、グラッドに退出を促した。
妖魔グラッドが去った後、ハルヴァーはアリスアハトスに尋ねた。
「ああでも言わないと、グラッドは納得しなかったと思うけど、どうかな?」
「彼は今も内心疑っているでしょうが、このまま何もなければ、最終的には陛下の慈悲に感謝する以外にありませんよ」
アリスアハトスは三つ編みを片手で摘まんでは、こねくり回している。
「で、アリスアハトス。プルックが心配しているのは、物資の輸送が滞ることによって起こる混乱だから、それさえなければいいわけだよね?」
地下帝国の君主は〝高等魔女〟に問いかける。
「ええ、表面上の混乱が起きなければ、妖魔も人間達も気にしないでしょう」
「君に任せていいかな?」
「お役に立てるのでしたら、これ以上の喜びはありません」
〝高等魔女〟は深々と頭を下げた。
国を滅ぼされた恨みが晴れない限り、敵を許すはずがないのである。
だが、それを強行すれば、妖魔達の心が離れていくだろう。妖魔に媚を売るつもりなどこれっぽっちもないが、せっかく築き上げた信頼関係をむざむざ壊す必要もない。
「十年、二十年、三十年と時間をかけて、堕落した都に作り変えましょう。商人達には暴利を貪らずにいられないように働きかけましょう。そうやって、魔女釜の中のような混沌たる都市にする……。妖魔達の方から、『どうか、あの都を滅ぼしてください』と嘆願するように仕向けてさしあげますよ」
今は生活に役立つ仕組みのある都であっても、歯車を狂わせてしまえば害悪しかもたらさない。
相応に長い年月が必要だが、〝高等魔女〟である少女にとってはそれほどの時間ではない。
「それは面白そうだ。ただ、できるものなら、アルナスタリアムが破滅するさまを見ておきたかったけど……」
「少し、お待ちいただくわけにはいきませんか?」
「残念ながら、その時間はない。運命の歯車は、勢いを増しているからね。私は大商人達の血と肉、魂で満足するとしよう」
アリスアハトスはもう何も言わず、ただ悲しげに目を伏せた。
* * *
大商人エルギスは自らの持てる財産をかき集め、ただ一人の身内である孫を伴い、大慌てで港町カルカナへ向かっていた。
彼らを乗せた馬車が、けたたましい音を立てて石畳の上を走る。
「急げ急げ、遅れるな!」
エルギスは老人とは思えないほどの元気な声を張り上げた。
馬車には、彼の一族だけではとても使いきれない財貨が積んである。
「妖魔どもに追いつかれる前に、少しでも遠くに逃げるのだ。馬を使い潰してもかまわん。どうせ、海の上にまでは連れていけぬ」
通常ならば運河を通った方が速い。現に、その方法で港町へ向かう商船団もある。
だが今は無数の船が我先に逃げ出そうとしているため、水上の交通混雑が甚だしく陸路の方がよほど速く移動できる。
エルギスはこの状況を踏まえ、船に積み込もうとしていた財産を馬車に移すよう使用人に命じた。そして、ごく一部の者にしか知られていない裏街道を通り、港町を目指したのであった。
エルギスとその取り巻き一行の数は、およそ百名ほど。
護衛には、高給で雇い入れた傭兵達と使用人があたっていた。
「おじい様、何をそんなに急いでいるの?」
孫が無邪気に訊くので、先ほどまで怒鳴っていた老人が、今度は打って変わって猫なで声になり、優しく諭す。
「恐ろしい妖魔どもが、都を包囲しようとしているのだよ。あのままあそこにいたら、どんな殺され方をするかわかったものではない。だから、少しでも速く、遠くに逃げるんだ」
王に近い立場でありながら、あっさりと民を見捨てた老人も、自分の孫となると話は違うらしい。
老人は孫の頭を撫でつつ、「もう寝なさい。何も心配いらないから」などと言っている。
だがその時、外を固めていた護衛が警告を発した。
「エルギス老。霧が出てきました」
「霧?」
窓を開けて外を見ると、いつの間にか深い霧に包まれている。
「前が全く見えません。速度を落とさなくては……」
護衛が言う通り、十メートル先も見えないほどの濃霧である。
霧に視界を塞がれ、道に迷う恐れがある。それどころか、前を進む馬車に激突してしまうかもしれない。エルギスは神に悪態を吐いた。
「聖神め、今まで散々金を注ぎ込んでやったのに、こんな時に我らに不運を呼び寄せるとは!」
信仰心による寄進ではなく、聖神教会に良い顔をしたいから金をばら撒いただけ、という事実は都合よく頭の隅に追いやってしまったらしい。
さらに間の悪いことに、妖魔が現れて行く手を阻んだ。
「妖魔どもです!」
「くそ、どうしてこの道がわかったのか……防げ、防ぐのだ!」
大商人アルムが教えた道を突き進んできた妖魔達は、目指す標的にようやく追いつき、鬨の声を上げて馬車に襲い掛かった。あちらこちらで悲鳴が響き渡り、鉄と鉄がぶつかり合う音がする。
この濃霧の中でも、妖魔の騎兵である狼達は敵の位置を正確に突き止め、襲撃することが可能なのだ。その数はさほど多くはなかったが、大商人を護衛するはずの傭兵達は霧に取り巻かれて、大混乱をきたしていた。
ある者は恐慌状態になって逃げ出したところを後ろから斬り裂かれ、また別の者は「降伏するから命ばかりは助けてくれ」と泣きながら投降した。まさしく阿鼻叫喚の修羅場であった。
そんな中、エルギスは気丈にも魔法の武器を手に取り、もう片方の手で孫を抱きかかえ、馬車から逃げ出そうとした。
「逃げるぞ」
「おじいちゃん、こわいよ」
「大丈夫だ。儂にはこの剣がある」
エルギスが手にしているのは、かつて魔法帝国を滅ぼした際に聖神教会の司祭から渡された短剣だった。力のない老人でも敵を撃退できるよう、短剣には魔法がかかっている。その短剣は所有者を守るべく、禁断の魔法の力によって必要に応じて変化するのだ。
「さあ、おとなしくついておいで。奴らには見えない死角があるはずだ」
エルギスは長年生き抜いてきた勘の良さを生かし、妖魔達の目をまんまと欺いて逃げおおせたかに見えた。
ところが、その行く手に、霧の中から姿を現した者が立ち塞がる。
「どちらへ行かれるのですか?」
「港町でしたら、そちらの方角ではありませんよ」
相手はどうやら二人連れらしい。
「何者だ、お前らは」
「初めまして。私は〝十貴族〟が一人、〝高等死霊魔術師〟フラウスロートです」
「同じく、〝高等錬金術師〟アリストメギアです」
その声が近づくにつれ、次第に姿もはっきり見えてきた。銀色の巻き髪に、血のように赤い瞳を持つ美少女と、狐のような細目の青年だった。
少女の方は黒いフリルの付いたドレスを着ており、青年は趣味の悪い紫色の礼服を着ている。
「〝十貴族〟だと? 魔法帝国の生き残りか?」
エルギスはごくりと生唾を呑みこんだ。
「ええ、我が主の導きに従い、港町で待っておりましたが、一向に来てくださらないので、こちらから出向いてみました」
少女はそう言って、鋭い犬歯を見せる。
「吸血鬼か! すると、この霧も貴様の仕業か?」
エルギスはその正体を看破した。
「ええ、その通り。どちらも正解です。ご老人」
赤目の少女フラウスロートは嬉しそうに笑った。
その不思議なまでに魅力的な笑みに、年若い男性ならば一瞬で虜にされたかもしれないが、年老いたエルギスには通用しない。彼は短剣を向けて、威嚇しつつ、懐柔策を口にする。
「貴様らの勝ちだ。財産はくれてやる」
「おやおや、商人にとって財産は命よりも大事なものではないのですか?」
細目の青年アリストメギアが不思議そうに首を傾げた。
背がひょろりと高く、筋肉もさほどついていない。エルギスくらいの老人でも、その気になれば押し倒せそうである。
だが、ここで戦いを挑む危険性をエルギスは承知していた。そこで、交渉に長けた老獪な商人の口調で相手の油断を誘うことにする。
「私にとって宝は孫だけだよ。後のものはいくらでも替えが利く。貴様らとて、勝ち戦とわかっていながら、むざむざ命を落としたくはないだろ?」
そう言いながら老人は、短剣の魔力を発動させた。
「――起動、多頭竜の刃」
短剣が赤く輝き、刀身が伸びる。
無数に分かれた刃は、まるで意思を持つ蛇のように、魔法帝国の貴族の方へ鎌首をもたげた。
「この刃によってかすり傷でもつけば、たちまち毒素が全身を回り、黒く腐って崩れ落ちる。これは貴様らの魔法帝国でも禁忌とされていた宝物の一つなのだろ?」
合言葉により展開された刃は、使用者が念じるだけで敵にまで伸び、斬り裂くのである。
これまでにもエルギスは、この刃を何度か振るっている。
金で雇われた暗殺者、逆恨みをする傭兵など、すべてこの刃で始末してきた。
そして今、相手はたった二人なのだから、恐れる必要はない。
「さあ、消えろ!」
老人は怒声を上げるが、二人の魔法使いは面白そうに笑っているだけだ。
「これはこれは恐ろしい」
「確かにそれは、今は滅びし魔法帝国で禁忌とされた武器ですよ」
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