邪悪にして悪辣なる地下帝国物語

雨竜秀樹

文字の大きさ
15 / 15
5巻試し読み

5-3

しおりを挟む
小馬鹿にしたような態度に、エルギスの怒りは頂点に達するが、身の安全のためにはこの場を離れることが先決だと、孫の手を引く。
だが、孫は言うことをきかない。
「何をしておる? 早く……」
と言いかけて、「ひっ」と悲鳴を上げた。
孫の瞳がに染まっていたからである。
「|―吸血鬼の凝視ヴァンパイア・ゲイズ。死霊魔術の秘儀ひぎにより、吸血鬼となった者が使える力の一つですよ」
犬歯を見せながら、フラウスロートは笑う。
動揺するエルギスを無視して、今度は錬金術師が言葉を発した。
「――起動アクティブ主人の命を聞けレドゥホード
それは魔法の道具を動かすキーワードだった。エルギスの手の中で短剣の刃がぐるりと回転し、老人の方に向く。
「聞くところによると、あなた方商人は、荷を失っても損をしないように保険をかけるとか? 我ら魔法帝国も、敵に武器が奪われた場合に備えて保険をかけているのですよ。特に、そういった力のある品にはね」
錬金術師は当たり前のことだと言わんばかりの口調である。
「お、おのれ……」
エルギスはただ呻くのみで、どうにもならない。
「さてさて、貴方の最高の宝はお孫さんだとか?」
「き、貴様、何をするつもりだ?」
「何をする? いいえ、私は何もしませんとも」
アリストメギアは狐のような細目を見開いて、大商人の瞳をのぞき込んだ。
さしもの大商人の顔も青ざめ、引きつっている。
傲岸不遜ごうがんふそんのエルギスといえども、形勢がここまで危うくなれば、もはや心底から懇願こんがんするしかない。
「やめろ、やめてくれぇ」
だが、二人の魔法使いは許さない。
「自分の手で、大切な人を殺しなさい」
「その底なしに深い嘆きと絶望こそが、滅ぼされし魔法帝国の民の鎮魂ちんこんとなるのだから」
その言葉が合図であったかのように、刃が蛇のように伸びて孫の体をずたずたに斬り裂いた。
老人の絶叫が霧の中に響き渡り、命を奪われた少年の体がどさりと大地に倒れ伏す。エルギスは涙を流しながら、憎悪の宿る瞳で魔法使いを睨みつけた。
「許さん、許さんぞぉ! よくも、よくも我が孫を! 儂が憎いのならば、儂一人を殺せば良かっただろうが! おお、おおぉおおおおぉぉぉぉ!!!!」
怨嗟の絶叫を上げる老人を見て、フラウスロートは愉快そうに言った。
「おやおや、人の国を滅ぼして利益を貪るのは良しとするのに、自分の孫が殺されるのは許さないというのですか」
「き、貴様らのような邪悪な魔法使いなど、あの時に皆殺しにされておれば良かったのだ! この化け物どもが! 返せ、我が孫を返せ!」
フラウスロートは微笑ほほえむ。
「返せ、ですか。なるほど、よろしいでしょう。では」
狂ったように叫び続ける老人に、吸血鬼はさらなるを味わわせる。
「――屍法ネクロ動け死者よヴェロナムス
すると、蛇の刃で斬り裂かれた子供がゆっくりと起き上がったではないか。虚ろな瞳で、祖父の顔を眺めている。
動く死体――ゾンビである。
そのおぞましい姿を目にした瞬間、老人の理性は完全に破壊された。
「あ、あぁあああ!!!」
すべてを失った嘆きと絶望に耐えかねて発狂した老人の、そのあわれな叫び声を聞きながら、フラウスロートは「もう終わりですか?」と物足ものたりなそうに言った。隣にいたアリストメギアが、それをたしなめる。
「フラウス、復讐すべき者の血縁者とはいえ、少しやりすぎたかもしれませんね。その少年はフレッシュ・ゴーレムに作り変えて、我が主の迷宮の番人の一人としてはどうでしょうか?」
「アリスト、それならば今からでも私が血を吸って、吸血鬼の奴隷ヴァンパイア・スレイブにした方がいいと思うのだけど? その方が、この子供も喜ぶと思うわ」
二人の魔法使いはそんな意見を交わしながら、心の壊れた老人と肉体の死んだ少年を手土産に、地下迷宮へ向かう。
やがて霧が晴れると、別大陸に逃れようとしていた大商人達は全員が捕らえられていた。

   * * *

プルックの目の前で、アルムと彼につき従った大商人達は毒酒を呷った。
次々に目から血を流し、口から血を吐き、倒れていく。
最後に大商人アルムが残った。
「それではプルック殿、約束をお守りください」
「むぅ、わかった。あるあーく様と、はるヴぁー様には上手く説明する」
その言葉を聞き、アルムも毒を呷った。
「うぅ、グハァ!」
血を吐き出して、アルムは倒れ伏す。
プルックは念のため心臓に手を触れて確認した。鼓動は停止している。
「後は捕らえた大商人どもだな。あいつらにはせいぜい無残に死んでもらおう」
アルアークとハルヴァーは公正な人物だと、プルックは信じている。
故郷を守ろうとした者と故郷を捨てて逃げた者。同じ罪人でも、どちらの方がより重く罰するのかは子供でもわかる。アルム達の安らかな死を願うつもりであった。
プルックは彼らの死体を丁重に扱うように命じた後、妖魔の軍勢と共に黄金都市の中に入っていく。
支配した当初は不満や恐怖があるだろうが、多少税を下げて今まで通りの暮らしをさせてやれば、彼らの多くは大人しくなるだろう。地下帝国の支配力が増せば、妖魔達に対する偏見へんけんもだんだん薄れていき、そうなれば民衆は誰が支配しているかなど気にしなくなるはずだ。
今までの都市もそうであったし、プルックはこの都市もそうなると信じていた。

   * * *

黄金都市には死角が多い。
様々な物を取り扱うこの都では、非合法な品々も多く売られている。
それらの取引をする時、人目を忍ぶための死角が各ヵ所に、意図的に作られているのである。
そんな闇に隠れながら、何人かの商人達がひそひそと話していた。
「どうやら上手くいったようだ」
「では、手筈てはず通りに」
「アルム大商人達を御救いしよう」
不穏な会話は誰にも聞かれることなく、闇の中に消えた。

黄金都市アルナスタリアムにある大商人専用の墓所は、砂漠の果てにある宮殿のような形をしている。この場所には歴代の大商人達が眠っており、死後も富を失わぬようにと金銀財宝で満たされている。
この日の深夜にも、アルム達の死体はその場所に埋葬される予定だった。
聖堂に司祭達はいなかったが、アルム大商人のところで働いていた使用人達が彼らに代わって葬儀の準備を行っていた。
死んだ時に読み上げる鎮魂ちんこんの書を用意して、死装束しにしょうぞくを着せ、ひつぎの中に花を敷き詰める。
あらかじめ事の次第を伝えられていたのか、使用人達はてきぱきと準備を進めた。
「キシシ、ずいぶんと簡素な葬儀だな」
グラッド達と共にアルナスタリアムにやって来た闇商人テオドールは、独特の笑い声を上げながら葬儀会場に顔を見せた。
大商人エルギスはすでに地下迷宮に送られており、えたぎる魔女の釜に入れられている。
「ておどーる殿、よく来てくれました」
プルックは闇商人を歓迎した。
ゴブリンには商売などの難しいことはわからない。そのあたりを仕切るのは、このテオドールかフランディアルのどちらかなのだ。
「プルックの旦那、顔を見るなり、仕事の話はやめようぜ」
いろいろ言いたそうな顔をしていたのか、テオドールは先に釘を刺す。
「〝蛇の舌〟アルム。こいつは商売敵だった。少しばかり、感傷に浸らせてくれ」
テオドールは死んだ商人の顔を覗き込む。
「アルアークが親友ならば、こいつは仇敵きゅうてきだったが、いなくなってみるとさびしいものだ」
そう言って、金貨を一枚える。
「あの世も金次第と言うが、餞別せんべつ代わりに持っていけ。その代わりに俺様はこの黄金都市をいただくぜ」
すでにアリスアハトスとは打ち合わせを済ましている。
大樹がちるように、黄金都市は長い時間をかけて腐っていくだろう。その代わり、経済の中心地はテオドール達の住む迷宮都市に移される。
ところがテオドールは死者の前から立ち去ろうとした瞬間、ふと違和感を覚えた。
「こいつは……気のせいか?」
葬儀の準備を進める使用人達の態度が、不自然なほど落ち着いていたのだ。
地下帝国の支配が長くなった都市ならば、さほど気にすることではない。だが、支配されたばかりにしてはあまりに従順すぎる。
テオドールは知らず知らずのうちに、獲物を見つけた狼のように笑っていた。
プルックに近づき、彼に何事か耳打ちする。
彼の予想が外れていれば何の問題もない。だがもしも予想通りなら、自分達はまんまとあざむかれたことになる。

深夜。
とどこおりなく葬儀が終わった。
埋葬を見届けたプルック達は「それじゃあ、俺達は去るぞ」と言って、姿を消す。
妖魔達が闇に消えた後、あらかじめその時を見計らっていたかのように、先ほどまでいたアルム大商人の使用人達が墓所に引き返してきた。
「早くしろ、本当に死んでしまうぞ」
「わかっている」
「アルム大商人、どうか起きてください」
その使用人達とは――アルムの配下の商人達だった。
魔法帝国の戦争で利益を求めなかった彼らは復讐の対象に入らぬとして、自害するメンバーの中にはいなかったのである。
彼らは手筈通りに、懐から小瓶を取り出すと、死者の口元に何やら液体のようなものを垂らした。
それは、ただの液体ではない。
黄金蟲の毒素によって蝕まれた魂の穢れを癒す神水である。
庶民には入手困難な貴重品だが、唸るほど金のある商人ならば決して手に入らぬ品ではない。
「うぅ、上手くいったか?」
アルムは目を開けて、ゆっくりと起き上がった。
「ええ、成功しました。奴ら見事に騙されましたよ」
「危険な賭けだったが、命あっての物種と言うしな」
そう言うと、アルムは墓穴から這い出して来た。
「神水はまだあるか?」
「はい、全員分あります」
墓所には、アルムに付き従った者達全員を助けるのに十分な量の神水を運びこんでいる。
「捨てろ」
「え?」
「聞こえなかったのか? 捨てるんだ」
アルムは冷酷に告げた。
「何故ですか? 皆、貴方を信じて、この作戦に参加したのですよ!」
「ああ、それには感謝している。だが、ここでみんなが脱出しては妖魔どもにばれてしまうだろ? この墓所から逃げるのは、俺一人だけで……十分だ!」
アルムは口を大きく開く。
するとなんと、彼の口の中から一匹の蛇が出てくるではないか!
いや、アルムの舌が蛇に変化しているのだ。
〝蛇の舌〟の異名は、他者を説得する手腕を意味し、アルム自身が広めた。しかし真実は、自分の舌を蛇に変化させて自在に操れるというものだったのである。
すかさずアルムの蛇の舌が、驚愕きょうがくに目を見開いている商人の首に巻きついた。
そうしてまずは一人を不意打ふいうちで殺し、残る二人も主人の突然の凶行に固まって動けなくなっているところを蛇の舌で噛み、まともな抵抗もできずに殺した。元々商人の彼らに戦う力などなかったものの、それはあまりにあざやかな手際てぎわであった。
びないぞ。利益で結び付いた仲間とは、それがなくなれば裏切るものなのだ」
蛇の舌を口の中にしまい込み、アルムは本性を見せる。
それからおもむろに死体を片付けようとした。
「キシシ、見せてもらったぜ。なかなか愉快な三文さんもん芝居しばいだった」
「!」
アルムは慌てて周囲を見回す。
だが、声は聞こえるが姿は見えない。
「その声はテオドールだな! どこにいる!」
アルムは怒鳴り声を上げた。
「おいおい〝蛇の舌〟の異名が泣くぜ。もっとなめらかに話せよ」
「そこかぁ!」
口を大きく広げたアルムの舌が、一瞬で蛇に変化してもの凄い勢いで伸び、音のした方向に襲い掛かる。
「ギギ、遅いぞ!」
しかしその攻撃は妖魔〝悪徳の〟ガラグの魔剣によって、あえなく一刀両断いっとうりょう だんされてしまった。
「ぎぎぃいいいい!!!!」
予期せぬ反撃に、自分の舌が断ち切られたアルムは声にならぬ叫びを上げる。
「商人が暴力に訴えかけるのは感心しないが、まあ許せる。だが、取引相手を裏切ったのはいただけないぜ」
テオドールは口笛を吹いた。そこへ帰ったはずのプルックが武装した妖魔達を引き連れて戻って来た。さしもの〝蛇の舌〟も、弁明する舌を失ってしまえばどうしようもない。
妖魔達にボコボコにされながら、地下迷宮へと引っ立てられていくのであった。

   * * *

商業国家の商人達の捕縛ほばくの報告を受け、アルアークとハルヴァーは、アルナスタリアムを焼き払わぬように命じた。これはもちろん、プルックの意志をんだからである。
「大商人アルムの仲間達には、そのまま永遠に墓所で眠りについてもらおう」
「そして、アルムの方だが……アステリオスの棺に閉じ込めることにしようか」
アステリオスの棺とは、人間を内部に閉じ込める巨大な牡牛おうしの形をした拷問具だ。
人が入ると自動的に灼熱地獄しゃくねつじごくのように熱せられるが、込められた魔力により死ぬこともできず、永遠に牛の鳴き声のような悲鳴を上げながら苦しむ仕組みとなっている。
プルックを騙し、仲間を裏切った男にはふさわしい末路まつろと言えるだろう。
「少し急ぎすぎたかな」
「もう少し破壊しても良かったかもね。兄様にいさま
「まあいい。後のことはアリスアハトスがうまくやってくれるだろう」
本来なら自分達の手で行いたかった。
だが、介入かいにゅうにより、色々と事情が変わってしまった。
その少女モニカが言うには、アルアークとハルヴァーが創造した地下迷宮の力が暴走し、世界を滅ぼしてしまうというのだ。普通ならば一笑にすところだが、兄妹には心当たりがあった。
元々、地下迷宮創造の秘術は魔法帝国では禁忌とされた術である。
自分達に都合のいい空間――地下迷宮を生み出したのだが、その侵食力しんしょくりょくが度をすぎれば、世界を蝕み、破壊に至る恐れはあった。それゆえ、世界を守護する勇者達が次々と、地下迷宮を滅ぼそうとやって来たのだった。
兄妹と同じ魔法を使い、聖王国の地下迷宮を創造した教皇は、自らの迷宮を眠らせ、勇者達の目を欺いてきたようだが、アルアークとハルヴァーはそんなことをしていない。そもそも侵略と破壊に特化した迷宮であるため、休眠する機能など備えてはいない。
魂を吸収し続けて巨大化する地下迷宮は、いつの日か負のエネルギーを爆発させるに至り、大陸全土を荒廃させるだろう。
「そうなる前に……」
「我らの復讐を終わらせよう」
アルアークもハルヴァーも、世界の滅びなど望んではいないのだ。
敵に対しては慈悲も容赦もない兄妹だが、味方には寛容であったし、その貢献に見合う報酬を惜しまなかった。復讐を果たした後、彼らには十分な恩賞を支払うつもりである。
しかし、配下達のために復讐を諦めることもできない。
自分達がやがて滅びることになるとしても、今この場で歩みを止めるなど、論外だ。
自らの復讐と配下の未来。
どちらも掴み取るために、アルアークとハルヴァーは少しばかり歩みを速めることにする。
「さあ、私達の軍団レギオンよ、あと少しだ、頑張ってもらおう」
「地下帝国に勝利をもたらせ。そうすれば、私達の心は満たされ、なんじらは楽土らくどが手に入る」
邪悪なる兄妹の福音ふくいんに共鳴したかのように、円卓の上の駒が動き始めた。


第二章 地下帝国と裏切り者

かつて魔法帝国が存在した地域は、国土を一年中雪に覆われた極寒の地であった。
本来ならば人が住める環境ではなかったが、皇族をはじめとする偉大なる魔法使い達が豊穣ほうじょうの魔術を使い、豊かな大地に変化させていたのだ。
だが、その魔法帝国はすでに滅び去り、荒れ狂う吹雪を止める者もいなくなった。
第一次聖征戦争において運よく生き残った民も飢えと寒さで死ぬか、各地に去り、その土地にしがみついて今も僅かばかりの食糧で命をつないでいるのは魔法帝国を裏切った貴族達だけである。彼らに伝えられていた天候操作などの魔法は、帝都陥落の際に、聖神教会の司祭達が邪悪な書物として焼き払ってしまった。
それゆえ、ここはどんな作物もまともに育てることができない死の大地と化してしまい、いまや誰も興味を示さない。戦勝国でさえも、積雪のない僅かな地域を占領しただけである。
そんな中にあっても、魔法帝国を裏切った魔法使い達は、嬉々ききとしてこの地を支配した。
吹雪に閉じ込められているので、魔法の研究をするにせよ誰にも邪魔されない。
民は去ったが、力のある魔法使いならば、彼らの代わりになる忠実な生物をいくらでも作れる。
そのため、彼らは悠々自適な暮らしをしながら己の魔術をきわめるべく、裏切りの代償として手に入れた禁忌の術が記された魔導書を手に、その旺盛おうせいな好奇心が満たされるまで研究に打ち込んでいた。
ところが、魔術の才能の差は大きく、彼らが禁じられた魔法を一つ理解する間に、皇子アルアークと皇女ハルヴァーは、何百もの秘術を習得し終えていた。
兄妹は、元々才能に恵まれており、さらには生死を彷徨さまよう危機を何度も乗り越えていた。それに対して、魔法帝国を裏切った魔法使い達は、安全な場所で研究を続けるだけであったゆえ、そこに絶対的な差が生まれるのは当たり前だろう。
その上兄妹は、禁忌の術という力をつけて日々冒険者との魂の闘争に明け暮れている。その差が開く一方なのは道理である。
冒険者達が地下迷宮から兄妹の魂ともいえる財貨を持ち出し切り刻もうと、不死身となった二人にとって、大した問題ではなかった。
ただ、死ぬことはないにしても、その苦痛は決して小さなものではない。
にもかかわらず、彼らは笑っていた。
氷のように冷たい微笑と、邪悪さに満ちた笑顔。
優しさも慈愛もゆがみ、壊れてしまっている。
人間の感性を失って久しい本人達にとっては大したことではないかもしれない。しかし、かつて兄妹の微笑みに癒されていた魔法帝国の臣下達には、この上なく悲しいことだ。
「もう一度、アルアーク様の温かい微笑みが見たいものだよ」
人目を引く美しい容姿の美少年が黒い三角帽のつばを摘まみながら、め息を吐いた。
帽子と同じ色のゆったりとした長衣ローブを着ており、魔法に無知な者が見ても、彼が魔法使いであることがわかるだろう。
腰の辺りまで伸ばしたサラサラの金髪、白く瑞々みずみずしい肌、地下迷宮の主と同じく蒼い瞳を持っている。体つきは華奢きゃしゃで、声変わりもしていないため、女の子に間違えられても不思議ではない。
高等戦闘魔術師ハイ・バトルウィザード〟ウィンスレット。
それが彼の名だ。ありとあらゆる攻撃魔法を習得しており、禁忌の呪法を使って、数えきれないほどの魔物の肉体と精神、そして魂を飼っていた。
アルアークとハルヴァーにも一目置かれる人物である。
「老師もそう思わない?」
「魔法帝国の民で、それを望まぬ者がおると思っているのか?」
少年に応じた老人は、皺だらけの顔に長い白髭を生やし、手足はれ木のように細い。
年老いてはいるが背筋は曲がっていなかった。その蒼い瞳に宿る輝きは、少年のように生き生きとしている。
ウィンスレットと同じ衣装を身に着け、手にはじれたかしの杖を携えていた。
「魔法帝国の象徴でもあるご兄妹、このお二方が生まれた時、どれだけの活気が国に溢れ、皇帝陛下と皇后陛下がいかほどお喜びになったことか、今でも昨日のことのように思い出される。儂が教育係に任命され、厳しい修練の果てに魔法を窮めたお二方が真に皇族になられた時に、浮かべておられた笑顔が今もまぶたに焼きついて離れぬ。魔法帝国の民が親しみ、こよなく愛した優しい微笑だ。それが今や、完全に失われてしまった。今あるのは、怨敵おんてきに向ける冷たい微笑だけだ!」
少年の問いかけに答える声は力強く、教え子を前に熱弁を振るう教師のようである。
彼の名はオルヴェスト老。
旧魔法帝国においては宰相さいしょうの地位にあり、〝十貴族テン・ノーブル〟ではないが卓越たくえつした魔術の使い手で、アルアークやハルヴァーをはじめとする多くの魔法使いの師だった。
魔法帝国建国の時代から生きていると言われ、年齢は五百歳を優に超えるだろう。
老いてなおますます盛ん、という言葉があてはまる人物である。
「そのむくいは、受けさせるべきだよね」
ウィンスレットが向ける視線の先にあるのは、旧魔法帝国領の都市――それは、魔法帝国を裏切り、聖王国と連合諸国の側にくだった者達が治める都だ。
民達の気配はなく、死都と呼ぶに相応しい。
唯一、貴族街にある館に明かりが灯っていた。民のいなくなったこの都で、彼らが何をしているのかわからなかったが、そんなことに、ウィンスレットの興味はない。
「僕らから光を奪ったようなものなのだから」
少年魔法使いの言葉に、老人も首を縦に振る。
「兵は任せていいかな?」
くせの強い妖魔ならお断りだが、不死者アンデッド自動人形オートマタならばよかろう。お主は単独の方がやりやすいだろうからの」
「単独と言えば、陛下の命により、終末の騎士が一人来ていたはずだけど?」
ウィンスレットの問いかけに、オルヴェストは不満そうに答える。
「彼は儂らの命令など聞かぬよ。終末の騎士が忠誠をささげるのは、彼をこの世界に召喚しょうかんした主のみ。そして、その主の命令は裏切り者を引っ立てて来ること。ふむ、ここであまり話し込んでいると、奴に手柄を奪われるかもしれぬぞ」
「興味ないよ。僕らはただ陛下の手足となって、やるべきことをやればいい」
ウィンスレットは本心からそう言って、ゆっくりと歩き始めた。
「若者が手柄を欲さずに、何を欲するというのだよ」
老人はやれやれと首を振り、魔法の力で生み出された兵達のいる方へ向かった。

   * * *

魔法帝国の帝都アルティムーア。
第一次聖征戦争終結後、だいぶ月日が経過したにもかかわらず、未だに市街の随所ずいしょに死体がさらされていた。
聖神教会の司祭達が埋葬を許さず、聖神に刃向はむかった異端のやからは未来永劫えいごう、死後も救済されるべきではないと主張したためだ。そしてそれを、今もこの都に住む魔法帝国の裏切者達が受け入れたからである。
そんな死者達のしかばねが放置された道を、紺碧こんぺきの鎧兜に身を固め、薄緑色のマントを羽織はおった騎士が進む。
彼こそは、終末の騎士テェルキス。
動くたびにジャラリと鎖の音が鳴り響く。腰に巻いたベルトに無数の鎖をげているためだ。
その鎖の先にあるのは、人間を犬のような生き物に変化させる魔性の首輪である。
ただ、今は誰もその首輪を嵌めていない。
この邪悪な騎士の思考は歪んでおり、人間――それも女を犬として従えることに喜びを感じるようにできていた。
(とはいえ、最近はどうも女運が悪い)
テェルキスは心の底でそんなことを考えていた。
地下帝国に属する輩は、どいつもこいつも変わっているので、いかに女好きの騎士でも食指が動かないのだ。終末の騎士に好意を持ち、まとわりついてくる二人の女騎士にテェルキスは首を傾げる。
彼は別世界の民であり、アルアークの魔力によってこの場に留まっているにすぎない。つまり、きりかすみのような存在とも言え、アルアークから魔力が送られてこなくなれば消えてしまう。
今や地下迷宮の主人達の魔力は過去最高に高まっており、魔力が途絶とだえてしまう心配など皆無かいむだが、それでも実体がないことは変わらない。その鎧兜の下は人ではなく、黒い影のようなものでしかない。
それを知っているはずなのに、二人の女騎士はあの手この手で興味を引こうとするのだ。一度など、地下迷宮に侵入した竜王を捕らえることまで成し遂げた。その執拗しつような追い回しぶりは、決して気分の良いものではなかった。
(私は、堕落せし猟犬を従える審判の騎士カーシェンペルディーシュオたるテェルキスなのだ。地下帝国の王に呼び出された剣であるぞ)
と自らを鼓舞こぶし、頭の中に現れた二人の女の姿をかき消す。
しかし、聞くところによると恋というのは熱病に近い厄介なものらしい。
ならば、彼女達の熱が冷めるまで離れているのが上策と、テェルキスはこの地に向かうことを志願したのだった。極めて個人的な理由であったが、アルアークは、やる気があるならばと許可した。ちなみに、彼のほかにも二人ほど終末の騎士が召喚されていたが、そちらには占領地の支配が任されている。
そんな事情もあり、テェルキスは帝都アルティムーアに来たのだ。
そのテェルキスが濁声だみごえで呟く。
『ようやく敵が現れたか』
転移の魔法により、どこからともなく現れた魔法使い達は、鋭い声で終末の騎士に問う。
「待て!」
「貴様はいったい何者だ?」
「答えねば焼き払うぞ」
『ふむ、問われた以上は名乗ろう。我が名はテェルキス。終末に属する騎士の一人にして、今は地下帝国の王アルアーク陛下に御仕おつかえしている』
ジャラリと鎖を鳴らしながら、テェルキスは慇懃いんぎんな態度で答えた。
『さあ、次はそちらが名乗るがいい』
終末の騎士の問いかけに、返ってきたのは攻撃魔法であった。
「――攻撃アタック爆炎の槍ディアブロンド
溶岩で作られたかのような槍がテェルキス目がけて解き放たれた。が、終末の騎士は重い鎧を着けていると思えぬ俊敏しゅんびんさで回避すると、お返しとばかりに長剣を投擲とうてきした。
「ゲフゥ!」
その柄頭つかがしらには、首輪をつけられた人間が苦悶くもんにあえぐ不気味な装飾が施されている。
それが魔法使いの体を貫いた。
普通ならば即死の一撃である。しかし剣による魔力の影響か、あるいは魔法使いが何か生命力を高める道具を所持していたためか、剣に体を貫かれたまま芋虫いもむしのように這いまわっている。
「――召喚サモン魔犬の召集ハディンスベル
そこへ別の魔術師が召喚魔法を唱えた。現れたのは――。
口から炎を吐く猟犬ヘルハウンド
殺意の塊のような双頭の魔犬オルトロス
空間を捻じ曲げて瞬時に移動することが可能な跳躍する番犬ガルム
いずれも魔界に生息する魔獣だった。姿形は犬に近いが、図体は馬のように大きく、それとは比べ物にならないほど凶暴である。
テェルキスをひるませようと雄叫おたけびを上げながら、魔獣達は目にも止まらぬ速度で迫っていく。
対するテェルキスの手元には剣がない。
だが、異界の騎士は動揺することなく魔獣を迎撃する。
――ジャラリ。
『――起動アクティブ拘束せよチェルドベイド
鎖は毒蛇が鎌首をもたげるように動き、魔獣達の首に巻き付いた。
敵を犬のように従える力を持つ鎖が、本来の役割を果たしたわけだ。
テェルキスは、魔獣を拘束した鎖をその剛力でグルグルと回し始め、勢いをつけて魔術師に投擲した。馬ほどもある巨体の魔物がぶつかり、魔術師はあっさりと戦闘不能になってしまう。
残された魔法使いは形勢不利を察し、来た時と同じように転移魔法を唱え逃げるつもりのようだ。だが、それよりも素早くテェルキスが敵の懐に飛び込み、顔面に拳を叩き込んだ。
手甲で覆われた騎士の拳は、それだけで十分な凶器である。
本気で殴り飛ばせば、頭は潰れたトマトのようになっていただろう。
しかし、邪悪なる騎士は敵を簡単には殺さず、気絶させる程度に力を加減した。
『貴様らの死は、アルアーク様とハルヴァー様がお決めになる』
そう言い放ち、紺碧の騎士は魔法使い達に首輪を付けて拘束した。どれほど熟練の魔法使いでも、自分一人の力で終末の騎士の拘束から逃れるのは不可能なのだ。
テェルキスは魔法使い達の拘束をいっそう強固なものにするために、しかばねを張り付けている十字架に鎖を巻きつける。終末の騎士が手にしている魔法の鎖は強い拘束力を持つと同時に、拘束した相手が死なないように癒す力も備えていた。
テェルキスは最初に倒した魔法使いに突き刺さったままの剣を勢いよく引き抜く。
「ぐがぁあ!」
魔法使いは泣き叫ぶが、テェルキスは気にしない。
女をいたぶることに歪んだ愉悦ゆえつを覚える騎士には、負けた相手をことさら痛めつける趣味はない。矛盾するように聞こえるだろうが、終末の騎士の中ではそれぞれ別の事として存立している。
『それにしても、これだけの騒ぎを起こしたというのにほかの魔法使いは出てこないのか?』
テェルキスは不思議そうに呟いた。だが、その疑問はすぐに氷解する。
落雷のような轟音ごうおんと共に、城壁の外でいくつもの爆音が巻き起こったからである。
『これは……老師殿がついに軍勢を動かしたか』
千里眼せんりがんによりテェルキスの動向をうかがっていた魔法帝国の宰相オルヴェストが、今こそ好機とばかりに攻撃を開始したのだろう。さすが魔法帝国の首都というだけあり、老魔法使いの放つ攻撃魔法だけでは城壁の破壊に至らなかったが、敵の目を引きつけることには成功したらしい。
ゴーレムやガーゴイルといった、命を持たない兵士が次々と、外にいる敵の迎撃に向かう。
オルヴェストが率いているのも、同じく命を持たない兵士達だ。
よって、自らを鼓舞する叫び声、敵を怯ませる怒号どごう、絶命時の断末魔だんまつまなど、戦場で上がる声は一切ない。巨大な遊戯盤ゆうぎばんの駒のように、両軍は黙々と進軍していた。
互いの士気が揺れ動いたり、戦線が崩壊したりすることはありえない。
すなわち勝敗を分かつのは、どれだけ相手の先を読み攻撃を仕掛けることができるかという知恵と決断力である。敵側の指揮官は不明だが、ここはオルヴェストの手腕に期待するしかない。
(ぼんやりしている場合ではないな)
テェルキスは老人が作ってくれたチャンスを無駄にすることなく、敵の本城へ至る距離を一気に縮めていった。
『裏切り者……それは皇族の一人と聞いているが、どのような人物なのだろうな?』
その呟きに答える者は誰もいなかった。

   * * *
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな

七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

処刑された勇者は二度目の人生で復讐を選ぶ

シロタカズキ
ファンタジー
──勇者は、すべてを裏切られ、処刑された。  だが、彼の魂は復讐の炎と共に蘇る──。 かつて魔王を討ち、人類を救った勇者 レオン・アルヴァレス。 だが、彼を待っていたのは称賛ではなく、 王族・貴族・元仲間たちによる裏切りと処刑だった。 「力が強すぎる」という理由で異端者として断罪され、広場で公開処刑されるレオン。 国民は歓喜し、王は満足げに笑い、かつての仲間たちは目を背ける。 そして、勇者は 死んだ。 ──はずだった。 十年後。 王国は繁栄の影で腐敗し、裏切り者たちは安穏とした日々を送っていた。 しかし、そんな彼らの前に死んだはずの勇者が現れる。 「よくもまあ、のうのうと生きていられたものだな」 これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。 彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

処理中です...