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あの人からの宿題
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海斗の運転する車は街中を抜けて南の国道を走っていた。
しばらく走っていると車窓に大きな海原が姿を見せる。
灰色に強い青味を落とした海が降り注ぐ太陽の光を反射していた。
白い波が砂浜に打ち寄せては引いていく。
そこに黒い影がいくつも浮かんでいた。
サーファーたちだ。
果てなく広がる海と真っ向から対峙して、果敢に波に挑んでいる。
久しぶりに海を見た。
優介が姿を消してから、私は海を見に行かなかった。
彼が将来私と一緒に見たいと――海の見えるところで一緒に年を取りたいと言った話を聞いてからは、余計に海へ行くことができなかった。
海を見たら優介を思い出して泣く。
隣に彼がいないことを現実まざまざと突きつけられたら、自分を保っていられる自信がなかった。
優介はとても海が好きだった。
海に近いところで生まれ育ったからということもある。
でも、それだけではない。
彼はサーフィンを趣味にしていた。
私との初デートに遅れてきた理由もサーフィンだった。
電話をしても二時間も捕まらなかった。
本当にデートをする気があるのかと疑った。
断ってやろうかとも思った。
だけど待ち続けた。
二時間後にやっと掛かってきた彼からの『海に入っていて電話に気づかなかった』という言い訳に私はがっくりと肩を落とした。
『ごめん、今すぐに向かうから』
焦ったように言う彼に、私は『事故に遭わないようにゆっくりでいいから』と答えた。
今にして思えば、よく二時間も待てたものだ。
初デート。
私はかなり緊張して約束の時間を待っていた。
けれど、彼を二時間も待ったおかげでその緊張の糸は完全に緩んでいた。
かなり前からデートに着ていく洋服を選んだ。
鏡の前に何度も立って、こっちがいいのか、あっちがいいのかといくつも着替えをした。
結局、黄色の花柄のワンピースに白色のカーディガンに決めた。
それくらいワクワクしてこの日を待っていたのに、彼にとっては大した約束ではなかったのか――そんな思いに駆られて、ため息が自然とこぼれた。
約束の時間から二時間も遅刻してきた彼は、車にサーフボードを積んだまま現れた。
濡れた髪を必死に拭いてから迎えに来たらしい。
ぼさぼさの髪のままの彼は私を見るなり深々と頭を下げた。
『その……こんなこと言っても許してもらえないと思うんだけどさ。朝からずっと緊張しちゃって。落ち着かないから海に行ったんだけどさ。海に入ったら夢中になっちゃって。その、瀬崎さんのことを適当に思っているとか、そういうことじゃ全然なくて……』
必死に言い訳をする彼をこのとき私は全く憎めなかった。
むしろかわいいと思ってしまった。
プッ……と自然に噴き出してしまう。
『これからはデートの前に海に行くなら必ず連絡してくださいね』
『は……はいっ』
顔を真っ赤にして返事をした優介のことを、私は今でも忘れられない。
照れたように頭を掻いて困ったように眉尻と目じりを下げた彼のことを、私は今でも――
「同じ目だ」
不意に現実に引き戻された。
運転席にいる海斗の声が、私を現実に呼び戻す。
反射的に海斗を見ると、彼は口元にかすかな笑みを滲ませていた。
その複雑な笑い顔は嬉しいのか、悲しいのか。
もしかしたらその両方が微妙なバランスで均衡を保っているのかもしれない。
「いつも思っていた。どうして、そんな風に寂しそうに外を見ているのかって。俺はずっと不思議だったんだ」
海斗のその言葉に上下する胸の動きがわずかに早くなる。
それと同時に思った。
今の彼の目のほうがよほど寂しそうに見える。
私を見ているのに、私を見ていないように感じる彼の目から逃げられなかった。
「君に会ったら答えが出るんじゃないかと思ったんだ。君と一緒にいれば答えが出るんじゃないかって。ずっと答えを探してた。だけど、やっとわかったよ」
海斗の言葉が誰に向けられているものなのか。
その目と同様、やはり彼の言葉は私に向けられているものではない気がした。
誰か別に伝えたい相手がいるようにも思える。
ううん。
彼自身が自分に言い聞かせているのだ、きっと――
じっと見つめるだけの私の視線の先で、海斗はフフッと、か細く笑った。
「美緒」
「なに?」
彼がふうっと息を吐いた。
一拍置いてから、彼は尋ねた。
「『浦島太郎の悲しみの理由はなんだったと思う?』」
「え?」
「『一人になったことなのか。老いたことなのか。それとも……』」
まるで誰かの台詞をそのまま言っているかのような、感情の欠片もはらまない口調だった。
「『乙姫に会えなくなったことなのか』」
そこで再び彼は言葉を区切った。
彼の運転する車が、街道沿いの道の駅に吸い込まれるようにして入って行く。
ほぼ満車状態となっている駐車場の空スペースに滑り込ませるように車を停めてエンジンを切った。
そのまま彼はハンドルをじっと見つめていた。
見つめながら、抑えきれない感情を吐き出すかのようにつぶやいた。
「やっとわかったんだ」
座席に深く腰を預けて、彼は目元を覆うように右手を当てがった。
その手が震えている。
太腿の上に置かれた彼の左手もわずかに震えていた。
「あの人からの宿題の答えがやっと……」
声までもが震えていた。
掛ける言葉が見つからない。
覆った目元から透明の雫がポトリと太腿の上に置かれた手の甲に落ちた。
甲を伝ってジーパンに滲んでシミを作っていく。
海斗は声を殺して泣いていた。
体を小さく折りたたむようにして――
まるで小さな子が嬉しくて泣き崩れるように笑みを湛えながら、彼は笑って泣いていたのだった。
しばらく走っていると車窓に大きな海原が姿を見せる。
灰色に強い青味を落とした海が降り注ぐ太陽の光を反射していた。
白い波が砂浜に打ち寄せては引いていく。
そこに黒い影がいくつも浮かんでいた。
サーファーたちだ。
果てなく広がる海と真っ向から対峙して、果敢に波に挑んでいる。
久しぶりに海を見た。
優介が姿を消してから、私は海を見に行かなかった。
彼が将来私と一緒に見たいと――海の見えるところで一緒に年を取りたいと言った話を聞いてからは、余計に海へ行くことができなかった。
海を見たら優介を思い出して泣く。
隣に彼がいないことを現実まざまざと突きつけられたら、自分を保っていられる自信がなかった。
優介はとても海が好きだった。
海に近いところで生まれ育ったからということもある。
でも、それだけではない。
彼はサーフィンを趣味にしていた。
私との初デートに遅れてきた理由もサーフィンだった。
電話をしても二時間も捕まらなかった。
本当にデートをする気があるのかと疑った。
断ってやろうかとも思った。
だけど待ち続けた。
二時間後にやっと掛かってきた彼からの『海に入っていて電話に気づかなかった』という言い訳に私はがっくりと肩を落とした。
『ごめん、今すぐに向かうから』
焦ったように言う彼に、私は『事故に遭わないようにゆっくりでいいから』と答えた。
今にして思えば、よく二時間も待てたものだ。
初デート。
私はかなり緊張して約束の時間を待っていた。
けれど、彼を二時間も待ったおかげでその緊張の糸は完全に緩んでいた。
かなり前からデートに着ていく洋服を選んだ。
鏡の前に何度も立って、こっちがいいのか、あっちがいいのかといくつも着替えをした。
結局、黄色の花柄のワンピースに白色のカーディガンに決めた。
それくらいワクワクしてこの日を待っていたのに、彼にとっては大した約束ではなかったのか――そんな思いに駆られて、ため息が自然とこぼれた。
約束の時間から二時間も遅刻してきた彼は、車にサーフボードを積んだまま現れた。
濡れた髪を必死に拭いてから迎えに来たらしい。
ぼさぼさの髪のままの彼は私を見るなり深々と頭を下げた。
『その……こんなこと言っても許してもらえないと思うんだけどさ。朝からずっと緊張しちゃって。落ち着かないから海に行ったんだけどさ。海に入ったら夢中になっちゃって。その、瀬崎さんのことを適当に思っているとか、そういうことじゃ全然なくて……』
必死に言い訳をする彼をこのとき私は全く憎めなかった。
むしろかわいいと思ってしまった。
プッ……と自然に噴き出してしまう。
『これからはデートの前に海に行くなら必ず連絡してくださいね』
『は……はいっ』
顔を真っ赤にして返事をした優介のことを、私は今でも忘れられない。
照れたように頭を掻いて困ったように眉尻と目じりを下げた彼のことを、私は今でも――
「同じ目だ」
不意に現実に引き戻された。
運転席にいる海斗の声が、私を現実に呼び戻す。
反射的に海斗を見ると、彼は口元にかすかな笑みを滲ませていた。
その複雑な笑い顔は嬉しいのか、悲しいのか。
もしかしたらその両方が微妙なバランスで均衡を保っているのかもしれない。
「いつも思っていた。どうして、そんな風に寂しそうに外を見ているのかって。俺はずっと不思議だったんだ」
海斗のその言葉に上下する胸の動きがわずかに早くなる。
それと同時に思った。
今の彼の目のほうがよほど寂しそうに見える。
私を見ているのに、私を見ていないように感じる彼の目から逃げられなかった。
「君に会ったら答えが出るんじゃないかと思ったんだ。君と一緒にいれば答えが出るんじゃないかって。ずっと答えを探してた。だけど、やっとわかったよ」
海斗の言葉が誰に向けられているものなのか。
その目と同様、やはり彼の言葉は私に向けられているものではない気がした。
誰か別に伝えたい相手がいるようにも思える。
ううん。
彼自身が自分に言い聞かせているのだ、きっと――
じっと見つめるだけの私の視線の先で、海斗はフフッと、か細く笑った。
「美緒」
「なに?」
彼がふうっと息を吐いた。
一拍置いてから、彼は尋ねた。
「『浦島太郎の悲しみの理由はなんだったと思う?』」
「え?」
「『一人になったことなのか。老いたことなのか。それとも……』」
まるで誰かの台詞をそのまま言っているかのような、感情の欠片もはらまない口調だった。
「『乙姫に会えなくなったことなのか』」
そこで再び彼は言葉を区切った。
彼の運転する車が、街道沿いの道の駅に吸い込まれるようにして入って行く。
ほぼ満車状態となっている駐車場の空スペースに滑り込ませるように車を停めてエンジンを切った。
そのまま彼はハンドルをじっと見つめていた。
見つめながら、抑えきれない感情を吐き出すかのようにつぶやいた。
「やっとわかったんだ」
座席に深く腰を預けて、彼は目元を覆うように右手を当てがった。
その手が震えている。
太腿の上に置かれた彼の左手もわずかに震えていた。
「あの人からの宿題の答えがやっと……」
声までもが震えていた。
掛ける言葉が見つからない。
覆った目元から透明の雫がポトリと太腿の上に置かれた手の甲に落ちた。
甲を伝ってジーパンに滲んでシミを作っていく。
海斗は声を殺して泣いていた。
体を小さく折りたたむようにして――
まるで小さな子が嬉しくて泣き崩れるように笑みを湛えながら、彼は笑って泣いていたのだった。
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