上 下
24 / 45
third contact

玉手箱

しおりを挟む
「まずは俺達が出会った頃の話をしよう。その後で、全部きみに打ち明けるから」

 私が海斗との出会いを一通り話し終えると、彼は悲しい笑みをこぼした。
 つないだ手がとても汗ばんでいる。
 足湯にずいぶん長く浸かっているせいかもしれない。

 だけど海斗の手は私とは違っていた。
 まったく汗が出ていない。
 表情も涼しいままで、熱が上がっている様子も見られない。
 
「こうやって美緒との出会いを聞いていると、ちょっと前のことみたいだ。美緒と過ごすようになってからの俺の時間の流れは実際、ずっと早くなったような気がしたよ。1日24時間で、1時間は60分。1分は60秒。それは誰しも変わらないはずなのにね」

 そこで彼は一旦話を切った。
 落ち着かないのだろうか。
 彼はポケットの中に突っ込んだ右手をひっきりなしに動かしているみたいだった。
 その手がピタリととまる。
 彼が私のほうへ顔を向けた。

「本当は今この瞬間も俺は悩んでる。君にすべてを話すと言ったのに、このまま言わずに済んだほうが楽なんじゃないかって」
「きっと私があなたを苦しめているのよね。私が……はっきりしないから」

 知り合ってから5年以上経っているのに、私たちは胸を張って恋人だと言えない関係にある。
 けん制し合って、結局一番いい落としどころを探った結果が今の関係だ。
 友達とも、恋人とも言いきれない曖昧な関係。
 そんな関係がきっと彼を苦しめているに違いない。
 ところが、だ。

「美緒のせいじゃない。全部、俺が悪いんだよ。俺はすべてを知っていながら、君に真実を伝えていないんだから。苦しいのは承知の上で『伝えない』選択をしたのに。君を好きになればなるほど、罪悪感で押しつぶされそうになるんだよ」

 海斗は静かに吐露した。
 それからゆっくりと私の手を上向きにひっくり返した。
 ジーパンのポケットの中に突っ込んでいた右手が姿を見せる。
 げんこつ上になった彼の手が私の手のひらに重なった。
 彼がゆっくりとこぶしを開く。

――えっ!?

 喉元に蓋をされてしまったかのような息苦しさが襲う。
 一気に縮みこまった心臓が、縮んだまま動きをとめてしまうほど――

「……なんで……」

 春の温かな陽光が私のてのひらの上に乗せられた物を照らした。
 太陽の光を反射してキレイな青を発色させている。

 深い海の色だった。
 光を吸収するほど、どこまでも深い青を放っている。

 いびつな形で半壊しているガラス細工。
 記憶の端に追いやり、何度消そうと思っても消えずに残っているものだ。

 突然のことにめまぐるしいほどの勢いで、記憶がフィードバックしていく。
 それと同時に頭の上のほうから警報音がけたたましく鳴り響いている。
 
「なんであなたがこれを……持っているの!?」

 優介が消えた2012年の5月30日。
 あの日に壊れて、その後まったく見つけられなかったガラスのストラップの片割れが、私のてのひらの中でキラキラと輝いている。
 春の柔らかく麗らかな陽光がてのひらの中に置かれた物ごと、私たちを包み込むように差していた。
 
 2019年5月30日現在。
 7年の歳月を経た初夏らしい温かな日であるはずなのに。
 また足湯に浸って全身が温かくなっているはずなのに。
 私の中でその青い物体はひどく寒々しく、凍てついた光を放っているかのように映っていた。
 そう。
 冬の日差しとは違う春独特の少し青みを含ませた光の中で、それはあまりにも冷たく、鮮やかな色を解き放っていたのだから。

 手が震えた。
 それでも海斗は私の手を離さなかった。
 
 目が離せない。
 曇りのない澄み切った目でまっすぐに海斗が私を見つめていたから――
 震えがとまらない。

 そんな私の小刻みに震える手をそれでも海斗は優しく握っていた。
 そして空の上で輝く太陽のように、柔らかく穏やかな笑みを湛えて見せたのだ。

「俺は……」

 彼の唇が言葉を紡ぐ。
 とても落ち着いた声だ。
 でもどこか憂いを含んだ声だった。
  
「俺は彼の玉手箱なんだよ、美緒」

 目を見開く。
 彼の真っ直ぐな目が見つめ返してくる。

「彼、鈴原優介が君に贈った玉手箱なんだよ」

 海斗はそう告げた。
 彼には話していない優介の名前をはっきりと。 
 そして彼はこう尋ねたのだ。



 少し彼の話をしていいか、と――
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...