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第2話 育成キットもご用意しました
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誰もついてこないことを確認して会議室の扉をしっかり閉めた後、妹尾を椅子に座らせた。子猫の入ったダンボールをテーブルに置くと、彼の対面に座る。
「これをどうしろと?」
「飼ってください」
真顔でキッパリと妹尾は言いきった。ゆずる気はないらしい。
「俺のマンションは動物飼育は禁止されている」
「じゃあ、ここで飼いましょう」
「あのな、妹尾……」
「課長は猫、お嫌いですか?」
そうじゃない。そういう問題じゃないんだと説得しようと俺は彼を見た。しかし喉元まで出かかった言葉を飲みこむしかなかった。四つのつぶらな目が俺をじっと見上げている。一組は妹尾の黒い目。もう一組はつぶらな小さなアクアブルーの目。
「俺は……猫を飼ったことがないんだよ」
片手を額にくっつけて彼らを見ないようにする。そうじゃない。そうじゃないだろう、俺――と思うのに、反論できない。どうにかしぼりだした断りの理由に、妹尾は黙りこくっている。
正直に言えば、猫が嫌いなわけじゃない。ただ苦手なだけだ。接し方がわからない。動物を飼った経験がないからだ。この世に生まれ育って40年。一度も動物、いや虫も爬虫類も魚も育てた経験がない。ゆえにどうしていいかわからない。その上、俺は独身だ。子供もいない。
「だから、俺には……」
「そうですよね! 初めてだといろいろわからないですよね! そうだろうと思って、完璧に用意してあります!」
ちょっと待っててくださいね――と妹尾が勢いよく立ちあがり、足早に会議室を出ていく。
「ちょっ……妹尾!」
彼をとめようとした俺の右手が虚しく宙を掻く。
彼がいなくなって静まり返った部屋に一人取り残された俺は、あらためて深いため息を吐いた。
チョコレートをもらう以上の疲労感がどっと押し寄せる。なんて日だ。今年のバレンタインデーは呪われている。
そう思って机の上に置いたダンボールの中でちょこんと座る子猫を見る。
「みぃ」
「チョコかと思ったのに子猫って、どんなサプライズだよ」
妹尾隆成は同じ年代の男子と比べると少し変わったところがある。よく人を観察している。オシャレなカフェやアイテムをいっぱい知っている。気配りができ、行動力もある。その上ルックスが並みの女子よりかわいいときている。女子力が高い彼は弁当だって自分で毎日作ってきているらしい。誰にでも優しく接し、男女問わず人気もある。
そんな彼がどういう意図で俺に子猫を贈ろうなんて思ったのか。まったくもってわからない。いやむしろ、わかろうとしてはいけないのかもしれない。
ふうっと呼吸を整えながら、子猫の入った段ボールを膝の上に置く。俺を見上げて子猫がまた「みぃ」と甘えるように鳴いた。
恐る恐る指先で顎下をこそこそっと撫でてみる。うれしそうに子猫が指に顔をすりつけてきた。
――めちゃくちゃかわいいじゃねえか!
急いで口を片手で押さえる。「はうっ」なんて変な声がもれかけたからだ。
危ない。どんな罠だよ、これは。
子猫をそっと机の上のダンボールの中に戻す。これ以上関わるのは危険だ。底なし沼に足を捕われてしまう前に、飼えないときっぱり断ろう。この子を妹尾に返さねば――
「お待たせしました、課長!」
バンッと派手な音を立てて会議室の扉が開く。妹尾がガタガタと台車を押して部屋に入ってきた。台車の上には大小様々なダンボール箱が載っている。しかもゾロゾロと観衆まで引きつれて戻ってきやがった。観衆は興味津々で廊下から、こちらを伺っている。
最悪だ。なんとか妹尾と二人きりで問題解決したかったのに、これでは元の木阿弥だ。これ以上ことが大きくなる前になんとかしなければならない。
しかしそんな俺の思いなど知らない妹尾は、うれしそうに台車の上のダンボール類を説明し始めた。
「猫用ケージにトイレ、爪とぎ。トイレ砂、トイレシーツ。水入れ、ご飯用の器。猫じゃらしと毛布。カリカリフードと粉ミルク。子猫用の育成キットもちゃんとご用意しました!」
この無垢な悪意はなんだろう。押しつけられる善意というものがこれほど恐ろしいものなのかと噛みしめる。
しかし「持って帰ってくれ」なんて俺には言えない。彼の笑顔には拒否を許さないパワーがある。
「……ありがとう」
「これから頑張って、この子を一緒に育てていきましょうね、課長! ぼくが手取り足取り教えますから!」
ガシッと両手で俺の右手を握りしめる妹尾。彼からキラキラまばゆいオーラが放たれている。まぶしすぎて目がくらむ。俺が押しに弱いのか。はたまた妹尾がすごすぎるだけなのか。
「……ああ、頼むよ」
心で泣きつつ、必死に笑顔を作る。
解き放たれた会議室の扉の向こうにいる観衆からまたしても感極まった「キャー!」という黄色い奇声があがるのを聴覚で捉えながら、小さくそっとため息をついた。
「これをどうしろと?」
「飼ってください」
真顔でキッパリと妹尾は言いきった。ゆずる気はないらしい。
「俺のマンションは動物飼育は禁止されている」
「じゃあ、ここで飼いましょう」
「あのな、妹尾……」
「課長は猫、お嫌いですか?」
そうじゃない。そういう問題じゃないんだと説得しようと俺は彼を見た。しかし喉元まで出かかった言葉を飲みこむしかなかった。四つのつぶらな目が俺をじっと見上げている。一組は妹尾の黒い目。もう一組はつぶらな小さなアクアブルーの目。
「俺は……猫を飼ったことがないんだよ」
片手を額にくっつけて彼らを見ないようにする。そうじゃない。そうじゃないだろう、俺――と思うのに、反論できない。どうにかしぼりだした断りの理由に、妹尾は黙りこくっている。
正直に言えば、猫が嫌いなわけじゃない。ただ苦手なだけだ。接し方がわからない。動物を飼った経験がないからだ。この世に生まれ育って40年。一度も動物、いや虫も爬虫類も魚も育てた経験がない。ゆえにどうしていいかわからない。その上、俺は独身だ。子供もいない。
「だから、俺には……」
「そうですよね! 初めてだといろいろわからないですよね! そうだろうと思って、完璧に用意してあります!」
ちょっと待っててくださいね――と妹尾が勢いよく立ちあがり、足早に会議室を出ていく。
「ちょっ……妹尾!」
彼をとめようとした俺の右手が虚しく宙を掻く。
彼がいなくなって静まり返った部屋に一人取り残された俺は、あらためて深いため息を吐いた。
チョコレートをもらう以上の疲労感がどっと押し寄せる。なんて日だ。今年のバレンタインデーは呪われている。
そう思って机の上に置いたダンボールの中でちょこんと座る子猫を見る。
「みぃ」
「チョコかと思ったのに子猫って、どんなサプライズだよ」
妹尾隆成は同じ年代の男子と比べると少し変わったところがある。よく人を観察している。オシャレなカフェやアイテムをいっぱい知っている。気配りができ、行動力もある。その上ルックスが並みの女子よりかわいいときている。女子力が高い彼は弁当だって自分で毎日作ってきているらしい。誰にでも優しく接し、男女問わず人気もある。
そんな彼がどういう意図で俺に子猫を贈ろうなんて思ったのか。まったくもってわからない。いやむしろ、わかろうとしてはいけないのかもしれない。
ふうっと呼吸を整えながら、子猫の入った段ボールを膝の上に置く。俺を見上げて子猫がまた「みぃ」と甘えるように鳴いた。
恐る恐る指先で顎下をこそこそっと撫でてみる。うれしそうに子猫が指に顔をすりつけてきた。
――めちゃくちゃかわいいじゃねえか!
急いで口を片手で押さえる。「はうっ」なんて変な声がもれかけたからだ。
危ない。どんな罠だよ、これは。
子猫をそっと机の上のダンボールの中に戻す。これ以上関わるのは危険だ。底なし沼に足を捕われてしまう前に、飼えないときっぱり断ろう。この子を妹尾に返さねば――
「お待たせしました、課長!」
バンッと派手な音を立てて会議室の扉が開く。妹尾がガタガタと台車を押して部屋に入ってきた。台車の上には大小様々なダンボール箱が載っている。しかもゾロゾロと観衆まで引きつれて戻ってきやがった。観衆は興味津々で廊下から、こちらを伺っている。
最悪だ。なんとか妹尾と二人きりで問題解決したかったのに、これでは元の木阿弥だ。これ以上ことが大きくなる前になんとかしなければならない。
しかしそんな俺の思いなど知らない妹尾は、うれしそうに台車の上のダンボール類を説明し始めた。
「猫用ケージにトイレ、爪とぎ。トイレ砂、トイレシーツ。水入れ、ご飯用の器。猫じゃらしと毛布。カリカリフードと粉ミルク。子猫用の育成キットもちゃんとご用意しました!」
この無垢な悪意はなんだろう。押しつけられる善意というものがこれほど恐ろしいものなのかと噛みしめる。
しかし「持って帰ってくれ」なんて俺には言えない。彼の笑顔には拒否を許さないパワーがある。
「……ありがとう」
「これから頑張って、この子を一緒に育てていきましょうね、課長! ぼくが手取り足取り教えますから!」
ガシッと両手で俺の右手を握りしめる妹尾。彼からキラキラまばゆいオーラが放たれている。まぶしすぎて目がくらむ。俺が押しに弱いのか。はたまた妹尾がすごすぎるだけなのか。
「……ああ、頼むよ」
心で泣きつつ、必死に笑顔を作る。
解き放たれた会議室の扉の向こうにいる観衆からまたしても感極まった「キャー!」という黄色い奇声があがるのを聴覚で捉えながら、小さくそっとため息をついた。
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